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11月が終わっても―――『アベ政治を許さない』!


日本国憲法の”タガ”が外れれば、
  日本社会の「劣化」は止まらない!


日本の民主主義は?!
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「11・29 辺野古に基地は造らせない大集会」(日比谷野音)で

   
   ※私は、今、『るろうに剣心―明治剣客浪漫譚―語録』や新自由主義(ーグローバリズム)関連の本などを再読しています。そして、そうした観点で世の中を振り返り見ても、日本社会の「劣化」が、一層進んでいるように感じられるのです。

   ところで、日本社会の「劣化」とは、基本的には、私たちの〈生活の質〉そのものの低下傾向を意味するものでしょう。実際、私たちの生活は、自由、公平、豊かさ、安全・安心、平和等々といった観点から、次第に不安を感じさせるものになってきています。しかし、こうした傾向は、そうした不安と「並行」しつつも、よりスキャンダラスな、日本社会のリード役たる「エリート」諸君の惨めな「劣化」ぶりとしても現れてきています。元「下着泥棒」や今も「ヤンキー」の如き国会議員は言わずもがな、アベッチを筆頭とする政治家先生たちの〈言動〉は、本当に我が耳や目を疑わざるを得ないといった代物なのです。また、東芝の粉飾決算だの、三井不動産ー旭化成関連のデータの改ざん・偽装だの、アベの「トップセールス」に群がる「政商」だの、これまで高い技術と品質を誇った「モノ作り国家・日本」のイメージを掘り崩すような醜態が大企業の幹部によって演じられています。さらに、ノーベル賞受賞(生理学・医学賞の大村智さん、物理学賞の梶田隆章さん)という朗報の一方、真理や人類の幸福を追求しているとばかり思っていた学者ー専門家たちの間に蔓延している(らしい)詐欺まがいの「成果主義」や大企業や国家権力と結びつく「出世主義」ー「保身主義」はもうそこまでやるのかと唖然とする他ない有様なのです。しかし、本当に重大なのは、そうした個人的事象(「小保方!」)なのではなく、そうした個人を当然の如く生み出す〈社会構造〉やそうした社会を支える〈基軸的イデオロギー〉そして〈基底的な価値観〉なのだと思います。そして、こうした日本国内の「劣化」は、もちろん、世界的な〈新自由主義〉や〈国家主義〉的な傾向の増大と歩調を合わせているといって良いでしょう。

   ところで、こうした日本社会の「劣化」と感じられる事態が、どの時代・どの時点との比較における「劣化」なのかを冷静に考えてみると、それは、江戸時代や戦前の日本社会とでは勿論なく、やはり、「戦後民主主義」や「高度経済成長」期のそれとであろうと思われるのです。確かに、「戦後民主主義」や「高度経済成長」には多くの《欺瞞》や《矛盾》が存在し、そのことがまた現在の日本社会の「劣化」を基底的に支えているのだとは思いますが、しかし、そうであるにもかかわらず、公害や社会保障や安全保障など、その時期における日本社会の「生活の質」およびそれに対する「安心感」の「向上」もまた事実であったろうと思われます。そして、そのことは、やはり、戦前の〈戦争〉や〈政治〉ー〈社会〉への「深い」反省に基づく「日本国憲法体制(基本的人権の尊重・国民主権・平和主義)」の存在が、戦後国際社会の中における日本の現実的在り方への《タガ》として働いたがゆえのことだったと考えられるのです。そして、これに対する、破廉恥になりふり構わず嘘をつきまくり「お友達」の利益を実現しようとする、アベの「戦後レジームの総決算」路線こそ、日本国憲法の《タガ》を外し、日本社会の「劣化」を引き起こしている主要な流れということができるでしょう。その復古的国家主義と新自由主義の醜い結合こそが、私たち〈一般ピープル〉の「人間らしい」(楽しく、安心できる)生活を掘り崩しつつあるといって良いのです。

   今、「新三本の矢」や「TPP」、「社会保障」や「安保法制」などを新聞や雑誌などを読みながら検討を進めていますが、その中で確信できるのは、アベの言説(「アベノスピークス」)とは、〈一般ピープル〉にとって、真逆のことを意味するということに他なりません。と言うよりも、その言葉は、まさしく、「目くらまし」のためにだけに発せられているもので、よくもこんな代物に我が〈一般ピープル〉は騙され続けるものだというのが正直な感想なのです。眉唾、眉唾!!! ということで、11月も終わりますが、この点に関する詳しいコメントは後日とし、次の一言をもって、2015年11月を閉めたいと思います。

日本社会の「劣化」は、日本国憲法の「民主主義」と「平和主義」の破壊によって進む!



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11月1日 新宿で

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人生の「応援歌」――ブルーハーツと「すきま風」

生きる意志(「愛」)の優しさと美しさ
   ―――タナトスを打ち破るエロスの輝き




   ※我が〈僕〉たる飼い主は、今年の四月から「きょうよう(今日用)」も「きょういく(今日行く)」もほとんど無くなり、「サロさん!やりたい放題だよ!」なんて大喜び。このところ、漫画を読んだり、変な音楽を聴いてばかりいます。僕にとっても、散歩の時間が長くなったのでラッキーなんだけどね

   

   
   先週は、井上雄彦の『バガボンド』(〜37卷)を読み終え、YouTubeで、「すきま風」やブルーハーツを聴きまくっていました。きっかけは、「姉貴」が吉川英治の『宮本武蔵』を読んで『バガボンド』もということになったので、私も途中まで読んでいたものをもう一度最初からというわけです。また、音楽については、時代劇の『東山の金さん』(杉良太郎)の主題歌を聞くところから始まって、推薦動画のブルーハーツにはまり込んでしまったのです。

  それにしても、この三つ、なんとも「統一性」(?)がありません。しかし、わたし自身、この歳(「アラ環」)になっても、人格的な統一性どころか、自分自身の矛盾した性格や感情に唖然とするしかないというのが実情なのです。自分が楽観的性格なのか悲観的性格なのかも判然としませんし、また、この年齢になってはじめて、心底から〈叫んだり〉・〈吠えたり〉する気持ちが実感として理解できるようになったりもしているのです(実際、車の中で叫んだりしていますw)。学生時代、フロイトの「無意識」やフロムの「無意識の意識化」などに興味を持ったことがありましたが、わたしの心の奥底にはフロイト言うところの〈エロス〉と〈タナトス〉(攻撃や自己破壊に向かう死への欲動)双方が存在し、それらが「愛」や「トラウマ」などといった心的「経験」と現在自分が置かれている現状を媒介として様々な影響を意識に及ぼしているのかもしれません。とにかく、人間の感情というのは厄介なものです。

   ところで、困難な局面や否定的な状況に直面した時、私たちはしばしばつぶれてしまいそうな気持ちを音楽によって救われた経験があるだろうと思います。ある時は、明るい水前寺清子の『365歩のマーチ』や心が湧き立つようなバーンスタイン=ニューヨーク・フィルのマーチ(『ワシントン・ポスト』や『忠誠』や『雷神』など)などもいいでしょう。しかし、もっと「深刻」な時には、そんな「能天気」な曲はとても耳にしてはいられないと感じます。そんな時には、チャイコフスキーの『悲愴』やモーツァルトの『協奏交響曲』の方が悲しみを「浄化」してくれるのです。「否定(涙・叫び)」を媒介とした〈乗り越え〉とでも言うのでしょうか。今回はまった『すきま風』やブルーハーツも、その演歌ヴァージョン、ロックヴァージュントと言えるのかもしれません。


   まず、『すきま風』(作詞:いではく/作曲:遠藤実)ですが、杉良太郎のほか、舟木一夫、美空ひばり、森昌子、北原みれいなど、多くの歌手がカバーしている「名曲」と言って良いと思います。個人的には、本家の〈味わい〉はもちろんのこと、八代亜紀の〈情感の豊かさ〉、そして、藤圭子の〈歌のうまさ〉には脱帽してしまいました。遠藤の曲は「不器用さ」を感じさせる作りとなっており(だから、かえって歌うのは難しそう)、それがまたいいのです!そして、なんといっても、この歌が人の心を強く惹きつけるのは、いではくの詩の力にあるのだろうと思います。一部だけ引用しておきます。

 人を愛して 人はこころひらき
 傷ついて すきま風 知るだろう・・・
 
 夢を追いかけ 夢にこころとられ
 つまずいて すきま風 見るだろう・・・ 

 「♪いいさそれでも 生きてさえいれば」、いつか〈やさしさ・ほほえみ・しあわせ〉にめぐりあえる。いやはや、励まされますねえ!この曲は、日本歌謡の〈湿っぽい〉優しさの一つの到達点のように思われます。


   さて、次は、THE BLUE HEARTSです。彼らのデビューは30年前の1985年。活動期間は10年間ですから、それはちょうど日本の経済大国化(→「バブル経済」)からバブル崩壊期に重なっています。そして、さすがに私も『リンダリンダ』は聴いたことがありましたし、名曲『青空』がNHKーTVで放映された時のことも記憶に残っていました。ただ、今回、YouTubeで彼らのライブの様子を初めて見、また、YouTubeで聴ける歌をほとんど聴くことができ、認識を新たにしました。カエルのように飛び跳ねながら歌うことのできる強靭な循環器系と幅広い人々の心をとらえることのできるキャラを持った甲本ヒロト、そして、私が理解できる限りにおいて、極めて高い音楽性を持つと思われるマーシーこと真島昌利。なにしろ、この10日間、私はほとんど飽きることがありませんでした。

   ブルーハーツの楽曲は、甲本ヒロトあるいは真島昌利が作詞・作曲したものを甲本が歌ったもの、そして、真島昌利が作詞・作曲したものを真島自身が歌ったものに大別できます。前者の代表が以下の各曲で、甲本の詩の機知に富む「大衆性」と彼の歌唱力によってメジャーたり得たと思われます。

 (1)人にやさしく 1987(作詞・作曲: 甲本ヒロト)
 (2)リンダリンダ 1987(作詞・作曲: 甲本ヒロト)
 (3)TRAIN-TRAIN 1988(作詞・作曲:真島昌利)
 (4)青空 1989(作詞・作曲:真島昌利)
 (5)情熱の薔薇  1990 (作詞・作曲: 甲本ヒロト)
 (6)1000のバイオリン 1993(作詞・作曲:真島昌利)

   (1)は「気が狂いそう」から始まり、「人は誰でもくじけそうになるもの」、そして、「がんばれ」と歌う、いわばロック版の「応援歌」でしょうか。(2)は「ドブネズミみたいに美しくなりたい」から始まり、「ドブネズミみたいに誰よりも優しく ドブネズミみたいに何よりも暖かく」と〈愛〉を歌い上げます。(3)は、若者達や混声3部の合唱曲にもなっているもので、「見えない自由が欲しくて 見えない銃を撃ちまくる 本当の声を聞かせておくれよ」とか「世界中のどんな記念日より あなたが生きている今日はどんなに素晴らしいだろう」という印象的なフレーズがあります。(4)は、NHK版が出色で、ヒロトの物憂さとバックコーラスのマッシーの叫びが融合した「名曲」です。(5)は、いろいろな疑問に対する「答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方 涙はそこからやってくる 心のずっと奥の方」そして「花瓶に水をやりましょう 心のずっと奥の方」と歌います。(6)は、「台無しにした昨日は帳消し」にして、これから「楽しいことをたくさんしたい 面白いことをたくさんしたい」と!実にいいですねえ(w)。さらに、金子飛鳥 編曲による弦楽合奏版の『1001のヴァイオリン』がまたいいのです!

   このほかにも、甲本の歌った『未来は僕らの手の中』、『TOO MUCH PAIN』、『すてごま』、『東京ゾンビ(ロシアン・ルーレット)』、『爆弾が落っこちる時』、『終わらない歌』、『ロクデナシ』、『英雄に憧れて』なども大変興味深いものです。ただ、甲本の歌も良いのですが、私は〈魂の叫び〉のような真島の詩と歌声がとても気に入っています。とりわけ、お気に入りは以下の3曲です。

 (7)チェインギャング 1987(作詞・作曲:真島昌利)
 (8)平成のブルース 1989(作詞・作曲:真島昌利)
 (9)俺は俺の死を死にたい 1993(作詞・作曲:真島昌利)

   (7)は、真島の自らを省みる力の迫力そしてそれを踏まえた前向きな姿勢が際立った作品ではないでしょうか。「世界が歪んでいるのは僕の仕業かもしれない」、「一人ぼっちが怖いからハンパに成長してきた」、そして、「生きているっていうことはカッコ悪いかもしれない 死んでしまうことはとてもみじめなことだろう だから親愛なる人よ そのあいだにほんの少し人を愛するってことを しっかりつかまえるんだ」ときます。う〜む。(8)は、実に機知に富んだ川柳のような曲で、「名誉白人」の「平成」の世がまだまだ続いているなと思わせる軽妙な曲です。また、「強行採決問答無用さ 強行採決いつでもそうだろう 問答無用で君たちクビだ」 同感!はははのはーっ!(9)は、「おれは俺の死を死にたい 誰かの無知や偏見で俺は死にたくないんだ 誰かの傲慢のせいでおれは死にたくないんだ」と自己の生と死への「自己決定権」を主張し、若いにもかかわらず「いつか俺はジジイになる 時間は立ち止まりはしない」と相変わらず自分をしっかりと見つめています。幼少期の読書体験や文学的素養も感じさせます。暇があったら是非聴いてみてください。

   それにしても、30年前「未来は僕らの手の中」と歌った彼らももう50歳を超えています。彼らは、私とは違って、「惑わず」・「天命を知る」ことができているのでしょうか。それとも、「いつまでたってもおんなじ事ばかり いつまでたってもなんにも変わらねぇ いつまでたってもイライラするばかり」(『平成のブルース』)なのでしょうか。


恥ずかしながら、若干の感想―――剣道全日本選手権2015

「全日本選手権」も時代とともに変わるのでしょうね。
 ―――西村選手の勝利を祝しつつ


   昨日は昼過ぎからテレビで剣道・全日本選手権の中継を見ました。秋晴れの文化の日、ちょっと外出でもしたい気分でしたが、恒例の試合を見ていました。結果は、熊本の西村英久五段(26歳)の初優勝となりました。決勝戦で神奈川の勝見洋介五段を降しての初優勝です。小手を得意とする西村五段ですが、いわゆる「瞬殺」の飛び込み面2本での勝利で、ニュース映像で結果を知ったファンは非常に清々しい気持ちになったのではないでしょうか。ただ、2本目の〈虚をついた〉面は、私を必ずしも清々しい気持ちにはしなかったのです。それは、やはり、どうしても、準決勝と準々決勝の「反則勝ち」とダブってしまうからです。それにしても、全日本選手権において、準決勝と準々決勝における連続する「反則勝ち」というのはあったのでしょうか。少なくとも、私の記憶にはないのですが。

   準々決勝は北海道の安藤翔選手との対戦でしたが、鍔迫り合いからの〈巻き落とし〉2本よる「反則勝ち」でした。〈正しい〉鍔迫り合いからの〈巻き落とし〉ということらしいので(?)、安藤選手に非があることは明らかなのでしょうが、鍔迫り合いからのなんらかの打突による決まり手ならばこのような気持ちにはならなかったでしょう。何か非常に複雑な気持ちにさせるものでした。さらに、準決勝は福岡の梅ヶ谷翔選手との対戦で、〈鍔迫り合い〉で両者反則の後、西村の小手に続く梅ヶ谷の引き面からの残心を、西村が追って「体当たり」、そして、梅ヶ谷「場外反則」で1本という展開でした。ただ、素人目からすれば、梅ヶ谷の面もなかなかなもので、また、西村の「体当たり」は「体当たり」というよりも、追って行って〈腕〉で突き出したようにも見えたのです。ですから、「奥さん」などは、「なにあれ?!」と大きな声を出したほどでした。

   「これで、決勝戦も・・・」と心配もしたのですが、勝美選手との決勝戦はそうした杞憂を払拭する極めてサックリとした内容となり、内心ホッとしたものです。ただ、国際試合の影響もあるのでしょうけれど、〈剣道は変わったなあ〉とつくづく感じてしまうところがありました。少なくとも、全日本選手権がこうした「反則勝ち」で展開するというのは、私のような素人のファンとしては望むところではないのです。試合のことも審判のこともよく知らない私ですからこれ以上のことを言うつもりはありませんが、来年の文化の日は天候と試合内容双方とも晴れ晴れとしたものであって欲しいと感じました。
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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