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秘密保護法〈強行採決後〉の日本―――一般ピープルの倍返し

安倍・麻生・石破らが目指すのは戦争=〈国家テロ〉だ!

   ―――知性も品性もないこんな輩に好き勝手されて、なんと気分の悪いことか。


     ※ 2013年12月6日(金)、「特定秘密保護法(案)」が参院で自公の賛成多数で成立した。この稀代の悪法が、まさしく、知性も良識もない小心者たちの手によって強行採決されようとしていた12月の5日と6日、私は国会前での抗議行動に参加しました。それは、今を生きる一人の人間としてこの恥ずべき策謀を許すことはできないと感じたこと、そして、少なくとも、これに抵抗することが子供たちや未来の人々への責任を果たすことだとの思いからでした。今回のブログでは,この間に感じたこと、考えたことを書き記しておきたいと思います。



★「恥を知れ!」というシュプレヒコールが全く違和感なく聞こえる★


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(12月5日)



     5日,疲れていたので午後一眠りして目が覚めると、今夜にでも強行採決とのテレビニュースが聞こえてきました。居ても立ってもいられず、「歴史の現場」に向かいました。9時過ぎに国会前に着きましたが、まだ少なからぬ人々が抗議の声を上げていました。
     今回の抗議行動に参加して最も強く印象づけられたのは、「自民党は恥を知れ! 公明党は恥を知れ! 賛成議員は恥を知れ!」というシュプレヒコールの表現とその「響き」に対してでした。日本には「恥を知る」ー「恥の文化」が存在してきたことは周知のことですが、安倍政権とその随伴者たちの言動を思う時、この言葉が日本の政治家たちにこれほどふさわしいと感じられたのは、今までの私の人生の中でも少なかったように思われます。まず、彼らの〈民主政治〉に対する見識の低さは驚くべき水準のものです―――勿論,彼らは,意識的に、戦後の「民主主義」的政治体制を戦前の「〈非〉民主主義」的政治体制へ引き戻そうとしているのかもしれませんけれど。また、今回の法案審議における彼らの様々な問題点への回答の杜撰さは、国民の国語力を舐めているか,あるいは,彼ら自身の論理能力の貧困さを表わしているのかのどちらかとしか言いようがありません―――恐らく,その両方でしょう。また、このようなコトの運びの拙速さは、間違いなく、この法案の内容自体に対する彼らの自信のなさの現われでもあるでしょう。要するに,いくらなんでもこんなことは長くは続かない―――つまり、時間をかければかけるほど〈化けの皮〉が剥がれ、一般ピープルを騙し続けることは難しくなる―――、無理してもどさくさ紛れにやってしまおう、どうせ一般ピープルはちょっと目先を変えてやればすぐ忘れるんだから、と。しかし,国民を馬鹿扱いし、反民主主義的な政治手法を厚顔無恥にも繰り返す、無能な三世議員の総理や副総理、そして、キャンディーズの追っかけをやっていた軍事オタクの幹事長などこそ、まさしく,「恥を知れ!」の言葉が何よりふさわしいレベルの輩ということなのです。しかし、このような嘘八百と目くらまし的な言辞と政策を連発しているこのような低レベルの政治家たちを国政の中心に留め置いていること自体に、我々日本の主権者たちは恥入らなければならないとも言えるのです。

   
★ 「論より標語」の〈アベノスピーク〉―――〈無内容〉かつ〈ごまかし〉専門★

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                (12月6日)



     それにしても、アベッチの言辞の〈皮相さ〉と〈欺瞞性〉は際立っています。本人というよりも、側近のコピーライター的人物の「作りもの」だと考えられるのですが、それらにはマキャベリズム的臭気が濃厚で,誠実さなどはほとんど感じられない代物なのです。例えば,今回の「〈特定〉秘密保護法」の〈特定〉や、あるいは、戦争準備を「積極的〈平和主義〉」などと表現するなど、正反対な意味を持つ言辞を用いてその本質を隠蔽しようとするその手法は全く白々しく感じさえするものです。又,汚染水をはじめとする原発関連の「詭弁」的言辞(細川元首相)、そして、国民の格差を前提・拡大しつつ、あたかも国民全体に関連するかのような「アドバルーン」的言辞など、以前私は,アベッチの言辞をジョージ・オーウェルの『1984年』にでてくる「ニュースピーク」を想起させるものだと書きましたが(http://sarochan.dtiblog.com/blog-entry-157.html)、今回の次々と繰り出された無内容な「第三者機関」名などもそうした手法の典型的な現れと言って良かったのです。それは、「論より標語」の、恥ずべき〈アベノスピークス〉と呼ぶべきものでした。


★ 麻生の「ナチスに学べ」の実践ですか! ★

    これもすでに多くの人たちが指摘しているところですが、今回の国家秘密法や集団的自衛権「容認」への動きに見られる一連の政治手法は、ワイマール体制を死に追いやったあのナチスの「全権委任法」のそれを思わせるものです。当ブログでも取り上げたところですが(http://sarochan.dtiblog.com/blog-entry-149.html)、麻生は言っています―――「だから、静かにやろうやと。ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか。」と。 すなわち、現在の日本国憲法の体制を国民の気がつかないうちに実質的に掘り崩し,改変してしまおうというわけです。(ワイマール期の)インフレならぬ(「失われた10年」の)デフレ対策で国民多数の支持を〈詐取〉して国会における圧倒的多数を握った安倍政権は、公約にも掲げていなかった、国民に何が秘密かも知らせず政府・官僚の判断によって厳罰化が可能な「特定秘密保護法」を真っ当な審議すらせずに強行採決したあげく、今後国民にその必要性や中身を説明していきたいなどとほざいているのです。
     これからもナチスに学ぶとすれば,外敵の脅威を喧伝しつつ,国内の批判的勢力の言論や表現の自由を弾圧・抑圧し、そして、実際の軍事行動をも辞さずに(国家社会主義的ならぬ)新自由主義的な「戦争経済」を推進し、そのことによって景気浮揚を実現して自らの政権基盤の維持・確立を策する、ということになるのではないでしょうか。しかし、戦後の「平和的なもの作り経済」を「戦争はもうかる」的な「戦争経済」へ転換させては絶対になりません。経済活動の本来の目的は、あくまでも、私たち一般ピープルの経済的〈福利〉の実現でなければならないはずだからです。



★〈国家テロ〉論者・石破の正体 ★

     私たちの「平和」的な非暴力直接行動をテロ扱いした石破は、これまでも国家による究極的な暴力行為たる〈戦争〉のできる国家体制を作り出そうとしてきていましたが,その彼は、当ブログでも紹介したように(http://sarochan.dtiblog.com/blog-entry-127.html)、次のように発言しているのです。        

     『これは国家の独立を守るためだ。出動せよ』と言われたときに、いや行くと死ぬかもしれないし、行きたくないなと思う人がいないという保障はどこにもない。だから(国防軍になったときに)それに従えと。それに従わなければ、その国における最高刑に死刑があるなら死刑。無期懲役なら無期懲役。懲役三百年なら三百年。そんな目に遭うぐらいなら、出動命令に従おうっていう。人を信じないとかいわれるけれども、やはり人間性の本質から目を背けてはいけない。

     つまり,石破は、国民を、殺し・殺される〈暴力〉的な行動たる「戦争」に強制的に動員できる体制を作り、もし,それに従わないようであれば、究極的な〈暴力〉行為である「死刑」をもって報い、その〈恐怖〉感から国民を従わせようと堂々と主張しているのです!これこそ、テロリズムの発想以外の何ものでもないでしょう。つまり,石破は、〈国家暴力〉の単純な肯定論者であるにもかかわらず、自分に都合の悪い思想や自分たちに反対する人々を簡単に「テロリスト」呼ばわりし、そして、秘密保護法による監視対象にしようというわけでしょう。それは、たとえば、ネルソン・マンデラ氏をテロリスト扱いした独裁的で反民主主義的なアパルトヘイト体制下の南ア政府指導者の感覚と通底するものに違いありません。
     はっきり言っておかねばならない―――我々〈主権者〉は,あのような擬制的な投票行動で,君たちのような政治家たちに「全権」を「委任」したわけではないということを。それ故にこそ,思想・表現の自由をはじめとする、国家権力に対するあらゆる政治的自由権の諸規定があるのだ。このような民主政治の基本原理をすら理解しえていない輩が幹事長を務める今の自民党というのは一体どういう集団なのか。同国人として恥じる他ありません。


★帰りの電車の中で―――疲れた人々と二つの人身事故★


     5日、帰宅の途についたのは、10時半を過ぎていました。その時、電車の中で見た人々の疲れた様子は想像以上のものでした。豊かな首都で働く人々なのですが、それは,数十年前に私が見た人々の印象とはかなり違っているように思われました。つまり,それは肉体的疲労とは違った「ストレス」、つまり、基本的な「誇り」や「余裕」や「安心」を持たないがゆえの疲れではないか、そう感じさせるようなものでした。又,6日、私は9時過ぎに帰宅の途についたのですが、その時,新宿から乗った埼京線の中で、私は二つの〈人身事故〉のニュースを知りました。神奈川と埼玉でのことです。アベノミクスの華々しい宣伝とは裏腹に、一般ピープルには重苦しい雰囲気が漂っているのです。大衆への増税と公共事業を通してそれを一部のお友達へ配分すること、また、TPPをはじめとする新自由主義経済の推進と「戦争経済」化によって、リスクを一般ピープルに転化しながら、これ又、一部のお友達を潤す安倍政権の経済政策の方向性は明らかというべきでしょう。とりわけ、アイゼンハワーの警告をもちだすまでもなく,「戦争経済」(軍産複合体)によってこれまで世界中のどれだけ多くの一般ピープルが犠牲になったことか。安倍政権の本質を見抜く必要があります。

  あんな輩に好き勝手をさせてはならない―――全力を挙げて,彼らを政権の座から引き摺り下ろさねばなりません!一般ピープルの倍返しだ!

     ※ 現在,ブログの引っ越しの準備中です。あと一週間以内に、テンプレートのデザインなどを整え,新しいサイトをお知らせできると思います。今後ともよろしくお願いいたします。また、当日,集会に参加できなかった方々のために、日比谷野音での「集会アピール」を資料として載せておきます。勿論,私もその中に入れなかった一人ですが。



 【参考資料1】  集会アピール(案)



 自民党の石破茂幹事長が国会周辺のデモに対して自身のブログで、「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」という、驚くべき認識を示しました。批判が巻き起こると、「テロ」の部分を削除し、「本来あるべき民主主義の手法と異なるように思う」と修正しました。何という政治家でしょうか。「特定秘密保護法案」でテロの定義が争点の一つになっている時に、民主主義社会で当然に保障されている言論・表現の自由に基づく行動を「テロ行為」と同一視したのです。
 では、石破氏が言う「本来あるべき民主主義の手法」とは何なのでしょうか。
11月25日、福島市で開かれた公聴会で公述人7人全員が法案を批判したのに、その翌日、自民党、公明党などが、衆院の特別委員会、本会議で強行採決を行いました。原発震災に苦悩する福島をアリバイ作りに利用して恥じない暴挙です。同時に沖縄では、民意を体現していたはずの自民党国会議員と党沖縄県連に普天間基地「県外」の公約破りを強要し、屈服させました。どこが「民主主義の手法」なのでしょうか。
 参院でも同じ「手法」が繰り返されようとしています。民意を無視し、民主主義の手続きをないがしろにする、横暴極まりない安倍政権の一連の行為こそ、民主主義に対する「テロ行為」ではないでしょうか。しかも、与党が国会の多数を占める結果となった選挙は、裁判所から「違憲状態」「無効」と判断されているのです。
 秘密まみれで準備してきた稀代の悪法「特定秘密保護法案」を、この政権は今、しゃにむに通そうとしています。国会の上に行政が君臨する官僚独裁に導き、市民・国民を監視して戦争へと動員するこの法案は、憲法と民主主義の転覆を図るクーデター法です。監視と重罰であらゆる人を萎縮させ、住民、市民、労働者の運動の手足を縛り、取材・報道、言論・表現の自由を窒息させて「知る権利」を奪うこの法案は、恐怖と威嚇で自由と民主主義を封殺するテロリズムというべきではないでしょうか。
 ここ日比谷公園で11月21日、一万人以上が反対の声を一つにしました。今、廃案を求める声があらゆる分野で燎原の火のごとく広がっています。世界のマスメディアが、国連が、人権NGOが、批判と懸念を強めています。世論調査では反対が賛成を大きく上回っています。
 それでも、この政権は暴走を止めようとしません。
 この国は戦後最大の危機に直面しています。安倍政権の暴走を食い止めるために、きょう、ここに集まった私たちは、来られなかった圧倒的多数の市民・国民とともに、そして世界の全ての良識ある人々とともに、行動します。私たちは、この法案を廃案にするまで全力を尽くすことを、ここに宣言します。
                             2013年12月6日
                       「秘密保護法」廃案へ 12.6大集会
                                  参加者一同


【参考資料2】 「アベノクーデター阻止」のプラカード



DSC_1225アベノクーデター.jpg

 


「安倍政権は、明らかに憲法に違反し、基本的人権を踏みにじる秘密保護法案を、民意に背いて衆議院で強行可決しました。これは、解釈改憲による集団的自衛権容認の動きと一体で,正に『ナチスの手口』,すなわち「合法」を装った政治権力によるクーデターの開始,という他ありません。」などと書かれています。

【注】以上はdti「ムリキブログ」の12月9日版を転載したものです。その後の政治経済情勢も「酸鼻」の極みと言った状況で、NHK(犬あっち行け)ニュース9が「速報」した支持率低下を〈口先〉だけで操作しようとする「アベノスピークス」、TPP交渉での見え透いた猿芝居、お友達のみを優遇する税制改正大綱、労働者派遣法の拡大、国民の意思を舐めきった原発推進政策等々、安倍政権の反「一般ピープル」的性格はますます露になってきています。政治から目を離すことはますます危険な状態になっています。
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ムリキブログ(dtiblog)の小さな総括          ――(3)政治経済論・追記

 一般ピープルの実生活から導出される社会観・国家観とはなにか?
        ―――イスタブリッシュメントの価値観との〈対峙〉



※ 特定秘密保護法が衆院で「強行」採決され、日本版NSC(国家安全保障会議)法案が参院を通過した。そして、まさしく、主権者たる国民をなおざりにした、〈政府〉の解釈変更による集団的自衛権の承認―――憲法9条の平和主義を根底的に堀崩す、海外において〈戦争〉のできる国家への転換―――が現実味を増してきています。来年には、日本の若者、とりわけ、自衛隊員が、海外での戦闘行為によって、人を殺したり・人に殺されたりする事態、すなわち、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こる」(日本国憲法前文)事態が予想されさえするのです。 しかし、これらに対する日本国民の反応はまだ〈鈍い〉ように思われます。こうした現状は、おそらく、戦後68年、とりわけ、この30年程の、イスタブリッシュメントによる〈教育〉と〈プロパガンダ〉の「成果」なのでしょう。勿論、それらは、一般ピープルにとっては、眼前で「生み出され」、そして、それらに「包み込まれ」ざるを得ない〈現実〉への想定しうる〈反応〉だとも言い得るのですが、問題なのは、こうしたイスタブリッシュメントによって意識的に形成・操作されてきた〈現実〉に対する批判的な視座・価値観が相対的に衰弱化してきていることなのだと私には思われるのです。


      さて、ムリキブログの政治経済論とりわけ〈経済〉領域における小さな総括で私が指摘しておきたいことも、上で述べてきたことに関連するものです。たとえば、現在、NHKや日テレ・フジなどをはじめとするマスコミ主流は盛んに景気回復を印象づけようとしていますが、少なくとも私の周りでは、そうした実感などほとんどないといってよいのです。勿論、富裕層の高額商品への需要増大とか消費税導入前の駆け込み需要の増大、あるいは、海外市場からの影響などはあるでしょう。しかし、総体としての一般ピープルの所得・収入の増大や生活の安定・安心がない以上、そんな報道は、ウソかプロパガンダであるとしか聞こえようがないのです。景気上昇? 確かに物価は上がってるよね、ぐらいでしょうか。しかし、私が、私の若い頃と決定的に違うと感じるのは、こうした「経済状況」への一般ピープルの意識的スタンスであるように思われます。つまり、現在は、そうした「経済状況」や「景気変動」がよりどうしようもない「自然現象」に近いものと感じられているのではないかということです。しかし、実際には、国際金融資本を中心とする多国籍資本の「経済活動」全般に対する「操作」の度合いは以前よりも遥かに強まっており、その利益追求ゲーム(!)によって必然的に生じる経済的混乱自体の責任は、まさしく、より彼らあるいはそうしたシステム自体に起因しているはずなのにです。これは、言ってみれば、江戸時代の一般ピープルが米を買い占めて暴利を貪る悪徳米問屋の行状が「見えず」、それを単純に〈凶作〉のせいだと諦めているようなものでしょう―――もちろん、特定秘密保護法案に反対する市民のデモをすらテロ行為と同一視するような石破のような輩にいわせれば(http://www.asahi.com/articles/TKY201311300290.html参照)、そうしたシステムに気づき一揆や打ち毀しなどの批判的な抵抗にでた農民や町人の行動はまさしくテロ行為として否定されることになるのでしょうけれど。それにしても、石破は「暴利を貪る悪徳米問屋」に雰囲気がよく似ていますね!―――。つまり、現代の私たちの経済活動それ自体への見方は非常に狭い視野に限定されているのではないか、あるいは、私たち自身が形作っている経済的関係性への意識がより「物象化」されているのではないかと思われるのです。換言すれば、一定の経済「状況」に対する「国民」の見方・感じ方が、現在の支配的なイスタブリッシュメントの〈価値観〉あるいは〈目くらまし〉の中に閉じ込めれ、経済関係の〈実体〉を見通し、〈現状〉を超える想像力を持ち得ていないのではないかということなのです。

     こうしたことについては、恐らく、マスコミの責任も大きいと思います。つまり、彼らは、〈現状〉ないし〈支配的〉勢力の価値観に拝跪ないしは遠慮して根底的な議論を避けてきた、あるいはより意識的に、批判的な価値観はフィルターにかけ、面と向かって議論されないようにしてきたと思われるからです。しかし、私の若い頃には、例えば、消費税や福祉や雇用問題などについて何らかの問題点が明確になった場合には、それらの問題を、単なる利害関係の相克や立場の違いといったいわば「直接的な」観点だけからではなく(もちろん、そのことは極めて重要なのですが)、そこで対立しあっている政策や理論の基底に横たわっている社会観や人間観にまで踏み込んだ議論がなされていなかったわけではないと記憶しているのです。確かにそれは個人の価値観や生き方にも関わるものですから非常に微妙なところもあるのですが、それを避けていては問題に対する根底的な把握や様々な選択肢の評価も不可能であると思われるのです。そうしなければ、いくら困難な状況を前にしても、結局は「古い」あるいは「支配」的な秩序のなかに〈回帰〉する他はないということになるのです。このことは経済領域だけの話ではなく、平和主義や原発問題でも同じことでしょう。私が今一般ピープルの立場から考えてみたいと思っているのは、こうしたレベルでの話なのです。

    例えば、消費税の議論においては、「累進課税」制度を支える「応能負担」の原則と「受益者負担」(応益負担)を原則とする考え方との比較検討は不可避なことなのですが、そのためには、また、それぞれがよって立つ社会観・人間観そして価値(倫理)観をどう捉えるかが問題となるのです。もちろん、それはまた、公的な「社会福祉」の体制と私的な「自助努力」の体制がよって立つ社会観・人間観そして価値(倫理)観への評価に関連します。また、失業や雇用の不安定化の問題を考える時、そもそも、憲法が規定する「勤労の権利」とはどのような社会観・人間観そして価値(倫理)観に基づくものなのかが、一般ピープルの言葉によって、明確にならなければならないはずなのです。

     意識的動物である人類は、その社会観・人間観そして価値(倫理)観によって、歴史的にも文化的にも多様な社会を形成してきたといえるでしょう。例えば、社会福祉に関連する北欧社会とアメリカ社会の相違は、やはり、その社会観・人間観そして価値(倫理)観に基づく選択の結果としてあるのだと考えてよいはずです。現在の日本社会における様々な経済的諸問題をそうした基底的な価値意識の面から再考すること、それがこれからの私の課題です。ムリキブログの再開に向けて準備していきたいと考えています。

     「戦争のできる国家化」への策謀が積極的「平和主義」の言葉の下で行われ、日本社会の全般的軍事基地化が沖縄の基地負担の軽減のためとして正統化され、あの辛坊治郎を助けた自衛隊の救難飛行艇の輸出が〈武器〉輸出の突破口として利用されようとしています。歴史は審判を下すでしょう。しかし、その前に、日本の一般ピープル自身がこうした〈トリック〉を打ち破らなければなりません。そうしなければ、日本の未来は極めて危険なものになってしまうでしょう。

      サロさん! 笑顔で散歩したいものだね!!
      ワン!!!
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2019年11月現在満13歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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