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SARO-MURIKI「つぶやき」選集(18)――嘘つきは泥棒の始まり

 2013年6月―――

君たちは、誰のために、何をやろうというのかね?!
       


 ※ 先日、この「つぶやき」選集を書き始めた頃の記事を読み返してみました。なんとものんびりした川柳などが並んでいました。それが、今では、「過激」な時事問題関係の「ぼやき」が中心となっています。そのきっかけは、民主党・野田政権への怒りとその後の〈デジャアベ〉政権の成立およびその政策的有様への危惧だったのですけれど、実際、こうした日本の政治的状況は巨大な南海トラフ地震と同程度の被害を日本に与えることになるのではないかと私は心配しているのです。実際、この「つぶやき選集」で指摘してきたことが、次第に現実味を増してきています。参院選が間近です。


 安倍のインフレ政策は、「資産家による無産者(サラリーマン)からの〈間接的〉な盗みだ!」(これにたいして、デフレ政策は、松方デフレを典型に、〈直接的な〉盗みはということになる。)

 【追記】―――あなたはアベノミクスで生活が良くなりましたか? どうして、それによって生活が破壊されようとしているにも関わらず、〈現実〉を見ようとしない多くの人々が存在するのでしょう。デフレ克服といっても、どうして実体経済に根拠を持たないインフレ政策を安易に受容するような経済理論家がいるのでしょう? 黒田の異次元の金融緩和も、予想通り、日本の一般ピープルの資産を国内富裕層と外国金融資本に差し出すことになっただけのことではないでしょうか。あとは、一般ピープルの〈実質的な〉タダ働き、あるいは、低賃金労働の増大そして労働強化だけです。

 つくづく思う。橋下や安倍は、国内的にはライオンのふりをしてカッコつけているけれど、結局、米ソ冷戦下にアメリカによって育てられた〈飼い猫〉なんですよ。アメリカにはゴロニャンですから。

 【追記】―――思想や経済的利害が相反する国々とも、出来得る限りの相互理解と対話可能な関係の維持が必要なはずですが、どうして彼らはアジアの国々にはあのような不遜な態度で、そして、アメリカには卑屈な態度で接するのでしょう。さらに、安倍たちは、さかんに二枚舌を使っていますが、在日外国人には日本語の堪能な人たちがたくさんいることを忘れているのではないですか。本当に孤立しますよ。

 幻想の「国益」に惑わされること無く、『万国の一般ピープルよ,団結せよ!』ってことだろうなあ。政府・マスゴミは、何しろ、国家間、民族間に〈対抗軸〉を設定し,そこでヘゲモニーを握ろうと必死なわけだ。相当危機感もあるのだろう。曇りなき眼で観れば,事態ははっきりしているからな。

 【追記】―――国家的対立の思考枠組みの中に人々の発想を閉じ込めようとするわけだけれども、実際は、彼らこそ、最も反「国民」的であったり、(使いたくはないけれど)「国益」に反した行動をとっているといえると思います。彼らが代表している、多国籍資本のヘゲモニー(分かりやすくいえば、彼らについて行くしかないと思わせること)の行き着く先がどのようなものであるかを考えたり、それなしでもやって行ける社会を構想できるのかが、私たちにとって、その呪縛から解放される条件ということでしょう。

 (尖閣問題で)野中さんが動いた。流石ということだろうな。NHKはじめマスゴミが盛んに『撤回はしないんですか』と責め立てていたが、戦争の「真実」を知り、戦後の政治過程を直接経験した、自民党護憲派最後の人の言葉だ。私は信じ、支持するよ。まあ、「愛国」という安全圏から批判するのはよした方が良い。

 【追記】―――野中さんも橋下も「被差別部落」の出身だという話だが、「出身」がどこだろうと、まともな人間もいればどうしようの無い人間もいるのは当たり前のことなのだ。そのことを確認することが、ワケも分からない生まれによる差別を超えることでもあるだろう。それにしても、最近の鳩山発言もそうだが、政府・読売などの意図するところは、要は、話の脈略よりも、国民を(せこい)「領土的ナショナリズム」の思考枠組みの中に閉じ込めておきたいというものにすぎないことは明らかだ。

 麻生財閥の御曹司の露出度が極端に低いな!これは,参院選までの「消費税隠し」のためでしょう!!そりゃそうだ。アホノミクスによる物価上昇による収奪に加えて、さらに、金持ち達の資産たる国債の信用維持のために、一般ピープルから収奪して、財政赤字を収縮させようというのだからねえ!!!

 【追記】―――消費税の値上げの目的が社会福祉の充実のためだなんて信じられます?最近の「復興税」のこと一つ考えても想像がつきます。国債の暴落阻止のためですよ。私の経済学の先生は、「〈資金〉はいつの時代にも必要だ」みたいなことを言っていましたが、預貯金や年金資金とは実質的に何を意味するのか、そのことを原理的に考えてから、現在の資金運用の在り方などを反省的に捉えて行かなければならないと私は考えています。現行の金融システム如きものの中で、労働の成果を掠め取られてはなりません。(このことについても、後日、詳細に展開予定です。)

 アホの「成長戦略」が打ち出されたが、要は,新自由主義路線のなかで多国籍企業が日本と世界の一般ピープルを収奪し,その生活を破壊する方向性を明確にしたということだ.それが,日本の実体経済を強化し,多数派の国民の生活を向上させるなどと笑わせるんじゃない。大越!気持ち悪いぞ。まだ言うか。

 【追記】―――社会現象ですから不確実性から逃れることは出来ませんが、NHKの大越のように、政府に都合の悪いところはマスキングし、かなり不確実な場合でも、政府に都合のいいところは幻想を肥大化させようと論じる、まあ、それが彼らの仕事なのだろうけれど、視聴料は払いたくないですよね。勿論、BSを中心に面白い番組もありますよ。たとえば、BS歴史館「関孝和」とか旅のチカラ「あの歌が生まれた瞬間を探して~加藤登紀子 ポーランド~」等は、秀逸でしたよ。でも、私は悩んでいます・・・

 安倍政権の政策は、もう露骨にイスタブリッシュメント(=政財官の支配階層)向けのものになっている。一般ピープルは、本当に,舐められている。実際のところ、何言われているのか分からない人も多いのだとは思うけれど(涙)、でも、最近の地方自治体首長選挙の結果等をみると期待が持てそうにも思う!

 【追記】―――幻想は幻想で、いつかは化けの皮は剥がれるものですが、安倍や東電のように、ゾンビ的に「復活」する輩を阻止できない弱さも私たちにはあるのです。でも、地方を見ると、少なくとも、安倍自民党政権が盤石だなんてことはない、そう感じるのですが。

 「アホノミクス」は、一般ピープルの生活を破壊する物価と消費税の「アゲノミクス」で、それだけではなく、「成長戦略」という名のさらなる反・一般ピープル的新自由主義の化けの皮が剥がれた、「ハゲノミクス」というわけだ。
アゲノミクスで始まって、ハゲノミクスで終わっても、大企業減税だけは残します。だって、お友達なんだも~ん。一般ピープルなんて、どうなってもかまわないのよ~ん。

 【追記】―――こんな言葉遊びみたいなことばかりしか思い浮かばない今の日本の政治は、本当に危ういですね。繰り返しますが、南海トラフ地震も来るんですよ。大丈夫なんですか?こんな政権で!

 この十年ほど,中村さんの仕事そしてペシャワール会報などをフォローしてきましたが、中村さんが国籍を捨てなければならないような状況にしないよう頑張らねば。そのためには、まず、つまらぬ(「国益」)ナショナリズムを総点検すべきだと思います。

 【追記】―――このことについては、「本当に憲法9条が変えられてしまったら……。僕はもう、日本国籍なんかいらないです」:特集ワイド:憲法よ 医師・中村哲さん http://mainichi.jp/feature/news/20130606dde012040026000c.html …をご参照ください。


 (脱原発に一票)ということで:安倍thin三の妻が、私は原発には反対だけれども、自民党をよろしくねとか、安倍自民党に投票してねとか言って、反原発票すら取り込もうとしているらしいが、それはないでしょう。「反原発なら、自民党には絶対入れない!!!」ということですよね。

 【追記】―――政権与党としては、原発に批判的な人や改憲に反対な人の票も手に入れようという策謀なのでしょうが(衆院選の時の自民党の公約なんかすごかったですよね)、他方では、「どうせ私をだますなら、だまし続けてほしかった」なんて人もいるのでしょうねえ。

 分かっていたとは言いながら、一般ピープルの資産や将来の税負担によって、円安や株価上昇を目論み、一儲けしようとした輩はどう罰せられるのでしょうね。どうして黒田(クロルンダ)!!あ、そうか。君もあの「飛ぶボール」の加藤君のお友達だったよね。HaHaHa,と。
 「飛ぶボール」にしても、戦争責任にしても、原発事故にしても、本当に日本の権力者は責任を取らない!要は「権力村」が支配しているからだ。知らなかったって?!あれだけ騒がれている中、確認すらしなかったのなら、それだけで責任問題だろうし、部下が嘘を言っていたというなら、首をきるだろうが。

 【追記】―――加藤君は、現在も、あのままですよね。全柔連もですか? 今、別の〈流れ〉に権力が移行すると、相当ヤバいことが表沙汰になってしまうのではないですか。黒田君は、お仲間のために株価を維持しようと、国民の年金資金にまで手を付けているらしいじゃありませんか。

 水野参事官の「左翼のクソども」〈発言〉は、イスタブリッシュメントの「本音」なんでしょうけれど、この「左翼」の定義は、「お上に逆らう者」という意味だよね。この言葉に、情けないズッコケ「右翼」が共鳴しているようだが、権力に媚びる安倍支持「右翼」と同じで、「提灯持ち」以下ですよ。

 【追記】―――官僚にだって「良識派」はいるのでしょうが、こんな輩も多いんですよね。彼らにとっては、「(自分たち)お上に逆らう者」は「左翼」ということになるのでしょう。逆に言えば、今の「右翼」は、なぜ日本の美しい国土と同胞たる日本国民が放射能によって汚染されることにあんなに寛容でいられるのでしょうねえ。だから、「右翼のクソども」とはいわれないんだ。

 小沢一郎よ!私は久慈に縁あるものだが、あんな汚い長州閥の末裔になんか負けるんじゃない!! 奴らは汚いのだ!!!(勿論、長州の「一般ピープル」が、ではありませんよ。)

 【追記】―――現時点で、小沢さんの果たす役割はどうなんでしょうね。私は、今の安倍極右政権に対抗する貴重なリベラルの一翼を担うものと考えますが、数百万といわれた小沢支持者は一体どうしたのでしょうか。やはり、彼らにとっては、地方での再起こそ鍵なのではないでしょうか。都市部は、共産党と社民党そして市民のネットワーク等の共闘態勢でしょうか。まずは、理念を明確にすべきです。後は、民主党の時のように、腰砕けしないことです。ありゃ、スルメを食べた後の猫みたいでしたよ。みっともない!

 安倍thin三、ポーランドで原発セールス。福島原発事故後のこのボロボロの現状の中で、どうして、外国に売り歩くことができるのか?要するに、原発関連企業の利益しか考えていないのだ。そして、国内でも、「原発村」利益のためだけに、原発新設・再稼働というのだ。外国の一般ピープルも呆れてますよ。

 【追記】―――原発に疑問を感じている人は、あの姿を見て、どう思っているのでしょうか。嘘つきは泥棒の始まりといいますが、次は、私たちの〈命と生活〉も盗まれてしまいそうです。

 安倍は、自民党憲法改正案に見られる反自由主義的・反民主主義的(明治憲法的)イデオロギーをごまかそうと、何と、「自由と民主主義」の価値観の共有などと、三文役者のような、実のない、薄っぺらな表情で演説しているが、真っ当な大人にそんな言葉を信じるアホはいないぜよ!
 今日、街中の『温泉』に行ってきた。歌謡ショウをやっていた。どう考えても、イケメンとは思えず、音も外しまくっている歌手に、おばさんたちが奇声とオヒネリを投げまくっていた。さっき、都知事選の開票速報をチラッとみた。なにか、納得してしまった。都民は私にとっては、エイリアンだ。
  都知事選・投票率43%とか。この沈滞感はどこからきているのだろう。やはり、民主への失望感からだろうな。今の日本の政治的支配層の黒幕は、米日の多国籍資本だ。一般ピープルの命と生活を守るためには、その強大な権力とそのサボタージュに対抗しなければならない。それを民主は避け、共産は主張した。
 共産の政権取得はあり得ないとの考えから、「中道リベラル」に期待する向きもあったが、それ自体が実体的根拠が脆弱で、自己崩壊してしまった。要は、私たちが自らの生活の質を決定するだろう、原発、TPP、福祉、教育などの基本的在り方を問い直し、地域と職場で再起する以外ないのだろうと感じる。
 中道・左派の特殊日本的在り方、それは〈日本国憲法の実現〉という形をとるしかないと思うけれど、その内実を保証するためには、御用イデオローグと「マスゴミ」との日常的意識レベルでの対決が最も重要に思われた。日本におけるリベラルは非常に難しいのだろう。

 【追記】
 ○安倍政権は、日本国憲法の価値を否定する、極右政権である。
 ○小沢・鳩山は、日本権力構造の中枢をなすイスタブリッシュメントの利害に手を触れようとして、政・官・財・マスコミ等の主流派から総反撃を受けた。「政治と金」なんかではない。
 ○日本の「リベラル」は、今、まさしく、日本国憲法の諸価値(自由・平等・生存権・平和主義・国民主権)を護る、あるいは、実現する〈力〉として存在するしかない。
 ○その〈力〉の結集をどう図るのか。そのためには、これまでの党派的利害を優先した運動を乗り越える力となる、ノン・エリートの、「リベラル」な諸価値に基づいた、「政治」的自立が必要となる。


 わが人生 いつやるか?って 過去でしょう!

 【追記】―――もう手遅れということですが、そんなこと言っていても仕方がないので、頑張って、もう一花咲かせましょう。一般ピープルとしての花を!

 ―――サロさ~ん。散歩だよー。   待ってたよ~ん
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歌舞伎を観て来ました―――鞘當・喜撰・俊寛

 歌舞伎座新開場
杮葺落六月大歌舞伎 第一部



      
2013年6月27日(木) 11:00~ 東京・歌舞伎座



    ※ 人間、長生きはするもので、先日、友人から「歌舞伎座のチケットがあるけれど行くかい」と声をかけてもらいました。私は、これまでの人生の中で、歌舞伎と大相撲と中央競馬には行ったことがなく、一度は是非観てみたいと思っていたのです。ということで、昨日、梅雨の合間の晴天の日、娘と、新装なった歌舞伎座に出かけてみました。演目は、以下の通り。


其俤対編笠
一、鞘當(さやあて)
   
不破伴左衛門  橋之助
名古屋山三   勘九郎
茶屋女房お駒  魁 春

◆二人の男の渡りぜりふが響き合う絢爛たる名場面
桜満開の吉原仲之町。稲妻の模様の羽織着流しの不破伴左衛門と、濡れ燕の羽織と小袖の名古屋山三がやってきます。二人はすれ違い際に、互いの刀の鞘が当たったことから斬り合いになりますが、茶屋女房が留めに入って、その場を収めます。様式美に富んだ歌舞伎味溢れる一幕。

六歌仙容彩
二、喜撰(きせん)
   
喜撰法師    三津五郎
祇園のお梶   時 蔵

◆六歌仙の一人、喜撰法師の洒脱な味わいの舞踊
 春爛漫の京都の東山へやってきた喜撰法師は、茶汲女の祇園のお梶を口説きますが、お梶はあっさりと喜撰を振って立ち去ります。やがて喜撰は迎えにやってきた弟子の所化たちと賑やかに踊ると庵へと帰って行くのでした。六歌仙の一人、喜撰法師を軽妙な舞踊仕立てで描く一幕。

三、平家女護島 俊寛(しゅんかん)
   
俊寛僧都     吉右衛門
丹波少将成経   梅 玉
海女千鳥     芝 雀
平判官康頼    歌 六
瀬尾太郎兼康   左團次
丹左衛門尉基康  仁左衛門

◆絶海の孤島に残された男の悲哀
 鬼界ヶ島に流罪となった俊寛僧都、平判官康頼、丹波少将成経は、流人の生活に疲れ果てています。そんな俊寛を喜ばせたのは、成経が島に住む海女の千鳥と夫婦になること。日頃の憂いを忘れて喜び合う三人。そこへ都からの赦免船が到着し、上使の丹左衛門尉基康と瀬尾太郎兼康が現れ三人の赦免が告げられますが、千鳥の乗船は許されません。悲嘆にくれる千鳥を見て俊寛は…。俊寛の孤独と悲劇を描く近松門左衛門の名作。



    ※ 地下鉄日比谷線・東銀座で下車し、地下2階の売店で昼食の弁当を買い(「特選鶴亀いなり」―――客席で食事が出来るたぁ、やっぱり、歌舞伎座でぃ!)、赤絨毯の上を歩いて客席へ。2階のいい席でした。さて、観終わった感想ですが、一言で言えば、大満足。バラエティにとんだ演目、伝統の様式美と磨き抜かれた演技、そして、あの謡と演奏、また、あの舞台仕懸けに小道具そして衣装。どれもこれも、耳目を魅了せずにはおかない素晴らしさがありました。娘はこれで5回目の歌舞伎鑑賞だったようですが、新装なった歌舞伎座と力のこもった演技に目を輝かせていました。それでは、以下、ド素人の私の感想を記しておきます。

     まずは、「鞘當(さやあて)」。吉原の同じ女に入れこんだ、編み笠被ったちょい悪侍同士の切り合いを、茶屋の女房が(「お侍さん、野暮はおよしなさい」とばかりに)中に入って、一件落着。最後に鞘を入れ替えてしまうあたりも、侍に対する江戸一般ピ-プルの心意気が窺える一幕かと。
     「喜撰法師」の踊りは最高でしょう。大道芸で行われていたものが取り入れられたとのことですが、そのリズムと動作は観ているだけでも顔がほころんでしまいます。何ともすっとぼけたその味には、これまた、浮き世を笑い飛ばしてしまう、江戸一般ピ-プルの洒落っ気を感じとることが出来ます。お坊さんの権威もあれでは終わりですね。
      とりは、近松の「俊寛(しゅんかん)」です。元々は人形浄瑠璃の作品なのでしょうが、この話の中にも、日本人たる私がその心の奥底に沈殿させてきた価値観を感じてしまうのです。また、その中には、「鬼界ヶ島に鬼はいない。鬼がいるのは都・・・」とか、「侍とはものの哀れを知るものというが、あなたは・・・・」とか、私好みの台詞がちりばめられています。こうしたところに、『仮名手本忠臣蔵』にも見られるという、江戸一般ピ-プルの反権力的な思想を読み取ることができるでしょう。やっぱり、歌舞伎は、日本の一般ピープルが作り出した芸術なのです!それにしても、吉右衛門はうまい! 私も、正直、「はりまや~っ!」と声をかけたいところでした。これは、名作・名演といえると思います。 
     (あと、テレビで観た時に言葉がわかりにくいところもありましたので、イヤホンガイドを借りておきましたが、これは大正解だったと思います。なにしろ、現代の日本語ではありませんから、注解は必要です。)      

     歌舞伎を観終わった後は、5階の歌舞伎座ギャラリー(「歌舞伎の美・春」)、さらに、屋上庭園、そして 4階〈幕見席〉を背後の部屋から見学することが出来ました。「歌舞伎座ギャラリー」は、舞台では遠くてよく見えない着物や小道具などを間近に見ることが出来、江戸文化を身近に感じることが出来ました。また、立見席もある『幕見席』(基本的には一幕のみの当日券、2千円の席)では、私が、本当に自由になったとき、この辺をウロウロするのかな、などと考えたものです。ここからなら、「はりまや~っ!」と声をかけられるようになるかも知れません。


テレビでも御馴染み 永谷園の「朝光富士」の緞帳



 ――今日は、サーバントさん、やけに僕に親切だな。御犬様の伝統に再び目覚めたかな

『南京の真実』――従軍慰安婦に関する三冊の本(3)

 
侵略戦争への動員の果てに

 ―――日本の女と男を再びあの「汚辱」の中に引き込むのか?!


   私たち戦後世代にとって、戦前の侵略戦争についての認識に大きな影響を与えたのは、やはり、本多勝一『中国の旅』だったのではないでしょうか。それ故でしょう、戦前の侵略戦争を肯定しようとする勢力のこの本に対する反応はまさしく尋常とはいえないものです。ネット上でのワンパターンな記事を読むにつけ、彼らが大切にしたいと考えている自国中心的価値観や私には非常に稚拙に思われる(論理とは言えないような)「論理」はある意味で興味深くはあるものの、それらは、結局、あの無謀で悲惨な侵略戦争、そして、その結果としての〈敗戦〉をもたらした「暴支膺懲」・「支那膺懲」論をさらに戯画化したものに過ぎないであって、その思想と論理には全く『未来』はないと言ってよいと思うのです。確かに、安倍〈デジャヴ〉政権の成立やその延命など、国内政治的にはまだ決着はついていませんが、その帰趨はこの数年の間にはきっとはっきりすることでしょう。

   ところで、戦前の日本国家の侵略性を最も象徴的に示すのが、1937年からの日中戦争(支那事変)における、上海から南京に至る日本軍の行動です。それは、いわゆる「南京大虐殺」とか「南京事件」とも言われるもので、大東亜共栄圏の理想を振りかざした「聖戦」の侵略性を、「731部隊」とともに、最も象徴的に示すものとされてきました。他国の地に大軍を送り込み、想像を超える頑強な抵抗に遭遇する中で、農村から物資を現地調達し、都市を破壊しつくすことになったこの戦闘の中で、「皇軍」兵士は中国人に何をしたのか、何をさせられたのか。私は、すでに幼い頃から、その意味することを理解できないまま、第二次上海事変に加わった親戚の話として、その有様を聞き知っていたのでしたが。

   この「南京大虐殺」については、侵略を受けた中国側の民衆や元日本軍兵士たちの証言を含む多くの資料がある一方で、「南京大虐殺」自体が捏造だとする主張もあります。ネットで検索すると、よほど力を入れているのでしょう、歴史学の成果や家永教科書裁判そして百人切り裁判などの判決があるにもかかわらず、後者の見解でほぼ埋め尽くされています(汗)。しかし、それらは、私が読んだ限りにおいては、「三十万」という数がおかしいとか、虐殺の証言には証拠がないとか、あるいは、嘘があるとか、逆の証言が元日本兵からあるとか、が主な論拠のようです。その主張自体が支離滅裂な場合も多いのですが、要は、論点を個別的、あるいは客観的に確定し難いところに呼び込み、その「不確実性」を強調することによって、それを全体に及ぼし、だから、そもそも「虐殺」はなかったんだ、それゆえ(?)に、日本軍の中国への「進出」は「侵略」ではなく特別非難されることではないんだ、というわけのようです。ただ、情報の受け手としての私の印象からいえば、それらは、最近の〈世知辛くなった〉ご時世でしばしばお目にかかる、虚実織り交ぜた、論点のはぐらかし、言い逃れと同質のものだとしか感じられませんでした。それにしても、証拠が隠滅され証言によってそれを解明してゆくしかなかった「731部隊」にたいする態度、そして、死ぬまで抵抗して殺されなければ強制ではなく合意だと主張するがごとき「従軍慰安婦」問題おける「強制性」の否認―――勿論、「狭義」の強制もあったのですが―――まで、つくづく呆れるしかありません。
     
    しかし、問題は、実際に、その「場」でどのようなことが起きたかです。一般ピープルたる私自身 には、笠原十九司『南京事件』(岩波新書、1997年)が一番手頃かつ信頼できるものと思われるのですが、今の「錯綜」した状況においては(?)、「公平な第三者の目」が説得力を持つかもしれません。その意味で、是非一読をお勧めしたいのが、次の一冊です。
 
 ジョン・ラーベ『南京の真実』(平野卿子訳、横山宏章解説、講談社、1997年)

    この本は、当時の日本の同盟国(日独防共協定)ドイツの、それもナチ党員であった、ジョン・ラーベの日記です。彼は、日本軍占領下の南京における「国際安全区」委員会の代表として非戦闘員救済に奔放した「中国のシンドラー」とも呼ばれる人物で、その日記は、当時の「国際安全区」を含む南京市内の様子を〈具体的にイメージする〉うえで欠くことのできない貴重な資料と言えるでしょう。このブログの構想のはじめの頃には、この本についてもう少し詳く紹介しようと思っていたのですが、もうかなり長くなってしまっていますので、結論だけを記します。それは、「南京大虐殺」―――つまり、武器を捨てた敗残兵や捕虜そして一般市民への、非人道的で国際法違反の大規模な殺害(彼らは、その数を、南京城内だけで、ほぼ5、6万人と捉えていたようですが)そして略奪・暴行・強姦―――は間違いなくあったということです。彼の日記は、その様子をなまなましくと伝えています。あとは、単純な国語読解力の問題です、

   さて、本題に入りますと、このラーベの日記には、日本兵による中国人女性に対する目を覆いたくなるような強姦・暴行の有様(「安全区は日本兵用の売春宿になった」)とともに、日本軍(ー日本当局)による、まさしく、「兵隊用の大がかりな売春宿」をつくる動きが記録されています。そして、言うまでも、この南京事件が起こったときの首相は、あの近衛文麿だったのです。近衛は、この時の対応を良く憶えていたに違いありません。

   私は、前回のブログで、いわゆる「従軍慰安婦」問題の原点は(第一次上海事変ではなく)「南京事件」にあったのではないかと書きましたが、それは、戦地や占領地において、多数の他国あるいは他民族の女性たちが、日本軍ー日本政府の管理下で奴隷的拘束状態におかれ、日本人将兵の性欲解消の「道具」として「使役」されたという、現在、国際的な問題となっているこの問題がもつ民族的(すなわち侵略的)側面の際立った性格がそこに見られると考えたからです。すなわち、この水準においては、その理由が日本兵による強姦の防止であろうが日本兵の性病予防であろうが、民間の業者によって媒介されていようといまいと、その女性がたまたま他国の職業的売春婦であったかどうかなどは、関係ないのです。
   石坂啓さんは「突撃一番」の中で、「稼ぐだけでなく こんな 自分の身体が 少しでも 国のためになるのならと 思っていたことも事実です」という主人公が「そんなあたしが アイちゃんの怒りを ほんとうに理解するということは 無理だったのかもしれません」と語らせていますが、まさしく、アイちゃんの、アイちゃんの家族の、同胞たる朝鮮人男性の、朝鮮民族全体の怒りは、この水準にあるのだろうと思います。それ故、「南京事件」における日本軍の行為が、多くの中国人の「抗日」の意識をより高めただろうことは、立場を変えて考えてみれば、容易に理解することが出来るのです。もしそんなことはないというならば、その人の「民族意識」など偽物に決まっています。こうして、「南京事件」におけるこうした日本軍の行為を正当化するなどは、最も反民族的なことであり、かつ、日本の利益を害することになるのです。

   私は、石坂啓さんも「突撃一番」のなかで見事に描き出していると思う、「従軍慰安婦」問題が内に孕む重層的な「差別」構造―――民族差別、性差別、階層差別―――をしっかり把握し、その内的矛盾や相互関係を理解しなければならないと考えている者です。そのことによってこそ、そこに生まれる様々な共感や反感・蔑視などの根を捉え、論点のすり替えを許さないとともに、問題解決への道筋も発見できると考えるからです。

   さて、「従軍慰安婦」問題には、明らかに、人口の半数を占める女性への差別を見ることが出来ます。その差別とは、この場合は、男性が女性の性を、その人格と切り離して、自らの性的欲求を満たすための道具として見、扱うことにあります。多くの女性たちが、それを受容あるいは正当化する議論に強い不快感を感じたに違いありません。性差を差別に転化する「ジェンダー」の役割分担論の一変種と思われるこうしたイデオロギーは、「男ってそういうもので、しかたがない」といったかたちで、戦前の日本女性にも、その受容が策されていたものといってよいでしょう。
   勿論、両性の性的関係は、両性の〈自由な〉合意によってのみ許されるのであって、そうした人格的条件を欠く場合には、明白な人権侵害、犯罪となるのです。ですから、そうした人格的条件を欠く場合には、〈自然〉と表現される性的欲求であろうと、自らコントロールすることが両性の人間的尊厳の維持のためには不可欠なこととなるのです。(例えば、男の場合、宮台真司流に表現すれば、自分で通してしまえばいいのであり、また、そうすべきなだけなのです。)
   ところで、勿論、全ての兵士や軍隊がそうであったわけではない(!)のですが、しかし、戦前の日本軍の少なからぬ兵士たちが、どうして強姦という犯罪行為を犯し、そして、差別的で暴力的なあの軍の慰安所に列をなすことになったのか、その原因ははっきりと解明する必要があるでしょう。私はそれを、女性に対する差別的な意識の摺り込みとともに、そうした〈おぞましい〉行為を強いる「力」に対する〈恐怖〉ではなかったのかと考えています。男たちは、それを〈おぞましく〉感じる感性を持ちながら、そうした犯罪的で非人間的な行為を煽る「力」に抵抗する〈強さ〉に欠けていたのではないかと考えるのです。

    最後は、階層的差別あるいは階級的差別です。あの〈おぞましい〉「従軍慰安婦」制度を支えたイデオロギーの一つは、同胞たる、〈貧者〉あるいは〈社会的弱者〉に属する婦女子を、自分たちの秩序や利益を守るための「防波堤」として利用して恥じない考え方です。性的差別(男性による女性の支配)を前提とする「公娼制度」には様々な理由が付けられていましたが、そうしたものの中で最も記憶に残っているものは、「それは、良家の子女を守るためのものだ」というものです。政略結婚や男の性的放蕩に苦悩してきた彼女らがそれらと一対をなすこうした議論に素直に同じたかどうかは私には分かりませんが、それが強姦防止という理由付けとともに、かなり広汎に流布していた可能性も大きいと思うのです。橋下らが最後にしがみつこうとしているのもこうした側面にほかならないでしょう。だからといって、公的で高い位置にある者の子女がその「誰でも理解できる」「大切な仕事」に就くことはないのです。私たち一般ピープルは、こうした階層差別的あるいは階級差別的な言辞を決して許してはならないと思います。実は、この「慰安婦」問題に限らず、現在目前に展開している様々な問題の背後には、犠牲を〈一般ピープル〉とりわけ〈貧者〉あるいは〈社会的弱者〉に押し付けて平然としている、権力者=イスタブリッシュメントの心性が見えるのです。

   最後に、現在外国人の「従軍慰安婦」問題として国際的に議論となっているこの問題を、日本人が日本人自らの問題として考え、反省することこそが、日本の女と男を再びあの「汚辱」の中に引き込ませないことの条件でもあると私は確信します。補償問題と絡めながら、民族間の分断を図ろうとするがごとき姑息な動きに乗せられてはいけません。差別心からの解放、自らの弱さの克服、それらが私たち〈一般ピープル〉の『未来』を切り開く鍵となるでしょう。

 ―――サロさん!しばらくかまってあげられなくて悪かったね。でも、君は、最近、随分、わがままだよ。誰かさんたちのようなわがままは許しませんよ。

―――大丈夫だモーん!ほかのワンワンに迷惑かけてないもーん

『冬の蕾 』―――従軍慰安婦に関する三冊の本(2)

  近衛文磨の「特殊慰安婦施設」から考える
       ―――政府と民間業者との連携


     前回のブログでは、石坂さんの「突撃一番」を読むことから、日本人慰安婦と朝鮮人・韓国人慰安婦の有り様の一端を考えてみましたが、そのおおまかな構図は、数多くの女性たちが、経済的困窮や借金のカタなどによる「身売り」や皇国臣民の〈義務〉としての「女子挺身隊」といった名目で、脅かされたりすかされたりだまされたり泣き落としにあったりと、様々な形で戦地の慰安所に送り込まれたということです。例えば、記憶にも新しい『11PM』の「日帝36年」に登場したおばあちゃんの場合は、借金によって無理矢理にというものでした。
     そして、そうしたことが、たとえ直接的には民間業者によっておこなわれたものだとしても、それを当時の「合法性」の下に肯定あるいは支持するとすれば、それは、まさしく、当時の「女衒・口入れ屋」のたぐいの行為を正当化し、その立場に立つことに他ならないのです。そうした見解を今世界に発信するなど、真っ当な感覚ではあり得ないことです。(現在の肯定論者は、恐らく、もしその時代に生きていたとしたら、喜々としてその流れに乗ったのでしょう!)

     もう一つ、大事な点は、こうした「従軍慰安婦」制度における〈官民連携〉にたいする視点です。すなわち、例えば、アイちゃんの場合は巡査が介在していましたが、さらに、軍上層部そして政府上層部との関連はどうだったのでしょう。今日紹介したいのは、この点に関わるものです。


樹村みのり著、船橋邦子解説『冬の蕾 ベアテ・シロタと女性の権利』(労働大学出版センター、2005年)

     昨年なくなられた、ベアテ・シロタ・ゴードンさんは、戦後、GHQの憲法草案制定会議のメンバーの一人で、日本国憲法24条((家族生活における個人の尊厳と両性の平等)の草案を執筆した人物として知られています。上記の本は、その意義を解説した本ですが、その一部に、次のような部分があります。    

A「聞いた?ベアテ 今ね どこの師団に一番性病が多いか 医務局の話題ですって。へんなところへ通うから自業自得よね。」
A「それがね 信じられない話だけれど 日本政府はアメリカ軍が要求もしないのに アメリカ兵のために―――と 早々と コール・ガールのサロンを用意したのよ。
C「なんて言ったかしら 日本語で」
ベアテ「特殊慰安婦施設」
D「警視総監が陣頭指揮を取って 業者に委託して 政府がそのサロンに融資しているのよ。」
E「食べるのも大変なときですもの 中には慰安婦がコール・ガールのことと知らずに応募してきた女性も多いらしいわ。」
ベアテ「この話を推進したコノエという男は 何度も日本の首相を経験した公爵だというからおどろくわね。日本人って なんて クレージーなのかしら。」

     ベアテさんは、GHQの民政局に属していましたから、上記の会話は、民政局の女性職員の間でかわされたものです。国家総動員法の近衛文麿が、米軍による占領直後の状況の中で、政府が資金を出資し、民間業者と連携をとりながら、「特殊慰安婦」施設をつくり、米兵に日本女性を提供する仕組みの形成を推進したということなのです。これを、アメリカの女性たちは「クレージー」と表現していますが、こうした対応を日本の男と女はどう捉えるのでしょう。

     勿論、これに対して、橋下大阪市長なら、それは誰でも理解できることだ、と答えることでしょう。戦争に負けた「敵」兵に、日本の「女性」を、いろいろな理由を付けて、差し出すことに。〈提供〉された女性たちは、内心どう思ったことでしょう。そして、その家族や隣人たちは。

     それにしても、近衛らは、どうしてこのように迅速にことを進めることができたのでしょうか。いうまでもなく、それは、こうした日本「国家」のやり方には「先例」があったからなのです。そして、その原点は、恐らく、「南京」にあるのです。

(続く)

石坂啓『安穏族3 突撃一番』―――「従軍慰安婦」に関連する三冊の本(1)

 日本国家そして「日本人」は「悪いこと」をしなかったのですか?
    そして、これから,どうしたいというのでしょうか? 


      
     前回の『つぶやき選集(17)』で、従軍慰安婦問題に対する橋下の議論を,おおまか、次のようなものだとまとめておきました。

     従軍慰安婦とは、「強制的」にではなく「合法」的にかき集められた兵士向けの「売春婦」で、こうした制度は、兵士の欲求不満を解消し秩序を維持するためには必要不可欠だとだれでも理解できる制度であり、確かに「軍」の関与もあっただろうが、「国を挙げて」やったわけでもなく、他の国の軍隊にもあったのだから、日本だけが批判されるのはおかしい、というものだ。長くなるので後日に譲るが、こんなもの、全て容易に否定しうるものだ。そして、ああだ,こうだと言い逃れをしようとしているが、結局、橋下は、従軍慰安婦制度の「強制性」(性奴隷制)を否認し、荒ぶる兵士に女性を「充てがって」鎮静化させるための制度の存在を是認しようとしたわけなのだ。「私は」それに賛成だとは言わなかったって? じゃあ、皆で,それを批判的に反省して、そうした仕組みを無くそうとしたとでも言うのかな? 在沖米軍に,(アメリカ人のでは恐らくなく)日本人の「風俗」嬢の利用を〈したり顔〉で勧めておきながら。本当になんてやつだ。戦後の日本政府の〈クレージー〉な対応についても後日、と。

     さて、こうした橋下や安倍や石原や平沼などといった輩の、いわば、児戯にも等しい言い訳や様々なレベルでの論点のすり替えそして詭弁は、本来ならば相手にする価値すらないものであるが、しかし、彼らとて「歴史的事実」に対して真摯に向き合おうとしているわけではサラサラなく、ただ只管、自らの政治的目的のために、「無知」な第三者に対する謀略・工作としてやっているつもりなのであろうから、それに対しては、きちんと反論しておいてやらねばならないだろう。ただ、私自身は、これらの問題に対する研究者でもないので、これらについては、たとえば、吉見義明氏の『橋下徹市長への公開質問状 』(http://www.ajwrc.org/doc/yoshimi-situmonjoh.pdf)やアジア女性資料センターの『日本軍「慰安婦」問題に関するアピール:政治家による「強制」否定と「河野談話」見直しの主張に対して』(http://ajwrc.org/jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=754)等を是非参照していただければと思います。現在、この吉見氏の公開質問状に対して橋下はダンマリを決め込んでいるようだが、ツイッターで自身の支持者に〈目くらまし〉的言辞を弄しているだけではなく、日本語が理解できる我々に対して、まさしく、理解できる日本語で是非回答してもらいたいものだ。(所詮、無理だろうけれど!)

     というわけで、今回のブログでは、私自身が、一人の『一般ピープル』として、この問題をどのように考えてきたのかを、三冊の著作の紹介を通して、述べておきたいと思います。 
     
     さて、思い起こせば、私の「従軍慰安婦」問題への関心は、千田夏光の『従軍慰安婦 正編』(三一新書、1978年)、日本テレビ『11PM』の「日帝 36 年」(「シリーズ・アジアと共に生きる」1982年)、石川逸子『「従軍慰安婦」にされた少女達』(岩波ジュニア新書、1993年)、吉見義明『従軍慰安婦』(岩波新書、1995年)などに触発されたものでした。さらに、今日、とりわけ紹介したいと考えているものが、次の一冊です。


 石坂啓「突撃一番」(『安穏族』3、集英社1984年)
    

     私の世代にとっては、手塚治虫の弟子として有名で、また、現在は『週刊金曜日』の編集委員としても活躍している石坂啓さんは、30年前のこの作品のなかで、従軍慰安婦問題に肉薄しています。作品は次のような言葉で始まり、そして、次のような言葉で締めくられています。

 冒頭部  軍人だったら 国が恩給をくれる 死ねば 遺族年金だっ
     てくれる
     でも あたしやアイちゃんのことを知っている人なんて 
     いったい どれだけいることかしらね
     毎日 毎日 二十人 三十人もの男と 戦ってた あたし達
     のこと―――

 終結部  その数 数万とも十数万とも 言われた 慰安婦たちの視
     点から男たちの戦争が語られることは ほとんどありません
     でした
     運よく 抗日軍の手に保護された 朝鮮の娘たちも
     ぼろぼろにされた 身体では
     自分の村へ 帰るに帰れなかった ということです

     この作品の主人公は、内地の娼家で働いていた日本人の慰安婦で、1944年から敗戦にかけ、中国戦線の慰安所で働いていたという設定になっています。まず、最も重要な点は、この作品が、〈日本人〉慰安婦の視点から「従軍慰安婦」制度とあの戦争を捉えるものとなっていることです。最近、YouTube上で、美輪明宏 『祖国と女達(従軍慰安婦の唄)』へのアクセスが急増しているとのことですが、実は、こうした視角こそ、我々にとって忘れてはならないはずのものなのです。そのことによって、「反日」だの、「美しい日本」だのと言っている輩が、なぜあのように「醜く」感じるのかも理解できるのです。
     さて、作品では、「従軍慰安婦」制度は、つぎのように説明されています。

     日本が 中国への侵略を深めるうちに 起こってきた 様々
     な問題―――
     中国人婦女子への強姦 虐殺・・・・・ 
     性病の広がりによる 戦力の低下・・・・

     あたしたちは その防波堤の役割を 課せられ 
     軍需物資として 戦地へ 送られてきたのです

     日本からは 娼家の女たちが
     そして 日本の植民地だった 朝鮮からは
     処女が 狩り出されて・・・・


     こうして、国家の意思によって作られていった「従軍慰安婦」制度は、この作品では、日本人と朝鮮人の慰安婦と言う、二系列の視角で把握されます。ところで、先にでてきたアイちゃんは、女子挺身隊員(本来、軍需工場などへ動員されや女性)として朝鮮から動員された15、6歳の少女でした。アイちゃんは、「ここへ つれてこられる時も 飯炊きの仕事だといわれていた」、「お父さん いやだ と言ったら 巡査にひどくなぐられた」、「わたしたち 日本の人に いつも だまされてきた」と言っています。歴史的現実の中では、本当に多様な事例が存在するのですが、当時、皇国臣民として動員された朝鮮半島の少女たちにこうした事例が多かったろうことはこれまた多くの証言で明らかのことと言わなければなりません。そして、彼女たちは、戦地における奴隷的拘束状態の中で、強姦され、暴行され続けなければならなかったのです。また、こうした、慰安所の設置と婦女子の「かり集め」の様相も国や担い手等々によって多様であり得たわけですが、とりあえず、南京については、次回で紹介予定のジョン・ラーベ『南京の真実』(平野卿子訳、講談社、1997年)、そして、インドネシアについては、鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二の対談集『戦争が遺したもの―――鶴見俊輔に戦後世代が聞く』における鶴見氏自身の「証言」を参照されたく思います。

     それでは、「大和撫子」たる日本人の慰安婦たちはどうだったのでしょうか。この作品では、次のように描かれています。自殺を図ったアイちゃんに、「がまんをおし 多かれ 少なかれ ここにいるのは 事情のあるものばかりさ・・・」と言う主人公は、また、(故郷の家族や妹たちのために)「稼ぐだけでなく こんな 自分の身体が 少しでも 国のためになるのならと 思っていたことも事実です」とも言うのです。―――「兵隊さんはお国のためにがんばってくださっているんだ あたしたちはその兵隊さんのためになろうってのよ (ありがたいと思わないのかい?)」、「今に きっと 日本が戦いに勝ってくれるんだから 亜細亜のみんなが幸せになるんだから それまでのシンボウよ がんばって稼いで 家族にみんなに 楽させてあげようよ ね」と。しかし、これらは、あまりにも有名な、戦前の愛国心教育の成果そのものであり、また、侵略戦争を正当化した大東亜共栄圏のイデオロギーでもあったのです。
     ところが、敗戦間近になると、自分たちを守ると信じていた軍隊は、あっさりと彼女たちを見捨て、置き去りにしてしまうのです。言うまでもなく、こうしたことは、敗戦前後に数多く見られた現象でした(棄民)。軍隊そして国家は、女をそして国民を守らなかったのです。

     そして、最後の場面は、戦地で(インフレ!)軍票を渡され、帰還船の中で、今まさしく空手形となったその軍票を握りしめ、「この重さはね あたしの 血の重さなんだ」と叫ぶ主人公の姿でした。今、従軍慰安婦は月収800円の高給取りだったと叫んでいる輩がいますが、この姿を見て、皆さんはどうを思うでしょうか。私は思います。「だまされた」のはアイちゃんたちだけではないのです。それは、日本人の従軍慰安婦であり、日本の「一般ピ-プル」も同様なのです。確かに、日本の加害責任を忘れることは出来ません。しかし、そのことをしっかり自覚するためにも、まず、一般ピープル自身があの戦争を指導した連中との「共同幻想」から解放される必要があるのです。

     彼らと彼らの末裔は、「従軍慰安婦」は、自ら金を稼ぐために、自由意志で、身体を売ったのだと言う。さらに、貧しい家庭の娘にとってそれは割のいい仕事であったとさえ言います。また、戦前は公娼制度が存在し、「合法」だったのだから、それを組織し、経営することにはなんら問題はなかったという認識も示します。しかし、そういいながら、彼らは、彼女らを「軽蔑」の念をこめて「売春婦」だと罵るのです。

     はっきり言おう。外国人の従軍慰安婦に関して(狭義・広義ともに)「強制」性がなかったなどという戯言は、国際社会では、一切通用するものではないことを。もし、ないと確信するのなら、国連で、中国で、韓国でそういってみるがいい。さらに、「日本人」にとって、さらに重大なことがある。それは、彼らが、戦地で働いていた、我同胞たる日本人の「従軍慰安婦」に悪罵を投げかけていることだ。このことは、あの時点で、そして、今の時点において、どういう立場から言い、何を意味するのか、はっきりさせておかねばならないことだ。

     私は売春が人類史の中で古い歴史を持っていることも知っているし、また、日本史における、中世の「遊女」たちのことも知っている。しかし、柳田国男が指摘しているように、そうした「遊女」たちのあり方と近世以降の「遊里組織」でのあり方とは根本的に異なっているのだ。それは、女を奉公人としてその自由を奪い、女衒(ぜげん)という職業が盛んに活躍を始め、娘を売るという家々の悲劇を引き起こしたからだ。柳田国男の著作から、その一部を引用しておこう。

     ・・・・ところが、普通の家に育った女たちの、泣いて親同胞と別れていく者になると、いつでもただ世の常のよすがを、考えずには居られなかったのである。芝居によくある貧ゆえの身売り、または欺かれてこの苦界に堕ちたと思う者は、もうその時から半分は世をすてていた。それがわずかに残った夢を押し潰されて、ふたたび家庭の人に戻ることができぬと決すると、すなわちいとも容易に絶望してしまったのである。実際またありふれた外の生活とくらべて、くらべようもないほどの残虐な任務でもあった。(「明治大正史 世相編」、『日本の名著・柳田国男』より)

    自由廃業の制度があろうとなかろうと、暴力によって担保された資本の足かせがどのように機能したかは、容易に想像しうるところだ。つまり、それが「合法」であろうとなかろうと、明治維新以降も、多くの女性たちが人権を蹂躙され、苦界で呻吟していただろうことは容易に想像できるのだ。それ故にこそ、そうした公娼制度は廃止されることになったのだ。しかし、そうした状況に対して、彼らは、身体は売らねばならなくなったが心は売ることはなかった女性たちと多く接し、彼女らを恨んだせいかどうかは知らないが、彼女らの苦しみに柳田のような「同情」を寄せることすらなく、まさしく、そうした制度の上に乗っかり、「従軍慰安婦」制度を推進すらしたのだ。その心性は、一言で言えば、同胞に対する醜悪なる差別心だ。それが、どのようなものだったのかは次回論じたいと思うが、ここで、確認したいのは、アジア解放の聖戦を主張していた彼らが言うところの「愛国心」や「民族共同体」などは、全くの虚偽に他ならなかったということだ。なぜなら、彼らには、目の前に存在する同胞の〈苦難〉に対する「同情の念」・「憐憫の情」すらなかったからだ。なんと「武士道」から遠いことよ!  
     
     長くなってしまいました。今日の結論をコミックの領域で表現しておくならば、私は、『ベルサイユのバラ』のオスカルのように、差別的で腐朽した既得権益層の側にではなく、フランス革命におけるバスティーユ行進の先頭に立った「一般ピープル」たる〈売春婦〉の側に立つということだ。 
 
(続く)

 

ストラディヴァリウス・サミット・コンサート2013 大宮

 
ドイツ音楽の気品あふれる極上のアンサンブル



   2013年6月9日 大宮ソニックシティ 大ホール
   演奏:ベルリン・フィルハーモニック・ストラディヴァリ・ソロイスツ


   曲目:モーツァルト/ディヴェルティメント へ長調 KV138
     J.S.バッハ /2つのヴァイオリンのための協奏曲   
      フンメル /ヴィオラのための幻想曲  
      バルトーク /ルーマニア民族舞曲
      バーバー /弦楽のためのアダージョ
      チャイコフスキー /弦楽のためのセレナーデ
  (アンコール)グリーグ/組曲『ボルべアの時代より』第1楽章
         ヴィヴァルディ/『四季』の冬、第2楽章
         モーツァルト/『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』第1楽章

     昨日は、妻と娘と三人で、室内楽の演奏会へ出かけました。それぞれが結構重い課題を背負いながら重い足取りで入場。しかし、三時間後、三人は、「上品な演奏だったね」、「上手の一言かな」、「あの音と演奏はいいよなあ」などと話しながら、高揚した気持ちを抑え冷静さを装いながら,足取りも軽く、家路についたのでした。それにしても、昨日、あの演奏者と聴衆たちを共に集わせ,あの素晴らしい音楽を楽しませることとなった主役は,300年前のイタリアの「一般ピープル」、アントニオ・ストラディヴァリとその「子供たち」ということだったのです。

     満員の大ホールに、最初の曲、モーツァルトのディヴェルティメントが流れる。ヴァイオリンをはじめとする弦楽器は、ピアノとは異なって、音への過度の感情移入や粘着性が感じられることもあるのですが、この演奏は、そのサックリした早めのテンポと〈淡白〉さが、私を微笑ませてくれました。ストラディヴァリウスの音は、あくまでも、明るく,透明で、湿度が低く、また、柔らかく,繊細で、暖かいものでした。
     2曲目は,私の好きなバッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲」。この曲は,「ロマンティック」に演奏されることも多いのですが、流石、このドイツ音楽の継承者達は、現代の聴衆に媚びること無く、当時のルター派新教徒たるバッハの音楽を、現在望みうる最高の水準で、再現してくれたように感じました。私の人生で最高の「2つのヴァイオリンのための協奏曲」でした。
     3曲目は、初めて聴く曲だと思いますが、名手が名器(グスタフ・マーラー?)を得て、”ふくよか”という形容が一番ふさわしいだろう音色を振りまきながらの、明るく楽しい演奏でした。
     4曲目は、何しろ、上手(うまい)!!! 生で「完璧」と思わせる演奏は,これまでは,アルバン・ベルク四重奏団だけだったが―――素人の耳では、一つの乱れも感ずることができなかった―――、この演奏も、まさしく、アンサンブルの極致と言ってよいと感じました。
     5曲目は、御馴染みの「弦楽のためのアダージョ」だった。途中で、第2ヴァイオリン(?)にチューニングの乱れ(?)があったようだが、なにしろ、あの緩やかな弱音がゆっくりと連なるあの曲を合奏するのには、大変な勇気と技倆がいることだろう。しかし,流石としか言いようのない、素晴らしさだった。
     6曲目は、チャイコフスキーの「弦楽のためのセレナーデ」。実は,プログラムを見た時,なぜこんな曲を最後に持ってきたのかと不満に感じていた。というのは、これまで、ラジオ、レコード、CDなど、色々聴いているのだが、なぜか,「つまらない」としか感じたことが無かったからだ。しかし、これはどうしたことだろう?生で聴いているからなのだろうか?この合奏団の楽譜の読みと実力の故なのだろうか?何しろ,この曲が,このように変化に富み、美しい曲だとは感じたことがありませんでした。いやはや、どうなっているのでしょうね。

     6曲が終わった後、万雷の拍手の中,団員の一人が,流暢な日本語で,おおよそ,次のような話をしてくれました。すなわち、この大宮公演が「ストラディヴァリウス・サミット・コンサート2013」の最後を飾る公演なのですが、彼らは、300年間にも渡って幾人もの音楽家達の汗と涙がしみ込んだこれらのストラディヴァリウスを手にする幸運を得、必死の練習を繰り返して,王様や王女様にではなく、この大宮の皆さんにこのストラディヴァリウスによって奏でられた音楽を聴いていただけたことを光栄に思う、と。憎いことをいうものだ。彼らは,盛んに,彼らが手に持つストラディヴァリウスを観客に見せようとする。私は,以前、歴史的に受け継がれてきたウィーン・フィルハーモニー・管弦楽団の楽器が、団員たちよりも大切にされ、輸送のときなどは大変だと聞いたことがあったが、まさしく,彼らが手に持つストラディヴァリウスも人類共通の財産なのだ。それは、現在の日本,そして,アメリカ等で猛威を振るう「私有財産」観念とは一線を画する,いわば、”コモンズ(共有財産)”の感覚なのであって、それこそが古典音楽の伝統と文化を担う彼らの誇りと責任と謙虚さの源泉なのだと強く感じさせられたのです。
     ついでに言っておこう。歴史的に、宮廷音楽家たちも、楽器製作者達も、「一般ピープル」そのものであったということを。そして、バッハも、モーツァルトも彼らの音楽を「一般ピープル」の為に作り、演奏することを欲していたであろうことを。

 ―――さっき、サーバントさんがゴミを出しに行く時にドアを開けっ放なしにしたので、僕は、30分ほど外で遊んできたよ。近所のIさんが、車に轢かれると大変だからと連れてきてくれたけれど、やっぱ、「一般ドッグ」も自由が良いよねえ
    

「一般ピープル」論への序章(1)――上尾・いずみ家

 
上尾市 大衆割烹 いずみ家 (上尾市上尾下1072-4)


※ 日常生活をしているなかで、”この人は本当にすごい”と思う「一般ピープル」が存在するものです。こうした、いわゆる、有名人やエリートではない「普通」の人々のことをどのように捉え,どう呼ぶべきかということについては、これまでも多くの人たちが考え、悩んできたところだと思います。百姓、町人、人民、常民、市民、大衆、等々。そして、私自身も,これから一年ほどをかけ、私もその一人である「一般ピープル」とは何かについて、古今東西の書物を読む中で、考えていきたいと思っています。ただ,今回は,それに先立ち、私の周りにいる素晴らしい「一般ピープル」(?)の一人を紹介してみたいと思います。

     私は,7年ほど前,兄と上尾近辺に行った際,偶然、「いずみ家」という店で昼食をとることになりました。その時は日替わり定食だったと思いますが、その味は,まさしく、ファミリーレストランなどでは決して味わうことのできない本物の和食のそれだったのです。値段は1000円にも満たないのですが、比較的裕福で,味にもうるさい兄も絶賛するものでした。私は,酒はほとんど飲みませんので、夜行くことはありませんが、この時以降、昼食時に上尾近辺に行く折には、できるだけ立ち寄るようにしています。そればかりか,休日には,家族を連れて上尾に出向くこともあります。
     私の一番のお気に入りは,「刺身定食」(997円)ですが、他に「焼き肉定食」「特選トンカツ定食」なども,まさしく,絶品といってよく、料理人の腕とプライドを感じさせるものとなっています。人生は、おいしい! おいしい人生は幸せである!!それを感じさせてくれるこの人は偉い!!! もの静かで,穏やかな中に、人生をそう確信させてくれるこの店のご主人を、わたしの「一般ピープル」論の〈理念型〉の一人として、まず、紹介しておきたいと思います。

フレー,フレー! いずみ家

    

剣道・達人の教え(7)―剣道だけやっていれば良いわけではない

 
高齢者にとっての「無理」と「がまん」


 ※ 我〈しもべ〉たる飼い主は、昨日,剣道をやりに出かけたよ。帰ってきたときには,左足を少し引きずっていた。はは~ん。またやりましたね、と。でも,夜の散歩には付き合ったので,大丈夫そうで、よかったよかった

     
     昨日の稽古にも我〈師匠〉はいませんでした。ただ,稽古の始めに、日本一になったこともある、Y八段が良い話をしてくれました。おおまか、「我慢は必要だが,無理はしてはいけない」という話です。とりわけ、中年から剣道を始め、「高齢者剣道」の領域に突入している私にとって、非常に含蓄ある話に思われました。

     若干の経験はあったものの、40歳を超えてから道場通いを始めた私にとって、剣道はかなり体に負担をかけるものといってよかったと思います。スポーツは好きで、また、観光登山とはいえ日本百名山の半数程度の登頂は果たしていましたから,スピードと体力に自信が無かったわけではありませんでした。しかし,構えと打突に向かうバランスが悪かったうえに、ついつい夢中になってしまい、左足の親指の下の部分の皮が剥けたり、腰を痛めることもしばしばあったのです。

     そうしたなかで,最低だったと記憶しているのがS六段という人で、この人は、出鼻をとったり,応じたりしてくれるなら問題ないのですが、上から押さえたり、竹刀を払って太刀筋を狂わせたり、要するに、私の体勢を崩して、無理な姿勢に陥れ、腰などに大きな負担を強いたわけなのです。正直、私は、「俺は,健康のために剣道をやろうとしているのだ」と、かなり憤慨したことを憶えています。力の抜き方のコツすら身につけていない中高年に対する懸り稽古が危険なように、無理な姿勢からの懸りと応じは中高年にとって禁物と言ってよいと思うからです。

     そうした中、当時、一見にして私の欠点を見抜いたのでしょう、「ゲスト」できてくれていた東京のN八段という方が、稽古の後声をかけてくれ、私の姿勢について次のようなアドヴァイスをしてくれたのです。その要旨は次のようなものだったと記憶しています。脚立(きゃたつ)が安定するためには脚立の脚(あし)の外側で支えた方が良い,だから、君も足裏の外側(小指の下辺り)に体重を乗せ,そして,踏み切りなさい,と。それからです。私の左足の皮の剥けることがほとんどなくなったのは。このことを,後に,わが師匠に話したところ、彼は首を傾げていましたが(要するに,本来は、足裏の中心、左右全体バランス良くということなのでしょう)、私は、N八段が当時の私にとってそれが最良のアドヴァイスだと判断されたのだろうと思っています。私のふみきりは100メートルのダッシュのそれだったのですから。

     もう一つ、「無理はしない」という点で印象深かったのは、数日前のNHK『クローズアップ現代』で放映された、元ジャイアンツの桑田真澄氏の話です。彼は、高校時代から体格的・体力的に他の選手よりも劣っていたそうなのですが,その彼は、疲れているのにも拘らず無理して練習することは効果がないばかりか逆効果でもあるとして、練習をしない日も作っていたそうなのです。また、彼は、昨年東大野球部のピッチングコーチに就任したのですが、真面目で長時間練習する東大野球部の選手たちに、ただ長く練習すれば良いというわけではないこと,短時間に、意識的・効果的な練習をおこなうべきだと指導・提言もしているというのです。勿論,このことは、体力的に衰えつつある中高年にとって、より一層当てはまることと言ってよいでしょう。

     さて、こうしたことと関連して思い出される、わが〈師匠〉の言葉に、「剣道は、剣道ばかりをやっていれば良いというわけではない」というものがあります。私のような世代にとって「文武両道」という言葉はお馴染みですが、さらに、「武」も剣道なら剣道だけをやっていれば良いというものではない、というのが我師匠の考えなのです。それは,彼の師匠が日本を代表する陸上競技の選手でもあった故らしいのですが、この言葉は、今の私にとっても,非常に意味あることと思われるのです。すなわち、今の私は、確かに、剣道そのものをやるために道場に立つ機会は多くはありません。しかし、好きな剣道は,道場でだけ可能だというわけではないのです。あらゆるところが、剣道につながる道場になりうるのです。焦ることはない。無理することは無い。好きなことを自分のペースでやって行こう。これが,師匠の言葉によって可能となった、現在の私の立ち位置なのです。

会津旅行と東京ドーム

   ※ 福島県は、私の人生のなかでも最も思い出深い、重要な場所の一つです。というのは、妻の実家が郡山で、学生時代から、妻の父親にほぼ福島県中の名所・旧跡を案内してもらっているからです。今回、4人の友人たちと訪れた場所も、それぞれ、40年前の思い出が詰まっていました。私の「昔語り」に,友人たちは苦笑いをしていました。『福島支援』(?)のための〈おじさん旅行〉の経路は、以下のようなものとなりました。


 5月18日 大宮―(JR各駅停車)―宇都宮―黒磯――郡山
   ―(レンタカー)ー磐越道・猪苗代磐梯高原IC―〈五色沼〉
   ―(ゴールドライン:無料)ー東山温泉(泊)
 5月19日 旅館―〈飯盛山〉―〈さざえ堂〉―〈鶴ヶ城〉
   ―(49号線)ー猪苗代湖―郡山―(JR新幹線)―大宮


裏磐梯・五色沼(毘沙門沼)
 



    ※ さわやかな空気と青空。旅行の大きな部分は天候に影響されますが、この日は、予報に反して、青空に恵まれました。 ただ、残念なことは,もう感づいておられると思いますが,私のカメラが故障してしまったことです。バッテリーの電圧異常かなにかでしょうか。
     今多くは語りたくありませんが、あの豊かな自然が見えない放射能で汚染されていることに、強い衝撃と怒りを感じます。そして、福島の再生は「原発事故を生み出した福島」の〈復興〉ではなく、原発に依存せず,自然と共生しうる福島の創出なのではないかと思ったのです。    


会津若松・鶴ヶ城




    ※ 二日目は、まず、飯盛山に登り、白虎隊の像などを見てきました。封建的家臣団の藩への忠誠心とはいえ、まあ,気の毒なことだと思いました。また、当時のナチス・ドイツによる白虎隊を賞賛する石碑も目にしました。国家指導者としては利用価値が高かったのでしょう。その後、近くにある、重要文化財に指定されている「さざえ堂」も見てきましたが、これは一見の価値あるものと感じました。その後、改修なった鶴ヶ城に向かいました。『八重の桜』の影響でしょうか、それなりの賑わいが見られました。鶴ヶ城で思ったことは、会津藩士や南部藩士らには薩長藩閥政府への複雑な思いがあったろうと想像するのですが、「東北の人々は、今、安倍政権に対してどんな思いを抱いているのか」、そんなことも考えてしまいました。「反骨の東北」そんな言葉が,ふと,頭に浮かんだのです。
    最後に,お土産は、「会津 武者煎餅」(オノギ食品)を是非勧めたいと思います。亡き義父母にもよく食べさせてもらいましたが、これは,草加せんべいをも超える、煎餅の〈ベスト1〉だと私は確信しています。郡山駅ビル内でも買うことができますので、是非一度ご賞味ください。



5月26日 東京ドーム
ジャイアンツ対バファローズ




    ※タダ券が手に入ったということで、40年ぶりにプロ野球を見ることができました.私自身はプロ野球ファンではないのですが、最新の社会勉強ができたと結構喜んでいます。ところで、私はプロ野球を自費で見たことはありません。40年前も、当時の後楽園球場で、ビール売りのアルバイトをやりながらの観戦でした。木の箱に瓶入りのビールを入れ,注文があったときに紙コップに注いで渡します。値段はよく憶えていませんが、百円ちょっとの半端な値段であったように記憶しています。そのため、暗算が苦手な私は、つまみの計算もあって,大体,計算が合わず損をしていました。そんなわけで、私はこのバイトをすぐやめることにしたのですが、ラッキーだったのは、私がランクが低い外野席担当だったため、右翼席と内野席の境あたりで、あの王貞治のライナー性のホームランを間近に見ることができたことです。
    今の東京ドーム。ビール売りは、ボンベを背中にしょった若い女性ばかり。それだけでも,時代の変化を感じることができました。そして、ビール一杯は、800円でした。

 ―――追記。6月2日の東北道・安積SAの草地の放射線量は、0.86μSv/hでした。何の罪科も無い子供たちに低線量被爆の影響がでないよう祈るばかりです。

SARO-MURIKI「つぶやき」選集(17)ジェジェ!そこまで言うの!

2013年5月―――橋下だとか、猪瀬だとか・・・安倍隠し?

 ※ わが〈しもべ〉たる飼い主は、5月は、結構、本を読んでたみたいだね。あと,お友達と会津地方に旅行に行ったり、40年ぶりに東京ドームでプロ野球を観たんだって。でも、僕にちゃんとした報告がないよね。なぜだ?


 国家と金融資本は信用してはいけない。
 ―――う~ん,実に核心を突いた〈つぶやき〉で,恐ろしいくらいだ。気をつけよう。

 
 NHKは原発の上をパラグライダーで飛ぶことをテロリスト扱いにするんだな。原発に反対することはテロリストと同じで、原発を守って再稼働させることが善というわけだ。
 ―――ところで、一国の首相である政治家・安倍が,盛んに原発輸出の「営業」をやっているが,我々はそんな他国の一般ピープルを危険に曝すようなことを頼んだ覚えはないよな。おかしくね!要するに、安倍は、東芝など原発関連企業の〈使イッパ〉というわけだ。肝に銘じようっと。

 
 高市早苗・自民党政調会長によれば、戦前の日本がアジアの国々に対して、多大な損害と苦痛を与えたのは、「自衛」のためで「侵略」じゃないんだって。子供の言い訳だよね。あれが侵略じゃなければ侵略とは何をさすんだ。朝鮮半島と中国の一般ピープルにとってそんな話が通用する分けないじゃないか。
 ―――戦前の朝鮮半島・中国に対する行為は,言うまでもなく(これまでの自民党政府も認めているように)、侵略なんだよね。自民党三役の一人としてはっきりしてもらいたいものだ。

 また、「当時は経済を断交されて日本の生存が危うく、自存自衛が国家意志だと思い、多くの人が戦争に行った」ということだが、対米英戦がそうだというのなら、まず、アメリカに行ってそう言ってみなよ。でも、吉田茂も「大東亜戦争」も「自衛」の名目で行われたと言ってたよね。
 ―――さすがに太平洋(大東亜)戦争を美化した「大東亜共栄圏」のイデオロギー、すなわち、太平洋戦争はアジア「解放」の戦争だったとまでは言えなかったようだが、『ABCDライン』に対する「自衛」戦争だったというわけだね。太平洋戦争が,中国への「侵略」を続行するために東南アジアの資源の「獲得」を目指し、その結果として、米英蘭と衝突した「帝国主義」戦争であったということは自明のことだけれども、侵略される側から言えば、米英蘭であろうが、日本であろうが、「侵略」に決まっているのだ。

 要するに、大陸への侵略に行き詰まった日本の戦争指導者たちの、東南アジア侵略のためのプロパガンダなんだよ。そのために、どれだけの多くの人々が犠牲になったことか。でも、この議論、現在の北朝鮮政府は、きっと、最大の理解者だと喜んでいるよ。
 ―――「現在,経済を断交されて、共和国の生存が危うく,自存自衛が国家意志だと思い、多くの人々が核武装を支持し、対米戦に備えている」と。ましてや、究極の無差別爆撃によって何の罪咎もない子供たちを含めた多くの同胞が犠牲になった被爆国の政府でありながら,アメリカに遠慮しているのかどうかは知らないが、核先制不使用の宣言にも賛成できないで、つまり、究極の無差別爆撃を批判・否定できないで、どうして北の核武装を本質的に批判できるのだ。日本であろうと北朝鮮であろうと、一般ピープルは国家を信用してはいけません。


 また、橋下がやってくれているが、恥知らずとはこのことだ。「従軍慰安婦」制度は、あの「聖戦」を戦った「皇軍」兵士の南京における婦女暴行があまりにもひどかったので、陸軍が考えたという説もある。敗戦後、日本政府は、負けた占領軍にも提供しているが、こういう輩の言動を恥知らずというだ。
 ―――橋下の議論は,おおまか、従軍慰安婦とは、「強制的」にではなく「合法」的にかき集められた兵士向けの「売春婦」で、こうした制度は、兵士の欲求不満を解消し秩序を維持するためには必要不可欠だとだれでも理解できる制度であって、確かに「軍」の関与はあっただろうが「国を挙げて」やったわけでもなく、他の国の軍隊にもあったのだから、日本だけが批判されるのはおかしい、というものだ。長くなるので後日に譲るが、こんなもの、全て容易に否定しうるものだ。そして、ああだ,こうだと言い逃れをしようとしているが、結局、橋下は、従軍慰安婦制度の「強制性」(性奴隷制)を否認し、荒ぶる兵士に女性を「充てがって」鎮静化させるための制度の存在を是認しようとしたわけなのだ。「私は」それに賛成だとは言わなかったって? じゃあ、皆で,それを批判的に反省して、そうした仕組みを無くそうとしたとでも言うのかな?在沖米軍に,(アメリカ人のでは恐らくなく)日本人の「風俗」嬢の利用を〈したり顔〉で勧めておきながら。本当になんてやつだ。戦後の日本政府の〈クレージー〉な対応についても後日。

 
 朝起きて思ったのだが、橋下は、歴史認識問題で窮地に立つ安倍を、自分が矢面に立つことによって救い、恩を売るためにあんなアホなことを言ったのではないか。そうとしか考えられないほどの恥ずかしさなのだ。どちらにしても、もう政治家としては、命脈は尽きたということだろう。
 ―――現時点で、橋下の「命」を救ったのは公明党だった。公明党って,あんな発言をした橋下が「行政の長」として大阪市に存在し続けることを認めるんだ! 『国家悪』の著者、元創価大学の大熊信行さんだったら,何といったでしょうね。学会系の知識人たちにも聞いてみたいものだ。
 
 NHK 視聴料とって,安倍の「太鼓持ち」ばかりするな!!! 公海上で問題ないといいながら,北朝鮮の領海内に落ちたといいながら、長い時間,分けも分からない潜水艦とミサイルの放送はやるんじゃねえよ。
 ―――最近のNHKニュースは、「安倍政権・全力応援」のため、なにか追いつめられたような雰囲気さえ感じられます。アナウンサーも,無節操な提灯持ちタイプは何も感じていないみたいだが、少しは世の中見えていそうなタイプは、何やらぎこちないというか,戸惑いみたいなものさえ感じます。このままだと、報道機関としての最低限度の信用さえ失ってしまいますよ。それとも,イスタブリッシュメントにとっては,安倍政権が最後の砦なのかな? でも、それじゃー、レベルがあまりにも低く過ぎるでしょう。そこまで,落ちたの?

 
 日本郵政の新人事。安倍政権は、私たちが「危うい」未来のためにコツコツと貯蓄した資産を,原発の東芝だの、新自由主義のキャノンだの、既得権益層と外国資本のエージェントに委ねようというわけだ。庶民よ,一般ピープルよ!こんなことを許しておいていいのか?!
 ―――自分で言うのも何だけれど、これまでのブログにも書いてきたように、経済学の基本に則って自立的に考えれば、「アホノミクス」(最近は、金子勝大先生まで「アホのミックス」なんて言ってますが)の性格と帰結など、簡単に理解できるものだ。そして、その最も犯罪的な行為は、一般ピープルが(その労働の成果の一部を将来の一定の時期における分配の基準として)蓄えている「貨幣」」あるいは「資金」を収奪ないし減価させることだ。何が株価の上昇だ。その上昇を支える貨幣をどこから、どのように持ってきているというのだ。もう一言,「インフレは、資産家による無産者(サラリーマン)からの間接的な盗みだ!」(直接的な盗みはデフレということになる)
 
 橋下徹のツイッターを覗いてみたが,まあ,口からでまかせに色々と言うものだ。詭弁を弄して論破したふりをしたい子供みたいなものだ。前言を翻して防戦に努めながら、相変わらず基本的な論理を歪めて自己正当化を準備する。でも,あの言い訳を支持者はどう聞いているんでしょう。いいんですかね?
 ―――橋下の支持者たちは,安倍の支持者たちと同じように、いわゆる「歴史修正主義」的言説に反応して、喜んでいたわけですよね。ところが、今、主にアメリカからの批判を受けて、彼らがその言説を否定しようとしているのを支持者たちはどんな気持ちで見ているのでしょう。まあ,国内的には、〈敵〉に勝つためには口からでまかせ何でもありだみたいに見せたいと思っているのでしょうが、結局のところ、橋下や安倍は、自己保身のために、彼らの「基本理念」に冷水を浴びせているわけですよねえ。違うんですか? 要するに,彼らは、国内的にはライオンのふりをしたいのだけれど、結局,米ソ冷戦下にアメリカによって育てられた飼い猫なんですよ。にゃん子、ごめん。
 
 「夢は、諦めなければ,必ず実現できる」という話は,ちょいと,欺瞞的では。ということは,実現できないのは,諦めたお前が悪い、ということになるよね。諦めないことも大切でしょうが、「宝くじは,買っても当たるとは限らないが,買わなければ絶対当たらない」ぐらいが謙虚で良いんでは?!
 ―――私は、〈命〉に厳密な因果律を適用して考えることはできないと思っています。要するに,個の「努力」や定められた「運命」ではなくて、「偶然」によって個の〈生〉は推移して行くのです。勿論、実存的投企や自律ー自己責任も大切だろうが、一般ピープルの人生は多くそんなことでは決まらないのだ。現在の若者の雇用情勢一つとってもそうだが、明日、一方的に車にぶつけられ、働けなくなることもあるのだ。そうした、個人の努力や生き方ではどうにもならないことを自覚することから,共感や連帯や相互扶助も生まれる。そうした感覚をスポイルする一つが、「夢は、諦めなければ,必ず実現できる」といった自己責任論の神話です。
 
 櫻井某とかいう女性評論家は,えらく上品ぶっているようだが、心の中は、「下司」そのもの、発想が醜いね。週刊新潮の記事の感想なのだが、低線量被爆に対するプロパガンダまでは「ご愛嬌」だが、避難している被災住民を貶める発言は許せないと思った。自民支持者のルサンティマンはあれに反応するんだ。
 ―――昨日、聞いたらアナウンサーだったんだってね。どうせ,日テレか,フジでしょう?どおりであまり観たことがなかったわけだ。あの手の評論家は権力者に〈雇われて〉彼らの弁護をやっているわけだから、要は、あることないことを持ち出してきて、自民党政権や東電による原発の開発や再稼働を推進しようと努力するわけだ。足尾鉱毒事件の時も,水俣病の時も、然りだ。
    特に、櫻井が、「川内村」の遠藤雄幸村長の話を持ち出しながら、自分らこそ根拠レスの身内の恣意的基準を振りかざしながら、「1ミリシーベルト神話」などと低線量被爆への危惧を揶揄し、さらには、原発事故によって故郷を汚され、様々な理由で帰村しない人々に対して,次のような理由で経済的圧迫を加え、帰村を「強制」しようとさえするのだ。

    しかし、人々が戻らない理由のひとつが利便性の味を知ったことだと遠藤村長は語る。
「避難先の郡山市などでは、川内村のときより楽で贅沢な暮しが出来ます。しかし、それは自力で支えているのではなく、東電などの生活支援による生活です。足るを知る次元から、遠くなりつつあると私は感じています。困ったときの行政頼みの傾向が強くなったのも明らかです」
     現在、仮設住宅や借り上げ住宅に住んでいる人々には、1人月額10万円が東電から支給され、それは平成26年3月まで続行される予定だ。自宅に戻りたくても戻れない人々には必要な支援だが、戻れる環境が整っても戻らない人々が出てくる背景には、この種の支援があるのも確かだと遠藤村長は語る。
「新政権の援助は住民の自立を促すものにしてほしい。月額1人10万円の援助は、少なくとも、26年3月以降は延長しないことを明確にして、自立に向けた心の準備を促してほしいと思います」

    おいおい、誰に向かって説教たれているのだ。福島原発事故そしてその結果としてある現状の責任はどこにあるのだ。ちゃんと責任とらせろよ。そして,おそらく、自民党の「太鼓持ち」として「原発安全神話」を吹聴してきただろう櫻井自身も〈自立的〉に責任を取ってほしいものだ。勿論,帰村の結果、何の罪科も無い子供たちに、低線量被爆の影響で被害がでたら(チェルノブイリのように、個別的因果関係の立証は難しくても、確率的な恐れは明らかにあるだろう)、勿論,〈美しい〉あなたは「腹を切る」よね。


 猪瀬がまたやってくれた。本当に懲りないものだ。私は,外国の人たちの感覚はよくわからないけれど、日本が好きな外国人にとって、あれは幻滅を誘うものなのでは。「大金用意したよ。キャッシュでね」ですからね。それにしても、今の日本,「金を使う所、そこじゃないでしょう」というのが多すぎるね。
 ―――まあ、もうほとんど,涙が出るほど情けない状況になってきた。報道機関も,視聴者をなめてますよね。あの当時だって「大本営発表」は眉唾だったわけでしょう? WHY?の答えが無かったって。イスタンブールが強そうだって? 情熱? ユーモア? あれは何ですか? 卑屈でしょう。



 
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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