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「 川瀬巴水展」に行ってきました

 特別展「 川瀬巴水―生誕130年記念―」後期展示

         確かに見たことのある懐かしく魅力的な日本の風景

       2014年2月22日  東京都大田区立郷土博物館



NMS_1420川瀬巴水展


   ※ サロさん! 巴水はいいねえ! 今夜の散歩で、公園の木々を通して冬の夜空を見上げた時のあの木々と空の色、なんとも言えなかったよね。そんな日常の「幸福」な〈場面〉を切り取ることができたら、そして、ずっと自分のものにできたら凄いと思わないかい? 

   二週間程前、妻に絶対気に入るから見に行こうと誘われ、今日、娘と三人で、東京都大田区の郷土博物館で開かれていた川瀬巴水の展覧会(無料)へ行ってきました。出がけに誰かさんが眼鏡を忘れて取りに帰ったり、都営浅草線から京急線直通電車に乗ってしまい京急蒲田まで行ってしまったりと、相変わらずドジなO型の私たちでしたが、展覧会自体はまさしく〈納得〉の素晴らしさでした。
   
日本の日常の美しさ 

稲荷山  長野県稲荷山

   巴水が描いた風景は、1949(昭和24)年生まれの私にとって、確かに、私の記憶のどこかにある、それも極めてありふれた、通りすがりにふと心に留め置かれたような、写し込まれたような風景と言って良いでしょう。たとえそれが旅の途上のものであろうと、それはまさしく旅先の日本の〈日常〉そのものの風景といってよいように思われます。


スケッチブック―――巴水が魅せられた風景

岡山のかねつき堂
岡山乃かねつき堂


   今回の展覧会で興味深かったのは、その多くに、巴水のスケッチが同時に展示されていたことでした。原画に先立つこのスケッチにこそ、通りすがりの巴水の心をとらえた風景とそれを写し取ろうとした巴水の心の集中力が示されているように思われました。まさしく、このスケッチこそ、原画の原画であり、巴水の感性の原点を表出するものなのではないでしょうか。



写真や印刷では表現できない作品の鮮やかさ

吾妻峡
吾妻峡

   版画の美しさには息を飲むものがありますが、この作品の水の色などもその一つです。そして、帰りがけに絵はがきセットも購入してみたのですが、その落差に愕然とし、一応、博物館の方に伺ってから、デジカメで作品を撮影させてもらうことにしたのです。しかし、結果は、この通りです。要するに、作品の美しさを知るには作品そのものに接する他ないというわけです。また、今回の展示では、「野火止 平林寺」の10工程ほどが展示されていましたが、作品によっては70回以上摺る場合もあるそうで、日本の版画技術の素晴らしさ、その効果や細かな違いには驚嘆せざるを得ませんでした。その繊細な美しさは、なんと表現すればよいのでしょうか。



増上寺の雪

増上寺の雪



平泉金色堂

平泉金色堂
(絶筆)


   この「平泉金色堂」は、巴水の「絶筆」とされていますが、この階段を上る僧侶に巴水は何を感じたのでしょうか。最近、産声を上げてから息を引き取るまでの人の一生を考えた時、私は、その過程における様々な苦しみや悲しみにも拘らず、やはり、それが、楽しく、美しく、喜びにあふれたものであってほしいと願わずにはいられませんでした。そして、その作品を通して、(単なる数字に還元できるものではない)一人一人の私たちに、この世の〈美しさ〉を気付かせてくれた巴水の一生は、やはり、冬の平泉金色堂を登るこの求道僧の後ろ姿のように、美しいものであったに違いないと感じるのです。貴方は幸せ者ですよ。


DSC_1444展示場


   ※ サロさん! 君も食欲と散歩の求道者だねえ! はははー
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都知事選・後の日本―――日本全国に波浪注意報!

 無内容な大言壮語がまかり通り(!?)
  
     この前よりももっとひどい大雪になったりして



         
「小人が国を治めるならば、災害があいついで起こる。」(『大学』)   

DSC_1343大雪をかき分け

   しかし、ぼくは負けないのだ



   東京都知事選が終わった。結果は、大方の予想通り、舛添要一が当選した。そして、私は、このようして日本社会は次第に「衰退」していくのだろうな、と感じてしまうのだ。東京新聞によれば、村上達也・東海村前村長は、「東京都民は目先の経済だけを追い、歴史的な過ちを犯した」、「都民は東京電力福島第一原発事故を忘れ、平和憲法の精神を壊そうとする安倍政権を支持した。東京が日本をだめにしていく」と述べたそうだ。日本の実体経済を口先だけのレトリックで崩壊に導きつつある日本国−内閣総理大臣、そして、まさしく、主権者たる国民に問うことも無しに、政府の解釈変更によって既成事実をでっち上げ、集団的自衛権容認から憲法改正へと突っ走ろうとする日本国−首相、そうした現状を見るにつけ、村上氏の悲壮な想いはよく理解できるところだ。
   しかし、福島第一原発事故以後、あの安倍政権を生み出した日本、そして、400万票の猪瀬知事を生み出した東京の有様を考えるならば、現在の事態は必ずしも悪い方へばかり行っているとはいえないだろう。

   「大勝・大勝』と騒いでいるが、もう一度、今回の選挙結果を確認しておこう。投票率は46.1%だった。
      舛添要一    2、112、979票 (43.4%)
      宇都宮健児     982,594票 (20.2%)
      細川護煕      956,063票 (19.6%)
      田母神俊雄     610、856票 (12.5%)

   この四候補者で、全体の、全体の95.7%を占めているわけだが、ここで確認しておかなければならないのは、当選した舛添氏は政権与党の自公とは「一定」の距離を置く「他党」の人間であったということだ。すなわち、国会で「圧倒的多数」(!)の議席を誇るはずの自民党が、首都東京において独自の候補者をたてられず、自らが除名した候補者におすがりしたのだ。さらに、自民党は、アベッチと基本的歴史認識を共有していると盛んにラブコールを送る田母神を推すことができなかった。勝ち馬に乗れないからだ。要は、安倍政権への国民の支持など、実は、選挙制度と民主党政権の腰砕け、そして、つまらぬ「大言壮語」に目を眩まされている日本の「一般ピープル」多数派の現状によって成り立っている程度のものでしかないことを、彼ら自身、よ〜く知っているということなのだ。

   ところで、田舎者の私にとっては、これまでの東京都民の選択の結果は信じられないようなものであって、都民は、相対的にではあるが、余程「豊かさ」に〈居直った〉「鈍感」な人が多いのではないかと感じていたものだった。実際、前回の都議選と都知事選の結果は、次のようなものだった。

  2013【都議選】    議席  得票率(%) ――投票率 43.5%       
     自民      59  (36.0)
     公明      23  (14,1)
     共産      17  (13.6)
     民主      15  (15.2)
     みんな      4  ( 6.9)
     生活ネット    3  ( 2.1)
     維新       2  ( 8.3)
     社民       0  ( 0.3)
     生活       0  ( 0.2)

   2012【知事選】     得票数    得票率(%)――投票率 62.6%  
      猪瀬直樹     4,338,936    (65.3)
       宇都宮健児    968,960    (14.6)
      松沢成文      621,278    ( 9.4)
      笹川堯       179,180    ( 2.7)

   まず、注目すべきは、前回の都知事選であの猪瀬に向かった65%、400万票はどこに、どのような理由で流れたのかということだ。また、今回と同様に低投票率だった前回の都議選での自公み維(36−14−7−8)の65%はどうなったのだろうか。このように考えると、まず、舛添は自公の基礎票50%をまとめることができず43%に終わっている。また、「カッコマン」が好きらしい東京都民の圧倒的支持を集めていたあの石原慎太郎(維新)が応援していた田母神も12.5%を獲得はしているが、これも維新と自民の残りの基礎票をまとめあげているわけでもないということだ。こうして、実のところ、約10%もの人々が現在の自公政権支持から離脱しつつあったということになるのだ。すなわち、今回の投票動向から考えると、やはり、東京都にも、最近の地方自治体選挙に見られるような流れが確実に起きつつあるように思われる。そして、こうした流れを加速させているのは、いうまでもなく、人々の「脱原発」、「福祉」そして「平和主義」への意思であるはずだ。
   こうしたなかで、特に注目されたのは、まず、宇都宮氏の健闘で、低投票率にも拘らず、前回よりも得票実数を増加させ、得票率も6%増の20%に達している―――私は、そのほとんどは民主支持層からの移行だと考えるが。ただ、私は宇都宮氏を支持はするものの、しかし、宇都宮氏に「脱原発」候補が一本化されたとしても、自民支持層からの10%の移行はなかったように思われる。それは、やはり、細川氏の「功績」であり、勿論、そのことには小泉氏の党派を超えた連合への決断もあったのだと思う。私は、今、細川氏に一本化されればよかったとまではいわないが、以前にも言ったように、当面の政策を共有する〈無党派〉の統一候補が立てられない限り、風雲急を告げる現時点において、安倍政権に対抗する「一般ピープル」の勝利はないのではないかと考えている。職業的政治家諸氏の英断に期待したいものだ。

   又、長くなってしまったのでこの辺で切り上げるが、経済にせよ、国際政治にせよ、安倍内閣は、いわば、「軽」自動車がエンジン全開で走っているようなもので(舛添も彼と一緒にはしてほしくないと思っていることだろう)、すでにもう相当な〈ビビリ〉が発生しているといってよい。そして、自損事故寸前の「軽」に何がおこるのか、そこが最も怖いところといっていいのだ。何しろ、アベッチには一刻も早くご退陣願うことが、今の日本に災いをもたらさない最良の道であることに間違いはない。おお、また大雪注意報が! 「アホノミクス」がまた・・・・
   

歌舞伎座「二月花形歌舞伎」(昼の部)を見てきました

   鶴屋南北の「幻の名作」を若手役者たちが熱演する―――
「通し狂言・心謎解色糸(こころのなぞ とけた いろいと)」を観る



     ※わが〈しもべ〉たる飼い主は、2月10日(月)、「危機囁かれる」(?)奥さんと一緒に、芝居見物に出かけた。奥さんは、贔屓の役者さんがいるのかどうかは知らないが歌舞伎には熱心で、大層喜んでいた。お土産には、人形焼きと歌舞伎狂言煎餅とかを買って来て、ぼくにも少しくれたんで、まあ良いか。ハハハ

     今回の歌舞伎は、1810年初演の四世鶴屋南北の「世話物」で、41年ぶり、そして、歌舞伎座では初めての上演なのだそうだ。最近思うには、〈江戸文化〉というのは結構ノンビリとしていて、また、ちょっとアナーキーな雰囲気もあったりして、私もだんだんハマっていきそうに感じている。う〜む。

     ところで、今回の公演でまず印象に残っているのは、それが「通し狂言」となっていたことだ。どちらかというと「名場面集」といった趣のある歌舞伎公演だが、やはりこれが本来の姿なのではないかと得心したところだ。それは「五幕十一場」、幕間も含めると4時間にも及ぶ公演だったのだが、加えて、見どころの一つに「早替り」などもあって、なるほど、花形歌舞伎=若手役者中心でなければ難しいのかも知れないと感じたくらいだった。主な役どころは、市川染五郎(お祭佐七・半時九郎兵衛)、尾上松緑(本庄綱五郎)、尾上菊之助(芸者小糸)、中村七之助(糸屋の娘お房・九郎兵衛女房お時)、といった面々。確かに、前回私が観た「俊寛」における吉右衛門や「喜撰法師」における三津五郎のような圧倒的なスター性と演技力にまでは到達していないのかもしれないが、それぞれの見せ場で示した存在感と技倆は、流石に古典芸能の次代を担う旗手だと感心もし、堪能もさせられた。とりわけ、染五郎の巧みな二役、松緑の独特な台詞回し、菊之助が表出した江戸っ子芸者の心意気(と「海老反り」)、そして、七之助のお房の美しさ!(―――玉三郎を舞台で見るとどんななのでしょうか?)は心に残った。

     さらに、今回の「通し狂言」で再確認できたのが、歌舞伎の舞台装置の美しさと巧みさだ。五幕十一場という変化に富んだ大舞台の制作とその転換の技術には感動させるものがあった。とりわけ、序幕・雪の笹薮の場、三幕目・大通寺墓所の場、大詰・小石川本庄綱五郎浪宅の場から同伝通院門前の場などは、まさしく日本の〈美〉を強く印象づけるものだった。しかも、あそこまで遠近感と立体感が出せるものなのですね。今回の舞台は中島正留という人が中心となっているとのことだが、脚本から想定される限り、1810年の初演時にも同様の構成があっただろうと考えられる。200年前も、きっと、観衆はああした舞台装置に見入っていたことだろう。いやあ、歌舞伎というものは、実に面白いものですね

さあ、次の歌舞伎鑑賞はいつだい!!!  


歌舞伎座前で 
  


DSC_1356花形歌舞伎



    
     ※ 都知事選についても書かねば・・・    

東京都知事選について―――一言いっておかなければ

 田母神は、「郡山の、福島の”恥”」?
        ――― 否! 日本の”恥”でしょう!



     明日は、東京都知事選の投票日です。私は埼玉県民で投票権はないのですが、日本の首都であり、日本総人口の10%を占める巨大都市・東京の選挙結果には、やはり関心があります。勿論、前知事が「途中降板」の石原であったり猪瀬であったりするわけですから、「大したことはない」―――(「豊かな」東京都民の皆さんは、こんな輩が知事であってもやって行けるのでしょう)―――とも言えるのですが、話題となっているいくつかの論点については述べておかなければならないように思います。新聞やテレビを見ていると、「原発」・「オリンピック」・「福祉」・「災害対策」など、舛添・細川・宇都宮・田母神などの主要な候補者の間にはかなり大きな違いが存在しているようです。

     それでは、まず、2020年の東京オリンピックの件からいってみたいと思います。今朝も、NHKは、朝からソチの冬期オリンピックの開会式を報道しています。私はスポーツも嫌いではありませんが、アマチュアリズムが後退し、商業主義と国家主義の〈悪臭〉が漂う最近のオリンピックには特別な魅力を感じなくなっているように思います。要は、はしゃぎ過ぎというか、騒ぎ過ぎであって、若い時勉強した「スポーツの政治的・イデオロギー的機能」なんてことまで思い出したりするくらいなのです。今日の開会式も、ヒトラーのベルリン大会とまではいいませんが、プーチンの国家主義が漂っていましたよね。2020年には、アベの国家主義なんてな話になるのは是非ご免こうむりたいものです。大体、ここまで商業主義が高じてしまうのであれば、他のプロスポーツと同様に、自前でやればよいわけであって、わざわざ国民・都民の税金を大量に投入してやることはないのではないか。要は、指導者の権力強化のための「国威発揚」であるとか、ニューディール的な大衆的な基盤も持たず、ただ「お友達」を儲けさせるためだけに税金が集中的に使われてしまうことなってしまわないように是非注意してもらいたいものです。あの猪瀬氏の並々ならぬ努力によって勝ち取られた2020年東京オリンピックの開催ではありますが、できるだけ簡素にやることが妥当な選択というものでしょう。都民の皆さんはどう考えるのでしょう。

     さて、福祉についてですが、私がまずに感じているのは、雇用・失業問題を典型として、現在の日本の経済は、経済的支配層の利益に照応するシステムが、本来日本「国民」が有している〈潜勢力〉を歪め、さらに、それが、そのシステム自体の矛盾が集中する人々の生活と命を脅かすことになってしまっている、ということです。ここから、いわゆる社会福祉の必要性・必然性が生まれてくるわけですが、私は、結局、こうした構造自体に目を向けることができる、すなわち、現在の〈セコイ〉経済的支配層の利益ではなく、「一般ピープル」を中心とする、社会を実体的に支えている人々の利害を優先することができる人でなくては、問題の根本的解決はできないだろうと思うのです。私は、アベノミクスと利益を共にする人は確実にいるわけで、問題はそうではない人々がそのことに気付いていないことにあると思っています。しかし、「化けの皮」はすぐ剝がれるのであり、その時のために、現在、様々な報道規制・教育統制そして弾圧体制が準備されつつあるのだろうと思っています。このままでは、社会福祉は確実に切り詰められ、社会の構造的な矛盾によって「福祉受給者」(私は、日本の福祉の現状は、一種の「救貧」政策の延長線上にあり、北欧的な共助=「生活保障」とは異なっていると捉えています)とならざるを得ない人々への差別と攻撃は一層強まっていくであろうといわざるを得ません。さあ、都民の皆さんは、どんな福祉政策を主張する候補者に共感するのでしょうか。

     もう一つは、「防災対策」です。私は20年程前東京都の防災対策の現状というものを次のように聞いた記憶があります。すなわち、もし東京に直下型地震が起きた場合、要するに、現状では為すすべがなく、警察無線と消防無線を維持するのが精一杯のところだろうというものでした。あれから、阪神淡路大震災や東日本大震災の教訓も含めて、関連する部署の方々による対策の前進もあったに違いありません。しかし、あの〈複雑怪奇〉な超過密都市を見ると、結局、災害時には、数千・数万・数十万そして数百万規模の犠牲者・被災者の発生を前提として存在していることに変わりはないのではないかとも思われるのです。すなわち、都市構造の抜本的、すなわち、利益優先の再開発とは別次元での対策が講じられない限り、自衛隊も、NPOも、ボランティアも十全の働きを為し得ないということになるのではないでしょうか。自衛隊も、本格的に、「災害救助隊」として再編し、再訓練することが必要なのかもしれません。巨大地震は間近なのでしょうか?

     最後は、原発の問題です。今回の選挙戦について言えば、意識的に「原発」問題・「原発再稼働」問題の争点化が避けられているという話も聞こえて来ていました。それは、自民党政権と〈蜜月〉関係にあるマスコミ多数派の基本的姿勢を考えれば、大いに考えうることと言えましょう。しかし、いうまでもなく、この問題は、電力の最大消費地であり、東京電力の筆頭株主でもある東京都にとって無縁であるはずはなく、また、この問題に対する日本の首都たる東京の選択は、今後の日本の方向性を決する重要なものになっていくでしょう。この問題についての私の意見は、「脱原発」であり、「再稼働」はしてはならないというものですが、ここでそれについて詳しく述べることはしません。ただ、一つだけ、是非言っておかねばならないことがあります。それは、元自衛隊航空幕僚長・田母神候補の〈妄言〉についてです。私の近しい人は、彼のことを「郡山の恥、福島の恥」と表現し、「逃げなくて良かったというならば、放射線管理区域の近くに住んでから言えば良い」と言っています。彼は、福島の原発事故対して「一人も死んでいない」から始まって、これからの〈景気回復〉のためには原発の再稼働が必要だとか、まあ、「武士」どころか、〈原子力村〉の「下足番」・「太鼓持ち」以下の醜い有様を曝しているのです。要するに、彼の言によれば、誰かさんが金を儲けて、「豊かな暮らしをする」ためのリスクとしては、福島で起こった原発の事故ぐらい大したことはないのだ、さらに、「一人も死なない」原発事故などこれからいくら起こってもどうってことはないのだ、ということなわけでしょう。そして、その議論は、「豊かな暮らしをする」ために交通事故で1万人死亡しているのだから、「豊かな暮らしをする」ために原発で1万人死んだって大したことはことはない、となり、さらに、日清戦争による死者1万人は交通事故による死者と同じくらいなのだから、「豊かな暮らしをする」ためにこれからの戦争で10000人の若者が死んでも、その死は交通事故死と同じなんだから、騒ぐんじゃないよ!ということになるわけでしょう。原発関連死や現在も進行している放射線障害はいわずもがな、ふるさとの自然を汚染され、放射能の恐怖と被害に曝され続けていくであろう人々を気持ちを考えると、こうした交通事故死と原発事故死を同一視するが如き―――これは、戦死と雷に打たれるなどの自然災害死とを同一視する議論よりもさらに悪質である―――アホな議論を展開する輩がのさばっていること自体、世界的に見ても、全く「日本の恥」といってよいことだと思います。ただ、彼は盛んに安倍総理と歴史認識(そして、基底的価値観)を共有していると主張していますが、それは我々にとって実に有益な「証言」といえるものです。今日も、良識ある報道機関によって、NHK会長・籾井や経営委員の百田だの長谷川だの、アベと価値観を共有する「お友達」たちの〈妄言〉が報道されていますが―――これらについては、又、近いうちに論じたいと思います―――、それらは、心にもない〈嘘〉を連発しているアベの「化けの皮」を剥がす上で非常に価値あることと言えるでしょう。
原発に関しては、ただ、自分と家族そして友の「命」と「健康」を考えただけで、結論は明々白々と言えるはずです。

     長くなってしまいました。さて、東京都民の選択はどうなるのでしょうか。脱原発を推進する候補者の勝利を願っています。

〈嘘つき〉が存在する―――実に教訓的な佐村河内守の捏造劇について

 最近都に流行るもの・・・・
     マア、「芸術」も「政治」も気をつけようね



     有名人の自伝的な著作にゴーストライターなるものが存在することは結構知られていると思われますが、私の好きな音楽の世界の、それも、「クラシック」ジャンルのことでしたから、私は到底笑うことができませんでした。佐村河内守の”ゴーストライター”であった新垣隆の記者会見をテレビで見て感じたのは、何かうら悲しい人間の「性」や昨今の社会的な風潮といったことでした。 ところで、私は、佐村河内に関するNHKの特集番組などを見てはいたのですが、ミーハーな私でさえ、それに胡散臭さを感じて、その後特に彼に注目したり、たとえそれが『交響曲第1番 HIROSHIMA』と銘打たれていようとも、そのCDを購入して聴こうとは思わなかったのです。これは、「盲目のピアニスト」辻井伸行さんの場合とは大きく異なったものでした。とりわけ、強く記憶に残っているのは、彼の耳には凄まじい『騒音』のようなものが聞こえているが、それに打ち勝って、音を紡いでいったといった、創作時の映像でした。あれには、何か強烈な違和感を感じたものでした。 勿論、新垣さんの誠実で、音楽を本当に愛していそうな姿を見ると、どうしてこんなことになってしまったのかと気の毒にも思うのですが、佐村河内のような『嘘』はもうこの世の中には珍しいものではなくなってしまったように思うのです。
     
     子供のUSOや「噓も方便」(私を〈不細工〉だと思うと問われてなんと答えるかとか、迫害を加える輩から愛する人を守るためのウソ)とかいったものは別でしょうが、昨今は、明らかに自己利益のために、他者の人権を傷つけたり、財産を詐取するための嘘が横行しているといえるでしょう。それは、「おれおれ詐欺」や詐欺商法といったものからあの忌まわしい政治家の〈巨大な〉嘘や目くらましまで、無反省的に、ほぼ当たり前のようになっているのです。私は、最近、つくづく思います。今、私が子育ての最中であったら、子供たちに「人間」あるいは「隣人」についてどう教えるのでしょうか。テレビや映像で御馴染みの人物についてなんと言えば良いのでしょう。「悪い奴らはいるんだから、簡単に、すぐに人を信用してはいけないよ。」でしょうか。でも、そんなことばかり言って、子供たちが本当に「人間」を信じることができなくなってしまったら、その子供は、この社会はどうなってしまうのでしょうか。傷つくことがあっても、「人間」の善性を信じることが古今の思想や宗教の根本義なのかもしれませんが、それは極めて難しいことになっているようにも思います。とりわけ、私が感じるのが、最近の権力者層の「嘘」=プロパガンダです。「一般ピープル」を愚弄する恥知らずな〈大嘘〉を当たり前とするその似非「エリート主義」的な心性は、当然、「一般ピープル」にも広がっていったのでしょう。その一つの現れが今回の佐村河内〈事件〉であったように思います。

     しかし、我々、「一般ピープル」自身が、こうした嘘を見抜き、人間性への信頼を実現していかなければならないのでしょう。

     ※ サロさん!昨日の夜、たまたまリードの鍵が外れて、私が呼んでも無視して走って行ってしまったよね!あの後、車道の真ん中で動けなくなっていた君を助けてくれた人がいて、それを姉貴が見つけて連れて帰ってくれたけれど、一体誰のおかげで生きていられたんだい!! その前に、私が呼んだらもどって来なければね!!! これからは、信頼を裏切っちゃ、だめだよ。


       
いやあ、まいった、まいった。反省してま〜す


DSC_1015憂い




           ※ 明日は、東京都知事選ですね。一言、言わなければ・・・・

2014年1月------名護市長選・稲嶺氏の再選と『かぐや姫の物語』 など

 2014年1月
     ―――名護市民の選択に励まされたのは、私たち、全国の「一般ピープル」でした!

      
     年賀以来、ブログを更新できませんでした。理由は、大きく三つあったようです。まず一つ目は、昨年の暮れから今持っている音楽ソフトをもう一度聴いてみようと思い立ち、時間を見つけては、ディスコグラフィーを作りながら聴いていたわけです。その数は今日の段階で83枚になったのですが、真面目に聴いていますと、要するに、「満たされて」しまって、他に何かやろうという気持ちがなくなってしまうのです。正直、まずいことを始めてしまったと半分後悔しています。でも、満足できるのですから、幸せというものでしょう。
     二つ目は、ある人の話し相手になるため、近世の日本思想をフォローしていることによります。ブログネタには全くなりそうもないのですが、これが結構面白く、今はなんと石田梅岩(『都鄙問答』) などを読んでいるのです。ついでに、先日は、岩波日本思想体系の『民衆運動の思想』も手に入れましたので、後日、私の「一般ピ−プル」論を書く際に紹介できればと考えています。それにしても、昔の人が、当時の世相を前にしながら、「ああだ・こうだ」と〈真面目に〉論じている姿にふれると、何か「微笑ましさ」さえ感じてしまいます。今もそうなのですが、商品経済の進展がもたらす問題というのは、凄まじいものだったのでしょう。
     三つ目は、年賀でもちょっと触れましたが、THE UNTOLD HISTORY OF THE UNITED STATES の翻訳本『オリーバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史』(早川書房)を借りることができましたので、それを読んでいるのです。これは、やはり、かなり面白い本で、映像も勿論なのですが、国境を越えた「一般ピープル」=”common people"の〈連帯〉のための必読文献と考えられます。とりわけ、当事者の実際の『台詞』や『文章』がふんだんに引用されており、その迫真力には凄まじいものがあります。まだの方は、是非、ご一読を。


     そんなこんなで一月は結構忙しく、ブログの方は開店休業状態になってしまいました。さらに、私は、 結構遊んでもいたのです。
     まず、1月11〜12日に富士ー箱根に家族旅行に行ってきました。雪煙に山肌を曝す冬の富士は圧倒的に美しかった。富士は本当に良い山です。また、以前「おじさん旅行」で訪れたことのある忍野八海に家族を連れて行ったところ、大変好評で、間近な富士と美しい泉の中で泳ぐ鯉たちを見て、なんとも和やかな気持ちになったものです。その夜は、月夜の露天風呂にゆっくり浸かり、また、恒例(?)の新春麻雀大会に興じたりしました。結果は、勝負師の妻の―――昨年に続く―――大勝でした。12日には、娘の希望で、富士浅間神社によりました。私は、お神籤を引くのが趣味なので、今年の運勢はと引いてみると、見事「中吉」とでました。実は、このところ、私は、なんと「小吉」が5回連続出ており、知人からは名前を「小吉」に改名してはとまで言われていたのです。今年は「中吉」です。良い年になるに違いありません。(ちなみに、妻と娘は「大吉」、息子二人はお神籤にはほとんど興味を示しませんでした。)家に帰ると、サロさんが、昨年に続いて、今回もトイレをしっかり我慢して待っていました。立派な「内犬」になったものです。来年は、連れて行くからね。


雪煙の冬の富士

DSC_0200冬の富士





泉の中で泳ぐ鯉たち

DSC_0212華族と鯉




今度は一緒だよ

NMS_0191いってらっしゃい





     さらに、1月19日、私は高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を見てきました。その絵の美しさは特筆に値すると思います。子供の頃に初めて観た総天然色アニメ『白蛇伝』よりも心を打つものがあったように感じます。あんなタッチのアニメの世界があったのですね。また、高畑の「世界観」がまた良い。短く、そして、哀しくも美しい此岸の「命」への讃歌が、『アベ』の某をはじめとする五人の求婚者たちや帝の〈俗物〉性との対比において、見事に歌い上げられていました。求婚譚についていえば、三番目の男(「第一の皇子」)だけが原作と違っていたようですが、それも、〈現代〉的意味でかなり笑える設定になっており、私には好ましく感じられました。高畑は、ある意味で、日本最古の創作物語である『竹取物語』の中に仏教思想を読み取ったということになるのでしょうが、しかし、それには単なる「彼岸への憧憬」といったものではなく、加藤周一(『日本文学史序説」)流に言えば、いわゆる日本の「土着的世界観」からの捉え返しがあったと言えるのではないでしょうか。とにかく、この『かぐや姫の物語』は、特に映画ファンというわけではありませんが、私がもう一度是非観たいと思うような作品だったことは確かです。お勧めです。

      さて、いよいよ腹立たしい政治経済の話になりますが、私の個人的な感覚では、「アベノミクス」であろうが、「積極的平和主義」であろうが、その薄っぺらで、見え透いた策謀の行くつく先は、アベのお友達だけを優遇する〈格差経済〉であり、奇妙奇天烈な歴史観に基づきながら、一般ピープルの血を吸って肥え太る軍産複合体の跳梁跋扈でしかないのです。しかし、その客観的利害がイスタブリッシュメントのそれとは相反するにも拘らず、彼らが仕掛ける希少性の操作、短期的な利益誘導、そして、口からでまかせの嘘八百に、これまでの日本の一般ピープル多数派は目を眩まされて来たのでした。そして、これまでの日本近代の歴史を振り返り見ますと、沖縄で、水俣で、福島で・・・、そして、私が生きる今のこの時・この場所で、あの日本政治の悲劇的なデジャヴが繰り返されているのです。最近、ドキュメンタリー番組を見ていると、自己の短期的な利害に身を委ね、他者の命と生活を犠牲にして、平然と嘘をついてきた輩の顔には、本当に歪んだ醜さが表れていると思わずにはいられませんでした。恐ろしいことです。しかし、そうした中にあっても、あくまでも、この世のかけがえのない「命」が全うできるよう、不当なイスタブリッシュメントの利益追求と権力に抵抗して、必死に努力してきた人々がいたのです。そして、この一月、私たちは、そうした貴重な姿を、沖縄・名護に見ることができました。その姿にどれほど私たちは励まされたことか。私も彼らのように、自分の顔には責任を持ちたいものだとつくづく考えたのです。

      これから、もう少し頻繁にブログ記事を書くつもりでいますが、アホノミクスの行き着く先はもう見えているといってよいと思います。安倍の甘言に対して抱いた淡い期待は、少なくとも国民の多数派(=一般ピープル)にとっては、幻滅に終わるに違いないのです。なぜなら、消費増税を前にした現在ですら、例えば、実質賃金の減少という形で、安倍の〈格差経済〉は私たち一般ピープルの生活を確実に破壊しつつあるからなのです。何が、インフレターゲットだ。笑わせるんではない。

     ということで、今日は、店仕舞とします。今年も、お付き合いくださり、ありがとうございました。

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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2019年11月現在満13歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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