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おお、間合いが近い!―――第66回全日本剣道選手権

リスクをかけた「攻め」の剣道
    ―――西村選手の「速さ」に軍配!


   ※昨日の「文化の日」、恒例の全日本剣道選手権を見た。熊本県代表の西村英久六段が連覇を達成した。今年の大会は、試合後の西村選手のインタヴューにも出てきた、「剣道の楽しさ」を感じることができた大会だったと思う。

   生意気なことを言っているようにも思うが、今回の大会ほど、正々堂々、真正面から攻め、一本を取りに行く「攻めの剣道」が印象的な大会は珍しいのではないか。表題にも書いたが、どの試合も「間合」が非常に近く感じられる―――実際、そうだったのではないか?!―――緊迫感あふれるものだった。最近私はYouTubeで『剣道 往年の名選手(桜木哲史選手など)』をよく見るのだが、パワーとスピードは近年の方がはるかに上回っているように感じられる。しかし、近年の剣道は、勝敗にこだわる余りか、見ていてあまり面白くない傾向もあったと思う。しかし、今年の全日本選手権は、見事にそういった印象を打ち消してくれた。今回の西村選手の剣道に象徴されるような、近間での攻撃的なせり合い、さらに深く攻め入っての思い切った技。確かに、近間故のリスクは負うのだろうが、そこでの両者の緊張感あふれる攻防、そして、決まれば必ず一本になるだろう技の迫力、それは実に素晴らしかったと言う他はなかった。

   実を言うと、内村選手の剣風にはこれまで少し疑問を感じていた。しかし、今大会の内村選手の試合は、竹下選手との準決勝を典型に(あの小手と返し胴!)、どれもこれも素晴らしいものと感じた。決勝でのあのような結果も、実は、内村選手の思い切った「攻めの剣道」の故だったのではないか。相手の反応速度と速さが自分を上回っている時、あのような近間での攻防を制するにはどうすれば良いのか。やはり、〇〇しかないのか?・・・来年の大会では内村選手にその答えを是非見せて貰いたいと思う。

   今年の審判は、一本だけ、あの小手の刃筋はあれでいいのか?と思わせるものがあったが、全般的に極めて理解し易く、納得できるものだった。それにしても、私の膝は相変わらず剣道に耐えられそうにない。そんなわけで、これからも、見て感動できる剣道を期待し、楽しみにしていきたいと思う。
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第65回全日本剣道選手権大会を見て

 「一本を取りに行く」剣道が爽やかであり、
      また、そのことが「剣風」を際立たせていた!


   ※昨日は、来客があった。初めて会う人であったが、誠実で信頼できそうな人物だった。
  ところで、一昨日、私はちょっとした不注意から、左ひざの関節を負傷してしまった。そのため、現在は、サロさんとの散歩はもちろん、剣道の素振りも十分にできない状態にある。ただ、こうなると、かえって、健康の大切さや、剣道への思いも強まるというものだ。ということで、今日は、11月3日に行われた「第65回全日本剣道選手権大会」について書いておきたいと思う。

   当日は例年通りBSの放送から見始めたが、結果は、一昨年の覇者熊本の西村英久5段(28才)が、東京の内村良一7段(37才)を破り、2年ぶりの日本一となった。

   今大会の印象を幾つかあげるならば、まず、試合の内容が非常にすっきりしたものであったことだ。はじめは、最近YouTubeで「一本集」をよく見るのでそのために目が慣れてきたせいかとも考えたが、解説の栄花直輝8段の、国際大会のことも踏まえ、選手の育成方針として「一本を取りに行く」剣道が推奨されているとの話を聞いて、なるほどそうかと得心した。勝敗はもとより大事なのであろうが、積極的に「一本を取りに行く」姿に、私は清々しさとわかりやすさを感じたのだろうと思う。井上康生の柔道や村田諒太のボクシングなどもそうだが、そうした側面は「格闘技」を「観戦」する上で非常に重要なポイントになるようだ。
   
   そうした意味において、林田4段(23才)の健闘には、非常に「バランス」の良さを感じた。特別ずば抜けた身体能力を持つわけでもなさそうだが(失礼!)、攻守の駆け引きやここぞといったところでの思い切りの良い打ちなど、私のようなものにとっても、見るべきところが多くあったように思う。
   また、先行を許しながら2度にわたる逆転勝利を手にした内村7段の試合ぶりには、多くの観衆が拍手を送っていた。剣道選手としては高齢の域に達しているようだが、彼の「勝利」への〈執念〉と言ったものがひしひしと伝わってくる内容だった。
   また、西村5段については、そのスピードと力強さは群を抜いているように感じられた。つまり、その身体能力の高さは、対戦相手にとって、守りにおいては「近く」、攻撃においては「遠く」感じさせる「間合い」を生み出していたのではないだろうか。対戦相手を圧倒する「雄々しさ」はそこに起因するように感じられた。

   最後に、今回の剣道選手権大会においては、「剣風」とでも言うのだろうか、それぞれの選手の個性が強く感じられる内容になっていたと思う。「私は、◯◯選手の剣道が好きだ」という表現があるが、今回の大会は、勝敗とは別に、積極的に「一本を取りに行く」過程において、そうしたところに目を向けることのできる好試合が多かったのだと思う。もちろん、そのことは、私にとって「理想的」な剣道とは何かと言う問にもつながる。こういう視点から、来年の大会も大いに期待したいと思う。


   

恥ずかしながら宮本選手の突きについて

剣道の判定(審判)は本当に難しい
  ――剣道全日本選手権・準決勝(宮本×勝見)を見て思ったこと



   11月3日の剣道全日本選手権から2週間が経ちました。決勝戦での勝見選手の目にも留まらぬ鮮やかな小手打ちが記憶に蘇ってきます。その一方で、準決勝の一戦については、あの宮本選手の突きに関していろいろな議論もあるようです。私自身は、今回の判定について特段異論があるというわけではなく、あれだけ間髪を入れずに3本の旗が一斉に上がると、「そうゆうものなのだろうな」と思う他はないと感じています。大体において、自分自身が審判をした時のことを考えても、また、実際の試合や一本集の映像などを見た時のことを考えても、とても自信をもって判定を語ることなど私には出来ません。勿論、素人目からしても明らかにおかしいと思う事例もあります。しかし、微妙な判定については、実際に「見えている」というよりは、自分自身の(打ったり打たれたりした)経験から「感じ取る」といったほうが真実に近いとも思われます。ですから、私自身が「体感」していない高度な駆け引きや技についての判断はそもそも難しいのです。というわけで、今回も録画を繰り返し見てみましたが、宮本選手の突きか勝見選手の面かについて、私自身が「判定」を下すのは難しいと感じました。

  ただ、その難しさとは、要するに、「先行」した宮本選手の突きは一本ではないのか、ということに他なりません。この点について、テレビの解説者栄花直輝八段は「残心が取れなかった」という表現をしていました。ただ、勝見選手の面は宮本選手の残心の動作よりも早いタイミングのものでしたから、例えば、相面で、先んじた面が不十分で「後発」の面がより集中力の込もった素晴しいものであった場合と同様の判断であったのかも知れません。こうした意味合いにおいて、宮本選手の突きは「流れていた」と言う見方もあるようです。しかし、突いた時あれだけ竹刀が曲がっているのですから、若干の「流れ」があったとしても、「不十分」というほどではなかったとも考えられます。例えば、防具無しで真剣だったと想定すると、宮本選手の突きの後、勝見選手の〈後発〉の面があのような素晴らしいものであり得たかは疑問と言えましょう。しかし、同様に、なんらかの防具(喉輪や鎖垂など)を身につけていたと想定すると、確かに、宮本選手の突きは不十分なものとなり、兜をも割る勢いの勝見選手の面に利があると判断できるのかも知れません。あるいは、そもそも、たとえ打突部位を「的確」に捉えているように見えても、相手がそれによって真っ直ぐ後方へ仰け反り反撃できないようでなければ一本にはならないのかも知れません(そうであるなら、危険ですが、突きへの対処方法も考えられる?)。いろいろ考えてはみましたが、結局、私には判断できないということでした。

   剣道の判定(審判)は本当に難しいものです。ただ、私の個人的な希望を言わせてもらえるなら、「あれはどうなんだ」と注目を集める判定については、事後でも良いので、審判長や剣道連盟から〈公式〉な「説明」が為されも良いのではないかと思うのです。もちろん、フィギュアスケートや体操などの得点結果について審判がいちいち説明することはありませんから、必要ないといえばそう言えなくもありません。しかし、大相撲やプロ野球などにおいては、微妙な判定については、審判から観衆に説明が為されています。競技の性格によって一概に言えませんが、熱戦の結果としての〈勝敗〉について、観衆が〈納得〉するということは大切なことだと思うのです。そして、そのことが、競技としての信頼性をより高め、より幅広い観衆や競技人口の増加にもつながると思うのです。つまり、私のように、漠然と「そうゆうものなのだろうな」と思っている状態というのは必ずしも「健全」であるとは言えないと思うのです。言語化することの是非はあるのでしょうが、集中力溢れる素晴らしい一本に感動する為にも、観衆の「何故?」に応えてもらうことはできないのでしょうか。是非お願いしたいものです。

   現在素振りをやっている程度のわが身ゆえ、この件についてブログに書くことをためらっっていましたが、観衆の一人としての感想を記しておきたいと思います。


【追記】試合経験のある程度多い人が、ああしたタイミングでの、瞬時ではあるが時間差のある打ち合いの場合、〈後〉の方に旗が上がることが多いと話していました。強いて言うなれば、「肉を切らせて骨を断った」ということなのかもしれません。それにしても、今回の「突き→面」の時間差は微妙だと感じます。11月21日記

恥ずかしながら、若干の感想―――剣道全日本選手権2015

「全日本選手権」も時代とともに変わるのでしょうね。
 ―――西村選手の勝利を祝しつつ


   昨日は昼過ぎからテレビで剣道・全日本選手権の中継を見ました。秋晴れの文化の日、ちょっと外出でもしたい気分でしたが、恒例の試合を見ていました。結果は、熊本の西村英久五段(26歳)の初優勝となりました。決勝戦で神奈川の勝見洋介五段を降しての初優勝です。小手を得意とする西村五段ですが、いわゆる「瞬殺」の飛び込み面2本での勝利で、ニュース映像で結果を知ったファンは非常に清々しい気持ちになったのではないでしょうか。ただ、2本目の〈虚をついた〉面は、私を必ずしも清々しい気持ちにはしなかったのです。それは、やはり、どうしても、準決勝と準々決勝の「反則勝ち」とダブってしまうからです。それにしても、全日本選手権において、準決勝と準々決勝における連続する「反則勝ち」というのはあったのでしょうか。少なくとも、私の記憶にはないのですが。

   準々決勝は北海道の安藤翔選手との対戦でしたが、鍔迫り合いからの〈巻き落とし〉2本よる「反則勝ち」でした。〈正しい〉鍔迫り合いからの〈巻き落とし〉ということらしいので(?)、安藤選手に非があることは明らかなのでしょうが、鍔迫り合いからのなんらかの打突による決まり手ならばこのような気持ちにはならなかったでしょう。何か非常に複雑な気持ちにさせるものでした。さらに、準決勝は福岡の梅ヶ谷翔選手との対戦で、〈鍔迫り合い〉で両者反則の後、西村の小手に続く梅ヶ谷の引き面からの残心を、西村が追って「体当たり」、そして、梅ヶ谷「場外反則」で1本という展開でした。ただ、素人目からすれば、梅ヶ谷の面もなかなかなもので、また、西村の「体当たり」は「体当たり」というよりも、追って行って〈腕〉で突き出したようにも見えたのです。ですから、「奥さん」などは、「なにあれ?!」と大きな声を出したほどでした。

   「これで、決勝戦も・・・」と心配もしたのですが、勝美選手との決勝戦はそうした杞憂を払拭する極めてサックリとした内容となり、内心ホッとしたものです。ただ、国際試合の影響もあるのでしょうけれど、〈剣道は変わったなあ〉とつくづく感じてしまうところがありました。少なくとも、全日本選手権がこうした「反則勝ち」で展開するというのは、私のような素人のファンとしては望むところではないのです。試合のことも審判のこともよく知らない私ですからこれ以上のことを言うつもりはありませんが、来年の文化の日は天候と試合内容双方とも晴れ晴れとしたものであって欲しいと感じました。

今年の剣道〈修行〉の目標―――1年ぶりに師匠の稽古を見て

 何故、1時間もの間、

   息切れもせずに、激しい稽古を続けられるのか?
 


   ※ わが〈しもべ〉たる飼い主は、3月の末に、「ねえ、サロさん。我が人生で奇跡的なことが起こったんだよ。なんだと思う?それはね。この私がco-opの福引きで〈一等賞〉が当たったんだよ!お米5kgだよ。」と大喜びでした。4月にはいると、モダン・アート展(東京都美術館)に行って、「やっぱり、〈本物〉は、落ち着いていて、奥深いよねえ。」とさかんに感心してました。そして、もう一つ変なことは、また剣道に出かけたんだよ。僕は、散歩に影響しないかと心配なんだけどね



   4月にはいり、半年ぶりに、防具を着けて剣道の稽古をしました。6ヶ月間、全く運動しなかったわけではありませんが、やはり、下半身の弱体化やバランス感覚の劣化が感じられ、少し不安な面も感じられました。しかし、久しぶりに見た師匠の姿には、学ぶべきことが沢山あったように感じます。今年度は、私の〈剣道修行〉の総括的な意味をも込めて、週一回程度の稽古を予定しているのですが、今日は、それに向けた目標を考えてみました。

   当日、師匠の前には、県名の入ったゼッケンを着用した、全国大会レベルの若い選手たちが並んでいました。そして、180㎝もあろうと思われる大男を相手に稽古をする師匠の姿は、凄い(!) まるで”牛若丸”のようで、とても「アラ還」とは思えないものでした。相手が強ければ強い程、激しく・強く・鋭く対応するのだなあ、と感心して見入っていましたが、それにしても、どうして、あのような「連中」を相手に1時間もの間激しい稽古を続けられるのでしょうか?!それが、これからの私にも関わる重大な疑問として、私の脳裏に浮かんできたのです。

   師匠も疲れないはずはないのです。実際、数年前、たまたま稽古相手がいないこともあったのでしょう、大事な試合前の「調整」のために、私が20数本(27本だったと記憶している)の打ち込み稽古の元立ちに立ったことがありました。その時の師匠の凄まじい気迫と終わった後の肩で息をするような様子は、今でも記憶にはっきりと残っています。つまり、師匠も疲れるのです。それでは何故、あのような1時間の稽古が可能なのでしょうか。そして、私は、師匠が1年間私に言い続けたことを思い出したのです。

  「力は入らないんですよ。」
  「楽でしょう?!」
  「脱力が鍵でしょう。」 

   なるほど!宮本武蔵が言うように、人間が重くて長いものを振り回すことは不合理だ。それ故に、扱いにくいものをうまく使いこなすこと、すなわち、無理のない、合理的な剣捌きと体捌きが必要なのだ。つまり、師匠は、そうした技術の修得の上に、無理することなく、あの稽古を行っているに違いないのだ。しかし、このことは、師匠の稽古が消極的であるとか、応じ技専門であるとか言うことでは全くない。逆に、師匠の稽古は、圧倒的に積極的で、アグレッシヴである。ぐいぐい間合をつめて、攻めて行くのである。ところで、この点で思い出されるのが、私が剣道を始めた頃、同じ道場に来ていた、元○○機動隊の隊長(7段)だったというの人の稽古である。年齢は70歳にも達しようかと思われるのだが、真っ直ぐにがんがん攻めてくるのである。そして、中心を取られて間合いを詰められるものだから、逃げるのでなければ(!)、不十分な体勢でも打ちに行かざるを得ない。そして、打っても打っても、間合いを詰められ、結局、最後には追い回されている感じにすらなってしまうのだった。さらに、師匠の場合には、こうした過程の中で、(大袈裟とも感じられるような)強烈な一撃が繰り出されるというわけだ。そして、この安定した攻めは、きっと、ほとんど、疲労を生み出さないものになっているのであろう。

   ということで、今年の目標は、如何に、〈 無理せず、楽に、疲れないで 〉、剣道ができるのかを追求し、また、力を抜きながら、中心をとり、「どうするんですか?!」とがんがん攻めてみたいと考えています。
 
   前回は、稽古が不足しており、恥ずかしくて師匠の前には立てませんでしたが、今年中には、一度ぐらい、お手合わせ願えるよう頑張りたいと思っています。(さて、どうなりますことやら。)

   
修行の道は遠い しかし、路傍のタンポポは美しい

DSC_1705タンポポ

プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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