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2019年・旅の思い出ーー(1)水戸の偕楽園と弘道館

梅林と水戸学の「故郷」を訪ねる
 ―――こうした歴史風土に暮らすとどうなるのだろう?


   ※昨日は、朝からMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)とやらがあった。選手も一生懸命やっているのだろうけれど、我々も煽られて煽られて、大変なことだ。私など、サッと引いてしまった。サロさんも、秋風が感じられる中、絶好調だ。足を引きずりながらも、お友達に向けて猛然とスパートしている。ところが私の方は、久々に胃の不快感に襲われている。歯の詰め物が外れ、もう抜かなければならないと言われたのにほっておいたため、食べ物がよく噛めないためかもしれない。しかし、少し回復してきたので、今日は、今年の旅行の記録を残しておくことにしたい。

徳川光圀によって着手された『大日本史』の「完成之地」碑
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   ※親しき人々(生き物)と共に「生」を”楽しむ”ことができた者が「人生の勝者(人生を充実したものにできた者)」なのかも知れない。そして、〈旅〉もその楽しみの重要な一つだ。快晴の2月22日、妻と娘と一緒に茨城県水戸市の「偕楽園」と「弘道館」に日帰り旅行に行ってきた。なかなか楽しかった。この写真は、偕楽園の東門近くにあった「大日本史完成之地」と刻まれた碑だ。ここはあの水戸学の発祥地なのだ。私の江戸時代への関心は、「姉貴」の影響もあるのだが、主に、田中優子や尾藤正英に触発された面が強い。もちろん、昔からチャンバラと時代劇が好きだったことや剣道をかじったことも影響していることだろう。要するに、日本の近世は、単に「暗い封建時代」だったというわけではなく、庶民とそれなりの「エリート」たちが生き生きと生きた時代でもあったのだ。

これが水戸「偕楽園」の梅の花だ
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   ※偕楽園は幕末の1842年に徳川斉昭によって開園された。名称の由来は、『孟子』の「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能(よ)く楽しむなり」という一節にあり、武士だけではなく庶民にも開放する目的を掲げて造園されたものという。斉昭は、「天保の改革」や「安政の改革」を推進したが、南紀派の井伊直弼と対立して、「安政の大獄」によって処分された人物だ。そして、江戸幕府最後の15代将軍徳川慶喜の父でもある。民主主義を理念とする私としては、世襲による封建領主たちを敬愛する気などそもそもないのだが、ただ、「為政者」の「民」への姿勢という観点からすれば、そこらへんで大きな顔をしている無能な三代目よりもはるかにましとは思うのだ。

「好文亭」からの贅沢な眺め
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   ※偕楽園の中にある好文亭の「好文」とは梅の異名なのだそうだ。とりわけ、「楽寿楼」からの田鶴鳴梅林や千波湖などの眺めは素晴らしかった。3階建ての建物で、再建されたものではあったが、農民が通される場所があったり、急な階段や食事を吊るし上げるエレべーターがあったりで、幕末の時代を感じさせる興味深さがあった。好文亭を出たら、「偕楽園記碑」のそばで水戸黄門に会ってしまったw。西村晃よりも里見浩太朗に似ていた。その後の園内散策も、快晴で暑いくらいだったが、のんびりと楽しむことができた。昼食後、弘道館へ向う。

弘道館正庁玄関ー元祖「尊皇攘夷」派の本拠地
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   ※弘道館は、1841年、徳川斉昭によって開かれた、藩士の文武修行のための藩校だ。偕楽園が「一張一弛」(厳しいだけではなく楽しむことも大切)の「一弛」であったとすれば、この弘道館は「一張」にあたる。正庁正席の間には、あの藤田東湖の草案で斉昭によって書かれたという、『弘道館記』(建学精神)が展示されてあった。「尊皇攘夷」という文字がはっきりと確認できた。内容に対するコメントは差し控えるが、内藤湖南が、彼のことが大嫌いだった勝海舟の言うように、「本当に国を思うという赤心がない」(『氷川清話』)人物であったかどうか―――御三家斉昭の側近にいながら、自らがやるべきこと、できるはずのことをやり尽くしていないと言うことらしい―――は、彼の影響を受けた尊皇攘夷派志士のその後の行動を含めて、考えてみたいところだ。この他にも、大政奉還後、徳川慶喜が恭順謹慎生活を送った「至善堂」や彼の書なども印象深かった。

徳川斉昭の「愛民謝農」を顕彰するという「農人形」
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   ※水戸黄門が米俵に座って農民から叱られると言うお話は有名だが、斉昭は、自ら小さな農人形を作ってこれを食膳に据え、食事のたびに最初の一箸を人形に供えてから食事をとったとのことだ。五穀のありがたさと農民への感謝(「尊農精神」)の表れだという。私は、少なくとも、社会を実体的に支えている人々が大切にされる社会こそがまともな社会なのだと考えている。それに対して、膨大な税金をあの馬鹿馬鹿しく、そして、国民にとっては害になるとしか思えない外交に費やしているアベやコウノたちは、雨の日も風の日も私たちの大切な郵便物をしっかり届けてくれる人々の生活をどう考えているというのだろうか。時代的背景は異なるとは言え、彼らは封建領主たちよりもはるかに劣った輩でしかないと考えざるを得ないではないか。友人の話では、茨城県民の政治意識は極めて「保守」的なのだそうだ。しかし、こうした歴史風土から捉え返してみても、アベ政治は真っ当に見えるのだろうか。アベ政治は、巨大企業の既得権益と新たな特権を享受しようとする「アベ友」勢力による「新自由主義」的政権に他ならないのだから。

   旅行まで、政治の話になってしまった。なんてこった!でも、次は縄文探訪だ。
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ニュース雑感 2019年9月―――「壊国」アベ政権に代わる「野党連合政権」へ

アベ政治は、もう、人の生き方・死に方に関わっている!
 ―――「知らぬが仏」で済みぁいいが、そうはいくまいよ!


   ※最近、TVニュースはあまり見なくなった。アホらしくなって、時間が無駄だと思うのだ。もちろん、NHKを中心に良質の報道番組もないではないが、極めて数が少ない。やはり、英米独仏のニュースとドキュメンタリーにそれなりの「質」を感じる。ドラマでは『あおぞら』が悪くはないが、主演女優に不自然な違和感を感じる。スポーツ番組も、大らかさに欠けて、なぜか「いじましく」感じられるようになった。そんな中、縄文文化を中心とした今年の旅行のまとめをやりたいと思っているのだが、その前に、3日前にYouTubeでみた3本の動画について書いておくことにしたい。

   1本目は、『Monthly日刊ゲンダイ【8月号】ゲスト=金子勝氏/日韓関係悪化・ホワイト国除外・横浜市カジノ誘致など』だ。これは経済学者金子勝が、経済政策を基軸に、アベ政治を包括的に徹底批判するもので、私には彼の怒りがよ〜く理解できるのだ。この話のベースには4月に刊行された『平成経済 衰退の本質 』(岩波新書)があるらしい。早速図書館に予約を入れたところだ。まあ、アベのやったことはといえば、一つとしてまともなことはなく、アベ友の利益のために日本を売り飛ばしたと言って良いのだ。

   2番目は、『ダイジェスト「小さき者の幸せが守られる経済へ」』(もとは、『とことん共産党 市民と野党の共闘で「小さき者の幸せが守られる経済へ」』)だ。これは、ゲストの経済学者浜矩子と小池晃が、「参院選の結果」・「フリーランス化―――アベ政権のねらい」・「野党がホンキの政権協議を」・「”涙の経済政策”に期待」などについて話し合うものだ。とりわけ、浜が展開した新しい政権の経済政策の基本認識は、当然のこととはいえ、壊れつつある日本経済の中で、再認識すべき視点と言える。

   3番目は、『共産党・「れいわ」党首共同会見』(同じものが、日仏共同テレビ局でも見られる)だ。これまでもれいわ新撰組と共産党には注目してきたが、その両者が「野党連合政権」の協議に向けての〈消費税〉に関する4項目(10%増税反対、廃止を目標、廃止に向けた協議、廃止に向けた野党共闘)で合意に達したという報告だ。「野党共闘」から「野党連合政権」へという構想の基礎には、「立憲野党4党1会派の政策に対する市民連合の要望書」があるわけだが、それらを踏まえたうえで、その13項目にはなかった〈消費税の廃止〉に向けた政策的すり合わせの「れ共」共同のモデルが提起されたのだ。格差拡大下での逆進性という問題性を前に、立憲や国民がどこまで協調できるのかが注目される。それにしても、「野党連合政権」に向けた「れ共」の本気度は、山本太郎と志位和夫の言葉や表情からも強く伝わってくる。国民の経済的福利を実現する経済政策の基本を明確に示すことこそ、我々「一般ピープル」が望むところだ。

   それにしても、千葉県の停電の復旧が遅れている。日本社会の”脆弱化”が改めて突きつけられている思いだ。アベ政権が続く限り、明日は我が身と思った方が良い。気候変動への対応もトランプへの対応同様にどうしようもないが、要するに、被害を受けている人々はもちろん、復旧に携わる技術者ー労働者たちが大切にされて〈こなかった〉ということなのだと思う。そして、日露首脳会談で「ウラジミール!」と情けない声を上げる無能な三代目の政権は、政・官・財の腐りきった「アベ友」たちの”私的”利害をただ只管追求する一方で、レジェンド作りのために、憲法改定にご執心といったところだ。箔をつけたいのだろうが、身につくのは”イミテーション”以外にはあり得まい。こうした状況においてさえ、国民のそれなりの数が、相変わらず、アベやコイズミやタケナカやサクライだのに誑かされ続けるているのだ。確かに、このままでは、孫などいない方が安心かもしれない。そんな私の気持ちを変えることができるのは、公的領域で言えば、「野党連合政権」の実現の他にないのではないか。それが実現できなければ、格差と貧困のさらなる拡大と人心の荒廃が待っていることだろう。市民と野党の共闘がその未来の鍵を握っている。
   

「嫌韓」報道の”浅ましさ”について

より正確な情報を得るには努力が必要となった!
 ―――御用コメンテーターの与太話に取り込まれないために!


   ※今、友人が書いた本を読んでいる。10年間の研究の末に著した本だという。書名や内容については伏せておくが、古文書研究の中で出会った禅宗僧侶の思想と生き方、そして、それらと彼自身の「苦悩」(?)との「対話」が興味深い。まだ精読はできていないので何とも言えないが、私自身に引きつけて考えれば、この「人の世」に生きている自分自身の心のうちに分け入り、そこにいる「自分」を「許し」、「認める」ことは容易なことではない。そうした上で、禅宗の「悟り」がどのような意味を持ちうるのか。それは、我々一般ピープルの「運命」論や「ケセラセラ」などの「諦め」の、洗練されたあるいは衒学的な一変種でしかないのではないか。もちろん、人々が苦痛から逃れ、「楽」になるためには、「アヘン」さえも必要な時がある。ただ、それが、苦悩を生み出す様々な原因に肉薄し、人間の「解放」へと一歩でも近づく知恵と勇気を与えることができるのかどうかは別の問題だろう。しかし、「禅」は魅力的な思想だ。そして、彼は悩み、考えている。これからじっくり読んでみたいと思う。

   さて、このところ、日本のマスコミによる「嫌韓」報道の”浅ましさ”には、ほとほとウンザリしている。どうしてここまで日本の「良識」のレベルが下がってしまったのか。アメリカやイギリスにおいても同様の現象が見られないこともないが、国内の”対抗勢力”の力強さという点では雲泥の差と言えるだろう。理由を色々考えてみたが、まあ、日本人が宗教的・思想的に「堕落しやすい」とかいった話は別として、近頃の日本の(似非)エリートと一般ピープルの多くが”地位”とか”金”とか”脅し”とかに極めて弱くなっているのは事実なのではないか。つまり、日本人の多くが、専門家としての、職業人としての、生活者としての「矜持」を失いつつあるのかもしれない。そして、その背景には、アベ友集団による虚飾の新自由主義路線の中で進展しつつある「日本」の「凋落」―――このことは様々な国際的指標にもはっきりと表れている―――がありそうだ。つまり、”追い越され”つつある者の”不安”と”恐れ”が生んだ、歪んだ感情の一つの表れということだ。そうでなければ、韓国のホワイト国からの除外や国際的な個人請求権の問題に関わる客観的事実に対する、あのような一方的で低レベルな〈言い訳〉や〈居直り〉がまかり通るはずはなかろう。本当に、見苦しいという他ない。要するに、虚飾の「豊かさ」と「貧しさ」の中で、極めて単純なルサンチマンに支配されているだけなのではないか。

   グローバル経済の環境の中での相対的な地位の低下といっても、本来ならば、より”人間的”な生活・産業・文化等の「質」を目指して努力すべきであるのにも関わらず、日本の現状は、育児環境にしても、教育環境にしても、雇用・労働環境にしても、産業構造にしても、都市環境にしても、災害対策にしても、医療・介護・年金問題にしても、OECDの「先進」諸国との比較において、到底満足のいくものではない。それどころか、アベ友政権は、より成熟した社会の形成に後ろ向きですらあると言って良いだろう。報道の領域においても、国境なき記者団による今年度の「報道の自由度ランキング」では、日本はG7では最下位、さらに、41位の台湾や42位の韓国にも届かない67位だという。そのうち、「逃亡犯条例」を撤回した香港(73位)にも抜かれるかも知れない。私の印象でも、もうとても民法のニュースショウなどは見ていられないレベルとなっている。落ち目(?)の「タレント」と芸能人もどきの(似非!)専門家が、金とポストのためだろうが、アベとアベ友に媚を売っているが如きの有様なのだ。「マスゴミ」という言葉があったが、それが、事実を本質的に論じるのではなく、まさしく、ゴミのような与太話を垂れ流す謂であることが良く理解できたと言って良い。あのウソつきの「歴史修正主義者」アベの「圧力」が余程浸透しているのだろう。ただ、私たちは、これら「マスゴミ」とは一線を画す、室井佑月や青木理、金子勝や森永卓郎、内田樹や山本太郎、また、志位和夫や小池晃などの話をまだ聞くことができる。私たちは、こうした「自由」を今こそフル活用して、アホらしい情報操作に惑わされないようにしなくてはならない。より正確な情報へのアクセスには努力が必要となったのだ。

我が愛しの家庭菜園よさらば!

「畝平す 野菜づくりの 夢の跡」
 ―――でも丁度良い「潮時」だったかもな?!


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  ※九月になって、季節の変化を強く感じるようになった。そして、「米中貿易戦争」や「ブレグジット」などにもみられるように、「アメリカン・グローバリズム」にも秋風が吹いている。国内的にも、アベ友政権の恥知らずな「私欲」政治による日本と日本人の「劣化」ー「凋落」が寒々と感じられる。暑さもぶり返すが、季節はもう秋。しかし、それは「実りの秋」ならぬ、狂った権力主義者たちがその中心にいる「(異常気象による)巨大台風」接近の予感だ。

   さて、この晩夏の私にとっての最大の出来事は、3年間借りていた家庭菜園用の土地が使えなくなったことだ。短い期間だったが、土地の改良も進み、今年の夏などは本当に多くの野菜たちが元気良く育ち、家族も大いに喜んでくれた。しかし、土地の所有権が移り、植わっていた秋野菜を移植したり鉢植えにするなどとともに、畝(うね)を元どおり平(なら)さなければならなかった。まあ、予期してはいたことではあったが、若干寂しさも感じざるを得なかった。ただ、肉体的にもかなりきつかったので、ちょうど良い止め期だったかも知れない。また、これを機会に、庭木の整理もやることになった。昨日も直径5〜15センチの幹や枝を60本ほどクリーンセンターに運んだ。樹木もできるだけ低く刈り込んで、今後の手間をできるだけ省けるようにすることにした。

   ところで、私は「縄文」ファンなのであるが、私個人はどちらかというと「弥生」系が優位で、狩猟・採集よりも農耕・牧畜を好む傾向にあるようだ。しかし、性格はかなりいい加減で、篤農家とは程遠い存在ではある。ただ、美味しい野菜は、単に”金”で買えばいいというわけではなく、出来うるならば、自らの”個体的労働”によって育て上げることの必要性や意味もある程度理解しているつもりだ。もちろん、社会的分業を否定するわけでもないし、また、「幸運」にも与えられる自然の”恵み”を否定するわけではないが、要するに、実体的な「使用価値」を持つ品物や人間生活に必要不可欠な「サービス」は、人々の具体的な「有用労働」によって生み出されなければならないということなのだ。そして、こうした「労働」が社会を基底的に支えていることは間違いないだろう。もちろん、だからと言って、何らかの理由で「働くこと」ができない人には価値がないとか、また、「労働」だけが人や社会を支えているというわけでもない。例えば、年老いて働くことができなくなったご老人の言葉や眼差しによって支えられた人々は少なくないはずだ。そうしたことは、サロさんと私との関係についてさえ言えるだろう。

   私のこうした感覚は、アベ友政権の「働く人々」に対する”見方”や”扱い”と鋭く対立する。彼らの差別的で市場経済万能(悪魔の碾き臼)的な価値観と政策は、人々の実体的な価値を否定するものと思わざるを得ないのだ。また、彼らが推進しようとしている「ギャンブル国家」化も本当にとんでもないものと感じられる。もちろん、単なる気晴らしや遊び程度の「賭け」をとやかくいうつもりはないが、それを大掛かりに、巨額の利益を手に入れることのみを目的として、人々の心を操作・誘導し、偶然の幸運にのみ身を任せてしまうが如き心理状態(ギャンブル依存症)に追い込むことはやはり犯罪というべきだろう。それは人間社会の根幹を危うくしてしまうことになるはずだ。「アベ友(アベとそのお友達たち)」政治は、私の「家庭菜園」の「心」にも敵対するのだ。

韓国の民衆の動きについて考える

少しは、相手(韓国の民衆)の「身」になって考えてみることだ

   ※夏も終盤だ。朝夕のサロさんとの散歩も楽になってきている。今日は埼玉県知事選の投票日だ。県民が、上田県政の継承と発展を訴える候補者を選ぶのか、千葉の森田知事のようなイメージキャラクターを選ぶのか、「仁術」よりも「NHKをぶっ壊す」ために出馬したらしい京大出の医者を選ぶのか。さて、どうなるか。ただ、一言言えば、学校の偏差値や社会的地位など、一般ピープルにとっては、全く”意味”を成さないと言うことだ。

   さて、前回は香港の民衆の動きについての感想を書いた。その時書き忘れたことに、香港特別行政区政府に対するデモ参加者の中に、堂々と旧植民地本国イギリスの「ユニオンジャック」を振りかざしていた人がいたことがある。「おいおい、君はイギリスの植民地支配を認めるのかよ?!」とも思ったが、実は、植民地支配の現実の中には、植民地本国に協力して地位と富を得ていた人もいたわけで、彼はその末裔なのかもしれないなどと勘ぐったことを記憶している。

   これに関連して考えたことは、韓国における反政府デモの中で、「お前らよりも日本に支配される方がマシだ」と、旧植民地本国日本の「日の丸」が振られることがあり得るだろうか。そんなことは、日韓両国民共に、全く想像できない光景だろう。そして、それこそが日本の過酷な植民地支配の現実を反映したものなのだと思う。ところが、そうした中でも、日本に協力した人々はいたのだ。例えば、朴槿恵(パク・クネ)前大統領の父親であり、今話題の「日韓基本条約(1965年)」を締結した朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領は、日本の統治下、陸軍士官学校を卒業して職業軍人となり、日本の植民地支配に「協力」していたのだ。そんな彼は、「鬼畜米英」を叫びながら戦後は米国の「エージェント」としてその占領統治に協力しその地位と富を築いた日本の指導者達とある意味で相似形を成すと考えられるが、ただ、両者の戦後の日本あるいはアメリカに対するスタンスにはかなりの相違があると言って良いだろう。そして、その理由は、結局、日本の植民地支配とアメリカの占領統治が両国の”民衆”にどう受け止められたかに拠ると考えられる。つまり、日本の”民衆”は、戦後のマッカーサーの占領統治を戦前の政治よりマシだ(解放?)と感じたのであり、韓国の”民衆”は、日本の過酷な植民地支配からの解放を心から喜んだということだ。そのことこそが、韓国の政治的支配層、とりわけ、対日協力者でさえもが、「反日」の態度を取らざるを得なかった理由と考えられるわけだ。ただ、「反日」感情とは言っても―――北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)とは未だ戦後処理も国交回復も実現し得ていないわけだが―――、韓国とは概ね「平和」的にその経済成長に協力しえ、また、文化的交流も盛んになったため、とりわけ、若い世代の間での「反日」感情はさほどでもないということのようだ。

   しかし、もちろん、一つの大きな問題が残っていた。それは、対日協力者だった戦後韓国の政治的指導層にではなく、彼らからも打捨てられたままになっていた、日本の植民地支配の直接的被害者である一般”民衆”への「”真”の謝罪」と「補償」という問題に他ならない。そして、近年、それらを求める動きが活発化した背景には、いうまでもなく、アベにもつながる、日本の「歴史修正主義」的動きの活発化があったと言って良いだろう。日本の論壇の中には、戦前の朝鮮半島への植民地支配を正当化し、さらには、いわゆる「従軍慰安婦」や「徴用工」として過酷な暴力的支配を受けた人々に対する人格的な侮辱さえ含まれる言説―――私には、これがいわゆる「日本人」のすることなのかとさえ感じる程ひどい―――が溢れていた。さらに、これに乗っかるような日本政府による「公式」謝罪の拒否や被害者の個人請求権に対する、あの朴正煕と結んだ”国際法”(「日韓基本条約」ー「日韓請求権協定」)を盾にとった、突き放した姿勢、そして、安全保障上の懸念(実は、「従軍慰安婦」や「徴用工」問題など歴史認識についての「目覚まし」)を理由とした「ホワイト国」からの除外が、火に油を注いだ。まあ、韓国人の身になってみたら、これで怒らないのなら、その人は、同胞を思う「愛国者」でないのみならず、「人間失格」とさえ感じられるのだろう。こうして、韓国の人々は、そうした日本(アベ政権)の態度が改まらなければ「絶交」も止むなしといった感覚になってしまったのだと思う。そうした雰囲気の中で、文在寅政権による貿易上の報復(食品の検査強化)や軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄もあるということを忘れてはいけない。短期的にどちら有利だとか、どちらが勝っただとかといった「中2」的な反応の愚かさは、時が経つほど身にしみてくるに違いない。

   さらに、金と力のトランプに対してはただ指をくわえて怯えているだけのようだが、文在寅の生い立ちや政治的経歴を見れば、彼の今回の姿勢が「反日」世論にすり寄る単なる選挙目当てのものだなどという話は、ニュース・ショウ的なバカ話に過ぎまい。彼は、あの朴正煕や全斗煥と闘った、韓国の民主化と南北の融和・統一を目指した人物に他ならないからだ。GSOMIAにしても、北の軍事的な脅威という観点からすれば、何十年も前から通常兵器だけでも十分「ソウルは火の海」なのであって、日本が警戒しなければならない弾道ミサイルとは水準が違うのだ。要するに、見るも醜悪かつ不遜な態度で文在寅政権と韓国民衆を「敵」に回してしまったアベ政権は、経済的にも、政治的にも、軍事的にも、その短慮を後悔する時が間違いなく来ることだろう。アベはその誤った歴史認識のために、日本国民の「利益」を損ったのだ。もちろん、アベたちは文在寅政権が倒れ、元「対日協力者」たちの末裔が再び政権に就くことを期待しているのだろう。しかし、あの軍事独裁政権を倒し、また、最近では、朴槿恵元大統領をも倒した「蝋燭革命」の韓国”民衆”を甘く見てはいけない。さらに、アベたちは、いわゆる元「従軍慰安婦」や元「徴用工」の人々を侮辱し、軽んずることによって、保守派の人々をまで遠ざけてしまった。こうした状況は、アベ政権が倒れるまで続くことになるだろう。

   最後に、韓国の言い分すらもちゃんと報道しない日本のテレビを見ていると、本当に、日本の”民度”は大丈夫なのかと心配になってしまう。なんのことでもいいから、ヨーロッパやアメリカのニュース番組や報道を見てみることをお勧めする。アベ政権下の今の日本が国際社会でどう見られているか、それなりに理解できるだろう。そして、日本のマスコミのように、文在寅政権を一方的にコケにし、アベ政権を手放しで支持している国などほとんどないのだ。

   
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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