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サロ 満五歳 

 

今日は主役で!


「今日(11・29)は、語呂合わせで、『いい肉』が出たんだよ!」



  サロさん!5歳の誕生日おめでとう!
   昨日は、トリプル・ハイタッチ(右-左-両方)を
    5分でマスターして、たいしたもんでした。

  耳のアレルギーや結石なんかで苦労したこともあったけれど、
   それも今は昔。毎朝、びゅんびゅん走る姿は健康そのものです。
       
  これから寒くなるので、早く冬毛に着替えちゃってください。
   家の中も大変だから。
    さあ、今年の冬はいい冬になりそうだね。

                  サーヴァント・ムリキ より

     

   
    
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SAMURAI SPIRIT・柳生宗矩の『無刀』の心とは(2)

  僕は、我<しもべ>たる飼い主と一緒で、花粉症があるんだよ。おまけに、アレルギーで耳が痒くなることもあるので、おやつはイモ類だけなんだよ。でも、昨日は、とうとう耳がおかしくなって、頭の形が鉄腕アトムみたいになっちゃったんだ。夜の散歩で動物病院によってチック2本(汗)、そして、薬ももらってきたんだ。早く直ると良いんだけど。さて、我<しもべ>たる飼い主、続きは書けたのかな。

  もちろん、『兵法家伝書』における「活人剣」の思想は、武力行使や殺人そのものを否定しているのではありません。逆に、それをある意味で正当化しようとしたものともいえましょう。宗矩は次のように言っています。
 「古にいえる事あり。『兵は不祥の器なり。天道之を悪む。止むことを獲ずして之を用ゐる,是れ天道也』と。」すなわち、「一人の悪に依りて万人苦しむ事あり。しかるに、一人の悪をころして万人をいかす。是等誠に、人をころす刀は、人をいかすつるぎなるべきにや。」また、「人をころす刀、却而(かえって)人をいかすつるぎ也とは、夫れ乱れたる世には、故なき者多く死する也。乱れたる世を治める為に、殺人刀を用ゐて、巳(すでに)に治まる時は、殺人刀即ち活人剣ならずや」と。
 ここには、自分たちの武力行使と殺人は、万人を苦しめる悪を倒し、乱世を平定することによって、多くの人々を生かすためのもだという「活人剣」の「理想」が語られています。もちろん、こうした「理想」は、封建的支配層の、さらに、天下を平定した徳川家臣団の欺瞞的な自己正当化に過ぎないということも可能であると思います。そして、こうした観点からは、自己権力の確立・維持のために、高い理想(「厭離穢土 欣求浄土」・「活人剣」など)を振りかざしながら、「虚心」かつ「自由自在」に権謀術数を行使し、敵を掃討していった宗矩像が描かれるかもしれません。
 しかし、私は、こうした彼の「言い訳」の中にこそ、「平和」を志向する彼の基本的な姿勢が伺えると思うのです。すなわち、彼の議論の前提には、道教(や儒教)の「天道(物を殺さず生かす)」思想や禅の思想などを見出すことができますが、大切なのはそうした人類共生の「理想」を基本的に受け入れた彼の姿勢あるいは資質にあると思うのです。彼は、もともと争いごとや「殺人」を好まない人物だったにちがいありません。彼は、兵法の根本たる「略(はかりごと)」についてさえ次のように言わずにはいられないのです。
 「表裏は兵法の根本也。表裏とは略(はかりごと)也。偽りを以って真を得る也。・・・略は偽りなれ共、偽りをもって人をやぶらずして(害することなく、相手をいため傷つけないで)勝つときは、偽り終に真と成る也。」
 さらに、彼は、こうした「志向性」を極めて大切なものとし、それに忠実たらんとしたと考えられます。すなわち、宗矩は長男の十兵衛を廃嫡にし、さらに、新陰流の後継者を鍋島元茂としていますが、それはなぜだったのでしょうか。彼は『兵法家伝書』の中で次のように書いています。
 「兵法は人をきるとばかりおもふは、ひがごと也。人をきるにはあらず、悪をころす也。一人の悪をころして、万人をいかすはかりごと也。今此三巻にしるすは、家を出でざる書(注:門外不出の秘書)也。しかあれど、道は秘するにあらず。秘するは、しらせむが為也(注:流儀の術・理を秘伝とするのは、道統の純粋さを守り、真に伝えるに足る人物にこれを伝えたいためである)。しられざれば、書なきに同じ。子孫よく之を思へ。」
  こうした内容から推し量ると、十兵衛は、宗矩にとって、「道統の純粋さを守り、真に伝えるに足る人物」ではなかったということになります。さすれば、いわゆる十兵衛の「行状不良」の中には、たとえば、強さを求めて果し合いなどを好む性向のごときものがあり、そして、そうした性向は、石舟斎から宗矩へと受け継がれた(究極的には『無刀』に到る)「活人剣」の思想とは相容れなかったと考えるほかないのではないでしょうか。宗矩は、勝海舟のように「殺人」それ自体を否定するほど徹底していたのではありませんが、明らかに、「平和」を志向する性格類型に属する人物だったといえるでしょう。
  私が最も評価する本の一つに元アメリカ陸軍士官学校教授のデーヴ・グロスマンの『戦争における「人殺し」の心理学』があります。そのなかで、彼は、「人間に生来備わっている同種殺しに対する強力な抵抗感」(平均的な人間には、同類たる人間を殺すことへの抵抗感が存在する)について述べるとともに、2%の「生まれながらの兵士」=殺人嗜好者(強制された場合もしくは正当な理由を与えられた場合、後悔や自責の念を感じずに人を殺すことが出来る)の存在を指摘しています。さらに、彼は、アメリカ精神医学会『精神障害の診断と統計の手引き』第三版によりながら、国内男子のおよそ三パーセントにあたる、攻撃性の高い、自らの行為が他者に及ぼす影響に自責の念をもたない<反社会的人格障害者>(社会病質者)の存在を指摘した上で、次のように述べます。
「攻撃性には遺伝的素因がある。このことは有力な証拠で裏付けられている。・・・しかし、この素因が完全に発達して攻撃性となって現れるには、環境的な要因も作用する。つまり、遺伝的素因と環境的要因とがあい待って人は殺人者となるわけだ。だがそれだけではない。他者への感情移入能力の有無という要因もある。この感情移入の能力にも、おそらくは生物的および環境的要因が働いているだろうが、どちらに起因するにせよ、他者の痛みを感じ理解できる者とできない者がはっきり分かれることはまちがいない。攻撃性があって感情移入力のない者は社会病質者となる。いっぽう攻撃性はあるが感情移入能力もある場合は、社会病質者とは全く異なる種類の人間になるのである。」
  私は、武士のような強大な武力を持ったものが、自己利益の実現のために、何のためらいもなく、粗野でむき出しの物理的強制力を行使するといったことは、危険極まりないものと考えます。そうした意味において、柳生宗矩が、身を立て名を上げるために、敵を斬り倒し、自らの強さを誇って獅子吼をあげるといった人物ではなかったこと、そして、さらに、彼が自らのそうした志向性を思想にまで高め、他の武士たちに大きな影響を与えていったことは、極めて幸いなことであったと思います。
  確かに、新渡戸が言うように、「人の中にある戦いの本能は普遍的かつ自然的」なことであり、さらに、グロスマンが言うように、少数ではあっても「殺人」を好む社会病質者さえ存在しているかもしれません。しかし、他方、人間のなかには、古今東西の優れた思想家、哲学者、宗教家そして科学者たちが見事に抽出して見せたような、同類に対する哀れみ、慈悲、愛、共感等々が存在することも確かなことに違いありません。そして、わが国の歴史にあっては、まさしく「武人」のなかに、人間にとってけっして「善」ではありえない暴力の痛み、恐怖、残酷さを最もよく知り尽くす者として、両者の矛盾を乗り越え、“理想”の“平和”を強い意志をもって希求する人間を輩出してきたのです。たとえば、宗矩と同じ新陰流の流れにある「無住心剣術」における「相ヌケ」は、まさに、激しい修行の末に、その生死を分ける一瞬において、お互いが「打てない、打たれない」の境地に到達しようとしたものと言われています。(これについては、甲野善紀『剣の精神史―――無住心剣術の系譜と思想』などを参照してください。)
  最近力を増しているようにも思われる、商業主義的で、粗野な、暴力礼賛的風潮に対し、これまでみてきたように形成・継承されてきた日本武道のSAMURA SPIRIT―――『平和主義』―――は、まさしく、世界武道の『華』として、これからも人々を魅了し続けるにちがいないと私は思っています。(次回は、『五輪書』を読みながら、「剣の理法」について考えます。)

サロさん、耳は大丈夫かな。気晴らしに、散歩にでも行きますか?

SAMURAI SPIRIT・柳生宗矩の『無刀』の心とは(1)

 我<しもべ>たる飼い主は、明らかに、二重人格的性格の持ち主だ。普段は「お犬様。お犬様」なんていっているが、僕が小さい頃、何か理由は忘れたが、くしゃみをしながら、僕に「踵(かかと)落とし」を食らわせたんだ。それ以来、くしゃみは僕のトラウマさ。ああ、やだやだ。暴力反対。

 さて、いよいよ、柳生宗矩の『兵法家伝書』・「無刀」の思想についてですが、ネット族になじみ深いWikipediaで検索してみると次のような記述に出会います。
 
 まず、柳生宗矩については、「『活人剣』を提唱し、戦場での一技法に過ぎなかった武術としての剣術に、『活人剣』『剣禅一致』などの概念を組み込むことで、人間としての高みを目指す武道に昇華した」とされています。また、「無刀」については、
「吉川英治の小説『宮本武蔵』、それを原作とした漫画『バガボンド』の影響もあり、一種の悟りの境地、あるいは平和主義的な思想として捉えられる事もあるが、この伝書内で語られる『無刀』は、『わが刀なき時、人にきられじとの無刀也』とある通り、”刀がない状態で危機に陥った際、如何に対処するべきか”という実用重視の護身術的なものである。ただし、宗矩の父・石舟斎は『兵法百首』において『無刀にて きはまるならば 兵法者 こしのかたなは むよう成けり』と歌っており、全く論拠のない創作とも言いがたい部分もある。」とされています。

 この点について、私は、『兵法家伝書』それ自体を読む限りにおいても、「無刀」を単なる『実用重視の護身術的なもの』とだけ狭く捉える事には無理があると思います。なぜなら、宗矩自身が、「無刀は、当流に、是を専一の秘事とする也。身構え、太刀構え、場の位、遠近、うごき、はたらき、つけ、かけ、表裏、悉皆無刀のつもりより出る故に、是簡要の眼也。」と述べおり、まさしく、この「無刀」こそ、新陰流の眼目・奥義を示すものとしているからです。
 すなわち、新陰流のあらゆる術・理に本源とする極意とは、たとえば、「身をばてきちかくふりかけて懸になし、太刀をば待になして、身足手にて敵の先をおびき出して、敵に先をさせて勝つ也」(「表裏をしかけて、敵に手をださせて勝つべき用」、「打にうたれよ、うたれて勝つ心持」、「おそろしげもなく、敵の身へちかづきて、うたせて却而勝つなり」等々)との言葉に表されるとのことですが、これに対して、「無刀」とは、間を極めることにより、相手に接近して、(「機前の兵法」―――敵の気をよく見、予測することによって)相手の「太刀のわが身にあたる座にて取る」つまり「きられてとる」、すなわち、「・・・人の刀をとり、もし又必ずとらず共、おさえてきられぬが勝」とするものです。こうして、両者を比較検討すれば、まさしく、「無刀」とは新陰流の奥義を究極にまで突き詰めた姿にほかならず、そして、それは、先手・先手とこちらから打ち掛かり、相手を斬り殺すことによって勝とするのではなくて、「無刀」の<位>によって相手を制圧し、「切られないこと」をもって勝とするものにほかなりません。ですから、この境地にあっては、自己防衛(「きられぬこと」)が、扇一本あるいは素手によってさえ、相手を殺さずに実現されるわけですから、これを「平和主義」と表現しても、当たらずとも遠からずと言って良いだろうと思うのです。

 足元で寝ている、サロさん!続きはお昼ご飯の後にしますわ。

僕の秋 2

 
秋の朝もや


「季節が変わり 田んぼの景色もね。おもしろいよ!」



落ち葉の公園で


「うれしくなっちゃう」


バラ園に立ち寄る



「秋のバラも落ち着いてていいね」



僕の好きな里山



「生き物がいっぱいなんだよ」



ちょっと一休み



「そろそろ帰って本でも読もうかな」


SAMURAI SPIRIT・勝海舟のピースバンド

 我が<しもべ>たる飼い主は、いよいよ、わけのわからないようなことを口走るようになってきた。苗字がムリキなんで仕方がないとは思うけれど、早く師匠のところに行って稽古をしてきたほうがいいんじゃないのかな、と僕は思うけれど。

 前回は、「武士道」の究極目標が「平和」にあるのではないかという視点に触れたわけですが、実は、私の師匠も、「武闘派」―――実際の試合に出るという意味らしいのですが―――ということなのですが、日常的には極めて柔和で、優しいまなざしをもった人物なのです。確かに、若い人たちとの稽古を見ると確信に満ちた厳しさを強く感じますが、同時に、実によく相手のことを観察し的確なアドヴァイスをしてくれるという意味でも、深い思いやりさえ感じさせる人物なのです。というわけで、彼が「平和」を求めているかどうかは聞いたこともないし判りませんが、その印象は粗暴な「暴力」というものからはほど遠く、むしろ「平和」に近い存在と言ってよいと思うのです。
 ところで、剣道を始めた20年ほど前、読書好きの私は、早速、宮本武蔵の『五輪書』をはじめ、柳生宗矩の『兵法家伝書』、新渡戸稲造の『武士道』そして勝海舟の『海舟座談』や『氷川清話』などを読みました。そして、その時受けた強い印象の一つは、まさしく、武道を極めた武士たちの究極的目標は「闘わない」ことにあるのではないかということだったのです。たとえば、新渡戸稲造は、『武士道』の中で、「武士道がいかなる高さの非闘争的非抵抗的なる柔和にまで能く達しえたるかは、その信奉者の言によって知られる」と述べ、また、あとで見る勝海舟の一文を引用したあと、「『血を流さずに勝つをもって最上の勝利とす』。その他にも同趣旨の諺があるが、これらはいずれも武士道の窮極の理想は結局平和であったことを示している」と述べています。
 というわけで、今回はまず、新渡戸も注目している、勝海舟から見ておきたいと思います。
 
 勝海舟は、言うまでもなく、幕末、幕府海軍の中心人物であり、さらに、幕府陸軍の総裁として江戸城無血開城を実現した、まさしく代表的な幕臣(武士)の一人でした。また、彼は直心影流の免許皆伝で、剣術の腕前も相当なものであったようです。そうした彼が、意外にも、次のようなことを言っているのです。
「私は、人を殺すことが大嫌いで、一人でも殺したことはないよ。・・・刀でも、ひどく丈夫に結わえて、決して抜けないようにしてあった。人に斬られても、こちらは斬らぬという覚悟だった。」(『海舟座談』)
 また、「今とは違って、昔は世の中は物騒で、坂本(龍馬)も広沢(真臣)も斬られてしまい、おれもしばしば危ないめにあった、けれどもおれは、常に丸腰でもって刺客に応対した。」(『氷川清話』)
 幕府軍の最高司令官が実は『非武装主義者』だった?もちろん、政治家としての彼はいわゆる「勢力均衡論者」であったようですが、少なくとも、個人的には、「非武装」を貫いたことは確かなようなのです。それでは、このような生き方はどこから来たのでしょうか。これに関連して、彼は宮本武蔵について次のように言っています。
「この人は、仇があったので、初めは決して膝から両刀を離さなかったが、一旦豁然として大悟するところがあって、人間は、決して他人に殺されるものではない、という信念ができ、それからというものは、まるでこれまでの警戒を解いて、いつも丸腰でいたそうだ。」(『氷川清話』)
 つまり、勝は、<武士>の大先輩である「剣聖」宮本武蔵の真似をしていたといってもいいのかもしれないのです。さらに、彼はけっして無抵抗ではなかったのですが・・・・、
「こうやっていて斬りつけられたことなどは、度々あったが,いつでもこちらは抜いたことはない。始終、手捕りにしたよ。」(『海舟座談』)
 もう、お察しのことと思いますが、この「手捕り」とは、おそらく、これまた<武士>の大々先輩である柳生宗矩の『兵法家伝書』・「活人剣○無刀の巻」に見られるがごとき<無刀取り>を実践したと考えることも可能なのではないでしょうか。それでは、柳生宗矩『兵法家伝書』にみられる思想とはどのようなものだったのでしょうか。
 時間が来ました。これについては、また、次回に論じたいと思います。

追伸。 私は、10年ほど前、西欧の騎士道にも通じているスウェーデン系アメリカ人の青年に、先に引用した勝海舟の「刀でも、ひどく丈夫に結わえて、決して抜けないようにしてあった」ということを話したところ、彼はすぐさまに「それは、ピースバンド(Peace band)だ」と応じたのです。ということは、ヨーロッパの伝統の中にも勝と同じような思想が存在した可能性が大いに考えられるということです。まさしく、「平和」とは、世界の「武道」がもつ普遍的目標であるのかもしれません。

蛇足。彼の話によると、西洋人の『握手』は(友好の証として)袖口に短剣を隠していないことを相互に確認しあうことから始まった、ということでした。

 
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2019年11月現在満13歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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