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サロさん満7歳―――誕生日おめでとう!

 〈シニア〉とはいうけれど―――もう暫くは 〈アダルト〉でいいみたいだね!

    え?!〈ヤング・アダルト〉と言ってほしいね








     今日(11月29日)は僕の7歳の誕生日だよ。いつもはpHコントロールというドライフードが主食なんだけれど、今日の「いい肉」は、〈シニア〉用のビーフの缶詰なんだってさ。美味しかったけれど、ちょっとカロリー不足かもねえ。明日からは、アダルト用に戻してもらおうっと!

     サロさん!君には、やっぱり、〈シニア〉は少し早かったようだね。中型犬ということもあるからかもしれないけれど、日頃の言動からも、「落ち着き」の面で若干問題があるからねえ(笑)。さて、君が我が家に来てから6年と8ヶ月程経ったわけだけれど、それにしても、我が家の5人にとって、君の存在は大きいよね!みんな、帰宅する際には、ドアを開けながら「サロさーん!」だからね。それに、君も随分成長したもんだよ。これからもよろしくだよ!


僕は、NHKニュースのような「おりこうさんのワンワン」じゃないよ!





さあ、これからの「冬の季節」をたくましく乗り切るんだ!hahaha





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ムリキブログ(dtiblog)の小さな総括―――(2)政治経済論

 一般ピープルが自らの考えを公にすることの意味
       ―――恐らくそれは、『主権者』としての〈自覚〉を獲得することだ


     ※サーヴァントさんは、相変わらず渋い顔でニュースを見ていましたが、散歩から帰ってきたら、何やら持っているCD全曲を聞き直すのだそうで、まず、ベートーベンのピアノ・ソナタ(2番・4番)を聴いてました。「ミイラ取りがミイラはイカン」とか意味不明のことを口走っていましたが、ギレリスのピュアなピアノの音でも聴いて心を鎮めてほしいもんだね。dtiのブログは今月29日の僕の誕生日まで続けるんだそうで、もう少し、付き合ってあげてね。


     今回の「小さな総括(2)」は、〈政治・経済〉に関連する記事について振り返ってみたいと思います。それらは主に『「saro-murikiつぶやき選集』(21本)や『時々刻々』(32本)というカテゴリーの中で書かれたものでした。先ほど簡単に目を通してみたところ、おおまか、安倍首相や麻生大臣や橋下市長への批判(「安倍〈デジャアベ〉政権(1)~(3)」、「ナチスに学ぶ・麻生発言」、「『従軍慰安婦』に関連する三冊の本(1)~(3)」など)、そして、経済領域における〈アホノミクス〉や〈グローバリズム〉に対する批判(「アホノミクスに対峙する〈一般ピープル〉の経済論」、「『他の道』とはなにか――『市場原理主義』との決別」など)、また、福島の原発事故に関連した諸論稿や選挙結果の論評(「衆院選の結果について思うこと」、「servant-murikiの〈参院選2013〉総括」)そして教育問題(「昨今教育事情(1)(2)」)などに区分できるようです。さらに、安倍・極右政権の見え透いた〈うそ〉や〈トリック〉や〈目くらまし〉がどうして可能なのかを考えるところから、日本「国民」の〈政治文化〉を反省的に考察する試みも大きな柱になっています。それが、天皇制(「『昭和の日』に考えたこと―――主権者と天皇」など)やナショナリズム(「領土問題と『一般ピープル』―――国家の核心的利益?」、「私にとって『愛国心』とは何か(1)~(5)」)に関連する記事でした。そして、福島原発事故後の日本の〈有様〉自体が日本社会の「質」に深く関わっていると考えざるを得なかったわけなのですが、現在の雇用、労働、福祉などの見過ごせない〈現状〉を下支えしている、いわば〈常識〉化した基底的な価値意識―――それらは、一般的には、生産力主義や経済成長優先主義、また、新自由主義的な競争原理、あるいは、より幅広い商品経済的意識であったりすると考えられるのですが―――の〈問題性〉に対する検討に向かわんとする途上にあったいえます。
  
      ところで、私がこの一ヶ月余りツイッターから離れ、時事問題に関するブログ記事も書けなかったのは、昨今の政治情勢への私自身の感情的な反応でもありました。つまり、私は政治を「職業」とするわけではない一般ピープルですから、今の政治的・経済的シーンのあまりにもアホらしい有様を見て、つい、こんなことのために〈残り少ない〉大切な時間と労力を使うのはバカバカしいと感じてしまったわけなのです。ある意味で、まさしく、〈敵〉の思うつぼということだったのでしょう。『挫折禁止』は民主主義社会における『主権者』たる一般ピープルにも当てはまることで、私たち一般ピープルは、公的な領域を〈あのような〉政治家たちや官僚に委ねて私的生活の中に閉じこもってしまってはならず、公的な領域の現状と未来に対して一人一人が自らの見解を持ち、交流し、そして、何らかの行動を為していく必要があるはずなのです。当ブログが、この2年間、その時々の政治・経済・社会そして国際的な問題に対する私自身の〈個人〉的な見解を述べてきたのも、そうした意味合いにおいてでした。そして、それらの多くは、今考えても、そのほとんどが修正を必要としないと考えられるものばかりだったといえます。それにもかかわらず、安倍政権下のこの日本の状況は一体なんなのでしょうか! ということで、今さらですが、私が為さねばならないことは、自分をも含めて、この〈アホらしい有様〉を許しているものは何なのかを諦めずに考え続けていく他はない、との思いを新たにしているところなの  です。
     以下、遅まきながら、この一ヶ月余りの時事問題(とりわけ、政治領域)におけるそれに対する個人的な考えを「公」にしておきたいと思います。(経済領域については、後日、追加します。)この「ブログ政談」こそ、〈一般ピープル〉による公論形成に参画する、「主権者」としての自らの在り方を日々再確認していく作業だと思われます。

     

あの猪瀬都知事が5000万円を〈ポッポ〉に入れていたんだって。キャッシュでね!
  HAHAHAHA・・・笑い事じゃないけれど、そんなものなのでしょうね。


  ―――話は簡単そうで、新聞・テレビの報道をまとめていえば次のようなことになります。まず猪瀬が徳田側に1億5000万円を選挙資金として要求したが、徳田側は5000万円に値切って、毅議員が議員会館で猪瀬に直接足がつかないようにキャッシュで(!)渡した。しかし、その後の「徳洲会」グループの選挙違反事件が明るみに出たので、猪瀬側はヤバイと思い毅議員の母親にキャッシュで返した。それが検察特捜部の捜査の中で毅議員の母親の口から明るみに出てしまったわけだ。猪瀬側は、5000万円もの政治資金を個人あるいは団体から受け取ったとなれば明らかに公職選挙法・政治資金規正法違反となるので、「個人的な借り入れ」と主張し、22日には都条例に基づく資産報告書も修正、記入した。しかし、この〈短期〉(?)で〈無利子・無担保〉の『借り入れ』に借用書が存在したかどうかは、猪瀬側の主張にも関わらず、不明だ(少なくとも、現在は出てきていない)。
     この報道に接して私が感じたことは、「政治家」さんたちというのは、〈無利子・無担保〉で、返済期限もない〈出世払い〉で(どんな形で払うのかはわかりませんが!)、大金を『借り入れ』ることができるんだ!ということです。要するに、これは、一般ピープルにとっては想像を絶する、イスタブリッシュメントの秘密の〈手口〉(=法律の抜け穴)の一つで、こうした金の流れは徳洲会だけに限ってもこの事例以外にも膨大に存在しているようなのです。こうした『秘密』を抱えている輩たちに、『秘密』とは何かを公然と決定できる権限など与えたらどんなことになるか、それは自明のことでしょう。
     この問題の根は深い。それ故に、検察・マスコミの追求の〈有様〉をも是非注目して行きたいと思います。もし、猪瀬を2020年東京オリンピック招致の功労者などとして、その責任追求の手を緩めるようなことがあれば、麻生のナチス発言などに対してでもそうですが、当該のメディアは、まさしく権力中枢の一部としての〈化けの皮〉が剥がれてしまうということになるでしょう。興味津々というべきです。


特定秘密保護法―――『民は、由らしむべし、知らしむべからず』ですか?!

   ―――当ブログを覗いていただけるような方々には、今更、この法案の内容や「修正」への動きについてコメントする必要はないと思われます。全く、「『秘密』は秘密って ばかな話」というわけです。ということで、このブログでは、この法案を見た時に私の頭に浮かんだ、冒頭に掲げた言葉―――『論語』でしょうか、徳川家康でしょうか―――について若干述べておきたいと思います。
     この言葉は、一般的には、「人民を為政者に従わせることはできるが、その理由を理解させることはできない。俗に、人民はただ従わせればよく、理由や意図を説明する必要はない」(『広辞苑』)という意味で、〈封建的〉統治者の支配の原則を述べたものというわけでしょう。『民』は依存させ(「黄門様、おねげえしやすだ」)、(「お上」に)従わせ、(理解できないからというよりも、自立的に考え、権力に批判的にならないように)知らせてはいけない、ということでしょう。そして、現代日本の統治者の『心性』も、そして、それに無批判的に従う民衆の『心性』も〈封建〉時代のそれとあまり変わっていないかもしれません。しかし、民主主義体制における『民』(=一般ピープル)は、この国の〈在り方〉を最終的に決定する権限を持つ『主権者』なのであって、『主権者』がその権能を発揮するためには、まず、正しい情報をしっかり我がものとしていなければならないのであり、まさしく、『知る権利』・『情報公開』はその最も基本的なものなのです。すなわち、『主権者』の『知る権利』を制限しようとするこの法案は、〈民主〉主義体制それ自体を否定するものといってよいのです。しかも、それを性急に推進しようとしている我が政治的「エリート」たちは、有能などころか、あの悲惨な敗戦や福島原発事故を引き起こした「責任」者たちの〈お仲間たち〉なのです。「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」(アクトン)とは政治学の常識の一つですが、「沖縄密約」を始め、ウソを恥じることもないこうした〈お仲間たち〉に、「秘密」とは何かを、「その他」・「その他」のオンパレードで恣意的に決定しうる権限を与えるなど、〈民主〉主義体制を二重三重に否定することになるだろうことは明らかというべきです。
     私も寒いながら頑張ろうとは思いますが、とりわけ言論を職業としている人々は、その職業倫理からしても、身体を張っても阻止すべきだと思います。日本の言論人の「質」が試されています。最低、ハンストぐらいはやってみせてほしいものです。


山本太郎の「陛下への手紙」事件――何が一体問題なんだ?!
     悲惨!天皇陛下は自分宛の手紙も見せてもらえないんですか?


   ―――脱原発を主張して参議院議員になった山本太郎が、秋の園遊会で天皇陛下に手紙を渡したということで、自民党をはじめとする勢力から「天皇の政治利用」だとかわけも分からない理由で議員を辞めろと圧力をかけられたり、皇室行事から排除されたりと大騒ぎになった。ところが、一般ピープルたる私などは、「主権者」たる国民の代表の一人が福島原発の現状を知ってもらおう「象徴」たる天皇に手紙を渡すことが何故〈いけない〉の? 別に良いんじゃない、という感覚だったといっていい。アイドルや氷上のアスリートではないのだから、皆がファンレターやプレゼントを渡すようになると陛下が大変だからということなのでしょうか? あるいは、一般ピープルにとって、相手が天皇だと、手紙を書いて渡そうとすること自体が「非礼」ということになるのでしょうか? 大体、「政治利用」と言っても、その行為が内閣の助言と承認に基づく国事行為に限定されている天皇が、福島の現状を知ったからといって、国民の意見が分かれているこの原発問題に関して〈政治的〉発言をするわけはないでしょう。逆に、「政治利用」というのは、捨て石作戦で塗炭の苦しみを押し付けた沖縄県民をまたもや米軍の施政権下に留めた「屈辱の日」を「主権回復の日」として祝うことを正統化せんと、沖縄県民をはじめ国民の意見が大きく分かれたこの式典に、天皇・皇后両陛下を招き、天皇陛下万歳を三唱してみせたりすることを言うのではないか。
     さらに、この件で強く感じたのは、天皇は福島の現状を知ることすら許されないらしいことだ。というのは、自分宛の手紙を山本太郎からにこやかに受け取った明仁天皇は、テレビで見る限り、侍従に促されその手紙を彼に手渡したのだが、後日の新聞によると、侍従はその手紙を天皇に見せていないというのである。私の家族が私からそのような扱いを受ければ、きっと怒りますよね。つまり、天皇は自分宛の手紙を見ることもできないらしいのだ。一体なぜなのか。他の国の国王や大統領もそうなのか。危険物をチェックしたりすることなどはわかるが、国民の代表である国会議員が直接手渡した自分宛の手紙を見ることができないなどとは、本当に本当に、気の毒という他はない。これでは子供以下の扱いではないか。雅子妃の境遇や気持ちがわかるような気がする。
     「直訴」に至った山本太郎の天皇観や「ご宸襟(しんきん)を悩ませた」とかいった後日の反省の弁については首を傾げたくなるところもあるが、問題は、日本国憲法下の「象徴」天皇を「主権者」たる国民がどう捉えるかのかだと思う。勿論、天皇制は憲法上許されている唯一の「門地」(家柄)による「差別」(天皇は国民が有する基本的人権を持っていない)であるが、問題なのは、そうした「差別」待遇の中でも、天皇個人をあくまでも私たちと同じ「人間」として見るのかどうかということなのだと思う。そして、彼も私たちと同じ欲求や感情を持つ〈人間〉存在であるという自明な事実を前提として、主権者たる国民の代表が招待された園遊会の場で、象徴たる天皇に本人の承諾の上で手紙を手渡すことが「非礼」にあたるのかどうかを考えることなはずだ。それは、天皇の友人が彼に悩みを打ち明ける手紙を書いたり、あるいは、愛子さんの学友が彼女にラブレターを出すことが「非礼」にあたるのかどうかを考えることと同じことだろう。そうしたことをぬきにして、天皇を、明治憲法下の「神聖不可侵」な、「人間」存在以上のものとして国民に印象づけようとするのが今回の動きなのだと私は考える。それは、明らかに、日本国憲法が示す、「人間ー天皇」のイメージとも異なるはずだ。私たちは、あくまでも、同じ〈人間〉のはずだからである。


小泉・細川元首相らの〈原発ゼロ〉への動き:再稼働は阻止すべきだ!


     実に真っ当な見解で、日本の将来のためにも、是非頑張ってほしいものだと考えます。ただ、問題なのは、核廃棄物の〈最終処分場〉だけのことではないということです。すなわち、福島県における小児甲状腺がんの「激増」(9月までに26人)や汚染水漏洩の問題など、目の前に厳存している諸問題――福島をはじめとする自然と人間の〈救済〉―――に如何に迅速かつ効果的に対処しうるかは、これまでの原発政策全体の徹底的な検証と反省、つまり、日本社会の政治的、経済的、社会的、技術的、思想的など、あらゆる分野での再点検が不可欠だろうということなのです。原発政策で犠牲になった多くの人々の悲惨な現状を前に、オリンピック開催でうかれたり、原発輸出で飛び回ったり、再稼働を画策したりすることなどは許されるはずはないのだと思います。そんな日本社会全体を再考すべきです。

  ※ 今日はこの辺で切り上げます。次回は、経済関係、とりわけ、雇用や福祉や税金の問題について簡単に述べ、この小さな総括を終えたいと考えています。

ムリキブログ(dtiblog)の小さな総括―――(1)趣味の世界

 興味の〈対象〉を注視すること
     ―――それは、また、自らが〈何者〉であるのかを再考する機会でもあった


    ※わが〈しもべ〉たる飼い主は、最近、色々と考えることがあるらしくコンピューターに向かってブログを書くことが少なくなっているみたいだね。政治経済に関する厚い本や歴史の本なんかを読みながら、「どうもわからね・・」とかつぶやいています。僕との散歩とか、やらなければならないことはやってるので、マア、良いか。ただ、新しいカメラで僕の写真を撮るだけじゃなくて、みんなにも見せてほしいもんだね。


     『ムリキブログ』を始めたのは2010年5月でしたが、実際に、現在の『ムリキブログ―――SARO the VID』として恒常的に記事を書き始めたのは、2011年9月からでした。それから早くも2年と2ヶ月の時が過ぎました。最初は、サロさんの写真や川柳などを載せるために「開局」したのですが、内容もだんだん変化し、又、ツイッターも始めたことから、とうとう、「脱・ネット依存症」なんて張り紙をモニターの端に貼付けるような時期もあったのです。そして、この間、dtiの「アクセス解析」によりますと、ユニーク(PCとスマートディヴァイス)のアクセス数は延べ10,158回、表示回数は述べ22,851回、これに携帯電話からのアクセス数を加えますと、恐らく延べ15,000人以上の方々に見ていただいたことになると思います。 正に、望外の喜びといわなければなりません。ここに、伏して御礼を申し上げるところです。ところで、先のブログでも書きましたように、dtiがこのサービスを終了することになりましたので、『ムリキブログ』も一応の区切りを付けねばならなくなりました。そこで、これまでの2年余りを振り返り、2回にわたって、若干の総括を試みてみたいと思います。もともとこのブログは、私(サーヴァント・ムリキ)とサロさんとの生活を記録しておこうと思ったのが直接的な動機でしたが、また、同時に、「政治経済」を勉強してきた私が、今の日本と世界の現状をどう感じ、どう考えたかを記録しておきたいという動機もあったといえます。私の母も妻の父も膨大な「記録」を残しているのですが、「自分史」とまでは言わないにせよ、私にもそれに似た欲求があったのだろうと思われます。

     さて、今回は、私の「趣味」に関連した記事について振り返ってみたいと思います。まず第一は、何と言っても、サロさんことです。本当に高等哺乳類は凄いのです。勿論、人間と同じとは言いません。しかし、その感情や思考が人類のそれにかなり近いことは間違いないことと思われます。また、我が家のように、家の中で一緒に生活していると、その進歩と成長も明らかなのです。実に興味深く、実に〈いい〉性格のワンちゃんに出会えたものだと思っています!!!(馬鹿ですねえ)。そのサロさんも、今月の29日には、いよいよ満7歳となって、「シニア」の仲間入りをします。さて、どんな「シニア」になるのでしょう。「saro-murikiI写真集」も22回を数えましたが、下に、最新の画像を添付しておきます。


「犬恋しい」落ち葉の季節―――あれは○ー○○君?!




      川柳修行を志した当初の目的は達成されませんでしたが、いくつかの新境地も開拓することができました。それは、4年前に私がS八段から教えを受けるという幸運に恵まれたことから発するものですが、まず、強まった剣道への興味・関心から、「NHK・BS  SAMURAI SPIRIT」シリーズ(全8本)を書いています。とりわけ、剣道編については、日本語版がなかったせいもあって、多くの方に観ていただくことができました。又、その後の展開は、日本の武士道における「平和主義」について、自ら原典に当たることによって得た感想を記すというものになりました。勿論、「武士道」には、粗野な「〈ばさら〉武士道」もあるかもしれませんし、又、幕末期の〈若き〉志士たちに影響を与えたろう、〈若き〉吉田松陰的な、すなわち、若干「小児病」的とも思われる「武士道」もあったに違いありません。しかし、心身共に成熟し、高い思想的水準にまで到達した日本の「武士道」とは、やはり、新渡戸的なものでしかあり得ないであろうと今も考えています。再び、この問題に触れざるを得ない機会がくると予想されますが、その時には、記紀のレベルから批判的に考察してみたいと考えています。また、S八段への感謝の念から、「剣道・達人の教え」シリーズ(全8本)も書いています。このシリーズは、とりわけ私自身が師匠に打たれることによって知ることのできた「切り落とし」についての記事をはじめとして、実に多くの方々に読まれました。今考えても、師匠の数々の教えは実に的確で意味深いものであったと思われます。しかし、様々な貴重な指摘や示唆も心技体の全領域で会得しうるためにはさらなる時間と修練が必要なようです。今は、痛い身体で素振りをしているだけの私ですが、また、道場へも通ってもう少し進歩できる機会も来るに違いない、そう思っています。その時が楽しみです。

     読書と音楽と旅行については、まだ書きたいこと、あるいは、書かねばならないと思うことが沢山あります。しかし、とりわけ読書に関していえば、極めて〈個人〉的な意味合いのものも多いわけで、皆さんと共有すべきものかどうかの判断に迷うものも少なくありません。ただ、石坂啓さんの『安穏族・突撃一番』や早乙女勝元さんの『写真版・東京大空襲の記録』、『犬はあなたをこう見ている』や近松門左衛門の著作から基本的人権の普遍性を考えたもの、そして、(意外にも)こうの史代さん『この世界の片隅で』などの記事を振り返りみたとき、きっと同じ本を読んだ多くの方々と感動を共有できたのではないかという喜びを感じるのです。また、そうした記事を書いていければと思います。
     テレビ番組の領域では、『アルカイダの来た道――アメリカはなぜ嫌われるか』、『旅の力――犬の幸せってなんだろう』、『天明の飢饉――災害復興が日本を変えた』、『空白の初期被爆』などが思い起こされます。私たちの狭い経験と視野を考えたとき、良質のドキュメンタリー番組などの意義はとてつもなく大きいように思います。これからも、そうした情報を共有していければと思います。
     アニメ映画に関しては、私自身涙無しでは見ることのできない『火垂るの墓』――『埴生の宿』に関する記事がよく読まれたようです。また、私の課題であった『風の谷のナウシカ』論(6本)も、悪文で本当に恥ずかしいものでしたが、一応の区切りをつけることができたと考えています。最近の『風立ちぬ』についても簡単に触れたところですが、今年中には、高畑 勲監督作品『かぐや姫の物語』を是非見て、感想を書きたいと考えています。
     音楽に関しては、現在、「伊奈学園吹奏楽部 第21回 秋の演奏会』についての記事が最新版としてUPされていますが、〈ドナウ川のさざ波〉やイムジチの演奏会などの記事は、音楽好きの私にとって、自分の人生自体を振り返り見る意味さえあったように感じます。今後は、私にとってのベスト10・50・100曲とは何かなどを考えていく中で、自分にとって何が大切なのかを再確認していく作業をしていきたいと考えています。
     旅行に関していえば、念願の沖縄旅行をはじめ、原付バイクで約1000キロを走破した月山登山、そして、東北被災地への旅行など、私の小さな冒険あるいは私が直接見なければならないと感じていたものとの接触を、ブログを書くことが、より意識的なものにしてくれたように感じています。これからも、できる限り、積極的に、『旅』をしていきたい、そう感じています。
     長くなってしまいました。最後に、最近(?)の二つの旅の写真を載せて、今日は終わりとしたいと思います。

     

10月20~21日 山梨おじさん旅行


※ 格安で〈ジャスト・フィット〉の旅行プランをたてる名人がいて、初日は雨にたたられたとはいえ、今回も楽しく充実した旅行ができました。サントリー 登美の丘ワイナリーの見学もなかなかオツなものでした。神の湯温泉は「住宅地」の真ん中に唯一件という面白いホテルで、従業員がつくったという露天・貸し切り風呂が大変面白く感じました。


   10月20日 新宿(特急)甲府―――(レンタカー)甲斐善光寺―――武田神社
         ―――サントリー 登美の丘ワイナリー―――神の湯温泉(泊)
   10月21日―――昇仙峡(散策・ロープウェイ)―――甲府―――(特急)新宿


20日:甲斐善光寺―――雨の日も楽し





21日:昇仙峡ー覚円峰―――青空とのコントラストが見事でした




これもよし―――穏やかな雰囲気の紅葉






     11月17日 気まぐれツーリング:CD50ベンリー号で 



※ 原チャでの長距離移動は自粛しておりましたが、17日(日曜日)の好天に誘われ、思いつくまま、通勤路から見える秩父の山に向かいました。絶好のツーリング日和で、素晴らしい秋を満喫することができました。周りは高価で高性能な自動車や自動二輪車ばかり。しかし、逆に、小回りが利く原付の存在感もなかなかなもので、よし、今度はこれで四国まで行こう!などと決意したものでした。ベンリー君!君は凄いよ。

  【行程】(国道16号)川越――(県道15号ー国道299号)
    ――秩父〈武甲山〉・小鹿野〈両神山〉――志賀坂峠〈二子山〉――神ヶ原――
   (奥多野花街道)――神流湖――鬼石――(177-13-44)秩父―――川越
       

志賀坂峠の下りから二子山―――今度登りに来よう





今年一番の〈紅〉―――奥多野花街道の道端で




神流(かんな)川の渓流―――今度は家族でこの道を通って佐久まで行こう!




       
    
※ 次回は、「小さな総括(2)―――政治経済関係」を予定しています。
  ちょっと出かけてきます。
     

伊奈学園吹奏楽部・第21回秋の演奏会に行ってきました

 「名門」吹奏楽部の〈引退〉記念コンサート
―――出色の吹奏楽と部員たちの合唱(「旅立ちの日に」)に癒されて



   ※久しぶりにブログを更新できます。書きたいことはたくさんあったのですが、様々な事情で、キイを叩くことができませんでした。とりわけ、時事問題については、テレビでニュースを見る度に腹が立つのでTwitterでつぶやくこともしませんでしたから、政治経済関連の「つぶやき選集」も前回の(21)で終了ということになるかもしれません―――勿論、別の形での再開は考えていますけれど。それにしても、この今の日本の状況を許している「日本人」の思想と感性とは一体なんなのでしょう。そのことを考えるにつけ、私は「欝」状態になるのです(苦笑)。


 2013年11月4日
  伊奈学園吹奏楽部 第21回 秋の演奏会(昼の部) 大宮ソニックシティ大ホール
      
プログラム

  第1部 夢のような庭
      フル・ブルーム
      トム・ティット・トット
      パガニーニアーナ
      アルメニアン・ダンス・パート1

  第2部 ~ステージドリル~
      「魔女の宅急便」セレクション
      エンターテインメント・マーチ
      「レ・ミゼラブル」より
      ~ポピュラーステージ~
      ・「あまちゃん」と「半沢直樹」のテーマ曲
      ・ランダム曲目→リクエスト曲
       YOUNG MAN  迷宮ラブソング 世界に一つだけの花

  三年生部員の「〈卒業〉記念式」(呼名)―――「旅立ちの日に」の合唱と演奏

         
     娘に「伊奈学の吹奏楽聴きに行く?」と問われ、当然「いいねえ!」と答えて、チケットを手に入れてもらいました。伊奈学園総合高校の吹奏楽部は、全国的にも高い水準を誇る部活なのですが、会場はまさしく満員の盛況で、高校の吹奏楽部の演奏会とは思えない華やかさと演奏内容だったと思います。実は、恥ずかしながら私も、中学時代、 ”ブラスバンド・クラブ”に所属し、トロンボーンを吹いていたことがあるのです。といいましても、私たちの「部活」(?)は、週2回程練習して、学校行事の時に演奏するぐらいの活動でしたから、今の中学生のレベルとは比較にならないものでした。それに比べますと、伊奈学園の吹奏楽部は、中学部はもちろんのこと、本当に立派な演奏というほかありません。第一部は主に新人たち、そして、第2部はマーチングバンドと3年生、そして、最後は、3年生部員の「卒業式」と言った構成となっていました。

     さて、今回とりわけ強く感じたのは、まず第一に、マーチングバンドの「おもしろさ」です。吹奏楽部自体が「体育会」系の性格を持つとはよくいわれることですが、私の知っている人の話では、マーチングバンドは、まさしく軍隊のようなものなんだそうで―――彼は、そのせいもあって、退部したそうです―――、いやはや、本当に大変そうです。しかし、どこかの国のマスゲームとはいいませんが、一種の違和感を感じながらも、「スゲー!」と感動してしまうのです。
     二つ目は、私は「入魂」の演奏を聴くと身体に〈しびれ〉が来る体質なのですが、今回の演奏会でいうと、『エンターテインメント・マーチ』と『「レ・ミゼラブル」より』、そして、『旅立ちの日に』がそれに当たります。前の2曲は、コンサート・バンドがコンテストに向けて練習を積み重ねてきたものらしく、まさしく、一音一音が磨き抜かれていると申しましょうか、彫琢されているといいましょうか、まさしく出色の演奏であったと感じられました。勿論、技術的にはプロの音とは違うところもあるのでしょうが、それをも超える熱い〈想い〉が感じられたのです。
     又、そのようなことは、吹奏楽部員による合唱、「旅立ちの日に」にも強く感じられました。もともと、音楽好きの彼らが歌が上手なのは当たり前のことなのでしょうが、この伊奈学園の生徒たちによる「旅立ちの日に」は、プロの混声合唱団によって歌われたものよりも強く人の心を打つものがあったように思います。あれは、YouTubeに、是非、UPすべきです!!! 男性パートの数の問題もあったはずですが、実に実に、素晴らしいものに私には聞こえました。この曲のベスト盤として多くの人々に感動を与えてくれることでしょう。
     合唱は、ハーモニーの美しさが勿論重要です。例えば、合唱団京都エコーの『心のふるさと 抒情歌ベスト』などを聴くと、この合唱団の名前を〈エコー〉とは名付けも名付けたりで、その〈響き〉は、編曲の妙もあるのでしょうが、まさしく絶妙のハーモニーとして堪能することができるものです。しかし、また、『私が歌う理由』(BRAIN MUSIC)のなかの、同じ京都エコーと松原混声合唱団の〈死んだ男の残したものは〉や松原混声合唱団の無伴奏混声合唱曲〈骨のうたう〉などを聴くと、もうハーモニーというレベルを超えた何かを感じざるを得ないのです。伊奈学園の中高生によって歌われた「旅立ちの日に」も、彼らの世代によってしか表現できないそんな〈想い〉が込められていたように思います。そうした想いを蓄積し発酵させ得たであろう伊奈学園吹奏楽部のみなさんと、そんな〈想い〉を引出し表現し得た顧問の宇畑先生に心からの拍手を送りたいと思います。


  ※長い間お世話になったdtiblogがもうすぐこのサービスを終了することになりました。そこで、私も、ブログを書き続ける限り、引っ越さねばならないことになります。そして、次回のブログがdtiblogでの最後になりそうなのですが、その際には、これまでの若干の総括をも試みたいと考えています。さてさて・・・

プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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