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国王神社と筑波山―――私の“新型コロナのなかった”頃の旅(2)


    ※昨日は長崎に原爆が落とされてから75年目の日だった。我が家は、これまで、毎年8月6日=広島原爆の日前後に泊りがけの家族旅行をしてきた。時節柄、毎年、「平和」を祈る旅でもあったと思う。新型コロナ禍の今年は、その家族旅行にも行っていない。これからの日本と世界、そして、子供たちの世代はどうなるのか。そんなことを思いながら、昨年秋に行った「新型コロナのなかった」頃の旅を振り返り見た。

 2019年11月中旬
平将門ゆかりの地を尋ねる
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  ※国王神社は坂東を本拠地とした「新皇」平将門が戦死した地に建てられた神社だ。彼の三女如蔵尼が将門の33回忌にあたる天禄3年2月(972年)にこの地に戻り、付近の山林で霊木を得て、将門の像を刻み、祠を建て安置し祀ったのがはじまりとされる。江戸の神田明神も将門を祀った神社だが、東の「一般ピープル」は平将門が好きなようだ。

小さな社が親近感を呼び起こす
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  ※巨大な歴史的建造物や銅像などには、人々を威圧し、それが象徴する歴史的「勝者」に畏敬の念を起こさせようとするものが多い。しかし、私の短い人生の中でも、富と権力を象徴する偉そうな銅像が引き倒される映像を何度も見てきた。その反対に、人々が”ひっそり”と愛し続けてきた「敗者」もいる。義仲や義経、そして、将門もそんな一人に違いない。境内に置かれた様々な石碑を読んでいくと、そうした歴史的経緯が読み取れるように感じた。

将門は怒っていたのだろうな
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  ※遠い都の公家衆やその威を借りて支配を強めるようとする者たちに対し、土着の「民」(=生活者)の思いを背に闘った「反逆者」、それが平将門のイメージだろうか。最近、「奥さん」が和田竜作『村上海賊の娘』を読んで、「戦闘場面ばかりでよくわからない」とか言っていたが、西日本の出身者には、藤原純友や村上海賊に関心を寄せる人たちが結構いるようだ。「貴族」の世から「武士」の世への過渡をなす「承平・天慶の乱」。それらは桓武平氏や藤原氏内部の勢力争いに過ぎないともいえるだろうが、しかし、その騒乱の基盤には、その地で生活する直接生産者=「農民」や「海の民」がいたのであり、また、「都」と「地方」との対立もあったはずだ。そして、問題は、勝敗は別にして、そんな「民」の感情に寄り添っていたのは誰だったのかということに違いない。


筑波山神社は巨大だ
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  ※国王神社に比べて、筑波山神社の規模は別次元だ。ただ、現在の拝殿はあくまでも明治8年(1875年)に「中禅寺」跡地に造営されたもので、元来の筑波山神社は「男体山頂祠・女体山頂祠」を指すものとされている。要するに、現在の姿は、明治以降の神仏分離政策によって形作られてきたものなのだ。この威容をどのように感じるかは、人それぞれというわけだ。

この年一番の紅葉かな
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  ※ケーブルカー駅近くの紅葉は鮮やかだった。まだ若かった頃、私は真夜中にワンちゃんに吠えられながら筑波山に登ったことがある。コースは、このケーブルカー駅よりも右側にある「白雲橋コース」から女体山に這い上がり、次の写真にある鞍部に下りて、「御幸ケ原コース」を下りてきたのだと記憶している。人っ子一人いない朝ぼらけの風景が記憶に残っている。しかし、家族と一緒にケーブルカーで登るのも趣があるものだ。

ケーブルカー駅のある双耳峰の鞍部で。後ろは男体山
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広大な関東平野を見下ろす
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  ※※関東平野からはほとんどどこからでも望まれる筑波山。鞍部の展望台からの眺めも悪くなかった。2枚目の写真の背景は東京、埼玉方面だ。筑波山といえば、歴史的には、「天狗党」(幕末の尊王攘夷激派)が挙兵した所でもある。このブログでも、水戸の弘道館や鹿島での戦闘などについて触れているが、水戸藩、茨城県というとどうしてもこれに関連した話が出てくる。さらに、それは、先に触れた中野剛志が『日本思想史新論』で会沢正志斎(「天狗党・鎮派」)を持ち上げていたことや、前回の渋沢栄一が乱の首謀者藤田小四郎(東胡の四男)と接触していたことなどとも関連してくる。そして、当世、世界中で、「〇〇ファースト」といった妙な動きが強まっているわけだが、水戸の尊王攘夷運動は、日本における「ナショナリズム」の一変種たる「国粋主義」(「日本主義」)に繋がっていると言わざるを得ないわけだ。そうした意味で、厄介で、 忌まわしい印象を拭えないのではあるが・・・

温泉にも不安なく立ち寄れた
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  ※筑波山から下山した後、江戸時代からの老舗「江戸屋」で温泉に浸かった。ロビーの本棚には、温泉宿とは思えない名著や専門書が並び、私も、冷水を味わいながら、渡辺京二『逝きし世の面影』を楽しませてもらった。私たちの旅行では日帰りでも温泉を利用することが多かったが、このコロナ禍で様子がすっかり変わってしまった。先月、長瀞の聖神社と県立自然博物館に行ってきたが、なんと温泉好きの「奥さん」が、「今日はやめとこう」と呟いたのだ。コロナをどう超えるのか?アベ友政権の「GO TO トラベル」では不安は解消されないだろう。

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渋沢栄一・恐竜王国・こんにゃくパーク・観音山   ―――私の“新型コロナのなかった”頃の旅(1)

 2019年10月31日〜11月1日
     深谷市〜上野村〜神流町〜藤岡温泉〜甘楽町〜高崎市


   ※サロさんも長い梅雨空であまり元気が出ないようだ。私はYouTubeなどを見る機会が多いが、最近の時事問題ものでは、ヒルカラナンデスやワラしがみ、荻上チキなどが面白かった。それにしても、コロナ,オリンピックそして優生思想など、アベ友エスタブリッシュメントのどうしようもなさは、怒り心頭と言う他ない。今日もコロナの感染拡大や東北地方での豪雨が報道されている。こんな中、もうやる気もない、バカにされるだけのアベを一体誰が支えているのだ!あまりにも虚しいではないか。ということで、今回は気分転換のために、私の、“withoutコロナ”の、呑気で楽しかった頃の旅行について書いてみたい。
  
渋沢栄一生家の前で
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  ※以前にも書いたことがあるが、「近代日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一の業績は、その『論語と算盤』(1916年)にみられるように、アベ=タケチュー的ボッタクリ資本主義とは一線を画すもののように思われる。そんな彼が、2024年から流通する新1万円札の図柄に決まった。そこで、Mさんと一緒に、埼玉県深谷市にある「渋沢栄一記念館」と旧渋沢邸「中の家(なかんち)」を訪れることにした。いずれも、私には嬉しい入場無料だった。

旧渋沢亭の内部
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  ※パンフレットによれば、渋沢は、農業・養蚕・藍玉作り・雑貨屋・質屋業を営む名字帯刀を許された豪農の家に生まれ、律儀な父と慈悲深い母親に育てられたという。また、少年期に従兄弟の尾高惇忠から論語を学び、青年期には尊皇攘夷運動にも参加した。しかし、その後、一橋家及び幕府に仕え、パリ万博の際には渡欧して、ヨーロッパの社会制度・思想・文化を吸収した。維新後は、一時大隈重信の説得で大蔵省に勤めたが(→富岡製糸場の設置主任)、大久保利通らと意見が合わずに辞職、その後、実業界の指導者として活動することになる。彼は、論語の精神を重んじた「道徳経済合一説」を唱え、各種産業(第一国立銀行など500社)を育成するとともに、社会福祉事業(養育院、児童養護施設、知的障害児施設、現一橋大学や日本女子大学、東京慈恵医院や済生会,聖路加国際病院などの設立・運営)や国際親善(日本国際児童親善会)にも貢献している。こうした経歴からして、渋沢は、批判ももちろんあるだろうが、少なくとも、自らの仕事=事業を「人への真心や思いやりの心」で方向付け、コントロールしようと試みた人物と言えるのではなかろうか。彼がアソウやタケナカとはひと味もふた味も違う人物であったことが容易に想像されるところだ。

上野スカイブリッジで
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  ※埼玉県から水害の痕跡を残す神流川を遡り、群馬県上野村に向かう。上野村は若い頃は渋沢同様に元気でフランスにも行ったことのある内山節が住んでいる村ではないかなどと話しながら、「上野スカイブリッジ」に到着した。豪雨の影響で宿泊施設などは閉鎖されていたが、写真のようにシャボン玉の舞う橋の上で、優雅な空中散歩を楽しむことができた。

恐竜王国中里の恐竜センター
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  ※その後、宿泊予定の藤岡温泉に向かう途中、神流町中里の「恐竜センター」を見学した。予想以上に興味深く、楽しめる施設だった。神流町で発見されたものはもちろん、モンゴルなど世界中から運ばれてきた巨大な化石は迫真力満点だった。

この人はロボットシアターの解説者ですw
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  ※このアンドロイドには驚かされた。Mさんなどは最初本物の人間と思ったのではないか?かなり感激していた。舞台ではロボットの恐竜たちが動き回るのだが、実によくできている。先日見た映画『ジュラシックパーク』の恐竜たちよりも愛嬌があって良かった。「姉貴」たちにも是非見せたいと思っている。

タルボサウルス
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  ※日本が恐竜王国だったことはNHKスペシャルなどでもよくやっているが、こうして「実物」の姿に接すると、地球がホモ・サピエンスだけのものではないことが実感できる。私は、この星の長〜い歴史の中に存在してきた本当に無数の「命」の1つでしかないのだ。私たちは、本当に不思議で、本当に奇跡的な存在なのだろう。では、残された時間をどう過ごせばいいのだろうか?

群馬藤岡温泉・泊〜コロナを気にせず食事と温泉が楽しめた

 
「こんにゃくパーク」・バイキングゾーン
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  ※二日目は、「織田宗家ゆかりの城下町小幡」のある甘楽町を案内してもらいながら、「こんにゃくパーク」に立ち寄った。観光バスがたくさんきていて、人気のバイキングゾーン(無料)は人でいっぱいだった。「三密」なんて全く関係ない、意識にもなかったよな。

これ全部こんにゃく製です。
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  ※食い意地が張っている私は、ホテルの朝食で山盛りのバイキングを食べてきたが、これも完食してしまった。体に良いわきゃないが、やめられないというわけだ。このあと、製造工程も見学して、家族へ格安のお土産も買った。

観音山からの眺望
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  ※最後は高崎に行って、観音山公園を散歩した。Mさんは1日に何キロも歩くので、歩くのが非常に早い。私は膝が完治していないので不安だったが、無難に歩き通すことができた。山頂付近からの眺望にも恵まれた。

慈眼院・高崎観音を背に
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  ※観音様にも色々あるが、この高崎観音もなかなか良い顔をしている。観音山公園には,吊り橋や広い芝生広場もあって、散策にはもってこいだろう。サロさんと私にとっての〇〇公園のように、こうした公共施設の存在意義は住民にとっては測り知れない価値があるものだ。今回の旅行はM・ツアーコンダクターによる無料スポット満載の「格安旅行」だったわけだが、GO TOキャンペーンの割引がなくても、本当に楽しむことができた。こんな日々が再び1日も早く訪れることを願わずにいられない。

加曽利貝塚に行ってきた―――移動の自由を実践してw

 同じ日本列島に生を受け、
      時代を超えて、繋がりあうということ
 


   ※梅雨入り前の6月初旬、バイクで千葉の加曽利貝塚まで行ってきた。軽い趣味の領域でしかないが、なぜか私は「縄文時代」ファンなのだ。『列島誕生 ジオ・ジャパン』などの”ジオ”ものも興味深いが、やはり、その上で生きてきた”命”と”文化”に共鳴するところが大きい。自然条件や社会関係は違うとはいえ、私と”同一バージョン”の個体が原始の関東平野で生き、そして、死んでいったのだ。ついでに言い添えておくと、この小旅行は県境を越える移動の”自粛要請”が全面的に解除された19日以前に行われている。ただ、加曽利貝塚は”過疎”で、”3密”とは全く無縁なものだったw。

特別史跡 加曽利貝塚(千葉市)
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   ※貝塚は縄文時代(約16000年前〜2800年前)の沿岸部における遺跡で、東京湾周辺は全国でその数が最も多く、そして、その中でも最も大きなものが加曽利貝塚だという。大規模な集落が営まれたのは中期(約5000年前)から晩期(約3000年前)にかけての約2000年間であり、そこからは、約140軒の竪穴住居跡や約230体の人骨が発見されているという。保存・公開されているのは15ヘクタールほどだが、ほとんど人がいなかったので、2時間弱のんびりと見学することができた。

北貝塚(約5000年前)の貝層断面観覧施設
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   ※発掘されたままの貝塚の断面や大きな竪穴式住居跡を見ることができた。大きな建物にすっぽりと包まれ、保護されていた。小学校の5、6年の頃、縄文時代の紙芝居のようなものを作って発表したことがあったが、この生々しさは別次元だ。また、幼い頃、どこかの河原付近で古い貝殻がまとめて捨てられていたことが思い出された。世界史でいうとインダス文明やエジプト文明の頃なわけだが、縄文の世界の方が私には魅力的に感じる。

加曽利貝塚の土器
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   ※土器は食べ物を煮たり、保存するために使われていたようだが、加曽利貝塚の土器は、実用的な性格が強く出ているように感じられた。出土品は博物館(無料)に展示され、土器の他に、土偶や貝殻や動物の骨角歯牙、石器や炭化した植物などがあった。また、人骨の他に、約15体の縄文犬の骨(”埋葬された”)も出土していて、餌を与えられ、一緒に生活していたらしい。

加曽利貝塚PR大使カソリーヌ
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   ※ということで、縄文時代中期の「加曽利E式土器」を頭に被り、貝塚で一番多い「イボキサゴ」(小さな巻貝)の首飾りをつけているこの白いワンコが、加曽利貝塚PR大使カソリーヌだ。サロさんとほとんど性格は違わなかったのじゃないかな?

竪穴式の復元集落
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   ※加曽利貝塚の遺跡は、総じて、その規模の大きさとともに、出土物の素朴さが印象的だ。復元された竪穴式住居も思いの外広く、好天の折には、快適な住環境だったと思われる。関東平野の眺望にも恵まれ、狩猟採集民の”豊かな”生活が感じられた。

南貝塚(約4000年前)の貝層断面!
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   ※これはすごい!写真の赤点の付箋は、上から、「マガキ」・「イノシシ・シカ肋骨」・「シカ肩甲骨」だ。この他、炉の跡なども見られる。当時の生き物たちと人間たちの生活がそのまま埋まっているわけだ。私たちは貝塚を単なる「ゴミ捨て場」と教えられてきたと記憶するが、そうばかりともいえず、共同の作業場や墓地など、特別な場所だったとも考えられているようだ。

そして、サロさん!
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   ※今朝も、5時に叩き起こされ、散歩に連れ出された。何しろ意欲だけは旺盛で「行きはヨイヨイ」だが、「帰りはダッコ」になる。そのためか、最近の私は椎間板が圧迫され、身長がさらに縮んだようだ。それにしても、サロさんとの感情や意思の疎通は何を意味するのか。そこから類推すれば、遺物から、縄文人たちの生活や感情が感じとれるのは当たり前のことだと思う。

   【追記】
   ドイツのメルケル首相は、自国の歴史に鑑み「移動の自由」の大切さを強調していた。私も統一前のベルリンの壁を見たことがあるので、そのことの重みはわかるような気がする。ただ、今回の新型コロナウィルスは、人々の物理的距離ばかりではなく、心理的距離をも広げたかもしれない。物理的距離については客観的なエヴィデンスに基づいて対応すればいいわけだが、心理的距離については、感染者や医療従事者に対する「差別」的言辞、そして、戦時中をすら思い出させる「自粛警察」と呼ばれる行為など、日本の状況には不安なものが感じられる。

   そんな中、私は、移動の”自粛要請”が全面的に解除される19日以前に、埼玉から千葉の加曽利貝塚まで、バイクで行ってきたことになる。ところで、そもそも私は、「春節」(1月24日)以降、感染するあるいは感染させるリスクのあることはできるだけしないことにしていた。なぜなら、出入国管理はもとより、PCRの検査体制、マスクや医療用防護具の供給、医療体制の充実、そして、要請に見合う補償など、私はアベ政権のコロナ対策をほとんど信用していなかったからだ。私は、彼らの恣意的な「総合的判断」などに”付和雷同”するつもりは全くなかった。実際、休校要請や緊急事態宣言の発令・延長・解除にどれだけの根拠と効果があったというのか。さらに、現在の状況に照らして、東京の「ステップ3」や自粛の全面解除とは一体なんなのか。あの感染するあるいは感染させるリスクはどこへ行ったのだ。彼らの腹の中は、「補償などで金がかかるから、感染者や死者が”少し”多くなっても、まあ良いか!」ぐらいなのではないか。繰り返しになるが、移動の自由は主権者たる国民一人一人の基本的権利だ。根拠も効果もはっきりしない恣意的な「総合的判断」などによって奪われるべきものではない。それ故、”自粛”は、あくまでも、付和雷同的にではなく、自律的に判断されるべきものだ。コロナ禍の中で、私たちは感染する、あるいは、させるリスクをできるだけ避けねばならない。しかし、それを権威主義的に実現しようとするのは返って危険ですらあるだろう。アベやトランプごとき輩の判断に振り回されてはならないのだ。

   ホモ・サピエンスは「分断」と「孤立化」を乗り越えることによって生き延びてきたとも言われる。そうした意味で、コロナ禍の今、われわれ人類はコロナが押し付けてくる物理的な距離を縮め、乗り越える”知恵”が試されていると言って良いのではないだろうか。そして、そのためにやれることは、まだまだ、たくさんあるはずなのだ。おっ、またサロさんが呼んでいる・・・

2019年・旅の思い出ーー(6)榛名湖・浅間縄文ミュージアム他

「縄文」の世で、人々はどのように生きていたのだろう?
  「文明」によるストレスのない、原初的人間の世の中とは?


   ※Mさんご夫妻には、公私ともにお世話になった。そして、現在もお世話になっている(追記の「梅狩り」も参照)。今回も、私が長野県御代田町の「浅間縄文ミュージアム」に行きたいと宿泊をお願いすると快く応じていただいた。さらに、私の縄文探訪に付き合ってくれただけではなく、榛名湖畔の散策や温泉、そして、浅間高原から浅間大滝まで案内してくれた。ありがたいことだ。

 8月26日 高崎駅〜榛名湖畔〜千年の森〜温泉〜Mさん宅(泊)
 8月27日 Mさん宅〜二度上峠〜浅間大滝〜浅間縄文ミュージアム
      〜松井田駅 


 
湖岸でお昼〜子供のように嬉しい!
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 ※好天の中、高崎から榛名湖までのドライブは快適だった。榛名山への登山は以前バイクで来たことがあったが、湖畔で遊ぶ余裕はなかった。今回は、途中での昼食を含めて、ほぼ一周近く歩くことができた。遠足気分で、子供のようなウキウキした気分になった。途中で、オー・ソレ・ミオまで歌ってしまった。ソフトクリームも美味かった。



Mさんは相変わらず元気だった!
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 ※Mさんの奥さんは、「姉貴」もお世話になった英語の達人で、何事にも非常に積極的で、活力溢れる人だ。そして、今は、庭造りに夢中だ。どうやら1日のほとんどの時間をそれに捧げているようだ。広大な土地を、ほぼ一人で、美しい庭に仕上げ、維持するのは大変なことだろう。しかし、他の人にはできない素晴らしい体験をしているのだと思う。今回の訪問でも、手作りの野菜や料理を味わいながら、興味深い苦労話をたくさん聞かせてもらった。これからも、健康に十分注意しつつ、理想の庭を創り上げて行ってほしいと思う。


二人は自分の足であの榛名山に登ったことがあるw
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 ※コスモスの咲く初秋の榛名山は、今日も綺麗だった。登った山を振り返り見るのには特別な感慨があるものだが、それぞれ別の機会にではあるが、2人は榛名山に”自分の足で”w登っているのだ。あの日が思い出される。


2日目:二度上峠からの展望
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 ※2日目は、深く豊かな森の中を通る県道54号線を走って、標高1390mの二度上峠を越える。峠のすぐ左手には鼻曲山への登山口、また、道路の反対側には、駒髪山や浅間隠山への登山口があった。展望は十分ではなかったが、その広大さはよくわかった。浅間隠山は登れそうな気配なので、膝を直して、いつかは行って見たいと思う。


静かな浅間大滝
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 ※その後、北軽井沢最大の滝、浅間大滝に立ち寄る。人がほとんどいなかったこともあるが、これがなかなかの雰囲気で、大変気に入った。滝への入口近くの岩の空洞には仏像が安置されており、Mさんがお賽銭を入れ、手を合わせていた。お孫さんのことでもお祈りしたのだろうか。またその近くには、風化しつつある5体の石仏があり、足を止めずにはいられないほど、趣があった。


魚止ノ滝も良い
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 ※大滝から下へ5分ほど下ったところにあるのがこの「魚止ノ滝」だ。確かに、これでは、魚もこれ以上登っていけないかもしれない。この後、国道146号から18号を経て、いよいよ、御代田町の「浅間縄文ミュージアム」に向かう。



今回はこれが見たくて来た〜小さくて、リアル!
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 ※御代田町の「浅間縄文ミュージアム」は、5000年前の「川原田遺跡」から出土した「焼町土器」などを主に展示している博物館だ。しかし、今回は各地から実物も含めて、魅力ある土偶や土器などが集められ、素晴らしい「縄文ワールド」を見せてくれていた。この小さな土偶は、弘前大学所有のものだが、「私は誰だかわからない・・・」というキャッチフレーズで、私をここに惹きつけた「張本人」だ。こんなに小さいとは思わなかったが、写真とは違って、横から見た時のその立体感が作り手の気持ちをリアルに表現しているように感じられ、大満足だった!



遮光器土偶〜私も着けてみたがw
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 ※この遮光器土偶も面白かった。目の部分が、イヌイットが使っていた「雪メガネ」(写真の左下)をかけているのに似ているからそう呼ばれているらしい。もちろん、真偽は定かでない。この他にも、しゃがんだり、ネックレスやパンツを身につけた人、縄文のビーナスや顔面装飾付釣手土器など、作り手の対象への興味や創作への遊び心が伝わってくる面白さがあった。


斜め上から見たサロさんとそっくりだぞ!
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 ※この像などどうだろう!今朝の散歩でもそう思ったが、少し痩せているが、斜め上から見たサロさんとそっくりではないか!サロさんのルーツに間違いない。この他にも、「ドラ◯もん」や「キテ◯ちゃん」に似た猫の像などもあった。この頃から人間は犬や猫と共同生活をしていたのだろう。当時のワンちゃんも、歳をとると、サロさんのように老練になったのだろうかw。


あなたの混合率はどうですか?
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 ※ご愛嬌ではあるが、結果はどうだったろうか。どちらにしても、「日本人」なるものが、様々な人種や民族の「ハイブリッド」(?)であった事実は、確認しておくべきことだ。それが、「個」から「類」への思考上での跳躍を容易にすることにもなるだろう。私たちは、「種差」にこだわりつつも、同じ「ホモ・サピエンス」なのだから。



隣の「縄文」おじさんが良い!
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 ※「令和」おじさんは好きにはなれないが、この「縄文」おじさんは悪くないw。そして、私も「縄文人間」(JOMON PEOPLE)となったが、我々「ホモ・サピエンス」は、その知性と共同性を土台に、この時代、日本列島の自然の中で、新しい”文化”を作り出し、それを共有し、伝え合い、楽しんだのだ。私たちが「縄文人」の子孫であることは、「れいわ」の時代の中で私たちがまだ実現し得ていない何かを教えてくれていると考えて良いのではないだろうか。


【追記】
 7月5日 梅狩りの日に
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 ※このところ毎年、Mさんのところで「梅狩り」をさせてもらっている。採ってきた完熟梅は、私が、梅ジュースにしたり、梅のコンポートにしたり、梅干しにしたりする。失敗もあるが、なかなかの出来栄えの時もあるw。

2019年・旅の思い出ー(5)大江戸散歩:浅草・両国

日本人の観光客はどこに行った?
 浅草見物や観音様へのお参りの「余裕」すら失ったのか?


   ※今年の「旅の思い出」シリーズもあと2回で「現在」に追いつく。それにしても、もう「秋のお彼岸」だ。一昨日は墓参りをし、昨日は御萩を食べた。故人の好物は何だったっけ?などと思い出したりもした。それにしても、日本の劣化は止まらない。この拙劣な現状の中で、相変わらずマスコミは、アベだのコイズミだのの、ただお茶を濁すだけに過ぎない訪米を大げさに報じている。もう怒りを通り越して、呆れるばかりだ。そんな昨今、何故か心和む「江戸文化」に触れようとする大江戸散歩ではあったのだが・・・

 【8月12日】 浅草浅草寺
 
雷門前は人でいっぱい
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 ※この日は、浅草駅前で北海道の中・高時代からの友人3人と夕食を共にすることになっていた。そこで、時間もあるので、その前に浅草寺にも寄ってこようと思いたった。私にとって浅草寺は三度目だったと思う。1回目は、今は函館に帰っている、当時は浅草近辺で働いていた友人に案内してもらった。2回目は、職場の同僚と上野・浅草を「見学」した後、まことに美味なる鰻重を食べた。ところが、今回はこれらの時と全く印象が異なっていた。まず、人が多かった!

仲見世:そのほとんどが、外国人!
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 ※次に、外国人ばかりだということだ。雷門から仲見世に入ると、もう周りは、あらゆる人種と民族の外国人で埋め尽くされていた。日本文化の魅力とアベノミクスの円安が外国人観光客を惹きつけているというわけなのだろう。そんな中、私が非常に興味深く感じたのは、私がお土産を買うため(当たり前であるが)流暢な日本語で人形焼を注文すると、店の人が妙に懐かしそうな表情で微笑んだことだ。久しぶりの日本人客だと言った風に。

宝蔵門:日本人らしき人がほとんどいない(汗)
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 ※この写真でも、同様だ。それにしても、この中に仏教徒は何人いるのだろう。これらの外国人の多くは、”異文化”としての日本の寺院を見に来ている人々なのであろう。これに対して、私は仏教徒ではないし家に仏壇もないが、昨日も今日も、親の遺影に花と供物を供え、線香を焚いている。私の子供達は仏教系の幼稚園まで出ている。そして、私たちにとって、「浅草の観音様」はその宗派に関係なくお参りする対象であったはずなのだ。そうした「日本人」は、一体、どこに行ってしまったのだろう。実は、他の観光地でも感じることなのだが、日本人は、そもそも、旅や観光に出る「余裕」すらも失っているのではないか。

本堂:外国人の子供がおみくじを何枚も持って行ったw
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 ※外国の人々が来ることが悪いわけではない。ただ、それが、全き、”消費活動”としての「観光」としてのみ見られて良いとは思えない。オリンピックもそうだけれど、外国人観光客を「金を落とす」だけの存在として、経済効果の観点からだけ見るようになっては、宗教としても、スポーツとしても、もう衰退の第一歩だろう。要するに、観光客は多くなればなるほど良いというものではないということだ。

弁天堂の「時の鐘」
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 ※これは、「花の雲 鐘は上野か 浅草か」(芭蕉)という句で有名な「時の鐘」だ。大晦日にテレビで聞いたことがあるあの鐘だ。浅草寺には、この他にも、平和地蔵尊を始め、慈悲深い眼差しを持つたくさんの仏像や歴史を感じさせる記念碑がある。それらは、私たち「共有」の財産と言って良いはずだ。ところで、私を除いた3人は、今も北海道に住んでいたり親や兄弟がいたりするので、北海道の事情に詳しい。そんな彼らの話によると、先ごろ北海道知事となった元夕張市長は、北海道の土地を外国人に売りまくっていたのだそうだ。自然も文化と同様だ!それらを単なる経済効果や市場原理にまかせてしまって良いはずはない。日本の自然や文化にも、「ナショナルトラスト」的問題意識の必要性が差し迫っているのだと私には思われるのだ。



【8月29日】 両国周辺:回向院〜吉良邸跡〜勝海舟生誕の地
   〜すみだ北斎美術館〜ちゃんこ料理屋〜江戸東京博物館


回向院・鼠小僧の墓の前で
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 ※茨城県に住んでいる友人が本を出版したので持って来てくれた。ついでに、前回は、日比谷公園と日比谷図書館、そして、銀座で映画を見たので、今回は両国周辺の博物館巡りをやろうということになった。ということで、最初に行ったのがこの回向院だ。小塚原の回向院の鼠小僧の墓と比べて首を傾げたくなるようなところもあるが、これも同じ鼠小僧の墓だ。江戸庶民は、墓石を削ってお守りにしたのだそうだ。鼠の墓の横には「猫塚」があったw。

江戸は「動物愛護」の先進都市だった?!
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 ※回向院には、動物の墓や慰霊碑がたくさんある。これもその一つで「犬猫供養」とある。仏教そして将軍綱吉の影響も考えられるが、少なくとも、一神教の文化の中では、考えにくいことだろう。浅草寺にも針などモノに対する供養塔も見られたが、これこそ我が「アニミズム」的精神の表れなのではないだろうか。もったいない、もったいない!

吉良邸跡〜ここに討ち入ったのか
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 ※当時の敷地は、この86倍の広さだったという。吉良上野介を殺害して、ここから泉岳寺まで歩いたわけだ。箱根駅伝や東京マラソンを考えれば大したことはないけれど。ところで、パンフレットにもあるように、上野介は『忠臣蔵』では悪役に仕立てられているが、実際は善政の名君だったという話もある。この手の話は明智光秀を始め広く見られるが、江戸庶民が九郎判官や赤穂浪士に喝采を送り、あるいは、芭蕉が義仲ファンであったことなども、現在では「ポピュリズム」呼ばわりさえされかねないと思われる。しかし、私には、江戸庶民の義経や赤穂浪士、そして、さらには、鼠小僧や石川五右衛門たちに対する感情すらもがよ〜くわかるような気がするのだ。

北斎は殺された吉良家の家臣の子孫だった
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 ※「すみだ北斎美術館」はKさんのリクエストで行くことになった。大変モダンな建物で、展示されている絵は全てレプリカということだったが、ゆっくり絵を楽しめるように工夫されていた。あと、印象的だったのは、先の吉良邸跡にあった「吉良家 家臣二十士碑」の中にもあった小林平八郎が、北斎の曽祖父だったということだ。この事実がどのような心理的・思想的影響を北斎に与えたのか興味深い。付属の図書館で資料を見た後で、昼食をとり、その後、江戸東京博物館で「企画展 いきものがたり 江戸東京のくらしと動物」を見た。江戸時代の人々がいかに動物を愛し、大切にしていたかが窺われる企画であった。
 
今相撲を取ったら?御嶽海、優勝おめでとう!
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 ※昼食は、Kさんが「ちゃんこ料理」を食べたことがないというので、以前にも複数回入ったことがある店に行った。ところが、構造と内装がすっかり変わっていた。正直、残念だった。ただ、室内に、おそらく実物大の土俵が描かれていたのは興味深かった。(写真はガラケーのカメラで写りが悪いがちょうど良いだろう。)

  さて、両国国技館で行われた大相撲秋場所では、関脇御嶽海が優勝した。嘉風が引退してしまった今、私は御嶽海を応援していたので、大変気分が良かった。もちろん、遠藤対隠岐の海戦の誤審など、全くバカバカしいこともあるが、力士たちの勝負には嘘がなかっただろうと思う。ところで、上記の話とも関連するが、御嶽海の母はフィリピン人で、いわゆる「ハーフ」だ。高安もそうだが、他のスポーツと同様、「ハーフ」の日本人の活躍が大相撲でも見られるようになっているわけだ。実は、この一週間、私は外国人や「ハーフ」について大変興味深いドキュメンタリーを2本見ている。それは、NHK/プロフェッショナル 仕事の流儀『贈れば、希望が見えてくる 外国人労働者支援・鳥井一平』とNHK/ひとモノガタリ『曖昧な境界を生きて~“ハーフ”から見た日本のカタチ~』だ。現在の日本における「外国人労働者」(とりわけ、技能実習生や不法残留者)と「ハーフ」の有り様がシビアに描かれている。しかし、今回は詳しくは論じないが、我々が大切に思う自然や文化や帰属集団を愛し、支え、守り育てていく〈仲間〉という意味においては、外人顔だとか、「ハーフ」顔だとか、国籍が日本であろうと他国であろうと、関係ないということだ。私たちは、そうした”仲間”を仲間外れにするのではなく、逆に、国籍が日本であろうと(なかろうと)、日本人顔であろうと(なかろうと)、我々の大切な自然や文化や帰属集団を、私利私欲のために、汚染し、投機の対象として売り買いし、人々を分断しようとする輩をこそ、断固として”批判”し、規制”しなければならないのではないか、ということなのだ。 

   (「ハーフ」の)草刈正雄は、『あおぞら』で良い仕事をした!
   そして、御嶽海! 大関目指して頑張れ!
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2019年11月現在満13歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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