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『シン・ゴジラ』を観て―――2016年夏

「世渡り上手」な”ネオン・ジェネシス”・ゴジラ
  ―――福島原発事故以後の「核と戦争」に対する”エリート”の想い


   ※台風とこの蒸し暑さのために畑仕事の時間を縮小し、宇沢弘文と佐久間象山、『仮名手本忠臣蔵』そして”DECLARATIONS OF INDEPENDENCE(Zinn)"を読んでいました。そんな中、今週の火曜日、「奥さん」と「姉貴」が今話題の『シン・ゴジラ』を見に行くというので私もついて行くことにしました。見終わった後の三人の感想は、三人一致して「面白かった!」です。とはいっても、それは三者三様のかなり屈折した意味合いにおいてのものだったようで、たとえば、結構映画好きな「奥さん」は「このご時世に、かなり危ない話よね」とか、限りなくオタクに近い「姉貴」は「好きなように作ってかつシリーズに沿ってよくまとめたね」とか、また、愚直な田舎者である私は「否定の否定は肯定ですかねえ」とかいったふうでした。さらに、昨夜は、『ガンダム』ファンらしい「1st兄貴」の〈映像技術〉の重要性に関する「ご高説」も伺ったのですが、とりあえず今日は、私が感じたことの幾つかを書き記しておきたいと思います(ネタバレ注意)。

   
   
   さて、「1st兄貴」には批判されるのですが、私のこの作品に関する主要な興味と関心は、もちろん、脚本・総監督の庵野秀明氏の「社会思想」にあります(野暮ったいですねえ!)。それにしても、脚本と演出が同じ人間だと、台詞から映像表現まで、よくここまで『新世紀エヴァンゲリオン』に似るものです!まさしく、これは、庵野秀明氏の”ネオン・ジェネシス(「新・創世記」)・ゴジラ”と言って良いでしょう。もちろん、それはけっして悪いという意味なのではなく、かえってこの『ゴジラ』を面白くさせているのだとは思います。

   ところで、私は、2年前の夏、このブログで「『ゴジラ』を観る(1)〜(3)」をアップしました。私の基本的な『ゴジラ』観は1954年版と1984年版にあるのですが、そうした観点から今回の『シン・ゴジラ』を見ますと、「核」(原発ー放射能)と「戦争」(核兵器使用も含めた集団的自衛権行使)の問題に対してこの作品が放つ社会的メッセージを安易に受容できるとは思わないにせよ、それは、2011年の福島原発事故と昨年の戦争法成立という日本の現状を踏まえた、日本人の手による立派な『ゴジラ』になっていると言って良いと思うのです。それは、あのアメリカ版『GODZILLAゴジラ』(2014年)とは全く〈質〉(時代との格闘)を異にするものといってよいでしょう。

   まず、ここに登場した〈新しい〉ゴジラが〈福島原発事故〉によって放出された放射性物質の「比喩」であろうことは明らかだと思います。それは、現実に首都圏に流れ込んだ放射性物質であり、また、例えば浜岡原発で大事故が発生した際流れ込むであろう放射性物質による深刻な汚染とそれによる被害です。このことは、ゴジラをあの「在来線爆弾」とともに一応「抑え込んだ」ことになっている、福島でよく目にした大型の「放水クレーン」や凍土壁に注入される「冷凍液」を思わせる設定にも表れているといってよいでしょう。そして、膨大な電力を消費しつつ、原発事故を遠くの出来事のように錯覚している東京こそが、放射能汚染と核戦争の「現場」として突きつけられるのです。

   ところで、五感によっては捉えることのできない放射能の危険性と熱核兵器の爆発に対して、対抗しうる手段はあるのでしょうか。もちろん、それは基本的にあり得ないのです。それは、これまでも日本の『ゴジラ』によって表現されてきたように、自衛隊の最新兵器によってであろうが、米軍の無人機やステルス爆撃機によってであろうが、不可能なのです。せいぜい、まずは遠くに逃げるか、短期間核シェルターに閉じ籠るかぐらいでしょう。そうであるにもかかわらず、アメリカと「国連」安保理は、それに対して熱核兵器で対抗しようとするのです。しかし、そもそも、原発に核兵器をぶち込むことなどあってはならないでしょうし、また、核兵器に対してではあれ、膨大な都民の犠牲を前提とする核兵器による無差別攻撃を容認するとすれば、一体、日本政府は何を何から守ろうというのでしょうか。もちろん、『シン・ゴジラ』の主人公たちは、そうした手段を極力避けようと努力し、そして、それに成功することにはなるのです。これまでの日本の『ゴジラ』のように。―――しかし、アベ政権はオバマの核兵器〈先制不使用〉の宣言に反対したのだそうです。日本の現状は、あのバカバカしい『GODZILLAゴジラ』の世界にすら接近しているようです。

   ところで、私は、米軍の地中貫通爆弾によって攻撃され苦しむゴジラの様子を見て、「かんばれゴジラ!」と応援したい気持ちになりました。あのゴジラの動きは狂言師・野村萬斎氏のものが使われているそうですが、このように、ゴジラの中に同じ生物としての命を感じさせたり、あるいは、同じ人間の手によって生み出された核技術による「犠牲者」の姿を感じさせるのも、日本の『ゴジラ』の特徴と言えるでしょう。ゴジラは怒っているのです!そして、どうすればゴジラは元の平和な生活に戻れるのでしょうか?!

   この点とも関連し是非付け加えておかなければならないのは、牧博士のことです(写真には庵野が私淑した『日本で一番長い日』の岡本喜八監督のものが使われています)。彼は『ゴジラ』の芹沢博士のように海に沈んだ(自殺した)のですが、その時の遺品が、宮沢賢治の『春と修羅』と「折り鶴」の形にすると意味を放つ「曼荼羅」(ゴジラの「体組成ー遺伝子」情報)でした。「折り鶴」といえば〈平和への祈り〉、そして、「曼荼羅」で私が思い起こすのは南方熊楠の曼荼羅(宇宙と世界の構成原理ー「生態系」)です。そして、被爆者の妻を持ち、(放射性物質を食べて変性した)ゴジラの存在を発見した牧博士とゴジラ自身との関係(「遺伝子操作」?)は不明ですが、ゴジラの存在が、人間によってつくり出された恐怖(核戦争と原発事故)の「ブロウバック(逆流・しっぺがえし)」であり、現代文明への抗議・警告の意味を持つだろうことは容易に想像しうるところです。また、彼が残した「私は好きにした。君らも好きにしろ。」という言葉は、人間が引き起こした核戦争や原発事故を前にして、君たちはどのような選択をするのか(核兵器と原発の廃絶か存続かという自由意志による選択)という呼びかけになっているのだろうと思われます。そして、もちろん、彼の曼荼羅は、米国を中心とする多国籍軍(国連)による核攻撃とは違った〈道〉を指し示すものだったわけです。

   さらに、『シン・ゴジラ』を非常に興味深いものにしているもう一つの特徴は、日本の政治体制(政治的・軍事的意思決定過程を構成する法的諸制度や人的要素)に対してかなり辛辣な「批判」的論評を与えていることです。たとえば、世襲と保身と無責任に特徴付けられる政治家たち、ただ只管権力の位階制を這い上がろうとする立身出世主義の官僚たち、空虚なエセ科学主義を振り回す御用学者たち、等々です。そして、とりわけ強調されているのが、戦後の日本をアメリカの「属国」だとはっきり「規定」していることです。このことは、日米安保体制や原子力行政をはじめとして、最近の米国側からの情報公開によってますます明らかになっている事実に他なりません。しかし、この映画の主人公は、こうした政治体制の内部にありながらも、「国民の幸福」に責任を持とうとする、若き〈エリート官僚〉たちと設定されているのです。もちろん私は、こうした「エリーティズム」を簡単に信用するものではありませんし、さらに、彼らの活躍を可能にした政官の「イスタブリッシュメント」たちを結局みんな日本を真剣に心配した「いい人」たちでしたとするが如きの「結末」には、現在のアベ政治の現状を考える時、全く「おめでたい」話だと思わざるを得ないのです。
   
    とりわけ、私が不安に感じたのは、彼ら若きエリート官僚たちが、有事における権限の集中(ー国民の人権の制限)を求めているらしいこと、また、一定の「抵抗」を示しつつも、最終的には、東京におけるゴジラへの核攻撃という国連安保理の決定や多国籍軍による集団的自衛権の行使を「受容」していること、さらに、「ゴジラ」(原発・放射性物質そして核兵器)との安易な「共生」すら呼びかけているように思われることです。もちろん、こうしたメッセージは、「緊急事態法」や「集団的自衛権の容認」そして「原発の再稼動」などといった昨今のアベ政権の政策と〈親和性〉を持つのであり、〈現政権〉を支える「権力エリート」たる人々には「当然」のことと言えるのでしょうが、私のような「一般ピープル」にとっては、〈とんでもない〉方向性を意味するのです。大体、一部の「権力エリート」の判断が決して信用できるものではないことは歴史的にも自明のことですし(たとえば、破局を招来した大日本帝國憲法体制を想起せよ)、また、我々の生活を最後に守るのは決して軍隊(自衛隊)なのでもありません(「一般ピープル」の〈自発〉的「抵抗」に決まっています)。また、「ゴジラ」との「共生」がもし原発の再稼働などを意味するのだとすれば、そんなものは欺瞞以外の何物でもないでしょう。「世渡り上手」な先生方からは、廃炉をも可能にする原子力技術の維持・発展のためには原発の再稼働が必要だなどという議論を聞くこともありますが、現実の原発再稼動がそうした目的のために行われるなどとは笑止千万なことです。すなわち、現在推し進められている原発再稼動はあくまでも「原子力村」のセコイ利益実現のための商業的稼動に他ならないのであって、廃炉などのために必要な原子力技術の研究・開発は、各電力会社の責任も明らかにしつつ、公共的に組織された機関で行えば良いのです。

   それにしても、スリーマイル島(1979年)〜チェルノブイリ(1986年)〜福島(2011年)と、私の人生の半分にも満たない30年ほどの間に繰り返されてきた原発事故がこの地震列島において再び繰り返されることはないなどという如何なる(科学的)根拠が存在するというのでしょうか。何しろ、ゴジラは怒っているのです!早くこの地上から姿を消し、ゆっくりと休みたいと思っているはずなのです。

  
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2016年夏(2)―――鹿沢・池の平湿原

 池の平湿原のハイキングが楽しい!
   ――そして、〈一般ピープル〉にはバイキングがいい!



   ※都知事選がほぼ〈最悪〉の結果で終わり、内政・外交ともに〈ナショナリズム〉のウンザリするような猿芝居が演じられています。こうした中、日常生活を送る「一般ピープル」たる私は、腐臭を放つ〈エスタブリッシュメント〉を「軽蔑」しつつ、彼らに踊らされ続ける同胞の「情けなさ」にため息をつくばかりです。しかし、私個人としては、あんな〈底意地〉が悪く、その上、限りなく〈せこい〉輩に思いのまま動かされるのは真っ平御免ですので、ぶつぶつ言いながらシコシコと生きていこうと決意しているわけなのです。さらに、これからの人生がそう長いとは到底思われません。楽しまなければ親不孝というものです! ということで、今回は、毎年恒例の、家族旅行の報告をしておきたいと思います。ただ、出不精な「1st兄貴」は、いつものようにサロさんと一緒にお留守番でした。お土産は、ブルーベリー1カップと信玄餅です。


「池の平湿原」が気持ちいい!
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  ※今回は、子供達が幼い頃キャンプをしたことのある鹿沢休暇村に行ってきました。「2nd兄貴」は何しろユックリしたかったようですが、それではもったいないので、近場の「池の平湿原」をハイキングすることにしました。高山植物の盛りは過ぎていたようでしたが、ツバメが水浴びをする鏡池をはじめ、雲上の楽園という趣でした。「姉貴」と私は、ちょっと足を伸ばして「三方が峰」まで行ってきましたが、ここも、小諸市や四阿山など、360°の展望が楽しめました。その間、「2nd兄貴」も、(ポケモンではなく)蛇を見つけたりしながら、のんびりと湿原を3周していたのでした。この位がちょうど良かったようです。




集合写真がホラー的?
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  ※これはハイキング後の集合写真ですが、「2nd兄貴」は「これじゃあホラーじみている。せめて、黒で塗りつぶしたら!」と批判します。確かに(汗)。特に私が気持ち悪いですね。申し訳ありません。




バイキングは「両者両得」でしょう?!
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  ※休暇村の食事は夕食・朝食ともにバイキングでした。まあ、色々なご意見もありましょうが、こうした機会など一年に何度もない我家のような「一般ピープル」の家族にとって、色々な種類の料理を、何しろ、腹いっぱい食べられることは大変幸せなことです。また、日頃、食事の支度で苦労している「奥さん」によると、肉を焼き続けている人は大変そうだけれど、料理や配膳にかかる人件費などのことを考えると、この方が双方にとって合理的なのだろうということでした。何はともあれ、私たちは、ただひたすら食べまくったのでした。




真田「六文銭」は大人気!
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  ※いやはや!国道144号線など、群馬から長野にかけての街道筋には、「真田街道」という旗指物がズラッと並んでいました。我が家の女性陣も欠かさず見ているようですが、大河ドラマの影響とは凄まじいものです。何年か前に、上田城も見てきましたが、あの頃はこんなではなかったと記憶しています。私は、幼い頃、杉浦茂の『猿飛佐助』をよく読んでいましたから、真田十勇士のファンだったのでしょう。まあ、よくはわかりませんが、見ている分には面白いですよね。「姉貴」なんかは大はしゃぎでした。




自然学習歩道「かえでの小道」で
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  ※最後の日程は、昔懐かしいキャンプ場を見物した後、自然学習歩道「かえでの小道」を歩きました。ただ、キャンプ場の釣り堀はもっと大きかったように記憶しています。記憶違いでしょうか?また、自然歩道では、私が小さい頃よく取りに行った山葡萄のツルなどが見つかり、とても懐かしく感じました。それにしても、美味しい水とオゾンいっぱいの樹林帯の空気は本当に人を幸せにしてくれます。サロさんも含めて、真夏の20日間をこんなところで過ごせたら、どんな感じなのでしょう。そして、5時間後の下界は、「本当に大変なところだ!」と改めて感じざるを得なかったのです。



2016年夏(1)―――常念岳〜蝶が岳〜上高地

槍・穂高連峰の大展望台を行く
       ―――ゆとりが楽しさを生む!



   ※「姉貴」がまだ北アルプスに行ったことがなかったので、今年は「姉貴」の前期の仕事明けを期して、常念岳〜蝶が岳〜上高地のコースを計画しました。ただ、私の右足にトラブルが発生し、一泊二日の予定が二泊三日へ変更となりました。しかし、災い転じて福となす!三日目の午前は好天にも恵まれ、「姉貴」は上高地をゆっくりと堪能することができたようです。

ヒエ平から一ノ沢コース
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  ※私は右足首に若干不調があり、「姉貴」は運動不足で不安だというので、登りは比較的楽だという一ノ沢コースを選びました。確かに、登山道入口(1260m)から常念乗越(2450m)まで、昼食と休憩を含めて5時間ほどで登ることができました。とりわけ印象深かったのは「最終水場LastWater」(2250m)で、腹一杯冷たい水を飲み、満足感に浸ることができました。




常念乗越で
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  ※夏の北アルプスの難点は、人気が高すぎて、山小屋が超満員となることです。私が北アルプスからずっと離れていたのもそのせいです。しかし、その山小屋も40年前と比べると随分改善されていました。寝具もトイレも清潔ですし、食事なんかは全然違います。また、稜線上の山小屋泊まりで今回特に良かったのは、雲の晴れ間に満天の星を見ることができたことです。「姉貴」は感激していました。



槍を背に朝日に照らされて
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  ※早朝4時、ヘッドランプをつけて、小屋を出ました。岩場の急登をゆっくりと登っていくと、次第に空が白け、朝日が顔を出します。こうした色彩の変化も山ならではのことです。至福のひと時と言えます。



40年ぶりの常念岳(2857m)
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  ※40年ほど前、「奥さん」と義弟と三人で、三俣から前常念を経て常念に登っています。頂上で見た快晴の空に突き出た槍・穂高連峰には本当に感激したものです。ただ、今回は、人も多かったせいなのでしょうが、頂上が随分狭く感じられました。あの時は方位盤に乗っかって写真を撮ったと記憶しています。



常念岳山頂からの槍ヶ岳(3180m)
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  ※霧も流れていましたので、朝陽にブロッケンも出現しました。ところで、この景色を見た「姉貴」はあの槍や穂高に登りたいと思ったのでしょうか。今回の登山で最も関心の高いのはその点です。答えはまだ出ていないようです(笑)。



槍・穂大展望の縦走路を行く
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  ※大快晴というほどではありませんでしたが、槍・穂高を本当に目前に見ることができました。槍や穂高に登ってもこの景色は見ることができません!「日本アルプス」という名前がなるほどと思える景色です。



縦走路から常念を振り返り見る
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  ※中央に少し見えるのが常念と思われます。縦走路は快適だったのですが、サロさんとの散歩で少し痛めていた右足首が若干気になり始めました。やはり、完治はしていなかったようです。



印象的な大キレットを背に
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  ※「姉貴」が今回の山行で最も印象に残ったのは後ろの「大キレット」だったそうです。やはり、氷河が削り取ったのでしょうね。スケールが大きいですね。



蝶が岳(2664m)からの下山に備えて
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  ※蝶が岳に着くと、山頂は広く、周辺には這松帯が広がっていました。20分程小休止し、体調を整えてから、予定通り、横尾に下山することにしました。



横尾への分岐。これからが苦難の連続だった(涙)
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  ※まず平地にたどり着けば一安心ということで、後ろに見える梓川を目指して下山を開始しました。しかし、登りや平地ではほとんど気にならなかった右足の膝の後ろが強烈に痛み始めました。足首をかばって、膝を伸ばして踏ん張ったため、筋を痛めたらしいのです。コースタイム2時間のところを、足をかばいながら、3時間10分かけて横尾にたどり着きました。その後、平地をを徳沢まで歩き、そこで一泊することにしました。しかし、これが大正解となります。



早朝の穂高連峰と梓川
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  ※徳沢の宿は、風呂にも入れ、食事も豪華で、ちょっとしたブルジョア気分に浸ってしまうほどでした。しかし、この宿で熟睡できたことは大きく、三日目は、天気予報に反して晴天に恵まれたこともあって、ゆっくり「上高地」観光を楽しむことができました。徳沢(横尾)から上高地への道は今まで6回ほど歩いていましたが、こんなに楽しめたことは初めてでした。




河原で石投げ遊び
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  ※美しい山々に囲まれた清流の河原に降り20分ほど遊びました。幼い頃北海道で遊んだ美生川を思い出しました。石投げ遊びもしましたが、「姉貴」は3回、私は、昔とった杵柄で、6回跳ねてくれました。



美しい水の世界の中で
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  ※明神橋を渡り、穂高神社奥宮からの自然探勝路を歩きましたが、樹林帯ー湿地帯ー木道を巡り、「姉貴」は「こんなところがあるんだ!」と感激しきりでした。



さらば穂高よ!―――河童橋で
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  ※岳沢を振り返り見ながら河童橋に到着しました。これまで、私たちはいわゆる人が多い「観光地」を避けてきたので、「姉貴」は人の多い「上高地」の様子を見て、またまた、「こんなところがあるんだ!」と「感激」しておりました。このあと私たちは、バスの「待合所」で『槍穂高縦走』のビデオをゆっくり見てから、帰路につくことになります。  今回の総括―――「無理は禁物!ゆとりが楽しさを生む!」 もう一つ、今回も「姉貴」に助けられたように思います。「老いては子に従え!」でしょうか。



葛飾柴又〜回向院と渡良瀬遊水地―――2016年4月

 寅さんの故郷とラムサール条約登録地へ
    ―――大江戸散歩=クロスカブの旅と家族ミニドライブ



   ※昨夜、映画版の『男はつらいよ』を観ました。『男はつらいよ』シリーズは、学生の頃、白黒テレビで何度か観た記憶があり、また、映画化されたものは映画館では見たことはありませんでしたが、テレビで放映されたものはかなりの数観ているはずです。そして、昨夜改めて第1作を見直してみて、やはり、その人気の理由がわかるような気がしました。寅さんの、自らの境遇と個性に「肚を括った」、〈自由〉で〈力強い〉生き方には私も憧れに近いものを感ぜざるを得なかったからです。私のような「一般ピープル」にとって、寅さんは庶民にとっての「英雄」的存在パタンの一つなのでしょう。ただ、勤め人を親に持った田舎者たる私には、東京下町のあのような濃密な人間関係は身近なものではなく、帰ることのできる場所でもなかったように思われました。私の「寂しさ」の一因でしょうか。
   ところで、今回の映画視聴とは直接関係ないのですが、今年の4月、私は、大江戸散歩の一環として、寅さんの故郷〈葛飾・柴又〉から小塚原の〈回向院〉を訪れていました。そんなわけで、今回は、遅まきながら、2日後に訪れた〈渡良瀬遊水地・公園〉と共にその小旅行を報告しておきたいと思います。




  
〈葛飾・柴又〉〜〈回向院〉4月16日


クロスカブくん駐輪場をGET
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  ※国道16号から柏を経由し国道6号を通って葛飾・柴又に向かいました。江戸川沿いから柴又公園に入り、矢切の渡しー帝釈天参道ー柴又帝釈天ー葛飾柴又寅さん記念館ー山田洋次ミュージアムのルートを2時間ほどで見学してきました。実は最後に気付いたのですが、私は学生時代、このすぐ傍の水元公園の近くで「アルバイト」をしていたことがあったのです。当時は、その存在を知ってはいたと思いますが、矢切の渡しにも柴又帝釈天にも全く興味がなく、見に行こうとも思いませんでした。なるほど、人間の意識の有り様とはこのようなものであり、これが外国のことなどになるともう「とんでもハップン」の状態なのだろうと思います。無関心であることは恐ろしいことです。




矢切の渡し
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  ※映画でもこの江戸川の河川敷と矢切の渡しが最初に映し出されていたと思います。細川たかしの歌でも有名ですが、ここが江戸の端っこだったわけです。遠景もいいのですが、川端に寄ってみると、当時を偲ばせる小さな船着場がありました。泳いでも渡れそうな距離なのですが、これが本当に遠かったのでしょうね。別れが身にしみたことでしょう。




柴又帝釈天参道
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   ※「くるまや」もあったろう帝釈天参道には本当に下町の雰囲気が漂っていました。そして、店のおばさんに生まれて初めて「社長!」と呼ばれ気を良くした(?)私は、いつの間にか〈とら豆〉を買うことになって、ボリボリと豆をかじりながら参詣道をふらついたのでした。もう少し色々な店を見ることができればもっと面白かったことでしょう。




柴又帝釈天
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   ※通称「柴又帝釈天」は、経栄山題経寺という1629年創建の日蓮宗のお寺だそうで、帝釈堂の木彫り(「法華経説話彫刻」)は評判通り立派なものでした。また、後の映画にも出てくる庭園、そして、横山大観の筆になる彫刻の下絵や日本一の南天の床柱など、さすがに歴史を感じさせる風情を持っていました。




葛飾柴又寅さん記念館
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   ※寅さんファンなら1日居ても飽きないかもしれません。映画のセットや戦後の風景などが見られ、それぞれ味わい深い古さが感じられました。写真は、映画以前の寅さんの生活の様子を紹介する「からくり人形」のうちの一つで、サロさんと同じ柴犬がいたので載せておきました。やっぱり、下町には柴犬が似合いますよね!!!この後、「山田洋次ミュージアム」にも立ち寄りました。山田さんの『学校』ものや藤沢周平の小説を原作とした「時代劇三部作」そして『家族』ものなどを通して、彼の基本的な価値観が紹介されており、大変興味深く見学することができました。




小塚原回向院・刑場跡
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  ※葛飾柴又を出て、6号線−318号線−4号線と渡り歩き、南千住駅近くの「回向院」に着きました。「回向院」は周りの家並みに飲み込まれそうな小さなお寺でした。本所回向院の住職弟誉義観が行路病死者や刑死者の供養のため1667年に開いた寺とのことです。刑場では磔・獄門などの刑が執行され、刑死した人たちは回向院に埋葬されたのです。その中には、安政の大獄で刑死した橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎らも含まれており、写真の左側の一番奥の墓石が吉田松陰のものです。




鼠小僧の墓
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  ※また、刑死者の中には「鼠小僧」もいたようで、戒名は「源達信士」となっていました。後方には、さらに古い墓石があり、「天保三年八月十九日」とありますから、1832年、幕末のことだったわけですね。しかし、刑死者をも供養する「文化」が日本にあったことは再確認しておくべきことだろうと思われます。




「観臓記念碑」
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  ※小塚原の刑場では、処刑だけではなく、刀の試し切りや腑分け(解剖)も行われていました。そのため、蘭学者の杉田玄白や中川淳庵や前野良沢が『ターヘル・アナトミア』を持って刑死者の「腑分け」に立ち会い、後に、それを『解体新書』として翻訳するきっかけとなったのです。写真は、そのことを記した「観臓記念碑」の浮彫青銅版とその説明文です。ただ、『蘭学事始』の記述から想像すると、なかなか、複雑な気持ちです。回向院を出た後は、明治通りから122号線を経由して帰路につきました。1日で結構廻れるものです。









〈渡良瀬遊水地公園〉4月18日


ラムサール条約湿地登録地
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  ※私は以前行ったことがありましたが、「奥さん」と「姉貴」はまだでしたので、車で「渡良瀬遊水地公園」ー「谷中湖」に行くことにしました。私にとっては「足尾鉱毒事件」(ー谷中村)との関連で〈悲劇〉あるいは〈国家暴力〉のイメージの方が強いのですが、女性軍にとっては、「ラムサール条約湿地登録地」としての意味合いの方が強かったようです。しかし、この人工湖の現在は実際どうなっているのでしょうか。




谷中湖を背に
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  ※少数の釣り人が点在していましたが、谷中湖自体は非常に静かな佇まいを見せていました。池の周辺には、空飛ぶチョウゲンボウをはじめ、たくさんの動植物が生息しているらしく、それらを保護する地域としての存在意義があるのでしょう。しかし、谷中村のことを考えると、高江のヘリパッドもそうですが、いつまで私たちは国家と独占の尻拭いを強いられるのでしょうか。もう、こうしたことは終わりにしなければなりません。




湿地帯の可憐な花
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  ※汚染された地に咲く草花や木々、そして、そこで生活せざるを得ない昆虫や鳥や動物たち。少なくとも、彼らにはその汚染の責任はありません。鉱毒に汚染された遊水地ではありますが、自然の自浄作用の力も借りながら、すべての生き物が良好な環境で生活することができるよう、これからも最大限の注意を払って行く必要があるはずです。安易な原発の再稼動などもっての他のことです。





六葉のクローバーを見つけたよ!
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  ※そんな中、「姉貴」が「6葉のクローバー」を見つけました。渡良瀬遊水地の生き物たちが「幸せ」でありますように!



「怖い」音楽について―――著作権侵害とやらによる〈再録〉

  音楽は「再現」芸術である!
      ―――「第九」(1942年盤)と「地上の星」

    

   ※昨日、痛い足を引きずりながら山から帰ってくると、私が2013年3月に書いた『「怖い」音楽について―――「第九」(1942年盤)と「地上の星」』という記事が著作権に違反しているということで削除される旨の連絡が入っていました。おそらくその理由は、中島みゆきの「地上の星」の歌詞が引用されていたためであろうと推察されます。ということで、まず、その「著作権侵害」という歌詞の部分を除いて、前掲の記事を再録し、そして、この件についての私見を述べておきたいと思います。お付き合いください。



【再録部分】

   我家で「恐ろしい」話として今でも話題にのぼるものがあります。それは次のような話です。20年ほど前の12月24日、買い物帰りの私と子どもたちは駅を降りて家に向かって歩いていました。すると、私たちの前を前屈みで歩いていた高齢者の方の手から、かなりの数の紙片が当日の強い北風によって、あたかも木枯らしに舞う枯葉のように、次々と吹き飛ばされていったのです。その紙片は、恐らく、競馬か競輪、オートレースか競艇の券だったと思います。当日は、クリスマスイブ。ひょっとすると、彼の家では、奥さんが彼からのお土産(プレゼント)を待っていたかもしれません。夕闇迫るなかでの絶望的な情景。それは子どもたちに強い印象を与えたのです。

    ところで、私は音楽が大好きなのですが、その音楽がとてつもなく「恐ろしく」感じられることもあるのです。今日は、そうした中の2つの例を紹介したいと思います。

    まず、最初は、フルトベングラー指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ブルーノ・キッテル合唱団、ティルラ・ブリーム(ソプラノ)、エリーザベト・ヘンゲン(アルト)、ペーター・アンデルス(テノール)、ルドルフ・ヴァツケ(バス)、1942年録音の、ベートーベン 交響曲第9番ニ短調「合唱」です。とりわけ日本において人気の高いあの「合唱」が、とりわけ、クラシック・ファンなら必ず聴いているであろうフルトベングラー=バイロイト祝祭管弦楽団の演奏で知られるあの「合唱」が、なぜ「恐ろしい」のか? それは、この1942年盤が、第二次世界大戦中、ドイツの各都市が連日のように連合軍の空襲に見舞われ、一般市民はおびえ憔悴しきり、ナチス・ドイツの敗戦の陰が現れ始めた、まさしく「非常体制下の演奏」であったからなのでしょう。出谷啓氏のライナー・ノートにはこうあります。

    第1楽章の猛烈におそいテンポと、再現部のアタマにきかれるティンパニのとどろきわたるような強打、そして再現部の終結あたりからのテンポが徐々に速まってくる劇的な迫力など、素晴らしいかぎりである。第二楽章はまさに気狂い踊りといっていい荒れ方で、いたたまれなくなってくるほどだ。一方第三楽章は、信じられぬほどのおそいテンポでじっくりとうたい上げるが、弦の表情などまるですすり泣きのようにきこえる。そしてフィナーレのコーラスも、断末魔の絶叫をきくようで、思わず肌に粟が生ずるほどの恐ろしさである。オーケストラのみのコーダでは、めまぐるしくテンポが加速されるが、すさまじい迫力で全曲が終わったあと、きき手の心から何かつき物が落ちたような虚脱感を味あわせるのではないだろうか。

    私は、特に、第4楽章の印象が強いのですが、出谷氏の「断末魔の絶叫をきくようで、思わず肌に粟が生ずるほどの恐ろしさ」とは、録音の悪さもあるのですが、言いえて妙だと思います。それは決して何度も聞きたくなる演奏ではありません。逆に、ベートーベンの『第9』が二度とあのように演奏されなくていいように、音楽家たちが二度とあのような演奏をしなくていいようにと、願わずにいられないのです。


    二つ目は、NHKの人気番組『プロジェクトX 挑戦者たち』の主題歌、中島みゆき作詞・作曲の『地上の星』です。『プロジェクトX 』は、戦後日本の、製品開発をはじめとする様々なプロジェクト・チームに参画した「普通の」あるいは「無名の」人々のドキュメンタリー番組(成功物語)でした。それでは、まず、その歌詞を確認しておきましょう。―――ここで、「著作権侵害」という『地上の星』の歌詞が引用されます!

           〈削除〉    

        
    この歌詞のなかに何を感じるかは人それぞれでしょうが、その中に「無名の」・「普通の」働く人々のあり方や思いが表現されているだろうことは言うまでもないでしょう。そして、私などは、この番組の中に、いわゆる「日本的集団主義」の中における、(個的な)「職人気質」の如きものが描かれているように思い、実に興味深く観る事もしばしばあったのです。

    ところで、ある朝のこと、私と息子は、新任研修の行われているある施設の傍を通りかかりました。そして、そこから聞こえてきたのが、新入社員の若者たちが歌う『地上の星』だったのです。その歌声を聞いて、当時高校生だった息子が、「怖え~」とつぶやいたのです。私自身も、その寂寞たるトーンに、1942年盤の「合唱」とは異なるものとはいえ、なにか「肌に粟する」ような恐ろしさを感じたのです。それはなにか絶望感すら漂わせる歌声でした。それは何故だったのでしょうか。

    彼らは、新任研修の中で、まさしく、「地上の星」たれとこの歌を歌わされていたのです。しかし、その時の彼らの精神状況は決して良好なものとは感じられませんでした。確かに、一定割合の非正規雇用が常態化した今の日本において、彼らは正社員の肩書きを手に入れた「恵まれた」若者たちなのかもしれません。だが、あの研修のあとに何が待ち受けていると彼らは感じていたのでしょうか。一時、いわゆる「日本的経営」の良好なパフォーマンスが外国の研究者や企業に注目された時期がありました。実は、『プロジェクトX 』が取材の対象にしていたのはこの頃までの日本企業といってよいでしょう。しかし、この頃の日本企業には、また、「社畜」・「過労死」などといった言葉が存在する状況も生まれていたのです。そして、私自身は、熊沢誠さんの仕事などを通して、「実体経済」を担う職業人としての「職業倫理」やそうした職業人たちの「共同」意識が、「社畜」化や「過労死」を生み出した企業や資本の論理を乗り越える可能性はないのだろうか、などと考えていたのでした(汗)。

    勿論、その後の展開は、「上」はヘッドハンティング、「下」はフリーターに象徴される、新自由主義路線の導入による「日本的経営」の蚕食でした。そうした中で、フリーターなどは、「社畜」・「過労死」に対抗する「フリー・アルバイター」とまでもちあげられながら、低賃金の不安定労働力として使い捨てにされ、これに対して、正規雇用の若者たちは、先の新任研修に垣間見ることが出来るように、相変わらず、「社畜」・「過労死」路線の受容を強いられているようなのです。最近の「ブラック企業」といった造語もその辺の事情を表したものなのでしょう。そして、私は思います。フリーターのあの給料では安定した結婚生活は無理だろうなと、また、「運良く」正規雇用になったとしても、あの相も変わらぬ長時間労働では、結婚できたとしても、配偶者との真っ当な時間の共有すら無理なのではないかと。そんな状況を想像させる『地上の星』だったのです。

   ベートーベンの「第9」も『時代』や『ファイト』を歌った中島みゆきの『地上の星』も、それを聴きそして歌い・演奏するシチュエーションによって全く違って聞こえるものなのです。音楽とは、まさしく、それが〈再現〉される時に「意味」を放つ芸術なのだ、と強く思うのです。


―――ねえ、サロさん。今の日本の状況を墨子さんなら何と言うだろうね。
―――「僕知らんわ」って。自分たちで考えろってさ

【再録部分】終了



   さて、以上のような記事が「著作権侵害」で削除されたわけですが、私にとっては「ナンジャラホイ!」という感じなのです。つまり、私は、いわば、「喜びの歌」や「希望の歌」がそれが「再現」される状況や歌う人々によって全く異なった印象を与える例として2つの曲を取り上げたのです。そして、もちろん、私は、『地上の星』を自分の曲(詩)として剽窃したわけでもなく、中島みゆきの「歌」それ自体を載せたわけでもなく、そのことによってなんらかの経済的利益を得たのでもないのです(笑)。逆に、そうした私の経験を語る上で、『地上の星』の歌詞を、出典を明らかにした上で、できるだけ忠実に提示するべく〈引用〉したのです。これはなにかを〈表現〉しようとする場合の最も基本的な「仁義」と言うべきものだと私は考えていました。

   ところで、なぜ、歌詞を乗せると「著作権侵害」になるのでしょうか。それは、おそらく、その歌詞を見てしまうとCDが売れないとかの〈経済的損失〉が生じるからというのが原因だろうと考えられます。しかし、私の感覚から言えば、それは、逆に、作品の「宣伝」にこそなれ、そんなことで作者に経済的な不利益を与えるなど到底考えられないことです。例えば、YouTubeを見ていますと(時には、コマーシャルさえ付いた)様々な曲や作品がアップされています。そして、私などは、ブルーハーツの曲を聴いて、中古ですがCDを三枚も買ってしまったくらいです。また、私が自分の作品を発表したとします。その時、私が期待するのは、〈剽窃〉されるのは別でしょうが、どれだけ多くの人々がその作品を読んでくれたのか、どれだけ正確に読んでくれたかということが最大の関心事となるのです。さらに言えば、それによって学位を取得するといった場合は「倫理的」な問題も生じるのでしょうが、〈公に発表されている〉文章や楽曲をどのように利用しようと自由なのではないでしょうか。例えば、学生が夏休みの課題を図書館やネットで調べてレポートを書くことなど何の問題もないことでしょう。また、YouTube上で、誰かがカラオケで『地上の星』を歌っているとします、それは著作権違反なのでしょうか?また、私が多くの友人の前で得意の口笛で『地上の星』を吹いて聞かせた場合、それは著作権違反なのでしょうか?要するに、偽ものや海賊版を作って私利を図るといったような場合は別でしょうが、多くの〈文化〉的な作品については、歴史的にもそうであったように(「写本」など今日では「著作権違反」となるでしょうが、そんな場合、人類の文化はどうなっていたのでしょうか)、より多くの人々によって共有されることこそが肝要なのだと思うのです。

   最後に、今回の私の場合については、個人的に大きな違和感を感じたとだけは言っておきたいと思います。ただ、作詞者である中島みゆきさんがどう考えるかはわかりませんが、まあ、削除したいという人がいるらしいので仕方がないでしょう。しかし、これからは歌の歌詞だとかなんだとかには一切関わらないようにしたいと思っています。全く、馬鹿馬鹿しいことですから!‼︎!




      
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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