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第7回沖縄意見広告報告集会(関東)に参加して

  反基地運動の国際的連帯
    ――沖縄の米軍基地は人権と世界平和への脅威だ!



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講演するアン・ライトさん



   6月12日、東京神田駿河台の連合会館で行われた第7期沖縄意見広告運動報告集会(関東)に行ってきました。沖縄で起こった元海兵隊員・軍属による悲惨な強姦殺人事件は私の心に重くのしかかっています。本人やご家族、知人の方々の気持ちはいかばかりでしょうか。その恐怖と怒りと悲しみを思うと気持ちが不安定になってしまう程です。そうした中で行われた今回の報告会。アン・ライトさんやキャサリン・ジェーン・フィッシャーさんら、女性の発言に心動かされることの多かった集会でした。

   集会は、元国立市長・上原公子さんの司会で、まず、参院選に野党統一候補として出馬する元宜野湾市長・伊波洋一さんのビデオ・メッセージ、続いて、辺野古で抗議行動を行っているヘリ基地反対協議会共同代表・安次富浩さんの報告がありました。その後、元米陸軍大佐・国務省外交官のアン・ライトさんの「沖縄とともに、『米軍基地NO!』を世界に」と題する講演があり、休憩後、質疑応答と連帯の挨拶そしてキャサリン・フィッシャーさんの話がありました。

   アン・ライトさんはイラク戦争に抗議して外交官を辞めた人で(その時の「離任状」は、コードピンク大阪のホームページで読むことができます)、著書に『異議あり DISSENT』(コードピンク大阪)などがあります(これについては、天木直人氏のブログで紹介されています)。

   ライトさんは、世界に800もある米軍基地において、今回と同様の事件や環境破壊などが相次いでおり、米軍基地の存在こそがその原因であると指摘していました。性犯罪については、基地の外だけではなく基地の内部でも起こっており(4人に1人)、その原因は軍人が暴力的であるように訓練されるためだと述べていました。米軍帰還兵による自殺や殺人行為の頻発がしばしば報道されていますが、戦争・軍事行動が引き起こす〈死に至る〉心的外傷の恐ろしさは想像以上のものだと思われるのです。さらに、今回の悲劇の原因は、米軍基地が極端に集中する戦後沖縄の置かれた差別的な現状、そして、不平等な日米地位協定下の米軍基地の有様にあることは確かです。最近、英国人ジャーナリストのジョン・ミッチェル氏が入手した米海兵隊「研修資料」の要旨が報道されましたが(『琉球新報』2016・5・25、『東京新聞』2016・5・29)、それは、「米軍が兵士に対して県民を見下すよう教えている。それが海兵隊員の振る舞いに影響を与えていることが分かる。」といった内容でした。そして、このような蔑視が、米軍の特権を認めた日米地位協定によって支えられているのは明らかなことなのです。米軍基地の撤去、少なくとも、日米地位協定の改定が是非必要なのです。
   この後、ライトさんは、Web上でアクセス可能な世界各地の反基地闘争を詳しく紹介してくれました。米軍基地の存在は、安全保障どころか、世界と地域の不安定化要因に他なりません。しかし、世界には反戦・平和の志を共有し、反基地闘争を戦うたくさんの人々も存在するのです。私たちはこうした人々と連帯して行動していく必要があるのです。


   『涙のあとは乾く』(講談社、2015年)の著者であるキャサリン・ジェーン・フィッシャーさんについては、『東京新聞』・電子版(「レイプ被害の体験記出版 強いられた闘い今も キャサリン・ジェーン・フィッシャーさん」、2015年6月13日)でも紹介されていますが、彼女の生の声を聞いて、日本の警察の屈辱的な取り調べ、日本の検察による不起訴処分、そして、米軍が犯人をこっそり帰国させること等々、「日米地位協定」下における米兵の性暴力の実態がどのようなものであるかがより深く理解できたように思います。どれだけ多くの女性が苦しめられてきたことか。とりわけ心に残っているのは、今回の被害者である島袋里奈さんも発したであろう、「誰か助けて!」という叫びについてフィッシャーさんが語ったことであり、私たちはその悲鳴に応えなければならないと強く感じました。日米両政府のおざなりな謝罪や抗議、綱紀粛正や再犯防止策ではなく、日米地位協定の改定はもちろんのこと、米海兵隊基地そのものの撤退を要求していかなければならないのです。フィッシャーさんの勇気と強さに見習わなければなりません。

   (現在、「怒りと悲しみの沖縄県民集会に呼応する 命と平和のための6・19行動」(国会正門前)が行われています。私は「体調不良」のため参加できませんでしたが、その代わり、このブログを書きました。)

    米軍基地は大幅整理縮小
    辺野古新基地断念
    地位協定抜本改定
    戦争法はいますぐ廃止
    海兵隊は全面撤退
    安倍内閣は退陣
    参院選で野党は勝利

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『不思議なクニの憲法』と『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』を観てきました。

 主権者意識とグローバルな視野
   〜「一般ピープル」が幸せになるために必要なこと
    

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サロさんが立ち止まる!「これきれいだね


   ※先週、映画を観に渋谷と新宿に行ってきました。松井久子監督の『不思議なクニの憲法』(渋谷シネパレス)とマイケル・ムーア監督の『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』(角川シネマ新宿)です。また、時間があったので渋谷から新宿に向かう際、何十年かぶりに山手線を一周してみました。けっこう楽しく充実した日でした。

   
   『不思議なクニの憲法』は、先月「奥さん」がある自主上映会で見てきて推薦してくれたものです。アベ政権による日本国憲法の破壊が進む中、24人の知識人や「一般市民」が日本国憲法への思いと日頃の実践を語るドキュメンタリーでした。とりわけ「一般市民」の、人権主体としての、主権者としての、平和の担い手としての発言や行動は、1960年代や70年代とは印象を異にする、国家や公共に対する〈個〉としての在り方の深化を強く感じさせ、頼もしく感じられました。
   有名どころについて言えば、瀬戸内寂聴さんの戦争体験や戦後体験はきっと多くの日本人が共有したもので、日本国憲法が支持されてきたのはこうした戦中派の〈実感〉が基礎にあるのだろうと改めて感じました。また、『戦後史の正体』の孫崎享さんの「70年安保(闘争)はガス抜きだった」という発言は、その後の経過を考えると、団塊の世代として重く受け止める必要があるとも感じました。「立憲主義」の重要性を主張する長谷部恭男(やすお)さんは、9条に対する現行解釈の「妥当性」と意義を確認しつつ、改憲派の目論見と危険性に鑑み、現行9条の安易な変更に警告を発しています。また、原則的な9条解釈を取っているらしい三浦洋一さんのコメントでは、女性に対する戦時性暴力が、それを助けられなかった男性の「自責」の念を利用した、制圧の一手段でもあったという指摘が心に重く残っています。また、赤松良子さんの、「両性の本質的平等」をはじめ、『日本国憲法』の定めた諸規定の〈普遍性〉こそが当時の国民の心を捉えたのだという指摘には説得力がありました。また、『新国防論』の伊勢崎賢治さんは、ジブチでの自衛隊拠点(基地)の建設をはっきりと〈侵略〉と指摘し、国連PKOの変質を論じつつ、「新9条」(自衛戦力と日本の領域に限定した個別的自衛権の行使)を提起しています。もちろん、伊勢崎さんも集団的自衛権の行使を容認する戦争法や自民党による改憲策動に対してはより厳格に反対を表明しているのであって、現在の状況は、木村草太さんの言う、〈魏(集団的自衛権は合憲)に対する呉(個別的自衛権も違憲)・蜀(個別的自衛権は合憲)連合軍の戦いなのだということを改めて確認したところです。

   
   マイケル・ムーアは、『ボウリング・フォー・コロンバイン』や『華氏911』そして 『シッコ』などでお馴染みの映画監督です。また、イラク戦争に反対し、アカデミー賞の授賞式でブッシュ大統領に"SHAME ON YOU!"と叫んだ姿を覚えている人も多いでしょう。
   今回観た『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』は、マイケルがペンタゴンに依頼されて他国を「侵略」し、〈そこにあるもの〉を戦利品として奪ってくるという筋書きです。もちろん、それは「中東から石油を奪ってくる」というのとは対極的なものになります。記憶にたよって羅列すれば、イタリア(有給休暇)、フランス(学校給食)、スロベニア(学費無料)、ドイツ(労働者参加・歴史認識)、フィンランド(学力)、ポルトガル(麻薬)、ノルウェイ(刑務所)、チェニジア(女性解放)、アイスランド(対等な女性の役割・金融)といった具合です。つまり、視野を世界に広げ、「井の中の蛙」の「アホでマヌケな」アメリカ人の〈常識〉を覆し、アメリカをよりよい国にしようというわけです。こうした思考方法は、『ボウリング・フォー・コロンバイン』におけるアメリカとカナダの対比、『シッコ』におけるアメリカとキューバやカナダとの対比にも見られるもので、そうした意味において、マイケル・ムーアの仕事の集大成といった性格を感じる取ることもできるでしょう。そして、そうした「侵略」の中で、マイケル・ムーア自身、他国で実現されている、現在のアメリカにとって「羨ましく」思える多くのことが、実は、かってアメリカ自身が先進的に切り開き、追い求めたものだったということに気付くのです。

   日本が高度経済成長を実現し、経済大国となった1980年代の半ば頃、日本人は、「兎小屋の働き中毒」といった自らの姿に気づき、本当の「豊かさ」とは何かを求め始めていました。そうした中で、私の記憶に残っているのは、ヨーロッパにおける「豊かさ」を紹介した磯村尚徳などの番組でした。イタリアやドイツのゆとりある働き方や住まい、オランダや北欧諸国の安心の社会保障、それこそ「そんなのってありかよ?!」と驚いたものです。
   そして、現在の日本・・・。私たちは、新自由主義(金融資本)と「戦争中毒」(軍産官学共同体)のアメリカの有様を「グローバル・スタンダード」として刷り込まれています。しかし、格差と戦争が組み込まれた「アメリカン・スタンダード」など、私たちを幸せにするはずはないのです。アメリカ人のマイケル・ムーアがグローバルな視野で発見した世界の「常識」は、私たちにとっても貴重なものでしょう。私たちも、日本の歴史や文化からも学び直しながら、「アメリカのポチ」から脱しなければならないのだと思います。

「依存症」考―――舛添・辞任に関連して

 馬で金儲け した奴ぁないよ
  ―――ギャンブル「依存症」は人間を不幸にし、従属的にする?!




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サーヴァントさんも地道に農耕してね



   舛添都知事が〈辞任〉しました。自民党に「説得」されてということのようですが、これで、話の焦点は次の都知事候補者へと移り、〈疑惑の解明〉はこれでお仕舞ということになるわけですね!なるほど、政治資金規正法違反の疑いも消えていないなか、「適切ではなかったが、違法ではない」(ホントかいな!)〈公私混同〉など、自民党議員の皆さんにも身に覚えのある可能性が大ですからねえ。舛添など、なぜ俺だけが責められるのかと憤慨しているのではないでしょうか。それとも、辞職で恩を売って、今後のことはお互いに・・・などという話だったのでしょうか。自民党も、辞職したのだから「武士の情け」で疑惑追及には蓋ということならば、結局、自民党も舛添と同じ、「武士」ならぬ、〈同じ穴の狢〉ということを自ら証明しているようなものでしょう。本来の「武士」はあんなセコイことはしないはずでしょうから。

   ところで、一連の報道の中で私が大変興味深く感じたのは、舛添が千葉のホテルで「会議」をしたという出版社の社長が「競馬の神様」のような人で、また、舛添自身、大の〈競馬好き〉であったということです。私は、以前、カジノ推進派の麻生太郎の眼を見て、あの眼はジェリコーの『賭け事偏執狂』のモデルに似ていると感じたことがありました。彼はラスベガスあたりで散財なんてしていなかったでしょうねえ?そして、これとの類推でいえば、舛添の〈競馬〉の成績はどんな具合だったのでしょうか。同じ前都知事・青島幸男が作詞した『スーダラ節』の一節に、♫馬で金儲け した奴ぁないよ♫ というのがありましたが、もし、舛添が馬で大損していたとすると、今回のセコ〜イ「公私混同」もそれと関係があるかもしれません。セコイ「一般ピープル」の勘ぐリでしょうか。競馬が舛添の足を引っ張ったなんてことはないでしょうねえ。

   ちょっと前まで、清原和博の覚せい剤使用問題がマスコミを賑わせていました。私は、彼の眼も典型的な「依存症」患者の眼だと感じていました。薬物依存の重大性は周知のことですが、ギャンブルも薬物と同じく「依存症」の代表的事例に他なりません。それにもかかわらず、麻生はもちろん、アベなどは、より多くのギャンブル「依存症」患者を生み出すであろう〈カジノ特区設置・パチンコの換金合法化〉などの政策を推進しようとしています。彼らは、国民をどのような方向に誘導しようとしているのでしょうか。ということで、今回は、「ギャンブル依存症」とは人間をどのようなものにするのか、素人ながら、自分の頭で考えてみたいと思います。

   ギャンブルにも色々な種類があります。ただ、私の日常生活の回りを眺めてみると、麻雀・パチンコ・競馬・競輪・競艇・オートレースといったものになるだろうと思います。そのなかで、私が直接やったことがあるのは麻雀とパチンコです。
   さて、世の中には、ギャンブル好きとそうでない性格の人間がいることは確かなようです。つまり、「勝負ごと」が好きで、ある程度、「勝つ」ことへの欲求や自信が強いといった人物です。ところが、麻雀は3人の生身の対戦者を前に、実際、「うまいーへた」という技術的・能力的な面が大きく作用します。これは囲碁や将棋でも同じですが、そうした面ではかなり厳しい技術的な修練を必要とし、いわゆる〈病〉的な「依存症」に陥ることはかえって少ないようにも思われます。これと対照的なのがパチンコで、要するに、勝つか負けるかは機械の設定にほとんど関わっており、業者が行う高設定の台を見分けることなどほとんど〈偶然〉に左右されるといってよいでしょう。すなわち、それは「神の恩寵」のレベルであって、どんなに驚異的な音楽的才能を与えられていたモーツァルトでも、天才的知能指数を誇る物理学者でも同じことなのです。ところが、逆に、私のような凡人でも、当たる時には当たるのです。そして、総じて、相対的な「不幸」感に支配されている状況においてこそ、その「僥倖」に対する喜びは非常に大きく感じられるのです。まさしく、〈ドーパミン〉・ドバーです。そして、これが薬物と同じような効果を人間の身体に及ぼすというわけです。
   繰り返しになりますが、日常生活においてある種の「欠乏感」を抱きつつ、こうした刹那的で強烈な快感を経験すると、逆に、その瞬間以外の時間と生活は「面白くなく」感じ、さらには、苦悶・不眠・幻覚・妄想――流涎・動悸・疼痛・嘔吐といった自律神経系の禁断症状を発症し、まさしく、〈不幸〉の自己意識を激化させることになるのです。つまり、ギャンブル依存症は〈快感〉を媒介に〈不快〉・〈不幸感〉を日常化させるのです。そして、このことは、必然的に、敵対的な人間観や社会観そしてトラウマ的な自己崩壊感を生み出し、犯罪や自傷そして自暴自棄や諦念を生み出し、自分はもちろん家族や同胞に対してすら大きな被害を与える可能性を生み出すわけです。

   以上が、「ミイラ取りがミイラ」になりながら、〈敵情〉を偵察してきた結果報告です。中には存在するだろう、〈負けも楽しめる〉、余裕ある「粋」な〈通人〉は別でしょうが、世間で言われているギャンブル依存症の問題性は明らかだと思われました。そして、高齢者も多く席を占めているパチンコホールは、現代日本における、ギャンブル依存症患者の、「阿片窟」のような存在だと思われました。現在、パチンコの市場規模は19兆660億円、1260万人が平均23万円負けているとネットには書かれていました。戦前の軍や政府は占領地で阿片を売っていたといいますが、現代日本の「カジノ議連」は、この日本にギャンブル依存症患者をさらに増やしたいと考えているのでしょうか。そのことによって、これからの日本はどうなってしまうのでしょう。アベ、アソウ、どういうつもりなんだ?!

日本の〈政治〉的支配層――晴耕雨ブログ2016・6月

参院選後の爽やかな梅雨明けを!
  ―――この有様を前に、日本の主権者の「良識」が問われている 



 
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右の花器はMさんから頂いたカラーと泰山木


    ※サロさん!この梅雨時の朝の散歩は大変だね。背の高い草むらはズボンがビショビショになって気持ちが悪いからね。でも、梅雨入り前は農作業で大変だったけれど、梅雨に入ってほぼ一段落。後は、サヤエンドウに代えてゴーヤを植えようかな。ところで、先日、Mさんの庭に咲いていた花をもらってきて「姉貴」に活けてもらったけれど、こんな素晴らしい花が庭にあるなんてすごいよね。最近の世の中、〈狡くて〉、〈薄汚い〉ことばかりが耳目に入ってくるけれど、私たちが本当に求めているものは、こんな花を〈素直に〉受け入れることのできるような「世の中」ではないのかな。

   ところで、自公政権下のいまの「世の中」を国民はどのように受け止めているのでしょうか。衆参同時選挙を止めたということは、当然、現状では衆院の現有議席(2/3)の確保は難しいと判断したからなのだとは思います。しかし、こんな状況下でも、アベ政権やそれに類する政治屋さんたちを支持し続けられる人たちの心象構造あるいは基底的価値意識とはどんなものなのでしょうか。言っていることとやっていることの乖離、言っていることと目の前の現状との乖離、そして、なにより、それを口からでまかせの鉄面皮なウソで取り繕おうとする姿・・・アベとその同類たちの姿は、私のような凡人には、「あそこまではできない!」と半分感心するほどのレベルです。甘い汁を吸っている実質的な「お友達」たちは当然としても、恩恵などほとんど受けていなさそうに見える私と同じ「一般ピープル」の一定数の人々がなぜ彼らを受容できるのでしょうか。それが現状の根本問題だと思えます。

   こうした問いに対して、アメリカのある識者はテレビで次のような見解を述べていました。すなわち、テレビでスポーツやワイド・ショウ番組しか見ない一定数の人々は、これらの番組の合間に流されるCMやニュース・ショウで聞く「意見」(イメージ)に決定的に影響されるということです。そして、こうした「意見」(イメージ)は、政治学におけるイデオロギーの「掩蔽(えんぺい)」機能とも関連し、とりわけ、〈不安・危機〉などによって昂じた激情的な「心理」状態や様々な形態をとる非主体的な〈従属的〉「思惟」に絶大な影響を与え、まさしく、合理的で良識的な判断を阻害して、目の前に展開している事態を全く違ったものとして〈イメージ〉させることを可能にするのです。可愛く言えば、「あばたもえくぼ」でしょうし、戦前流に言えば、大本営発表の「転進・玉砕・神風・・・」ということになるでしょうか。今アベ政権を支持している人々には、私もアベや櫻井や橋下の話そしてNHKニュースなどを聞きますから、例えば『日刊ゲンダイ』や『RITERA』の政治・経済記事などを、是非、〈是々非々〉で、〈主体的〉に読んでみることをお勧めしたいと思います。まあ、読まないでしょうけれど。

   それにしても、最近の日本の「支配層」の腐朽ぶりは目も覆わんばかりです。とりわけ、〈政治〉的支配層の〈低劣〉ぶりは凄まじく、私のような「一般ピープル」の想像をはるかに超えたものになっています。最近の象徴的事例は甘利と舛添問題ですが、舛添などは、猪瀬と同じく、麻生のような「エスタブリッシュメント」の家系に属さなかったからでしょうか、自公からさえも言いたい放題言われ、「スケープゴート」にされる寸前といえます(今日の集中審議が山らしい)。なにしろ、〈お手盛り〉「第三者」によって「適切ではなかったが、違法ではない」とされた行動様式が常態化していることだけは確かなのです。しかし、「ゲス」の典型のような舛添を都知事に持ち上げ、さらに、あのやりたい放題だった石原には一言も言えなかった(!)自公が舛添とどれほど違うか、それはこれまでの政治家先生たちの事例を見ても容易に想像がつくというものです。それにしても、あの小渕優子問題にも関わった「第三者のプロ」といわれる元検事・佐々木善三という〈弁護士〉の話は信用できるのでしょうか。「報告書」自体がまゆつば物とも感じるのですが、とりわけ、舛添が千葉のホテルで『会議』をしたという人物について佐々木が話したこと(直接は聞けなかったが、「出版社の社長の周囲の人からヒアリングをしたところ、それを裏付ける事実関係は確認できている」)が真実を伝えるものでなかったら、それこそ、彼自身が法曹界の人間としては失格ということになりますよね。さて、さて。

   さらに、もっと大きなのは甘利問題です。検察が不起訴にすると、「睡眠障害」もなんのその、イケシャアシャアとスッキリした顔で出てくるのです!やはり、国民は甘いとなめているのでしょう。「あっせん利得法」がザル法だという指摘もありますが、それよりも、今の検察は、あれだけ明々白々な醜い要求と授受があっても、甘利のような「エスタブリッシュメント」だと、起訴すらしないのです。『日刊ゲンダイ』には甘利放免の「黒幕」として法務省の黒川弘務官房長の名前があがっていますが、要するに、〈司法〉もアベとつるんでいるということなのでしょう。「国策捜査」(小沢)と「国策不起訴」(甘利、他)。アベは「私は立法府の長」だと何回も発言していますが、おそらく、「私は司法権の長」だとも考えていることでしょう。「ふふふふ、三権分立なんて嘘っぱちさ。僕ちゃんが〈最高権力者〉(「独裁者」)なんだもんね」というわけだ。とにかく、不公平な徴税システムの下で国民から税金をぼったくり、それを〈自分〉と〈「お友達」〉のために〈勝手〉にあるいは〈こっそり〉と使い、挙げ句の果ては、法的に制限・統制されている自らの〈権限ー権力〉を「無制限」に〈恣意〉的に行使しようと企んでいるわけなのです(緊急事態法、とか)。

   先ほど、NHKの世論調査の結果を見ましたが、世論調査の経過自体も、「第三者」によって監視した方が良いと思います!NHKではありませんでしたが、私のところにも調査の電話があり、年齢を聞いてから電話が切れてしまいました。私の意見はどう処理されたのでしょうか。詐欺電話だったかもしれませんがね(笑)。



プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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