「 川瀬巴水展」に行ってきました
特別展「 川瀬巴水―生誕130年記念―」後期展示
確かに見たことのある懐かしく魅力的な日本の風景
2014年2月22日 東京都大田区立郷土博物館
※ サロさん! 巴水はいいねえ! 今夜の散歩で、公園の木々を通して冬の夜空を見上げた時のあの木々と空の色、なんとも言えなかったよね。そんな日常の「幸福」な〈場面〉を切り取ることができたら、そして、ずっと自分のものにできたら凄いと思わないかい?
二週間程前、妻に絶対気に入るから見に行こうと誘われ、今日、娘と三人で、東京都大田区の郷土博物館で開かれていた川瀬巴水の展覧会(無料)へ行ってきました。出がけに誰かさんが眼鏡を忘れて取りに帰ったり、都営浅草線から京急線直通電車に乗ってしまい京急蒲田まで行ってしまったりと、相変わらずドジなO型の私たちでしたが、展覧会自体はまさしく〈納得〉の素晴らしさでした。
巴水が描いた風景は、1949(昭和24)年生まれの私にとって、確かに、私の記憶のどこかにある、それも極めてありふれた、通りすがりにふと心に留め置かれたような、写し込まれたような風景と言って良いでしょう。たとえそれが旅の途上のものであろうと、それはまさしく旅先の日本の〈日常〉そのものの風景といってよいように思われます。
今回の展覧会で興味深かったのは、その多くに、巴水のスケッチが同時に展示されていたことでした。原画に先立つこのスケッチにこそ、通りすがりの巴水の心をとらえた風景とそれを写し取ろうとした巴水の心の集中力が示されているように思われました。まさしく、このスケッチこそ、原画の原画であり、巴水の感性の原点を表出するものなのではないでしょうか。
版画の美しさには息を飲むものがありますが、この作品の水の色などもその一つです。そして、帰りがけに絵はがきセットも購入してみたのですが、その落差に愕然とし、一応、博物館の方に伺ってから、デジカメで作品を撮影させてもらうことにしたのです。しかし、結果は、この通りです。要するに、作品の美しさを知るには作品そのものに接する他ないというわけです。また、今回の展示では、「野火止 平林寺」の10工程ほどが展示されていましたが、作品によっては70回以上摺る場合もあるそうで、日本の版画技術の素晴らしさ、その効果や細かな違いには驚嘆せざるを得ませんでした。その繊細な美しさは、なんと表現すればよいのでしょうか。
この「平泉金色堂」は、巴水の「絶筆」とされていますが、この階段を上る僧侶に巴水は何を感じたのでしょうか。最近、産声を上げてから息を引き取るまでの人の一生を考えた時、私は、その過程における様々な苦しみや悲しみにも拘らず、やはり、それが、楽しく、美しく、喜びにあふれたものであってほしいと願わずにはいられませんでした。そして、その作品を通して、(単なる数字に還元できるものではない)一人一人の私たちに、この世の〈美しさ〉を気付かせてくれた巴水の一生は、やはり、冬の平泉金色堂を登るこの求道僧の後ろ姿のように、美しいものであったに違いないと感じるのです。貴方は幸せ者ですよ。
※ サロさん! 君も食欲と散歩の求道者だねえ! はははー
確かに見たことのある懐かしく魅力的な日本の風景
2014年2月22日 東京都大田区立郷土博物館
※ サロさん! 巴水はいいねえ! 今夜の散歩で、公園の木々を通して冬の夜空を見上げた時のあの木々と空の色、なんとも言えなかったよね。そんな日常の「幸福」な〈場面〉を切り取ることができたら、そして、ずっと自分のものにできたら凄いと思わないかい?
二週間程前、妻に絶対気に入るから見に行こうと誘われ、今日、娘と三人で、東京都大田区の郷土博物館で開かれていた川瀬巴水の展覧会(無料)へ行ってきました。出がけに誰かさんが眼鏡を忘れて取りに帰ったり、都営浅草線から京急線直通電車に乗ってしまい京急蒲田まで行ってしまったりと、相変わらずドジなO型の私たちでしたが、展覧会自体はまさしく〈納得〉の素晴らしさでした。
巴水が描いた風景は、1949(昭和24)年生まれの私にとって、確かに、私の記憶のどこかにある、それも極めてありふれた、通りすがりにふと心に留め置かれたような、写し込まれたような風景と言って良いでしょう。たとえそれが旅の途上のものであろうと、それはまさしく旅先の日本の〈日常〉そのものの風景といってよいように思われます。
今回の展覧会で興味深かったのは、その多くに、巴水のスケッチが同時に展示されていたことでした。原画に先立つこのスケッチにこそ、通りすがりの巴水の心をとらえた風景とそれを写し取ろうとした巴水の心の集中力が示されているように思われました。まさしく、このスケッチこそ、原画の原画であり、巴水の感性の原点を表出するものなのではないでしょうか。
版画の美しさには息を飲むものがありますが、この作品の水の色などもその一つです。そして、帰りがけに絵はがきセットも購入してみたのですが、その落差に愕然とし、一応、博物館の方に伺ってから、デジカメで作品を撮影させてもらうことにしたのです。しかし、結果は、この通りです。要するに、作品の美しさを知るには作品そのものに接する他ないというわけです。また、今回の展示では、「野火止 平林寺」の10工程ほどが展示されていましたが、作品によっては70回以上摺る場合もあるそうで、日本の版画技術の素晴らしさ、その効果や細かな違いには驚嘆せざるを得ませんでした。その繊細な美しさは、なんと表現すればよいのでしょうか。
この「平泉金色堂」は、巴水の「絶筆」とされていますが、この階段を上る僧侶に巴水は何を感じたのでしょうか。最近、産声を上げてから息を引き取るまでの人の一生を考えた時、私は、その過程における様々な苦しみや悲しみにも拘らず、やはり、それが、楽しく、美しく、喜びにあふれたものであってほしいと願わずにはいられませんでした。そして、その作品を通して、(単なる数字に還元できるものではない)一人一人の私たちに、この世の〈美しさ〉を気付かせてくれた巴水の一生は、やはり、冬の平泉金色堂を登るこの求道僧の後ろ姿のように、美しいものであったに違いないと感じるのです。貴方は幸せ者ですよ。
※ サロさん! 君も食欲と散歩の求道者だねえ! はははー
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