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『ゴジラ』を観る(1)―――2014年・夏

 戦後日本民衆の『核と戦争』への想い
    ―――『ゴジラ』を生み出した時代を振り返る



   ※今年の夏に何をしたのかなと振り返ってみますと、「ああ、『ゴジラ』を観たな!」と思い当たりました。ただし、今年7月に封切られたアメリカ映画『GODZILLAゴジラ』ではありません。NHK・BSプレミアム『ゴジラ』特集で放映された全9作です。それまでの私にとって『ゴジラ』といえば、あのザ・ピーナッツの歌と結びついた『モスラ対ゴジラ』(1964年)だったわけですが、今回改めて1954年制作の『ゴジラ』を観て、何か戦後日本民衆の『核と戦争』への想いを再確認できたように感じ、感慨に浸ってしまいました。勿論、2000年代に制作された、旧敵国に媚び・諂い復権を果たした〈改憲〉派や彼らと結びつき甘い汁を吸った「原子力村」のプロパガンダ映画の如き、〈恥ずかしい〉作品群もあるのですが、1984年制作の『ゴジラ』や1995年制作の『ゴジラvsデストロイア』も含めて、このシリーズから実に興味深い内容を感じとることが出来ました。あと、米国製の『GODZILLAゴジラ』はまだ観ていませんが,予告編を観た限り、『ゴジラ』第1作とはかなり異なった印象を受けます。すなわち、「あの水爆実験は〈ゴジラを・・・?〉」とか、「自然〈=ゴジラ〉には勝てない」とか、なにかゴジラの性格規定のすりかえのようなものを感じます。近いうちに確かめてみたいと思っています。

   それでは、まず、NHK「BSプレミアム『ゴジラ』特集」のページから、とりわけ興味深かった2つの作品についての概略を転記しておきます。
 
■ゴジラ 60周年記念 デジタルリマスター版(1954年/日本)
  南洋の水爆実験により突如現れた体長50メートルに及ぶ怪獣“ゴジラ”。終戦からようやく復興した東京を襲い、人々はパニックに。政府は災害対策本部を設置し撃退作戦を開始するが、どんな武器も通用せずゴジラは破壊の限りを尽くす。ゴジラを倒すには封印していたオキシジェン・デストロイヤーしかないと判断した芹沢博士は、最後の決断をくだす。初公開から60年、最新デジタル技術によって映像・音声が修復された。
 【出演】志村喬、河内桃子、宝田明、平田昭彦、菅井きん ほか

■ゴジラ(1984年/日本)
  火山の噴火により再び目覚めたゴジラは、ソ連の原子力潜水艦を沈め、日本の原子力発電所を襲う。さらに東京の銀座、有楽町を壊滅状態にして新宿高層ビル群に向かう。逃げ惑う人々をしり目に都市を破壊していくゴジラ。そんな中、ソ連の宇宙衛星から核ミサイルが誤射されてしまい、東京がゴジラと核の二重の恐怖につつまれる。本作は、第1作の原点に戻りゴジラの性格がより凶暴、より強大に復活している。
 【出演】小林桂樹、田中健、沢口靖子、宅麻伸、夏木陽介、小沢栄太郎 ほか


   1954年制作の第一作について、『東京新聞』(7月28日朝刊)は、プロデューサー・田中友幸、監督・本多猪四郎、特撮監督・円谷英二,音楽・伊福部昭という「輝く才能が奇跡のように集った」作品と表現しています。ところで、この作品の脚本は村田武雄が本多と話し合いながら書いたとのことですが、そのいわゆる「反戦」・「反核」のメッセージについて、私は、ほぼ次のように考えることが出来ると思っています。

   まず、はじめに、作品が生み出された時代的背景に注目する必要があります。第一作が生み出されたのは、1945年のあの敗戦から9年後のことでした。この間、世界では、冷戦が激化し、米ソの原水爆実験が繰り返されていました。また、日本では、1950年の朝鮮戦争からアメリカの「指令」による再軍備化が進行し、「逆コース」と呼ばれる状況が生まれていました。そして、こうした流れがとりわけ顕著となったのが1954年であり、この年には,日本のマグロ漁船第五福竜丸がビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験によって「死の灰」を浴び,広島・長崎に次いで、三度目の「被爆」犠牲者となったのでした。これに対して,東京杉並区の主婦の呼びかけによって始まった原水爆禁止署名運動が高まり(日本で2000万,全世界で6億7000万)、第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催されるに至るのです。また、この年には,日米相互防衛援助(MSA)協定が調印され、この協定にもとづいて、戦前の常備軍兵力に匹敵する陸海空三軍からなる自衛隊が創設され、54年の映画にも登場することになるのです。

   ついで、1984年版の歴史的背景について言えば、世界的には、1979年のソ連のアフガニスタン侵攻そして1980年のレーガン政権の誕生を機に,いわゆる「デタント(緊張緩和)から新冷戦へ」という流れが生じ、ヨーロッパではパーシングⅡやSS-20による中距離核ミサイルの配備が進んで、地域的な限定核戦争の脅威が深刻化していました。こうしたなか、欧米を中心に反戦・反核運動が高まり―――1981年のローマ法王ヨハネ=パウロ二世の広島での平和アッピールも印象的です―――、1982年の日本を含む世界的規模での高揚期を迎えます。又,国内的には、いわゆるハト派の鈴木善幸からタカ派の中曽根康弘への,すなわち、日本国憲法をもってアメリカとも一線を画そうとするの自民党「護憲派」と日米軍事同盟強化(「ロン・ヤス」・「浮沈空母」)を目指す「改憲派」(「戦後政治の総決算」)への政権の移行が行われます。こうした中で、日本の「非核三原則」(核兵器はつくらず,持たず,持ち込ませず)を否定するアメリカのライシャワー駐日大使の発言があり、「核持ち込み疑惑」が一層深刻なものになっていったのです。

   このように見てくると、この2つの作品は、共に、米ソ冷戦の激化と(さまざまな矛盾を孕みながらも)それに対する世界の一般ピープルによる「反戦・反核」運動の高揚を歴史的背景として作られているといってよいでしょう。そして、物語の構成の中にも,それらと〈共鳴〉しあう様々な要素を発見できるように思われます。また、私は、これらの作品の「メッセージ」の中に、1949年にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士らの思索との重なりを感取しえるように思うのです。

   そもそも「ゴジラ」とは何なのか?そして、あの凶暴な「ゴジラ」の行動をどのように受け止めれば良いのか? 話は長くなりそうなので、今日は,この辺で筆を置くことにします。


   ※ 新聞報道によれば,アベッチは、広島における土砂災害に際し,ゴルフ場から一時戻って、「自衛隊の派遣」を指示しましたとか自慢げに宣伝したあげく,又,ゴルフ場に戻ってしまったのだそうだ。え!戻っちゃたの!! なるほど,この人は、集団的自衛権の行使に際しても、自衛隊員を危険に曝しながら,世界の安全と平和を守るために「自衛隊の派遣」を命令したとか宣った挙げ句、自分はまたゴルフ場に行っちゃうのでしょうねえ。間違いないでしょう!!!
   

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富士山を四方からみる――2014年夏・最後の旅

 サロさん!
    富士は心を動かす山だねぇ


  ※ 8月19〜20日、私は以前から計画していた、クロス—カブで富士山の周りを一周する旅に行ってきました。実は、ハプニングもあって計画をかなり縮小することになったのですが、やはり、富士山は、どこから見ても、広大な裾野と樹林帯を持って眼前に聳え立つ、まさしく、圧倒的な〈存在感〉を示す独立峰でした。私の心を強く動かした、悲喜こもごもの旅を報告します。


【旅程】
 第1日  16号―〈八王子〉ー20号―〈大月〉―139号―〈河口湖〉ー137号―〈三ツ峠登山口〉←→[三ツ峠(開運山)]―西川新倉林道―139号線←→[紅葉台]ー[本栖湖キャンプ場]

 第2日  [本栖湖]―139号―[朝霧高原付近]―県道72号―469号―[サファリパーク付近]ー138号―〈須走〉ー〈山中湖〉←→413号←→県道730号ー[パノラマ台]―138号ー137号〈旧鎌倉往還〉ー20号―〈甲府〉ー140号〈秩父往還〉―〈熊谷〉―17号
                    全長535km


北側からの富士(三ツ峠より)

DSC_0761三ツ峠から富士


   ※ 開運山直下の好ポイントからの富士です。三ツ峠は、M君に勧められたなつかしい山でもありますが、そこからの富士は勿論、若かりし頃登った北岳の「石の鏃(やじり)」が空に突き出たような姿も印象的でした。また、屏風岩のゲレンデも望まれ、クライマーたちのかけ声が聞こえたように思われました。




青木ヶ原樹海と富士(紅葉台から)

DSC_0794紅葉台から富士


   ※ 139号線から、クロスカブで山道を登り、紅葉台から富士を眺めました。富士が好きだった義父もここから富士を見ているはずです。広大な青木ヶ原の樹海が印象的で、紅葉の頃は如何ばかりかと思いをめぐらしました。帰り道には、若い女性が馬で山道を登って来るのとすれ違ったのですが、なんとも明るく、のどかな雰囲気に感じられました。



本栖湖畔付近よりの富士

DSC_0807本栖湖から富士


   ※ 朝から快晴といってよい天気で、本栖湖や周囲の山々の色合いも素晴らしいものでした。ただ計画では、この日の早朝から近くの竜ヶ岳に登り、そこから富士を眺める予定でした。ところが、前日、キャンプ場で支払いを済ませた後、財布が姿を消してしまい(!)、無一文になってしまったのです。色々なことが考えられるのですが、最大の問題点は結局私の注意力が減衰していたことにあるのでしょう。しかし、嫌なことばかり考えて、精神的な〈負のスパイラル〉に陥っては一層癪に障ると思い、「まあ、何しろ、今回は無事に家にたどり着くことだ」と心に決め、竜ヶ岳と愛鷹山(越前岳)の登頂及び山中湖でのキャンプは取りやめて、秩父往還(140号線)へのツーリングに切り替えたのでした。


西側からの富士(朝霧高原付近より)

DSC_0810西からの富士


   ※ さわやかな高原の道、とりわけ、樹林帯の中の道は,極めて涼しく,「ああ,生きていて良かった!」と真面目に考えたものです。この朝の逆光気味の富士も実に良かったと思います。ただ,牧場で評判のソフトクリームを舐めて来なかったのが悔やまれます。贅沢か?!



南からの富士(サファリパーク近辺より)

DSC_0817南からの富士


   ※ 薄い霧(小雨)にも包まれていた樹林帯の道でしたが、富士サファリパーク近辺から空が青空に変わりました。この写真は,自衛隊の演習場手前のところから見上げた富士です。富士山周辺では自衛隊の車両が多く見うけられました。ところで、日本国憲法の平和主義が今後実現する方向へと向かい、自衛隊が本格的な国内及び国際的な〈災害救助隊〉として再編されて活躍する時はこないものなのでしょうか。期待したいのですが。



東からの富士(パノラマ台付近より)

DSC_0830パノラマ台



   ※ 須走の「道の駅」で休憩し,山中湖に到着した後,「パノラマ台」に向かいました。この間、富士は雲に隠れていることが多く、山中湖と富士の大パノラマは見ることが出来ませんでした。ただ,写真のように,頂上が微かに姿を見せてくれました。時と所によって,富士は本当に千変万化です。そうした意味で、富士は、今回も十分に楽しませてくれたように思います。富士山!あんたは偉い!


   ※ その後,河口湖までもどり,「御坂みち」から「雁坂みち」を辿って、帰路につきました。途中、冷蔵庫の中のような「日本一長い一般国道トンネル」=雁坂トンネル(有料:原付70円)を通ったり、又,秩父付近で雷雨に遭遇したりなどしながら,一気に国道17号線にたどり着いたのでした。
   このように長い長い535kmではありましたが、身体的にはまだ一定の余裕も感じられました。実際,帰宅後、サロさんといつもの散歩(45分間)も済ませたました。しかし、「頭脳」的には、明らかに衰えが見られたように思います。特に、一応、問題点や課題に気付きながらも,それを失念してしまったり、反応が鈍くて事をやり過ごしてしまったりする事が多かったのです。ただ、先にも言ったように,こうしたことに「腐って」しまい〈負のスパイラル〉に陥るのではなく、気付いた問題点に適切に対処し,失敗を未然に防ぐことが出来れば、まだまだ楽しむ事も出来そうだと感じたのです。それにしても、「楽しい楽しい」では終わらなくなったサーヴァントの旅ではありました。ははははー、っと!



広島の〈土砂災害〉について思う

 本当に心が痛むことです
    ―――「自然災害」で済ませてはいけないのではないか?



   広島をはじめとする土砂災害の悲惨さには本当に心が痛みます。そして、地域の防災マップ(洪水被害)を見てもわかるとおり、我家にも無縁のことではないのです。ところで、こうした報道に接する度に思い出されるのは、次の2つのことです。一つ目は、地球温暖化に起因する気候変動とりわけ巨大台風や局地的豪雨については、もう20年程も前から、NHKスペシャルなどで繰り返し報道されて来ているということです。つまり、科学者の目によれば、こうした最近の気候変動は想定の範囲内だったのです―――シュミレーション画像などが目に浮かんできます。2つ目は,もう40年近くも前の学生時代に聴いた地理の授業の話です。その先生によれば、当時に起こっていた〈土石流(どせきりゅう)〉を中心とする災害は、避けることの出来ない「自然災害」のように言われているが、そのほとんどが乱開発などによって引き起こされた「人災」だったというのです。今回も、行方不明者を含めて100名近い犠牲者がでていますが、報道を見ている限り、やはりこれは避けることが出来た〈人災〉なのではないかと思わざるを得ないのです。住宅の立地状況も、地理の先生に見せてもらった当時の被災地の地形図と酷似しているように思われます。また、地価の低下などを考えて危険性を過小評価していたのではないかという報道も、原発事故と重ね合わせつつ、気の重くなる話なのです。
   私たちは、人知あるいは人間の対応能力を超える自然の力に「畏怖」の念を持つ必要があるでしょうが、また、当然想定される被害については―――確実に警鐘を鳴らしていた人がいるはずです―――、しっかりした評価を行って、こうした災害が繰り返し起こらないようにしなければならないのではないでしょうか。業者・行政は,これまでのやり方を総点検すべきだと思います。また、私たち地域住民も、自らの命と健康こそが第一であることを再確認し、しっかり対処していく必要があるでしょう。

2014年 夏の旅―――妙高登山、他

 サロさん!次は、君と私で行こうかね?


   ※昨日は早朝に墓参りを済ませてきました。今年の夏ももうすぐ終盤ということですね。ところで、私は8月中にもう一度富士山周辺を訪れたいと思っているのですが、今回のブログでは、これまでの「今年の〈夏の旅〉」をまとめて紹介しておきたいと思います。


     ○7月22日 武蔵丘陵森林公園・ドッグラン

  ※いつか本格的なドッグランに連れて行ってやりたいという我が飼い主の「煩悩」は,梅雨明け直後の夏空の下、「姉貴」を誘って僕を連れ出すことになったんだよ。 
   

DSC_2079いざ公園へ

     いざ!公園へ―――車の中は涼しく、僕は、「姉貴」を足蹴にしながら、やる気満々!


DSC_2073ドッグラン

      でも、熱中症警戒警報のでる中、「暑さにも負けず」とはいかず・・・(本物の汗!)


DSC_2062熱中症


     ※気温36度では,足が火傷をしてしまうよ。やっぱり、夏にドッグランはやめようね!










  ○7月26〜27日 四万温泉―――「兄貴」の誕生日旅行

   ※「姉貴」が出雲に続いて四万温泉にも行かねばならなくなったので、我々も「2nd 兄貴」の誕生日に合わせて、車で出かけ、合流することにしたのです。四万温泉には、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』の舞台のモデルとも言われている、積善館もあるのです。

 【旅程】第1日 関越(渋川伊香保)―17号―353号―145号
        ―353号―四万温泉
     第2日 四万温泉―353号―145号―三国街道
        ―(渋川伊香保)関越


DSC_0409四万温泉

四万温泉・発祥の湯「御夢想の湯」―――足湯には浸かってきました。


DSC_0443四万川ダム

四万川ダムの上で―――緑色のきれいな湖水でした。


DSC_0459温泉卓球

恒例の〈温泉卓球〉を楽しむ―――卓球の後のひとっ風呂が格別でして。


DSC_0477温泉街

朝の温泉街を散歩する―――これは雰囲気がありましたよ!


DSC_0480積善館

後が噂の「積善館」――古くて、冷房がないのも当たり前とか。


  ※こうした旅行も悪くありません。とりわけ、運転しなくていいサーヴァントは超楽ちんでした。最近の傾向としては、奥さんが「道の駅」ファンなので、各地の「道の駅」で買い物をすることが一つの楽しみになっています。今回は、「1st 兄貴」がサロさんと留守番しましたので、お土産は、ド〜ンと、「ブルーベリー」1パックを奮発したのでした。






○7月31日 山梨県・大月――クロス・カブで初ツーリング

  【旅程】16号―411号―(奥多摩湖)―139号―(松姫峠)
     ―(大月)―20号―(相模湖)―16号  
                     (全長264km)

DSC_0503初ツーリング大月
139号線・深城ダム付近のCC110


  ※慣らし走行も兼ねて大月までのんびり走る。印象的だったのは、139号線。ここなら、もう一度寄り道しながらゆっくり走ってみたい。三頭山や御前山、大岳山や御岳山など、若い時に登った山々が近い。奥多摩湖や沢筋の水もきれいだ。110ccのカブ君は,50ccのベンリー君とは違って、峠道も飛ばそうとしなければ余裕をもって走ってくれる。股の内側の筋肉に張りが感じられたが、これは年相応のことと諦めるしかないのだろうな。









○8月4〜6日 新潟県・妙高高原――Kさんの誕生日記念旅行

  ※毎年、この時期に家族旅行をしているが、今回は「兄貴」たちが仕事で行けないので、3人だけでということになった。場所は45年前に行きたくて行けなかった妙高高原。今回の予想外の収穫は、初日走ったロマンチックな田舎道、菅平などの高原の道、そして、古い歴史が感じられる街道筋などで、運転した「姉貴」は初めての快適な長距離ドライヴを楽しんだようだ。

 【旅程】第1日目 関越道〈赤城〉―17号―145号―144号
         ――406号―(菅平高原)―403号―(小布施町)
         ―18号―妙高高原
     第2日目 燕温泉から妙高山アタック
     第3日目 妙高高原―18号線
        ―(野尻湖ナウマンゾウ博物館)―上信越道―関越道



DSC_0543登山コース


 ※ 登山案内図―――今回はこの赤線のコースをとりました。登りコースは快適で順調でしたが,下りは長く,そして、指導標の不備もみられました。全行程12時間(5:43〜17:45)の山旅となりました。



DSC_0563オコジョ


  ※オコジョとの遭遇―――途中の登山道で休んでいると、オコジョが近寄ってきました!写真はピントがあっていませんが、動画には可愛らしい姿がばっちり写っています。約1分間の幸運な一時でした。



DSC_0593山頂付近


 ※ 頂上付近のガレた登り―――眼下には野尻湖も見えます。途中にあった「風穴」の冷風も気持ちよかった。




DSC_0599妙高神社


 ※ 妙高神社(2454m)で―――広い山頂で景色を楽しみながらゆっくりと休息。リンゴがうまかった!




DSC_0610左・日本海


 ※ 左に日本海が見えます―――その手前が三角点(2445.9m)で、燕新道に続きます。




DSC_0629長助池


 ※ 長助池―――燕新道の「安らぎ」の場。また、このあとの「黄金清水」のうまいこと! 道はその後アップダウンを繰り返しながら遊歩道に繋がっていく。しかし、登りで間違うことはないだろうが、下りの場合、増水や崩落などによって登山道が幾度も変わったためと考えられるのだが、登山道の終点(始点)から工事中の妙仙橋との間の指導標が不備・不明瞭で、疲れた足によるルートファインディングはきつかった。ただ、「姉貴」の山歩きの進歩は目覚ましく、彼女を見直すことができる貴重な山行となった。




DSC_0682野尻湖博物館


 ※ 第3日目 「野尻湖ナウマンゾウ博物館」まえで―――昨年の三内丸山の縄文文化に続いて、今回は、旧石器時代の「野尻湖人」の生活に触れてきた。それにしても、ナウマンゾウやオオツノジカは大きかった。そして、こうした数万年もの気の遠くなるような時間の流れを思うとき、ミヒャエル・エンデの『モモ』ではないが、個人にとっての〈時間〉の価値や意味について想いを致さざるを得なかった。野尻湖の発掘に携わった2万人を超える人々は、どのようなことを感じ、考えたのでしょうか。
   今回、サロさんは、「兄貴」たちが、夜遅く帰って来て散歩に連れて行くなど、色々分担して面倒を見てくれたそうだ。ただ、出勤前の散歩なのになかなか『うんち』をしないで焦った、という話もあった。サロさん!もう少し考えたら!




  ○8月13日 皇海山アタック
          ―――林道ツーリングと稜線のコルまで



  ※12日の夕方、天気予報とにらめっこをしていると、13日の群馬県・皇海(すかい)山近辺に晴れマークが並んだ!これは行かねばなるまいと思い、早速、食料と装備を整え、翌朝早く(4:30)出発することにしました。今回のメインテーマはクロスカブの林道走行性能の確認で、又、余裕があれば、皇海山の登頂も果たせればと考えていました。さて・・・

  【旅程】 17号線――(前橋)――120号線
      ――栗原川林道――皇海橋ー→稜線のコルー→皇海橋
      ――栗原川根利林道―――県道62号線―(大間々)
      ―122号線―(354)―122号線
                      (全長300km)

   

DSC_0724林道コース図


  ※林道コース図―――15年程前にアプローチした際も林道が崩壊して通行不能の状態となっていましたが、今回も、エンマ沢側の林道は悪く、普通自動車でダメージを避けることは極めて困難だったことでしょう。ただ、わがクロス・カブの場合、セロー程の安定性(タイヤとサスペンション)はありませんでしたが、大きな石ころやかなり深い溝なども比較的無難に超えていく力を持ち、転倒してしまうことも,低速でのエンジン不調もありませんでした。さらに、橋から南側の林道はしっかり整備されており、奥深く静かな林道走行を楽しむことが出来ました。



DSC_0713沢渡り


 ※ 沢渡り―――5時間程の運転で疲れてもいたのですが、皇海山山頂に向かうことにしました(9:50)。全体的に沢筋の道が多かったのですが、最初の渡渉には緊張しました。台風の影響でしょうか比較的水量も多く、沢を渡るには、リュックを背負いながら、岩と岩との間で、1m程のジャンプを繰り返す必要があったのです。100回に1回ぐらいは失敗するだろうななどと考えながらもなんとか越えましたが、足が弱って来ていることを考えると、無理は出来ないなと思ったものです。




DSC_0717鋸岳


 ※ 稜線のコルからの鋸岳方面―――さらに、中間点からの沢筋の登りと樹林帯の急登はきつく、特に、樹林帯の急登では,生まれて初めて手や腕に硬直感を感じました。さらに、皇海山と鋸岳を結ぶ稜線上の鞍部(コル)では、太股の内側と足先に「つり」を感じ、頂上の視界も悪くなったという話もあって、今日はここまでと登頂を断念するに至りました。ただ、鞍部からの鋸岳方面の視界は比較的良好でした(写真)。その後、食事と休憩をとり、13:00に下山開始、14:30に皇海橋に到着しました。白神岳も2度断念していますが、皇海山も縁がないのかもしれません。




DSC_0736クロちゃん


 ※ 一番「偉い」のはクロス・カブ君―――下山後、手指や太股に軽い硬直感を感じながらも栗原川根利林道を走破し、県道62号線に入りました。この道は実に快適な道で、バイク・ツーリングの面白さや楽しさを満喫することが出来ました。ところで、今回の旅では、私自身の不注意や失敗が色々あったのですが、ただ、クロス・カブ君だけは満点だったと感じています。何しろ、ハンドル操作が実にスムーズかつ安定しており、林道での細かいハンドリングは勿論、一般道での法定速度内でのカーブなどでは全く不安が感じられませんでした。セローよりもはるかにバランスが良い感じでした。また、電子制御(PGM-FI)のエンジンは、キャブレター式だったセロー225のエンジンよりも、さまざまな状況に的確に反応してくれるように感じられました。燃費も4段変速で60km/ℓでしたから、信じられないような数値です。クロちゃん!あんたは偉い!


 ※ 最後に、「魔境=群馬」については一言いっておきます。一番困ったことは、太田近辺で122号線が突然消えてしまい、354号線に入ってしまったことです。そこで、地元の方に聞いた方が良いだろうと思い「東京方面の122号は?」と尋ねてみたところ、二人の方が354号線の逆方向を教えてくれたのです。最新版の詳しい地図を持っていなかった私が悪いのですが―――今なら、判りますよ。買いましたから!―――、夕闇迫る中、群馬県が魔境(魔界)のように感じられたものです。はははー


    

歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」(第二部)を見ました

 僕だって〈人間〉みたいにカッコ良く生きたいな
     ―――〈実存的投企〉を希求する人間の様々な「生き方」



DSC_2102納涼歌舞伎



     ※昨日、クロス・カブ(HONDA CC110)で、日帰り林道ツーリングに行ってきました。カブ君との初ツーリングは、7月の30日の山梨県大月までのものでしたが、8月中には、もう一度、富士山を東西南北から見て回る「旅」(ツーリング+登山)を計画しているところです。我家にも家でゴロゴロしている方を好む人がおり、又、私自身「何故わざわざ疲れることを」と考えることもあるのですが、どうやら私には多動的気質が宿っている気配があるのです。これらの旅についても近日報告予定ですが、今回のブログでは、8月9日に観た歌舞伎について振り返っておきたいと思います。


     今回の歌舞伎座・「八月納涼歌舞伎」(第二部)は、

  ○近松門左衛門 作 『信州川中島合戦ー輝虎配膳』一幕
           長尾輝虎 橋之助
           直江山城守 彌十郎
           唐衣 児太郎
           越路 萬次郎
           お勝 扇 雀

  ○大佛次郎 作   『たぬき』二幕四場     
           柏屋金兵衛 三津五郎
           太鼓持蝶作 勘九郎
           妾お染 七之助
           門木屋新三郎 秀 調
           松村屋才助 市 蔵
           倅梅吉 波野七緒八
           隠亡平助 巳之助
           芸者お駒 萬次郎
           狭山三五郎 獅 童
           備後屋宗右衛門 彌十郎
           女房おせき 扇 雀
      
      の二作で構成されていました。

     ところで、一作目の『信州川中島合戦』について、歌舞伎座ー公式サイトの「みどころ」欄には、次のように書かれています。

  ◆時代物ならではの多彩な役柄が織りなす豪華な一幕
   越後の長尾輝虎(後の上杉謙信)は、敵対する武田信玄の軍師山本勘助を味方に引き入れようと考え、家老の直江山城守の妻唐衣が勘助の妹であることを利用して、勘助の母越路と妻お勝を館に呼び寄せます。輝虎は自ら料理を運びますが、その計略を察知していた越路は膳を足蹴にします。短気な輝虎は激怒して刀を抜きますが、お勝が必死の思いで止めに入り…。
   時代物らしい絢爛とした舞台に、武将の輝虎をはじめ多彩な役柄が登場します。歌舞伎らしい技巧に富んだ義太夫狂言の一幕です。

     さて、私自身の感想は次の2点でした。一つ目は、橋之助の様式化された〈怒り〉の表現に、限りない懐かしさのようなものを感じたこと。私は、幼い頃、テレビで習い憶えた歌舞伎役者の〈見栄を切る〉所作をマネして母親に喜ばれたことを記憶していますが、そうしたある感情の様式化のなかに見られる日本〈文化〉の面白さを再確認したのです。生で見た橋之助の演技は迫力ある実に印象的なものでした。2つ目は、萬次郎演じる越路の〈格好〉良さです。何がカッコいいのかといえば、それは、このヒロインの「生き方」〈そのもの〉といってよいでしょう。加藤周一(『日本文学史序説』)流にいえば、作者近松門左衛門の「時代物」は,彼自身の出身階級すなわち時代の支配層の価値体系を町人大衆に向かって宣伝する役割を果たしていたということになり、確かに、越路の直接的な「イデオロギー」は、封建的主従関係の倫理―――輝虎の見え透いた供応によって、〈主〉たる武田信玄を裏切らない―――であったのでしょうが、歌舞伎を見ていた当時の庶民階級が彼女に喝采を送った理由は、決してそうした特定のイデオロギー・〈忠誠心〉に対してではなかったろうと思われます。そうではなく、それは、近松の「世話物」のヒロインやヒーローの「生き方」にも共通するところの、従属的ではない倫理的に〈主体的〉な生き方、「世間」や「義理」に対して〈個あるいは私〉の一念を貫こうとする生き方、困難ではあっても〈命すらかけて〉その想いと遂げようとする生き方、言うなれば、強いられた従属的な生き方に抗する〈実存的投企〉への憧れでだったのではないでしょうか。そして、それは、そうした〈人情〉を「不条理」に抑圧・圧殺しようとする権力への抵抗の感覚でもあったことでしょう。「花は桜木、人は武士」といいますが、それは、必ずしも『葉隠』的武士道ー倫理に従うといったことではなく、〈命を賭けても〉〈主体的〉に自らの生を選択していく、そんな〈潔い〉「生き方」への憧れを意味していたと思われます。そのように感じられました。

     さて、2作目の『たぬき』は、「みどころ」欄で、次のように紹介されていました。    

  ◆人間の化けの皮の下に隠された本性を描いた喜劇
   江戸深川の火葬場では、柏屋金兵衛の葬式が営まれていました。ところが日もすっかり暮れたころ、死んだはずの金兵衛が、再び息を吹き返します。思案した金兵衛は、自分はこのまま死んだことにして、女房のおせきではなく、妾のお染と暮らそうと、お染のもとに駆け付けますが、そこにはすでに情人の狭山三五郎がいました。愕然とした金兵衛は、お染が自分から引き出していた金を持ち出します。二年ほどが経ち、甲州屋長蔵と名を変え成功していた金兵衛は、訪れた芝居茶屋で偶然にもお染の兄の太鼓持蝶作と出くわして…。
   大佛次郎によるこの新歌舞伎は、別人になりすました男が味わう人間心理の表と裏を描いた皮肉の効いた喜劇です。おかしさと切なさが巧みに混ざり合う舞台をお楽しみください。


     ところで、この『たぬき』は、昨年6月「喜撰法師」で軽妙な〈踊り〉をみせてくれた三津五郎の、病からの本格的な「復帰」第1作であり、私にとっても注目の舞台でした。思うに、江戸の〈庶民〉―――実際は、豪商ですが―――を演ずるのに、彼ほどの適役はないかもしれません。また、勘九郎と七之助が劇中でも兄弟役を演じており、勘九郎の父親譲りだろう絶妙な「味」、そして、七之助の相変わらずの美しさや微妙な女心をすら表現し得ていただろうその演技は、なかなかなものと感じられました。さらにもう一つ、舞台で見た獅童はデカかった! 映画での印象と生の舞台とでは全く違っていました。

     さて、あの『鞍馬天狗』の大佛次郎がこの新作歌舞伎で何をテーマにしたのかは判然としませんが―――おそらく、こうした「たぬき」たちを優しく見つめるということだったとは思いますけれど―――、「人間の化けの皮の下に隠された本性」を描いた喜劇という「みどころ」欄の表現には、若干違和感が感じられました。といいますのは、たとえば、金兵衛は、最後に、息子梅吉(七緒八)の「(お父)ちゃんだ。(お父)ちゃんだ。」という〈純〉な叫び声によって、甲州屋長蔵という「化けの皮」を自ら脱ぐことを決意するわけですが、そういった親子の〈純〉な関係が予定調和的なものであるなどということはあり得ないことでしょう。また、「情人」狭山三五郎の存在故に金衛門を裏切ってはいたお染ですが、困窮する生活の中でさえ三五郎のために酒を手に入れようとする彼女の心が「純」なものではないとは言えないと思います。つまり、人間は二面(多面)性を持つ矛盾した存在なのであり、極めて直接的な〈欲求〉を追い求めることもあれば、また、「理想」化された〈観念〉を追い求める存在でもあるのです。そして、それらはそれ自体として幻想的であったり実体的であったりするというものではなく、(「義理」と「人情」だけではなく)、「人情」自体が矛盾を孕むものなのだということだと思います。
     ところで、こんなことを考えているなかでフッと私の脳裏に浮かんだのは,「大日本帝国の『実在』よりも戦後民主主義の『虚妄』の方に 賭ける」という丸山眞男の言葉でした。話のレベルは随分違うのでしょうが、例えば、「結局恋は冷めるものよ」とか「結局男は金と地位よ」とかいわれながら、あるいは、「子供、子供といったって,結局、捨てられるだけなんだから」とか言われながらも、お染めや金兵衛のように「虚妄」に賭けることこそが人間の本質なのであり、また、そうしたことが人間社会を維持・発展させて来たのではないか、そんな風に私は考えたのです。まあ、ちょっとした思いつきではありますが。

     ※サロさん! 君は長い「骨」と短い「骨」を見せると、ほとんど長い方を持って行くよね。君の選択は十分〈実存的〉だと思うよ。君も私も同じ仲間ですよ。はははー
 

本当に、ウンザリしますが――日本の政治状況

あんな奴らが日本の政治家なんだから
        まあ、正統性0(ゼロ)ですね!


——政府の解釈変更による集団的自衛権容認から一ヶ月に想う。

※ 昨日、サーバントさんが鯛焼きを買って来たんだけれど、空き袋の臭いがあまりに魅力的だったんで頭を入れたら、世の中見えなくなっちゃった(涙)

DSC_2024目が見えないとね



やっぱり、目の前の欲にかられちゃいけないワン



そして、アベッチの言う通りになんか絶対しないもんね

NMS_2021やっぱり!



     月日の経つのは早いもので、あの歴史的転換から一ヶ月が過ぎました。私は6月末に2度ほど反原発関係で東京に出かけていましたが、集会等では、戦後の憲法体制の(2度目の)大転換を策するあの暴挙に対する市民の強い怒りが表出されていました。ただ、私自身についていえば、やはり、「こうやって日本の一般ピープルはセコく恥知らずな日本のイスタブリッシュメントに命と生活を軽んじられていくのだな」という、一種の〈諦め〉にも似た感覚に捕われてもいたのでした。しかし、これからの断固たる「抵抗」への決意とは別に、この情けない日本の政治状況についての現時点における「印象」を若干なりとも書き記しておくことはわが愛する人々への義務とも言えるでしょう。

     ということで、この一ヶ月余りを振り返えり見ると、そこには、これまでのものとは水準を異にする、いわば量が質に転化したような、強烈な印象が残っています。それらは、おおまかに言うなら、日本の政治家たちに対する底知れぬ〈軽蔑感〉、日本の政治的エリート層における安全保障論議の〈虚妄性〉・〈皮相性〉・〈場当たり性〉、そして、日本の一般ピープルの自立的意識ー主権者意識の問題性,ということになりましょうか。これらについては、追々じっくりと考えていかねばならないと思いますが、今回は、一つ目の日本の政治家たちへの軽蔑感についてだけ,簡単に触れておきたいと思います。

     さて、そもそも、アベッチらは、今回の政府の解釈変更による集団的自衛権容認の理由として、「日本人を守るために」とか、「日本をより安全にするために」とか口走っていましたが、真っ当な大人であれば、賛成ー反対を問わずに、こんな口先だけの御託を信じている人はいなかっただろうと思います。とりわけ、戦後の再軍備化の過程そして日米軍事同盟強化の方向性を知る者にとって、そうした物言いの欺瞞性は明らかという他なかったはずです。

     それでは、なぜアベッチたちは自衛隊(「国防軍」)の海外派兵やその結果としての「戦死者」を必要とするのか? と問うてみれば、
  ―――そりゃ、仲間内で儲けるためでしょう!
  ―――そりゃ、政権にしがみつくためでしょう!    という、極めて〈下卑〉た答にたどり着くのです。勿論、こういった見方は、〈下司の勘ぐり〉とか、あるいは、若干アカデミックな装いをこらせば、「悪魔」(の陰謀)理論の一種―――私に言わせれば、それ自体がダブル・スタンダードのペテン氏的性格を持つものだと思うのですが―――とかいって揶揄される対象でもあるのですが、私が色々悩んだ結果到達した結論は、少なくとも現時点における日本の支配層多数派を性格づける表現として、これ以上的確なものはないということです。まさしく、石原のボンボンが日本の一般ピープルに向けて発した「結局、金目でしょ」という言葉は、そっくりそのまま、彼らにお返ししなければならないものなのです。さらに、彼らの場合は、そうした〈金目〉の構造を編み上げ、再生産する権力保持者の地位にいるが故に一層悪質だということができるわけです。確かに、あなたたちが編み上げた〈金目〉の構造に絡みとられ、そこから脱出する展望(選択肢)を思い描けない人々は「やせ我慢」などしないかもしれません。しかし、自然と人間の「普遍的」な在り方に想いを致し、札束で頬を叩かれても、脅されても賺されても、そうした構造に批判的に向き合う「諦めない」一般ピープルが確実に存在しているのです。私たちは、そうした流れを、沖縄で、福島で、志賀で・・・見ることが出来るのです。

     ところで、最近、日本の(政・官・財・学)各界「エリート」の〈驚くべき〉実態が次々と明らかにされています。とりわけ、都議会のヤジ問題(鈴木章浩議員など)や兵庫県議会の政務活動費問題(野々村竜太郎議員など)をはじめとする政治家たちの有様は、もう直視することも出来ないぐらいの恥ずかしさです。そして、私は、もはや政府の宣伝機関に堕したとか言いようのないNHKニュースなどに映し出されるアベッチを初めとする政府高官の顔つきを見ると、「実に,実に、良く似ている!」と感じざるを得ないのです。実際、こうした日本の政治家さんたちの体質は、日本と世界の一般ピープルに多大な犠牲を強いた戦前の〈無能〉で〈無責任〉な戦争指導者たちの「実像」を思い起こすならば、さほど驚くべきことではないかもしれません。―――これに対して、最近とみに明らかになって来ている、広範な人々に真理や人々の幸せを追求しているはずと思われていた科学者や研究者たちの「欲」と「偽り」にまみれた有様は、より衝撃的だったといえるでしょう。それらは、「原子力村」の住人に対する高木仁三郎さんの仕事(例えば、『市民科学者として生きる』や『原発事故はなぜくりかえすのか』)すら「穏やか」なものだと感じさせるほどのものです。

     しかし、私は、こうした現状に心底ウンザリすると同時に、「虚像」を剥ぎ取るこうした〈脱神秘化〉の動きは、私たち一般ピープルにとって、大変意味あることだろうとも思うのです。確かに、そうしたことが、〈金目〉の構造のなかの「〈現実〉的な人間」像として―――結局,お前も俺と同じなのだからと―――最終的に正当化されていく危険性もあることでしょう。しかし、〈社会〉を実際に支えている一般ピープル(さまざまな領域における専門家たち)は、そんな手合いばかりではないことはいうまでもないのです。そして、各界の「エリート」諸氏のなかにも、こうした一般ピープルと有機的に結びつく人々を見いだすことができるでしょう。私は、そうした動きのなかに、少なからぬ「希望」を見いだし得ると考えているのです。

     最後にこのブログで言っておきたいことは、一般ピープルの一人たる私は、私自身の大切な命や生活をあんな詐欺まがいの多数派政党や低劣な議員どもに任せることは出来ないということです。私たちの命と生活は自分たちで決める。笑わせるんじゃない!と。 そして、私たちは、愛する人々のために闘うことはあっても、あのセコい戦争屋や権力亡者のために利用され、命を失うことは絶対あってはならないと思うのです。

     我が子,我が同胞よ、君、死にたまう事なかれ!  共に、戦争への動員を拒否しよう!



    ※ この一ヶ月余りは、結構、忙しく生活していました。7月にやったこと・考えたこと、また、私たちにとっての「安全保障問題」や政治や経済の仕組みについては、また稿を改めて論じたいと考えています。それでは、まず、この暑い夏、皆様のご健勝をお祈り致します。(サーヴァント・ムリキ)
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2019年11月現在満13歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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