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SAMURAI SPIRIT 全8作を見て―――「武士の情」をこそ

  正月2日、ペタス氏の回想と字幕スーパー付きの『SAMURAI SPIRIT』全8作を観ることが出来、改めて、このシリーズの素晴らしさを感じとることが出ました。昨年、私は、弓道と相撲を除く6作品をBSとYouTubeで見ていましたが、その中で、私は、そこで示唆されていた日本武道に息づく<究極的理想としての「平和」>という視点に触発され、これまで読んで来た『兵法家伝書』や『五輪書』などの古典を改めて再読し、そのことを再確認しようとしてきました。それが、これまでこのブログで書いてきた「SAMURAI SPIRIT」のシリーズです。
  人を殺してでも戦いに勝つことを仕事とするはずの武士が、実は、人殺しは勿論のこと争いすらも避け、「平和」を求めているということ、それは矛盾ではないのか。とりわけ、日常的に報じられている殺人や戦争、そして、身近にも存在しそうな「競争」好きの「乱暴者」たちのことを考えると、そうした考えは空理空論としか感じられないこともあるでしょう。しかし、よく考えてみると、一部の「攻撃的精神病質者」-「社会病質者」は別として、多くの人々にとって―――たとえ、彼らが〈競争〉好きな性格の持ち主だとしても―――、〈人を殺すこと〉の恐怖やおぞましさは越えることの非常に難しい壁を意味するはずなのです。そうであるからこそ、D・グロスマンが紹介したように、第2次世界大戦中のアメリカのライフル銃兵の発砲率は15~20%だったのであり、また、「切捨て御免」だったはずの江戸時代の武士も、「武家は百姓町人を斬棄(きりす)てるといいながら、実際に斬棄てたる者なきが如く・・・」(福沢諭吉『新女大学』)という状況であったのだろうと思われます。そして、なにより、昨今しばしば報道されている戦争による多くのPTSDの発症こそ、そうしたことの現実的証左であるに違いありません。
  
   ところで、こうした〈人間的事実〉に対して、そうした殺人や争いを正当化ないし〈無化〉する思想が生み出され、また、それを克服しようとするさまざまな訓練がおこなわれてきた事も事実です。家族や共同体あるいは神への〈奉仕〉を強調すること、敵対する相手を憎み抜くこと・抜かせること、あるいは、敵を同じ血の通った人間と意識せず、心を乱さず、迷うこともなく、条件反射的に攻撃出来るように訓練すること(いわゆる「無心」や「平常心」も、戦場においては、そうした側面を持っていたのでしょう。)、等々。こうした点の現代的事例については、D・グロスマンの『戦争における「人殺し」の心理学』をぜひ参照していただければと思います。
   
   しかし、他方、そうした殺人や争いをなくしていこうとする思想や訓練も存在してきました。その代表は、さまざまな宗教―――勿論、その「真正」なるもの―――でしょう。日本の場合、それは神道であり、仏教であり、(儒教であり、)キリスト教であったと思われます。ただ、私は、日本の武士たちは、そうした宗教的な水準とは別に、彼らの実践的な武道の追求の中から、固有の思想や価値観を生み出していたのではないかという感想をえています。そして、そうした価値観を象徴する言葉が、『武士の〈情け〉』だったのではないでしょうか。たとえば、武士は、職業的な武人として修羅場に立ち、同じ立場の相手と生死を賭けて闘うのですが、本心は、〈殺したくない〉のです。多くの武士たちは、こうした感情を非常に大切なものと考え、それを理解するものこそが本当の武士に他ならないと考えていたのではないでしょうか。そして、この〈情け〉とは、神からの命令としてあるのではなく、実践の場の中から彼らが感じ取った、相手に対する同じ人間としての〈共感〉、そして、相手との相互的な尊重の感覚、それらを自覚的に表現したものだったと考えられるのです。新渡戸稲造は、『武士道』・第5章「仁・惻隠の心」の中で、この「武士の情け」にも触れていますが、そこで取り上げられた平敦盛と熊谷次郎直実の説話とは、単に彼ら武士の武功を「美化」するといっただけのものではなく、彼らの人間としての本心に迫るものであったと私には思われるのです。
  
   〈人を殺すこと〉に最も近く、それと真正面から向き合わざるをえなかった彼らが、その厳しい戦いと修行の中で獲得した精神性、あるいは、その求道的探求の中で獲得すべきと考えた精神性とは、まさしく、人としての生きる「道」を指し示す、『武士の〈情け〉』(―「人格と生命の尊重」)だったのではないでしょうか。こうした精神性に導かれたとすることによってこそ、ただ単に相手を倒し戦いに勝つということではなく、戦いの中で「殺されない」→「殺さない」→「争い自体を避ける」といった、「平和」への志向性も理解できるでしょう。そして、こうした〈情け〉なる感情が、例えば、ルソーのピティエ=「憐憫の情」(『人間不平等起源論』)そしてアダム・スミスの「同感」=シンパシー(『道徳感情論』)などとも通底する、人類共通の普遍性を有しているだろう事は容易に想像しえることです。確かに、そうした感情が、理論的に高い水準で展開されることはありませんでした。しかし、それは、逆に、単なる観念的な構築物としてではなく、日本武道の「形」や「技」の中にまさしく具体的な〈姿〉をとって生き続けているのです。こうして、「SAMURAI SPIRIT」は、世界的にも珍しい、戦いを職業とする武人たちが生み出した、人間同士の〈相互的尊重〉と〈平和〉を希求する、芳しい香りを放つ思想として、これからも世界中の人々を魅了し続けていくに違いないと思われるのです。

 「サロさん、私は、今、先を取って打ちに行く練習をしなければならないとは思ってるんですよ。でも、それは、そうした先制攻撃に応じることができるようにするためであって、その先には、先制攻撃をせずに、相手を制することのできるような境地、それがあればなって思ってのことなんですよね。」
 「ふ~ん。でも、昨日も腰が痛いって言ってたよね。年齢のことも考えて、無理しないでよ。散歩に行けなくなっちゃうから。」
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SAMURAI SPIRIT・宮本武蔵・剣の理法の探求(3)

  ところで、武蔵の「求道」的姿勢は認めるにしても、彼の「(軍事的)勝利至上主義」といっていい兵法の具体的あり様は、あまり<美しい>ものではなかったかもしれません。たとえば、小説や映画に描かれる吉岡一門との戦いなどはその一例でしょう。ただ、事実がどうだったとしても、武蔵が強調した「勝つ」事へのこだわりは、彼が生きた「戦国時代」という時代状況、そして、彼が属した階層の性格を考えれば、十分理解しうる範囲内にあるといえるでしょう。彼らは、「社会病質者」や「粗野な乱暴者」たちを含む武装した「敵」と白兵戦を闘ったのであり、そして、そもそも、「人殺し」をともなう戦争や闘いが美しいことなどあろうはずはないからです。
  
   しかし、今回、私は、『五輪書』や島田美術館所蔵の『宮本武蔵像』(自画像?)などを見直していくことで、やはり、その中に、武蔵の追求した<合理性の美しさ>や「求道」の到達点を見出すことが出来たと感じているのです。たとえば、『五輪書』・「水乃巻」で武蔵が描いて見せた、生死を決する<一撃>の有様を想像してみると、それは、まさしく「気剣体」の一致した<美しい>一撃に他ならないように思われるのです。勿論、荒ぶる行為・実践の中から、<美しいもの>が生まれ出るとすれば、それは、いわゆる「求道的な精神」を媒介にしてしか可能ではないと私は思います。それは、ただ自分だけが勝てばいいというのではなく、他者をも感動させるような、精神的・身体的に<完成>された、<天晴れな>一撃(「一本」)であり、それへ向かっての努力です。それらこそ『五輪書』が示してくれているものでしょう。そして、それは、「剣道」という特定の領域の中で追求されながらも、さらにそれを通して<普遍>へと到る、極めて大切なものを私たちに示してくれているに違いありません。
  ところで、武蔵が現代に生き、その「求道精神」を現代剣道に適用した場合、それはどのようなものになったのでしょうか。勿論、現代における「剣道」は実際の争いの中で相手を殺傷することを目的とするものではありません(そのような目的を設定すること自体現実的な「合理性」を持たないでしょう)。しかし、武蔵のそれは、あくまでも、「剣の理法」の徹底的に合理的な追求になったであろうと考えられます。そして、そうした道の追求からこそ、逞しく美しい技、志を同じくする者同士の相互的な尊重、そして、共に生きる-「平和」の境地が示されることになったのではないでしょうか。
  新渡戸稲造は、日本においては、「武士道」が、キリスト教のような宗教に代って、<倫理的・道徳的>なものを提供することが出来たと述べていますが、「武士道」が様々な宗教や思想の影響の下に形成されたのは事実だとしても、それは、あくまでも、日本武道の「求道精神」こそが、<主体的に>そうした<倫理的・道徳的>なものを掴み得たということだと思うのです。そして、それは、ギリシャにおける(平和の祭典たる)オリンピック精神や西欧で発達した「スポーツ」のフェアプレーの精神(それとキリスト教との関係はわかりませんが)と共通するものを持つのだとも考えられましょう。

  それでは、最後に、宮本武蔵と「平和」との関係を検討しておきます。ところで、NHK-BSの「SAMURAI SPIRIT」は、「平和」を求める沖縄空手の精神の中に、いわゆる「武士道」精神があったのではないかと示唆していますが、この指摘は、歴史的に考えるならば、大いに疑問だといわざるをえないでしょう。そうではなく、問題のポイントは、沖縄空手も剣道も、共に、同じ「武道」としてのあり方の中から、その究極的な目標としての「平和」を掴み得たのではないかということなのです。甲野善紀氏は、無住心剣術に関連させて、次のような見解を明らかにしています。
  「・・・日本の武士は『人を殺す』という極悪行為に対するひけ目や怯みを払う独特の思想を形成させていったが、やはり人間である以上そのことに対して本能の奥底に強い抵抗があったことは当然であろう。そうした武士たちの心の奥底の思い―――武を肯定しつつも、人を殺さずに済ませることを願う―――に具体的な形で答えたものが、無住心剣術の特色として日本剣術史上著名な「相ヌケ」であろう。」(『剣の精神誌』)
  ここは、無住心剣術について論じる場ではありませんが、私は、剣の達人たちの著作の中に、同様な心のメカニズムを感じることができるのです。つまり、「剣の理法」追求の<直接的な>到達点は剣によって人を殺して勝利を得ることですが、日本の「武道」家たちは、さらに、こうした「武道」の否定的側面を止揚して、「人を殺さずに済ませる」―「共に生きる」というところまで進もうとしたということなのです。先に、人殺し・戦争・闘いが美しいはずはないと書きましたが、もしそれらが正当化されるとすれば、それは、殺人をも正当化する、家族や同胞そして共同体や国家の為に払われる献身や自己犠牲であったことでしょう(ただ、これらの側面を政治的に利用し、自らは安全な場所にいながら、そうした側面を一般的・抽象的に声高に強調し、人を死地に追いやることほど<醜い>ことはないのですが)。実際、ごく普通の人々にとって、武を志す理由のほとんどは、自分や仲間・家族を守る為であったと思われます。しかし、そうした防衛的行為とそれへの献身は、必ずしも、「殺人」を必要とするわけではないのです。これまで論じてきた、柳生宗矩の「無刀」や勝海舟の「手捕り」はこうした志向性を表すものと私は考えます。また、(一刀正伝)無刀流の山岡鉄舟は、「然れども余、未だ嘗(か)って殺生を試みたる事なきのみならず、一点他人に加害したる事も亦あらざるなり。」(『修心要領』)と述べています。剣の道に真正面から取り組んだ先人の心とはかくのごときものであったのです。

  それでは、宮本武蔵はどうだったのでしょうか。彼は、晩年、「人は人に切られるものではない」と言っていたと勝海舟は述べていますが、その意味はどのようなものだったのでしょうか。それに対する私の考えは、武蔵も晩年柳生宗矩の「無刀」のごとき境地に到達していただろう、というものです。こうした判断の理由のひとつは、先に言及した晩年の『宮本武蔵像』です。以前、我師匠は、それについて、「あれが自然体ですね」といったことがありました。そして、現在、私も、晩年の武蔵の「間」と「拍子」にとってあれが攻守自由自在な自然体なのだ、と理解できるような気がしています。それには一部のスキもないのですが、同時に、又、決して攻撃的なものでもなく、相手の攻撃を抑止する気迫にあふれているものといってよいでしょう。
  また、彼は、『五輪書』のなかで、「求道」の到達点としての『空』の境地について次のように述べています。
 「武士は兵法の道を慥(たしか)に覚へ、其外(そのほか)武芸を能くつとめ、武士のおこなう道、少しもくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二つの心をみがき、観見二つの眼をとぎ、少しもくもりなく、まよいの雲の晴れたる所こそ、実の空としるべき也」(『五輪書』空乃巻)
  私は、この「空」の境地とあの晩年の『武蔵像』は明らかに重なっているものと考えます。 人は切られるのではないかという恐怖心ゆえにこちらからも人を切ろうとする。そして、このことは相手側にもいえる。武蔵は、こうした恐怖心を必勝不敗の(『空』の)境地への到達によって乗り越えていたのではないでしょうか。さすれば、自分を守るために先を取って人を切る必要もないのだから、(極一部の社会病質者や素人はべつとして)、相手もリスクを犯してまで切りかかってくることもないであろう。あの居合道の達人の姿を思い浮かべていただきたい。晩年の『武蔵像』は二刀を帯びていると言う意味で、「勢力均衡論」(反撃される恐怖によって先制攻撃を抑止する)に近いものを感じますが、これは、自らの先制攻撃を否定し、いわゆる専守防衛に徹することによって争いを抑止しようとする、「平和」を求める新しい水準を示していたといってよいでしょう。そして、海舟の言う最後には刀を持つこともなかったという武蔵晩年の境地は、柳生宗徳の「無刀」の境地に限りなく近いものだったと考えてよいのではないでしょうか。
 しかし、それが、確かに、海舟、そして、ガンディー、キング牧師らの水準に到るには、もう一歩の思想的あるいは宗教的飛躍が必要であるかも知れませんが。

  「サロさん。師匠にお世話になった感謝の気持ちも込めて、剣道についてこれまでに考えてきたことを書いてきたけれど、こんなものでいいんだろうかね。どう思う。」
  「どうかな。もっと一生懸命「剣の道」と向かい合って、痛い思いをしたほうがよく判るんだと思うけどね。でも、僕と一緒に散歩してた方が無難だと思うよ。」

SAMURAI SPIRIT・宮本武蔵・剣の理法の探求(2)

  さて、私が感じた『五輪書』の魅力とは、「剣の理法」の徹底的に「合理」的な追求、そして、そのいわゆる「求道」的追求ということでした。つまり、武蔵にとって、戦いに「勝つ」ためには、千変万化の状況に対して柔軟・適切に対応できなければならないのであって、そのためには、その精神的・身体的諸条件が徹底的に合理的に理論化される必要があったのだと思います。『五輪書』の中に見られる、この<実戦>に即した理論的追求の<迫力>は、ここに詳述する必要もないでしょう。こうしたなかでは、禅の思想にも通ずるといわれる「平常心」も、何か倫理的、人間形成的な意味においてとらえられているわけではなく、まさに、「勝つ」ためには絶対に必要な、「兵法の心持」に他ならないのです。この他、「身なり」、「目付け」等々、さまざまな武器とわが身を自由自在に使いこなすための実践的追求は、実に見事なものと感じざるをえないでしょう。
  それでは、何が、彼をして、そうした「剣の理法」の徹底的に合理的な追求に向かわせたのでしょうか。それは、日本封建制国家の家臣団(官僚・軍人)の「心構え」としての『武士道』だったのでしょうか。私の受けた印象は、それとは全く異なるものです。すなわち、武蔵のそうした追求が可能だったのは、まさしく、彼が「封建的な道徳」の言説から距離を置き、時代と国を超えたより普遍的な『「武」道』精神に則ったからに他ならないと思うのです。彼が「兵法の道」を「大工」に喩えて論じていることの意味は決して軽くはありません。すなわち、彼の「兵法の道」は、狭い封建時代の武士身分のそれを超え、全ての時代と全ての職業(あるいは全ての人々の生き方)にも通じる普遍性―――それを「求道精神」と呼んでいいと思いますが―――を有していたということです。こうしたことから、『五輪書』は、武道たる剣道を学ぶ現代の私たちにも極めて実践的な示唆を与えてくれると同時に、世阿弥の『花伝書』やシュリーマンの『古代への情熱』と同じような感動を与えてくれるのでしょう
  これに対して、剣道を学ぶことが「剣の理法」を学ぶことに違いはないとしても、その「剣の理法」を学ぶことが、その奥にある、(封建的官僚・軍人たる)「武士の精神」、たとえば、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」て、「忠君愛国」のために命をささげることを学ぶというようなことであるならば、それは、もう、時代と国を超える、普遍性をもちえないでしょう。そうではなく、現代に生きるわれわれにとって大切なのは、剣道がもつ歴史的特殊性を忘れてはならないのは勿論のことですが、剣道そしていわゆる「武士道」がいかに時代と文化を超えた普遍性を持ちえていたかを探ることだと思われます。こうした意味においては、外国人が剣道に寄せる興味や関心は、大変示唆的であると思います。例えば、『SAMURAI SPIRIT <剣道編>』において、Alexander Bennett氏は、剣道にとって非常に大切な精神面での成長を『四戒(驚・懼・疑・惑)』の克服ととらえていましたが、これなどは、明らかに、世界の武道にとって普遍的な意味を持ちうることだろうからです。また、<捨てる>「勇気と胆力」も、武道にとって普遍的意味を持つでしょう。恐怖に身をすくめていては、勝機はないからです。勝海舟は、冷静に、ある<人間精神上の作用>について、次のように述べています。
(俺は)「危機に際会して逃れられぬ場合と見たら、まず身命を捨ててかかった。」
「俺はこの人間精神上の作用を悟了して、いつもまず勝敗の念を度外に置き、虚心坦懐、事変に処した。」(『氷川清話』)
  しかし、この「命を捨ててかかること」は、『葉隠』的な意味でとらえてはいけないのです。命を賭けることは、蛮勇でも、すてばちでも、そして、義のためでなく「私」のためでも可能なことなのですから。海舟は次のようにも言っています。 
「死を恐れる人間はもちろん談すに足らないけれども、死を急ぐ人も、また決して褒められないョ。日本人は一体に神経過敏だから、必ず死を急ぐか、または、死を懼れるものばかりだ。こんな人間は、ともに天下の大事を語るに足らない。
元亀・天正の間は、実に日本武士の花だった。しかし当時は、ただ死を軽んずるばかりを、武士の本領とするような一種の教育が行われて、ついには一般の風が,事に臨んで死を急ぎ、とにかくに一身を潔うするのをもって、人間の能事が終わったとするようになったのは、実に惜しいものだ。」(『氷川清話』)
  
  長くなりました。ところで、現在の私は、剣の理法を追求していく「求道精神」のなかにこそ、人間の本質的自由と主体性、そして、武道が生み出す美しい「華」(美しい技、人間間の相互的尊重、そして、平和 )を見ることができるだろうと感じているのですが、次回は、武蔵の『五輪書』とそれらとの関係を考えてみたいと思います。

  サーバントさん!昨日はいろいろおいしかったよ。ありがとね
  サロさん、最近太ってるよ。
  
  

SAMURAI SPIRIT・宮本武蔵・剣の理法の探求(1)

 我<しもべ>たる飼い主は、今結構仕事が大変らしけれど、素振りなんかしている時はとても楽しそうなんだ。あと、散歩の時なんかも、大またで踏み出したり、急に左右前後に動いたりするけれど、あれは足さばきの練習なんだって。何が面白いんだろうね。

 さて、私が剣道を始めた頃まず感じたのは、「おお、うまくなっていく!」という技術習得の面白さと、「おお、(この齢で)体が喜んでいる!」という身体的快感でした。実に、楽しく、さわやかで、次の稽古日が待ち遠しくてならないくらいでした。そして、そうしたなか、私が初めて読んだ剣道関連の本が、宮本武蔵の『五輪書』だったのです。

  読後、武蔵という人物は、頑固で気難しく付き合いにくい人物だったんだろうなと思う一方、それは、学生時代に読んだ『葉隠』とは印象を全く異にする、いわば「近代」的な、さらに言えば、普遍的-歴史貫通的な人間の「主体性」を感じさせてくれる、大変魅力的なものでした。学生時代の私にとって、『葉隠』的<武士道>は、「武士道といふは、死ぬ事と見附けたり」 という言葉に象徴されるように、極めて短絡的・観念的な印象を与えるばかりではなく(こうした短絡的把握への批判は、武蔵の『五輪書・地の巻』はもとより、沢庵『玲瓏集』、勝海舟『氷川清話』そして、山岡鉄舟『修養論』などにもはっきり見られます)、それは、「小姓の武士道」あるいは平和な時代の「主人もちの思想」、殿様の命令で「小姓」役すら喜々として勤め、上役の命令に唯々諾々と服従して死地に赴く「(小)役人」、すなわち、封建的な「支配―<隷属>」関係・「命令-<服従>」関係をさらに「人格的依存」の水準で受容した、『役人』・『兵士』の、(「仁義礼智信」というよりは)「忠君愛国」といった徳目でかざられた、従者の「覚悟」としか感じられませんでした。

  これに対して、武蔵の「兵法」(武士)の道は、もっと<主体>的で、近代的な「自己実現」のそれに近い、「剣」一筋で身を立て、一国一城の主たらんとする意志さえ感じられるものでした。武蔵は、他の諸芸・諸能の道(仏・儒・医・和歌などの道、そして、農・工・商の道)との対比において、まさしく「兵法」の道を<理論>として確立し、その道を極めようとしました(「求道」精神。この対比において、各々の道は「対等」なものと把握されるばかりではなく、かえって、兵法はその追及の深さにおいて他の諸道に遅れをとっているとさえ認識されていたのです。)そして、兵法について、次のように述べられます。
 「大形の武士の思う心をはかるに、武士は只死ぬるという道を嗜む事と覚ゆるほどの儀也。死する道におゐては、武士斗(ばかり)にかぎらず、出家にても、女にても、百姓己下(いか)に至る迄、義理をしり、恥をおもひ、死する所を思ひきる事は、其差別なきもの也。武士の兵法をおこなふ道は、何事におゐても人にすぐるゝ所を本とし、或は一身に切合にかち、或は数人の戦に勝ち、主君の為、我身のため、名を上げ身をたてんと思ふ。是、兵法の徳をもってなり。」

  武蔵は「剣術実(まこと)のみちになって、敵とたたかひ勝つ事、_此(この)法聊(いささ)か替わる事あるべからず。」(火乃巻)とも述べていますが、彼にとって、兵法が兵法であるとは―――宗教家が人を救い、医者が病を治し、歌道者が和歌の道を教えるように―――、いわば<武>の専門家として、狭義においては、まず個別的な戦闘において勝つことこそが重要なのです。彼は、さらに、広義の兵法(=「政治」)についても次のように言っています。少し長くなるが引用しておきましょう。
 「此法を学び得ては、一身にして二十三十の敵にもまくべき道にあらず。先ず気に兵法をたえさず、直なる道を勤めては、手にて打ち勝ち、目に見える事も人にかち、又鍛錬をもって惣躰自由(やわらか)になれば、身にても人にかち、又此道に馴れたるこころなれば、心をもって人に勝ち、此所に至りては、いかにとして人にまくる道あらんや。又大きなる兵法にしては,善人(よきひと)を持つ事にかち,人数をつかふ事にかち、身をたゞしくおこなふ道にかち、国を治むる事にかち、民をやしなふ事にかち、世の例法をおこないかち、いづれの道におゐても、人にまけざる所をしりて、身をたすけ、名をたすくる所、是兵法の道也。」(地乃巻)

  このように、武蔵にとって、兵法の根本とは、たたかいに「勝つ」ことに他なりません。ここには、何か一般的・抽象的な道徳的目標のために兵法があるという道学者的な理由付けはありません。それは、医、和歌、大工などの専門家としての道が、たとえば、「忠君愛国」の為にあるのではないのと同じでしょう―――もちろん、それらの道が、さまざまな時代や地域において、より広い<共同体>や<国家>或は<神>に関係づけられることはよく見られることでしょうが。これに対して、武蔵の場合、もしなんらかの目標があるとすれば、それは、並列におかれた主君と我身の「立身」・「功名」ということになるでしょうか。そして、こうしたスタンスのもとで、必勝不敗の身体的・精神的諸条件の徹底的に合理的な探求が行われたわけです。そして、これこそが『五輪書』の持つ最も大きな特徴であり、魅力ということができましょう。

  もちろん、こうした勝利に徹底的にこだわる姿勢は、明らかに、『平家物語』の「武士道」(それは<武>に携わる同業者間のシンパシーに基づくものだ)とも、柳生宗矩の「武士道」(活人剣)とも異なっているといえるでしょう。そして、それは、「兵法勝負の道におゐては、何事も先手々々と心懸くる事也。」(風乃巻)という表現に見られるように、「平和」の追求どころか、専守防衛ならぬ「先手必勝」の先制攻撃論を、手段を選ばない奇襲をはじめとするとするさまざまな謀略-「はかりごと」を当然視させるに至るものかもしれません。そして、現実の歴史においても、『五輪書』の記述は、美しく飾られた目的に正当化されつつ、確かにそうした読み方もなされてきたはずです。

  しかし、それでいいのか。現代において、私たちは、『五輪書』をどのように読むことが出来るのか、その魅力はどこにあるのか。次回は、それを再度考えてみたいと思います。    サロさん。君、本当に元気だねえ。

SAMURAI SPIRIT・柳生宗矩の『無刀』の心とは(2)

  僕は、我<しもべ>たる飼い主と一緒で、花粉症があるんだよ。おまけに、アレルギーで耳が痒くなることもあるので、おやつはイモ類だけなんだよ。でも、昨日は、とうとう耳がおかしくなって、頭の形が鉄腕アトムみたいになっちゃったんだ。夜の散歩で動物病院によってチック2本(汗)、そして、薬ももらってきたんだ。早く直ると良いんだけど。さて、我<しもべ>たる飼い主、続きは書けたのかな。

  もちろん、『兵法家伝書』における「活人剣」の思想は、武力行使や殺人そのものを否定しているのではありません。逆に、それをある意味で正当化しようとしたものともいえましょう。宗矩は次のように言っています。
 「古にいえる事あり。『兵は不祥の器なり。天道之を悪む。止むことを獲ずして之を用ゐる,是れ天道也』と。」すなわち、「一人の悪に依りて万人苦しむ事あり。しかるに、一人の悪をころして万人をいかす。是等誠に、人をころす刀は、人をいかすつるぎなるべきにや。」また、「人をころす刀、却而(かえって)人をいかすつるぎ也とは、夫れ乱れたる世には、故なき者多く死する也。乱れたる世を治める為に、殺人刀を用ゐて、巳(すでに)に治まる時は、殺人刀即ち活人剣ならずや」と。
 ここには、自分たちの武力行使と殺人は、万人を苦しめる悪を倒し、乱世を平定することによって、多くの人々を生かすためのもだという「活人剣」の「理想」が語られています。もちろん、こうした「理想」は、封建的支配層の、さらに、天下を平定した徳川家臣団の欺瞞的な自己正当化に過ぎないということも可能であると思います。そして、こうした観点からは、自己権力の確立・維持のために、高い理想(「厭離穢土 欣求浄土」・「活人剣」など)を振りかざしながら、「虚心」かつ「自由自在」に権謀術数を行使し、敵を掃討していった宗矩像が描かれるかもしれません。
 しかし、私は、こうした彼の「言い訳」の中にこそ、「平和」を志向する彼の基本的な姿勢が伺えると思うのです。すなわち、彼の議論の前提には、道教(や儒教)の「天道(物を殺さず生かす)」思想や禅の思想などを見出すことができますが、大切なのはそうした人類共生の「理想」を基本的に受け入れた彼の姿勢あるいは資質にあると思うのです。彼は、もともと争いごとや「殺人」を好まない人物だったにちがいありません。彼は、兵法の根本たる「略(はかりごと)」についてさえ次のように言わずにはいられないのです。
 「表裏は兵法の根本也。表裏とは略(はかりごと)也。偽りを以って真を得る也。・・・略は偽りなれ共、偽りをもって人をやぶらずして(害することなく、相手をいため傷つけないで)勝つときは、偽り終に真と成る也。」
 さらに、彼は、こうした「志向性」を極めて大切なものとし、それに忠実たらんとしたと考えられます。すなわち、宗矩は長男の十兵衛を廃嫡にし、さらに、新陰流の後継者を鍋島元茂としていますが、それはなぜだったのでしょうか。彼は『兵法家伝書』の中で次のように書いています。
 「兵法は人をきるとばかりおもふは、ひがごと也。人をきるにはあらず、悪をころす也。一人の悪をころして、万人をいかすはかりごと也。今此三巻にしるすは、家を出でざる書(注:門外不出の秘書)也。しかあれど、道は秘するにあらず。秘するは、しらせむが為也(注:流儀の術・理を秘伝とするのは、道統の純粋さを守り、真に伝えるに足る人物にこれを伝えたいためである)。しられざれば、書なきに同じ。子孫よく之を思へ。」
  こうした内容から推し量ると、十兵衛は、宗矩にとって、「道統の純粋さを守り、真に伝えるに足る人物」ではなかったということになります。さすれば、いわゆる十兵衛の「行状不良」の中には、たとえば、強さを求めて果し合いなどを好む性向のごときものがあり、そして、そうした性向は、石舟斎から宗矩へと受け継がれた(究極的には『無刀』に到る)「活人剣」の思想とは相容れなかったと考えるほかないのではないでしょうか。宗矩は、勝海舟のように「殺人」それ自体を否定するほど徹底していたのではありませんが、明らかに、「平和」を志向する性格類型に属する人物だったといえるでしょう。
  私が最も評価する本の一つに元アメリカ陸軍士官学校教授のデーヴ・グロスマンの『戦争における「人殺し」の心理学』があります。そのなかで、彼は、「人間に生来備わっている同種殺しに対する強力な抵抗感」(平均的な人間には、同類たる人間を殺すことへの抵抗感が存在する)について述べるとともに、2%の「生まれながらの兵士」=殺人嗜好者(強制された場合もしくは正当な理由を与えられた場合、後悔や自責の念を感じずに人を殺すことが出来る)の存在を指摘しています。さらに、彼は、アメリカ精神医学会『精神障害の診断と統計の手引き』第三版によりながら、国内男子のおよそ三パーセントにあたる、攻撃性の高い、自らの行為が他者に及ぼす影響に自責の念をもたない<反社会的人格障害者>(社会病質者)の存在を指摘した上で、次のように述べます。
「攻撃性には遺伝的素因がある。このことは有力な証拠で裏付けられている。・・・しかし、この素因が完全に発達して攻撃性となって現れるには、環境的な要因も作用する。つまり、遺伝的素因と環境的要因とがあい待って人は殺人者となるわけだ。だがそれだけではない。他者への感情移入能力の有無という要因もある。この感情移入の能力にも、おそらくは生物的および環境的要因が働いているだろうが、どちらに起因するにせよ、他者の痛みを感じ理解できる者とできない者がはっきり分かれることはまちがいない。攻撃性があって感情移入力のない者は社会病質者となる。いっぽう攻撃性はあるが感情移入能力もある場合は、社会病質者とは全く異なる種類の人間になるのである。」
  私は、武士のような強大な武力を持ったものが、自己利益の実現のために、何のためらいもなく、粗野でむき出しの物理的強制力を行使するといったことは、危険極まりないものと考えます。そうした意味において、柳生宗矩が、身を立て名を上げるために、敵を斬り倒し、自らの強さを誇って獅子吼をあげるといった人物ではなかったこと、そして、さらに、彼が自らのそうした志向性を思想にまで高め、他の武士たちに大きな影響を与えていったことは、極めて幸いなことであったと思います。
  確かに、新渡戸が言うように、「人の中にある戦いの本能は普遍的かつ自然的」なことであり、さらに、グロスマンが言うように、少数ではあっても「殺人」を好む社会病質者さえ存在しているかもしれません。しかし、他方、人間のなかには、古今東西の優れた思想家、哲学者、宗教家そして科学者たちが見事に抽出して見せたような、同類に対する哀れみ、慈悲、愛、共感等々が存在することも確かなことに違いありません。そして、わが国の歴史にあっては、まさしく「武人」のなかに、人間にとってけっして「善」ではありえない暴力の痛み、恐怖、残酷さを最もよく知り尽くす者として、両者の矛盾を乗り越え、“理想”の“平和”を強い意志をもって希求する人間を輩出してきたのです。たとえば、宗矩と同じ新陰流の流れにある「無住心剣術」における「相ヌケ」は、まさに、激しい修行の末に、その生死を分ける一瞬において、お互いが「打てない、打たれない」の境地に到達しようとしたものと言われています。(これについては、甲野善紀『剣の精神史―――無住心剣術の系譜と思想』などを参照してください。)
  最近力を増しているようにも思われる、商業主義的で、粗野な、暴力礼賛的風潮に対し、これまでみてきたように形成・継承されてきた日本武道のSAMURA SPIRIT―――『平和主義』―――は、まさしく、世界武道の『華』として、これからも人々を魅了し続けるにちがいないと私は思っています。(次回は、『五輪書』を読みながら、「剣の理法」について考えます。)

サロさん、耳は大丈夫かな。気晴らしに、散歩にでも行きますか?

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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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