大江戸散歩―――葛西臨海公園〜江戸湾〜向島百花園

  秋の晴れ間?に宿願果たす!
       ―――私の「大江戸散歩」も終盤間近



  ※10月中旬であるにもかかわらず、この天候。寒い!秋雨前線?台風?!しかし、そんな中でも、かろうじて晴れ間が顔を出すことがある。そんな一瞬を我が友人は見逃さない。一昨日は、宿願の船旅と向島百花園に行ってきた。コースは以下の通り。

 りんかい線・新木場駅ーー葛西臨海公園駅〈葛西臨海公園〉・・・〈葛西海浜公園(西なぎさ)〉 〜東京水辺ライン〜お台場海浜公園 ーー 東京テレポート駅ーー新橋駅ーー 東向島駅・・・〈向島百花園〉
・・・ 浅草駅ーー上野駅
   

葛西臨海公園にきた
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  ※若い頃、東京湾のどこかの人工海岸で潮干狩りをした覚えがある。そこが葛西臨海・海浜公園辺りであったかどうかははっきりしない。どちらにしても、こんなに立派な公園があったのだ。また、ここの水族園は「姉貴」のお気に入りのスポットなのだそうだ。これは一日いても飽きないかもしれない。


葛西なぎさ橋を背に
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  ※友人は野球観戦の折にしばしばここを訪れているという。今回は、時間の都合もあるので、観覧車にも乗らず、水族園にも鳥類園にも行かなかったが、葛西渚橋を渡って西渚の砂浜を散策してみた。砂浜や芝生の海岸線から東京湾や東京の下町方面の眺望が素晴らしかった。


葛西海浜公園西なぎさからの東京湾大パノラマ
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  ※海岸線や展望レストハウス・クリスタルビューからの東京湾のパノラマは、東京ディズニーランドから房総半島・木更津方面、アクアラインの海ほたる、羽田からの飛行機の離発着、行き交う大型船、そして、これから向かう東京ゲートブリッジ方面などが一望できた。また、立派なワンちゃんたちがたくさん散歩していたが、サロさんも海を見たらどんなに驚くことだろう。


東京ゲートブリッジ
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東京湾からのスカイツリー
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お台場・レインボーブリッジ
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  ※東京水辺ライン発着場から水上バスでお台場に向かう(運賃は1130円だった)。恐竜橋とも呼ばれる東京ゲートブリッジが面白い。新木場と中央防波堤外側埋立地を結んでいるということだが、運航ルート図を見て、改めて東京湾内がこうなっているのかと認識を新たにした。海から陸地を見ると、また別の感慨が生まれるものだ。終点は、レインボーブリッジの下をくぐって、お台場海浜公園へ。船上からの展望は快適だったが、陸地に近づくにつれて風が強くなり、寒くて船室に入ることになった。また、季節を変えて訪れてみたいものだ。



江戸庶民の花園〜向島百花園
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  ※私の「大江戸散歩」には欠かせない場所だとは思っていた向島百花園への訪問が実現した。大名の庭園もいいが、庶民の庭園には本当に親しみやすい魅力がある。江戸庶民の庭木や花木そして草花への興味は有名だが、向島百花園は、文化文政期に、骨董商が文化人の協力を得て造ったものという。


芭蕉の「こんにゃく」句碑の前で
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  ※敷地面積は狭い。しかし、身近な花木の多くが、街中にいかにもありそうな趣で植えられている。そして、それには細い木切れで名前が書いてある。植物園だ。そして、草木を愛した文人たちの句碑がならぶ。「こんにゃくの さしみも些(すこ)し うめの花」(芭蕉)


山上憶良と秋の七草
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  ※この前の歌舞伎の舞踏でも、「秋の七草」は重要な役割を担っていた。それは、この山上憶良の歌、「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数うれば、七種(ななくさ)の花 萩の花 ああ尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」がもとになっている。家に帰り、図鑑を見たりしたが、驚いたことがあった。植物オタクの「姉貴」や「奥さん」は想定内だが、「1st兄貴」がスラスラと言ったのだそうだ―――「はぎ、ききょう、すすき、なでしこ、おみなえし、くず、ふじばかま、これぞ七草」あじゃぱ〜!


ススキと東京スカイツリー
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  ※墨田の名所、向島百花園にも新しい波が。渋い池には逆さツリーが映っていた。甘酒を飲もうと茶屋に入り、どの季節が一番いいかと聞いたら、4月末から5月初めが好きだと答えてくれた。また、春の七草を見に来よう。


   ※この小旅行の三分の一はアベ政治について話していただろうか。全く、国難と言うべき事態ではある。そして、来月のおじさん旅行が少しでも穏やかな気分でできることを願うばかりだ。さあ、明後日は投票日だ。
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アベ政権下の庶民の生活実感―――私の場合

 ウソこけ!三世議員が!
      ―――将来への不安は半端じゃないぞ



   ※高江における米軍ヘリコプターの墜落、北広島町における米軍戦闘機によるフレアの発射、相変わらずの住民無視の蛮行が続いている。アベ政権の「国を守る」など、お友達の暴利をカモフラージュするプロパガンダに過ぎない。日本の外交における最大のリスクはあのトランプとアベの追従外交に他ならない。


   さて、カモフラージュといえば、アベの日本国憲法破壊(改憲)策動を「経済第一」などと言ってカモフラージュしてきた「アベノミクス」も同様だ。このブログでも繰り返し主張してきたが、それは、単に、お友達のために(決して、国民のためなどではない!)、国民の税金や年金を勝手に使い、異次元金融緩和でツケを将来に回しながら(→インフレ・重税)、株価を吊り上げ、円安に誘導し、オリンピックなどの無駄な公共事業をやるといった代物なのだ。トリクルダウンなどは初めからカモフラージュに過ぎず、逆に、国民からその富と労働力を収奪し、そのことによって己らの権力を強化し、国民を抑圧・支配しようとするものなのだ。それを、口からでまかせの「ニュースピーク」(戦争は平和である・自由は服従である・無知は力である)でたぶらかそうとする。アベたちが言っていることは、一見我々国民が望んでいることの様に聞こえるが、一事が万事真逆の目的を志向しているのだ。騙されてはいけない。

   アベノミクスは成功であった。しかし、その意味することは一部のアベ友が暴利を得るということであり、多くの国民の生活と命、そして、日本の国民経済それ自体が危機に晒されるということに他ならない。そのことは、真っ当な経済学者たちの分析を見ても納得できるが、私たち自身の生活実感からしてもすぐ了解し得るところだ。

   確かに私の周りを見ると、地域的特性もあって、今まで見たことのないような戸建ての建設ラッシュだ。そして、ベンツも多くなったように思われる。しかし、それは、じゃぶじゃぶの金融緩和や格差の拡大の一面に過ぎないように思われる。その一方で、国民多くの生活水準は低下ないしは不安定化し、〈今をなんとかやりくりしている〉のが実情だからだ。それは、地方の衰退や周りの多くの人々の消費性向を見れば実感できる。まさしく、経済のイビツで不均衡なきしみが感じられるのだ。私自身の場合を考えても、第三世界型社会保障(子供たち)に助けられて、贅沢をしなければなんとかやっていけるけれど、しかし、もし何かやろうとすれば、乏しい貯金を取り崩す他はない。これから家の修繕をどうしよう、もし病気になって入院することになったら、あの介護施設でどう生きていくのか等々、不安は半端ではない。ただ、自分のことはなるべく心配しない様にはしている―――いざとなったら死んでしまおうとか。しかし、子供たちの未来についてはそうはいかない。今の子供達の労働条件や社会のあり方を見ると、スマホやパソコンで遊ぶ程度のことはできるだろうが、安心して働き、家族を作り、子供を育て、生活を楽しむことなどは到底できそうにもない。少子化云々が叫ばれているが、事態は一層深刻な方向へ向かっている様に思われる。その〈なんとかやっていける〉現状をアベ自公政権のおかげだなどと勘違いしたうえ、そうした状態がこれからも続くことを願っている若者層も多いと聞くが、北欧諸国をはじめとする他の先進諸国と比較すれば、これまでのアベ自公政権が如何に国民の生活と命に冷淡であったはわかろうというものだ。今頃教育の無償化だと、笑わせるな!きゃ奴らが目指しているのは金持ちに特権的なサービスを提供できる社会でしかないのだ。このままでは、日本の「普通」の若者と老人の未来に「希望」はないといってよい。

   それではどうするか。それについてのイメージは次回書こうと思う。とにかく、アベやヤマグチの話が通ってしまうような日本に未来はない。あの真っ当ではないアメリカのトランプについてはアメリカ国民が近いうちに答えを出すだろう。さて、日本国民はどうするのか?!もちろん、「市民と野党」の共闘の前進の中にしか日本国民の活路は開けないだろう。日曜日の選挙は本当に重い意味を持つと改めて思う。

   今日は、友達と会ってくる。彼は現状をどう見ているのだろう。

   

アベに一鍬振り下ろす――私もそろそろ煮詰まってきた!


 トランプと連(つる)み戦争を煽る外交、働く人々の血肉をすすり格差を拡大する経済、国民の税金をアベ友にばらまき民主主義と平和主義を破壊する政治!もうがまんできない!


   ※このところ冷たい雨が身にしみる。世の中の状況も、肌寒さを感じる今日この頃だ。数日前、タマネギを植え付けるために鍬を振るっていたが、ついアベのことが頭に浮かび、思わず鉄槌ならぬ鍬を強く振リ下ろしてしまった。身体には良くないことではあったが、きゃ奴が日本の民とその未来を危うくすることに耐えられない思いがしたのだ。


   さて、今回の総選挙の結果については、自公の「堅調さ」を報じるマスコミが多い。もちろん、内閣の不支持率は支持率を上回っているのではあるが、現行の選挙制度ではそうなってしまうわけだ。例えば、前回の衆院選を見た場合、自民党の得票率は、比例代表で〈全有権者〉の約17%、小選挙区(公明支持層を含む)でも約25%でしかないのだが、獲得議席数はなんと60%を超えるということになるのだ。これが民意を正確に反映した選挙制度であるはずはない。政権交代の可能性云々という議論もあったが、現行の選挙制度は結局「イスタブリッシュメント」に媚びる政治を構造化するだけだったと言えるだろう。もちろん、中道右派と左派の政権交代によって目前の喫緊の問題や未来に向けての諸課題に適切に対処し得るならばそれはそれでいい。しかし、そうはならないのが日本の政治の現状なのだ。そのことはこの前の民主党政権が陥った有様や今回のマエハラたちの行動が明らかにしているところだ。そして、彼らが「適応」しようとしている日本の「イスタブリッシュメント」といえば、権力の座にあるがゆえの〈傲慢〉と〈欲ボケ〉とが融合した(私欲に居直る)ものとしか言えない代物なのだ。福島原発事故の被害に全く学ぶことのない「原子力村」、搾取と過労死を常態化させる「ブラック企業」、そして、もうほとんどスキャンダルと言って良いような東芝や神戸製鋼など巨大製造業の「劣化」した有様、本当に情けないとしか言いようがない。

   こうした社会状況がどうして生まれてきたのか。少なくとも、私たちの世代では、日本国憲法の目指した基本的人権や国民主権や平和主義が、十分ではなかったにせよ、社会の様々な領域で「志向」されていたことは事実だったと思う。しかし、今や、そのことがほとんど逆向きに推し進められようとしている。そしてショックなのは、そうした戦後日本を破壊しようとしている自民党の支持率が20歳台で最高を示していることだ。彼らが幸せそうにしているとは到底思えないが、そうした背景には、学校教育に浸透した(新自由主義と新保守主義に対応した)「競争原理」・「管理主義」・「国家主義」の果たした役割は極めて大きいと思う。そして、そうした価値観は、私欲に居直ったイスタブリッシュメンによって、企業や官公庁においても次第に支配的なものとして制度化・秩序化されてきたのだ。そうであるが故にこそ、格差と抑圧と戦争を正当化するそうした思想に根底的に対峙する思想・価値観が復興せしめられねばならないのだと思う。「まっとう」とはそういうことであり、日本人の戦争体験の継承は、その最も貴重なものの一つであるはずだ。

   ところで、ある社会の一般的な「文化」的性格とは別に、どのような社会にあってもある特定の性格類型(例えば、権威主義的であるとか、服従しやすいとか、「集団主義」的とか「個人主義」的とか)を持つ人々は存在するものだと思う。しかし、最近の世界各国における「自国中心」的な考え方の高まりには、極めて危ういものを感じざるを得ない。そして、そうした考え方に共鳴する層として、いわゆる、「大衆」や「一般ピープル」(「没落」しつつある中間層や労働者層)が指摘されることが多い。このことは、歴史的には、ナチスやニクソン陣営を支えた労働者層などにもいえ、ある意味で、近視眼的で思慮に欠け、プロパガンダやウソ(フェーク)に煽られやすく、粗野でもあり従順でもある層というわけだ。しかし、言うまでもなく、〈ステレオタイプ〉的思考にハマりやすいのは、「大衆」だけではなく、知識と教養を持つと自称する「エリート」たちも同じことだ。問題は、移民問題や難民問題というアメリカングローバリズムの矛盾がもたらす「現象」を、その正しい文脈のなかで理解し、如何に人類的視野で適切に対処し得るかに他ならない。そして、そうしたことは、我国における北朝鮮の脅威についても言えるはずだ。そうした視点を持たずに、直情的に「壁」だの「(軍事的)圧力」だの「核抑止力」だのとヒステリックに煽る権力者―――トランプやアベ―――は、実は、私たちの生活世界を分断と破局に導くものとして、私たち「一般ピープル」自身によって排除されねばならない対象なのだと思う。確かに、反省的な思考には弱い日常生活者たる私たちではあるが、実は、受け継がれてきた「知恵」によって、私たちが陥りやすい陥穽に気付かされることも多いものだ。親の一言、様々な体験談、時代劇の一コマ等々、アベの嘘っぱちを見抜くことなど簡単なことではないか!
   
   そして、たとえ総選挙の結果がどうなろうと―――もちろん、日本国憲法の理念を維持しようとする「市民と野党の共闘」が勝たねばならない!―――、歴史的な解放闘争や民主化運動そして反戦・平和運動が、どのような困難な時代や場所においても絶えることなく、普遍とつながる一人の「人間」としての〈個〉から出発して闘われ、継承されてきたことを忘れてはならないと思う。今日は、体調が良くない。しかし、「市民と野党の共闘」の皆さんの生き生きとした姿をネットで見て、また、元気をもらうのだ。

玉三郎は本当に上手い! 十月大歌舞伎・夜の部を見る

〈至芸〉とはかくなるものを言うのだろう!
   磨き抜かれた芸に見惚れ、役者の心意気に打たれる‼︎



   ※一度は生で見たいと思っていた坂東玉三郎。それが歌舞伎座「芸術祭十月大歌舞伎」夜の部で実現した!そこにおける玉三郎は、予想を大きく超える素晴らしさで、まさしく、「至芸」とはかくなるものを言うのだろうと深く感銘を受けざるを得なかった。

   今回の演目は、以下の通り。
 一、沓手鳥狐城落月(孤城落月) 
     淀の方 玉三郎、豊臣秀頼 七之助、千姫 米吉  
 二、漢人韓文手管始(唐人話)
     十木伝七 鴈治郎、幸才典蔵 芝翫、高尾 七之助 
 三、秋の色種
     玉三郎、梅枝、児太郎

   テレビやシネマ歌舞伎の方が顔の表情がはっきり見えていいことはいいのだが、三次元の空間で立体的に放たれるオーラのようなものはやはり生の公演でなくては味わえないものだ。

   坪内逍遥作の「孤城落月」は、大坂夏の陣の大阪城を舞台に、滅びゆく豊臣家の一族と淀の方の狂気を描いた作品だ。落城寸前に、秀頼の妻で家康の孫である千姫を城外に逃がそうとする動きに対する淀の方の怒りと錯乱、そして、それに対する秀頼や家臣たちの反応、一種の滅びの「美学」とも言えるものだ。淀の方を演じた玉三郎については、少し入れ込みすぎとの評もあるが、私と妻の意見では、淀の方の心情は十分に想像し得る範囲のものであって、その美しからざる〈狂気〉を演じようとした玉三郎の心意気こそ賞賛されるべきだと思った。また、「滅び」に際する秀頼や家臣たちの様々な姿には、何か現代にも通ずるものを感じさせたた。(マエハラ〜!)

   「唐人話」は、江戸時代に実際に起きた事件をもとにつくられた作品で、長崎の遊郭を舞台にした、ある意味で非常にわかりやすい作品だった。男の嫉妬をユーモラスに、また、憎々しげに演じた芝翫は適役であったろう。傾城を演じた七之助と米吉の妖艶さと美しさ(可愛さ)は歌舞伎ならではのものだ。鴈治郎の庶民的な味わいも相変わらずのもので、その存在価値は歌舞伎に不可欠のものの一つと言えると思う。また、唐使のアドリブ「シャンシャン・パンダ」には笑えた。

   だが、私が最も感銘を受けたのは、最後の「秋の色種(いろくさ)」だ。素晴らしい舞台美術(前田剛)と長唄囃子、そして、玉三郎たちの舞踏。いつもはどちらかというと飽きてしまう舞踏なのであるが、悠久たる日本の秋という季節に、覚醒しつつ、溶け込んでしまいそうな感覚に浸ることができた。玉三郎の舞は遠くから見ても圧倒的な存在感と美しさを放つもので、その滑らかで安定した動きには見とれるほかなかった。あれだけの芸を身につけるにはどれほどの修練を必要とするのだろう。それは、まさしく、本物と思われた。
   9日の「スーパー歌舞伎 ワンピース」の舞台で、市川猿之助は骨がはみ出るほどの骨折をしたにもかかわらず声をあげなかったことが評判になっている。また、今回の舞台では、附け打ちの人の真剣な表情も印象的だった。確かに、歌舞伎はこうした人々の努力によって、私たちに感動を与えてくれるのだろう。

   最後に一言。いよ!大和屋〜‼︎

   

ウソのアベ塗り―――「おまえが国難!」

 アベ君!いい世の中にしてくれたもんだ‼︎
   ――嘘と偽りが恥ずかしげもなく自己主張している。



   ※昨日は、「奥さん」と一緒に、玉三郎を見てきた。素晴らしかった!その様子については明日にでも書きたいと思う。また、昨日は、10月22日衆院選の公示日でもあった。早くあの軽薄なアベの顔と声に接しなくて済むような日常が訪れて欲しいものだ。

   この数日間、生真面目にも、色々な党首討論を見たが、やはり、アベ自公政権とその補完勢力には早々にご退場願うしか明るい未来はないとつくづく感じた。とりわけ、その存在自体がウソに見えるアベの恥知らずな姿は痛々しいほどだ。100回聞いてもウソだとわかる言い訳はもういいから、証言者の食い違いをはっきりさせるためにも、これまで要求されてきた様々な情報公開(財務省や今治市等々)や証人喚問(安倍章江や加計孝太郎や元秘書や官僚たち)をさっさと行えばいいのだ。ついでに、アベ自身にも、もう一度、例の申請に関する「知っていた→知らなかった」をはっきりさせてもらおうじゃないか。しかし、もちろん、それができないが故の冒頭解散・総選挙であったのだ。しかも、アベにとっては、もう北の脅威におすがりし、「国難」を怒号するしか選挙に勝てそうにないところまで追い詰められているのだ。これでもしアベ政権が維持されるとなると、「トランプーアベ」どころか「金ーアベ」政権とすら言っても良いほどの代物となるわけだ。それにしても、アベの恥ずかしげもなくウソの上にウソを塗り重ねる態度は、極めて特徴的なものだ。それは、モリ・カケ問題だけでなく経済や報道に関しても同様だ。そして、そうしたウソこそが国民に様々な〈重荷〉を負わせるのだ。「おまえが国難!」とはよく言ったものだ。

   さて、公明党のヤマグチは、「教育負担の軽減」などという争点にもならない取って付けたようなスローガンから、やはり、アベに倣って北におすがりする戦術に転換したようだ。希望と民進の関係を揶揄もしているが、実は、都議会におけるコイケとの連携でも明らかなように、「多数派」権力に擦り寄り、それに寄生して、旨味を吸い取るのが習い性になってしまっているのだ。そして、「百年安心な年金」のことも思い出すが、秘密保護法・安保法制・共謀罪等々、日本国憲法の平和主義を骨抜きにすることに加担してきたその責任は極めて重い。言うまでもなく、戦後日本が戦争に巻き込まれることのなかったのは、集団的自衛権を禁止した日本国憲法9条の故に他ならない。しかし、集団的自衛権を容認し、安保法制を強行採決した公明党が「平和の党」と言えるわけがあるまい。今後、自衛隊が米軍の露払いとして海外で犠牲を払うことになった時、その責任を公明党はどう引き受けるのか。

   希望の党のコイケについては、予想に反して、「鈍」なものを感じた。ほとんどの答えに精彩がなく、「実」が感じられないのだ。なんらかの「はぐらかし」なのではないかとも考えてみたが、そうではなく、個別的な問題について深く考えた形跡が感じられないのだ。要するに、その政治姿勢は一事が万事〈刹那的〉で、国民が何を求めているかについては敏感なようだが、その要求自体が孕む社会的矛盾を国民の立場に立って「アウフヘーベン」できる能力があるとは到底思えないわけだ。もちろん、アベ一強政治への批判を強めていることは結構なことだが、それが一般論(情報公開)に止まってしまうところが限界なのだ。

   マツイについては、大阪の「身を切る改革」がその内実を語るということだろう。また、ナカノについては、アベの本音の拡声器みたいなものだろう。また、ナカノはコイケに対して「品格がない」と言っていたが、それは自分自身が噛みしめるべき言葉だろう。

   夜が更けた。寝ることにしよう。

プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2016年11月現在満10歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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