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今月の「楽」・旅行編―2016年2月 

 「のぼうの城」と泉岳寺
  ―――成田氏と元禄の「テロリスト」たちを想う



   ※この歳になっても、やはり好奇心はできるだけ多く満たしてみたいものです。特に、この頃は時間が飛ぶように流れていくものですから、一日も無駄に出来ないという思いが強まっています。そんなわけで、今月も、以前から行きたいと思っていた、映画『のぼうの城』の埼玉県行田市「忍(おし)城」近辺と、赤穂浪士の墓のある東京高輪「泉岳寺」に行ってきました。

  
〈「のぼうの城」へ〉

「石田堤」の全貌とは
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  ※私は『のぼうの城』を2回観ていますが、そのハイライトは、後に関ヶ原の合戦で西軍の大将となる、石田三成による忍城水攻めです。それが実際どのようなものであったのかはよくわかりませんが、上の地図を見ると、その時築かれた「石田堤」がいかに巨大なものであったかに驚かされます。今回は、その忍城から「石田堤」を見て回ることにしました。言うまでもなく、移動手段は小回りの効くバイクが最適です。


「史跡 忍城の鐘」
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  ※「忍の浮城」と言われたという成田氏による忍城は現存せず、今あるものは、江戸時代に造られ、明治維新後に取り壊された、三層櫓(やぐら)を再建したものです。写真は、江戸時代につくられた鐘と思われます。また、敷地内には、行田市郷土博物館がありますが、中世以降の歴史的資料が充実しており、興味深く見ることができました。


現存する2箇所の「石田堤」跡
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    ※忍城から「さきたま古墳公園」に向かいました。古墳公園には「さきたま史跡の博物館」があり、稲荷山古墳出土の「金錯銘鉄剣」や「古の名品展」などを見ることができます。私は、最近、姫神の「空の遠くのはるかな声」や縄文語で歌われているという(?)「神々の詩」などをよく聞きますが、縄文時代などの遺品を見ていると、時間の流れなどあっという間に飛び越えて、彼らの世界に入って行きそうな感じになることがあります。少なくとも、生まれてきた子供たちには全く違いはなかったことでしょう。
   さて、1枚目の写真は、1590年、石田三成によって築かれた堤の上に造られた桜並木です。堤は長さ28キロにも及ぶ長大なもので、わずか1週間で築かれ、利根川と荒川の水を流入させたと言われています。また、後方に見える丸墓山古墳の上には石田三成の本陣が置かれたと言います。きっと、古墳だとは気付かなかったのでしょう。2枚目の写真は、下忍付近の堤の上に残っている250mほどの松や檜葉の並木です。周囲を囲む強大な敵に対峙した坂東武者達はどのような気持ちだったのでしょうか。



  
〈高輪泉岳寺へ〉


江戸城無血開城へ!―――勝・西郷会談の地
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  ※文楽や歌舞伎の時代ものを見ていますと、赤穂浪士の「仇討ち」はやはり江戸庶民の気持ちを理解する上で非常に重要な位置を占めるもののように思われます。そこで、今回の〈大江戸散歩〉は、「赤穂義士」の墓のある東京都港区高輪の泉岳寺にしました。ところで、上の写真は、その前に立ち寄った、田町薩摩邸跡の石碑です。1868年3月14日、この場所で江戸城無血開城を決した勝と西郷の会談が行われたのです。江戸庶民の多くの命を救うことになったろう勝と西郷。そして、それに向けて勝を助け、働いた「一刀正傳無刀流」山岡鉄舟。いろいろなことが思い起こされます。それにしても、江戸時代、この屋敷のすぐ裏は、落語『芝浜』で有名な、海岸だったのですね。つくづく思います。某総理大臣に『芝浜』や『井戸の茶碗』でも聞かせて、真っ当な人間になってもらいたいものだと!


泉岳寺・赤穂浪士の墓
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  ※右手の屋根付きのものが大石内蔵助の墓で、(見えませんが)その右側に浅野内匠頭の墓があります。討ち入り後、そこに、吉良の首を持って行ったわけです。ところで、人形浄瑠璃や歌舞伎では、『曽我物語』や『南総里見八犬伝』そして『仮名手本忠臣蔵』などの「仇討ち(敵討ち)」ものが、人気演目のひとつになっていました。さて、「仇討ち」とは、いうまでもなく、「テロ」と「暴力の連鎖」の問題にほかなりません。日本文化の中で、「仇討ち」が〈庶民〉の心を大きく捉えるようになったのはいつ頃から、そして、どのような理由からだったのでしょうか。また、近代に至って、仇討ちが国家によって禁止され、法秩序の中に包摂されて以降、そうした感情はどのように「変化」・「転変」して行ったのでしょうか。福沢諭吉も「封建制は親の仇」と書いていますが、実は、現代に生きる私自身も「○○は親の〈仇〉」と思うこともあるのです。今後、そんな〈一般ピープル〉の思いについても考えていきたいと思います。


苔むす堀部安兵衛の墓 
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  ※墓地には、四十六士の他に、討ち入り前に自刃した萱野三平と吉良邸討ち入り後に姿を消した寺坂吉右衛門の供養墓がありました。萱野を含めた四十七士には、写真の堀部安兵衛の例に見られるように、その戒名に「刃」と「剱」の文字が入れられています。しかし、映画『最後の忠臣蔵』で佐藤浩市によって演じられた寺前吉右衛門のものだけはそうなっていません。また、大河ドラマ『忠臣蔵』で舟木一夫が演じた矢頭右衛門七の墓石には、「行年十八逝」とありました。品川への帰り道には、大石を含めた17名が切腹した熊本(細川)藩江戸下屋敷跡の碑(「大石良雄等自刃ノ跡」)もありました。それにしても、彼らの「止むに止まれぬ」心というのは一体どのようなものだったのでしょうか(内匠頭の恨みを晴らす忠誠心?それとも、幕政批判?)。そして、江戸庶民の「止むに止まれぬ」心とはどのようなものだったのでしょうか(道行ー心中?白波もの?)。

「自ら楽しみ 人を楽しませてこそ 人として生まれた甲斐がある」 というものでしょうに!
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「野党は共闘!」――私たちのための統一候補を!

私たちの〈命と生活〉を守るためには
  アベ政権に消えてもらわねばなりません!

   


   ※ 先週は、東京へ3度も行ったので、少し疲れました。ただ、この間、私にとっては大変希望の持てる「動き」が現実味を帯びてきました。言うまでもなく、7月に予定されている参議院選に向けての「野党共闘」です。これまでは、現行の「小選挙区制」によって、原発や戦争法等々、〈国民多数〉の民意が誤魔化され、捻じ曲げられてきました。しかし、もし野党が明確な政策の共有によってアベ政権の野望を阻止しうる選択肢を提示できれば、私たちにとって大きな希望となるでしょう。すでに、私たちには「オール沖縄」の経験があります。それに民主と維新が合流すればさらに大きな力となるでしょう。今後、それが各選挙区でどう具体化されるかは未知数ですが、その成否は、各野党が現在のアベ政権の国民にとっての危険性をどれほど強く把握し、つまらぬ自己顕示欲や党派的利害を超えて結集できるかにかかっていると言えるでしょう。また、それは、それを後押しし、監視する私たち自身の声にかかっているともいえるでしょう。

   ところで、「結集」の軸になるのは〈戦争法の廃止〉と言われています。しかし、私は、それだけではなく、アベ政権の〈経済政策•社会政策〉に対する対抗軸も是非明確に打ち出してもらいたいと考えています。もちろん、経団連に後押しされたアベ政権の憲法違反の戦争法〜改憲路線は、立憲主義を冒涜するファッショ的性格を露わにしているだけではなく、若者の〈命と生活〉を犠牲にしつつ、戦後日本の〈非軍事〉的な経済に代わって国民経済全体の〈軍事〉化(軍事予算の増額、軍需産業・武器輸出の拡大など)をめざすものであり、この観点からも、〈戦争法の廃止〉は非常に意義あるものと言えます。しかし、アベ政権の経済政策•社会政策は、これまでも、私たちの〈命と生活〉を十分に脅かしてきたのです。例えば、私たち夫婦の体が動かなくなったら私たちの今後の生活はどうなってしまのでしょうか。また、正規•非正規を問わず、子供たちの働く有様を見ていると、次の世代に対する不安は拭いようもありません。アベ政権がやってきたことは、結局、〈一般ピープル〉から税金をむしり取って自分たちやお友達につぎ込むこと、あるいは、自分たちやお友達の金儲けに有利な法的諸制度を作り上げているだけのことであって、その反〈一般ピープル〉的性格は、戦争準備、原発再稼働、労働・医療・福祉・教育の新自由主義化、そして、外国への「トップ・セールス」に至るまで、明々白々と言うべきなのです。アベ政権の経済政策•社会政策は、確実に、「格差社会」を進展させ、日本の実体経済を破壊し、社会を分断と不安に陥れつつあるのです。野党が、本当に、「国民」の〈命と生活〉を守るというのなら、是非、こうしたアベ政権の政策への対抗軸も明確にして欲しいと思います。

   さて、先週感じたもう一つのことは、私たち「一般ピープル」の〈自己意識〉ということでした。何回か前のブログに、アメリカの大統領候補サンダース氏について書きましたが、ネット上で、彼の議会での演説や選挙キャンペーンの様子などを見ていますと、彼が「普通の人々」と呼ぶ労働者や市民そして若者たちの現状や姿が具体的にイメージできます。そして、彼ら”ordinary people(普通の人々)"が”establishment(支配層)"の政治に対して「もうたくさんだ(enough is enough)!」と言っている姿を見ると、アメリカの「草の根」民主主義の素晴らしさを改めて感じさせられる思いです。こうしたサンダース陣営の動きに対して、アメリカの「エスタブリッシュメント」は盛んに「ポピュリズム(愚かな一般大衆に対する人気取り政策)」という印象を与えようとしています。もちろん、ヨーロッパでは当たり前の教育費や医療費などの公的社会保障制度や暴利をむさぼるウォール街の投機家たちへの課税のどこが「愚か」なのか、それこそ「公平」ではないのかと私などは思うのですが、アメリカの主権者たる「普通の人々」も、そうしたプロパガンダをはねのけて、サンダース氏への支持を拡大させているのです。(「頑張れ、普通の人々!」)

   ところで、こうしたアメリカの「普通の人々」に対して、日本の〈一般ピープル〉はどうなっているのでしょう。最近の各界「エリート」諸氏(「エスタブリッシュメント」)の姿を見ていると、もう目を覆わんばかりの愚かしさ、醜さなのですが、他方、「ノン・エリート」の〈一般ピープル〉も、残念ながら、「主権者」と言うよりは、「愚民」というイメージから抜け切れていないようにも思われます。そして、こうした現状は、石原の「結局金目でしょ」とか麻生の「中小企業の一つや二つ、百や千・・・」などの言葉にも表れていることでしょう。こうした観点で現在の〈一般ピープル〉を見つめ直してみると、日本の〈一般ピープル〉は、その格差社会の進展にも関わらず、いわゆる「一億総中流」や「立身出世(競争)主義」のイデオロギーから未だ抜け出せず、また、自分たちとは明らかに異なる「エスタブリッシュメント」の生活や生活意識を、その虚偽性をも含め、はっきりと自覚していないのではないかと感じざるをえないのです。問題は、日本の「エスタブリッシュメント」と「一般ピープル」双方の、その〈連続〉と〈切断〉に関する意識も含めた、〈対他的な自己意識〉なのだと思います。

   私自身、先週、東京の「山手」を歩いて驚いたのは、その圧倒的な「豊かさ」です。まず、車が違います。おそらく何千万円もするようなスポーツカーが国道を猛スピードで縫うように走っていきます。「バカめ〜!」と思いながら、ふっと通りがかりのガソリンスタンドの中を見ると、ポルシェ、ベンツ、フェラーリなど、高級外車のオンパレードです。横道に入っても、わが町とは車種の構成が全く逆です。軽自動車など見つけること自体が困難なのです(笑)。また、すれ違うワンちゃんの犬種も判然としません。つまり、わが町では売っていないような「立派」なワンちゃんたちがいかにも裕福そうな飼い主と一緒に次々と歩いてくるのです(勿論、サロさんの方がかわいいけれど)。おそらく、彼らも「1%の十分の一」ではないのかもしれませんが、しかし、確実に、日本にも「富裕層」は存在しているのであり、彼らがアベ政権を担い、支持するとしても不思議はないと感じるのです(「エスタブリッシュメント」)。もちろん、50年前にも富裕層はいました。思い起こせば、当時で本皮のジャケットを着ていた大学の同級生が「あんまり遊ぶ奴はいないよな」みたいなことを言うので、私が「麻雀やパチンコぐらいするよ」と言ったら、「そんなの遊びじゃない」と言うのです。「じゃ、遊びってなんだい」と聞くと、「ヨットとか、なんとか」とか私には訳も分からないことを言うので、話が続かなかった記憶があります。まあ親の資産によるのか自分の所得によるのかはわかりませんが、とても「公平」とは思えない「富裕層」が存在したことだけは確かだと思います。しかし、そうした格差は、現在、社会の〈新自由主義〉化によって、〈不条理〉にも、一層拡大しているのです。

   もちろん、「金持ち」にも良い人はいますし、〈一般ピープル〉と堅く結びついた信頼できる「エリート」、そして、自らの役割を誠実に果たす専門家や知識人もいるでしょう。しかし、〈ノン・エリート〉である私たちは、まず、現代の「エスタブリッシュメント(支配層)」が、結局、アベやアソウやイシハラやタケナカの「お友達」たちなのだということははっきりと自覚すべきなのだと思います。そして、その上で、自らが社会の実体的担い手であり、国家の納税者であり、権利の主体なのだという自覚を高めていかなければならないと思います。また、日常生活に基盤を置く〈ノン・エリート〉たる私たち〈一般ピープル〉が「公共的世界」における「主人公」たり得るためには、〈日常生活〉を大切にすることが近視眼的な「自己満足」や「私生活主義」に陥らないようにすること、すなわち、単純な「欲ボケ」・「権力志向」・「出世主義」の意識に包摂されず、社会的・公共的な精神を保持して、自民党的な純個人的利益誘導(ワイロ)政治ではない、本来の「政治」に参加していく必要があるのだと思います。そうした意味においても、アメリカの大統領予備選挙に見られるアメリカの〈一般ピープル〉の姿にはやはり感動すべきものがあると思うのです。



「止めよう!辺野古埋め立て」(2・21首都圏アクション)
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  ※沖縄の辺野古新基地問題は、自らの〈命と生活〉を守る主権者としての「自己決定権」の問題であって、彼らの闘いは私たちの闘いでもあることを改めて考えさせられた。頑張れ〈オール沖縄〉!



【追記】これまで、このブログでは、英語の”establishment"を「イスタブリッシュメント」と表記してきましたが、今回からは「エスタブリッシュメント」とすることにしました。私はこの言葉を、日本語としてではなく、英語(の音)から覚えたので、これまで「イスタブリッシュメント」として表記してきましたが、もう日本語(「エスタブリッシュメント」)になっているようなので、それに従っておくことにします。

再び「マイナス金利」について――なぜ円高なのか?

要するに〈一般ピープル〉の負担で、
 投資家と大企業のために動くと思われているのでしょう!


    
   政府・日銀が逆の効果を狙ってやっちゃった〈マイナス金利〉の導入も、発表直後を除いて全くその効果をあらわさず、それどころか、乱高下を繰り返しながら(こうした投機を許していること自体が問題なのだ!)、円高・株安への様相が濃厚です。理由は海外の要因が主なのでしょうが、どちらにしろ、今後、「マイナス金利」の負の側面がより一層顕著に現れてくることになるでしょう。金融機関のレベルでいうと、資金需要の弱い地方に根をもつ地銀に矛盾が集中し、またもや、業界の再編成が話題になるかもしれません。もちろん、「貸し渋り」や「貸し剥し」もです。しかし、最大のポイントは最終的にそのツケをどこに転化するのかであって、それは結局〈一般ピープル〉に対してでしかないのです。一つは手数料ですが、これは黙っていても消費税の増税によって2%も上がりますから、これ以上ということはあまりにも露骨で不可能でしょう(?)。そうしますと、バブル崩壊後のように、時を見ながらさらなる〈預金金利の引き下げ〉とその後の〈貸出金利の引き上げ〉ということになるでしょう。それにしても、これまで垂れ流されてきた「国債の長期金利が下がったから預金金利も」などという話は初めから分かっていることであって、初発の恣意的な金融操作を隠蔽するものと言ってよいのです。そうした〈まやかし〉を再び許すかどうかは、私たち日本国民の「民度」にかかっていると言って良いでしょう。

   さらに興味深いのは、なぜマイナス金利にもかかわらず日本国債が買われ、なぜ「比較的安全な資産として」円が買われたかということです。第一の疑問に対する直接的な答えは、結局、日銀が国債を買ってくれるからです。そして、このことは国内投資家でも海外の投資家でも同じことですから、これも円高の要因になります。それでは、第二の疑問に対してはどう考えればいいのでしょうか。これに対する答えは、まず、日本の実体経済の堅調さ(買うに値するものがある)ということはもちろんなのでしょうが、短期的には、投機筋も含めた外国人の投資家(機関・個人)がアベ政権の金融・財政政策の〈本質〉を見透かしている、すなわち、いざとなれば、日本の政府・日銀は、働き者である日本の「一般ピープル」を犠牲にしてでも、〈投資家・大企業〉の利益保護のために動くに違いない、あるいは、そうさせることができると考えているためだと考えられます。しばしば、膨大な〈財政赤字〉(潜在的な超インフレ=通貨価値の下落の要因)にもかかわらず円に対する信用の破局的な下落がなぜ起きないのかというと、膨大な国民の「個人金融資産」と日本の「対外純資産」の存在があげられてきました。そして、まさしく、アベ政権はそれを吐き出させる役割(「売国」)を「誠実」に果たすだろうと期待されていると言って良いのです。実際、アベッチは「アベノミクスは買いだ!」と外国人投資家に呼びかけましたが、その「大胆な金融政策」、「機動的な財政政策」、「民間投資を喚起する成長戦略」とやらがどのように行われてきたかを見れば一目瞭然ではありませんか。

   そのためには、直接・間接、様々な方法が考えられます。例えば、大衆課税(消費税増税など)や医療・福祉・年金等々の切り捨て(「緊縮財政」)、そして、間接的には、金融政策です。確かに、現行の国際通貨制度の下で国民経済が「健全」に機能するためには通貨価値の安定は重要であって、政府・中央銀行による介入は必要と言えるでしょう。しかし、アベ=クロの「異次元の金融緩和」や「マイナス金利」などは、「国民」や「国民経済」のためにではなく、まさしく、一部の富裕層=お友達(投資家・大企業)の短期的な利益のために、国民にとって非常にリスクの高い「禁じ手」を連発していると言えるのです。そもそも、景気刺激策としての金融緩和(ー「買いオペ」)は財政赤字(次世代への借金の先送り)を増大させる要因となるだけでなく、なによりインフレ要因であって、富裕層には有利であっても、それこそ「トリクル・ダウン」でもなければ、一般の勤労者や年金生活者には負担となるだけなのです。また、今回の「マイナス金利」の導入もそうですが、低金利への誘導は、金を借りることのできる人や国には有利かもしれませんが、一般の預金者にとってはまさしく「ぼったくり」に他ならないのです。今回も、郵貯(普通預金金利 0.003%→0.002%)を皮切りに、他の大手都市銀行(三井住友:0.02% →0.001%)も続々と続いています。試しに、1回108円の手数料を利息として手に入れるためには1年間いくら預金しなければならないかを計算してみてください。私にはそんなお金はありません。要するに、郵貯を筆頭とする「一般ピープル」の膨大な金融資産を正当な対価もなしに利用しようとしているのです。

  ここ数日、4年連続の実質賃金の減少、そして、「GDP」の年率1.4%減(とりわけ、個人消費の落ち込みが重要)など、アベノミクスの虚像を明らかにする報告が続いています。日本社会は、格差が拡大し、貧困率が上昇し、労働環境が悪化し、福祉が後退し、社会が分断され、将来への不安が増大しています。こうした状況の中で、アベッチは、株価の変動に関連して、日本経済のファンダメンタルズ(基礎的諸条件)は良好で変化はないなどと宣っていますが、実は、TPPもそうですが、日本の国民経済の基礎を掘り崩し、米国を中心とする国際金融資本に売り渡しつつあるのはアベッチ自身と言って良いのです。アベノミクスに乗る人々は、日本社会の荒廃の中、資産や営業拠点を海外に移し虚飾の繁栄を享受したり、アメリカのように国内にゲーテッドタウンなどを作って暮らそうとでも言うのでしょうか。

〈富と権力〉の源泉である〈一般ピープル〉の「生き血」を吸い、不埒千万な悪業を繰り返すアベ政権!お天道様が許すはずはないわ!  

仏様だって許さないでしょう!
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善光寺・仁王像

「緊急事態」条項について思う――アベ政治の正体

  アベ〈ナチスに学べ〉政権による
      「日本国憲法」の改悪を許してはならない!



   このところ、アベ政権の閣僚たちなどの有様を見ていると、「本当に世も末だぜ」と感じざるを得ません。アベさん!日本という国は本当に「美しい国」ですねえ!この国で政権を握っている御党の議員さんや大臣さんたちがあまりにも立派なものですから!それにしても、あなたたちは一体何をやろうとしているのですか?!

   NHKなどの「大本営発表」では、甘利元経済再生相の「口利き」問題に対する追求は、彼の閣僚辞任以降、パタッと止んでいます。もちろん、一部の信頼しうるメディアによって、その内実はまさしく生々しく明らかにされつつあります。しかし、アベッチ自身は、「責任は任命責任者である私にある」などと宣いつつも、それはただ「一番偉いのは俺だ」と言っているだけの話であって、その責任(例えば、疑惑解明)を果たす様子などは一向に見えません。もともと彼の発言は日本語による対話の体を成していないのですが、その不誠実さと図々しさは群を抜いていると言って良いでしょう。また、「ネオ・ナチとトゥー・ショット」そして〈靖国史観〉で勇名をはせた高市早苗総務大臣による「電波停止は可能」とする発言は、放送法の理念を捻じ曲げ、〈権力による報道統制〉を既成事実化しようとする極めて危険な動きと言えましょう。また、原発事故に伴う除染で国が長期目標として示している年間追加被曝線量1ミリシーベルトについて、「『反放射能派』と言うと変ですが、どれだけ下げても心配だと言う人は世の中にいる。そういう人たちが騒いだ中で、何の科学的根拠もなく時の環境大臣が決めた」などと発言した丸山珠代環境大臣などは、まさしく科学的根拠に基づく国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告すらもコケにし、被災地の人々により多くの『放射能』を〈受容〉させようとする「原子力村」の政治的〈使いっぱ〉=放射能派に他ならないと言えます。さらに、「植民地担当相」・「島売り大臣」とも言われている島尻安伊子〈沖縄及び北方対策〉担当大臣は、担当の〈北方領土〉ー「歯舞」すら読めなかったというのですから想像を絶します。おまけに、1日16時間の司法試験対策勉強はしても、(試験には出ないだろう)「立憲主義」の意味は全く理解していない、これまた「ネオ・ナチ」・靖国派の稲田朋美議員。そして、妻が出産入院中にタレントと不倫して辞任することになったイクメン・靖国派の宮崎謙介議員など。いやー、立派すぎて、頭がクラクラするばかりです。

   そして、こうした人たちがただひたすら実現しようとしているのが、あの自民党「日本国憲法改正草案」に基づく、日本国憲法の改定であり、〈緊急事態条項〉というわけなのです。アベ首相は、戦争法強行採決や原発再稼働で自信を持ったのでしょうか、本年7月に予定されている参議院選挙の争点に「憲法改正」を挙げ、参院でも3分の2以上の賛成派の議席を獲得したいとしています。しかし、「憲法改正」をぶち上げつつも、これまでと同じように、できるだけ具体的な論議は避け、内容を曖昧模糊とさせたまま選挙戦を切り抜けようとするのでしょう。そして、選挙で勝てば、すでに「改正草案」は発表していたのだから、それが信任されたのだと言い張るのです。戦争法案でもそうでしたが、彼らの本音が「改正草案」に見られるような〈フルスペック〉の「集団的自衛権」の行使であることは忘れてはなりません。野党は、これまでのように公明党を隠れ蓑にしたやり方を許すことなく、国会内外で自民党「憲法改正草案」の内容を白日の元に晒してもらいたいと思います。

   そして、その際、焦点の一つになるのが「憲法改正草案」第9章第98〜99条の〈緊急事態〉条項です。その概要は、「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害」などに際して、内閣総理大臣は「緊急事態」を宣言することができ、緊急事態の宣言が発せられたときには、「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができ」、また、「何人も、法律の定めるところにより、(当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる)国その他公の機関の指示に従わなければならない」というものです。こうした内容は、「国民主権」と「基本的人権」を〈国家権力の恣意的行使〉から守る「立憲主義」の観点から極めて慎重に論じられなければならないものですが、とりわけ、アベ内閣の場合、戦前の「大日本帝國憲法」下における天皇の非常大権や戒厳令、そして、国家総動員法などとの関連が問題とならざるを得ないのです。

   この条項について、社民党の福島瑞穂氏は、「内閣が法律と同じ効力を持つ政令を出せるようになるなら、ナチスドイツの国家授権法と全く一緒だ。これは許すわけにいかない」と批判し、民主党の岡田克也氏も「緊急事態になれば、法律がなくても首相が政令で法律を履行でき、権利を制限できる。恐ろしい話だ。ナチスが権力を取る過程とはそういうことだ」と述べています。また、民主党の枝野幸男氏は、かって戦争法案の強行採決に関連し、「ナチスの場合は民主的な手法で権力を掌握した後、立憲主義を破壊する全権委任法を成立させて暴走、独裁を始めた」として、安倍政権の〈手法〉を批判しています。どれも、実に、正鵠を得た指摘であると思います。なぜなら、アベ政権には初めからナチスの影がつきまとっているからです。そもそも、安倍晋三がその後継者たらんとしている祖父・岸信介は、満州国の植民地経営から日中戦争後の〈国家総動員体制〉を担った「革新官僚」であって、彼らはナチス・ドイツの影響を強く受けていたのです。そして、彼らは、1936年の日独防共協定から1940年の日独伊三国同盟によって名実ともにナチスと〈お友達〉になり(「天皇制ファシズム」)、「支那事変」(日中戦争)そして「大東亜戦争」(アジア太平洋戦争)を戦ったわけなのです。そして、その時纏った天皇制ウルトラ・ナショナリズムの名残りがいわゆる「靖国史観」に他なりません。こうした経緯からも明らかなように、戦前の侵略戦争を「肯定」しようとするいわゆる「歴史修正主義」は、ナチスと深い関わりを持つ「全体主義」や「国家主義」を肯定することにならざるを得ないのです。ここに、アベ政権の〈ネオ・ナチ〉や〈靖国史観〉との親和性、そして、自民党「憲法改正草案」の問題性の根元があると言って良いのです。

冬の浅間山
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※美しいというのはこういうのをいうのだ。侵略戦争やそれを美化する人たちのことではない。
   
   

サンダース氏に期待する!―――米大統領選・予備選挙


「普通の人々」による「政治革命」
  ―――「一般ピープル」はいかに政治に参加するか?!


   アメリカで、民主党の大統領選候補者の一人、サンダース氏が予備選挙で健闘しています。それにしても、共和党の有力候補があのトランプ氏ですから興味深いこと限りなしです。しかし、アメリカには「KKK(クー・クラックス・クラン)」や「マッカーシー旋風」の歴史もあるわけで、根は同じと言えるかもしれません―――全くおぞましいいことです!ところで、マスコミの多くは、こうした民主・共和両党の動きを「ポピュリズム(愚かな一般大衆に対する人気取り政策)」という表現で印象付けようとしています。しかし、問題の核心は、現在のアメリカにおける〈格差社会〉の現状が、もはや、アメリカン・グローバリズムに基づく国際金融資本や多国籍企業の利益に依拠する「中道・左派(オバマ・クリントン)」や「中道・右派(共和党主流)」の政権運営では解決することができない水準に達してしまっているということなのでしょう。すなわち、たとえ強固な「イスタブリッシュメント」の抵抗に遭うとしても、新自由主義的な国内的・国際的な〈秩序〉(=無秩序)がもたらす問題を解決しなければ、〈一般ピープル〉の―――それ故に、地球と人類社会の―――未来はないということです。勿論、トランプ氏の如きは、アメリカの抱えるその矛盾をより一層深め、「自爆」への道に誘い込むことになるでしょうが。

   ところで、サンダース氏についてとりわけ興味深く感じるのは、彼が明確に”establishment(支配層)"と”ordinary people(普通の人々)"とを対比させ、後者による「政治革命」を主張している点にあります。そして、そのことは、彼がアメリカでは珍しい「民主社会主義者」(「北欧型社会民主主義者」)であることよりも、はるかに大きな意味を持っていると思われます。彼の支持者に、2011年、ウォール街を占拠した若者たちを中心とする〈草の根〉運動の共鳴者たちが多く含まれているのは、そのことを象徴的に表しているようです。私も、これまで、日本における「イスタブィシュメント」(政官財の三角同盟を中心とする支配層)と「一般ピープル」(社会を実体的に支え、富と権力の源泉でもある存在)とを区別し、「一般ピープル」の立場から政治や経済を論じてきました。そうした意味において、サンダース氏の議論は、私にとっても大いに納得しうるもののように感じられるのです。

   私は時々考えます。もし私が江戸時代に生まれ育っていたとしたら、現代のアメリカ社会に生まれ育っていたとしたら、革命期のロシアに生まれ育っていたとしたら、何を基準にどのように物事を判断すべきと考えていただろうかと(「神」?「王」?、「民」?・・・)。しかし、これまで私が古今東西様々な書物に触れ〈共感〉しうると感じたのは、やはり、その時代その時代、その場所その場所で、(ノン・エリートの)〈普通の人々〉一人一人(シングル・パースン)を大切にする思想であったように思うのです―――この点については、今後少しづつ紹介していく予定です。そうした意味において、”change"のオバマには失望しましたが、「普通の人々」による「政治革命」を主張するサンダース氏がそうした〈共感〉を真に共有できる政治家であってほしいと心から願わずにはいられないのです。

   さあ、次は日本の参院選です。私たち〈一般ピープル〉の〈命と生活〉を本当に大切にするための〈政治主体〉として、私たちは、「イスタブリッシュメント」によって「当たり前のこと」とされてきた既成事実を批判的に捉え返す〈知性〉を持ち、近視眼的な利益誘導と恫喝に負けない〈勇気〉を持ち、多様性を有する「仲間たち」と協同・連帯しうる〈寛容性と人間性〉を持たなければならないでしょう。難しいことばかりですが、どうせ死ぬときも「未完」の一人(オンリー・ワン)です。〈一般ピープル〉の一人として、できるだけ胸を張って生きていきたいものです。


信教の自由〜「鰯の頭も信心から」
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   ※吉永小百合の『母と暮らせば』を観てきました。長男をビルマ戦線で、次男を長崎の原爆で亡くしたキリシタンの母親が、医学生だった次男の「亡霊」と思い出を回想しながら、そして、次男の婚約者の幸せ(→他の男性との結婚)を願いながら死んでいくというものだったと思います。個人的には、宮沢りえの『父と暮らせば』とはかなり違った印象を与える作品になっていたと感じました。脚本や配役など色々な理由が考えられますが、その大きなものの一つに、ラストシーンにおける母子の「天国への旅立ち」があるかもしれません。吉永小百合をあのまま死なせることはできなかったのでしょう。作品としての評価は別として、山田監督は優しい人に違いありません。ある人が「最近は人を憎むことが少なくて幸せだ」と言っていましたが、逆に言えば、人の幸せは、愛し愛された人々の幸せを感じ、それを願う(祈る)ことにあると言って良いのかもしれません。しかし、問題はそうした幸せを壊す戦争などの社会的事象にどう立ち向かうかでもあります。

宜野湾市長選について―――アベ政治を許さない2016

「辺野古NO」への沖縄の民意は変わらない
  頑張れ!オール沖縄!我が家のシーサーも元気だよ! 


○宜野湾「ステルス」市長選について

   1月24日の宜野湾市長選で、自公推薦の現職・佐喜真氏が翁長知事・「オール沖縄」支援の志村氏を破って再選された。選挙が終わる否や、アベ政権は、この結果は宜野湾市民が米軍基地の辺野古への移設を容認したもの(=「オール沖縄」は嘘だ)として、基地建設をさらに強行しようとしています。しかし、真当なジャーナリズムが伝えているように、この結果は宜野湾市民の多数派が辺野古へ基地移転を認めているということを意味しません。今回は、この件について、私が考えたことを書き記しておきたいと思います。

   まず、私がこの選挙結果を知った時の率直な感想は、「そういうこともあるのだろうな」というものでした。それは、投票前の報道などから漠然と抱いていた印象によるものだと思われますが、要するに、この選挙は宜野湾市民の辺野古新基地建設への賛否を問うものではなかった、あるいは、そうはならなかったということなのです。つまり、選挙の出口調査(『沖縄タイムス』)によれば、辺野古新基地の是非に関する限り、宜野湾市民の意見は、賛成34%対反対57%(→DK9%)で、まさしく、「オール沖縄」の立場が多数派だったのです。しかし、こうした民意は、佐喜真候補対志村候補という市長選の結果には反映されませんでした。報道によれば、辺野古賛成派の93%が佐喜真氏に、7%が志村氏に、そして、反対派の24%が佐喜真氏に、76%が志村氏に投票したとされています。当然誤差は考えられますが、こうした数字から判断できることは、辺野古反対派の4分の1とDK派ほぼ全員からの得票によって佐喜真氏が勝利したということになります。また、政党支持別でいうと、佐喜真氏の得票率は55.5%でしたが、その内訳は、自公支持層32%(自民29%+公明3%)とそれ以外の約24%ととらえることができます。問題は、この2つのグループの投票行動をいかに把握するのかです。

   まず前提として押さえておかなければならないのは、「世界で一番危険な基地(飛行場)」を押し付けられてきた宜野湾市民の圧倒的多数が1日も早い普天間基地の閉鎖と返還を求めていたということです。そして、この点については志村氏も佐喜真氏もその主張は変わりませんでした。しかし、普天間基地の閉鎖と返還への過程の捉え方には大きな違いがありました。すなわち、志村氏を支援する「オール沖縄」の主張は、普天間基地の即時・無条件返還と沖縄に対してまたしても不当な基地負担を押し付けようとする辺野古新基地建設反対であったのに対し、佐喜真氏を推薦した自公は「普天間基地の辺野古への移設」を主張していたということです。ところで、佐喜真氏が自公の路線〈辺野古への移設〉を主張すれば分かりやすかったのですが、佐喜真氏は一貫して辺野古移設について自らの意見を述べず、辺野古問題を争点から外そうとしたのでした。これが、多数派である辺野古反対の人々との「対立」を隠蔽し、伝統的な「飴玉」作戦―――佐喜真氏の「現職としての強み」とディズニーリゾートの誘致など安倍政権と連携した経済振興策―――に誘い込む、いわゆる「ステルス」作戦だったのです。それは佐喜真氏勝利の最大のポイントだと考えられますが、同時に、そこには佐喜真陣営がそうした作戦を取らざるを得なかった宜野湾市民の民意があったことも忘れてはいけないことです。

   ところで、出口調査における「普天間基地の辺野古への移設」賛成34%のほとんどが自公支持層の32%であった可能性は高いのですが、彼らの主張の根拠は、アベ政権が主張している「辺野古が唯一の解決策」すなわち〈普天間でなければ辺野古〉という、沖縄県民多数の意思を無視し、意図的に固定化された〈偽り〉の二者択一に基づいたものだったと思われます。しかし、私が理解しうる限り、新基地が〈日本の沖縄〉でなければならないという納得しうる理由などないのです。なにより、沖縄が望んだわけでもないにもかかわらず、日本における米軍専用施設の74%%が沖縄に集中していることこそが〈理〉に反しています。それにもかかわらず、宜野湾市が新基地は〈辺野古〉と主張するのであれば、それは、これまで宜野湾市民が負わされてきた基地負担を同じ沖縄県民である名護市民に転化することによって「免れようとする」ものと言わざるを得ないでしょう。あるいは、百田何某のような無知蒙昧な議論は論外としても、辺野古に犠牲を強いる新基地建設に賛成することによってなんらかの経済的・政治的な利益を得る人々が存在するということを意味するかもしれません。そして、こうした主張の最も醜悪なものは、「辺野古新基地に反対することは普天間基地の撤去を邪魔することだ」という攻撃的な言葉になってあらわれたのです。しかし、こうした議論は明らかに〈義〉に反するものといわなければなりません。それ故にこそ、佐喜真候補は「辺野古移設〈賛成〉」を公然と口にすることができなかったのでしょう。しかし、こうした姑息な選挙対策によってでなければ、辺野古賛成派以外(66%)の約3分1の票を獲得することはできなかったともいえるのです。

   以上が、宜野湾市長選についての私の把握です。そして、宜野湾市の状況は決して特殊なものではないようにも思われるのです。選挙における露骨な「飴玉」作戦は日本のあらゆるところで行われていますし、また、アドバルーンは上げつつも、具体的な論点については語らず(知らせず)、(本当は飴玉にもなっていない)「飴玉」をばらまきながら数を獲得し、その後に牙をむく、こうしたやり方はアベ政権の最も基本的な手法となっていると言って過言ではないでしょう。何年か前、麻生財務相は、憲法改定に関連して、「だから、静かにやろうやと。ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか。」(「ナチスに学べ」)と述べています。これは第2次アベ内閣の「ステルス」(正体隠し)戦術の端緒的表現であって、国政レベルにおいても、こうした戦術によって、民意を狡猾に受け流してきたのです。私たち〈一般ピープル〉は、〈理〉と〈義〉に叶う長期的な視野に立って、狡猾で驕りたかぶるアベ政権に立ち向かわなければならないのです。もっと賢く、もっとしっかりしなければなりません。


「止めよう!辺野古埋め立て」

  2月21日(日)14:00〜15:30 首都圏アクション国会大包囲
    
美しい辺野古の海を軍事基地にするな!

株価とマイナス金利―――アベ政治を許さない2016

〈株価〉のためならなんでもありか?!
  その政策で誰が得をし、誰が損をするのかな?!


   
   TPPの行きつく先は〈一般ピープル〉にとって甘利にも悲惨なものになるだろう。そして、日銀による「マイナス金利」導入の先にあるものも、これまた、〈一般ピープル〉とっての大変な黒田。

   そもそも、アベノミクスの「三本の矢」の成果はどうだったのか?そして、「新三本の矢」はどうなるのか?また、それを金融面で支える黒田の「異次元の金融緩和」によるデフレ対策―――実は、単なる、外為市場や株式市場への公的資金の投入などによる円安・株高政策―――は、成功だったのか、失敗だったのか?誰が得をして、誰が損をしたのか?答えは、〈イスタブリッシュメント〉が得をして〈一般ピープル〉は割を食った、です。確かに大企業や富裕層は資産や所得を増やしました。他方、〈一般ピープル〉は所得を減らし、労働条件も悪化し、社会保障など所得の再配分も後退して、生活の質は劣化しました。しかし、自公政権は、必然的に発生する不信や不満に対して、構造的な不均衡や格差にはほおかむりしながら、「恩恵」を装った一時的なバラマキで対応しようとしているのです。全く、見え透いたやり方という他ありません。

   ところで、聞きなれない「マイナス金利」の意味を知った時、すぐに脳裏に浮かんだのは、バブル崩壊後の銀行による〈預金金利の引き下げ〉でした。そして、この予感は、昨夜7時のニュースで裏付けられたのです。というのは、「マイナス金利」とは、市中に出回る通貨の量を増やすことによる景気刺激策の一つで、要するに、市中銀行が貸し出しを増やさなければ罰金を取るぞということなのです。となると、積極的な資金需要があるわけではありませんから、当然、市中銀行は〈貸し出し金利〉を引き下げ、そして、〈預金金利〉も引き下げなければならないということになります。こうして、遊休資金は、より安全で有利な国債や株式に向かうことになります。その結果、株価は上がり、株主は万々歳というわけです。これが「マイナス金利」の発表後に株価が急上昇した理由でしょう。しかし、この過程で割を食うのは、言うまでもなく、本来ならば手に入れることのできる利息が減らされる(奪われる)一般の預金者=〈一般ピープル〉ということになるのです。
   バブル崩壊後の金融緩和の折には、銀行はその低い預金金利と新設された手数料収入によって莫大な利益を手に入れ、バブルの損失を軽く補填したのでした。また、アベノミクスの「異次元の金融緩和」も、日本の実体経済の底堅い強化に効果があったわけではなく(「矢は飛ばなかった」伊東光晴)、結局、国民の借金を増やし(国債引き受け)、国民の資産をリスクに晒すこと(株や円相場への過度の公的資金の投入)によって、巨大企業と株主の利益を確保しようとしたものだったというのが真実でしょう。もちろん、トリクル・ダウンもありません。安倍政権はアベノミクスの失敗を中国経済の減速や石油価格の低迷によるものと印象付けようとしていますが、実は、アベノミクスにおける「一般ピープル」の困難・苦労は、負債とリスクを〈一般ピープル〉に転化しつつ〈イスタブリッシュメント〉が富を収奪するという、いわゆる「構造的」的な問題に他ならないのです。

   要約すれば、今回の「マイナス金利」導入も、預金金利の引き下げという手段によって、すなわち、国民の資産たる銀行の預貯金の利息を貪り取ることによって、株価を引き上げ、金融資本を潤し、「お友達」を富ませようとするものに他ならないだろうと言うことです。ですから、株の〈投機〉的売買で大儲けしようなどという腹黒〜い田分け者たちとは違う私のような実直で(w)〈零細な〉預金者は、銀行に預金していると、引き出すたびに、利息の何十倍もの手数料を取られて阿呆らしいから、タンス預金にしてしまおうかとさえ考えることになるのです。情けないことです。それにしても、国民の懐を狙う次の一手、すなわち、国民の資産を「強制的」に吐き出させる方法はどのようなものになるのでしょうか。擬似的な「デノミ」でしょうか、「デフォルト」でしょうか。否、その前に、ご退陣願わなければなりません。

  ―――サロさん!やってられないよ〜ん。
    「人間も本当に大変みたいだねえ

アベ政治を許さない2016―――2月(1)甘利とTPP

「口利き」の甘利元経再相がやった
  あの公約違反のTPPは、日本にとって「亡国」の選択だ。



   甘利経済再生相が閣僚を辞任した。あなたたちはやっぱり我々「一般ピープル」とは無縁なところでこっそりと金を受け取りながら、あんな「口利き」政治をしていたのですねえ。そして、この間、自民党議員から噴出してきた甘利擁護論は、こうした事態が日常化(常識化)していることをまざまざと示しているわけです。政治屋先生たちが言い訳できる法律の抜け穴をたくさんつくり、一般ピープルさえ気づかなければ何をやっても構わないと考えているのでしょう。わかった、わかったって‼︎ わかったから、まずは、政党助成金だけはやめろよ!あなたたちのような輩の「政治」活動を支えるために我々の税金が使われるなど、どう考えても許せないのだ!全く馬鹿馬鹿しいことだ!

   さらに、こうした事態から見えてくるのは、今回の事例とは比較にならないほど巨額な政治資金が動いている経団連など大企業と自民党との関係です。すなわち、〈原発再稼働〉・〈武器輸出〉をすすめる経団連は、同時にTPPの推奨者でもあるわけですが、甘利は、その意を受けたアベ政権のTPP実働部隊の親玉だったのです。自民党支持者にとっても公約違反だったはずの、ブレブレのTPP大筋合意でしたが、この経過の中でもう一つ気づいたことは、ほとんどのマスコミが、TPP大筋合意に果たした甘利の「業績」を〈肯定的〉にとらえていることでした。調印式の出席がなんだというのだ―――大村さんや梶田さんがノーベル賞授賞式に出られないのとは全然違うだろうに!
   大企業からの広告収入に大きく依存しているマスコミがどれだけ独立性を維持しうるかは、実際のところ、マスコミに携わるジャーナリストたちの職業倫理・専門家気質に依るところが大きいとは思うのですが、この間、諸外国でも承認が危ぶまれるほどの内容を持つTPPの問題性に対して、日本のマスコミ主流は終始無批判的であったということができると思います。

   そもそも、TPPは、本質的に、アメリカの多国籍企業を中心とする勢力による世界経済支配のための手段なのです。そのことは、ウィキリークスが公開した秘密公電でも明らかなように、日本や韓国などを「アメリカン・グローバル・スタンダード」に屈服させ、環太平洋地域をアメリカの金儲けの「エル・ドラド(理想郷)」にしようとする目論見に他ならないのです。これまでも、その具体的内容については、農業や食品の安全性はもちろん、公的医療保険体制、著作権など、あらゆる部門に及ぶものとして、さらには、それを強制する手段としてのISD条項の問題性など、さまざまに論じられてきました。私も、JAや日本医師会そして「TPPから日本の食と暮らし・いのちを守るネットワーク」などのHPで勉強してきたところです。しかし、今回の大筋合意において、それらの問題点は、基本的に(!)、なんら解決されてはいないではないですか!このままでは、まさしく、TPPは、〈長期的に〉、日本の「国民経済」を破壊し、国民の命と安全を脅かすものとなるほかはないのです。

   それにしても、「政治とカネ」で辞任が相次いだアベ政権の中心閣僚であった甘利元経再相の、具体的な場面を想像するとウンザリするようなその行動、そして、明白な証拠が存在すると言われながらも”しらばっくれた”答弁繰り返すその姿を見ていると、とても「美しい国」に生まれて良かったとは思えません。そして、彼を擁護している連中こそが「下衆の極み」そのものなのです。しかし、さらにもっともっと重大なのは、この阿呆らしい連中がやろうとしている「亡国」のTPPの内容です。それは、私たちの老後や子供達の未来を大きく損ねることになるでしょう。


 ―――サロさん!それにしても、「マイナス金利」でどうして株高
    になると思う?
   「えっ? 株やってる人が儲かるからなんじゃないの
 ―――さすが、私の相棒、鋭いねえ!



プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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