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花と剣豪と芥川を訪ねて―――鹿島・王子・染井

   夜も良し、雨もまた良し、曇り良し
           まして、「弥生」の青空の下


  

青空に映える希望の桜色―――近くの公園で
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   ※サロさんとの散歩道にはたくさんの桜の木が植わっている。桜の咲く季節、朝も昼も夜も、そして、晴れの日も雨の日も風の日も、それぞれの姿で私たちを楽しませてくれる。今日のブログは、今年の花見を記録しておきたい。


鹿島探訪―――3月中旬


城山公園にて

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   ※学生時代からの友人とほぼ5年ぶりに再会した。娘さんが里帰りしていて、私も彼のお孫さんと楽しく遊ばせてもらった。それまでの私は、孫はいなければいないで別に構わないと思っていたが、確かに、いればいたで可愛いんだろうなと思うようになった。子供達だけでも心配なのだから孫までもとは思うけれど、そうした家族の営みが不安なくできる社会にしなければならないのではないかと改めて思った次第だ。
   今回の旅程は、1日目、卓球とバドミントンの「勝負」、そして、2日目は、友人に鹿嶋市内を案内してもらった。上の写真は、2日目、最初に訪れた鹿島城跡・城山公園だ。


剣聖・塚原卜伝の墓前で
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   ※城山公園を出て、鹿島神宮を見学した後、塚原卜伝の墓を訪れた。案内板には、戦国の乱世に、「剣は人を殺める道具にあらず、人を活かす道なり」と、剣の平和思想を持って生き抜いた人物として紹介されていた。また、大変興味深かったのは、その墓石に、卜伝と妻(妙)の名(戒名)が並んで刻まれていた事だ。なるほど、彼は、時代の「常識」を超える普遍的な思考ができる人物であって、彼の「剣聖」たる一端がここにも表れているのかもしれないと感じられた。


掩体壕の中の「櫻花」――櫻花公園で
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   ※同じ〈桜〉でも、この「櫻花」は、太平洋戦争末期に実戦で使われた「有人ロケット爆弾」だ。「桜」の名が付けられているが、未来ある若者たちが、無謀な戦争を無責任に遂行した戦争指導者たちに「桜のように美しく散れ」などと訓示されながらこれに乗って死地に送り出されたのかと思うと、本当に悲惨なことだと思う。そして、私たちは、「鬼畜米英」を叫んだ戦争指導者たちがこうしたことを戦後どのように反省したのか、また、その末裔たちが今何をやろうとしているのかをしっかり見定めなければならないのだ。
   この後、私たちは、鹿島アントラーズクラブハウスとカシマサッカースタジアムなどを訪れた。しかし、「風土記の郷 鹿島」には、まだまだ見るべき文化財がたくさんあるという。今度は、バイクで回ってみようと思った。



王子見物―――4月初旬


音無橋付近の桜

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   ※私の「大江戸散歩」も終盤を迎えつつあるが、今月は、江戸の行楽地・王子と江戸の植木の里・染井に行ってみた。王子へは国道122号線からアプローチし、王子神社〜十条富士塚〜名主の滝公園〜王子稲荷神社〜飛鳥山公園というコースをとった。上の写真は、王子神社のすぐ下にある「北区自然観察路・石神井川コース(武蔵野の路)」沿いの桜だ。平日にもかかわらず、多くの人々が散策を楽しんでいた。



名主の滝公園の桜
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   ※十条富士塚から折り返して、有名な「名主の滝公園」に行った。「男滝」以外はもうほとんど涸れているようだが、なかなか雰囲気のあるところで、江戸の人々が好んだのもわかるような気がした。もう一度ゆっくり行ってみたい所だ。この後、王子稲荷神社に寄ったが、私はやはり「お稲荷さん」が好きなのだ。サロさんに似た「狐」の像が可愛い。狐の穴に供えられた分厚い油揚げも微笑ましい。また、「御石様」は、予想より軽く感じると願いが叶うとあるが、さてさて(笑)。



染井―――ソメイヨシノの古里へ


染井よしの町会の桜

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   ※王子から国道17号で染井方面に向かった。中央卸売市場・豊島市場のところを左折してから、染井霊園〜慈眼寺〜本妙寺〜高岩寺(とげぬき地蔵)というコースをとった。江戸時代、染井は植木の一大生産地だったのだが、写真は、今や桜の代名詞ともなった「ソメイヨシノ」が生み出された「染井よしの〈町会〉」の「桜祭り」会場というわけだ。


芥川龍之介の墓―――慈眼寺にて
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   ※今回の「大江戸散歩」の大きな目的の一つは、この「芥川龍之介の墓」を訪れることだった。今、私は、彼の全集を読んでいるのだが、評論家諸氏の解説なども参考にしながら色々考えてみると、彼が抱え込んだ矛盾や葛藤には何か共鳴するところがあるようにも感じられるのだ。もっとも、私が楽しめる小説は「河童」までで、それ以降の「歯車」や「ある阿呆の一生」などになると、もう病気持ちの私小説のようで、私にはもう耐えられないように感じられる。しかし、それも身につまされてのことかもしれないのだ。墓の前に行ったら、何か感じるところがあるかもしれないと思ったが、墓石は何も語ってはくれなかった。


北辰一刀流・千葉周作の墓―――本妙寺
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   ※私が子供の頃読んでいた「赤胴鈴之助」の師匠は千葉周作だった。千葉周作は、北辰夢想流と小野派一刀流を統合して北辰一刀流を打ち建てた人物だ。また、北辰一刀流の道場である玄武館の門弟には、あの坂本龍馬や山岡鉄舟がおり、また、その玄武館は先日の鹿島旅行の際にも友人から話を聞いた幕末の水戸天狗党とも関係があるという。このように、北辰一刀流・千葉周作は、江戸時代そして今日の剣道を考える上で欠くべからざる人物の一人なのだ。


遠山金四郎の墓―――「遠山桜」はソメイヨシノかい?!
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   ※さて、本妙寺には、江戸北町奉行・遠山左衛門尉景元(「遠山の金さん」)の墓もあった。実在の人物であった遠山左衛門尉景元については、最近のテレビの歴史番組でもかなり詳しく知ることができるようになっている。刺青があったかどうかは定かではないが、若い頃にちょいと屈折したところがあったのは事実らしい。また、彼の墓をよく見てみると、塚原卜伝と同様に、妻と並列して名が刻まれている。卜伝と金さんには相通じるところがあったのかもしれない。これから調べてみたい人物である。

  
さあアベ!この桜吹雪、散らせるもんなら散らしてみろぃ!
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今村君 君、面白くないねえ!

   おまけに、君、自分の顔に責任持ててないよね!


   ※3月の末から4月の初旬にかけて、春の植え付け前の、土作りの作業に追われている。面積を半分にしたとはいえ、苦土石灰を撒いて、全体を耕す作業はなかなか大変だ。体中に熱がこもり、頭もボーッとなって、意識が定まらない。疲れ切ってしまうのだろう。ただ、こうした生活の中にあっても、これからの世代のために、公共的世界への関心を持ち続け、「主権者」としての政治的・社会的意思を明確に保持し続けることが、私の義務であり責任でもあると思っている。
   
   とは言っても、最近のニュースを見聞きしていると、本当にうんざりして、コメントする気にもならないくらいだ。日本の事例で言えば、原発事故による避難者の〈実情〉はもちろんのこと、現行法の内容の理解すら欠いたままに、「自主避難者」に対する「自己責任」論をぶった今村復興大臣の姿は、その後の〈撤回と謝罪〉の姿も含めて、まさしくアベ政権のレベルの低さと悪質さを示す好例と言えると思う。メディアに対するトランプ大統領の真似でもしたかったのだろうと思うが、それにしても、自分でも叫んでいたが、「公式」の場でのあの派手なエヴァンゲリオンのネクタイ!エヴァ・ファンから「君、面白いね」とでも言ってもらいたかったのだろうか。そして、私も自分の顔に自信はないが、あの復興大臣の顔がまともじゃないということは、はっきりと言っておいてやらねばならないだろう。なにしろ、近頃の政治社会の質の低下は深刻だ。

   ところで、最近、報道番組において「ポピュリズム」という言葉をしばしば耳にする。そして、この言葉は、歴史的に特殊なアメリカ的あるいは南米的な概念としてではなく―――そんなことを想起する人はほとんどいないだろう―――、単純に「衆愚政治」とか、〈愚かな〉大衆に「迎合」する政治とかいった程度の意味合いで使われているように思われる。しかし、この言葉を現在の状況に対して用いることには、強い違和感を感ぜざるを得ないのだ。と言うのは、この言葉には、「人民(ピープル)」を愚かしいものとしてあざけり笑う「エリーティズム」の臭いがプンプンとするからだ。私自身は、〈ノン〉・エリートの「一般ピープル」であり、また、権力エリートないし権力者に対抗する、「人民(ピープル)の、人民による、人民のための政治体制」を「価値」として正しいものと考えているわけなのだが、この言葉のニュアンスからすれば、私のような考えは、「民主主義」でも「人民主義」でもなく、まさしく〈愚かな〉大衆に「迎合」する「ポピュリスト」のそれということになりそうなのだ。さらに、この言葉には、真の矛盾や対立点(グローバリズムや新保守主義)を覆い隠し、結局ところ、〈愚かな〉大衆ではない「エリート」による支配を正当化する思考の枠組みに人々を閉じ込めようとする意図さえ感じさせるのだ。そうしたことの最も典型的な例は、アメリカのバニー・サンダースを「ポピュリスト」と規定するところなどに表れている。大体、トランプやルペンなどのファシストの手口――「民族(国民)の敵」に対する排外主義的・差別的な「プロパガンダ」を、わざわざ「ポピュリズム」などと呼ぶ必要性がどこにあるのだろうか。実は、こうした用語の用い方こそ、サッチャーやレーガンの「新保守主義」の階級的性格や小泉純一郎の「劇場型政治」における「既得権益層」なるものが一体なんであったのか等、重要な事の真相を曖昧にしてきた流れと繋がっているのだと思う。相変わらず、真の〈争点〉が隠されてしまうのだ。
   
   事実は、「ポピュリスト」が〈愚かな〉大衆に「迎合」しているのではなくて、まさしく、〈愚かな〉似非エリートが〈愚かしい〉政治を行っているのだ。「愚か」なのは、「一般ピープル」ではなく、第一に、昨今の「似非エリート」自身なのだ。「イスタブリッシュメント」内のいくつかの分派は、体制の矛盾の深化に伴って生まれる「一般ピープル」の命や生活に対する〈危機〉意識を、人々が相互に持つ〈不安〉や〈憎悪〉や〈嫉妬〉や〈差別心〉を煽り立てることによって増幅させ、矛盾のより適切な解決どころか、自己利益と彼らの支配体制の維持のために、事態をより深刻化させていると言って良いのだ。そして、その〈不安〉や〈憎悪〉や〈嫉妬〉や〈差別心〉は彼らの基底的意識の中にこそ渦巻いているのであり、〈愚か〉で〈汚い〉のは、まずは、〈似非エリート〉自身だということを曖昧にしてはいけない。同様に、〈愛国心〉など持ち合わせていない「買弁」屋どもが「愛国心」を声高に叫び、〈道徳〉とは無縁な輩どもが「道徳」を強制しようとする。我々「一般ピープル」も十分に愚かしいが、人間を、平和を、自然環境を破壊する最も〈愚かしい〉連中たちのことを曖昧にしてはならない。何が「大衆迎合」だ。


プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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