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IR汚職とアベ政治―――ニュース雑感2020(3)

 ”腐りきった”政治家がのさばるこの国には、
 ―――もう”終末観”すら漂ってきた。”希望”はあるのか?


   ※新聞を見たら、浅草にあるスマートボール専門店「三松館」が閉店するという記事が載っていた。確かに、スマートボールは子供の頃にやった記憶があるし、また、ビー玉を使ったコリントボールというのを自作して遊んだのも憶えている。ただ、それらは、今のゲーム・センターのゲームに似ていて、パチンコなどギャンブル性の高いものとはかなり違ったものだったと思う。そんなことを考えていると、ブログで「IR(=カジノ解禁)」について書くつもりだったことを思い出した。

   通常国会冒頭でのアベの施政方針演説やその後の答弁を聞いていると、彼等は本当にこの国を壊そうとしているのだと感じざるを得なかった。本家本元のアベやアソウはもちろんだが、菅原一秀だの秋元司だの河井克行・安里だの杉田水脈だの、よくもまあこんな政治屋とそんな彼らの尻拭いをして恥じない役人ばかりを集めたものだと思う。一々反応していたらこちらの身が保たない。「忘備録」がわりにブログで整理するのも面倒なぐらいだ。それにしても、つくづく思うのは、ああした輩が明らかな違法行為や反倫理的行為を口から出まかせに誤魔化そうとしているのを、自民党や公明党の支持者たちが何故許すことができるのだろうかということだ。自民党には村上誠一郎や石破茂の支持者もいるのだろうし、公明党には創価学会の婦人部もあるというではないか?自浄能力をまず発揮しなければならないのは彼らなのではないのか?そして、もしそれができないというのであれば、自立した政党や宗教団体とは言われないして「まやかし」と言われても仕方がないではないか。それとも、実際、同じ穴のムジナだというのか?

   目の前に展開しているアベの「お友達政治」とそれが推進する「縁故資本主義」が発展途上国にしばしば見られる「開発独裁」に似ていると言われることがあるが、私が見るところ、道義的にも経済的効果においても、ほとんどそれ以下の存在でしかないように感じられる。元々”有用”な財やサービスを積極的に生み出すという面ではほとんど無能な世襲政治家でしかない彼らは、ただ只管、国民の税金と(勝手に増やし続ける)借金そして国民の公的資産と労働力を、仲間内で掠め取り、腹を肥やそうとするばかりなのだ。そのためには、もう、バクチでもなんでもやるし、子供にでもわかるウソをつきまくるのだ。そして、「同じ穴の狢」である岩盤支持層は、同じ政治・経済システムを共有するがゆえに、ウソの上塗りに走る。アベの元秘書・前田晋太郎下関市長などは典型だろう。もちろん、その結果は、国民生活の疲弊であり、国民経済の停滞であり、そして、日本人の「道義心」の低下に他ならない。

   こうした「腐食」の構造の中でも最も心配される一つが、「カジノ解禁」だ。日本には公営ギャンブル(競馬・競輪・競艇・オートレース)が存在し、また、街中には「ウソ」(三店方式)で塗り固めたような「パチンコ・パチスロ店」が多数存在する。そして、そこには、今でも、満たされない思いをぶつけたり、老後のささやかな娯楽を求めたり、あるいは、「依存症」によって精神的にも経済的にも家庭的にも危機に瀕しているとしか思えない人々が見受けられる。最近も、「ギャンブル依存症」に関する記事をいくつか見たが、その悲惨さは尋常なものとは思えない(特におすすめしたいのは、民医連の特集2依存症「誰か私をとめて」だ。日本において、「少なくとも200万人はパチンコによる債務で苦しんでいる」と推定されるのだそうだ)。「依存症体質」と自覚している私も他人事ではない。この事実と真っ当に向かい合うことなしに、「カジノ解禁」など、まさしく、”モラル崩壊”と言われて当然というべきだ。

   「カジノ解禁」には、まず第一に、政治屋の極めてセコイ私的な事情が見えている。そもそも、こうした動きの背後にはアベとトランプとの関係(=米・ギャンブル業界との「売国」的関係)があると言われているのだが、秋元司の例は、政治家とギャンブル業界との癒着の問題を白日のもとに晒しているからだ。これまでにも、いわゆる「パチンコ議連」(ー政治資金)や「天下り」(退職後の利権)など、政治家ー警察官僚とパチンコ業界との間の癒着が取りざたされてきたが、秋本司はまさしくその中心人物の一人と言われていた。そして、今回の問題でも、秋元は、IR関連のいわゆる「カジノ議連」の中心人物(アベ内閣副大臣)として、民間業者との癒着(贈収賄)が捜査の対象となったのだ。実際、「サザエさん」や「釘師サブやん」の時代には本当にささやかなものでしかなかった(?)「パチンコ」が、ここまで「射幸性」の高い大規模産業へと変化したのは、規制するような素振りをしながらそれに寄生してきた政治家らの「活躍」がなければ考えられなかったことだろう。

   他方、アベをはじめとする推進派の政治家たちは、建前として、カジノの「経済効果(ー税収増・雇用増・地域発展など)」を強調する。しかし、「原発ー低コスト」論と同様に、世界的に見て、これも大いに疑わしい議論なのだ。さらに、そもそも、”民間業者”にギャンブル営業を許可することによって「経済効果」(=利益)をあげようとすること自体が大問題と言わなければならない。何故なら、ギャンブル業界よって国民から巻き上げられた上前をハネようというのだから、国民がギャンブルにはまってボッタクられればボッタクられるほど、国や地方公共団体が「利益」を得るということなるからだ。アベ自公政権が「成長戦略の柱」として位置付けたIRについて、森田実氏は、「日本の品格や道徳、礼儀正しさには似合わない。米国のばくち団が投入され、ギャンブル的思考を国民に広げることをしてはいけない。」と『東京新聞』(1月○日)で述べているが、少し古めかしく聞こえるが、正鵠を得た議論と言わざるを得ないだろう。

   ギャンブル依存症で苦しんでいる人々には〈各々〉それぞれ異なった理由・原因があるのだと思う。しかし、総じて、その〈激増〉の背景には、まさしく、アベやタケナカなどが推進する「新自由主義」的な「競争原理主義」、「世界で最も企業が活動し易い」=金儲けがし易い「規制緩和」路線とそれと対をなす「自己責任」論があったと言って良いと思う。他者を顧みないそうした「欲望」の全面肯定の中で、多くの人々は「人間」としての充実感や幸福感を感じることが困難となり、その心の空洞を埋めるために、これまた他者を顧みない金儲けの「仕掛け」の中に取り込まれてしまったのではないか。しかし、ギャンブルに我を忘れても「自己肯定感」が持てないという本来的な問題が解決されるわけではないので、当然待ち受けている「挫折」と根源的な矛盾の意識によって、自殺願望にまで突き進んでしまうようなのだ。なんと悲惨なことではないか。問題は複雑で、解決も難しいのかも知れない。しかし、私たちは、私たちの心のうちにある、他者との勝ち負けに単純にこだわったり、真っ当な努力なしに一時的な「幸運」を求めたりする心の動きに警戒しなければ、決して幸せにはなれないことだろう。何故ならそれらは安定的な自己肯定感を保証しないからだ。そうした意味において、私たちは、より根本的に、私たちが共同的な存在として相互に尊重し合い、助け合い、その価値を認め合うことができるような社会の実現、あるいは、人間にとって真に有用な「価値」や「技能」の創造ないし習得を真っ当な努力によって追求し続けていけるような社会の実現を求めていくべきだと言えるだろう。そうしたことことこそが、「人類」がその歴史の中で生み出し継承してきた最良の遺産=「反ギャンブル的思考」なのではないだろうか。

   「カジノ解禁」を企むアベ自公政権は、口では「依存症対策」などと言っているが、ギャンブル依存症で苦しんでいる人々のことを本当に考えているとは当然思えない。そして、これからやろうとするのは、「ギャンブル」の一層の規制緩和であり、特区だけではない「カジノ解禁」とか、または、客への課税(増収)を理由としたパチンコの「換金」の合法化(=「ギャンブル」としてのパチンコの合法化)かも知れない。何しろ、アベの理想は、世界で最も(ギャンブル)企業が活動し易い国を作ることなのだから!
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ゴーンのレバノン逃亡―――ニュース雑感2020(2)

いろいろな問題点が明らかになって、良かったんじゃないか!
 ―――そして、その中で、日産と日本の司法はどうなるのか?


   ※中東で作り出された緊張状態の中で、イランがウクライナ旅客機を地対空ミサイルで撃墜した。武力を弄ぶ世界の「権力政治」家たちの策謀の中で、またもや176名の犠牲者が生まれてしまったのだ。悲惨なことだ。それに比べると、日本の労働者を大量に解雇し莫大な報酬を手に入れていたゴーンと、権力にモノを言わせて起訴や捜査すらからも逃れているアベ友政権の「お友達」とのいざこざなど、腹を立てるほどのことでもないかも知れない。しかし、このシラけもする争いの帰趨は、日産自動車の普通の従業員の生活に大きな影響を与えるだろうし、また、我々を取り巻く日本の司法制度への影響も大きいことだろう。そのことは忘れてはいけない。

   カルロス・ゴーン元日産会長のレバノン逃亡劇は、スパイ映画を見る様な興味深さがあった。私は、すぐに、KCIAによる金大中拉致事件のことを思い出したが―――袋に入れられて日本海を渡ったのではなかったか?―――、ゴーン容疑者(被告)の場合は、民間の警備会社を雇い、レバノン政府と協力し、そして、15億円もの保釈金と“無罪請負人”弘中弁護団も捨てて、来た時と同じ豪華なプライベート・ジェットでトンズラしたのだった。庶民からボッタくった大金にモノを言わせての逃亡には正直唖然としたし、「ふざけやがって」とも思った。しかし、同時に、プライベート・ジェットを使うような富裕層に対する日本の出入国管理のいい加減さ(「手心」)もバレてしまったのだ。さらに、ゴーンが「悪法も法なり」と共同体国家アテネに殉じた市民ソクラテスでないことは言うまでもないが、同様に、「お友達」や「上級国民」に対する”特別扱い”と彼らにとって”価値がない”か”都合の悪い”人々への”不当な取り扱い”がもはや「公然の秘密」となっている現在のアベ友政権が、ゴーンを「国内法」に照らして批判できる程の潔癖性を持っているとは当然思えないのだ。

   思い起こせば、ゴーンが逮捕された直後の私の捉え方は、西川たちが経営統合によるルノーの支配権拡大への不満から、政府(通産省)と検察と協力しつつ、”刑事罰”を使ってゴーンの追い落としを図った、ということだった。ゴーンの「社内クーデター」説の主張よりも遥か以前の話なので、日産とルノーの経営統合に対する賛否は別として、当時でもそうしたことがすでに言われていたのだろう。実際、社内執行役員との「司法取引」や日産の証拠の一部削除そして西川の「報酬不正問題」の取り扱いなどを見れば、十分ありうる話なのだ。ことの真偽は裁判の中で明らかにされるはずだったが、弘中弁護団の主張を聞く限り、現時点においてもかなり説得力のある見方と言えるだろう。この政官財の「同盟」による策謀が本当だったとすれば、まさしく悪質な「陰謀」の名に値すると言わなければなるまい。

   そもそも、市井の「一般ピープル」の感覚からすれば、その「時代」の法に違反することが「即ー悪」なのではない。その法の「階級性」もあるだろうし、その執行の「公平性」の問題もあるからだ。そうでなければ、これまでの歴史の中で「犯罪者」や「悪人」がこれほど多くの人々の心をとらえることなどなかっただろう。しかし、ゴーンの場合は、「金融取引法違反」や「会社法違反(特別背任)」の立証以前の問題として、その「新自由主義」的な経営体質=”法外”な役員報酬の実態(一般労働者に犠牲を強いたボッタクリ、国境を超えたその節税と蓄財)こそが問題なのだ。そして、こうした観点からすれば、他の「新自由主義」的経営者も同じ穴の狢に他ならない。西川の「報酬不正問題」などもその典型的事例だ。こうした輩に企業が支配されている限り、”人間を幸福”にする経済活動など不可能だと言わざるを得まい。

   また、この事件をめぐる日本の検察の有り様を見ると、時の権力者と密接に結びついたその「体質」(「国策捜査」?!)やその「手法」(「人質司法」!)には、これまた唖然とせざるを得ない。最近でも、「加計学園問題」の籠池理事長夫妻の例や、あの”証拠改ざん”を含む「障害者郵便制度悪用事件」の村木厚子・厚生労働省元局長の例もあった。これでは、「日本国憲法」下の現在の日本は、封建時代や独裁国家とさほど変わらないと言わざるを得ないではないか。まるで「お上に逆らうとこういうことになるよ」と「一般ピープル」が脅かされているようにすら思われる。こうした「権力」の”恣意的な行使”が許されている限り、普通の「人民ー国民」の基本的人権が守られる保証はないというべきだろう。こうした意味において、今回のゴーンの逃亡は、現在の日本の「司法制度」の問題点を明らかにし、改善していく上での良いチャンスとしなければならないはずだ。しかし、それにしても、この「策謀」によって、日産と日本国家の国際的”信用”が失われていくとすれば、その損失の責任は誰が取るというのか。この争いが日産自動車の一般従業員の生活にどのように影響するのか、非常に心配なところだ。

   話題の映画2本(『スター・ウォーズ―――スカイウォーカーの夜明け』と『パラサイト―――半地下の家族』)を見たりしたので、アップが遅れてしまった。次回は、「IR汚職」について書きたい。

ニュース雑感・2020年(1)――イラン革命防衛隊司令官殺害とイランの報復

万国の「一般ピープル」よ、刮目せよ!
 ―――権力亡者と搾取者から「命と生活」を守る準備が必要だ!


   ※『サンデー・モーニング』と『100分deナショナリズム』を見た感想でも書こうと思っていたが、そんな呑気なことをしていられそうにもないので、眼前の危急の諸事件について、手短に感想を書いておきたいと思う。それにしても、私たち「一般ピープル」は、事態の推移に傍観者として振り回されるだけではなく、より冷静に「似非エリート」共の行動の本質を見抜き、対処しなければならないと感じる。トランプがそれなりに冷静に対処したので、「よかった!よかった!」ではあるまい。

   トランプというのは本当に”さもしい”奴だ。世の中にはああした輩がいるものだが、しかし、権力を持たせてはダメなのだ。今回の紛争が原因で、これからどれほど多くの犠牲者と社会的損失が生まれてくることか。それにしても、トランプが言いたいのは、要するに、「僕ちゃんは強くて特別な存在なんだから、僕ちゃんが何をやっても、そして、その結果がどんなものであっても、一目置いてね」(そんなに僕ちゃんは偉いのだ)ということだ。そして、日本のテレビに出てくる物知り顔の解説者たちは、トランプの国際法違反の「ちゃぶ台返し」に対するまともなコメントもなしに、事態の推移に沿って、トランプの思惑を忖度するが如く、彼の行動(恫喝と「ちゃぶ台返し」)を追認するだけなのだ。

   ところで、トランプのやっていることは、「グローバリズム」(この場合は、国連を中心とした国際協調主義)に対する「アメリカ・ファースト」(自国第一主義)を主張しつつ、”グローバル”に展開しているアメリカ資本の優位性=利害を維持しようとするなりふり構わぬ試みだと言って良いだろう。だからこそ、「アメリカン・グローバリズム」の中で圧倒的な優位を享受してきた国際金融資本や軍産複合体そして国際石油資本なども、その地位を相対的に脅かされつつある現在、トランプを支持せざるを得ないのだ。そして、相対的に安全な場所で特権的に暮らしていける1%の超富裕層の立場からすれば、トランプの「ちゃぶ台返し」も、長期的にはともかく、短期的には決して過大な「リスク」というわけではないのだろう。実際、今回の「核合意」からの一方的離脱と革命防衛隊司令官の殺害に発する中東情勢の混乱・悪化が彼らにもたらしたものは、株価変動による投機的な売買への(インサイダー的)チャンスであり、また、石油価格の上昇であり、軍需産業へのより大きな需要の創出と言えるのだ。トランプによる北朝鮮の核兵器保有への”実質”的容認とも重なるが、今回の事態は、”破局”的な事態=全面戦争を覚悟しない限り、イランの核武装にまで行き着く可能性が高い。しかし、これすらも、核兵器開発・維持に携わるアメリカ資本にとっては、かえって好都合とすら言えるのだろう。なぜなら、その存在が持続的な需要を保証するからだ。圧倒的な軍事力で、相手を追い込まない限り、アメリカへの先制攻撃も抑止できるのだし。

   周知のように、不動産だけではなく、株で儲け、カジノでボッタクリ、グローバル経済で甘い蜜を吸ってきたトランプは、脱税からウクライナ疑惑までをも抱えながら、「アメリカ・ファースト」という一見「愛国」主義的イデオロギーに身を包みつつ、世界最大の「影響力」を持つ権力の座にしがみつこうとしている。そして、その繰り返される「権力政治」的な”ディール”によって、世界の軍拡競争は際限がなくなり、地域的な武力紛争は繰り返され、そして、世界の「一般ピープル」の命と生活が破壊されていくことになるのだ。ただ、アメリカの大手テレビ局のニュースを見ると、少なくとも、司令官殺害の根拠やその結果引き起こされる中東情勢全般に関する至極まっとうな批判も見られる。しかし、「トランプのポチ」としか言い様のない指導者が居座るわが国の大手テレビ局は、無原則的な、「権力政治」的観点からの「解説」ばかりを垂れ流している。この国の現在の「似非エリート」共の頭の中には、「法」も「正義」も「仁義」も「愛」も「慈悲」も「矜持」もないのだろう。私たちはこうした現実をしっかり見据えなければならないと、つくづく思う。

   次回、カルロス・ゴーンのレバノンへの逃亡について書く予定だ。

迎春 2020年 子年――チューイを怠ってはいけない

欲深き権力亡者共に奇跡の「命の星」を蹂躙されませんように!
 サロさん!とんでもない世相だけれど、我が道を行こう!
           2020年元旦 サーヴァント・ムリキ



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みなさん、元気でね


   三箇日も終え、いよいよ、2020年の日常生活が始まる。大晦日に風呂の掃除をしていたら樹脂製の窓枠が壊れてしまった。「2nd兄貴」の手を借りて30分かけてやっと修復し、風の侵入を阻止できることになった。年末には液晶テレビが突然「ブラックアウト」し、今も小型のブラン管テレビにチューナーをつけて使っているw それにしても、最近のテレビ番組の劣化はすごい。見応えのある番組がほとんどない。「アベ友」〈政治経済〉のどん詰まりが文化にも覆い被さりつつあるのだろう。全く、罪深い奴らだ。

   さて、元旦のおせち料理は最高に美味しかった。また、天気が良かったせいもあって、サロさんとの散歩(写真)もとても心地よいものだった。初詣に行った女性陣の御神籤も、2人とも〈大吉〉だったという。羨ましい。恒例の家族麻雀は「1st兄貴」の2年連続の圧勝だった。腕を上げている(汗)。

   2日は、箱根駅伝を見ながら、今年の予想や目標などを考えてみた。年頭の解散総選挙も噂されているが、心配される巨大地震や異常気象下でのオリンピック、オリンピック後の”経済(実体経済)”不振の顕在化、アメリカ大統領選がらみの国際情勢の混乱など、不安の種は尽きない。そして、私の今年の目標は、「老いと堕落」と闘いながら、身辺整理に努めることだ。また、サロさんとの散歩から帰ってきてからの『福山雅治×香川照之の生きものすごいぜ!』はやっぱり面白かったw

   3日朝の”初夢”は素晴らしかった。昂揚した気分で、ベートベンの「喜びの歌」をドイツ語で歌っていた(つもりだった)のだw。あのウィーン体制に抗したものと考えられる「喜びの歌」が、腐敗しきった「アベ政治」の現状に対する私の気持ちと重なっていたのかもしれない。また、午前中には、あるショッピングモールの屋上駐車場に、関東平野を取り囲む冬の山々を眺めるために行ってきた。丹沢、富士、奥多摩、奥秩父、浅間、赤城、上州武尊、尾瀬、日光、そして、筑波山。一緒に行った「奥さん」や「姉貴」も大喜びだった。 夜は『そろばん侍 風の市兵衛』と『欲望の資本主義2020』を見た。前者は、なにやらどこかの時代の話でもあるかのようだったが、宇野重吉の息子で「ルビーの指環」の寺尾聡が格好よかった。後者は、「一般ピープル」の多くを不幸にしている虚飾の金融資本主義の問題点にそれなりに迫っていたと思う。要は、人々の経済的福利の実現のために、資源と人々の力をどう配置し、どう高め、どう交換し合うのかを、「実体経済」の観点から再考してみることだろう。貨幣や市場の問題性を批判的に捉えられなければ、人間を不幸にしている経済の仕組みを変えることはできないだろうからだ。そうした意味で、ケインズにしても、ガルブレイスにしても、宇沢弘文にしても、また、その他の登場人物にしても、その切り口は異なるものの、この問題に対する貴重な観点を提供してくれていたと思う。

   今年は、サロさんが14歳になる。私も「老い」と真剣に向かい合わなければならない年齢となっている。今年は、ますます気心が知れてきているサロさんと共に、これまで以上に1日1日を大切に過ごしていきたいと思う。

今年もよろしくお願いします
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「大掃除」が必要だ―――2020年が「綺麗」な年でありますように!

アベ友政治は残せない!
 ―――子供や孫たちの世代があまりにも可哀想だ! 


   ※先日、歯周病の検査(尖った針のようなもので歯と歯茎の間を刺す感じ)と歯垢取りをやったのだが、そのあと歯茎が腫れて膿が溜まってしまった。一時はロキソニンなしでは眠れない感じになった。昨日も、麻酔をして歯茎を切開してもらったが、その後の痛みは尋常ではなかった。でも、やっと薬が効いてきて、ブログを書く気になった。今年最後のブログだ。

   今年はどんな年だったろうか?もちろん、決して良い年だったとは言えないだろう。深刻な自然災害はもとより、日本社会の総体的な「劣化」と政官財・マスコミの腐敗・堕落はもう座視できないレベルに達してしまったと言える。それにもかかわらず、社会の流れは、その原因を見極め適切に対処すると言った方向にではなく、独善的なナショナリズムや軽いポジティヴ・シンキング的ノリが支配すると言った風だ。もちろん、あまりにも見え透いた「桜」問題によって、世論も動き始めているようだ。これでアベ政権が倒れなければ、日本人の”知力”と”道義”はほぼ絶望的だと言えるかもしれない。

   その一方で、最近私を惹きつけているのは、この腐れきったような世相とは正反対の生き方や生活の「ドラマ」だ。例えば、朝ドラの『スカーレット』や山田洋次の『寅さん』は、全編が「愛」に満ち溢れていると言った感がある。全く「悪人」が登場しないのだ。実際、日常生活を送る私たちの周りには、本当の「悪人」と思えるほどの人物はほとんど存在しないのではないか。そして、私たちは、しばしば”失敗する”のではあるが、基本的には、家族や友人や職場や近隣の人々と「うまくやっていける」〈可能性〉を感じる取ることができると言えるのではないか。もちろん、長い人生の中では、嘘もつかれたし、泥棒もされたし、嫌な思いをさせられたのも事実だ。また、100人に一人や二人は「これはヤバイ」と感じさせる人物もなくはなかった。しかし、そうした人々は、ほとんどが、本物の「詐欺師」や「政治家」になっていったのではないかw。そうした輩とは、人の上に「マウント」し、「自己」の「欲望」を実現するためには平気でウソをつく位の”度胸”がなければならないと本気で信じて恥じないような連中だ。もちろん、「理想」や「正義」の実現のためには「強く」なければならず、時と場所によってはある程度の「妥協」もやむを得ないと考える「真っ当」な人間がいても良い。しかし、今の日本の政官財・マスコミの「(似非!)エリート」共は、間違いなく、前者のごとき、底の抜けたモラル崩壊に間違いない。そして、こうした輩によって、日本社会は「劣化」されつつあるのだ。しかし、我々「一般ピープル」の”隣人”にはまだまだ「希望」が感じられると言えるだろう。


   また、最近テレビで観た『偉人たちの健康診断、ベートーベン』や黒澤明の『赤ひげ』も、「人間」として生きる上での勇気を与えてくれる素晴らしい作品だった。前者は、エロイカや第九の誕生にまつわるベートーベンの「苦悩」(難聴)と「理想」(「自由」の力が身分や階級の差をなくし真の「同胞」となる)を感動的に描いた番組だった。彼の「理想」が第九を生んだのだ。また、後者では、人間としての、そして、専門家としての新出去定(「赤ひげ」)に、ペシャワール会の中村哲医師にも通じるような魅力が感じられた。二人とも、 病気に苦しむ患者に寄り添い「医術」を尽くすとともに、その病気と「貧困」などの「社会的病理」との関係を見据え、人間としての「本当の幸せ」を回復する必要性を気付かせてくれるのだ。中村哲医師は、人の幸せとは「三度のご飯が食べられて、家族が一緒に穏やかに暮らせることだ」と言っていたというが(『ペシャワール会報』」号外、2019・12・25)、戦争と貧困によって命と「幸福」を奪われたアフガンの人々のために、医者である彼が「井戸」を掘り、灌漑用水を敷設したことの意味はそこにあったと言って良い。

   ところで、中村哲さんや経済学者の浜矩子さんもカトリック教徒だということだが、今年は、ローマ教皇フランシスコが来日し、核兵器について、原発について、人間の「ゾンビ化」について、普遍的な世界宗教の指導者らしい素晴らしい言葉を残してくれたと思う。私は無宗教(「神」や「霊魂」の存在を信じられない)の人間だが、宗教家の人々が、人間の「共同性」を確信し、その「疎外」に警鐘を鳴らし、人間らしさの「復権」のために努力されていることには敬意を表したい考える者だ。とりわけ、新自由主義の粗野な「弱肉強食」的イデオロギーに基づく諸個人の「孤立化」は、社会秩序の崩壊と人間の「不幸」をもたらす最も深刻な問題のように思える。そして、こうした捉え方は、決してカソリックだけではなく、広く「人類」全体をその視野に収めた宗教に共通するものと言えるだろう。先日も、従姉妹が『佼成』という雑誌と『「法華三部経」の要点』が載っている新聞を送ってくれたが、誤解を恐れず私流に解釈すれば、その主張とは、煩悩で苦しむこの娑婆世界の中で、人間の「共同性」(実相)の自覚に基づく「慈悲」(他者への思いやり)の心によって、諸個人間の平和的な共存関係を実現しようというものなのだと思う。こうした考えを持つ人々は、現在のアベ政治をどう見るのだろう。私は、本物の宗教家は人間を不幸にする日本社会の現状とアベ政治を決して肯定しないと思う。間違いだろうか。

   政治の私物化、自衛隊の海外派兵、ギャンブル国家化・・・本当に自公政権の中にまともな政治家がいるのだろうか? 先ほど、強風の中、我が家の大掃除が無事済んだ。しかし、この腐れきった日本の政治の大掃除はどうなるのか。否、子供や孫たちの世代のためにも、この状況を許した私たちこそがそれを行う必要があるというべきなのだろう。 


   みなさんが良い年を迎えられますように
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プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2019年11月現在満13歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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