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SARO-MURIKU 「つぶやき」選集(10)

         2012年9月 尖閣とオスプレイが気になる


    特別になにかをやらなければならないわけでもなく、残された時間もそう多くはないなんてと思うと、「気ままに生きていきたいなあ」などと思うようになります。「わがまま爺さん」の気持ちはかくのごときものだったのでしょうか。と言うことで、ブログの記事もあまり書けていません。そこで、まず、「つぶやき」選集9月編のほうをアップしておきたいと思います。30日まで、追加があります。すいません。


〇 こうの史代原作の『夕凪の街・桜の国』と言う映画を観た。年をとるとどうも涙もろくなっていかん。―――感想:苦悩を真に超えるのは、ベートーベンの如き「英雄的な意志」か、あるいは、この映画の中に描かれているような、「美しい心」・「美しい精神」なんだろうね。


〇この数日のマスコミの論評を見ていて、なんだかんだと言って、野田政権の継続を擁護していますよね。と言うよりも、マスコミは、一般民衆の怒りをかぶってでも、財界をトップとする権力イスタブリッシュメントの政治的利害に照応する政策を推し進める野田を支持せざるを得ないのだ。野田もそれを見透かしてるわけよね。


〇(リツイート) あーるー晴れたー早朝 職場ーへ続く道~♪ 電車がーゴートーゴートー 僕等ーをつれ て く―♪
―――「早朝」よりも「朝早く」の方がよろしいんじゃないでしょうか。Sさん、身につまされますなあ!


〇いやはや、本を読むことがこんなに辛いとは。本の題名は書かないが、1ページ2段組で500ページ近い大著だったせいもあるが、L・ライトの『倒壊する巨塔』やナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』などはあっという間だったからな。それに比較して、この本ときたら・・・ 


〇オスプレイが、人為的ミスを<構造的に>生み出す構造になっていることなんて、自明じゃないですか。われわれ日本国民のリテラシーをなめちゃいけませんよ。―――「オスプレイ 構造的な 人為ミス」


〇「古館に 振り回される 古子狸(又の名を伸晃)」―――高校生のディベートよりもレベル低いぜ。つくづく、野田はエスタブリッシュメントの利害を代表していたんだなあと思う。はっきり言って、本当はもう自民党の出る幕なんてないんだね。―――「民自公 同床異夢で 政局だ」


〇財界(経済同友会・日商)と連合の「決める政治」に関する共同会見は象徴的だ。コーポラティズムという言葉を思い出した。第4権力たるマスコミのフィルターをも突き破って、如何に本当の選択肢を「政治」の水準で確立できるのか、それも問われているのでしょう。


〇日本政府が尖閣の岩の小島を20億円で買うんだって?!それって、埼玉県に住んでいる所有者を儲けさせるだけじゃない。税金の無駄遣いですよ。そんなことよりも、東北の復興に使うべきです。それとも、日本政府は、国有地は守るけれど、私有地は守らないとでも言うのかな。大体支離滅裂なんですよ。―――「 宝くじ 何回当たれば 20億 」


〇石原にちょいと煽られて、たいした考えもなく、国有化などするからこの様なのだ。石原は大喜びだろうけれど、こうなったら、石原にも政府にもちゃんと対応してもらわなければ。日本企業は中国から撤退し、国民も中国製品の不買だね。日米軍事同盟も早速尖閣周辺で演習だい。改憲だ!核武装だ!戦争だ!


〇これ本当の「つぶやき」―――こんな奴に政治を任せてていい訳ないよな。本当に頭にくる。どうしてくれよう。野田は素からのうそつきなんだよ。その言葉のなんて「実」のないことか。森に「真面目で、いい人」といわれるほどの、本物の悪人だ。そして、その悪には、狐や狸の賢さすらないんだから。


〇国家って、国民の意思に反して、原発やら、消費税やら、オスプレイやらを強制的に押し付けてくる組織な訳ね。おまけに、どうしようもない無能力をさらけ出しながら、愚かな国民のご機嫌など取れないと、、リーダーシップとか、、「決められる政治」だのと口走っているとは、笑わせるぜ!


〇つくづく、今の自民党は極右ばかりかと愕然としてしまいます。でも、右翼と言っても、実際は、みんなアメリカのポチのようなひとばかりで、集団的自衛権を認めろというのは、要するに、戦争に行かない爺さんが、日本の若者に、アメリカの盾になって海外で死んで来いといっているわけですよね。―――長いこと『軍縮問題資料』をとっていたことがあったが、古き良き時代の自民党のハト派は半端な左翼よりずっと信頼できました。今は昔でしょう。


〇領土紛争にしたって、日中の国家主義的な政府の勝手な線引きではなくて、実際の沖縄の漁民や台湾の漁民の意見を聞いてみたらいいんじゃないの。そうしたら、両者は昔ながらのお隣さんで、お互い、平和に漁ができればいい、なんてところに落ち着くのではないですか。邪魔しなければ。―――小渕が考えてたのはそんなことだったかもね。そして、資源の共同開発。大局的観点を取れたなら、国有化なんてしませんよ。


〇あと、マスコミでは、領有権を主張する中国側の論拠がほとんど報道されてませんよね。中国がなにいってるのかぜんぜん分からない。国民に日本のものだ日本のものだと刷り込むだけで、これでは、アメリカの領土問題に対する『中立』の理由も分かりませんね。冷戦はもうなく、米中関係は密接なんでしょ。


〇日米同盟で、日本の自衛隊がアフガニスタンなどで戦闘行動に参加して、戦死者を出せば、アメリカが尖閣の日本の領有権を承認したり、竹島の韓国による不当な実効支配を解消させたりすると言うわけですか。本当かよ?!そうならなかったらどう責任取るのかな。


〇しかし、安倍ですか。自民党も大変ですねえ―――(本音)もう終わりですねえ。原発も、外交(尖閣・オスプレイ)も、消費税も、こりゃ無理ですわ。小沢の言葉をそのまま信用するわけではありませんが、「国民の生活を第一」にするのが民主主義の基本だとすると、全くベクトルの向きを異にしてますから。


〇ある人曰く 「私、政治家には絶対お金貸しません。」 「はあ、どおして?」 「だって、信用できないでしょう。」 「・・・・・」(あまりにも、〈うがった〉答えだったので、言葉が出なかった。)


〇マスコミは、なにやら国民が「決められる政治」を熱望しているとか盛んに言っているが、そんな国民私の周りにはいませんけど。そうじゃなくて、一般国民の意向に反して、いろいろなことを決めて押し付けてるんでしょ。要するに、マスコミが、政府や、談合諸政党の政策に賛成なだけなんだ。


〇太陽光発電を入れてから10数年たつが、当時は、ペイできないことを覚悟の上で、新車一台分以上の金を使ったものだった。私のような一般ピープルだって、できるだけ再生可能エネルギーにシフトするべきだと思ったからだ。野田なんかには分からないだろうな。


〇予想通り、解散・総選挙は遠のいていくみたいですね。権力イスタブリッシュメントは、おそらく、野田の「続投」下で、自分たちに有利な法案の国会通過を選択したのでしょう。後は時間をかけて、民主か自民かなどというつまらぬ差異を大げさに垂れ流し、国民にとっての真の選択肢を隠蔽するというわけだ。

〇今、BS-TBSで、野中広務さんの話を聞いた。私が考えていたこととほとんど同じだった。本当に、旧自民党はと派はまっとうだったと思う。領土問題はあった(周恩来らが棚上げしていた――これはマスコミでも報道されてましたよ)。尖閣の共同領有。両国漁民の漁業権の保証。海底資源の共同開発等だ。大局観とは、こういうものだと思う。

○日米同盟がいかなる性格のものか、岩国における飛行訓練と普天間への強制的配備にはっきり表れている。アメリカでは許されない危険なオスプレイの低空飛行を、日本国民には許すのだ。さらに、またしても、沖縄県民を犠牲にしてのことだ。これは、沖縄だけではなく、〈われわれ〉への挑戦に他ならない。


○私自身恥じ入らねばならないのだが、この間、民主党政権が行った、反「国民」(人民)的な諸政策を決して忘れないようにしよう。裏切られたと言う民主党員そして離党者たちよ、もし本当にやる気があったというなら、そのことを、今、ここで示して見せよ。さもなければ、君たちも同じ穴のムジナだ。(9月30日)―――と書いて、10月になり、野田改造内閣が発表された。やっぱり、同じ穴の政治屋さん達だった。

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『風の谷のナウシカ』によせて(2)

     『風の谷のナウシカ』によせて(2)
        ―――地球環境と戦争を考える


        
 我〈しもべ〉たる飼い主は、つい最近、こうの史代さん原作の『夕凪の街・桜の国』と言う映画を観て、いたく感動したみたいでした。見終わった後、『ねえ、サロさん。君も戦(いくさ)世に生まれなくてよかったねえ。君なんか、赤犬の肉はおいしいと言われていたというから、鍋かなんかにされて食べられてしまったかもしれないねえ。」なんていうんだよ。う~む!戦争反対 

     ユーラシア大陸の西のはずれに発生した産業文明は
     数百年のうちに全世界に広まり
     巨大産業社会を形成するに至った
     大地の富をうばいとり大気をけがし
     生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明は
     1000年後に絶頂期に達し
     やがて急激な衰退を向かえることになった
     「火の七日間」と呼ばれる戦争によって
     都市部は有毒ガスをまき散らして崩壊し
     複雑高度化した技術体系は失われ
     地表のほとんどは不毛の地と化したのである
     その産業文明は再建されることなく
     永いたそがれの時代を人類は生きることになった
    (アニメージュ‐コミックス版『風の谷のナウシカ』第1巻)

     巨大産業文明が崩壊してから1000年
     錆とセラミック片におおわれた荒れた大地に
     くさった海・・・腐海(ふかい)と呼ばれる有毒の瘴気を
     発する菌類の森がひろがり
     衰退した人間の生存をおびやかしていた
      (アニメ版『風の谷のナウシカ』冒頭)


   物語とりわけファンタジーを理解するうえで、そこで用いられている「ひゆ」を読み解いていくことは大きな意味を持つと言えるでしょう。「多すぎる火」、「巨神兵」、「火の七日間戦争」、「汚された土」、「腐海(そして、腐海の植物)」、「王蟲」、「森と水」、「腐海の底のチコの芽」等々。そして、こうした『ナウシカ』の舞台と時代背景を考えるとき、私たちは、宮崎駿氏の「時代」との格闘を強く感じ取ることが出来るでしょう。それは、「地球環境」と「戦争」の問題と要約できるでしょうが、これらは、21世紀の現在にあっても、われわれ人類がその解決に苦闘しているところの問題に他なりません。さらに、団塊の世代の一員としての私にとって、1941年生まれの宮崎氏は私よりもはるかに自覚的に戦後世界を生きたのだろうと思いつつも、彼が格闘した「時代」は、同時に私が生きてきた時代であったように感じるのです。さて、それはどのような時代であったのか。

    私の記憶がはっきりしてくるのは1955年ごろからですが―――私は、1954年の洞爺丸台風や第五福竜丸事件なども覚えています―――、私は、ラジオやテレビそして『少年朝日年鑑』などを通して、当時の大事件や時代の変化を感じ取っていたように思います。とりわけ、1960年以降は、日本のエネルギー構造の転換(炭鉱の閉山)や米ソ冷戦の激化、そして、ベトナム戦争(「ベトナム特需」?)なども身近に感じていました。そして、大学に入学した1968年以降は、公害などの環境問題、そして、ベトナム戦争を中心とする戦争と平和の問題は私の主要な関心の対象になっていったと思います。

    たとえば、地球環境問題について、1972年、私は、それがどれだけ意識的なものであったかは別にして、ローマクラブの『成長の限界』を読んでいます。また、同年、スウェーデンのストックホルムで開かれた国連人間環境会議において提唱された「かけがえのない地球」というスローガンが近代西欧に発する自然観に転換点を画するもののごとくマスコミによって報じられていたことも記憶しています。そして、こうした地球環境問題への関心を基礎付けてきたのは、やはり、レイチェル・カーソンの『沈黙の春―――生と死の妙薬』(1962年)であったろうと思います。そこに記されていた「生命は、私たちの理解を超える奇蹟である」と言う言葉にも示される地球上に存在する全ての『生命』に対するの優しいまなざし、(DDTや核物質のような)人工物質による自然の汚染と破壊への警告、(今最先端ともてはやされている)「生命工学(バイオテクノロジー)」に対するの批判的視座、そして、そこで展開されていた新鮮な感動すら与えた『生態学』は、日本における「近代」的自然観への反省と自然保護運動に大きな影響を与えたはずです。こうして、たとえそれが底の浅いものであったとしても、私自身の日常生活にすら、自然を破壊し汚染することによって得られる「豊かさ」への反省が徐々に浸透していったと言うことが出来るように思われるのです。
    勿論、戦後日本は、水俣病をはじめとする未曾有の公害に苦しみ、反公害闘争も激しく戦われました。私自身も、東京のあのすさまじいスモッグと大気汚染、そして、六価クロムの被害などを思い出します。そして、こうした公害被害者を中心とする人々の運動によってこそ、「公害先進国」と呼ばれたあの日本の状態が、相対的なものであれ、改善されてきたのだと私は確信しています。こうした中、日本における最初の公害反対闘争といわれた足尾鉱毒事件の田中正造への関心が高まり、また、いわゆる「西欧的」自然観に対する「日本的」自然観なるものへの関心も高まっていきました。柳田国男や南方熊楠への関心はその中の最も優れたものだったということができ、自然環境問題への関心の裾野を大きく広げていったと思われます。
    また、日本は広島・長崎の被爆を経験したのですが、戦後、正力松太郎らのイシュタブリッシュメントによって、「原子力の平和利用」を掛け声に、原発が「国策」として推進されていきました。こうした流れの中、手塚治虫の『鉄腕アトム』(そして、ウランちゃん)の熱心な読者であり視聴者でもあった私は、当時すでに指摘されていた原発事故への危惧感を抱きつつも、そうした流れを基本的に受容していたというのも事実でした。しかし、1979年のスリーマイル島、そして、1986年のチェルノブイリの原発事故を同時代人として経験することを通して、また、今は亡き高木仁三郎さんらの仕事を通して、私は原子力・原発に対する批判的な意識を獲得していったのです。当時、私はすでに中年の域に達していたのですが、今は亡き忌野清志朗作詞の『サマータイムブルース』(RCサクセション『カバーズ』所収)は、私が最も好んで聞く音楽の一つになっていました。

     
     ところで、1945年の第2次大戦の終結から1991年のソ連邦の解体に至る「戦後世界」の構図は、東西問題と(より根源的なものであったと考えられる)南北問題という二つの基本軸によって構成されていたといっていいでしょう。しかし、実際、われわれの中でより大きな位置を占めたのは、米ソ間の「冷戦」とその「代理戦争」(朝鮮戦争・ベトナム戦争などの「熱戦」)、そして、キューバ危機に見られたような米ソ間の全面核戦争の恐怖でした。ところで、戦後5年間、日本国憲法の下で〈非武装〉をつづけていた日本は、1950年の朝鮮戦争を契機に、アメリカ政府の『許可』によって、再軍備化が進められていきました。こうして、米ソの冷戦構造に組み込まれた「日米安保体制(米軍・自衛隊―専守防衛・軽武装)」と「日本国憲法(非戦・非武装)」との確執が構造化されたわけです。そして、60年安保、70年安保、そして、ベトナム反戦等々、多くの人々が反戦運動に立ち上がり、その中で苦悩・疲弊しつつも、改憲をもくろむ勢力を一定程度抑制してきたいうことが出来るでしょう。しかし、現在、私たちは、1989年のゴルバチョフの決断による実質的な冷戦構造の終焉、そして、1990年の湾岸戦争に始まる「地域紛争」の一層の激化という状況の中にあって、日本国憲法の「改正」(「自衛隊の海外派兵」・「戦争のできる国家」)に向かう強まりつつある動きに直面しているのです。要するに、私たちの、戦争に反対し平和を求める行動は必ずしも成功していたわけではないのです。そもそも、私たちが対峙してきた戦争の「本質」とはなんだったのでしょうか。それを真に乗り越えるには、どうすればよかったのでしょうか。私たちは、今、こうした問に対する答を真に我がものとしていかねばならない時点に立っているといってよいでしょう。
   さて、先にふれた1972年の国連人間環境会議において、後に暗殺されてしまうことになるスウェーデンのパルメ首相は、ベトナム戦争におけるアメリカの枯葉剤の使用などを批判しつつ、「戦争こそ最大の環境破壊である」と述べました。(最も大きな火力と生命に有害な物質を兵器として用いる)戦争と自然環境との関係をこれほど簡潔・明瞭に表現したものはないでしょう―――それゆえに、自然環境の保全を求めるものは戦争をも許してはならないのです。そして、こうした観点は、1980年代に至り、カール・セーガンらの「核の冬」の理論(1983年)―――NHKスペシャル『核戦争後の地球』(地球炎上・核の冬)(1984年)―――となって、私たちに再び突きつけられたのです。人類を20回も全滅させうると言われた核兵器の存在とその使用は、いかなる理由によっても許されるべきものではなく、人類と核兵器との共存はありえず、核兵器の廃絶は人類の宿願となったのです。しかし、問題は、それをどのように実現していくのかと言うことに他なりません。
   1945年11月に制定された『ユネスコ憲章』(前文・冒頭)には、「戦争は人の心の中で生まれるものだから、人の心の中で平和のとりでを築かなければならない」と言う、あまりにも有名な言葉があります。しかし、私たちは、この平和のとりでの構築に成功しているでしょうか。私たちの心の中には、戦争と核兵器が存在し、再生産されていないのでしょうか。宮崎氏は、それをラディカルに問うているように思われます。


   又、長話をしてしまいました。それでは、次回(『風の谷のナウシカ』によせて(3)―――非暴力直接行動と「多神教」的世界観)は、宮崎氏が、こうした諸問題にどのような視角から取り組み、どのような解決の方向性を示唆しているのか、私なりに考えてみたいと思います。

 

SARO-MURIKU 「つぶやき」選集(9)

 
8月が終わってしまう


   我<しもべ>たる飼い主は、最近、「ああ、8月が終わってしまう!ああ、人生が・・・、人生が・・・」などとぶつぶつ言っている。僕は、サーバントさんの気分なんて、様子をチラッと見た瞬間解るんだけど、ありゃ、相当追い込まれてる<つもり>だよね。全く気の毒なことだ。でも、大したことじゃないんじゃないの



〇 7・29日比谷公園から国会大包囲 ―――自律的に考え、行動したいと考える老若男女の大結集の感あり。その人間像は、日本の「政官財の三角同盟」が<依拠>しようとした、「素直で従順」な「国民」とはちがっている。もっとも、今の日本には、「国民」であることの幻想を許すような「現実」すら消えていると言っていいのだけれど。―――その意味では、スポーツの「国民」形成において果たす役割は大きいんでしょうね。利用されちゃいけません。

〇 7・30~8・2 ゲンチャで「奥の細道」―アラ還大冒険948km。それにしても、日本製・ホンダCD50は完璧に良く走った!!!―――ビジネスモデルだから、何しろ頑丈で壊れる心配はほとんどなかった。そして、50ccだけれど、クラッチでギアチェンジしながら聞くエンジン音は、血沸き肉踊る素晴らしさだった。


〇 残暑でも 木陰に通る 秋の風―――里山公園で。

〇 生まれて始めて、「長生きして下さい」と言われました。そうだよね。この白髪頭。もうそういう歳なのですよ。―――長生きを といわれるような 歳になり

〇 8月10日の消費税法案参院可決の翌日、M新聞の当該記事と(「決められる政治」賛美の)社説を読み、律儀にも40年以上(一年契約で)読み続けたM新聞の継続をやめようと思った。同紙の脱原発姿勢も眉唾物だね。まあ、いい記事も無いわけじゃないけれど、T新聞にでもしようかな。―――「脱原発報道ならT新聞」というウチワももらったしね。

〇(リツイート)残念を使い果たしてもう無念―――ほんと、ほんと!(汗)ズシリと来る言葉だね

〇(リツイート)さあおいで腹いっぱいにしてくれる見えない檻のねずみ捕りだよ―――おい、おい!(汗) それにしても、私は、社会には、自由のフロンティアや駆け込み寺が必要だと思うんだよね。

〇 解散だの総選挙だのと色々盛り上げようとしているけれど、選挙やって、国民になにを選択させると言うのかな?あほらし!まあ、原発推進派と不当な大増税派には投票しないという形で参加しますけどね。―――中沢新一が首相官邸を包囲する人々の運動を背景に緑のロビー活動を展開するなどと言っているが、このいわば直接民主主義的な動きを財界や大労組のごとき圧力団体と同じような水準に位置づけ、自らをその代理人たるロビストと表現できるとは、相も変らぬ彼のエリート主義を露呈していると感じるがどうでしょうかね。

〇 領土問題で「愛国心」煽って、軍備の増強なんてもくろんでいる人々もいるらしいけれど、外国が実効支配を行っている竹島と北方領土を「軍事力」でどうしようとしているわけかな。戦争をやって奪い返すのかな?

〇 また、日本が実効支配を行っている、尖閣諸島で武力衝突が起こり、尖閣が中国に占領されたとして、日本はどうしようと言うのかな?アメリカは、日米安保条約に基づいて軍事力で中国と対決するつもりなのかな?それとも、日中間の領土問題に対しては、傍観を決め込むのかな?

〇 ところで、一部の人々はこのところの不安定化の原因は民主党政権がアメリカのご機嫌を損ねたからだと主張しているようだが、普天間にしても、オスプレイにしても、アメリカにゴロニャンしたら、アメリカは何とかしてくれるとでも思ってるのかな?でも、それなら、これまでの竹島や北方4島の韓・露による実効支配はどうなっていたんでしょうねえ。―――「ゴロニャン」?冗談じゃない!あんなのと一緒にしないでくれ。猫の矜持を忘れてもらっちゃあ困るよ(ゲンより)。

〇 国の内外では、いじめの問題そして不当な貧困など、死に至る「暴力的支配」が実質的に存在している。一般民衆はそうした中で生きているのだ。問題は解決されるべきで、個人的に覚悟が必要なこともあろう。しかし、岩の小島の領有をめぐる国家的『暴力』関係の中に国民のいのちを巻き込むんじゃいけませんよ。遠い首都に住む国家権力の掌握者たちが勝手に引いた国境線のために、どれだけ多くの住民・「国民」が苦労し,犠牲を強いられてきたことか。

〇(排他的経済水域にからむ)「国益」だの、それを究極的には「核」で護るだの、いろいろとおしゃる方々もいますが、一体、誰の利益を誰のいのちをかけて護るというのかな。歴史的に振り返り見ても、現在の状況を見ても、プロパガンダと目くらまし以外、それらを信じさせることの出来るものはないでしょうね。―――零細な漁民の利益を守るためなんていっている人もいますが、目の前で苦しむさまざまな「国民」の生活といのちについてはどうなのかな。たとえば、わが国の第一次産業従事者に壊滅的影響を与えるだろうTPPについて、反対ならば、協議への参加はやむをえないなんて結局それを受容する心積もりが透けて見えるようなことは止めて、体張って反対したらいいんですよ。

〇 一昨日、『ALWAYS 三丁目の夕日 64』と『カイジ――人生逆転ゲーム』・『カイジ2――人生奪回ゲーム』というDVD3本を見た。『三丁目の夕日』は団塊世代として泣かされ、ギャンブル推奨映画『カイジ』には大いに笑わされ、楽しませてもらった。競争社会の中の「負け組」がギャンブルで勝つお話だ。

〇 『カイジ』は特に「2」が良く出来ている。競争原理礼賛のサラ金会社がギャンブルでもボッタクッテいるわけだが、これに対して、「負け組」連合が友情と信頼をテコに勝利するというわけだ。ただ、一発逆転のその時も、枯渇したパチンコ「沼」の掛け金を高金利カードで入手しているところが実に面白い。―――友情と信頼の味付けはドラえもんでもワンピースでも感動させられるが、ボッタクリ的闘争と裏切りをも最終的に肯定するその「寛容さ」はすごい(笑)。

〇 どうも凝り性でいけない。You-Tubeでアニメ版の『カイジ』に見入ってしまった。映画版がかなりアニメ版(そして、原作?)に忠実であるのがわかったが、映画版にでてこない、本当の敵が兵藤であるということからする、彼との対決が実に興味深かった。

〇 まず、「変質者」兵藤は、「負け組」にとって賭博がどれほど<悪魔的>魅力をもっているかをを熟知している。しかし、自らは、その「偶然性」から脱却して、勝利への「必然性」を手中にして「勝ち組」となっているというわけだ。そして、カイジの兵藤との戦いはまさしくそのギャンブルの中で行われる。

〇 そして、勝ち負けを争うゲーム(金がかかっているので賭博だが)において勝利を確実なものとするためにカイジがとった行動は、「いかさま」だった。しかし、そのいかさまは兵藤に見破られるところとなり、逆に、当たりくじを折る「仕掛け」によって、カイジは完敗する。

〇 (読売グループの〕日テレさんすごい番組を流してたんですね。賭博そのものもそうですが、兵藤のサディスト的契約や制裁を、ある意味で、人間の主体的投企と自己責任(それゆえに尊厳性)の論理で正当化してしまうわけですから、これは近代刑法の原理を越えていますよね。 ただ、本当の「兵藤的なるもの」との戦いは、どこで、どのように行われるべきか、そんなことも考えさせられました。

〇  経済的・社会的そして<精神的>な「負け組」にとって、賭博は、昔から存在する、魅力あるものだ。「不幸」・「不運」なる自己意識が、、数量化された社会的「価値」を表し、商品化された社会における一般的な購買力を体現するところの貨幣を、「神に祝福され」、「幸運」にも、一発逆転で、手中にできるのですから。―――その獲得の手段と方法を問わなければ、金ほど「平等」主義的なものはなく、さらに、賭博は、自らの「労働力の価値」を、<自給>数万円~数億円と感じることが出来るわけですよね。まあ、イギリス人やモーツァルトの賭博好きの理由はわかりませんが、「負け組」・「野良犬」の気持ちはわかるような気がする。

〇 しかし、「負け」の構造―――外見的・形式的平等の基底にある実質的な不平等と淘汰の構造、そして、「賭博」の構造――― 一度はドーパミン・ドバーでも、ほとんどリピーターとなって、胴元が勝つ構造の中で、結局、「取り返さなければならないんだよ」ということになる、は同じようなものだ。この仕組まれた「兵藤的なるもの」とどう闘い、勝利するのか。どちらにしても、「どうせ俺なんか死ねばいいんだ」とやけっぱちになるような「負け犬」根性からの脱却は必要ということでしょう。

〇 『ALWAYS――三丁目の夕日』とその続編を見ました。原作は20冊位は読んでいます。都市中産層を中心とする相対的に恵まれた人々のお話ですが、ああ、俺にもこんな幸せな日々があったなあと思わせてくれる作品です。家族・友達等々、結局、人間の幸福は他者とのつながりの中にというわけですね。そうした一般民衆の「しあわせ」を破壊する仕組みを科学的に明らかにして行くことが必要とも思いますが。


 またまた。サーバントさん!「ケセラセラ」だよ~ん。
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2019年11月現在満13歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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