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私にとって「愛国心」とは何か(3)――「日本人」とは何か(1)

 「日本人」とは何か(1) 「血族的・同族的な文化的統一体」?
         ―――「日本人」はそれほど「均質」な民族なのですか?


 
 ※ わが〈しもべ〉たる飼い主が、真面目顔で言ったよ。「サロさん!福島第一原発の汚染水漏れの状況は本当に深刻だね。原発の再稼働や輸出なんて御託を並べている時じゃないよ。すぐさま全力で日本の土と海、そして、地球の自然と人間を守る対策をとらないとね。「原子力村」のご意向をくんで事故収束宣言を出した奴も許せないが、この緊急事態に、のんびりとゴルフをやり、またまた、型通りの発言でお茶を濁している輩が『愛国心』とはよく言うよ。」――― ウーム、日本は危ないよね。困ったもんだ



     私たちが「愛国心」という場合、その愛する対象としての「国」とは一体何を意味するのでしょうか。勿論、森元首相の様に、この「国」とは、神の子孫たる天皇が建て・統治してきた「神の国」なのであり、それ故に、天皇を愛することが国を愛することなのだというご老人もいるかもしれません。しかし、今日においては、昭和天皇自身が否定した「神話」に基づく(「現人神」とその「赤子」といった)明治憲法的観念を信じる人は多くはないはずです。とすると、この「国」とはどう捉えれば良いのでしょうか。おそらく、それは、「同胞」たる「日本人」の集合体をイメージしたものと言ってよいでしょう。こうして、問題は、いよいよ今回のテーマである「日本人とは何か?」ということになるのです。ところで、私は、学生時代、文化人類学(「日本人」論)の講座を受講したことがありますが、この問題は、到底原稿用紙一枚程度で答えられるような簡単なものではなく、非常に複雑かつ難解なものらしいのです。ということで、今回は、それを学問的に論じるというのではありませんが、私の意識の中に沈殿してきた「日本人」的なるものを〈掘り出してみる〉という作業を試みてみたいと思います。

     まず、日本語を母国語とし、日本国籍をもつ〈私〉がこの「日本人」という観念を考えた時に気付くのは、それが「アメリカ人」という観念とはかなり違ったものに感じられるということです。つまり、移民の国そして人種の坩堝といわれるアメリカ合衆国を構成する「アメリカ人」という観念は、アメリカ合衆国大統領が黒人のオバマであることに象徴されるように、アメリカ合衆国の「国籍」をもつ―――すなわち、同じ法的な権利・義務関係の中で生きる―――人々とか、合衆国憲法の「理念」を共有する人々とかいったイメージを与えます。これに対して、「日本人」と言った場合には、これは、たとえば、漢民族の中国とか朝鮮民族の韓国とかと同様なのですが、要するに、「日本〈民族〉」といったイメージが極めて強いのです。このように推論していくと、日本における「愛国心」とは、日本〈民族〉を愛するということになるのではないでしょうか。勿論、現実の日本国は「多〈民族〉国家」なのであって、これを森元首相のように「単一〈民族〉国家」とすることは、現実に共に生きている少数〈民族〉の存在と権利を無視ないし軽視することになりますので、非常に危険な「落とし穴」になることに注意しておかなければなりません。これは、歴史的に特殊な、近代「国民国家(ネーション・ステート)」の問題性に関わり、「日本人」=日本〈民族〉と「日本人」=日本〈国民〉という二つの観念の区別と関連を解くことにも重なるのですが―――この点についてはまた日を改めて論じたいと思います―――、しかし、とにかく、日本における圧倒的多数の〈日本民族〉の一員だろう私にとっては、逆に、こうした点をしっかり自覚しておくことは極めて重要なこと思われるのです。

     ところで、この「日本人」=〈日本民族〉なる観念は、それ自体として、何やら、とてつもなく「均質」的な意味合いを含むように感じられるのですが、如何でしょうか。勿論、私たち「日本人」は、その日常生活の中で、その「隣人」たちを、「均質」的どころか、利害の相克も含めた様々な意味合いにおいて、極めて「多様な」存在として意識しているのだと思います。しかし、日頃自らを「日本人」などと意識しているわけでもない私たちも、他人種や他民族との接触や対比においては、自らが極めて「均質」な〈日本民族〉の一員であるという印象を持ってしまっているのではないでしょうか。例えば、私の狭い個人的な経験でも、髪や目の色の違う白系ロシア人の少女、口の周りに入れ墨をしたアイヌの老婦人、皮膚と口の中の色が全く違う黒色人種の青年男性など、当時の私の生活の中では極めて稀であった『外』との接触は、私を、『内』なる「日本人」ー〈日本民族〉の一員であるという自己意識あるいは帰属意識に導いていっただろうことは確かなことのように思われます。―――勿論、そうした接触・対比が〈民族〉的な意味あいでの「日本人」という観念に直接結びつく必然性があるわけではないので、当時、すでに、私の頭の中には、様々な媒体を通じて、『日本人』という観念が注入されていたのだろうことも確かだと思われるのですが。

     それでは、このように「多人種」・「他民族」と対比されるところの「日本人」=〈日本民族〉とは、どのようなものとしてイメージされるのでしょうか。それを思いつくままあげていくならば、私にとって「日本人」とは、まず、黄色人種であるなどの身体的特徴を共有し―――映画『十戒』などを見る限り「ユダヤ人」には、白人もいれば黒人もいるのですね―――、そして、日本語で考えたり意思を疏通しあったりする人々の集団といえると思います。モンゴロイドで日本語をネイティヴと同様に話す「外国人」を、私は「日本人」と区別できないでしょう。また、地理的には〈日本列島〉に居住し、文化的には、初詣や七五三などの神社に関わる信仰や年中行事、除夜の鐘・葬式・お盆などといった仏教に関わる信仰や年中行事、そして、神話や昔話、俳句や川柳、源氏物語や平家物語、茶の湯や歌舞伎、服装や歌謡など、また、最近の季節的行事でいえば、盆踊りや花火大会を共に楽しむといった、「国民」的な文化を共有する人々ということにもなるでしょう。さらに、これは「日本人」=〈国民〉といったより近代的な観念に近いと思われますが、基本的には日本国家によって法的・軍事的に統括された一定の領域内で暮らし、また、そうした「国民」的な再生産圏の中で相互に依存しあい、そこに生まれる共通利害(「国益」)の中で生活することによって歴史的に育まれてきただろう〈一体感・親近感〉を共有する集団、といったイメージになるでしょうか。 
      
      ところで、勿論、先日訪れた三内丸山遺跡に暮らした縄文時代の人々や室町時代の農民たちは、このような「日本人」としての意識を持っていたとは到底言えないことでしょう。すなわち、「国民」の圧倒的多数が、自分が『日本人』であると意識することになったのは、やはり、歴史的には、『外圧』によって引き起こされた、幕末から明治維新にかけての近代的中央集権国家の形成過程ということになるのだろうと思います。つまり、大和朝廷以降の〈支配層〉の中にはその対「外」的な関係からうまれた何らかの「国家」的な意識の継承性はあったでしょうが、現実的には極めて多様であった被支配層としての『一般ピープル』が「日本人」=〈日本民族〉の一員としての意識をもつに至ったのは、やはり、明治政府による「国民」意識の政策的形成過程によってだろうことは確かなことのように思われます。そして、こうした歴史的形成過程の中でつくられてきた「日本人」=〈日本民族〉のイメージが、『大日本帝国憲法』や『教育勅語』で示されてきたような、天皇家の「神話」に基づく、すなわち、天照大神を皇祖とする天皇家を宗家とした「血族的・同族的な文化的統一体」というのものだったといえます(臣民=国民)。そして、それは、まさしく、「均質性」を強調し、権力に〈同調〉しないものを『非国民』として差別・迫害した戦前の政治的イデオロギーの基盤となったものでした。実は、こうした歴史的経過の中で作り出されてきた〈日本民族〉の観念の残滓が私に影響を与え、先ほどいったような「均質」性を感じさせる基盤をつくってきたのだろうと思われるのです。

     しかし、この「血族的・同族的な文化的統一体」といった観念は、決して歴史的な「事実」なのではなく、日本列島に多様に存在した血族的・文化的な実在を、暴力的そしてイデオロギー的な破壊・強制・同化を通してその画一的な〈形態〉の中に統合し、形成されていったものだということなのです。つまり、私たちには、こうした「均質」なものとして把握された〈日本民族〉という観念それ自体の虚偽性を認識していく必要があり、また、逆を言えば、「日本人」=〈日本民族〉の〈多様性〉を正しく認識し、かつ、その〈多様性の統一〉を「血族的・同族的な文化的統一体」といった天皇制的イデオロギーによってではなく、如何に科学的に把握していくのか、そのことが求められているといえるでしょう。

     そして、そうした探求は、私の短い人生の中でも、様々な形で着実に進められてきました。今回は、もうすでにかなり長くなっていますので詳述はしませんが、皆さんもすでに良くご存知だろう、「縄文人と弥生人」の問題、「日本列島と朝鮮半島の関係」の問題などは、まさしく、「日本人とは何か?」という私の疑問に答えるヒントがたくさんつめこまれているものなのです。次回は、これらの問題について触れてみたいと思います。
     

     
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中沢啓治『はだしのゲンはピカドンを忘れない』を読む

 「なにがいまさら終戦ねん!」               

 ―――「国家によって殺された」無数の人々の死を正当化し、
       再び『英霊』を生み出さんとする策動を前に考える



     「なにがいまさら 終戦ねん!」―――これは、広島への原爆投下によって夫と娘と息子を失ったゲンの母親が、1945年8月15日の「玉音放送」を聞き、発した言葉です。アニメ版の『はだしのゲン(1)』を観たのは、私の息子たちが生まれた1980年代の半ば頃でしたが、この作品の中で最も強く心に残っているのがこの言葉です。

     ところで、1979年の夏、当時千葉県に住んでいた私は、突然、広島の平和記念資料館に行かなければならないという強い思いにかられ、妻と一緒に、友人から1万円で譲り受けたHONDA・シビック1500CCに乗り込んで、広島に向かいました。夜の11時に千葉を出発し、時々豪雨に見舞われながらも、広島の平和公園にたどり着いたのは、翌日の午後4時頃でした。その後すぐに原爆資料館を見学したのですが、この時の経験こそ、私が「ヒロシマ」と〈個〉的に向き合う、つまり、「ヒロシマ」を他人事ではなく自分の問題として考えるきっかけとなったと感じています。

     また、こうして私が「ヒロシマ」について思いをめぐらしていく時、その重要な基軸の一つになっていったのが、中沢啓治さんの『はだしのゲン』、そして、それに関連する一連の作品群でした。そして、とりわけその中でも、コミック版やアニメ版の衝撃力にも劣らない強烈な印象を与えたものに、今日紹介したいと思う、『はだしのゲンはピカドンを忘れない』(岩波ブックレットNO.7、1982年)があります。この本は、小冊子ながら、中沢さんの経験に裏付けられた核心を突く率直かつ簡潔な表現で、私が「ヒロシマ」の悲劇をどう把握し、また、今後再びこうした悲劇を繰り返さないためにはどうすればいいのかを考える上での、貴重な視点を与えてくれたのです
     さて、(『はだしのゲン』のストーリ自体については、ここでは、割愛しますが)この本の中で、中沢さんは、焼かれた彼の母親の骨を見て、次のように思ったと書いています。

     「放射能というのは母の骨の髄まで食い尽くしたうえ、骨まで残さないのかと、私はものすごく腹が立ったのです。腹が立って、むかむかして、東京にもどる汽車の中で、じっくり戦争と原爆について考えてみたのです。考えを突きつめていくと、戦争責任の問題と原爆の問題というのは、日本人の手で何一つ解決していないのではないかということに突き当たったわけです。」

     こうして、彼は、戦後のイタリアやドイツと比較しながら、日本について次のように述べるのです。

     「ところが日本ではどうですか。敗戦の時も、イタリアとは反対に、皇居の前で土下座して、『天皇陛下様、私たちがいたらなかったから、日本は負けました』と泣いたわけでしょう。そして天皇は、戦後も憲法の上で『象徴』というかたちで堂々と生き残っている。また、一方では、戦争犯罪人が戦後も平気で総理大臣になっている。戦争を推進した連中が、政・財界にのうのうとのさばって、依然として政治を牛耳っている。彼らは、常に安全な場所に身を置いて、人に命令ばかりしている。だから、戦争のむごさ、原爆のすさまじさがわからないのです。日本人全体の中に、戦争責任の問題が、全く薄らいでしまっている。戦争で甘い汁を吸って味をしめている人々がいるから、また軍備だ、国を守るために戦争をやれといいだす。『死の商人』どもにとっては、戦争ほどもうかる商売はないのです。」

     いうまでもなく、中沢さんの主張の鍵は「戦争責任」の明確化です。私は、それまでに、この本ほど、〈戦争の直接的被害者〉がこの問題を率直・明瞭に訴えている例を知らなかったのです。そして、もちろん、冒頭に掲げた、母・君江の「なにがいまさら終戦ねん!」という言葉こそ、天皇の名の下に国民を無謀な侵略戦争に引き込み、さらに、勝利の見込みのない戦争を「国体護持」のために引き延ばし、国民に甚大な被害を与えた戦争指導者たちへの痛烈な告発の叫びであったにちがいないのです。(【追記】をご参照ください。)

     実際、このブログでも触れてきたように、東京大空襲、沖縄戦、神戸大空襲そして広島(!)など、国民の膨大な犠牲に直面しても、あの戦争指導者たちは、「国体護持」のために、さらなる国民の犠牲(本土決戦)をすら想定・準備していたのです。しかし、それを打ち砕いたのは、8月8日のソ連の対日参戦(実際の攻撃は9日から)でした。それは、9日の長崎への原爆投下よりも、日本の戦争指導者たちを震撼せしめたといわれています。なぜなら、「国体」=天皇制の存続にとって、ソ連の介入こそ最大の危険と捉えられたからです。ところで、このソ連の対日参戦は1945年2月のヤルタ会談で約束されたもの―――ドイツの降伏(実際は5月7日)から90日以内に参戦―――でしたが、この当時すでに、米ソ両国の間には、大戦終結後の両国による世界の分割支配に絡む駆け引きがはじまっていたといわれています。とりわけ、7月16日の原爆実験成功以降、アメリカは、ソ連参戦を前にして、日本の単独占領ー支配を企図し、広島(8月6日)・長崎(8月9日)への原爆投下を急いだということはもはや常識の範囲内といえるでしょう。こうして、8月8日のソ連参戦は、7月26日に出されていたにもかかわらず、日本政府によって「黙殺」されていた『ポツダム宣言』の受諾に向けた〈日米交渉〉を促進させることになったと考えられます。そして、この過程の中で、おそらく、(天皇を利用した「武装解除」と戦後の「間接統治」を考えていた)アメリカ政府と日本政府との間には、確約といった程のものではなく単なる「口頭」によるものだったとしても、日本政府がしがみつき得るような、なんらかの「国体護持」に対する「保証」が持ち出されていただろうことは十分想定できるのです。そういった中でこそ、『玉音放送』(終戦の詔勅)の中の、「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ(朕はここに、国体を護持し、得て)」という文言も理解されるというべきでしょう。すなわち、要点は、日本政府による『ポツダム宣言』の受諾は、あくまでも、8月6日の広島への原爆の投下などの国民の犠牲に配慮することによってではなく、「国体」=天皇制護持の帰趨によって決定されていったということなのです。

     しかし、戦後の政治過程は、こうした8月14日の「ポツダム宣言」受諾=「敗戦」への経過が隠されるとともに、8月15日の「恩賜」の「終戦」が演出されていくことになった、そう理解できるだろうと思います。そして、戦後の被爆者に対する日米両政府の非人道的な対応も、結局、そうした戦後処理に発するものと言ってよいでしょう。中沢啓治さんの怒りは推して知るべしです。


     今年の8月15日、「終戦記念日」に開かれた全国戦没者追悼式において、安倍首相は、近年の歴代首相が表明していた、「アジア諸国に対する加害者としての反省」と「不戦の誓い」に触れることはありませんでした。その一方、彼は、戦前の侵略戦争で戦死した将兵を「英霊」として称え、また、侵略戦争の最高指導者たち(ーA級戦犯)が合祀されている靖国神社に玉串料を奉納(代理参拝)したのでした。安倍は、これまでも、戦前の戦争指導者たちは勝者によって断罪された(すなわち、彼らと戦前の戦争は悪くなかった)と主張してきたのですが、彼は、現在、まさしく、集団的自衛権を認め(憲法9条を改変し)、自衛隊(国防軍)を海外に派兵して戦争を実行し、再び、戦死者(「英霊」)を生み出そうと画策しているのです。
     戦前の政治と戦争の反省の上に平和憲法をもっているはずの我々が、今、こうした状況を許しているのは、やはり、中沢さんが言うように、私たち自身が、安倍首相の祖父である岸信介元首相をはじめとする戦前の戦争指導者たちの戦争責任を、自らの手で解決してこなかったからと言えるのではないでしょうか。それ故に、ゲンの父親、母親、兄弟・姉妹をはじめ、戦争で犠牲となったわが同胞の「敵(かたき)」を見定め、そして、その責任を問うこと、そのことが、日本が再び戦争の惨禍に見舞われないための条件であると思われてならないのです。

中沢さんのご冥福をお祈りします

 
    


暑い夏 さて、どっちの道に行くのかな?




【追記】  コミック版『はだしのゲン』第3巻(汐文社、1975年)の「玉音放送」に関わる部分には、アニメ版における母・君江のあの台詞はありません。そのかわりに、次のような台詞があります。少し長くなりますが、引用しておきます。

     まったくばかにしてるよ! あたしら国民にはなんのことわりもなく 日本のためだ 天皇陛下のためだと かってに戦争をはじめておいて こんどは 日本は戦争にまけたから しのびがたきをしのび たえがたきをたえて がんばれって・・・ 
     ええかげんにしてほしいよ いったいあたしらになにがのこったんだい 家はやかれ とうさんたちは殺されて! あしたのごはんさえたべられない苦しみだけがのこったんじゃないか・・・ 
     まったく日本人はおめでたいよ! 戦争でもうけるやつに すっかりおどらされて 天皇陛下をしんじて はだかにされて・・・
     天皇陛下もかってすぎるよ・・・ 戦争にまけるとわかったなら なぜもうすこしはやく戦争をやめてくれなかったのかね・・・ せめて一週間まえに戦争がおわっていれば 広島も長崎も新型爆弾をおとされず なん十万の人たち  すんだのに・・・ すでに東京や日本中の都市がB29でやきつくされて 日本がまけることはわかっていたはずなのに  なん百万人もの日本人の命を犬死にさせた 天皇陛下を あ・・・あたしゃ うらむよ・・・ 
     天皇陛下を利用して戦争をはじめて もうけて・・・ ぬくぬく生きている金持ちや自分たちのことしか考えない戦争の指導者たちを ひとりずつ 殺してやりたいよ 
     うううう ほんとうに戦争ほど ばからしいものはないよ ばかをみたよ あたしらが・・・ くやしいよ くやしいよ!

     この一人の「一般ピープル」の言葉を、あの戦争を経験していない私たちの世代がどう受け止めるのか。それが今問われています。

2013年夏の思い出―――雨のち晴れ

 
残暑お見舞い申し上げます   2013年8月15日




     ※ 8月も半ばを過ぎ、今年の夏ももう終わりに近いということでしょうか。私は8月に入り、積み残していた読書と2度の「旅行」などをしておりました。読書については、私の〈義理〉が絡んだ「仕事」の基礎作業なのですが、未だ目鼻が付いてません。ただ、苦しいながらも面白さがあるのも確かで、だから止められないのでしょう。「旅行」の方は、梅雨明け後の天候不順のため、2度とも大きな変更を余儀なくされました。今年の夏を総括するには少し早いのですが、今回のブログでは、これらの旅行について簡単に報告しておきたいと思います。


   ○8月4~5日 木曽山脈:御嶽山(3067M)―――雨の中、信仰の山に登る。




雨の中 神を信じることのできる人々




御嶽頂上―――雨の中、眺望0



     今年の夏山になぜ御嶽を選んだのか、それは、今年の3月、知人のご家族が、御嶽教か木曽御嶽教のどちらかと深い縁があるという話を聞き、興味を持ったのがきっかけでした。私は基本的に無神論者なのですが、「宗教」的な雰囲気については少なからぬ興味と関心を有しているのです。登山ルートは、一番短時間で登頂できる「大滝口」・田の原からのコースをとりました―――「黒沢口」も宗教的雰囲気が濃厚とのことですから、再度の機会があれば、是非行ってみたいと思います。アプローチの段階から独特の墓所や社が連なり、やはり、「三名山」(御嶽・立山・白山)の一つと呼ばれるにふさわしい雰囲気を感じることができました。実際、登山者の半数は宗教的動機をもって登られているらしく、白い行者スタイルでホラ貝を吹き鳴らしながら登っている人、足がつった若者の足を「幣(ぬさ)」でお祓いしているご老人、激しい雨の中で講の仲間と一緒に般若心経(?)を唱えている人々など、やはり、信仰の山だという感慨がありました。ただ、この10数年間履いた我〈軽〉登山靴が雨にぬれた岩場ではほとんどグリップ力0だということが判明。靴にケチッてはいけない。最大の教訓です。




  ○8月8~10日 東北北部:弘前城址→三内丸山遺跡→森山海岸→白神・十二湖





河川の氾濫によって浸水した家屋

―――当初の計画では白神岳を登る予定でしたが、「経験したことのない大雨」ということで、予定を変更し、9日には、国道7号線で弘前ー青森に向かいました。その途上に見た情景の一つがこの写真です。道路の冠水も一部ありましたが、川の氾濫で田畑や家が水で浸されて行く様子を呆然と見つめている人々の表情が、まだ鮮明に記憶に残っています。






中三の修学旅行のリベンジ達成


―――北海道の中学に通っていた私の修学旅行先は、青森県の弘前と十和田湖でした。ところが、当日、私は40度近い高熱のためにこの修学旅行に参加できなかったのです。そのリベンジが、震災の前年である2010年の十和田、そして、今年の弘前ということになったわけです。近くまで来て、素通りはできない!それにしても、弘前城はでかかった。桜の頃にもう一度ゆっくり来てみますか。






三内丸山遺跡――人間は変わってはいない!


―――これは、ロシアからもってきた栗の木でつくられた建物とのことです。様々な建物、石器、骨格器そして土器など、その精密さ、美しさは私個人には遠く及ばない〈完成度〉をもっているように思われました。数千年前の縄文時代の人々―――勿論、彼らは「原・日本人」ですよね―――の姿を想像すれば、様々な技術や文化の蓄積と変化、そして、それに伴う生活様式や意識形態の違いはあるにしても、「俺らと変わんないよね」、「昔の人はえっちらこ・・遠くまで歩いていたんだねえ」、「日本海の水平線を見て何を思ってたのかな・・・」等々、ただただ親近感だけが強まってきたのでした。






象岩―――絶対、象に見えますよね!


―――埼玉には海がないため、埼玉県民は海を見るとなぜか心が弾みます。今回も、青森から国道101号沿いの海岸線にたどり着くと、無意識のうちに「ウオー」と歓声を上げている自分に気がつくのです。3日目の朝は好天に恵まれ、海岸線の美しさは格別でした。この自然を大切にしたいものです。






青池――幻想的な青さ


―――2010年に続き、今年も、大雨のために、白神岳の登山はお流れとなりました。しかし、大雨が北海道に抜け、青空が見え始めたので、私たちは、白神山地の雰囲気の一端でもと考え、津軽国定公園「十二湖」ハイキングにむかいました。写真はその起点に近い青池です。これは、初めて見る色でした。ルンルン歩くのも悪くはありません。心躍る2時間でした。






太古(?)の道に現れた生き物たち


―――とはいっても、そこは、北の山中。あまり踏まれていないコースに入っていくと、こんな光景が! 頭が蛙で胴体は蛇?・・・もうお分かりですね。これは自然の食物連鎖の一光景です。ただ、この後、私たちが横を通り過ぎようとすると、赤マムシ君は大きなガマガエル君を吐き出して逃げてしまいました。山道でマムシに出会ったのは2度目ですが―――1回目は、黒いマムシが道のど真ん中でとぐろを巻いていました―――、要は、マムシ君たちの世界に人間が侵入しているんですよね。ああ、恐。






夏のブナの青葉に紅葉が


―――近くに、世界自然遺産の白神山地がありますが、2010年には、世界遺産センター近辺の見学で終わってしまいました。しかし、今回は、短時間とはいえ、実際に山道を歩くことができ、その美しさの一端に触れることができたようです。この落葉広葉樹林帯は美しい。私たちの「故郷」にちがいありません。



  ※サロさん!青森から日本海側へ移動し、鯵ヶ沢にさしかかった時、イカ焼き屋さんの秋田犬〈わさお〉君に会ったんだよ。私は、「サロ心」が出てしまって困ったよ。それにしても、焼きイカ、おいしかったな。

「ナチスに学ぶ」・麻生発言を一般ピープルが読む―――

 
いやはや、この人が日本の副総理・財務大臣ですからね
 
 
 ―――一応「予防線」は張っておくが、仲間内のウケを狙って、本音をひとくさり。
「だから、静かにやろうやと。ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか。」 えっ! 国民が気がつかない間に改憲することは、民主主義を否定することになるんじゃないですか?!



     この発言は、7月29日、極右・櫻井よしこが理事長をしている国家基本問題研究所 ・月例講演会「日本の進むべき道」のなかでなされたものでした。その詳細については、『朝日新聞デジタル:麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細 』をこのブログの最後部【資料1】に転載しておきましたので、是非、ご自身で確認していただければと思います。この発言に対し、すぐに国際的な批判の火の手が上がり(『日本リアルタイム』:麻生財務相に非難の嵐-「ワイマール憲法」発言で、7月31日、参照)、麻生副総理は8月1日にはこの発言の一部を撤回し、弁明することになりました(『日本リアルタイム』:麻生財務相、ナチス発言を撤回、8月2日、参照)。また、この間、日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)は、この麻生発言について、「かなり行き過ぎた、ちょっと度のきついブラックジョークというところもあるのではないか」としつつ、「憲法改正論議を心してやらなければいけないというのが(発言の)趣旨だったのではないか」そして、「(前後の文脈から)ナチスドイツを正当化した発言では決してない。国語力があれば、すぐ分かる」と擁護したのでした(『YAHOO JAPANニュース』時事通信社、8月1日)。

     毎日新聞の社説は、「麻生氏ナチス発言 撤回で済まない重大さ」(『毎日JP 』2013年08月02日、参照)と論じていますが、問題のポイントは、いうまでもなく、
(1)「私は憲法改正について、落ち着いて議論することが極めて重要であると考えている。この点を強調する趣旨で、けん騒に紛れて十分な国民的理解や議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法の経緯を挙げた
(2)「私がナチスおよびワイマール憲法にかかる経緯について、極めて否定的に捉えていることは、私の発言全体から明らかだ」という、麻生の弁明の真偽にあります。これに対しては、共産党の志位委員長が極めて簡潔な批判を展開していますので、それについては【資料2】を参照していただくとして、一人の一般ピープルとして、私がこの麻生発言をどう読んだかを以下書き記しておきたいと思います。


     まず、麻生発言を読んで感じたことは、国語「読解力」を必要とし過ぎる悪文というか、支離滅裂というか、真っ当な日本語ではないと言うか、「未曾有の阿呆太郎」という気の毒なあだ名を実証するような文と感じざるを得なかったことです。「しっかりと考え抜いて、論理的に話をしなさい」と言っていた私の先生ならなんと評することでしょうか。また、どんなに国語の点数が良かったのかは知りませんが、橋下の「国語力」なるものも、麻生副総理と同様、まともとは思えないものです。マア、橋下の言辞をオウムのようにギャーギャー繰り返す、「国語力」ある取り巻きたちと分かりあうしかない代物といってよいでしょう。ともかく、ハシシタない話です。
     
    ただ、麻生発言【資料1】は、その中のドイツを日本、ヒトラーを安倍晋三、ワイマール憲法を日本国憲法、「ナチ憲法」(?)を自民党憲法草案に置き換えると、実に興味深い、教訓に富んだものになるように思われました。たとえば、
     10年後、独裁的性格を露にした安倍政権の下、海外派兵によって大きな犠牲を生み出した日本国民は、「日本は安倍晋三は、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、安倍晋三はでてきたんですよ。安倍晋三はいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。安倍晋三は、選挙で選ばれたんだから。日本国民は安倍晋三を選んだんですよ。間違わないでください。」と、強い自戒の念を込めて反省した。また、
    「彼は日本国憲法という、当時世界でもっとも進んだ憲法下にあって、安倍晋三が出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって・・・」 全く正しい!
     また、20年後、「ナチス憲法」(?)の「手口」をまねて実現した自民党憲法について、ある国の政治家がこういった。「憲法は、ある日気づいたら、日本国憲法が変わって、自民党憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」
    このような読み替えは、ブラックジョークというのでしょうか、ホワイトジョークというのでしょうか。一般ピープルには分かりません。しかし、ここで、文全体の構造上、ワイマール憲法ー日本国憲法、「ナチス憲法」(?)ー自民党憲法草案という対応関係になることは確認しておいて良いことです。
    さて、最も重要なのは、「あの手口」と関連する以下の文の意味です。
    「わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。」

    この文について、日本語を母国語とし、通常の日常生活を営んでいる一般ピープルの国語力からすると、次のような解釈となります。つまり、「わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね」の、〈わーわー騒がないで、みんながいい憲法と納得して変わった憲法〉とは「ナチス憲法」(=「全権委任法」)以外にあり得ないですよね。つまり、彼は、「ナチス憲法」は、喧噪の中で決められたわけではない、民主的手続きを経た憲法だ、という肯定的な評価を下しているということなのです。そして、こうした文脈の中で、
「ぜひ、そういった意味で」、すなわち、ナチスのやり方は〈わーわー騒がない〉いい手口だったのだから、「僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが」、すなわち、ナチスがいいというわけではないけれど、重ねて、〈わーわー騒がない〉ナチスの手口をみならって、「喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない」ということになるのです。ということで、麻生財務大臣は、まさしく、ナチの手口を「良き例」としてとり上げているということは間違いないでしょう。こうして、まず、(1)「けん騒に紛れて十分な国民的理解や議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法の経緯を挙げた」などといった彼の弁明はまったく成り立つ余地はないと考えられるのです。勿論、ヒトラーの政権掌握と「全権委任法」の成立を「わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね」とする評価が、事実として正しく、また、許されるものなのかは別問題としてもです。

     さらに、それとも関連しますが、(2)「私がナチスおよびワイマール憲法にかかる経緯について、極めて否定的に捉えていることは、私の発言全体から明らかだ」という方はどうなのでしょう。勿論、それは次の部分を強調したものなのでしょう。
    「僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラーは出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。
     そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。」

     実は、こうした見方は現代史を少し勉強すると必ずでてくるものなのですが、注意すべきは、政治的議論の中でもしばしば見られる、その「両義性」なのです。つまり、その一つは、ナチス政権の暴力性のみが強調される傾向に対して、ベルサイユ体制下のインフレ・失業という危機的状況の中とはいえ、ドイツ国民が、あの民主的なワイマール憲法体制下で、国家社会主義的政策を掲げたあの独裁的で反民主主義的なナチスの政権掌握を許してしまったこと、そのことに対する強い自戒の念を込めて語られてきたものに他なりません。そして、もう一つは、独裁・反民主主義というけれども、それは、あくまでも、ドイツ国民が民主的手続きに従って選択したものなのだとその「正統性」を強調しようとするものです。言うまでもなく、後に出てきた麻生財務大臣の「わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね」という評価はこの流れに属しているといえるでしょう。元々、このような見方は、明治憲法体制下における政治と戦争に対する評価と相同性をもち、いわゆる、「歴史修正主義」的視点を支える一つにもなっていたものです。すなわち、戦前の戦争と政治は(非国民は除いて)国民の圧倒的多数によって選択されたものであって、「良きこと」なのだ、悪かったのは戦争に負けたことなのだと。こうして、ヒトラーのお友達であった戦前の指導者を支持する人々が大勢を占めていただろうあの講演会だからこそ、あの一種のウケを狙ったがごとき麻生発言とそれに対する聴衆の民主政治を嘲笑するが如き反応(ウケ)も理解できるのです。
     こうして、(2)「私がナチスおよびワイマール憲法にかかる経緯について、極めて否定的に捉えていることは、私の発言全体から明らかだ」とする弁明も、ワイマール憲法をいい憲法と一言いってはいるものの、その後の、すなわち、ナチスの政権掌握から全権委任法成立にかけての政治過程の「正統性」を承認し、そのやり方に学ぶということなのですから―――それはまさしくヒトラーの『我が闘争』の「手口」を承認することにさえ通ずる―――、「極めて否定的に捉えている」とは到底言えないということになるのです。
     まあ、私の一般ピープル的感覚から言えば、(その譬えは、次から次へと頭に浮かぶのですが)とにかく、「民主主義を否定するわけじゃない」とか「ナチスを肯定するわけじゃない」とか一言いったからといって、その言葉を真に受けてもらえる程、世界の一般ピープルはナイーヴ(素朴でお人好し)ではないよ、ということだ。まして、その肯定的評価が誤っていると来ては!!

     最後に、湯川礼子さんのツイートを引用しておきましょう。

 「一夜明けて、麻生さんのナチスに学べ問題。それを弁護している大阪の橋本さんにしても、あまりにも島国感覚。自分の発言が即日世界に発信されるネット情報の時代である認識を、政治家としてまず持って頂きたい。どれほど国益を損ない、時間を無駄に使っているか。国家の品格を担う一員だという自覚を。」(8月2日)




【資料1】『朝日新聞デジタル:麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細 』

     僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラーは出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。
     そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。
     私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。

     この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。
     しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。
     そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。
     ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。
     靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。
     何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。

     僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。
     昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
     わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。


 【資料2】 日本共産党の志位和夫委員長が2013年8月1日、国会内で記者会見し、麻生太郎副総理のナチズム肯定発言について発表した見解は以下の通りです。

 一、麻生副総理は、7月29日、都内の集会で「(ドイツでは)ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口を学んだらどうかね。ワーワー騒がないで、みんないい憲法と納得して、あの憲法変わっているからね」などと発言した。
 これは、ナチズムを肯定する許しがたい発言であり、麻生氏の閣僚としての資格はもちろん、日本の政治家としての資質がきびしく問われる問題である。

 一、そもそも、ドイツにおけるナチス独裁政権の誕生と、ワイマール憲法の機能停止は、「誰も気づかないで」おこったわけではない。
 1933年1月に首相に就任したヒトラーは、就任直後に国会議事堂放火事件をおこし、それを機に、共産党、労働組合、社民党などを次々に非合法化し、最後には政党の結成まで禁止して一党独裁体制をしいた。その過程で、ヒトラーは、いわゆる「授権法」(全権委任法)を成立させワイマール憲法を機能停止に追い込んだ。
 こうして、ナチス独裁政権の誕生と、ワイマール憲法の機能停止は、「誰も気づかないで」すすんだどころか、無法な暴力と弾圧の嵐のなかで強行されたのである。この「手口」を学んだらどうかなどというのは、むきだしのナチズム肯定と民主主義否定の暴論というほかないものである。

 一、内外の批判の高まりを前に、麻生氏は、この発言について、「喧噪にまぎれて十分な国民的理解および議論のないまま進んでしまったあしき例」としてあげたと弁明し、「ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい」という談話を発表した。
 しかし、麻生氏の発言は、「あの手口を学んだらどうか」とのべているのであって、「あしき例」として言及したものだなどという弁明は、到底なりたつものではない。

 一、戦後の国際秩序は、日独伊のファシズムと侵略戦争への断罪を共通の土台としてつくられているものである。その土台を否定するものに、国際政治に参加する資格も、日本の国政に参加する資格もないことを強調しておきたい。

SARO-MURIKI「つぶやき」選集(19)―――ねじれ解消の後

 2013年7月――― ねじれ解消 迫りくる「破局」 責任取れよな!
 
 バブル崩壊、財政危機、福島原発事故、実体経済の弱体化、そして、雇用危機
                   ―――みんな自民党「政治」の結果でしたよね!
 


※ 参議院選挙が終わりましたが、ビッグデータとやらを駆使し、〈虚言〉を弄して議会内多数派を維持した自公政権は、今後、景気にしても、原発・TPPにしても、福祉・消費税にしても、その反一般ピープル的性格が露になっ ていかざるをないところに来ています。事実を隠蔽し、嘘をついてでも既得権益を死守しようとする意識的な〈勝ち組〉連合=イスタブリッシュメントは別にして、問題の焦点は、圧倒的多数の一般ピープルが、イスタブリッシュメントの〈着飾った厚化粧〉の正体を見抜き、さらに、それへの実質的な「〈依存〉状態」から脱して、自らの根本的利害に基づいて「連帯=自立」しうるのか、ということになるでしょう。そして、そうした方向性の中にこそ、より広範な(イスタブリッシュメントさえ含んだ)「日本人」の、そして、より広範な「人類」の『未来』(現時点では「持続可能な」と表現しておきますが)が展望しうるのだと思います。このままでは、日本が、世界が、そして、自然=生態系がもたないだろうことは間違いないと思われます。 

 
 つくづく思う。安倍にせよ、麻生にせよ、あの三世議員が、自民党総裁・首相そして副総理・財務大臣だよ。日本はもう後がないよな。どうする?!

【追記】 度重なる「短命政権」で諸外国から馬鹿にされてはならないと「信じた」イスタブリッシュメント第4極=大手マスコミは、安倍と昼食会などを繰り返し緊密に連携を取り合って、その長期政権化を企図した。しかし、その「頼んだ」相手が悪かった。つまり、安倍にしても、麻生にしても、その想像を絶する品格と教養の欠如そして民主政治の担い手としての資質と自覚の欠如は、いくら国内でその失言やスキャンダルをできるだけ隠蔽し問題化を阻止しようとしても、この国際化した今日では、諸外国からの批判を封ずることはできないのです。こうして、〈デェジャアベ〉政権と日本は、一層、諸外国からの不信と軽蔑を招くことになってしまったのです。この政権の長期化はまさしく、ボディーブローによるような「鈍い」(恥多い・深刻な)ノックダウンと結びつくことになってしまうでしょう。くわばら、くわばら。

 一応「予防線」を張っておくが、仲間内の受けを狙って、本音をひとくさり。「静かにやろうや」ということで、ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか。国民が気がつかない間に改憲することは、民主主義を否定するものではないんだそうだ。

【追記】 この発言は、あの櫻井よしことやらが理事長をしている、国家基本問題研究所 月例講演会「日本の進むべき道」のなかでなされたものだ。話の内容については、7月31日付の『東京新 聞」を参照したが、まあ、ひどいものだ。歴史的状況を正確に理解しているかどうかも怪しいのだけれど、要は、あのナチズムの政治から学ぶべき「手口」とは、国民に気づかれない様に、騒がれない様に、こっそりやろうね、という話なのだ。これを問題視しないマスコミなど・・・、大越!気持ち悪いぞ、(おまえ)何も言わんな! それにしても、安倍を大勝させた後、マスゴミは、国民の感覚とのズレを修正し、一定の信頼を回復しようと、若干批判的そぶりも見せるようになっています。しかし、これも、第4権力たるマスコミの「手口」の一つなのです。

 まあ、高木仁三郎さんの話もそうだったが、今、小出裕章さんの話をフォローしていると、その通りになってるよね。やはり、「真っ当な」科学者の言うことは聞いておくことだ。ところで、関東の富裕層が関西に避難を始めているらしいよ。大阪の高級ホテルは長期予約でいっぱいだってさ。(本当?)

【追記】 今は、小出さんが言うように、「手の打ちようもないひどい状態」なんだろうな。私たちは、その気になれば、チェルノブイリのその後の状況を知ることができます。日本でも、今後、多くの健康被害が顕在化することでしょう。そのとき、あのイデオローグたちはどう身を処するのだろうか。それにしても、あの田母神俊雄というのは、郡山出身の、元航空幕僚長だった人物ですよね。ひどいものです。

 TPP交渉・・・・安倍の声が聞こえてくる。
      「日本を取り壊す!」
             「日本を取り壊す!」
                    「日本を取り壊す!」
       アベッチの アホでは済まぬ 日本売り

【追記】 なにしろ、TPPはやるつもりなのでしょう。世界の、否、アメリカの国際金融資本と運命を共にしようというわけだ。その帰結は、特権的な超富裕層がこの世の春を謳歌する格差社会だ。それにしても、安倍が取り戻す日本というのは何なんだ? 「世界一」の日本というのは一体いつの時代の日本なんだ? 戦後の「日本国憲法」下で高度経済成長を実現した「ジャパン・アズ・ナンバー1」の日本ではないとすると、帝国主義列強のまねをし、アジアを侵略し、戦争にボロ負けた日本か? まあ、私には理解できないことだ。

 ネオリベ・改憲の民主党のどこに魅力があるのか。原発(輸出、再稼働容認)・三党合意(消費税)・TPP(推進)の民主党にどんな存在意義があるのか。参院選の結果を党の基本政策との関連で論じてみろよ。それをしないことが「不徳の致すところ」なんだよね。わかんねえだろうなあ・・・

【追記】 その全てを否定するつもりはないが、「体制」内2大政党制の一翼を担おうとした民主党の最大の咎は、結局、〈妥協〉の水準に留まることもないまま、財界・官僚がよって立つ構造にすり寄り、その基軸的価値観に拝跪したことにある。イスタブリッシュメントと基軸的価値観を「共有」してしまっては、一般ピープルの利益を増進させることはできないのだ。今回の参議院選挙で明らかになったことの一つは、保守連合に対抗するには、沖縄の切実な英知が示した「共同戦線」(沖縄社会大衆党・共産・社民・生活)の如きものが組めるかどうかということだ。民主党の再生は、それとどう関わるのかによって決まるのでしょう。それができなければ、自民党への吸収されるしかないのでは。

 まいどお馴染みのパフォーマンス 「日本維新、橋下代表が続投 辞意後に慰留受け入れ」(東京新聞)
    NHKなんかすごかったですよ。つまらん話が延々と放送される。まあ、今後避けることができない自民凋落時の受け皿として延命させたいという意思表示なのでしょう。しかし、それが維新というのは、どん詰まりの、なりふり構わない「徳俵」ということですね。

【追記】 野党がだらしないなんて言う人もいますが、だらしがないのは、まず、イスタブリッシュメントの方でしょう。国内的、国際的に山積みとなっている諸課題に対して、どう「国民的」・「人類的」視野で問題解決に取り組んでいくのか、その欲の皮の突っ張った、近視眼的で、姑息な対応を見ていると、とても、とても、有効なものとも、また、〈尊敬〉に値するものとも思えません。さらに、安倍ー麻生に変わる受け皿が、石原や橋下ですよ。国際的にも、今が戦後最悪なのではないでしょうか。野党がどうのこうのという前に、少しは、自分たちでなんとかする気にならないものでしょうか? ノン・エリートたる一般ピープルはそう思いますけれど。

 言訳やアリバイ作りには余念がないが、権力の実相は、米日の巨大多国籍資本だ。その利益に照応するのが、○保険などの資本と農産物の自由化 ○株価・国債価格の維持のための消費税率の引き上げ ○原発の再稼働と輸出 ○武器輸出と集団的自衛権の行使。全て、日本の自然と一般民衆の犠牲の上になされる。

【追記】 ところで、安倍は、消費税率の引き上げについて「逡巡」しているような報道がなされていますが、選挙の時に強調していたように、アホノミクスが順調にいっているなら上げることでしょう。しかし、黒田がなんと言おうと、(景気上昇の)実体はないんですよね。また、消費増税は、麻生が言うように、国際金融資本の利益を保障する国際公約です。ということで、消費税率の操作の帰趨は、国内景気の後退か株価・国債価格の低落のどちらかに結びつくのです。つまり、どちらにしても、「危機」は間近だということです。ということで、それまでは、年一%ずつの「大英断」(!―――究極のアホノミクス)? それこそ、無理して改憲するのは止めて「集団的自衛権」を認めてしまおうというのと同様の、「静かにやろうや」ってな話なのかもしれません。一般ピープルをなめてますよね。それにしても、安倍にとって、危機は「外」からやってくる方が都合がいい。特に、中国発(「闇金バブル崩壊」)あたりが・・・。さて、さて、日本はどうなってしまうのでしょうか。

 ※ サーバントさんは、今日は早朝から山に行く予定でしたが、天候不順で取りやめです。この一週間は、登山の準備と『近松門左衛門集』にかかりきりでした。登山中止で、僕は、昨夜、ジャッポに入れられてしまいましたが、置き去りにされずに良かった良かった
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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