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「成果主義」―――中村氏のノーベル賞受賞によせて

 仕事に対する意識は多様ですが
       ―――赤崎・天野氏との対比において



   物価が高い!実質賃金・可処分所得は確実に減少している!しかし、アベッチの太鼓持ちたちは、性懲りもなく、その背景を注視すれば矛盾の拡大を意味するものでしかない〈数値〉を、しかも,単なる部分的、経過的意味合いしか持たないの〈数値〉を、アホノミクスの「成果」として盛んに宣伝している。しかし,化けの皮はすぐ剝がれるものだ。このブログでもこれまで何度も指摘して来たように、アベノミクスなど、古い混ぜ物の酒を新しいレーベルで再発売したようなもので、その中身は、所詮、一般ピープルの負担にもとづく富裕層の優遇政策(所得移転ー格差拡大)以外のなにものでもないのだ。それにしても、短期間ではあれ、なぜあのような口先だけの御託が通用するのか、それだけは判らないといえる。



   ところで、私は、つくづく、日本の働く人々は大切にされていないと感じます。例えば、昨日見た疲れ顔のバスの運転手さんや非正規の若い郵便配達の人たちがそうです。私たちの日常生活を支えてくれている彼らの生活が人間らしく安心できるものとしてしっかり保証されているとは到底思えないのです。私にとって、醜聞あふれる政治家や浮き草的な株価の変動に一喜一憂している投企家などよりも、彼らの方が何倍も何倍も価値ある存在であるにもかかわらず、です。

   そんなことを感じていた時、赤崎・天野・中村の三氏が青色LEDでノーベル物理学賞を受賞したとのニュースに接しました。私は、田中耕一氏や増川敏英氏の「ファン」でしたから,これらの受賞者たちについても関心を持って新聞やテレビを見ていました。ところが、その中で感じたのは、中村氏と赤堀・天野両氏との間に感じた、仕事への感覚の違いでした。といいますのは、「はやりものをやるのではなく、やりたいことをやりなさい」という赤崎氏の言葉や「私のやったことはビギナーズラック。多くの人の努力があったからこそLEDはここまで来た」という天野氏の言葉は、田中氏や増川氏の時と同じように、何か私の心に響くものがあったのですが、中村氏のそれにはかなり強い違和感を感じてしまったのです。すなわち、中村氏の言葉は,日本と世界の〈働く人々〉を苦しめ、そして、小保方問題に象徴されるように科学の基本的発展・発達を歪めつつある、アメリカ発の「成果主義」のイデオロギーに聞こえてしまったのです。

     彼によれば、彼の追求の原動力は〈怒り〉だったという―――そうか、LEDの製品化はそうしてうまれたのか?! つまり、「日本では誰もが夢をかなえるチャンスを持っていない。差別も多い」のに対して、「米国では研究者が幅広い自由を持ち、努力をすれば何でも出来る。すべての人に夢をかなえるチャンスがある。そこが日本との一番の違いだ。」ということで、日本の若い人々には「米国は、やる気のある、全力で努力する人には最高の場所。若い人はぜひ最低5年は海外に出て、日本の将来を考えて」と語ったのです。しかし、彼が日本の科学的・教育的環境の中でキャリアを形成し、また、日本企業から3億円の研究開発費の提供を受けて〈量産化技術〉の開発に成功したことは再確認しておくべきことでしょう。そして、こうした日本での「成功」を引っさげて中村氏はアメリカの大学で職を得、さらにアメリカ国籍を取得したうえで、今や格差社会の象徴ともいわれるアメリカで、盛んに〈アメリカン・ドリーム〉を持ち上げたのでした。このように見ると、彼のLED技術の実用化への過程で抱いた「怒り」とは、とどのつまり、報奨金2万円とかといった「成果報酬」の問題かあるいは「能力主義」的な待遇の問題であって、結局、そうした〈成功〉を追い求める科学者間の「競争」を事後的に肯定するイデオロギーと結びつくものだったと言えるでしょう。

     勿論,人間の性格や考え方は多様であり、また、行動の動機やそれらへの評価も多様だと思います。ですから、(「有名になりたい」とか「金持ちになりたい」とかいった)〈アメリカン・ドリーム〉も決して全面的に否定されるべきではないと私も考えます―――勿論、それが強い〈副作用〉をもたらす場合には、反省や批判が必要であろうと思いますけれど―――。確かに、報奨金2万円はどうかとも思いますし、また,中村氏のような〈反発〉がなければ、日本企業はそのなかで悪戦苦闘している研究者や技術者の基本的な〈必要〉に対して適切な対応を取らないのかもしれません。しかし、私は、やはり,彼の基本的スタンスには違和感を感じたのです。

     例えば、中村氏〈個人〉が多額の報奨金を受け取って彼〈個人〉の夢を実現するよりは、自らが与えられたように、それを、必ずしも成功するとは限らない諸分野で、志を持って地道に研究を続けている科学者に提供した方がより社会の進歩に貢献するとは言えないのでしょうか?すなわち、彼の「成果主義」的な〈夢〉を実現するよりも、真理の探究や人類の福利の増進のために地道に研究に励んでいる科学者の研究と生活を保証することの方がはるかに大切かもしれないのです。

     もっとも科学者たちがこれまでに成し遂げてきた多くの偉大な発明や改良が、中村氏が主張するような動機によってしか実現されてこなかったというなら話は別でしょう。しかし、この点については、話を今回の受賞に限っても、中村氏と、より伝統的な「職人気質」に近い印象を与える赤崎・天野両氏との間には、明らかに大きな違いがあると言って良いのです。また、私の読書経験から言っても、徴税官の父の仕事を楽にするために計算機を考案したパスカルの例をはじめ、中村氏的なるものとは大きく異なる事例はたくさん存在するのです。遠山啓氏は、「人間は本来、真実なるもの、善なるもの、美しいものに対する強い欲求を持っています。それに従ってやられた仕事が、一番大きい独創的な仕事になると思います。」(「競争原理を超えて」、『遠山啓著作集3 序列主義と競争原理』)と述べ、ニュートンやレオナルド・ダ・ヴィンチの例を挙げています。また、アインシュタインは、科学上の諸問題、ことに数学的、哲学的な性質の諸問題をじっくり思索しようとする若者に〈灯台守〉のような仕事を提供できないだろうかと述べていますけれど(「科学と文明」、『晩年に想う』)、分野が異なるとはいえ、これも、中村氏的な発想とは大きく異なっていると言えるでしょう。

     ところで、欧米諸国と比較して、日本企業における経営者側と従業員側の力関係は、圧倒的に前者が強いと言われてきました。従業員は、儒教的な「奉職」意識の影響はもちろんのこと、いわゆる「日本的経営」(終身雇用制・年功序列型賃金・企業内組合)の中での「立身出世」主義や日本型「能力主義」のイデオロギーによって統合され、ひどい場合は「社畜」とまで表現されてきたのでした。こうしたあり方は、経済のグローバル化によって実質的に崩壊してきたのですが、それに伴って、より「近代的」すなわち「アメリカ的」な雇用関係に照応する〈意識〉を導入しようとする動きもあったのです。そして、こうした方向性を基本的に受容するならば、まさしく、中村氏的な考え方は高く評価しうると言えるかもしれません。しかし、私個人について言えば、中村氏的な「成果主義」のイデオロギーは、日本の〈普通の労働者〉をより一層孤立化させ、真に「自由」なものとすることにはならないだろうと考えるのです。なぜなら、そうしたイデオロギーは、(共同)社会における集団的労働の普遍的な性格と矛盾するところが多いからです。

     社会的労働のあり方については、また後日、「応能負担」と関連させながら論じたいと考えていますが、今回は、ほぼ15年程前、3人の日本の経営者から直接聞いた「成果主義」の問題点を紹介しておきたいと思います。彼ら〈経営者〉たちですら次のように話していたのです。すなわち、「成果主義」的人事考課とその賃金体系は、総賃金抑制政策の一環として実施されるもので、客観的な根拠を有しているわけではない。第1に、長期間にわたらざるを得ない仕事とその成果は1年単位で正しく評価などできない。第2に、仕事は色々な意味で集団的に行われるもので、それを個人的に評価することは難しい。第3に、それ故に、こうした「成果主義」的評価は従業員同士の協力関係を損なう可能性が高い。第4に、さらにそれが高ずれば、「犯罪」にまで発展する恐れがある、というものでした。こうした見方は現時点ではもうすでに常識的なものになっているといって良いのですが、森口尚史や小保方晴子問題を目撃した私にとって、その「先見性」には脱帽というしかないのです。

      時間がきました。最後に一言。中村氏が開発した(窒化ガリウムの)「ツーフロー方式」がその後どうなったのか、また、渡米後の彼の研究成果がどうなっているのかについて私は寡聞にしてよく知りませんが、今後も彼の「成果」には大いに期待したいと思っています。それにしても、私のヘッドライトは、(赤崎・天野系あるいは中村系)どちらのLEDなのでしょうか?


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秋のおじさん旅行

 犬吠埼と鹿島神宮
   ―――何やら,青春の思い出が詰まっていたようで  


   ※10月の上旬、私たち「おじさん旅行」のメンバーは、犬吠埼と鹿島神宮を訪れました。秋晴れの下、今回もまた良い旅行が出来ました。私は犬吠埼は初めてだったのですが、日本国内にもまだまだ良い所が沢山あるのだなあと改めて思いました。次は,北海道という話も・・・!

   【旅程】
   第1日目 錦糸町―〈JR〉―銚子―〈銚子電鉄〉―犬吠―
       犬吠埼灯台―(泊)
   第2日目 犬吠―〈銚子電鉄〉―銚子―〈レンタカー〉―
       ―屏風ヶ浦―〈国道124号〉―鹿島港魚釣園―
       鹿島神宮―〈国道124号〉―銚子―〈JR特急〉―錦糸町


これが噂の〈銚子電鉄〉

DSC_2206銚子電鉄


     ※先日,東京新聞(10月20日・朝刊)に「走れ銚電もう一度」という記事が載っていました。高校生たちが脱線事故を起こした車両修理の資金を稼ぐために「ぬれ煎餅アイス」を売るボランィア活動を行っているというものです。いい話ですねえ。この話は知りませんでしたが,私のお土産は、勿論、「ぬれ煎餅」でした。
      ところで、写真の電車,どこかで見たことはありませんか?! メンバーの一人が,携帯で写真をとって(娘さん経由で)3歳の孫の「鉄ちゃん」に送って確かめたところ、そうです! これは地下鉄「丸ノ内線」の昔懐かしい車両ですよね。この他にも,銀座線のものもありましたよ。


青空に映える犬吠埼灯台

DSC_2210灯台


     ※99段の階段を登って「展望台」へ。好天に恵まれた太平洋はなかなか素晴らしかったです。確かに地球が丸いことが感じられました。灯台(高さ31m、光度110万カンデラ、光達距離約35km)は,明治初期にレンガで建造され現在に至っているもので、当時に使われていたレンズも資料館で見ることが出来ます。全国の公開されている灯台を見て歩くのもいいかもしれません。


君ケ浜に続く太平洋を背に

DSC_2225太平洋


     ※今回の旅行でとりわけ印象深かったのは、メンバーの一人の青春時代の思い出話でした。言葉数は少なかったのですが、学生時代、この写真の左側に続く君ケ浜にテントを張って、仲間と一緒に夏の10日間を過ごしたらしいのです。当時を思い出している風のメンバーの姿を見ていると、何があったのかは知りませんが,人生も悪くないなあと思ったりしたものです。


古代の森—鹿島神宮境内を行く

DSC_2292鹿島神宮


     ※鹿島神宮には,以前何度か来たことがありましたが、その歴史の古さには感嘆せざるを得ません。同じ「神宮」と言っても,明治神宮とは比較になりません。とりわけ,その歴史を実感させてくれる樹木の素晴らしさは,圧巻です。又、鹿島神宮に残こされてきた歴史的資料の豊富さも特筆すべきものとのことです。現在もその読み込みが続いているようです。さらに、剣道に関していうと、鹿島神宮の神官であった塚原卜伝が有名ですが,私も,記憶にまちがいがなければ、鹿島神道流を継承する太刀の形を見たことがあります。かなり太い木刀で,遠心力を利用して相手の太刀を打ち砕くといった感じだったように記憶しています。


これが「要石」か!

DSC_2301要石


     ※鹿島神宮には、歴史的な名所・旧跡が沢山ありますが,そのうちの一つがこの「要石(かなめいし)」です。「要石」という言葉は,私も知っており,日常的にも使われているわけですが、これがそうかと改めて感じました。メンバーの話によると、この小さな石で地中の鯰(ナマズ)を押さえ込んで,地震を防いでいるのだそうです。これは今回の訪問で初めて知ったことです。旅というのは,面白いものですね。




僕かあ、この季節、「お友達」にしか興味が無いんだよ

DSC_2189秋の日のサロ

「ガイドライン」改訂に思う――勝手に決めるなよ

 主権者は我々だ!勝手に決めるんじゃない!! 
  ――大体,君たちは「国民」を代表しているのかね?!



   時事問題について色々な感想を持ったとしても,それをすぐブログに書けるというものではありません。とりわけ、衝撃度が強いもの程そうだといえます。「〈政府の解釈変更〉による集団的自衛権の容認」などもその典型でした。怒り心頭! 言葉にもなりません。しかし、先週8日の「日米防衛協力のための指針」再改訂に向けた中間報告を読み,やはり、黙っているわけにはいかないとPCに向かうことにしました。

   今回の再改訂の眼目は,自衛隊が、世界中のあらゆるところで、「切れ目のない形で」米軍と共同行動をとることです。そして、テロ対策の「後方支援」であろうとシーレーン防衛(日本の軍産複合体の目的はこれと兵器の生産と輸出だろう)であろうと、そうした共同行動の中で武力衝突が発生すれば、すぐさま、(集団的)〈自衛〉権の名の下に戦闘行動を正当化する、とまあそんなシナリオが見え見えなのです。その危険性は〈超〉現実的なものです。実際、「専守防衛」から「海外派兵」への転換は、たまたま死者を出さなかったイラクの自衛隊もそうだったのですが、日本の若者が他国の民衆と〈兵器〉を携えて「殺しー殺される」関係(=戦争)に入ることを意味せざるを得ないのです。すなわち、今回のガイドライン再改訂への動きは、まさしく、日米両〈政府〉による日本国憲法「平和主義」の根底的な破壊、すなわち、基地や戦費の提供だけではなく、日本の若者が米軍の盾となり駒となって海外で血を流すことへと日本を導くものなのです。

  それにしても,このような憲法をないがしろにする行為が、なぜこうも堂々ととまかり通ってしまうのでしょうか。勿論、それは,戦後日本の再軍備化の過程、そして、基地と金だけではなく、“show the flag"とか"boots on the ground"とか言って軍事的貢献を求めて来たアメリカのこれまでの政策を知るならば,容易に理解できるとはいえます。(『追記』参照)。そして、こうした観点からする最近の労作としては,孫崎享氏の『戦後史の正体 1945ー2012 』(創元社)があげられるでしょう。この本は、彼自身の外交官としての経験をもとに、日本の戦後史をアメリカからの圧力対する「自主路線」と「追従路線」とのせめぎ合いという観点から分析—総合したユニークなもので,同氏の『日本の国境問題――尖閣・竹島・北方領土』(ちくま新書)と共に、現在の日本の状況が必要とする、必読文献であると思われます。ただし、それは,「権力エリート」(政治家・官僚)の視点からのものであって、そのアメリカからの「自主」の意味することが、「国益」ならぬ「国民」(=「一般ピープル」)の利益の視点からみて何なのかが再検討されるべきだと考えられます。例えば、彼が評価する岸信介の「自主」路線の意味とは何か、です。なぜなら、戦前の大日本帝国も「自主」的であったろうし、現在の「北朝鮮」—朝鮮民主主義人民共和国も「自主」的であろうからです。また、この本に対するもう一つの不満は、その検察批判や学会批判はかなり鋭いのですが、やはり、アメリカの軍産複合体の「圧力」に〈共鳴〉・〈連動〉する、あるいは、そのアメリカへの「追従」から「利益」を得る日本国内の反「一般ピープル」的な勢力への批判的観点が弱いことです。そうした勢力の動きは、CIAの暗躍だけでは説明できない「重み」を持っていると考えられるのです。

   今私が感じているのは、眼前の状況が戦後の米日軍事同盟の強化を策する「既成事実」の積み重ねの一つの帰結であり、さらにいえば、それは〈政府の解釈変更〉による「なし崩し」的な〈個別的〉自衛権容認と地続きだろうということです。「権力エリート」たちは、主権者たる国民に本質的な情報を隠したまま、国民の〈正統的な代表者〉であるとの擬制の下で、本来ならば主権者たる国民が行うべき国家の運命を左右する〈選択〉を詐取し、「権力の恣意的な行使」を行って来たといってよいのです。確かに、そうした過程の中で形作られて来た日米安保体制下の「平和主義」――その鍵的概念は「専守防衛」であって、集団的自衛権を行使するための海外派兵を禁じていました――によって,日本は戦後69年間,直接的な戦死者を出さずに済んだというのは事実です。なぜなら、海外へ派兵しない限り,侵略がなければ死者は出ないからです。そして、こうした「実態」を、左右の「権力エリート」をはじめ「国民」の多数派が〈容認〉していたのだろうとは思います。しかし、1991年の湾岸戦争及び2003年のイラク戦争を契機に自衛隊の海外派遣が始まり、〈集団的自衛権〉禁止の「外堀」は埋められ、そして、なんと、今回の〈政府の解釈変更〉と「ガイドライン」再改訂によって、「内堀」どころか「本丸」をも崩壊させられる事態に陥っているのです。

   私は、戦後日本の「平和主義」=憲法9条の存続を支えて来たのは、一部の「権力エリート」たちの努力やその影響力を認めはするものの、基本的には、〈国家〉や〈戦争〉の本質を肌で知り,それを語り伝え、一部の〈軍産複合体〉の利益のために戦争へ動員されることを拒否してきた、日本の「一般ピープル」であったと思います。そして、その状況は現時点においても同じであり、種々の世論調査においても、集団的自衛権反対・憲法9条支持は過半数から6割強に及ぶのです―――直近のNHKの調査(8月)でも,9条改正賛成28%、反対41%となっています。というわけで,現時点においても、安倍政権は、欺瞞的な〈目くらまし〉と策謀を駆使しつつ,勝手に解釈を変更し、内実をごまかし続ける他ないという有様なのです。恥ずべき奴らです。

   そして,我々「一般ピープル」も、我々自身の「安全保障」のために、これまでの〈欺瞞〉を正視し、私たちを〈戦争〉の体制に包み込もうとしている米日〈軍産複合体〉の策謀に対抗していかなければなりません。このような重要な問題を、〈詐欺まがいの多数派〉政党やあんな低劣な議員どもに任せることなどは出来ないのです。ちなみに、自民党が圧倒的多数を占める現在の国会を生み出した、2012年衆議院議員選挙と2013年参議院議員選挙の結果を見ておきましょう。裁判所が「違憲状態」と判決を出した選挙であったことは勿論、以下に見るような〈選挙制度自体の問題性〉をも私たちは認識すべきなのです。大体,君たちは正しく「国民」を代表しているのかね?!勝手に決めるんじゃないよ!!


《2012年衆院選》(投票率 59%) 
 自民党の比例代表区での得票率28% 
    ―→ 57/180議席:議席獲得率 31.7
 自民党候補者(+公明党?)の小選挙区での得票率43
    ―→ 237/300議席:議席獲得率 79
  ☆政党支持率でいえば、全有権者の16.5%の得票で、294/480 
    全議席(小選挙区+比例代表区)の61.2%を獲得している。
 
《2013年参院選》(投票率 52%)
 自民党の比例代表区での得票率34.6% 
    ―→ 18/48議席:議席獲得率 37.5
 自民党の選挙区での得票率 42.7% 
    ―→47/73議席:議席獲得率 64.4
  ☆政党支持率でいえば、全有権者の18%の得票で、65/121 
    全議席(選挙区+比例代表区)の53.7%を獲得している。


  比例代表制にしましょうよ! そうすれば、自民党の政策を支持した100人のうちの17人の意思で衆議院の60%を超える議席が占められ、60%前後の、9条支持、原発再稼働反対、消費税反対の世論を無視することなど出来ないのですから!!

  そして、もう一度,歌ってやるのだ。「おまはんらが儲けるために,わしらを殺すのけ!」と

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プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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