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2019年・旅の思い出ーー(6)榛名湖・浅間縄文ミュージアム他

「縄文」の世で、人々はどのように生きていたのだろう?
  「文明」によるストレスのない、原初的人間の世の中とは?


   ※Mさんご夫妻には、公私ともにお世話になった。そして、現在もお世話になっている(追記の「梅狩り」も参照)。今回も、私が長野県御代田町の「浅間縄文ミュージアム」に行きたいと宿泊をお願いすると快く応じていただいた。さらに、私の縄文探訪に付き合ってくれただけではなく、榛名湖畔の散策や温泉、そして、浅間高原から浅間大滝まで案内してくれた。ありがたいことだ。

 8月26日 高崎駅〜榛名湖畔〜千年の森〜温泉〜Mさん宅(泊)
 8月27日 Mさん宅〜二度上峠〜浅間大滝〜浅間縄文ミュージアム
      〜松井田駅 


 
湖岸でお昼〜子供のように嬉しい!
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 ※好天の中、高崎から榛名湖までのドライブは快適だった。榛名山への登山は以前バイクで来たことがあったが、湖畔で遊ぶ余裕はなかった。今回は、途中での昼食を含めて、ほぼ一周近く歩くことができた。遠足気分で、子供のようなウキウキした気分になった。途中で、オー・ソレ・ミオまで歌ってしまった。ソフトクリームも美味かった。



Mさんは相変わらず元気だった!
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 ※Mさんの奥さんは、「姉貴」もお世話になった英語の達人で、何事にも非常に積極的で、活力溢れる人だ。そして、今は、庭造りに夢中だ。どうやら1日のほとんどの時間をそれに捧げているようだ。広大な土地を、ほぼ一人で、美しい庭に仕上げ、維持するのは大変なことだろう。しかし、他の人にはできない素晴らしい体験をしているのだと思う。今回の訪問でも、手作りの野菜や料理を味わいながら、興味深い苦労話をたくさん聞かせてもらった。これからも、健康に十分注意しつつ、理想の庭を創り上げて行ってほしいと思う。


二人は自分の足であの榛名山に登ったことがあるw
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 ※コスモスの咲く初秋の榛名山は、今日も綺麗だった。登った山を振り返り見るのには特別な感慨があるものだが、それぞれ別の機会にではあるが、2人は榛名山に”自分の足で”w登っているのだ。あの日が思い出される。


2日目:二度上峠からの展望
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 ※2日目は、深く豊かな森の中を通る県道54号線を走って、標高1390mの二度上峠を越える。峠のすぐ左手には鼻曲山への登山口、また、道路の反対側には、駒髪山や浅間隠山への登山口があった。展望は十分ではなかったが、その広大さはよくわかった。浅間隠山は登れそうな気配なので、膝を直して、いつかは行って見たいと思う。


静かな浅間大滝
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 ※その後、北軽井沢最大の滝、浅間大滝に立ち寄る。人がほとんどいなかったこともあるが、これがなかなかの雰囲気で、大変気に入った。滝への入口近くの岩の空洞には仏像が安置されており、Mさんがお賽銭を入れ、手を合わせていた。お孫さんのことでもお祈りしたのだろうか。またその近くには、風化しつつある5体の石仏があり、足を止めずにはいられないほど、趣があった。


魚止ノ滝も良い
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 ※大滝から下へ5分ほど下ったところにあるのがこの「魚止ノ滝」だ。確かに、これでは、魚もこれ以上登っていけないかもしれない。この後、国道146号から18号を経て、いよいよ、御代田町の「浅間縄文ミュージアム」に向かう。



今回はこれが見たくて来た〜小さくて、リアル!
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 ※御代田町の「浅間縄文ミュージアム」は、5000年前の「川原田遺跡」から出土した「焼町土器」などを主に展示している博物館だ。しかし、今回は各地から実物も含めて、魅力ある土偶や土器などが集められ、素晴らしい「縄文ワールド」を見せてくれていた。この小さな土偶は、弘前大学所有のものだが、「私は誰だかわからない・・・」というキャッチフレーズで、私をここに惹きつけた「張本人」だ。こんなに小さいとは思わなかったが、写真とは違って、横から見た時のその立体感が作り手の気持ちをリアルに表現しているように感じられ、大満足だった!



遮光器土偶〜私も着けてみたがw
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 ※この遮光器土偶も面白かった。目の部分が、イヌイットが使っていた「雪メガネ」(写真の左下)をかけているのに似ているからそう呼ばれているらしい。もちろん、真偽は定かでない。この他にも、しゃがんだり、ネックレスやパンツを身につけた人、縄文のビーナスや顔面装飾付釣手土器など、作り手の対象への興味や創作への遊び心が伝わってくる面白さがあった。


斜め上から見たサロさんとそっくりだぞ!
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 ※この像などどうだろう!今朝の散歩でもそう思ったが、少し痩せているが、斜め上から見たサロさんとそっくりではないか!サロさんのルーツに間違いない。この他にも、「ドラ◯もん」や「キテ◯ちゃん」に似た猫の像などもあった。この頃から人間は犬や猫と共同生活をしていたのだろう。当時のワンちゃんも、歳をとると、サロさんのように老練になったのだろうかw。


あなたの混合率はどうですか?
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 ※ご愛嬌ではあるが、結果はどうだったろうか。どちらにしても、「日本人」なるものが、様々な人種や民族の「ハイブリッド」(?)であった事実は、確認しておくべきことだ。それが、「個」から「類」への思考上での跳躍を容易にすることにもなるだろう。私たちは、「種差」にこだわりつつも、同じ「ホモ・サピエンス」なのだから。



隣の「縄文」おじさんが良い!
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 ※「令和」おじさんは好きにはなれないが、この「縄文」おじさんは悪くないw。そして、私も「縄文人間」(JOMON PEOPLE)となったが、我々「ホモ・サピエンス」は、その知性と共同性を土台に、この時代、日本列島の自然の中で、新しい”文化”を作り出し、それを共有し、伝え合い、楽しんだのだ。私たちが「縄文人」の子孫であることは、「れいわ」の時代の中で私たちがまだ実現し得ていない何かを教えてくれていると考えて良いのではないだろうか。


【追記】
 7月5日 梅狩りの日に
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 ※このところ毎年、Mさんのところで「梅狩り」をさせてもらっている。採ってきた完熟梅は、私が、梅ジュースにしたり、梅のコンポートにしたり、梅干しにしたりする。失敗もあるが、なかなかの出来栄えの時もあるw。
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2019年・旅の思い出ー(5)大江戸散歩:浅草・両国

日本人の観光客はどこに行った?
 浅草見物や観音様へのお参りの「余裕」すら失ったのか?


   ※今年の「旅の思い出」シリーズもあと2回で「現在」に追いつく。それにしても、もう「秋のお彼岸」だ。一昨日は墓参りをし、昨日は御萩を食べた。故人の好物は何だったっけ?などと思い出したりもした。それにしても、日本の劣化は止まらない。この拙劣な現状の中で、相変わらずマスコミは、アベだのコイズミだのの、ただお茶を濁すだけに過ぎない訪米を大げさに報じている。もう怒りを通り越して、呆れるばかりだ。そんな昨今、何故か心和む「江戸文化」に触れようとする大江戸散歩ではあったのだが・・・

 【8月12日】 浅草浅草寺
 
雷門前は人でいっぱい
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 ※この日は、浅草駅前で北海道の中・高時代からの友人3人と夕食を共にすることになっていた。そこで、時間もあるので、その前に浅草寺にも寄ってこようと思いたった。私にとって浅草寺は三度目だったと思う。1回目は、今は函館に帰っている、当時は浅草近辺で働いていた友人に案内してもらった。2回目は、職場の同僚と上野・浅草を「見学」した後、まことに美味なる鰻重を食べた。ところが、今回はこれらの時と全く印象が異なっていた。まず、人が多かった!

仲見世:そのほとんどが、外国人!
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 ※次に、外国人ばかりだということだ。雷門から仲見世に入ると、もう周りは、あらゆる人種と民族の外国人で埋め尽くされていた。日本文化の魅力とアベノミクスの円安が外国人観光客を惹きつけているというわけなのだろう。そんな中、私が非常に興味深く感じたのは、私がお土産を買うため(当たり前であるが)流暢な日本語で人形焼を注文すると、店の人が妙に懐かしそうな表情で微笑んだことだ。久しぶりの日本人客だと言った風に。

宝蔵門:日本人らしき人がほとんどいない(汗)
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 ※この写真でも、同様だ。それにしても、この中に仏教徒は何人いるのだろう。これらの外国人の多くは、”異文化”としての日本の寺院を見に来ている人々なのであろう。これに対して、私は仏教徒ではないし家に仏壇もないが、昨日も今日も、親の遺影に花と供物を供え、線香を焚いている。私の子供達は仏教系の幼稚園まで出ている。そして、私たちにとって、「浅草の観音様」はその宗派に関係なくお参りする対象であったはずなのだ。そうした「日本人」は、一体、どこに行ってしまったのだろう。実は、他の観光地でも感じることなのだが、日本人は、そもそも、旅や観光に出る「余裕」すらも失っているのではないか。

本堂:外国人の子供がおみくじを何枚も持って行ったw
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 ※外国の人々が来ることが悪いわけではない。ただ、それが、全き、”消費活動”としての「観光」としてのみ見られて良いとは思えない。オリンピックもそうだけれど、外国人観光客を「金を落とす」だけの存在として、経済効果の観点からだけ見るようになっては、宗教としても、スポーツとしても、もう衰退の第一歩だろう。要するに、観光客は多くなればなるほど良いというものではないということだ。

弁天堂の「時の鐘」
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 ※これは、「花の雲 鐘は上野か 浅草か」(芭蕉)という句で有名な「時の鐘」だ。大晦日にテレビで聞いたことがあるあの鐘だ。浅草寺には、この他にも、平和地蔵尊を始め、慈悲深い眼差しを持つたくさんの仏像や歴史を感じさせる記念碑がある。それらは、私たち「共有」の財産と言って良いはずだ。ところで、私を除いた3人は、今も北海道に住んでいたり親や兄弟がいたりするので、北海道の事情に詳しい。そんな彼らの話によると、先ごろ北海道知事となった元夕張市長は、北海道の土地を外国人に売りまくっていたのだそうだ。自然も文化と同様だ!それらを単なる経済効果や市場原理にまかせてしまって良いはずはない。日本の自然や文化にも、「ナショナルトラスト」的問題意識の必要性が差し迫っているのだと私には思われるのだ。



【8月29日】 両国周辺:回向院〜吉良邸跡〜勝海舟生誕の地
   〜すみだ北斎美術館〜ちゃんこ料理屋〜江戸東京博物館


回向院・鼠小僧の墓の前で
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 ※茨城県に住んでいる友人が本を出版したので持って来てくれた。ついでに、前回は、日比谷公園と日比谷図書館、そして、銀座で映画を見たので、今回は両国周辺の博物館巡りをやろうということになった。ということで、最初に行ったのがこの回向院だ。小塚原の回向院の鼠小僧の墓と比べて首を傾げたくなるようなところもあるが、これも同じ鼠小僧の墓だ。江戸庶民は、墓石を削ってお守りにしたのだそうだ。鼠の墓の横には「猫塚」があったw。

江戸は「動物愛護」の先進都市だった?!
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 ※回向院には、動物の墓や慰霊碑がたくさんある。これもその一つで「犬猫供養」とある。仏教そして将軍綱吉の影響も考えられるが、少なくとも、一神教の文化の中では、考えにくいことだろう。浅草寺にも針などモノに対する供養塔も見られたが、これこそ我が「アニミズム」的精神の表れなのではないだろうか。もったいない、もったいない!

吉良邸跡〜ここに討ち入ったのか
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 ※当時の敷地は、この86倍の広さだったという。吉良上野介を殺害して、ここから泉岳寺まで歩いたわけだ。箱根駅伝や東京マラソンを考えれば大したことはないけれど。ところで、パンフレットにもあるように、上野介は『忠臣蔵』では悪役に仕立てられているが、実際は善政の名君だったという話もある。この手の話は明智光秀を始め広く見られるが、江戸庶民が九郎判官や赤穂浪士に喝采を送り、あるいは、芭蕉が義仲ファンであったことなども、現在では「ポピュリズム」呼ばわりさえされかねないと思われる。しかし、私には、江戸庶民の義経や赤穂浪士、そして、さらには、鼠小僧や石川五右衛門たちに対する感情すらもがよ〜くわかるような気がするのだ。

北斎は殺された吉良家の家臣の子孫だった
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 ※「すみだ北斎美術館」はKさんのリクエストで行くことになった。大変モダンな建物で、展示されている絵は全てレプリカということだったが、ゆっくり絵を楽しめるように工夫されていた。あと、印象的だったのは、先の吉良邸跡にあった「吉良家 家臣二十士碑」の中にもあった小林平八郎が、北斎の曽祖父だったということだ。この事実がどのような心理的・思想的影響を北斎に与えたのか興味深い。付属の図書館で資料を見た後で、昼食をとり、その後、江戸東京博物館で「企画展 いきものがたり 江戸東京のくらしと動物」を見た。江戸時代の人々がいかに動物を愛し、大切にしていたかが窺われる企画であった。
 
今相撲を取ったら?御嶽海、優勝おめでとう!
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 ※昼食は、Kさんが「ちゃんこ料理」を食べたことがないというので、以前にも複数回入ったことがある店に行った。ところが、構造と内装がすっかり変わっていた。正直、残念だった。ただ、室内に、おそらく実物大の土俵が描かれていたのは興味深かった。(写真はガラケーのカメラで写りが悪いがちょうど良いだろう。)

  さて、両国国技館で行われた大相撲秋場所では、関脇御嶽海が優勝した。嘉風が引退してしまった今、私は御嶽海を応援していたので、大変気分が良かった。もちろん、遠藤対隠岐の海戦の誤審など、全くバカバカしいこともあるが、力士たちの勝負には嘘がなかっただろうと思う。ところで、上記の話とも関連するが、御嶽海の母はフィリピン人で、いわゆる「ハーフ」だ。高安もそうだが、他のスポーツと同様、「ハーフ」の日本人の活躍が大相撲でも見られるようになっているわけだ。実は、この一週間、私は外国人や「ハーフ」について大変興味深いドキュメンタリーを2本見ている。それは、NHK/プロフェッショナル 仕事の流儀『贈れば、希望が見えてくる 外国人労働者支援・鳥井一平』とNHK/ひとモノガタリ『曖昧な境界を生きて~“ハーフ”から見た日本のカタチ~』だ。現在の日本における「外国人労働者」(とりわけ、技能実習生や不法残留者)と「ハーフ」の有り様がシビアに描かれている。しかし、今回は詳しくは論じないが、我々が大切に思う自然や文化や帰属集団を愛し、支え、守り育てていく〈仲間〉という意味においては、外人顔だとか、「ハーフ」顔だとか、国籍が日本であろうと他国であろうと、関係ないということだ。私たちは、そうした”仲間”を仲間外れにするのではなく、逆に、国籍が日本であろうと(なかろうと)、日本人顔であろうと(なかろうと)、我々の大切な自然や文化や帰属集団を、私利私欲のために、汚染し、投機の対象として売り買いし、人々を分断しようとする輩をこそ、断固として”批判”し、規制”しなければならないのではないか、ということなのだ。 

   (「ハーフ」の)草刈正雄は、『あおぞら』で良い仕事をした!
   そして、御嶽海! 大関目指して頑張れ!

2019年・旅の思い出ーー(4)足利学校・大谷観音・那須塩原

     平和と縄文人と温泉を訪ねた我が家の夏の旅
   
 ※秋の運動会のシーズンだ。子供達の歓声と家族の声援が聞こえてくる。この子供たちと親達の未来はどうなるのだろう。この親子たちの生活をアベ政治から守るにはどうすればいいのだろう。ブラックな搾取者どもから、政治を私物化する嘘つきどもから、人災を天災と言い繕って出世を図る司法官僚から、日本を再び戦争の汚辱の中に引きずり込もうとする者どもの手から、家族をどう守るのか。我が家の夏の旅も、家族を大切にしたいという気持ちを再確認できた旅だったと思う。

  8月初旬の晴れ間をついて 
 第一日目 一般道〜足利学校ー(佐野)ー大谷観音ー塩原温泉(泊)
 第二日目 塩原温泉ー(仙人岩吊橋ー竜化の滝)〜東北自動車道


「日本最古の学校」足利学校〜儒教的倫理を教えられて
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   ※ 十数年前のカーナビをまだ使っているのでたどり着くまでに随分苦労したがw、足利学校は美しいところだった。平安初期か鎌倉時代に創設されたというから、それはそれは古い歴史を持つ「学校」だ。写真の「學校門」は1668年に創建されているが、1549年には、フランシスコ=ザビエルによって、「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」として紹介されていたという。

「私の人生は、いつも満ち足りないか、溢れたかも」(汗)
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   ※ 教育内容は「儒学」で、孔子の教えが大切にされていたようだ。我々の中で一番「評判」が良かったのが、この「宥座之器(ゆうざのき)」で、「水が空のときは傾き、ちょうどよいときにはまっすぐに立ち、水をいっぱい入れたときはひっくり返ってしまう」というものだ。孔子は『論語』の中で「満ちて覆らぬものはない」と〈中庸〉の教えを説いたが、いやはや、私の人生は、いつも、満ち足りないか、ひっくり返ってばかりいたかもしれない。〈中庸〉とは難しい。

「恕」?ジョジョ!難しい(汗)
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   ※ 「子貢問いて曰わく、一言にして以って身を終うるまでこれを行うべき者ありや 子曰く それ恕か、己の欲せざる所を人に施すこと勿かれ。」(『論語』衛霊公篇)「思いやり」とか「ゆるす」とか、人の世の倫理・道徳は、古今東西、似たようなものだが、それにしても、ただ、ゆるせばいいというものでもあるまい。特に、人の欲しない苦しみを私欲のためにごまかしながら他者に押し付け居直っている、アベやタケナカを許してどうなるというのだ。「恕」も難しい。

旅先でもラーメンは食べるのだ〜うまい!
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   ※ 足利学校から大谷観音に向かう途中、寄り道して、「佐野ラーメン」を食べる。もちろん、「2nd兄貴」の要望だ。暑い中だったが、確かに、うまかった。 

大谷観音〜「縄文最古の人骨」とご対面
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   ※埼玉県に住んでいる私の周りの人で大谷観音に行ったことのある人は結構多い。その目的は、弘法大師の作と伝えられる本尊の千手観音をはじめとする10体の石仏群と大谷石の地下採掘場跡の見学ということらしかった。これに対して、私の目的は、写真のパンフレットにもある「縄文最古の人骨」と「平和観音像」にあった。縄文人の人骨は、約11、000年前の、20歳前後、身長154㎝の男性のもので、約150㎝位の地下から出て来たものだという。誰かはわからないが、約11、000年前、私たちに連なる一人の人間がここに住んでいたのだ。感慨深いではないか。

弁財天と白蛇
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   ※ 弘法大師によって、毒蛇が悔い改めて白蛇となったらしい。参拝後に、頭に軽く触れてくださいとあったが、サロさんの頭を撫でるようなものか。お利口さんの白蛇になったということだろう。仏教的というよりも、日本的な感覚なのではないか?

平和観音
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   ※ 高さ27m、6年の歳月をかけて昭和29年に完成された「平和観音」。「奥さん」は子供の頃、義父母と一緒に見に来たという。毎年、広島・長崎の日々に合わせて家族旅行をして来たが、今年は、優しい眼差しの「平和観音」に会うことができた。アベの改憲を許してはならない。

ビールの後はかき氷で
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   ※ 家族旅行の夕食時、みんなの和やかな顔がうれしい。私は欠点だらけの夫であり父であるが、それぞれが少しでも人生を楽しんでくれていれば、私もホッとするというわけだ。それにしても、何もしてやれていないという反省の念が頭を過ぎる。しかし、もう大人なんだから、勝手にやるかw。

「温泉卓球」は燃える!
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   ※夕食後、たっぷり1時間「温泉卓球」を楽しんだ。「奥さん」は中学時代 卓球部で、私は現在卓球同好会員だ。ただ、猛然たるラリーを繰り広げたのが「姉貴」と「2nd兄貴」だった。それにしても、温泉になくてはならないものは、高性能の電動マッサージ器と卓球台だろう!その意味でも、今回の宿は「大当たり」だった。

なんと、カラオケで子供達に褒められたぜ!
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   ※ その後、「姉貴」と「2nd兄貴」と3人で「カラオケ」をやった。数えて見ると、私が「カラオケ」をやったのは、この40年間で、10回目だと思う。まず、子供達は想像以上に上手だった。ただ、音が高いのとスピードがものすごいのには閉口するほどだ。私が歌ったのは、松島アキラの「湖愁」と舟木一夫の「あゝ青春の胸の血は」だったが、二人に褒められてすっかり気分を良くしてしまった。よし、また、Mさんとカラオケに行こう。あと、T.M.Revolutionの「RAIMEI」を歌えるようにするぞ!


朝飯前のハイキング〜仙人岩吊橋
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   ※ 朝起きたら、「2nd兄貴」は寝ていたので、意欲のある3人で朝の散歩に出かけた。宿の裏山の尾根を上り下りして仙人岩吊橋までの約1時間のルートだった。それなりの高低差がある「山道」は久しぶりだったが、左膝はなんとか大丈夫だった。「仙人岩」とは、「如葛」という仙人が温泉が湧いていたこの谷間が気に入ってそこに住み着いた鹿股川の大岩のことだ。しかし、残念ながら、現在は崖崩れで埋まってしまっているとのことだった。

カロリーオーバーだって?ふん!
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   ※ 最近の(我々が泊まる)旅館の朝食はバイキングが多い。「〇〇病が怖くてバイキングが食べられるか!」とかまでは言わないが、やはり、プレートいっぱいにしなければバイキングの醍醐味は味わえまい。まあ、1000キロカロリーはあるかも(汗)。顔が縞模様に歪んでいるw


竜化の滝
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   ※ 宿を出て、「七つ岩吊橋」を経由し、「竜化の滝」への軽いハイキングに向かった。地元の人の話によると、最近は本当に暑くなっているのだそうだ。ただ、沢筋の道はやはり心地よく爽やかだった。途中で、与謝野晶子の「竜化瀑二十五丈を若葉する、毛欅(ぶな)のかこめり上は岩山」という歌が紹介されていた。アプローチでも、玢岩(ひんがん)の柱状節理を見ることができた。滝は、長さ最長130m、幅約5m、高さ約60mの三段の滝だ。


フィトンチッドいっぱいの滝と渓流に遊ぶ
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   ※ 夏はやはり水が気持ちがいい。また、山中は「フィトンチッド」という殺菌作用がある化学物質がシャワーのように降り注いでいて、身体の健康と精神的な安らぎに効果があるという。縄文人たちも落葉広葉樹林の豊かな「フィトンチッド」を浴びながら、心身ともに健康な人々が多かったのではないだろうか。私たちも緑を大切にしたいものだ。
   

2019年・旅の思い出ーー(3)第30回おじさん旅行:明治村〜下呂温泉〜郡上八幡〜岐阜城

 20年間、何が参加者を結びつけたのか?
   ―――(当面、休止となった)「おじさん旅行」30回目


  ※「旅の魅力」か「参加者の結びつき」か?とりわけ何かを話すというわけでもなく、また、それぞれが持病を持たないわけでもない、そんな中高年の男たちが、年に1〜2回集まって旅行を楽しむ。そんな会が、今年の春で、20年、30回続いた。だが、この会も今回をもって一旦「休止」となる。世は「無常」であるが、この「おじさん旅行」が参加者各々の胸の中に大切なものを残したことだけは確かだと思う。

   5月中旬 五月晴れの日に
  第一日目 名古屋ー明治村ー下呂温泉(泊)
  第二日目 下呂温泉ー郡上八幡ー岐阜城ー名古屋


明治村の帝国ホテル前で
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   ※明治村は、近代日本、全国各地で造られた歴史的建造物が”移設”され、展示されている博物館だ。南北約1100m、東西620m、約100万㎡の広大な敷地を持ち、建築や明治時代の文化に興味・関心のある人は一日中楽しめることだろう。ただ、歴史的建造物が保存されることは大切だし、一箇所に集められるのも確かに便利ではあろうが、これらが各地のそれぞれの場で保存され、利用されていたらどうだったのだろう。地域の人々にとっても、そこを訪れる人にとっても、随分印象が違ったのではないだろうか。さらに、もう一つ。私は40年程前、ここを訪れていたのだが、ほとんど記憶にないのだ。何故だろうか。


下呂温泉・ホテルからの眺め
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   ※「日本三名泉」(有馬・草津・下呂)の一つと謳われるこの下呂温泉は、私が一度は訪れてみたいと考えていた場所だった。しかし、なかなかその機会がなかった。今回来てみて、想像以上に大きく、そして、美しい温泉街だと感じた。関東に住んでいると、北アルプス(飛騨山脈)の山々にアプローチするときにも、どうしても長野県側からとなる。確かに、飛騨の高山や新穂高にも行ったことはあったが、岐阜はやはり遠い存在だった。しかし、よく考えてみると、私は、岐阜どころではなく、名古屋駅に降りて、名物の味噌カツやきしめんを食べたこともなかったのだ。そして、名古屋から下呂温泉までの道程は、飛騨地方の奥深さを十分感じとることのできるものであった。


おじさんが この時だけはと 酒を飲む
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   ※私は食通ではないが、食べることは大好きだ。そして、この時ばかりはアルコールも口にする。この会のメンバーは、考えてみれば、恐ろしいほど”個性”的な人々の集まりだった。私が一番平凡で「まとも」だったのではないか?!w。そんな人間たちが、「気」を許し合い、酒を酌み交わし、温泉を楽しみ、鼾や寝息を聞きながら眠りについてきたのだ。


郡上八幡・宗祇水
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   ※郡上八幡は、長良川の支流の吉田川の清流と古い街並みが美しいところだった。写真は、「水の町」郡上八幡のシンボル、「宗祇水」だ。この湧水は、「文明3年(1471年)に連歌師宗祇が郡上の領主である東常縁から古今伝授の奥義についての講義を受け、京へ戻るとき、師弟の2人がこの泉のほとりで歌を詠み交わしたことから」そう呼ばれている。1985年、環境庁によって、「日本名水百選」の第1号に指定されている。それにしても、このメンバーでなければ、ここには一生来なかったことだろう。


岐阜城(稲葉山城)を背に
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   ※郡上八幡から犬山城などを眺めながら岐阜へ移動した。岐阜城は、駐車場探しに戸惑ったが、金華山ロープウェーを利用して、頂上駅から徒歩でたどり着いた。この写真は、その途中での一コマ。看板にもあるように、この城は斎藤道三と織田信長ゆかりの城で、標高は329メートルあるという。『偉人たちの健康診断』によれば、信長はこの山城の麓に住まいを設け、毎日、上り下りしたのだそうだ。ついでに、私の拝観料は無料だったw。


これは天下を取りたいと思ったことだろうな
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   ※天守閣からの360度の展望は確かにすごいものだった。眼下に長良川と岐阜の街並み、北東方面は御嶽山や日本アルプスの山々、南には豊かな濃尾平野と木曽川そして名古屋まで見える。そして、西はそれを超えれば琵琶湖や京都に至る伊吹・養老・鈴鹿の山々だ。しかし、その眺めは、登山で山頂を究めた時のものとは明らかに異なる感覚だった。富士山に登った時のものとも全く違う。つまり、それは権力者の「支配への野望」、あるいは、それが満足させられた時のもののように思われたのだ。今日も東京地裁で福一原発事故について凄まじい判決が下された。「権力者たち」の感覚と思想。私たち「一般ピープル」は、それらをも知らねばならない。


天守閣からの長良川と岐阜の街並み
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   ※これが、「おじさん旅行」で見る最後の景色になるかもしれない。感傷的になるつもりはない。私たちの出会いは偶然のものだったが、その「結びつき」は、やはり、意識的な選択とそれを大切にしようとする努力の結果だったように思われる。私たちも齢を重ね、それぞれの事情を抱えて生きている。まずは、これまでの日々に感謝したいと思う。

2019年・旅の思い出ーー(2)尖石縄文考古館、他

縄文〈文化〉の担い手はどんな人たちだったのだろう?
 ―――私たちと同じ”人間”が自然の中で文化を楽しんでいた?!


  ※我が家はできる限り一年に2回は「家族旅行」をすることにしている。資力と体力に合わせるわけなのでつつましいものだが、共有する時間と思い出は、何ものにも代え難いものがあると感じる。「1st兄貴」がサロさんの面倒を見てくれるのも助かる。有難いことだ。今回は、4月末、以下の日程で行った1泊旅行の記録だ。

  第一日目 白樺湖ー尖石縄文考古館ー御射鹿池ー渋御殿湯(泊)
  第二日目 奥蓼科温泉郷ー北八ヶ岳・麦草峠ー八千穂高原




長野県・茅野市・尖石縄文考古館
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   ※白樺湖を覗いてから、昼食には「2nd兄貴」の希望に沿ってラーメンを食べw、そして、「尖石(とがりいし)縄文考古館」に着いた。それにしても、「縄文」の魅力とはなんなのだろう?

イノシシ でかっ!
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   ※縄文時代とは、日本の「新石器時代」(1万6500年前〜AD3世紀)のうちの、縄文土器をその特徴とする1万3000年前から2300年前の時期をいう。青森の三内丸山遺跡や福岡の板付遺跡などが有名だ。以前、訪れた野尻湖や岩宿の遺跡はそれに先立つ「旧石器時代」のものだ。また、弥生土器と金属器で特徴付けられる弥生時代は、その後の「新石器時代」再晩期(BC3世紀から AD3世紀)を指す。大まか、旧石器時代は狩猟生活が中心だったようだが、縄文時代は、豊かな落葉広葉樹林帯の恵みを受けて、採集生活が中心だったようだ。もちろん、周りには動物たち、そして、海や川にはたくさんの魚たちが生息していたはずだ。今ではもうほとんど見ることのできないイノシシやシカも顔なじみだったことだろう。ただ、縄文犬の様子は、サロさんを見ればおおよそ想像がつくというものだがw。

縄文土器の数々〜誰が作ったのだろう?
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   ※石器や骨角器を見ても、当時の人々の優れた技術に感動する。私にはとても作れそうもない。しかし、縄文土器や土偶そして装飾品などは、それとは全く異なった印象を与える。装飾された土器や土偶(土人形)を作ったのはやはり女性なのではないか。そして、それらには、明らかに、彼女たちの「遊び心」や「想像力」、そして、「祈り」や「芸術的な感性」を感じ取ることができるように思うのだ。真剣で、そして、楽しそうな表情が眼に浮かぶようだ。

仮面の女神
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   ※縄文人は、言うまでもなく、私たちと同じホモ・サピエンス(現生人類)だ。ドラえもんの「タイムマシン」で当時の赤ちゃんを現代に連れて来れば、我々と全く同じ現代人となる。ただ、それだけでもないように感じるのだ。つまり、彼らも私たちも、「砂漠の民」とは異なる、同じ地理的・気候的風土の中で育ち、生きたと言う感覚だ。なにか、えもいわれぬ「懐かしさ」を感じるではないか。それは、また、自然の万物に「神」的なものを感じる「多神教」的宗教観にもつながるのかもしれない。写真の土偶も、仮面を被ったビーナス=女神に違いあるまいw。

「尖石」〜縄文人の想像力が生み出した伝説は?
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   ※「尖石」の地名のもとは、この石の形にあると言う。この地表に突き出た石は、縄文時代には、磨製石斧の共同砥石だったのではないかとか、石を重要な利器としたところから祭祀の対象ではなかったのか、とか考えられているようだ。日本人は、古来、山や樹木や石などを御神体として祀ったが、縄文人もこの石に手を合わせたのかもしれない。柳田國男の『石神問答』も思い出した。

懐かしさ溢れる国民宿舎
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   ※この日は、満足感いっぱいで、奥蓼科温泉郷の最上部、「渋御殿湯」に泊まった。そこは、戦後の湯治場あるいは北八ヶ岳への登山者用国民宿舎の雰囲気がそのまま残った宿だった。暖房は石油ストーヴ、トイレは共同、布団は自分たちで敷く、食事も「50年前」とほとんど変わらないメニュー、湯船も巨大な黒ずんだ木製のフタで覆われていると言った風だ。ついでに、携帯も圏外だ。「奥さん」は大喜びだった。

残雪の北八ヶ・麦草峠
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   ※朝起きて、林道からメルヘン街道を通り、麦草峠で小休止した。残雪の北八ヶ岳は美しく、私の左膝が治ったらまた是非来たいと思った。蓼科や北八ヶ岳の森は、気候変動によるのであろう、虫害などで心配されているらしい。豊かな森を守るのは私たちの世代の義務なのだろうけれど・・・

八千穂高原の美しい白樺林
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   ※子供達がまだ小さい頃、八千穂高原キャンプ場にテントを張って、北八ヶ岳周辺で遊んだことがあった。その時の〈白樺〉の印象が強く残っていたらしく、珍しく「写真を撮ってくれ」と言われて撮ったのがこの一枚だ。私も、南八ヶ岳には3回ほど登ったことがあるが、今度は紅葉の頃、テント持参で北八ヶ岳に登ってみたいと強く思った。さて、実現できるだろうか?全ては膝次第だ。明日から、膝のリハビリに努めよう!
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2019年11月現在満13歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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