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五代目中村雀右衛門襲名披露・三月大歌舞伎を観た!

 男が演じる女方の様式化された「芸」の難しさ
    ―――それにしても、菊之助には〈華〉がある!



   ※春野菜の植え付けが始まっています。ジャガイモ2種類とキャベツとブロッコリー、そして、ネギは終わりました。これからは、土を耕し、畝起こしをしたところに種を蒔いていく予定です。ただ、今日は、気温が低く、雨上がりで土が重いため、作業は明日以降にします。ということで、今回は、先日観に行った、歌舞伎について報告しておきたいと思います。

  中村芝雀改め
  五代目中村雀右衛門襲名披露 三月大歌舞伎 (歌舞伎座)
  (夜の部)
   一、双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)角力場
       橋之助、菊之助、高麗蔵、他
   二、五代目中村雀右衛門襲名披露 口上(こうじょう)
       藤十郎、菊五郎、吉右衛門、他      
   三、祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)金閣寺
       雀右衛門、幸四郎、仁左衛門、他
   四、関三奴(せきさんやっこ)
       鴈治郎、勘九郎、松緑



   実は、過日、『曽我物語』(全10卷)を読み終えたところだったので、(昼の部)の「寿曽我対面(ことぶきそがたいめん)」も観たかったのですが、今回は(夜の部)だけということにしました。ただ、(夜の部)には「五代目中村雀右衛門襲名披露 口上」があり、歌舞伎の華やかさを大いに堪能できました。「口上」では、主役の雀右衛門が予想以上の艶やかさで、声にもハリがあり、素晴らしい襲名披露だったと思います。また、仁左衛門の先代のエピソードを織り交ぜた巧妙な語りをはじめ、インフルエンザだったらしい菊五郎や午前の部だけに出演している吉右衛門も含めた歌舞伎役者総勢19名の口上を聞くことができ、私にとって、初めての、貴重な体験となりました。

   さて、最初の「角力場」についてですが、これは、男同士の義理の立て合い・意地の張り合い(達引)をコミカルに描いた演目で、江戸時代の庶民の「正義感」が奈辺にあったかを窺い知ることのできる興味深い内容でした。また、山崎屋与五郎の濡髪長五郎に対する「ファン心理」は、森の石松の「寿司喰いねえ」をも想起させる、なんとも微笑ましいもので、隣席の若い女性も満面の笑みで楽しんでいました。それにしても、放駒長吉と山崎屋与五郎という全く異なるキャラクターをそれぞれ実に見事に演じ分けた菊之助は、本当に〈華〉のある、素晴らしい歌舞伎役者だと思いました。

   次に「金閣寺」ですが、これは「哀しくも美しい絢爛な時代物の名作」として、次のように紹介されています。
   「謀反を企む松永大膳は、将軍足利義輝を殺害し、その母の慶寿院を金閣寺の二階に幽閉しています。共に幽閉している雪姫に思いを寄せる大膳は、夫の狩野之介直信に代わり金閣の天井に龍を描くように迫ります。そこへ此下東吉が現れ、大膳の家臣になることを願い出ます。一方、手本がなければ龍を描くことができないと断る雪姫。大膳は、雪姫を桜の木に縛りつけると、直信の処刑を命じます。悲嘆にくれる雪姫が、降りしきる桜の花びらをかき集め、爪先で鼠を描くと…。」(『歌舞伎美人』より)
   この雪舟の孫娘である雪姫こそが、「三姫(さんひめ)」と呼ばれる女方の大役の一つであり、今回、五代目雀右衛門が初めて挑戦する役どころとなったものです。とりわけ、手を縛られながら演じる「爪先鼠(つまさきねずみ)」は最大の見どころとされています(―――これは、雪舟の少年時代の逸話を膨らませたものですよね!)。ところで、私はこれを見て、男が演じる女方の、様式化された「芸」の〈難しさ〉を改めて感じさせられる思いでした。といいますのは、雀右衛門が演じる雪姫は、その女性を表現する〈様式美〉によって、高い気品と熟練を感じさせはするのですが、やはり、男が演じているという感が強く、女性と見まごうような玉三郎や七之助の演技とは「異質」なものを感じてしまったからです。彼の芸の〈質〉を決定するのはあくまでもその〈様式美〉なのだと思いますが、そのことをより深く、明確に感じ取るには私の「歌舞伎経験」は浅すぎるのだろうなと感じざるを得なかったのです。
   また、松永大膳を演じた幸四郎について言えば、昨年暮れの『東海道四谷怪談』における与右衛門に続いて、雪姫の「仇役」そして「色悪」といった役柄を演じ、まさしく、悪役の「魅力」を振りまいていました。実は、前回の与右衛門役については、かなり年齢的な不安を感じたのですが、今回は、声も明瞭で、一安心というところでした。やはり、幸四郎と菊五郎―――二人共もう73歳でしょうか―――には、もっともっと頑張ってもらいたいと思います。
   ところで、現在私は「一般ピープルにとって〈仇討ち〉とはなにか?」と言うテーマを考えています。この点に関連し、今回の演目における雪姫と此下東吉こと真柴久吉の「仇討ち」についての対話は、大変興味深いものがありました。この点については、近いうちに考えをまとめることができればと考えています。

   最後の「関三奴」は舞踏でしたが、リラックスして楽しむことができました。舞踏といえば、三津五郎の「喜撰法師」や三津五郎と勘九郎の「団子売」などを思い出しますが、あの独特の動作には、当時の一般ピープルの〈文化〉を強く感じさせられます。それにしても、酔っ払ってもいるわけなのですが、あの軽妙なリズムと絶妙なバランスは難しいですよね。鴈治郎も勘九郎も松緑も、いい味を出していたと思います。

   最後に、今回の3階席は、前後の間隔が狭くて窮屈でしたが、「京屋!」とか屋号を叫ぶおじいさんやそれを真似する外国人などが居て、なかなか面白いところでした。今度は、1000円の幕見席で見てみましょうか?! 
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口先だけのアベ政権はもう結構!


 民進党? まあ、アベ政権よりマシに違いない!


 野党は共闘!なんだね 
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   ※東日本大震災・福島第一原発事故から5年が経過しました。3月10日頃から多くの新聞記事やテレビ番組などを見て、当時の不安感と政治的な不信感を思い出しました。そして、5年後の現在、私たちは、未曾有の災害と事故から、本当の「安全と安心」の構築に向けた歩みを始めることができたのでしょうか。

   さて、我家について言えば、食料や水、耐震補強、そして、いざという時の避難・連絡など、ある程度の対策はできていると思います。しかし、巨大災害への対応は、やはり、〈公共的なレベル〉でのものにならざるを得ないでしょう。さらに、それは、単なる「復旧」・「復興」ではなく、〈未来に向けた〉安全と安心でなければならないはずです。しかし、そうした観点で現状を見ますと、現状は、地震・津波にしても、原発事故にしても、その規模と責任の徹底的解明を踏まえ、そして、あくまでも被災者に寄り添う、〈未来に向けた〉安全と安心とは程遠いもののように感じられます。そして、その責任の多くはアベ政権にあるのです。

   あの原発事故の時、私たちは、東京電力と菅民主党政権の対応に大きな憤りと不信感を抱いたものです。実際、この5年間、私たち国民に隠蔽され、小出しにされてきた情報を総合的に判断すれば、当時の状況がいかに危機的なものであったのかが改めて理解できます。今私たちがこうしていられること自体が、奇跡的な幸運の結果だとさえいえるのです。そして、私たちがけっして忘れてはならないことは、あの事故が、歴代自民党政権と東京電力によって作り出された「安全神話」の虚構の上に発生したということです。しかし、アベ政権と東電は、自分たちの「加害性」に頰被りしつつ、事故の収束と終焉を演出しながら、原発の再稼働や原発輸出をさえ推進しようとしているのです―――勿論、現在においても、引き起こされた汚染と荒廃の現実は、基本的に、ほとんど変わっていないにもかかわらずです。なんという輩なのでしょうか!  

   最近、民主党は、「民主党は嫌いだけど、民主主義は守りたい」というキャッチフレーズをひねり出しました。かって政権の座にあった民主党が何故そこまで嫌われたのでしょうか? そのことを正確に理解することは、今後の民主党(そして、民進党)の将来にとって決定的に重要なことでしょう。そして、私に言わせれば、その理由は、彼らが掲げ、私たちが期待した「マニフェスト」を実現するためには、経団連(主流)を中心とする「エスタブリッシュメント」との対決が不可避であったにもかかわらず、そのことに尻込みし、挙句の果てはその尻馬に乗って、「原発輸出」や「防衛装備移転」そして「尖閣国有化」などとはしゃぎまわる、恥ずかしい姿を見せたからに他なりません。私たちは、「第2自民党」などを期待していたわけではないのです。そして、ある意味で不運な面はあったにしろ、福島原発事故に対する対応の問題性と総括の不十分性が民主党政権への決定的打撃となったのです。
   ただ、現在の岡田民主党は、先のキャッチフレーズにも表れているように、そうした私たち〈一般ピープル〉の思いをある程度理解しているようにも思われます。そして、岡田民主党のこの間のアベ政権に対する姿勢を見れば、戦争法制はもちろん、原発再稼働、労働・医療・福祉・教育等々、彼らが私たち〈一般ピープル〉の利益と意思を代表しようとする姿勢を見せていると判断して良いでしょう。少なくとも、その政策は、国家主義的で新自由主義的なアベ政権よりもマシなものになる可能性は大だと思われます。そして、私たちがしっかりしている限り、再びそれを裏切ることは難しいに違いありません。
   ということで、長くなりましたが、来る参院選と衆院選においては、野党の「統一候補」(?)―――その多くは「民進党」所属の候補者になるかもしれません―――に積極的に投票していきたいと思います。そして、こうした展開が可能となったことへの共産党の英断に大きな拍手を送りたいと思います。しかし、それにも増して、「野党は共闘!」を求めた私たち〈一般ピープル〉の主権者としての「心意気」をこそ、私たちは大切にしていかなければならないのだと思います。

マスコミ雑感――『週刊文春』の活躍に関連して

支配層の「目くらまし」と「無責任」を許さない!
  ――真のジャーナリスト魂に期待する!




   ※春の農作業の準備が始まっています。昨年の「成果」に気を良くして、今年からは借りる土地を2倍にすることにしました。腰に若干の痛みがあるのが気になりますが、あの野菜の味には代えられません。それにしても、花粉に悩まされながらも、一日があっという間に過ぎていきます。でも、今日は雨です。ブログを書きます。

   ところで、最近の社会情勢を見ていると、我々「一般ピープル」にとってどのメディアが〈味方〉なのか―――すなわち、どのメディアが「真実」を伝えてきたか、あるいは、伝えているかが明確になってきていると感じます。もちろん、それは、権力におもねり、権力のために働くことによって甘い汁を吸い続ける「御用」大新聞や系列テレビ局の「大政翼賛」的報道を〈漫然〉と見ているだけでは(あるいは、見させられているだけでは)決して分からないことではあります。現在、アベ政権は、権力にとって都合の悪いメディアへの恫喝と圧力、そして、「放送法」や「秘密保護法」などを利用した報道統制へのファッショ的意図を露わにしていますが、しかし、現在までのところは、まだ、「エスタブリッシュメント」による暴利や利権漁り、アベ政権による権力の恣意的行使、御用マスコミによるプロパガンダや目くらましに対して「敢然」と闘うジャーナリストの姿を辛うじて見ることができるのです。今は、まさしく、一つの分岐点と言って良いでしょう。私たちは、私たちの〈命と生活〉を守るのために必要不可欠な「知る権利」を現実のものとするため、そうした勇気あるメディアやジャーナリストたちを支えていかなければならないのだと思います。

   テレビの領域においても、事態は深刻です。もうすぐ「降板」が予定されている、国谷裕子の『クローズアップ現代』、古舘伊知郎の『報道ステーション』、そして、岸井成格の『NEWS23』などを見ていますと、これらキャスターの表情には、権力による強まりつつある「圧力」への危機感が強く表れているように思われます。また、これらの番組には、私たち「一般ピープル」の〈生活感覚〉・〈皮膚感覚〉に寄り添った報道を行おうとする姿勢が改めて感じられ、なるほど、責任感のかけらもない我欲にまみれた〈似非エリート〉たちにとって、これらの番組が目の上のたんこぶのように感じられるに違いないと思ったのです。そして、私たちは、こうした番組が再び「ブラウン管」(液晶画面)に登場できる状況をこそ作っていく必要があるのだろうと思うのです。それは、日本における〈似非エリート〉の支配を許さないためにです。

   ところで、最近の「エスタブリッシュメント」の反「一般ピープル」的な実態を明らかにする上で『週刊文春』の果たした役割には極めてめざましいものがあったと思います。その「足で稼ぐ」ような取材力は、ただ権力エリートにぶら下がって得られた「情報」を垂れ流すだけといった、大手マスコミの取材力を大きく超えていたのです。後藤謙次さんもそうでしたが、〈ジャーナリズム〉の本道はこうしたジャーナリストたちの中にこそ生き続けているのではないでしょうか。もし彼らの働きがなければ、私たちは、甘利問題をはじめとする「エスタブリッシュメント」の支配の「真実」を知ることはできなかったのです。日本記者クラブは無視したいかもしれませんが、私たち「一般ピープル」にとって、『週刊文春』の記事は、疑いもなく「報道大賞」に値するものといってよいでしょう。問題なのはその後の疑惑追及がどうなっているのかです!「甘利問題があっても、アベ内閣の支持率は下がらなかった」などと言っている場合ではないのです。大手マスコミさん!

   そんなわけで、今日は、『週刊文春WEB』のほか、皆さんにお勧めしたいと思う、無料で「面白い」(言うまでもなく、御用マスコミでは知ることができない)情報源を紹介しておきたいと思います。未だの方々には、貴重な情報源として共有していただければと思います。
  まずは、『日刊ゲンダイ』と『しんぶん赤旗』です。この二つは、それぞれ違った意味ではありますが、アベ政治と対極にあるメディアと言って良いでしょう。前者は気鋭の評論家の意見が中心となり、後者は独自の情報収集力に大きな魅力があります。次は、『リテラ』、そして、(玉石混交ではありますが)『阿修羅』と『るいネット』でしょうか。強い「個」による独自の情報発信には、ある意味で普遍的な魅力が感じられるものです。もちろん、基本的な情報を入手するには、『東京新聞』や『毎日新聞』そして『沖縄タイムス』や『琉球新報』などの電子版が便利です。最近、地方紙の健闘が目立っていますが、全国紙ではやはり『毎日』でしょうか。この他にも、The Guardianなど、外国のメディアも適宜参照すべきと言えましょう―――極めて不十分ですが、CPには翻訳機能も付いています。それにしても、NHKニュースや読売・産経系を中心とする報道番組は、もう直視できないほどの浅ましさです。それに鑑みますと、少なくとも、上記のようなメディアが残っていることこそが、現時点における日本の「救い」なのかもしれません。

   最近、世の中の〈劣化〉がより一層心に重くのしかかってくるのを感じます。子供達の未来が心配でなりません。福島第一原発事故から5年。原発事故によって故郷と未来を奪われた人々。「原子力村」を中心とする「エスタブリッシュメント」の鉄面皮な私欲と無責任。東電会長ら3人に対する強制起訴、そして、高浜原発3・4号機の再稼動と大津地裁判決。各メディアの報道姿勢には本当に大きな差があります。しかし、この5年間のマスコミの動向を注意深く見てくれば、どのメディアが「真実」を伝えてきたか、あるいは、伝えているかは明白です。あとは、「明日は我が身」の私たち〈一般ピープル〉の「民度」にかかっていると言って良いのではないでしょうか。



おばあちゃんたちの思いも大切にね
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2月の「楽」―文化編

人形浄瑠璃とダ・ヴィンチ展
 ―――「芸」と「術」の極致。そして、東京スカイツリー



   ※サロさんとの散歩の時間が増えています。それにしても、サロさんはいつになったら引っ張るのをやめるのでしょう。体力的にまだまだ負けています(汗)。ところで、家にいてもパソコンさえあれば飽きることはありませんが、しかし、舞台にしても、美術にしても、景観にしても、やはり、実物は〈迫真力〉が違うのです。今月は、文楽とダ・ヴィンチ展、そして、東京スカイツリーに行きましたが、どれもその〈迫力〉に圧倒される思いでした。


☆ 文楽公演 『靭猿(うつぼざる)』
       『信州川中島合戦』 輝虎配膳の段・直江屋敷の段 
                     (国立劇場・小劇場)


  ※近松門左衛門の作品を直に見たいと思い、国立劇場・2月文楽公演(第1部)に行ってきました。席も大変良かったのですが、義太夫と三味線の音そして人形たちの動きを大いに楽しみました。人形浄瑠璃の世界に一層引き込まれそうです。ところで、今回とりわけ強く感じたのは、近松の「〈人情〉優位の世界観」だったと思います。これを、単に、「情にほだされて改心する」陳腐なものと解するかどうかは、また、「思想的」な問題というべきでしょうが。

   まず、『靭猿』ですが、これはもともと狂言の演目でしたが、近松が『松風村雨束帯鏡』五段目の劇中劇として取り上げたものとのことです。話は、「我儘」な大名が自分の靭(矢の携帯ケース)を作るために猿曳の猿を殺して差し出すよう命じたので、猿曳は止むなく可愛がっていた猿を「安楽死」(?)させようと杖で急所を打とうとしたところ、猿はその杖を取ってこれまで教えられてきたように舟を漕ぐ真似をしたので、その姿を見た大名が「ヤイ畜生でさへ物を知って嘆くに、殿が物の哀れを知らぬといふは鬼畜木石に劣った、命を助けた、早や早や連れて帰れ」と言って、猿の命を助けるというものです。
   また、『信州川中島合戦』は、以前、歌舞伎で「輝虎配膳の段」を見ていましたが、今回、「直江屋敷の段」も通して見ることによって、新しい見方を獲得できたように思います。まず、印象に残ったのは、この2つの段を通して、「悪者」は一人も登場しないということです。そして、登場人物は、上杉と武田方に分かれ、その敵対的(仇)関係の中で「義理」に縛られつつ争うことになるのですが、親子や夫婦間の愛情、とりわけ、母の子に対する愛情、子の母に対する愛情、そして、それに対する他者の「共感」を仲立ちとして、そうした敵対的関係をある意味で乗り越え、相互的な理解と融和の可能性を示すことになるのです。「短慮高慢」な輝虎が、何故無礼な勘助の母を許し、また、勘助とその妻お勝を国に返し、そして、信玄に「塩」まで贈ったのか。いうまでもなく、それは、「人情」の原初的あらわれである「親子」の情愛に対する〈共感〉(惻隠・憐憫の情)からに他ならなかったということでしょう。実際、敵・味方、あるいは、種族や身分の異なるもの同士の相互的な理解と融和は、そうした感情抜きにしては成立し難いのではないでしょうか。また、今回の作品を見ることによって、『国姓爺合戦』などに見られる忠義のためには自分の子供をも犠牲にするといった設定は、封建的忠誠心を賛美するためのものなのでは決してなく、そうした最も原初的な情愛すらも否定する「武家」道徳のおぞましさや非人間性を際立たせるためのものであったに違いないと確信することができたのです。



☆ 『レオナルド・ダ・ヴィンチ─天才の挑戦』展(江戸東京博物館)

『糸巻きの聖母』が素晴らしい!
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  ※私は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』を見たことがありますが、正直言って、それほど感激することはありませんでした。そもそも、私自身、絵や写真のモデルに〈心惹かれる〉ことはほとんどなかったように思います。しかし、『糸巻きの聖母』は例外です。これは素晴らしいです。かって、この絵の所有者は長期間の移動の際にはこの絵を持ち歩いたそうですが(NHK・総合『城から消えたダ・ヴィンチ「糸巻きの聖母」の数奇な旅』を参照)、その気持ちがわかるような気がします。また、ダ・ヴィンチの絵を描く力は群を抜いていたようで、彼の弟子たちが同様の絵を描き、会場にも展示されていたのですが、その水準は全く異なっているように思われました。

天才というのはやはり「おかしい」!
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  ※ダ・ヴィンチ展のもう一つの柱は、『鳥の飛翔に関する手稿』です。これは、彼の空を飛びたいという願いに基づいたもので、そのために鳥の飛翔を徹底的に研究しようとしたのでした。また、人物の描写においても、その探求は人体構造の解明からまさしくその解剖にまで及んでおり、なるほど、「天才」とはこういうものなのかと、その「異常」な〈集中力〉に唖然とせざるを得ないほどでした。きっと「天才」というのは「大変」なのに違いありません。


☆ 東京スカイツリー・天望デッキ(350m)と天望回廊(450m)

東京タワーが低い(天望デッキから)
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  ※ダ・ヴィンチ展を見終わった後、私はまだ東京スカイツリーに登ったことがなかったので、隅田川を北上しながら歩いて向かうことにしました。スカイツリーからの展望は想像以上で、遠くの山々まではっきり見ることはできませんでしたが、関東平野を見渡す360度の大展望でした。ただし、天望回廊までの3000円超は痛いですよね。でも、天望デッキとの100mの差は大きいと感じました。

隅田川と荒川沿いの街並み(天望回廊から)
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  ※私の次の「大江戸散歩」は、こちらの方向、王子・千住・柴又といったところを予定しています。とりわけ、隅田川と(旧)江戸川との間は、明暦の大火後、「両国(武蔵ー下総)橋」が架けられて以降発展した場所となります。スカイツリーから見ると、西側には高層ビルが林立し、東側には低層の民家が密集しているのがわかります。また、スカイツリーの眼下に見える運動場(グランド)には蟻より小さく見える人影がかなりのスピードで移動している様子が見られ、地上に暮らしている人間たちの力強さも感じることができました。

夕闇迫る富士山と新都心方面(天望回廊から)
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  ※展望回廊からの眺めは素晴らしものでした。とりわけ、日没の太陽の光を背に受けて姿を現した富士山の姿にはしばし見入ってしまいました。富士には2回登っていますが、望遠レンズを使えば、頂上から、スカイツリーや都庁舎そして東京ドームなども見ることができるでしょう。今年も、また、富士を真近かに見る旅に出たいと思います。

プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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