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歯を半分抜く!―――”転医”の重要性

サロさん!獣医も選ぼうな!
  ―――経験と技術と進取の精神を持った「仁術」の医師を



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   ※ 今日も大雨だが、この一ヶ月、世の中で起こった様々な出来事を考えるにつけ、正直、〈虚しさ〉に打ちひしがれる思いだった。しかし、『ザ・ベストテレビ2019』(一部・二部)を見て、久しぶりにブログを書く気持ちになった。一人一人の「人生」を記録した優れたドキュメンタリーに接することで、とりあえず、私の「人生」も記録し、ブログを読んでくださっている皆さんに〈伝え〉ておくことも意味があるだろうと思い至ったわけだ。ということで、今日は、先日行った歯科医院のことについて書いてみたいと思う。

   優れたドキュメンタリー作品があるように、優れた歯科医もいる。ただ、私立の医学部や歯学部を卒業するには数千万円が必要だというから、中には「仁術」どころか、〈詐術〉に近いことを言ったりやったりしながら、投下された「資本」を、できれば何倍にもして、「回収」しようという「算術」師も出てくるのだろう。長く生きていると、頭が下がるような立派な医者もいたが、とんでもないヤブ医者や性格破綻者も確実にいた。風邪だとして腎臓病を悪化させた医者、失明の危機を前に救急車すら呼ばなかった医者、私自身も、信じられないような単純な誤診を最低3回は経験している。そして、そんな中、私は、「セカンドオピニオン」のつもりで〈転医〉してみることの重要性を実感しているのだ。

   10年ほど前になるが、ある歯科医院で、”抜かない”とどうだこうだと散々に脅かされた挙句、”インプラント”を強く勧められたことがあった。しかし、どうしても納得できないので別の歯医者で診てもらったところ、”通常の治療”の後、現在でもその歯は全く問題なく残っている!今回も、20年程前に他の歯科医院で治療してもらった詰め物が外れてしまったので、ある歯科医院に行ったところ、二つの歯根のうち一つが割れていたのだが、これまた、抜歯には危険が伴うのだとか散々に脅かされた挙句、「抜くのか抜かないのか?!」と強く迫られてしまった。こりゃおかしいと、次の予約もせずに帰ってきたが、その後1週間経っても痛みもグラつきもなかったので、これはと思い、妻が通っていた歯科医院に行ってみることにした。

   結果、その先生は、これまでの経過も全く話さなかったのだが、レントゲンを見たあとすぐに、割れた方の歯根を取り除き、残った方の歯(根)(と隣のもう一つの歯)を利用して対処しましょうと言ったのだ。そして、今週の火曜日、出血も痛みもほとんどないまま、ことの半分は無事終了したのだった。おそらく50代であろう実直で職人肌のこの先生は、インプラントもやるが、患者からの申し出がない限り保険診療を原則とし、また、できるだけ歯を残すことが口内環境にとって大切だという方針から、その技術習得のために数十回の研修を受け、また、毎年の研修も欠かさないのだそうだ。いやはや、いい歯科医に巡り会えたものだ。もちろん、これからどうなるかは定かではないが、疑念の余地のない信頼感を持って治療を受けられると喜んでいるところだ。

   医者によって、対応はこんなにも違うものなのだ。少なくとも私にとって、この二人の違いはとてつもなく大きく感じられる。もちろん、分かりやすい説明と複数の選択肢を提示できる”有能”な医者が最も望ましいのだろうし、反対に、真っ当な説明もできず、患者を脅しながら、自分の判断を押し付けようとする医者など論外というべきだろう。疑念が起こり、選択の余地があれば、すぐに医者を変える方が良い。なにしろ、医者と患者との関係にとって、〈信頼感〉こそ最も重要なものと言って良いはずなのだ。患者側が希望する治療方針が必ずしも正しいものとは限らないが、他方、どんな名医でも誤診もあれば、手術の失敗もあるはずだ。それ故にこそ、患者側の治療への同意と医者への信頼が大切なのだ。そのためにも、専門家を疑うことは不幸なことだが、昨今の「算術」師たる医者が跋扈する世の中では、少しでも疑念が生じたなら、勇気を持って、〈転医〉すべきなのだと思う。それが患者の心と身体を守ることになるだろう。あの時、インプラントにしていたら、先日、歯を一本抜いていたら、いやはや大きな違いではないかw。ただ、母の事例を考えても、普通の一般ピープルにとって、〈転医〉はかなり難しい状況にある。本来なら、医師の養成システムや医師の労働条件や医療環境の改善など、「算術」師たる医師が生まれない社会の実現が根本になければならないはずなのだが・・・
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ニュース雑感 2019年9月―――「壊国」アベ政権に代わる「野党連合政権」へ

アベ政治は、もう、人の生き方・死に方に関わっている!
 ―――「知らぬが仏」で済みぁいいが、そうはいくまいよ!


   ※最近、TVニュースはあまり見なくなった。アホらしくなって、時間が無駄だと思うのだ。もちろん、NHKを中心に良質の報道番組もないではないが、極めて数が少ない。やはり、英米独仏のニュースとドキュメンタリーにそれなりの「質」を感じる。ドラマでは『あおぞら』が悪くはないが、主演女優に不自然な違和感を感じる。スポーツ番組も、大らかさに欠けて、なぜか「いじましく」感じられるようになった。そんな中、縄文文化を中心とした今年の旅行のまとめをやりたいと思っているのだが、その前に、3日前にYouTubeでみた3本の動画について書いておくことにしたい。

   1本目は、『Monthly日刊ゲンダイ【8月号】ゲスト=金子勝氏/日韓関係悪化・ホワイト国除外・横浜市カジノ誘致など』だ。これは経済学者金子勝が、経済政策を基軸に、アベ政治を包括的に徹底批判するもので、私には彼の怒りがよ〜く理解できるのだ。この話のベースには4月に刊行された『平成経済 衰退の本質 』(岩波新書)があるらしい。早速図書館に予約を入れたところだ。まあ、アベのやったことはといえば、一つとしてまともなことはなく、アベ友の利益のために日本を売り飛ばしたと言って良いのだ。

   2番目は、『ダイジェスト「小さき者の幸せが守られる経済へ」』(もとは、『とことん共産党 市民と野党の共闘で「小さき者の幸せが守られる経済へ」』)だ。これは、ゲストの経済学者浜矩子と小池晃が、「参院選の結果」・「フリーランス化―――アベ政権のねらい」・「野党がホンキの政権協議を」・「”涙の経済政策”に期待」などについて話し合うものだ。とりわけ、浜が展開した新しい政権の経済政策の基本認識は、当然のこととはいえ、壊れつつある日本経済の中で、再認識すべき視点と言える。

   3番目は、『共産党・「れいわ」党首共同会見』(同じものが、日仏共同テレビ局でも見られる)だ。これまでもれいわ新撰組と共産党には注目してきたが、その両者が「野党連合政権」の協議に向けての〈消費税〉に関する4項目(10%増税反対、廃止を目標、廃止に向けた協議、廃止に向けた野党共闘)で合意に達したという報告だ。「野党共闘」から「野党連合政権」へという構想の基礎には、「立憲野党4党1会派の政策に対する市民連合の要望書」があるわけだが、それらを踏まえたうえで、その13項目にはなかった〈消費税の廃止〉に向けた政策的すり合わせの「れ共」共同のモデルが提起されたのだ。格差拡大下での逆進性という問題性を前に、立憲や国民がどこまで協調できるのかが注目される。それにしても、「野党連合政権」に向けた「れ共」の本気度は、山本太郎と志位和夫の言葉や表情からも強く伝わってくる。国民の経済的福利を実現する経済政策の基本を明確に示すことこそ、我々「一般ピープル」が望むところだ。

   それにしても、千葉県の停電の復旧が遅れている。日本社会の”脆弱化”が改めて突きつけられている思いだ。アベ政権が続く限り、明日は我が身と思った方が良い。気候変動への対応もトランプへの対応同様にどうしようもないが、要するに、被害を受けている人々はもちろん、復旧に携わる技術者ー労働者たちが大切にされて〈こなかった〉ということなのだと思う。そして、日露首脳会談で「ウラジミール!」と情けない声を上げる無能な三代目の政権は、政・官・財の腐りきった「アベ友」たちの”私的”利害をただ只管追求する一方で、レジェンド作りのために、憲法改定にご執心といったところだ。箔をつけたいのだろうが、身につくのは”イミテーション”以外にはあり得まい。こうした状況においてさえ、国民のそれなりの数が、相変わらず、アベやコイズミやタケナカやサクライだのに誑かされ続けるているのだ。確かに、このままでは、孫などいない方が安心かもしれない。そんな私の気持ちを変えることができるのは、公的領域で言えば、「野党連合政権」の実現の他にないのではないか。それが実現できなければ、格差と貧困のさらなる拡大と人心の荒廃が待っていることだろう。市民と野党の共闘がその未来の鍵を握っている。
   

米朝首脳会談―――日本の朝鮮半島への立ち位置は?

 北東アジアの平和と安定に期待する!
    ―――生存する拉致被害者を如何に帰還させるのか?!

 
   ※肌寒い梅雨の季節に入った。サロさんと私は、雨の中でも、足を引きずりながら、いつもの散歩を続けている。「もうそんなに頑張らなくてもいいよ!」という声がどこからか聞こえてくる。しかし、日本の将来を考えると、政治的にも、経済的にも、国際的にも、不安材料がいっぱいだ。もう少し頑張って、これからの日本の行方を見定めなければならない。今日は、外交問題について考える。

  シンガポールで開かれた歴史的な米朝首脳会談。各国首脳の思惑は別として、和平への対話が開始されたことを評価したい。また、どの国であろうと核武装は決して容認できないのだが、これをきっかけに、歴史上初めて平和裡に「非核化」(核兵器廃棄)への道が開かれるとすれば、こんなに画期的なことはあるまい。

   ただ、これまで、北朝鮮は権力政治による「北風」でアベ自公政権を助けてきたが、今度は、〈核〉の権力政治によって、結果として、アメリカのトランプを助けることになるのかもしれない。そして、そのことがアメリカと世界の一般ピープルに及ぼす災厄は想像以上のものになるかも知れない。さらに、両者の基本的立ち位置が〈権力政治〉である以上、これからの情勢の変化(とりわけ、トランプのご都合)による事態の急変は、米朝会談以前の状況よりさらに悪いものになる可能性もないとはいえない。

   とはいえ、敗戦後の日本をはじめ、ニクソン訪中後の中国や統一後のベトナム、東西統一後のドイツや冷戦終結後の東欧のように、米朝関係の好転が北朝鮮の経済状況と政治状況に「変化」を引き起こし、「一般ピープル」の生活の安定と安心に結びつく可能性は大きいと思う。同盟国中国を含む現在の経済制裁によって青息吐息の北朝鮮にとって、「制裁解除」後の国際経済への復帰は、国内経済に想像以上の変化をもたらすはずだ。もちろん、「体制保証」後の北朝鮮経済内部での「支配層」と「一般ピープル」との関係がどうなるのかは未知数だ(中国やソ連の場合を考えても、そう楽観はできない)。しかし、今より「まし」になることは確かだと思う。そのためにも、中国やロシアを後ろ盾にした核兵器の廃棄(常任理事国・中国への移動や国際機関の監視の下での核兵器の解体)の可能性は低くないと思う。

   そうした事態の推移のなかで、韓民族・朝鮮民族自身の手による平和的な統一が実現されるなら、それは理想的な進展と言えるだろう。朝鮮半島にそうした統一国家が形成されること自体を喜ばない勢力もあるだろう。しかし、分断の果て、米国による小型核兵器の使用や北朝鮮による在韓・在日米軍への攻撃を伴うだろう朝鮮戦争の再発―――それは通常の”良識”の範囲内では決してあってはならないものだが、絵空事でもない―――を避けるためにも、南北の融和と統一は必要な前提と言える。そして、南北の人々の支持がある限り、ドイツ国民が果たした「無血の統一」は、けっして夢物語ではないはずだ。

   ところで、この間のアベ政権の対応については、改めて語ることはしない。要するに、植民地支配を内心肯定したい彼らにとって、北の脅威と朝鮮半島の分断は、彼らの政権維持と改憲路線にとっては、なくてはならないものということだ。そして、彼らの「圧力一辺倒」路線は問題の解決を意図したものでは決してなく、また、同様なことは、拉致問題についても言えるのだ。これまで、アベ政権が拉致問題の解決に努力してきたかといえば、蓮池透氏が言うように、この問題を政治的に利用してきただけであって、言葉とは裏腹に、積極的な問題解決に取り組む動きなどほとんどなかったと言えるのだ。しかし、今後の朝鮮半島情勢への日本の関与は、どちらにしても、この拉致問題の”解決”にかかっている。もしそれができない時、日本は、「賠償金」を払わずに済むことになるかもしれないが、米朝そして南北の国交正常化と経済交流が進む中、ずっと「蚊帳の外」的立場に留まる他ないことになる。さて、どのような”解決”の方向性が示されるのか。

   私は、幼い頃、「かます(叺)のおじさん」という言葉で、人さらいに注意するように言われていた。そのせいか、最近の看護師内山さんの拉致・殺害事件には抑えがたい怒りを覚えるし、かっての(確か袋に入れられて日本海を渡った)金大中事件にも大きなショックを受けている。ましてや、市井の普通の人々だった拉致被害者の方々のことを思うと、(死刑廃止論を支持するけれど)犯人たちを「死刑」にしても飽き足らないと感じることもある。ただ、同様に、情状酌量の余地の全くない殺人事件や性犯罪などの被害者とその家族ついても、国の内外を問わず、同様に感じると言っておかなければならない。とりわけ、「従軍慰安婦」問題などを抱えた日本にとって、こうした視点を欠いては、外国の人々の理解と共感は得られないだろうと思う。

   そうした中で、私がいつも思うのは、拉致被害者の生死の判断についてだ。遺骨のDNA鑑定もあったが(それ自体への疑問もある)、それでは、横田めぐみさんの実の娘(キム・ヘギョンさん)は嘘をついているということなのか。ならば、北が生存を隠さなければならない理由とは何なのか。漏れてはならない情報を得ることができる立場にいたからなのか。しかし、どれもが確証のあるものとは思えない。めぐみさんが生きていてくれることを望むが、死亡している可能性も踏まえたうえでの〈真相〉解明への交渉が求められているのだと思う。その上でないと、拉致被害者の帰還への第一歩も踏み出せないということだ。北は嘘をついている、それを「圧力」で自白ー解放に追い込む、それはトランプにすらできないことだった。実際、曽我ひとみさんら5人の帰国も「日朝平壌宣言」(国交正常化と経済支援)を基にしたものであったことは忘れてはいけない。最近、蓮池薫さんによるそうした諸条件への提起もあったが、どちらにしても、キムジョウン政権への柔軟で積極的な対応が求められていると言って良いのだ。

  カジノ法案が委員会で強行採決。アベ政権の性根が見えている。

「久石譲 in パリ」を観て考えたこと

朝鮮半島に戦争の足音が近づいている
  ――粗野な戦争観を拒否し、憲法9条の理念を堅持する!


   ※新年早々、アベやトランプの「アホ」らしいニュースを次から次へと聞かされていると、市井の「一般ピープル」としてどうすりゃいいのかと本当に頭を悩ませてしまう。ロシア疑惑や暴露本の出版などで窮地に追い込まれているトランプにとって、北朝鮮への先制攻撃は垂涎のシナリオであろう。また、お友達の経済的利益を実現し、また、爺さんの犯罪的行為の正当化とその夢の実現を目論むアベッチは、ナチスの手法に学びつつ、北朝鮮の脅威を最大限に煽って、軍備拡張と改憲になりふり構わず突っ走っている。合理的に考えれば絶対あってはならないことなのだが、トランプとアベのリスクが、平昌オリンピック後に現実化する可能性も無くはない情勢になっているのだ。まあ、乾パンと水ぐらいは準備しておこうか。

   そんな状況の中、昨日、「久石譲 in パリ 宮崎駿監督作品演奏会」を観た。実は、年末にも一度見たのだが、何か一層複雑な気持ちに囚われてしまった。とりわけ、パリの大人たちが歌う「君をのせて」(『天空の城ラピュタ』)は、現代世界の続く〈悲しみ〉と平和への願いが感じられ、涙なしには聞けない思いがした。さらに、『風の谷のナウシカ』や『もののけ姫』のテーマを聞きながら、宮崎駿のメッセージに触発されながら書いた多くのブログのことを思い出した。例えば、「『風の谷のナウシカ』によせて(6)―――戦争論と非暴力直接行動」(http://saromuriki.blog.fc2.com/blog-entry-68.html)だ。それらは、戦争と平和そして「憲法9条」、さらには、「武」の心と「平和主義」との関係を考察しようとしたものだったが、今、最悪のトランプ政権とアベ政権の下で、事態(日本の戦争国家化と眼前に迫る戦争の危機)がここまで切迫してしまったことに対して、暗澹たる思いがしたのだ。

   朝鮮半島におけるムン・ジェイン政権とキム・ジョンウン政権との関係が今後どうなるのか、さらには、朝鮮半島の「一般ピープル」が根本的にどのような方向性を選択するのか、それこそが最大のポイントなはずである。しかし、それに米中露日が複雑に絡み合う現状には、大国の権力者が、国民を幻想的な「国益」や「国難」でたぶらかしながら、他国に干渉・介入している典型的な姿を見ることができると思う。そして、現在、トランプの〈政治的〉利益と産軍複合体の経済的利益の実現のために、朝鮮半島の危機を昨年のシリア空爆の事例のように処理できる―――すなわち、プーチン政権とアサド政権との関係(=ロシアの権益)をトランプが承認し続けることを前提に、アメリカの〈限定的〉な攻撃にシリア・ロシアが反撃しない―――といった思惑の下で、まさしく「限定的な空爆」が実行される可能性が高まっているようだ。しかし、金正恩政権とアサド政権は違うし、また、金正恩政権と習近平政権との関係はアサド政権とプーチン政権との関係とも違っている。さらに、これにロシアの米中に対する地政学的な利害まで絡んでいるのだ。ただ、トランプの空爆に対する中国の黙認が、朝鮮半島北部における親中的な政権の樹立に対するトランプの容認を意味するとすれば、たとえ金正恩がトランプの「限定的」な攻撃に反撃しなかったとしても、その後の金政権の崩壊は必然といってよいことになる。(つまり、必ず反撃する。)それ故に、もし金正恩が反撃しないとすれば、それはトランプが核武装した金政権をこっそりと承認し、見かけだけでもいいから限定的に攻撃させてくれといって話をつける以外ないといった可能性すらあるかもしれない。どちらにしても、朝鮮半島におけるそうした手前勝手な思惑は、〈掛け金〉を決めないで行うギャンブルのようなもので、その不確定な掛け金を支払わされることになる日韓の「一般ピープル」にとっては、とんでもない代物だと言わざるを得ない。とりわけ、〈在韓〉米軍への反撃のリスクを極小化し、また、その他の諸々の事情を考慮すれば、〈在日〉米軍基地からの攻撃がトランプにとって最も好都合ということになるのではないか。そして、それに対してアベがNOと言えるはずはない以上、日本の「一般ピープル」にとって最悪の事態さえ想定されるのだ。

   繰り返しになるが、トランプやアベ、そして、彼らの「お友達たち」の政治的・経済的利害からすれば、戦争経済(軍備増強と戦争そのもの)は垂涎のご馳走なのだ。それでは、このような戦争策動に対して、〈主権者〉ではあるが、日常生活を送る「一般ピープル」たる私たちは、今この時点で、何ができ、何をしなければならないのだろうか。答は、アメリカとの集団的自衛権の行使を全世界で可能にしようと目論むアベたちに対抗する、「非武装」を追求する論者と軍事力の行使を個別的自衛権の行使に限定する「専守防衛」論者との〈連合〉に支持を表明することだ。両者は、強欲で粗野な権力政治観に対して、武力行使を否定ないし制限する〈理念〉=「9条」の精神を共有するものなのであり、私の問題意識からすれば、それは「無刀」を理想とする「武士道」の平和主義と思想的・宗教的な「非暴力直接行動」の「平和主義」との連合といっても良いかもしれないものだ。そして、現在、戈を止める「武」を捨てることはできないにしても、その行使を〈極小化〉する努力―――例えば、国連の集団安全保障体制の中での「常備軍」の廃止―――の中にしか、人々の安全と平和を増進する道はないのではないかと考えるのだ。しかし、最後に、「武」を捨てきれない私自身への自戒も込めて、次の言葉を再度引用しておきたい。   

 非暴力は臆病を隠すベールではない。
 それは、勇者の最高の美徳である。
 非暴力を行使するには、剣をふるう以上の勇気が必要なのだ。
 だから、武術家が非暴力の担い手になるのは、理にかなったこと。
 非暴力とは、
 暴力に対して十分に反撃できる力を持つことでもあるのだから。
             (『ガンディー魂の言葉』036)  

卓球のラバーを張り替えてみた

 変えること、変わることは悪いことではない!
   ―――私の卓球のラバーと籠池理事長




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僕だって随分変わったでしょう
成長したってことかい


   ※稀勢の里が照ノ富士との本割りと優勝決定戦に勝って、逆転優勝を果たした。へ〜っ!あの稀勢の里が!人間は変わるものなのだ!そういえば、アベ信者だった籠池理事長も、「自分」自身を貫くためだろうか、「アベお友達集団」から抜け出して、変身したよな。ということは、最近色々考え込んで「自嘲気味」の私も、案外すんなりとこの閉塞感から抜け出し、変わることができるのかも知れない。まずは、色々やってみることが必要なのかもしれぬ。
   
   昨年の10月から始めた卓球であるが、最近、かえって下手になってきたような気がしていた。感覚だけで打っていたはじめの頃は、不格好ではあったものの、結構それなりの結果が出ていたのだ。ところが、その後、本(DVD付き)を購入して、フォームを改造したり、色々な試行錯誤を繰り返したりしているうちに、厚い「壁」にぶち当たってしまったのだ。そんな状況をなんとかしようと、先週、「1st兄貴」から譲り受けたラケットのラバー(マークV)を貼り変えてみることにした。それは15年以上も前のものだったので、かなりの経年劣化が考えられたのである。何を貼ろうかと2週間程悩んだが、思い切って、水谷隼も使っているという「テナジー80」にすることにした。かなり高価なものだったが、最安値(5000円)のものを入手し、自分で貼ってみることにした。結果は驚くべきものだった!まず、スピードが全然違う。ゴムとは思えない金属音と共に今まで経験したことのないようなスピードですっ飛んでいくのだ。また、回転がよくかかり、今までだとイージーボールになっていた返球が、かなり変化して、相手のミスを誘うことになる。いやはや、感動してしまった。このラバーに慣れていけば、自分の技量は2倍以上にもなるのではないか?剣道の竹刀選びにも細心の注意を払ったが、卓球のラバーの選択も大きな違いをもたらすようだ。次は、ラケットも考えてみたいと思っている。変えてみることは悪くないようだ。

   ところで、変わるといえば、森友学園の籠池泰典理事長の「変身」も大変注目すべきことだった。おそらく、〈明治憲法ー教育勅語〉体制を〈実践〉していた森友学園を〈持ち上げ〉、〈支援〉していたアベ・松井勢力が、問題発覚後、手のひらを返したように森友学園だけを悪者にして保身に走ったため、〈明治憲法ー教育勅語〉体制を声高に主張する市井の「顕現」右翼としては許せなかったのだろう。ある意味で、真っ当な感覚だ。それにしても、先週の国会での籠池理事長の「証言」は、日本の政治システムの基本構造を明らかにする上で極めて意義あるものだったといえる。すなわち、それは「安倍晋三記念小学校」問題の背後にある《政ー官ー「お友達」》関係の有り様を白日のもとに晒すことになったからだ。私もそうだったが、普通の人々の多くは、籠池氏の証言を極めて信憑性の高いものとして受け取ったことだろう。もし権力側が、例えば、100万円の寄付について反論しようとするならば、少なくとも、彼と同等の〈証人喚問〉で対抗しなければならない。それ以外は全てごまかしである。〈証人喚問〉となれば、より細部に渡るまでの検討がなされ、さらなる〈証拠〉や〈証言〉が出てくることになるだろう。ただ、昭恵夫人を媒介とした官僚による森友学園に対する異常な対応と優遇、そして、国有地の格安の払い下げは、あの〈2枚のファックス〉でも十分に可視化されていると言えるのだ。アベや政府は、焦点をずらすことによって目くらまし的言辞を弄そうとしているけれど、普通の国語力があれば、その欺瞞性はすぐ理解できる程度のものだ。また、同様のことは、大阪府による許認可についても言えて、「ハシゴをかけてあげた」松井知事をはじめ、追及を怠らなければ、より明瞭な事実が次々と明らかになるだろう。個人的な感覚では、これからの焦点は、「辞任」した酒井康生元顧問弁護士とアベ夫人付の元職員谷査恵子氏の〈証人喚問〉だろう。そして、そうした中において、さらに、金額の異なる三種類の契約書がどのような経過で作成されたかも明らかになるのではなかろうか。とにかく、2人が「雲隠れ」したり、「証言ができなくなってしまう」ことがないように祈りたい。
   それにつけても、もし豊中市議木村真氏の追及や真っ当なマス・メディアやジャーナリストの活躍がなければ、嘘八百のアベ一族、公僕どころか権力の「使いっぱ」として働き甘い蜜を吸い続ける高級官僚、そして、現代の「政商」たる「お友達」の有り様も闇に閉ざされたままだったことを再確認しておかねければならない。そして、元総理夫人は、何事もなく、「安倍晋三記念小学校」の名誉校長におさまることになったのだ。

プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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