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servant-murikiの〈参院選2013〉総括――一般ピープルの政治を

 
安倍の「日本取り壊し」が進む
―――でも、荒れ野の中に、「希望」の火も見える―――



  ※ 昨日は、参院選挙の投票に行ってきました。私が投票した候補者は当選しませんでしたが、まあ、こんなものでしょう。結果は、投票率52%そして全有権者の20%弱の得票で、安倍自民党「圧勝」という結果でした。投票日前から自民の圧倒的優勢が伝えられる中、選挙についてはほとんど触れない人、あるいは、選挙後の厳しい状況の中で如何に生きて行くべきかを考えているような人、色々な人がいた様に思われました。私自身は、気分が悪くなるのは予想していましたので、防衛機制を色々働かせ、なんとか心の平静を保っていました(苦笑)。ただ、これからの日々を考えると、今回の選挙についての一定の評価も必要と思われます。以下、その覚え書きです。

アベノミクスへの幻想

     今回は、ほとんど開票速報を見ませんでしたが、なぜ安倍自民党が勝ったのかといえば、いうまでもなく、投票者の相対的多数がアベノミクスの景気浮揚効果に期待したからなのでしょう。株価が上がったとか、円安によって輸出関連企業の収益が増大したとか、雇用や求人が増加したとか、虚実織り交ぜた様々なプロパガンダが功を奏したということです。しかし、再度確認しておくならば、現象的な数値的景気上昇を生み出した「財政出動」や異次元の「金融緩和策」も、確かに一部の富裕層や自民党支持者には現実的な利益をもたらしているでしょうが、一般庶民にとっては、単に実感が伴わないというだけではなく、実際は、一般大衆の負担、すなわち、〈税の先取り〉や〈インフレ・物価高〉によって、それらが行われているということが重要なのです。それらは間接的に、かつ、時間差を持って行われますから、直接的な負担を感じさせないよう仕組まれているのです。しかし、これからは、福祉目的などといった理由付けを伴う消費税増税などによって、その負担は一層加重されていくのです。さらに、自民党の「成長戦略」などは、原発政策を見ても分かる様に、自民支持の既得権益層の利益にのみ配慮したものであって、人類がこれから目指すべき持続可能な新たな産業構造に向けたものではあり得ないでしょう。こうして、イスタブリッシュメントの利益は、大衆課税や福祉削減など様々な形で仕組まれる、一般ピープルの「痛み」によってのみ実現されて行くのです。
     結論から言えば、国際金融資本支配下の国際経済の流れからいっても、世界的な生産力の上昇は難しいでしょうから、アベノミクスは、まさしく、「アホノミクス」として、「失敗」(=日本の国民経済と生活の破壊)を宿命づけられていると言って良いのです。さあ、その時、どのようにして、私たち一般ピープルは自らの「命と生活」を守ることができるのでしょう。また、その時には、その「失敗」を糊塗しようと、再び、国内における「犯人」探しや「外敵」の強調がなされるでしょう。その時が、日本国憲法、最後の試練の時です。これからの4年間が、今後50年の日本の姿を決めることになるでしょう。


特に良かったと思うこと

(1)山本太郎(東京)の当選―――あの若者がやってくれた。多くの若者たちの支援を受けながら、私たちが今最も真剣に対処しなければならない諸問題(原発、TPP、そして、労働問題等)について、非妥協的かつ舌鋒鋭く論じる姿には感動をさそうものがありました。日本の政治システムとあの職業政治家たちに対する不信感は、投票所に足を運ぶ者にとってさえ拭い難いものがあったのです。この若者の政治参加は、こうした閉塞感を突き破る、新しい可能性を感じさせてくれたるものだったと思います。今後、マスコミをはじめとするイシュタブリッシュメントからの攻撃は想像以上のものとなるでしょう。しかし、あくまでも、その志を貫き通し、頑張ってほしいものです。期待しています!

(2)糸数慶子(沖縄)の当選―――沖縄はやはり私の信頼を裏切りませんでした。沖縄には、どれだけ多くの利益誘導や恫喝が行われたことでしょう。しかし、沖縄の人々は、〈本当〉の「命と生活」を守り、実現するために、彼女を選択したのだと思います。私も、困難な状況の中でも、そうした価値観を持ち続けることができればと思います。ところが、これに対し、福島の人々は自民党を選択することになりました。その思うところを正確に察することはできないにせよ、それは、今の日本の悲惨な状況を最も悲劇的な形で表わしていると思わざるをえません。双葉町の井戸川さんを始め、福島の被災者そして福島の〈意識的〉な人々には、今後、より困難な日々が待ち受けているかも知れません。しかし、「理」はあなたたちにある、私はそう信じています。

(3)共産党の健闘―――〈自共対決〉という言葉が使われていますが、やはり、現在の議会政治のシーンの中で、自民党をその政治的代表部とするイスタブリッシュメントの支配に対し、最も一貫して反対を貫いてきたのは日本共産党ということになるのでしょう。とりわけ、社民党と民主党が、その政権への参画を条件に、現在の日本が抱える最も喫緊の問題を生み出している根本原因ー構造に対して極めて非原則的な妥協と受容の姿勢を見せてその支持者を裏切り、今日の政治不信の大きな原因の一つを生み出したことを考えれば、その存在は非常に大きな意義を持つといえるでしょう。日本共産党には、(その組織論的な問題点を自省しつつ)、その原則的で批判的立場を守り、政党としての信頼感を失わず、活躍してほしいと思います。


日本の民主政治は?

     それにしても、比例代表の得票率からいえば、総有権者数に対する自民党のそれは、「投票率」52.61%の34.6%、すなわち、18.2%でしかないのです。この政党が、議席の過半数53.4%をとっているのです。原発、消費税、TPP、福祉など国民多数の意見は国会の場には反映されていないと言ってよいのです。選挙前のマスコミによる政府・自民党のあの圧倒的な支持率は何だったのかとも思うのですが、このような詐欺にも似た政治構造がまかり通っている限り、日本の政治の民主主義的な運営はあり得ないというべきでしょう。
     私たちは、私たち自身の「政治」参加の形を、その第一歩から考えて行く必要があると思います。私も、マジで、考えていきます。

  
18.2%の安倍自民党が圧勝?それって、「詐欺」でしょう!




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私にとっての「愛国心」とはなにか(2)―――「同胞」考

 
  開かれた「同朋愛」は偏狭な「ナショナリズム」を超える
 
 ――同胞を使い捨てにして「領土・領海・領空を守る」などという輩は愛国者ではない。

     
     安倍首相は、長崎国際テレビ番組のインタビュー(12日収録、15日放送)で、「われわれは9条を改正し、その(自衛隊)存在と役割を明記していく。これがむしろ正しい姿だろう」と述べ、今回の参院選で今まで封印してきた、憲法9条〈改悪〉への野望をあからさまにするに至っています。
     また、7月16日の東京新聞朝刊によれば、石破自民党幹事長は、現行自衛隊法では、隊員が上官の命令に従わない場合、最高でも懲役7年が限度であるということから、「国防軍」の創設が実現した暁には、日本国憲法では禁止されている特別裁判所の一つ「軍法会議」にあたる、「審判所」設置の必要性に関して、次の様に述べている。

 「『これは国家の独立を守るためだ。出動せよ』と言われたときに、いや行くと死ぬかもしれないし、行きたくないなと思う人がいないという保障はどこにもない。だから(国防軍になったときに)それに従えと。それに従わなければ、その国における最高刑に死刑があるなら死刑。無期懲役なら無期懲役。懲役三百年なら三百年。そんな目に遭うぐらいなら、出動命令に従おうっていう。人を信じないとかいわれるけれども、やはり人間性の本質から目を背けてはいけない。」

    現行の自衛隊は「国の独立」を守るために出動するのではないと認識しているのかどうかは分からないが、現在、問題の焦点となっているのが、アメリカが要求する「国際貢献」、すなわち、海外における米軍との集団的自衛権の行使であることを考えれば、具体的には、たとえば、日米軍事同盟に基づきアフガニスタンで「国防軍」が戦闘行為にはいった時、「上官の命令」に従わなければ、現行の刑法では死刑が最高刑であるのだから、「死刑」にするというわけだ。さらに具体的に言えば、青年期にキャンディーズの〈追っかけ〉をしていた(→https://twitter.com/kinokuniyanet/status/357705297126621184/photo/1 )〈軍事オタク〉が内閣総理大臣=国防軍の最高司令官になったとして、そんな輩が、私の子供たちに人を殺すよう命令し、私の子供たちがそれを拒否すれば、〈死刑〉というわけだ。ふざけるな

     今日、ジブリの『熱風』(2013年7月号特集「憲法改正」)で、宮崎駿や高畑勲の論稿をを読みました(→http://www.ghibli.jp/docs/0718kenpo.pdf)。ところで、私には、「私にとって〈愛国心〉とは何か」を書くという宿題があったのですが、参院選を前にした安倍や石破の言動を前にし、また、年上の宮崎さんや鈴木さんや高畑さんの、まさしく、そうした「流れ」に逆らう抵抗を見るにつけ、私も不十分ながら自らの問題意識の一端でも書き残しておきたいと思い、推敲不足ではありますが、アップしておきたいと思います。お付き合いください。

     
     前回の『私にとって「愛国心」とはなにか(1)』で、私は、近頃やかましい「愛国心」とやらについて、主に〈個〉的な水準から批判しておきました。こうした地点から、彼らの〈利己的〉な司令官ぶりを見れば、余程のお人好しでない限り、その言葉を単純に信じることはないだろうとは思います。ところが、考えてみると、私の中にも、「愛国心」と水準を同じくするような意識があるのです。すなわち、私の中には、〈個〉的な水準だけではなく、〈集団〉的な水準、つまり、夫婦であったり、親子であったり、兄弟であったり、同郷者であったり、同窓生であったり、同国人であったり、同じ人類、そして、同じ地球上の生き物であったりすることへの〈共同〉的意識、生死、利害あるいは運命を共にする、いわば、「愛」と表現しうるような、〈共同〉性の意識もあるのです。

     勿論、こうした個と個、個と集団、そして、集団と集団との〈共同〉的な意識や関係も予定調和的なものではあり得ず、必ず、矛盾・軋轢・対立などが不可避的に存在しますから、それらは何らかの形で「調整」、「統合」、あるいは、「分離」などが図られなければならないと考えられます。こうした点については、また、後日、稿を改めて論じたいと思いますが、今回、特に問題にしておきたいのは、こうした〈共同意識〉の領域における、(1)親子、兄弟、友人、あるいは、隣人といった直接的関係を持つ人々との間の共同意識と、(2)より広範囲な、例えば、その多くは「民族」国家として歴史的に形成されてきた、近代「国民国家」の共同意識=「ナショナリズム」、この両者の関係についてです。いうまでもなく、この両者を直接結びつけるものはないのであり、必ず、媒介の論理あるいは仕懸けが必要なのです。

     ところで、ここで注意しておかなければならないのは、おそらく、私たちの中には、そうした「ナショナリズム」とは必ずしも一致するものではありませんが、しかし、その〈基底〉をなすがごとき共同性の意識が存在するだろうということです。それは、同じ言語や習慣、宗教や文化といったものを共有する者同士の感情あるいはそれへの〈帰属〉意識であり、あるいは、また、同じ風土や自然や生活圏(市場圏あるいは再生産圏)を共有する者同士としての感情あるいはそれへの〈帰属〉意識と言ってよいだろうものです。こうした意識を、今は、仮に、社会における「同胞」意識と呼んでおきます。しかし、こうした意識は、家族愛などの身近な人々との共同意識と同じ様に、いわゆる、政治的すなわち排他的な支配ー従属関係の下に統合された「ナショナリズム」=「愛国心」とは性格を異にするものだと私は思うのです。すなわち、こうした「同胞」愛は、政治的な「愛国心」とは〈切断〉されて在るのです。しかるに、私たちの親の世代の多くは、戦前の「国家」主義な侵略戦争に動員された際、既存の「国家」=政府のために戦うことが、家族や隣人そして「同胞」のために戦うことだというレトリックや宣伝に包み込まれ、その本質を見誤ってしまったのだと思うのです。

     こうした国家主義的な「ナショナリズム」=「愛国心」の包摂・統合のメカニズムについては稿を改めたいと思いますが、今回は、「同胞」に平気で嘘をつき、また、「同胞」を死刑にすると脅かしながら、「同胞」の命と生活を「道具」として利用する〈戦争への動員〉が、一方では、国家的な敵対関係を故意に強調しながら、また、他方では、極めて原初的な身近な人々に対する愛情や社会の「実体」的な相互依存関係を基盤に必然的に生まれるだろう「同胞」意識を利用しつつ行われるということに、万全の注意が必要であると確認しておきたいと思います。しかし、また、開かれた同朋愛(家族愛や同胞愛・・・)は、両者の違いを認識している限りにおいて、そうした偏狭な「ナショナリズム」を批判し、超えることができるであろうことも確かだと思うのです。

     日本国憲法の「平和主義」を護り、実現しましょう!

 
     次回は、「日本人」あるいは「日本民族」とはなんなのか、という点について述べる予定です。
  


 

基本的人権の普遍性について―――近松門左衛門によせて

 
「浮き世」を憂える「人情」に 



     7月12日のブログで、自民党憲法「改正」草案から日本国憲法97条が全面的に削除されていることについて触れましたが、そのことは、アベッチたちが、天賦人権(全ての人が生まれながらにして持ち、誰からも奪われない権利)論に基づく日本国憲法の「人権」規定に根強い抵抗感を持ち、さらに直裁にいえば、国民のそうした「人権」を制限し、新しい〈義務〉を課したいと強く意図しているのだということを、はっきりと認識しておかねばなりません。元々アベッチたちが主張している「自主憲法」とは、大日本帝国憲法=「明治憲法」をモデルとしたもので、そこで規定されていた「臣民の権利」とは、中江兆民流に表現すれば「恩賜の民権」であって、天皇の家来である「臣民」が支配者たる天皇から恩恵として与えられた権利に過ぎなかったのです。それ故に、もし〈為政者〉にとって都合が悪くなった場合には、それらはいつでも制限ないし停止できるものとして把握されていたのです(「法律の範囲内」、「天皇大権」)。そして、こうした「人権」規定の下では、「臣下」としての国民の、天皇・国家に対する「義務」・「責任」が強調されていたのですが、その中核的な位置にあったのが、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」る、つまり、天皇のために命を捧げる〈兵役の義務〉であったことは言うまでもありません。さらに、こうした「人権」規定そのものを正統化していたのが、西欧的な個人主義(「個の尊重」)とは異なる、日本の歴史的伝統、すなわち、(建国神話に基づく)天皇への「敬愛」や「忠誠心」だったというわけなのです。一時の権力者にとって、これほど都合の良い理屈はなかったことでしょう。そして、現在の自民党の憲法「改正」草案の根底にあるものも、これと五十歩百歩のものであるということは忘れてはならないことなのです。

     ところで、私たち日本国民にとって、日本国憲法が「侵すことのできない永久の権利」と規定した「基本的人権」は、日本民族の「文化」には合わない、それこそ、外国から押し付けられた「権利」ということになるのでしょうか。「日本人」は、日本国憲法で規定された「自由」や「平等」や「人としての幸福」を求めていなかったということなのでしょうか。逆に言うと、基本的人権という概念は、歴史的あるいは文化的に、「普遍性」を持たないというのでしょうか。

     私は、若い頃、近代民主政を支える「基本的人権」(自然権・自然法思想)という概念の〈普遍性〉について考えたことがありました。そして、その時の結論は、意識的にせよ無意識的にせよ、あるいは、それが言語的にどう表現されるかどうかは別として、また、人格的あるいは階層的な差違もあるだろうけれど、近代西洋において「自由」とか「平等」とか「幸福」などといった言葉で表現されたものは、おそらく、それが支配的であるか潜在的であるかは別にして、人間の基底的な〈欲求〉として、時代や場所を超えて存在しただろうし、又、これからも、それが孕む様々な「矛盾」や「限界」を克服しながら、存在し続けるだろう、というものでした。(←スパルタカスの反乱)

     また、日本についていえば、私が35年ほど前に井原西鶴の『好色一代男』を読んだ際、―――私自身は世之介とは全く違うタイプに属するのですが(苦笑)―――、彼の生き方の中に、封建的身分秩序を突き破ろうとする、人間性の解放に近い欲求を感じたことを記憶しています。また、溝口健二監督の『近松物語』に触発されて、近松門左衛門の戯曲も何編か読みましたが、私は、そこで人々を泣かせた〈人情〉の中に、日本の「一般ピープル」の封建的身分社会(「義理」)に対抗する「自由・平等・幸福追求」の如き〈欲求〉を感取できたように考えたのでした。

     例えば、近松の代表作『曾根崎心中』は、「誰が告ぐるとは、曾根崎の森の下風音に聞え 取り伝へ、貴賎群衆の回向の種 未来成仏疑ひなき、恋の手本となりにけり」で終わるのですが、私が注目したのは、冒頭の「観音廻り」の最後の部分、「さしも草、草のはす葉な世に交り 三十三に御身を変へ、色で導き、情で教へ 恋を菩提の橋となし 渡して、救ふ観世音、誓ひは 妙に有難し」(観世音様は、衆生の浮薄な世に交り、三十三体にお姿を変え、色で導き、情で教え、恋を悟りへの懸け橋として、彼岸へ渡して救うてくださる。この観世音の御誓いは言いようもなくありがたい)でした(『日本古典文学全集 近松門左衛門集(一)』小学館)。すなわち、近松の基底的な価値意識は仏教であったようですが、この文を私なりに読めば、それは、仏教の「平等」観ないし「自由」観によって(?)、封建的な身分秩序の正統性を否定する、いわば、「性と文化」の〈革命〉宣言であり、勿論、全く同じものではありえないにしても、現在私たちが考える「自由」や「平等」への希求と通底するものがあったと言って過言ではないと思うのです。この他にも、「浮き世」の「義理」と若い男女の「人情」との葛藤を一番分かりやすい形で構図化している『五十年忌歌念仏』(西鶴の『好色五人女』におけるお夏清十郎の話とは異なります)、また、近松の最高傑作と考えられる『心中天の網島』などは、人権概念の普遍性を考える上で、尽きることのないイメージを与えてくれると言ってよいと考えられました。(―――そこには、「人情」の多面性や多義性、そして、「義理」の多面性(身分や金など時代拘束的なそれと普遍的あるいは一般ピープル的な「信義」としてのそれ)など興味深い視点を数多く発見できます。この点については、又稿を改めて論じたいと思います)

     ところで、過日、歌舞伎座で『平家女護島 二段目 俊寛』を観たのですが、昨日、やっとその原文が載っている本(『鑑賞 日本古典文学 近松』角川書店)を入手でき、読むことができました。その結果、先に述べた私の印象はさらに一層強められたと言って良いと思います。成経と千鳥との〈身分〉を超えた恋、俊寛と妻あずまやとの一途な愛、それに対する、封建的支配者たる瀬尾や清盛の横暴。千鳥の「ものゝふはもののあわれ知るというは偽り、そらごとよ。鬼界が島に鬼はなく、鬼は都にありけるぞや」という言葉、それは、まさしく、人間の最も基本的な幸せの基礎をなす、男女の性愛を否定する封建的な秩序に対する批判に他ならないといえるでしょう。また、「俊寛が乗るは弘誓の船(菩薩が衆生を助けて彼岸に渡す誓願を船に例えていう語)、浮き世の船には望みなし」という俊寛の言葉は、「浮き世」そのものの革命的な変革ではないにしても、その否定に基づく、新しい世界の希求であることは間違いないことでしょう。

     近松の人形浄瑠璃や歌舞伎を見て涙を流した、江戸時代の一般ピープルの心には、おそらく、言葉としてはなかったにせよ、間違いなく、あの男女が「自由」であり「平等」であり、「両性の合意」によってのみ結ばれて「幸せ」になることができれば(!)、という思いが存在したに違いありません。すなわち、日本人の歴史の中にも、基本的人権たる「自由・平等・幸福追求」を目指した〈想い〉と〈闘い〉が存在したということです。そして、こうした日本人の心の中に存在する、人間としての普遍的な〈欲求〉を無視するがごときは、まさしく、彼らが、「瀬尾」であり、「清盛」であることを示すものと言ってよいに違いないのです。
 
     日本国憲法の人権規定の〈破壊〉を許してはならない! 
              日本国憲法の基本的人権を深化・発展させねばなりません!

アホノミクスに対峙する「一般ピープル」の経済論(1)

 インフレと経済成長論
        ――― 一般ピープルにとってなにかいいことあるのかな?

    今回の参院選の争点は衆参の「ねじれ解消」→「決められる政治」の実現とか言われているようですが、勿論、その前に、安倍政権の〈政治〉・〈経済〉そして〈外交〉政策そのものの是非が問われなければならないことはいうまでもありません。

    国内政治に関していえば、安倍〈デジャアベ〉政権は、基本的人権・国民主権・平和主義という日本国憲法の原理・根幹を否定せんとする、極右的姿勢を鮮明にしています。基本的人権に関しては、自由権・平等権・社会権などに関わる個別的な案件はもちろんのこと、第97条(【基本的人権の本質】この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、おかすことの出来ない永久の権利として信託されたものである。)の全面削除という信じ難いその方向性のなかに、天賦人権論の〈本質〉そのものを否定しようとする安倍政権の本質が現れていると言ってよいでしょう。また、国民主権については、天皇の元首化をはじめ、要するに、一人一人の国民の〈主権者〉としての意識や権限を、明治憲法的な「天皇」観や〈国家主義的〉な「公共性」の観念によって統制しようとする姿勢を露にしています。そして、平和主義に対しては、9条を変え、国防軍と呼ばれる軍隊を組織し、若者たちを海外に派兵し、アメリカなどと協力して本格的な戦闘行為を行えるようにと目論んでいるのです。これらについては、後日、一般ピープルの視点から再度論評する予定ですが、今回のブログでは、マスコミによって相対的に多数の国民が評価ないし期待しているとされる「アベノミクス」について考えておきたいと思います。

     ところで、私は、野田政権の末期、次期政権を窺っていた安倍とそのブレーンがほのめかしていた脱デフレ策に注目していましたが、安倍政権の成立後の2012年12月26日、ツイッターで次のようにつぶやいています。

○ 「アベノミクス」(?)とか言う言葉が使われているようだ。まあ、私から言わせれば、政官財の癒着によって国民から抽出した金を身内にばら撒く古い「自民党政治」と、格差を生み出した新自由主義的な「小泉政治」とのミックスということだ。正確にいうならば、すでに破綻した、そして、今後も失敗を約束されている、「アホノミクス」と呼ぶべきものだ。

     人間考えることは同じで、今流行の「アホノミクス」という言葉を私自身も考えついていたというわけです。私のこうした評価は三本目の矢たる「成長戦略」が示された後の現時点においても基本的に変るところはありません。しかし、この6ヶ月間、マスコミは、アベノミクスへの期待と「成果」を盛んに報じてきたのでした。最初は、株高と円安でした。しかし、株高によって一般ピープルの生活はどうなったというのでしょうか?! また、円安によって、一般ピープルの生活はどうなったというのでしょう?! つまり、一般ピープルの負担に基づかざるを得ない金融緩和と財政出動と言う〈形態〉的操作によって、〈誰〉が利益を得たというのでしょうか。各人は、胸に手を当てて、じっくり考えてみるべきです。確かに自動車をはじめとする一部の輸出関連企業の業績は上昇したのでしょうが、その反面、石油をはじめとする輸入関連商品の価格の高騰によって、一般ピープルの生活は窮地に立たされつつあるのです。

     また、最近、アベッチは、〈雇用増大〉や〈景気上昇〉に関連する具体的な数字を挙げながら、景気は「良くなっている、良くなっている」と、我々を言いくるめようとしています。しかし、このアベッチの言葉に真実はあるのでしょうか。勿論、最近のある調査では、逆に、80%を超える人々がアベッチの主張する〈景気上昇〉に対して「実感がない」と答えているのです(「実感がある」は12.6%)。これはどうしたことなのでしょうか。

     まず、数字というものはそのまま信じてはいけないということなのですが、こうした数字によって示された〈雇用増大〉について、共産党の志位委員長は次のように述べています。
  「フジテレビの党首討論会。安倍さんは、雇用を昨年比で60万増やしたといつも自慢します。私は、増えたのは非正規雇用で116万人。正社員は47万減っていると指摘しました。正社員から非正規社員の置き換えがおこっているのが現実です。 人間の使い捨てをもっとひどくするのがアベノミクスです。」 (ツイッターより)   
     私も、時々、総務省統計局のHP(http://www.stat.go.jp/index.htm)を覗きますが、たとえば、その「労働力調査(基本集計) 平成25年(2013年)5月分 (2013年6月28日公表)」の一部だけを見れば、アベッチの主張を裏付ける数字を発見できます。しかし、雇用形態の〈推移〉をより詳細に見ると(つまり、5月速報値と「詳細集計・年齢階級・雇用形態別雇用者数ー全国」のH.24年4~6月における非正規労働者数を比較すると、1891-1775=116万となります)、志位委員長のような指摘が可能となるのです。どちらにしても、正規労働者が47万人減少し、生涯賃金がほぼ正規労働者の4分の1と言われている非正規労働者が激増しているわけですから、我々一般ピープルが雇用情勢に明るい展望を感じるわけがないのです。
     また、「日銀短観」(6月)―――私自身は、イスタブリッシュメントの仲間内による参院選向けプロパガンダでしかないと思っているのですが―――でも、数字上は、大企業を中心とする業績の上昇傾向を見ることが出来ます。しかし、そもそも、数値で示された経済成長率に一喜一憂するなど、イスタブリッシュメントの「ヘゲモニー」に屈するだけの話で、経済学の常識から言っても、ほとんど、そのまま信じるに足りないものなのです。たとえば、実体的根拠なしに、通貨供給量の増加(量的緩和)によってインフレが引き起こされた場合、取引量に変化がなければ、それだけで、数値上、経済成長率は上がるのです。(→アベノミクスの「成果」?)一般ピープルにとって、それは一体何を意味するというのでしょうか。(→たとえば、一般ピープルの乏しい所得と資産の実質的目減りです!)
    さらに、分配の問題があります(分配の「公平性」については後日論ずる予定です)。どこの国にも、富裕層こそが経済成長を牽引すると主張しつつ、人為的に作り出された貧困や経済的格差を正当化する輩が存在するものですが、この点こそ、一般ピープルの生活の質を決定する大きな要因となるのです。最近話題の(200兆円を超すと言われる)「企業の内部留保」の問題もこうした分配の問題に関連するのです。また、人口の1%が全体の40%の富を支配するアメリカとか、人口の0.02%が全体の70%の富を支配する中国とかが話題となっていますが、こうした国における数値上の〈経済成長〉が一般ピープルにとって何を意味するのかは、具体的に、じっくり検証すべきことです。つまり、単純な数字上の経済成長など、一般ピープルの生活にとって直接〈良きこと〉などではないのです。
    さらに、こうした経済成長優先の経済政策が、これまで、いかに日本人の生活を悲惨で、貧しいものにしたかも重大な点です。安倍自民党は、「ブラック企業」として勇名を馳せているワタミの元会長・渡邉美樹を党公認としていますが、安倍自民党の経済政策の「理念型」の一つがワタミにあることは忘れてはならないことです。ツイッターで見つけた、渡邉美樹の「名言」を一つ紹介しておきます。
    「なぜリストラされるのか。それは能力がないから、努力が足りないからです。つまり、「テレビを観ている暇があったら勉強しよう」ということです。勉強すれば、絶対にリストラなんか受けません。リストラされるのは、リストラされる側の責任なのです。」
   
     過労死、ストレス、パワハラ・・・、〈経済成長〉を求めて死ぬまで働かされることを「理念型」とする日本の労働現場の悲惨さを、私たちは再度振り返り見る必要があります。経済活動が、一般ピープルの〈経済的福利〉の増進と切り離された時、それは「虚偽」の世界へと転落するのです。また、経済活動が(人間もその中の一部に他ならない)自然環境を破壊し、自然との調和的関係から外れた時、それは又その本来的な意義を失うのです。経済成長は、こうした視角に基づいて規制・調整されなければなりません。こういう視点に立ったとき、アベッチの原発に対する姿勢などは、既得権益の擁護にのみ走った、全く「未来」のないものと見えます。総じて、彼の「成長戦略」が空虚なものに感じられるのは、要するに、一般ピープルの人生を幸せなものにするとは考えられないからです。(勿論、彼らが統括する秩序の中における1%の支配層として、既得権益と支配権をわがもの顔に行使することに「幸せ」を感じるというのであれば別でしょうが。)

    実は、私自身は、ケインズ主義的政策(ケインズ主義的福祉国家)への「一定」の評価の上に立っている―――すなわち、本源的・実質的な経済的「合理性」に基づいて、資本主義的な市場経済の「矛盾」(あるいは「市場の失敗」)に対応するためには、たとえその結果として国家の「財政危機」がもたらされるとしても、政府による蓄積と正統化機能(あるいは、「資源配分・所得再分配・景気調整機能」)は必然化せざるを得ないと考える―――のですが、安倍政権が目指しているものはと言えば、真っ当なケインズ主義的な「公共投資」政策とは到底言えないものであり、また、その「金融緩和」策は、とても実体経済の回復につながる「呼び水」的な可能性を孕むものですらなく、ただただ、一般ピープルの負担に基づき、一時的に、一部の大企業と資産家のビジネスチャンスを生み出すだけのものとしかいえないと思うのです。
     同じ金融緩和策と言っても、あのバブル期においては、日本の実体経済は非常に堅調だったのであり、たとえば、対米黒字は未曾有の水準にあったのです。すなわち、当時の政府・日銀及び国内金融資本の共同謀議たる金融緩和政策は、実質的な好景気を背景に行われたのでした―――勿論、その欲の皮の突っ張ったマネーゲームによって、本来ならば、国民生活の質的な向上を実現しうるはずだった国民の勤労によって生み出された果実は、泡の如く吹き飛ばされてしまったのですが。それと比較すると、現在の状況は全く異なっています。すなわち、例の「異次元」の金融緩和ーインフレ政策は、実体経済の裏付けなど全くない、究極のインフレ政策であり、ただただ、名目上の経済成長を生み出すものにすぎないのです―――それは、一見、不況脱出を目指すポリシーミックスの一変種の様にも見えるのですが、元々、「その副作用を心配する」などと言って済む水準の代物ではないのです。そして、その根っからのマネーゲーム性によって、かろうじて帳簿上は存在し続けているわが〈一般ピープル〉の資産・資金さえも、マジで(!)、一部の金融資本あるいは国外の金融資本に移転させられてしまうことになる可能性が大であると考えられるのです。

     またまた、長くなってしまいました。もう止めます。なにしろ、我々一般ピープルは、自分の生活に即しつつ、自分の頭で「アホノミクス」を評価しなければならないのだと思います。御用エコノミストの甘言に乗せられてはいけません。竹中! 気持ち悪いぞ! まだ言うか! 

 ――― サーバントさんは、僕が地面の近くで生活しているからって心配しているんだけれど、僕の鼻でも放射能は分かんないんだよね。関東地方も汚されているんだって

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saro-murikiI写真集(20)―――梅雨明け間近の今日このごろ

 2013年 7月はじめ ―――試練の夏に成りぬるか  


  
さてさて、夏は暑いよね




    ※ねえ、対策は?! えっ、自分で考えろって? じゃあ、腕組みしながら考えるか。
   


まず、室内では?ここかな





    ※ クーラーを入れた時はここが一番だね。でも、サーバントさんの奥さん、クーラー嫌いだからな(リモコン争奪戦――絶対に勝てないもんね)。
 


散歩は水辺あたりがいいよね





    ※ 時々、水に飛び込みたくなるよね!気持ちいいんだ。鴨たちもここら辺がお気に入りだよ(後ろに、見える?)。 それから、水といえば、この前の日曜日、僕は、人間用のメッリト・シャンプーで洗われたんだよ。ひどくね! 




いつもの公園の木陰もいいな―――そうそう!





    ※ ここは、大昔からの森の雰囲気があって、太古の自然をちょっぴり感じるんだよ。それから、また、今度、山に行きたいな~。



午後は、ガラス戸を開けてここかな。どうです?





    ※ 風が通ると、ここも悪くないんだよ。サーバントさんも、ここはお気に入りだよ。



まあ、僕の場合、とにかく、舌から発汗しないとね[emoji:d-6]

  

 

   ※ 耳二つ、口鼻一つで、目も二つ。だけども、どうして、毛があるの? 夏は苦手じゃ。靴よこせ!熱い!

 
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2019年11月現在満13歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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