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アベ政治を許さない2016―――1月(2)

 アベ政治の本質は、「あとはどうにかなる」ではなく
    「あとはどうなっても構わない」でしょう



   ※アベは、今回の施政方針演説で、批判だけで対案を示さず、「あとはどうにかなる」という態度は国民に対して無責任だと野党(民主党)を批判しています。人間やましいことがあると、無意識のうちに防衛機制が働くもので(w)、それは、「あとはどうにかなる」どころか、眼前の「お仲間」の利益の実現のためには「あとはどうなっても構わない!」という自らの姿勢を隠蔽しようとするものに他ならないのではないでしょうか。実際、まさしく「暴走」としか言いようのないアベ政権の政策は、ことごとく、日本そして世界の〈一般ピープル〉にとっての新たな〈危機〉を招来するものに他ならないといえるのです。

高浜原発3号機の再稼働と原発輸出(武器輸出)

   福島原発事故後の汚染された土地と被害者たちの生活破壊の現状は、未だ、悲惨という他ないものに留まっています。しかし、アベ政権と「原子力村」は、あたかも、それが「収束した」かのように、あるいは、「大したことがなかった」かのように、住民の苦境を半ば放置しつつ、そして、その苦境に付け込みながら、再稼働と原発輸出を着々と推し進めているのです。そのうち、福島原発事故それ自体が「無かった」かのように扱われていくに違いありません。しかし、地震列島の上に存在する原発の安全性それ自体は勿論、放射性廃棄物の(最終)処分場すら定まっていない現状でどうして再稼働が可能というのでしょうか。まさしく、「あとはどうにかなる」というのでなければ、「あとはどうなっても構わない!」と考えているとしか言いようがありません。全く〈無責任〉の極致という他ありません。彼らの面の皮はなんでできているのでしょうか。
   また、武器輸出も同様です。日本製の武器で世界の〈一般ピープル〉が犠牲になることをどのように考え、どう責任を取ろうというのでしょうか。勿論、彼らは儲かれば「あとはどうなっても構わない!」と考えているのでしょう。しかし、そのことが引き起こす事態によって被害を被るのは日本の〈一般ピープル〉に他ならないのです。

   そして、このことは、甘利のTPPでも、黒田のマイナス金利の導入でも、同じことなのです。以下、次回。

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今年も「アベ政治を許さない!」―2016年1月(1)

驕るアベも久からず! 
  ―――あのようなたわけた空言が通用するものかね



  ※「なんじゃらほい。相変わらず〈不実〉じゃのう。」――アベの施政方針演説を読んだ感想です。アベは日本語を壊しているという人がいますが、要するに、彼の「言葉」は「現実」および彼の「本心」と乖離しているのです。それは「小賢しい」通産官僚のシナリオによるものなのでしょうが、彼の政治家としての最も大きな特徴は、そのことに対する〈恥〉の意識を全く感じさせない性格、つまり、日本人としては珍しいキャラにあるといって良いでしょう(w)。”under control"もそうでしたが、彼がしばしば発する「全くありません」とか「全く当たりません」という言葉は、議場で聞かれるあの調子に乗った下卑た合いの手にも見事に表れているように、自公支持者たちをも含めた主権者たる国民を瞞着するになんの羞恥心もない〈奢り〉を表しているのです。そして、細切れにされた断定口調の虚言だけが、さも本当のことのように〈御用マスコミ〉によって垂れ流されるのです。あのパート25万円の件にしても、「パートと言ってない」などとどのツラ下げて言えるのでしょうか。それは、あの言葉が出た文脈をYouTubeなどで確かめられない、あるいは、アベの言葉をそのまま信じるような人々に向けたプロパガンダでしかないのでしょうね。

   しかし、いくら日本国憲法の基本的用語や華々しいスローガンそして〈都合のいい〉数字を並べ立てたところで、彼の「真意」と国民レベルでの「現実」は覆しようもないのです。通常の知能を持ったわれわれ現代の一般ピープルにとって、関連する〈資料〉や数字の意味など、調べようと思えばすぐわかることなのですから。それにしても、このような鉄面皮なウソが恥ずかし気もなく使えるというのは、やはり、日本社会がその「共同性」を喪失してきているからなのでしょう。〈恥〉意識はやはり「同胞」(共同体成員)意識の中で生まれるものであって、そうした意識を持たない(持てない)人間間においてこそ、平気で〈嘘〉がつけるだろうからです。そうした意味で、全く非論理的に「論破」だの「フルボッコ」だの「反日」だのと虚言を弄している人たちの「親玉」アベが、実は、アメリカン・グローバリズム=新自由主義の同伴者・追従者として日本社会の「共同性」を無情にも破壊しつつあることは象徴的なことであろうと思われます。日本を汚辱しておきながら「美しい日本」などと声高に叫ぶ姿も同様の構造と言えるでしょう。

   1月も終わりに近くなりました。宜野湾市長選、慰安婦問題に関する日韓合意、バス事故と労働問題、TPPと甘利、株価と公的資金、原発再稼働と電力自由化、憲法改正と緊急事態法、そして、参院選に向けての野党共闘等々、考えることはたくさんあります。次回はこれらについて、触れてみたいと思います。

   ―――サロさん!そんなわけなんだよ。

困ったもんなんだねえ
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琴奨菊の優勝おめでとう!

 これで結婚披露宴も盛り上がりますね
   ―――10年ぶりの「日本出身力士の優勝」とか




13日目、琴奨菊と嘉風を応援!
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  ※1月22日(金)両国国技館に大相撲初場所を見に行きました。ところが、寒波襲来を受けて、チケットを取ってくれた友人は見に来ることができませんでした。その代わり、友人もご贔屓の琴奨菊と嘉風を大きな声で応援してきました。先ほど、テレビで、琴奨菊が優勝したのを見ました。ケガで苦しんでいた琴奨菊の笑顔を見て、本当に良かったと思いました。場所後には結婚披露宴が予定されるということで、”可愛い”奥さんの応援も大きく影響していたのかもしれません。また、10年ぶりの「日本出身」力士の優勝ということもあり、国技館も大いに盛り上がったことでしょう。


よう、菊バウアー! しかし、この日は
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  ※ところが、私たちが行った13日目には、琴奨菊、中学時代からのライバルである豊ノ島に”コロッ”と負けてしまいました。14勝1敗での優勝でしたから、唯一の黒星だったわけです。いやー、ショックでした。これで、優勝はまた白鵬だと落胆したものです。ただ、「狂い咲き」(?)の嘉風が勝ってくれたので、私としては満足でした。また、館内の雰囲気は、歌舞伎や文楽とは一味違った、家族や友人たちと好き勝手に話をしながら声援する、なんとも言えない良さがありました。やみつきになるかもしれません。


🎶トコトントコトン〜櫓太鼓の音が心地よい!
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  ※ただ、白鵬の取り組みを見ていて、何か複雑な気持ちにもなることもありました。北の湖もそうでしたが、強すぎる横綱は「憎まれ役」になることがしばしばあります。しかし、白鵬の場合にはやはり「国籍」あるいは「出身地」の問題も大きいのかもしれません。国技館の雰囲気も、外国出身力士への声援や賞賛の拍手もないわけではありませんが、いわゆる「ナショナリズム」と無縁ではないように思われました。ただ、これまでの「国技としての大相撲」にとって、白鵬・日馬富士・鶴竜など外国人力士の果たした功績はとてつもなく大きいものと言えましょう。また、彼らの「相撲道」への取り組みも頭がさがるものです。私自身、照ノ富士に期待していますし、〈力士〉としての碧山や栃ノ心にも好感を持っています。そして、アメリカ大リーグにおける日本人選手の状況を考えるとき、日本の大相撲はどうなのだろうかと心配になることもあります。琴奨菊の優勝は大変嬉しいのですが、それが偏狭な「ナショナリズム」と結びつくことないように強く望みたいと思います。それが大相撲の一層の発展に結びつくことになるだろうと思います。強く人気のある外国人力士がいない大相撲などもう考えられないからです。

  まずは、琴奨菊関!優勝本当におめでとう!

『小狐礼三』を観る―――一般ピープルの矜持!

   歌舞伎の様式美が美しい!
      ―――心をとらえる〈歌舞伎〉役者・菊之助



新春にふさわしい〈晴れやかさ〉
子狐礼三

1月13日 河竹黙阿弥=作『通し狂言 小春穏沖津白浪―小狐礼三―』
                (国立劇場・大劇場)      

  天下の大盗賊・日本駄右衛門、妖艶で大胆不敵の女盗賊・船玉
  お才、狐の妖術を操る美男の盗賊・小狐礼三の活躍。歌舞伎の
  醍醐味に溢れた趣向で魅せる、明るく楽しい初芝居!
   
      尾上菊五郎   日本駄右衛門
      中村時蔵    船玉お才  
      尾上菊之助   小狐礼三  


   ※正直言えば、年が改まっても、「おめでたい」気分には全くなれない世情です。時代劇を見ていると、幕藩体制などとっくに崩壊していただろう程たくさんの偉いさん達が「成敗」されていますが、今の世の中ときたら、「巨悪」ともいえないような「悪人」どもの見え透いた〈悪行〉が、お仲間の「よみうり」などに守られながら、大手を振ってまかり通っているといった有様なのです。こんな世情ですから、呑気に歌舞伎見物でもないのでしょうが、逆に、幕末江戸庶民の心意気を感じ取ることも悪くはないのではないでしょうか。

   幕が開くとすぐに、花道に白狐が登場します。おお、サロさんよりもスリムだぜ!それが第一印象です。それにしても、『義経千本桜』の源九郎狐もそうですが、色が白いんですよね。伏見稲荷の白狐に関係があるのでしょうか。

   さて、この公演を観たいと思った動機は、尾上菊五郎ー菊之助父子を直接見てみたいというものでした。結果は、大満足!とりわけ感心したのは、歌舞伎らしい「様式美」溢れる演技と「一般ピープルの矜持」の表出です。また、華やかな趣向(けれん)も、俗受けを狙ったいやらしい誇張や不自然さは感じられず、実に爽やかな輝きを放っていました。「よう菊之助!あんたは藤純子の息子でなくてもえらい!」とか「菊五郎さん、良かったねえ。これからが楽しみだ!」などと声をかけたくなりました。

   ところで、今回の演目は、「河竹黙阿弥生誕二百年」を記念して行われた「白浪物」の一つです。「白浪物」とは、盗賊が主人公の作品で、当時の江戸庶民から絶大な人気を博したといわれています。ただ、『小狐礼三』は、「胡蝶の香合」の紛失をめぐる大名・月本家のお家騒動を背景とする時代物の性格も有し、月本家の元家臣である日本駄右衛門とその仲間たち(船玉お才、子狐礼三)による「敵討ち」という性格もあって、いわゆる「白浪物」という面では、庶民生活の機微やユスリやタカリなどの場面を多くもつ『白浪五人男』や『三人吉三』などよりもマイルド(?)な性格のものになっていると言えるでしょう。しかし、主人公はあくまでも盗賊達です。

   それでは、なぜ歌舞伎に白浪物なのでしょうか?この問題を明らかにするためには、当時の時代的背景や作者=河竹黙阿弥の個人的資質など、より詳細な検討が必要のようです。ただ、そうした作業は私の手に余りますので、ここでは、当時の江戸庶民がこれらの主人公達をどのように見ただろうかを、私なりに想像してみることにします。

   まず言えることは、この盗賊達はとにかく「かっこいい」のです。一般的に歌舞伎の時代物で感じられるのは、その悲劇性をも含めた、武士の「かっこよさ」に対する庶民の〈憧れ〉でしょう。しかし、同時に、今回の月本家のお家騒動に対しても見られるように、それとは真逆の〈軽蔑心〉―――侍と言ったってなんだあの〈不忠〉と〈えげつなさ〉は!―――も読み取ることができるのです。とはいっても、そう感じる庶民の生活それ自体は、やはり「かっこよく」生きることの難しい過酷なものであって、また、彼ら自身、そうした現状を払いのけるだけの〈強さ〉の欠如も意識せざるを得なかったことでしょう。そうした中で、同じ庶民たる「白浪」たちが、そうした〈弱さ〉を克服し、「かっこよく」生きる様は、痛快に感じられたに違いありません。その格好良さは、三幕第三場「隅田堤の場」における三人三様の名セリフに極まるのですが、彼らは、たとえそれが盗賊という「悪事」を働くものだったとしても、自らの境遇に泣き寝入りしない〈強さ〉を持ち、そして、自らの価値観(〈義理と人情〉を大切にして生きる)にプライドを持ち―――その最高の形態は日本駄右衛門のような「義賊」のそれです―――、そして、最後には、自らの価値観に殉じ、『平家物語』や『曽我物語』の武士たちのように華々しくそして潔く身を処する覚悟をも示すのです。さらに、『小狐礼三』では、そうした生き方に「理解」を示す武士たちによって、三人は「見逃され」、初春の大団円となるのです。

   私は、こうした物語の展開の中に窺われる江戸庶民の感覚は、決して悪くはないと感じるのです。つまり、それは、封建的道徳や一部の宗教的思惟の中に見られる権威主義的盲従やズブズブの現状肯定とは異なる〈批判精神〉を持ち、さらに、単純な勧善懲悪とはいえない、底辺で生活する人々に対する〈多面的な人間把握(=寛容性)〉をも合わせ持っていると感じるからです。そうした感覚は、私たちの世代で言えば、管理社会や拝金主義、戦争や貧困などに抗して歌われたフォークソングやロック・ミュージックの歌い手たちにも似たような性格を見ることができるでしょう。もちろん、そうした中には、社会問題の基底に迫る視覚を持たず、金や名誉を手に入れてしまうと、一転して現行秩序の正当化に手を貸すといった「醜態」を晒す例もあるのですが、社会的な矛盾や不安に晒されている「一般ピープル」にとって、彼らは大変魅力的なキャラクターに感じられるといって良いと思います。

   今私たちが必要としているのは、社会を実体的に支える普通の人々が、胸を張って、人間らしい生活を営むことができる社会を実現していくことです。そのためには、普通の人々と有機的に結合したエリートも必要でしょうが、そうした〈一般ピープル〉自身の自覚と行動こそが最も重要なことと思います。こうした点において、文楽や歌舞伎の時代の普通の人々の思想や行動には、反省的にではありますが、学ぶべき点が多々あるように思われるのです。今年も、できるだけたくさん、歌舞伎や文楽を見てみたいと思います。

   
  ―――それにしても、芝居に出てきた白狐は可愛かったよねえ。サロさんも、白柴で、もう少し痩せていれば、あの白狐くんに似てるかもね。でも、性格はポンポコ狸かなあ


白狐?なんだいそりゃあ
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『東海道四谷怪談』を観る――鶴屋南北の名作を楽しむ

  けれん味あふれる面白さ!
    ―――幸四郎・染五郎父子の「芸の継承」は?


         
国立劇場大劇場・ロビーにて
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   ※昨日(1月16日)、「2nd兄貴」と「姉貴」の3人で、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』を観てきました。それも、初めてIMAX3Dというやつであの〈こだわり〉の作品を観たものですから、「う〜む!アメリカは侮れない」と、改めて強く思った次第です。やはり、ルーカスの「神話」は宮崎の「神話」(『風の谷のナウシカ』)の強力なライバルと言えるでしょう。
   それにしても、今の私は「道楽爺さん」そのものと言っていい有様です。年末から年始にかけて、歌舞伎を2回も観てしまいました。そんなわけで、今日はそのうちの一つについて報告しておきたいと思います。


12月22日 四世鶴屋南北=作 『通し狂言 東海道四谷怪談』
                      国立劇場・大劇場

     松本幸四郎  民谷伊右衛門・石堂右馬之丞
     市川染五郎  鶴屋南北・お岩・小仏小平、佐藤与茂七
              大星由良之助(5役) 




黄葉したイチョウーー国立劇場に向かう街路で
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   ※以前、染五郎のラスベガス公演について少し不満を述べたことがありましたが、今回の『東海道四谷怪談』については、〈娯楽〉としての歌舞伎を追求しようとする彼の「若さ」と姿勢が大変好ましく思われました。なにしろ、「早変わり」・「髪梳き」・「戸板返し」・「仏壇返し」・「宙乗り」等々、面白くてしょうがありませんでした。もちろん、なぜ私たち〈一般ピープル〉がこうした趣向を好むのかについては別途検討も必要なのでしょうが、こうした大変わかりやすい楽しさを否定しては歌舞伎の魅力は失われてしまうといって良いでしょう。
 
   ところで、今回のこの公演の特色の一つは、あの人形浄瑠璃ー歌舞伎作品として有名な『仮名手本忠臣蔵』との関係性を強調していることです。なぜ〈冬〉に『四谷怪談』なのかというと、赤穂浪士の討ち入り(12月14日)と関係があるからです。さらに、塩冶浪人・民谷伊右衛門とお岩との関係は、『仮名手本忠臣蔵』における早野勘平とお軽との関係(「元禄バージョン」)の「文化文政バージョン」と考えることもできるのではないでしょうか。ところで、赤穂浪士の討ち入りは荻生徂徠の『政談』にも出てくる大きな政治問題であったわけですが、『仮名手本忠臣蔵』は、ある意味で、武家社会の道徳「忠義」を逆手に取った幕政批判と言えるのでしょうし、さらにまた、その「忠義」それ自体に対する人間性の観点からする批判であったかもしれません。そう考えたほうが、封建的秩序に抵抗する「かぶき者」の理念に近いように私には思われます。そして、それがさらに鶴屋南北の時代になると、もう「色悪(悪事を働く冷血で美しい二枚目)」が「魅力溢れる」(?)キャラクターとして受け止められるような世相になっていたというわけです。

   このような、ある意味で「リアル」な人間観を前提とするならば、「悪の『華』を演じたい」という幸四郎の言葉も意味を持つことでしょう。すなわち、「悪は理屈を超える。僕の心の底にも悪へのあこがれがある。それが人間ではないだろうか。悪も行き着くところまで突き詰めたら魅力を放つ。それを舞台で表現するのが、歌舞伎劇の特色の一つだろう」というわけです。これを『スター・ウォーズ』流に表現するならば、フォースのダーク・サイドということになり、なぜダース・ベイダーに人気があるのかという秘密もそこにあるということになるでしょう。ただ、そうはいっても、欲望の充足のためには何をやっても倫理的に許されるということにはならないでしょう。すなわち、人間の様々な側面とその衝突を前提としながら、人類あるいは個人はどのような方向に進んできたのか、あるいは、進むべきなのかがやはり問題になるわけです。こうした点において、「忠義」を全うした四十七士とそこから「落ちこぼれた」人間たちに対する作者や観衆の受け止め方は非常に興味深いといわなければなりません。そして、同様なことは、河竹黙阿弥の「白浪もの」ー『子狐礼三』についても言え、この点については、次回に触れたいと考えています。

   最後に、幸四郎ー染五郎父子の関係についての感想を述べておきます。歌舞伎の世界はいわゆる「世襲」が基本のようですから、当然、父から子への芸の継承はかなり気になるところです。例えば、『連獅子』における今は亡き(17代目)勘三郎と(5代目)勘九郎の共演などをYouTubeでみると、父の芸を継承し越えんとする勘九郎の才能と心意気が強く伝わってきます。そうした視点で今回の公演を見ると、個人的には幸四郎にもう少しニヒルさがあってもいいのではないかと感じた一方、染五郎に対しては、お岩役での熱演はもちろん、鶴屋南北や大星由良之助などにおいても「風格」が感じられ、染五郎の舞台を直接見たのは3回目位でしかないのですが、かなりの「成長」と意気込みが感じられたように思います。両者は〈資質〉の点でかなり相違があるように感じられるのですが、染五郎が今後その〈芸〉を父親との関係でどのように展開していくのか大変興味深く思われました。

  
「ああ、面白かった!」ーー提灯が嬉しいねえ
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大江戸散歩2015・〈追加〉写真集―――含・番外編

人間の〈文化〉の香りがする!
   ――皇居・神田明神・築地・東京タワー・土気・佐倉



   ※私は、昨年春から、余裕がある限りにおいて、できるだけ色々なところを訪れてみたいと思っています。まずは身近な場所からということになりますが、いやはや、〈世の中〉実に面白いものです!知らないことが沢山あるのです。今回は、これまでブログで紹介していなかったものをいくつか挙げておきます。

【江戸城(皇居)半周1】(5月初旬)―――東京だよおっ母さん!
  経路:東京駅〜大手門〜坂下門〜二重橋〜桜田門
     〜国立劇場伝統芸能情報館〜永田町駅

やはり日本の城郭だよね!
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  ※武道館のある北の丸公園は別として皇居にはあまり縁がありませんでしたので、退職を機に江戸城一周の計画を立ててみました。そして、5月1日(金)、早速「奥さん」と二人勇んで出発しました。ところが、金曜日は、出発点と考えていた大手門が閉まっているではありませんか!やはり、縁が薄かったのですねえ。しかし、縮小されたこの江戸城半周の旅も楽しさいっぱいのものとなったのです。


♪あれがあれが二重橋

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  ※私は、幼い頃流行った島倉千代子の「東京だよおっ母さん!」という歌をよ〜く覚えています。しかし、この歳になるまで、二重橋を直接見たことはありませんでした。そんなわけで、実は色々な想いもあったのですが、やはり、「♪記念写真を撮りましょうね〜」、ということになったのです(笑)。


桜田門外から国会議事堂方面

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  ※広大な堀と敷地。巨大で重厚な門。しかし、1657年の明暦の大火で、江戸城は天守閣を含むその大半が消失したというのだから恐ろしいですねえ。さて、写真には国会議事堂が見えていますが、この後、私たちは、憲政記念館前の公園で遠足気分で昼食をとり、国立劇場伝統芸能情報館の「企画展示・文楽入門」で文化的雰囲気に浸り、満足しながら帰路に着いたのでした。


【神田明神から秋葉原】(5月中旬)―――江戸の下町を歩く
  経路:御茶ノ水駅〜神田明神〜湯島聖堂〜(昼食)〜神田駅
     〜お玉稲荷〜柳森神社〜秋葉原駅


神田明神「ご遷座400年奉祝大祭」の年に

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  ※5月15日、新宿・武蔵野館で『ハーツ・アンド・マインズ―――ベトナム戦争の真実』を見た後、江戸総鎮守・神田明神へ向かいました。神田明神の近辺は、「明神下の銭形平次」でもお馴染みのように、江戸下町の中心といっても良いでしょう。とりわけ、昨年(平成27年)、神田明神は「ご遷座400年奉祝大祭」で賑わいをみせ、当日も写真に見られるようなイべントが行われていました。神田明神を出てからは、孔子像のある湯島聖堂、そして、昌平橋近くの中華料理店で昼食をとった後、神田駅経由で「お玉ヶ池種痘所跡」から「お玉稲荷」に足を伸ばしました。ビルに張り付き、あるいは、ビルの谷間に埋もれているその姿に、逆に時代を感じてしまいました。


江戸の下町情緒溢れる柳森神社

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  ※神田明神や湯島天神も悪くはありませんが、私は、このコンパクトで庶民的な雰囲気が大変気に入りました。とりわけ、キツネやタヌキの像には、サロさんに対するのと同じような親近感を覚えました。やはり、動物たちは、私たち人間とその「根源」である《自然》との「媒介者」なのではないでしょうか。当時の人々が、動物たちに対して抱いた様々な想いが興味深く偲ばれました。


【築地〜月島〜東京タワー】(5月下旬)
       ―――東京タワーに初めて登る東京人もいるのだ

  経路:浜松町駅〜築地市場(昼食)〜波除神社〜中央大橋〜月島
    〜勝鬨橋〜浜離宮〜御成門〜東京タワー〜増上寺〜浜松町

今年豊洲に移転する築地市場へ行く

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  ※ 今年の11月に江東区の豊洲に移転することになっている築地の中央卸売市場。その前に是非にと思い、友人に案内してもらうことにしました。この移転には様々な問題点も指摘されていますが、江戸の情緒がまたひとつ消えていくことは確実です。そして、私たちは、賑わいを見せる隣接した市場街の食堂で海鮮丼を食べ(うまい!)、串刺にした焼きかまぼこを頬張りながら、往時の雰囲気を楽しんだのでした。


波除(なみよけ)神社のおみくじも「小吉」

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  ※市場の近くに波除(なみよけ)神社があります。波除(なみよけ)というからには、やはり、この辺りも津波に苦しんだのでしょう。それにしても、ここから新橋演舞場や歌舞伎座は目と鼻の先です。そして、隅田川をはさんで、月島ー晴海です。なるほど、これが江戸の下町なわけだ。


勝鬨橋を背に:隅田川に親しむ

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  ※築地を出て隅田川の右岸を北上しました。両国橋近辺も悪くありませんが、この遊歩道は隅田川の良さをより強く感じさせてくれます。♪春のうららの隅田川〜、両国の花火等々、江戸の下町の人々にとって隅田川はさぞかし身近かな川だったことでしょう。


中央大橋からスカイツリー

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  ※中央大橋で隅田川を渡りましたが、橋からは両国方面や東京湾方面が見渡せました。あの東京スカイツリーにも行ってみたくなります。また、友人オススメの隅田川「川めぐり」も、ちょっと値が張るとはいえ、今年は是非実現したいと思います。中央大橋からは、月島を抜けて勝鬨橋から築地に戻り、その後、浜離宮ー御成門経由で東京タワーに向かいました。


”憧れの”東京タワーから東京湾を望む

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  ※友人は、東京生まれの東京育ちですが、東京タワーには登ったことがなかったので、是非行きたいと考えていたようです。私は、小六の北海道から上京した折、親戚の叔父さんと従兄弟と共に登った経験がありました。また、20年ほど前には、育ち盛りの子供達と一緒に登り、帰りがけには、テレビ番組でお馴染みだったスターボウル(?)でボウリングをしたこともありました。展望台からの眺めは、東京の巨大さとともに、その「狭さ」を同時に実感できます。当日、富士山は見えなかったものの、遠望はきき、友人は、しみじみと、そして、子供のように喜んでいました。




【江戸城(皇居)半周2】(7月中旬)
        ――天守閣のないことの意味は!

  経路:神保駅〜北桔橋門〜皇居東御苑〜千鳥ヶ淵〜戦没者墓苑
     〜靖国神社〜市ヶ谷駅

皇居東御苑・江戸城天守閣跡

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  ※今回の江戸城探訪は、前回見逃した皇居東御苑を中心としました。東御苑には、江戸城天守閣跡があります。それにしても、江戸幕府の権力の象徴だった江戸城に天守閣がない・・・このこと対して私もはっきりとした認識を持っていませんでした。しかし、その背景には、300年に渡る〈太平の世〉を築き上げた江戸幕府の政策があったのです。このことに関しては、今年1月3日、NHK/BSで放送された『ザ・プレミアム“大江戸炎上”』を是非見ていただければと思います。この番組では、明暦の大火で消失した天守閣がなぜ再建されなかったのかという疑問を、将軍補佐役だった保科正之の江戸再生に向けた思想と行動を中心に明らかにしています。彼の「安民」主義と「太平」主義は、今の政治屋どもには見られない、極めて高い政治的倫理性を有していたようです。「奥さん」に頼まれて、『天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災』(中公新書)という本も買いましたが、磯田道史という学者さんは本物の歴史好きに間違いないようです。


夏の「桜の名所」千鳥ヶ淵

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  ※東御苑を一周して、千鳥ヶ淵の遊歩道から「戦没者墓苑」そして「靖国神社」に向かいました。このことに関しては以前ブログに書きましたので(『アベの好きな靖国神社に行ってみた』)そちらを見ていただければと思います。ただ、桜の季節も素晴らしいのでしょうが、猛暑ではありましたが、葉桜のこの季節も良さはあると感じたことを付け加えておきます―――「季節の中で一番喜びをもたらしてくれるのは、夏であり、秋であり、冬であり、春である」(ウィリアム・ブラウン)。



【土気〜佐倉】(12月下旬)―――ホキ美術館と『夷酋列像展』
  経路:東京駅〜外房線・土気(とけ)駅〜ホキ美術館〜土気駅
     〜JR佐倉駅〜国立歴史民族博物館〜京成佐倉駅
     〜京成上野駅〜(夕食)ーアメヤ横丁〜JR上野駅

ホキ美術館前で

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  ※友人がオススメの場所があるというのでついて行きました。それが千葉県千葉市緑区あすみが丘にある「ホキ美術館」です。この美術館は、世界でも稀な〈写実絵画専門〉の美術館で、当日は、5周年記念の『3つの個性―表現の可能性を探る―五味文彦・大畑稔浩・島村信之』という企画も見ることができました。若い頃、上野の美術館でルネサンス期の油彩画を見て「本物みたいだ」と驚いたことがありましたが、写実絵画は写真よりも立体的で本物に近い質感を表現できるようです。私は、「絵画らしい」大畑稔浩の絵が気に入りましたが、友人の話によると、「関西からこの美術館を見るために来て1日居ても飽きなかったという人がいた」らしいのですが、それは他の画家たちが描いたモデルさんたちの美しさゆえではないかなどと考えたりしました(笑)。とにかく、一見の価値はあると言えましょう。館内撮影禁止ですので、ホームページをご参照ください。


国立歴史民俗博物館ー浮世絵は美しい

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  ※千葉県佐倉の国立歴史民俗博物館は、友人は初めて、私にとっては2度目の見学でした。施設は充実した内容を誇り、それこそ1日見ても飽きることはなさそうです。展示室は、第1(原始・古代)、第2(中世)、第3(近世)、第4(民俗)、第5(近代)、第6(現代)に分かれており、また当日は、『夷酋列像展 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界』展を見ることができました。写真は、近世の錦絵ですが、実に素晴らしいものだと感じます。


江戸の見世物

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  ※写真は、江戸時代後期から流行した見世物(軽業・曲芸・巨大な人形・繊細な細工・からくり仕掛けの人形芝居など)のひとつですが、展示品のそれぞれに高い技術とセンスが感じられました。近いうちに、歌舞伎『東海道四谷怪談』について書きたいと思いますが、江戸時代版のアミューズメントパークに当時の人々は心を躍らせていたことでしょう。


これは懐かしい昭和の街角

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  ※これほどの密度ではありませんでしたが、私の幼い頃の盛り場の風景を興味深く再現しています。夜間に近づくことはありませんでしたが、なにやら怪しげな雰囲気を感じたものです。酒の飲めない私には成人してからもあまり縁はありませんでしたが、今も、地方都市や東京の下町の狭い路地やガード下に、こんな雰囲気の場所が残っていますよね。


これは本物のゴジラ製作者による「ゴジラ」

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  ※「新春の この青空の下 水爆かい」―――レコード大賞のではなく、朝鮮半島の「三代目」がまたやらかしてくれました。その理由は、戦争法案を強行採決した日本列島の「三代目」と同じく、「抑止力」論です。水爆怪獣ゴジラはこうした状況をどう感じていることでしょうか。実被害者たちを置き去りにした、日韓両政府による「慰安婦問題」の「最終的かつ不可逆的な解決」も同じですが、各国の政治権力者たちの〈思惑〉により「勝手に決められた」政策で、どれほど多くの一般ピープルが泣いたことか。人間だけではない。爆心地の動植物たちもどれほど苦しめられたことか。本当に、いい加減にせいよ!三代目!


夜のアメヤ横丁

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  ※歴博を出て京成佐倉まで歩き、上野まで特急で帰ってきました。その後、あるチェーン店で忘年会をしました。考えてみると、2015年はこれまでよりは色々な所に行けたようです。その後、あまり「夜遊び」をしなかったサーヴァントは、京成上野からJR上野までの間で、初めて夜のアメ横を通ることができました。私の人生とはこんなものなのですねえ。今年も、色々な所に行ってみるつもりです。

謹賀新年―――2016 ムリキの年

   新年あけましておめでとうございます
         みなさんにとって良い一年でありますように!


             2016年1月4日 サロ・ムリキ
                     サーヴァント・ムリキ


新春の寒桜
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  ※テレビをほとんど観ない子供達に「テレビっ子」と揶揄されるサーヴァントは、年末・年始をYouTubeとテレビで過ごしました。特に、カール・ベームのリハーサル風景などの音楽もの、そして、『永遠のターシャ・チューダー』の再放送も良かったです。「人生は短いのよ。思い切り楽しみなさい。」しかし、〈本当の喜び〉を得るためには、「辛抱」も必要なんですね。刹那的で自堕落な生活に陥っていた私にとって、ターシャの言葉はまさしく《福音》のように聞こえました。ああ、これで私も立ち直れそうです!これからは、私も、野菜作りだけでなく、もう少し庭の花木の面倒も見てやることにします。
   また、『100分de平和論』も良かったですねえ。アインシュタインもフロイトもブローデルも井原西鶴もヴォルテールもみんな平和を求め、悩み考えていたわけだ。そして、この番組は、〈対話〉の文化、格差を生み出さない「スローライフ」、〈信頼〉を作り出しそれを〈持続〉すること、「平和」への祈りと考察など、私たち〈一般ピープル〉が心の中に平和の砦を築くためのヒントを与えてくれました。状況は厳しくはありますが、あきらめることはありません。
   ところで、2日には、箱根駅伝に影響されて5キロばかりジョギングを敢行しました。すると、見知らぬ小童に「ジッちゃんがんばれ!」と応援されてしまいました。相当辛そうだったのでしょう。まあ、無理はいけませんね。また、2日の『ブラタモリ家族に乾杯新春真田丸スペシャル』はおもしろかったです。今年の大河ドラマは期待できそうに思います。それにしても、NHKニュースは本当に「大本営発表」になってしまいました。
   さて、3日にはあの〈母校の襷〉の箱根駅伝も終わり、今日は床のワックスがけも終わったので、そろそろブログを再開しようというわけです。その前に、ちょっと、キャベツとジャガイモを収穫してくることにします。

今年もよろしくね
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  サロ 「今年は〈申〉年だけれど、僕たちの苗字はどうして「ムリキ」なのかな?」
  ―――それはね、サーヴァントが「ムリキ」という「平和」的なおサルさんに憧れているからだよ。
  サロ 「そうなんだ。でも、犬猿の仲なんてことも言うよね。」
  ―――永田町のパンツをはいたおサルさんたちなんかは、怖いよねえ。でも、犬と猿も小さい時から一緒に育つととても仲良くなるんだそうだよ。それに、パンツをはいたサルの〈ベストフレンド〉は犬だというし、それがムリキならもっと仲良くなれるはずだね。
  サロ 「なるほど。パンツをはいたおサルさんたちもみんなムリキさんのようになってくれるといいんだけれどねえ。」
  ―――人間だって「愛」と「共同性」の遺伝子をしっかりと持っているはずだから、そのうちなんとかなるんじゃないの?!
  サロ 「そう願いたいもんだねえ


この青空のように
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  ※それにしても、春のような暖かさです。我が家の梅や蝋梅、そして、水仙やバラたちも目を覚ましています。
   過ごしやすい新春ですが、日本と世界の状況は、この異常気象と同様に、けっして楽観できるものとは思われません。とりわけ、日本は、戦争法案の強行採決、原発再稼働、TPP、そして武器輸出等々、アベッチの暗雲が広がっています。それらは、一部の人間たちが狭隘な私利をむさぼるための、嘘と偽りで塗り固められた醜い所業という他ないものです。それにしても、あの逡巡や臆面すらない、あまりにも〈軽〉すぎる似非エリートたちの姿は、日本の歴史の中にあっても、稀有なものと言っていいのではないでしょうか。私たちは、この暗雲が地上の「命」を大規模に破壊してしまう前に、彼らの欺瞞を白日の下に晒し、青空を取り戻さなければなりません。そのために、私も、《等身大》の〈政治参加〉を今年も続けていきたいと考えています。今年もよろしくお願いいたします。

    今年がみなさんにとって良い年でありますように!
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2019年11月現在満13歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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