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”空っぽ”の イナダ イズ オーバー!     

 次は、虚言癖のアベ イズ オーバー!栄転のサガワも‼︎

    🎵アベはなんでも知っていた〜、
       あの日、コウタローがやったのを、調査も工事も申請も
         (お)友達 贔屓に する奴さ🎵



   ※梅雨が明けてもどんよりとした日が続いたが、今日は久しぶりに晴れていた。また、衆議院と参議院における閉会中審査とイナダ防衛相の辞任があって、少しは、気分も晴れてきている。アベの虚言癖とそのウソを糊塗しようとするアベ友と下足番たちの醜い姿が滑稽なくらいだ。また、この間、権力の乱用をチェックしようとする真っ当なメディアとただ只管アベ政権の「提灯持ち」となって「大本営発表」を繰り返す御用メディアとの違いも歴然としてきている。好ましいことだ。とりわけ、「真実」を先駆的に報じてきた『LITERA』や『日刊ゲンダイ』は〈一般ピープル〉必見のメディアとして賞賛したい。また、『東京』・『毎日』・『朝日』そしてNHK(一部のニュース番組を除いて)の「健闘」も大いに評価できるところだ。

   それにしても、これまでの経過の中で、どれほど多くの「無かった」こと、「記憶になかった」ことが暴かれてきたことだろう。一覧表にすれば驚く程の数だ。しかし、それにもかかわらず、権力は恥ずかし気もなく言い繕いを繰り返し、隠蔽を続けようとしている。だが、ウソは必ずバレていくものだ。「一般ピープル」もそう簡単にはだまされはしない。

   さて、イナダ元防衛相は、辞任後、満面の笑みでその心境を「空」と表現していたが、それは、彼女の能力・適性が〈空っぽ〉だったという自覚ではなく、「仲間内」の特別防衛監察官の〈玉虫色〉の報告に心底〈ホッとした〉安堵の表現だったのだと思う。そうでなければ、この混乱と辞任の後にあんな幸せそうな表情をするはずはない。実際、問題の根本は、あくまで、南スーダンPKOにおける「戦闘」が、憲法9条そして安保法制上、アベ政権にとって不都合であったことであり、それを〈アベ政権〉そのものが隠蔽しようとしたことにあったのだ。そして、「特別防衛監察結果」には表れていないが、この間の隠蔽工作は、アベ←→イナダ←→事務次官←→陸自各部署の「指示と忖度」の関係の中で発生したのであり、それが発覚した時、その責任を陸自側だけに負わせて逃げようとしたイナダに、陸自側の怒りが爆発したものと推測されるのだ(例の「明日、何て答えよう」メモ)。考えるに、制服組トップの政治的指向性は別として、陸自が「戦闘」事態を〈隠蔽〉しなければならない理由は考えにくい。逆に、現在の曖昧で中途半端な状態で命をかけなければならないことの方が、実行部隊たる自衛隊にとっては耐えられないことだったとも考えられる。しかし、これまでの政府ー自民党と自衛隊との関係から、「仲間内」の特別防衛監察官の報告は〈玉虫色〉となり、三者の辞任で事態を収拾しようとしたと考えられるのだ(独立の第三者機関が必要だ!)。また、イナダはこの辞任について度々アベと話し合っていたと言っているが、その際に、この問題の核心たる日報問題に触れていなかった(=報告していなかった)などとは通常の位階制組織で働いたことのある人間なら到底考えられないことだろう。つまり、この隠蔽はアベ政権の中枢すなわちアベ自身によって決定ー承認されていたと考えるのが普通なのだ。アベがこのことについてなんの報告も受けていなかったなどとは片腹痛い戯言と言わなければならない。また、もしそれが本当だとすれば、それこそ、アベ政権自体の無能さの端的な現れと言う他はないのだ。

   また、加計学園問題における「1月20日」問題(加計学園が獣医学部新設を申請しているのを知ったのはいつか)も大変興味深かった。大串議員の巧みな質問によって、加計による饗応という「大臣規範」抵触の追求を恐れたアベは、「通常の交際」と「関連業者との接触」を分けるものとしての「1月20日」の日付にこだわってしまったのだ。面白かったのはその時のアベの〈つらっと〉した表情で、なるほど、あれは虚言癖を持つ輩のそれだと笑ってしまった。萩生田の例の二人の関係を「最近知った」というウソで、自分も大丈夫だと思ったのかもしれない。しかし、翌日の蓮舫議員と小池議員の質問によって、これまでの国会答弁との矛盾を指摘され、先の国会答弁を訂正し、陳謝する羽目に陥ったのだ。もちろん、昭恵夫人言うところのあの「男たちの悪巧み」が行われたお食事会の頃も含めて、申請の話を知らなかったなどとは全く信じられないことだ。しかし、それよりも、アベの虚言によって「真実であったろう」これまでの国会答弁が訂正されたこと―――つまり、ウソによって真実が塗りつぶされたこと―――の方が重大だと思う。アベノスピークの「真理省」的やり口を許しておいては、日本は本当に没落してしまうに違いない。

   さらに,この間のアベ友グループによる「岩盤規制に風穴」の主張にも笑ってしまった。そもそも、アベたちの「規制緩和」など、私たち「一般ピープル」にとっては害しか与えない、〈今や黄昏〉の新自由主義的〈呪文〉でしかないからだ。アベたちは、その呪文を口にしながら何か国民にご利益でもあるかのように装っているが、ただ単に、アベのお友達たちに都合の良い「法」を制定し、〈国民の税金や資産を投入〉して彼らを潤わせるためだけの口実にすぎないのだ。本当は、国民の側に立ったしっかりとした「規制」(条件)こそが必要なのであって、今回の獣医学部新設の件などでも、国民・住民の側に立った長期的な観点に基づく慎重な検討が必要だったのだ。ただ「早くやれば良い」というアベたちの言い分など、どさくさ紛れに、強欲なお友達に国税と地方税を補助金などの名目で注入しようとするものでしかないのだ。

   それにしても、村上誠一郎議員のように真っ当な感覚を持った人物もいるが、今の自民党の多数派は、山本のような「太鼓持ち」や「空っぽ」なイナダ、そして、ネオ・ナチとお友達の「飲みィのやりィの」の高市やどう考えてもまともでないネトウヨの星・青山、そして、ほとんどパーボの「魔の2年生議員」たちと、「凄まじい」集団としか言いようがない。もちろん、麻生も岸田も、ポスト・アベを狙うだけの、同じ穴の狢だ。高潔な人物もいた自民党はどうなったのだ。
   また、ただ只管権力に擦り寄り「出世」を図る官僚(ex.佐川や柳瀬)とそのOBたち(ex.和泉や加戸)。さらに、(お友達を集めて政権の正当化を演出する)「審議会政治」の焼き直しにすぎない、「規制緩和」推進の「国家戦略特別区域諮問会議」・「国家戦略特区ワーキンググループ」のお友達たち(ex.竹中や八田)。役者は揃っている。そして、声をそろえて、「記憶がない」、「記録がない(消した・隠した)」、「一点の曇りもない」、そして、「証人喚問」拒否だ。私はとりわけ政界通というわけでもなかったが、『LITERA』と『日刊ゲンダイ』を読みながら、今の日本の政治の劣化に改めて驚かされている。早く、こんな政治(アベや佐川たち)とはおさらばして、心静かな日常生活を送りたいものだ。

   先ほど、籠池元理事長が逮捕された。先日、「近畿財務局と森友学園 売却価格めぐる協議内容判明」との報道(NHK)もあったが、これで近畿財務局や佐川元理財局長らに捜査(逮捕)が及ばなかったとしたら、検察が行政権力(アベ)の単なる手先でしかないことが明々白々となってしまうだろう。むき出しの〈恣意〉的な権力の行使をこの日本で許すのか否か、私たち一人一人の主権者に突きつけられている。


我が家の初めての梅干し
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   ※友人から完熟梅をもらい、初めて、梅干し作りに挑戦した。コンポートも作ろうとしたが、鍋から吹きこぼれて3分の2を失い、焦げた色は残ってはいたが、ジャムにすることにした。まあ、失敗は成功の母。これからも頑張ろう。
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「こんな人たちに負けられない」発言の背後にあるもの

 アベ政治のファシスト的心性――②
   ―――K・シュミットの「友・敵」理論から




  
DSC_5384.jpg「個」の観点からすれば、
僕とサーヴァントさんは完全な家族である

 
   ※アベ首相が「閉会中審査」に出席する。ただ、自民党は与野党の質問時間を通常の2:8から5:5にするように強硬に主張していたのだそうだ。与党議員との「知らぬ・存ぜぬ」+「岩盤規制に風穴」ショウをしつこく繰り返せばバカな国民は信じるとでも考えているのだろう。しかし、「真相究明」のポイントは、前川氏と和泉首相補佐官はもちろん、昭恵夫人・田村室長・松井大阪府知事・萩生田官房副長官・加計理事長らに対する、籠池元理事長が受けた〈証人喚問〉を承認するかどうかだ。この条件を欠いては、国民の疑念を晴らすことは決してできないだろう。
   それにしても、山本地方創生相という人物はなんなのだ。情報公開法(条例)以降、行政は都合の悪い記録はできるだけ残さないように画策・努力してきたわけだが、「加計がない」のは「自分が十分注意していて」の故なんだそうだ(笑)。また、加計の文科省と同様に、「隠蔽」を部下(陸自)だけの責任にして保身を図れると思っていたイナダは、戦後の自衛隊が「葉隠(小姓)」的存在ではなく、シビリアン・コントロールとは別次元の私的保身のために一方的に利用できる存在だと思い込んでいた〈ファシスト〉とは一線を画する存在であることを理解できていなかったのだろう。本当に、愚かしいことだ。

   それにしても、アベたちはどうしてあのような見え透いた嘘を言い続けることができるのだろう。私はその理由を、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」というアベの発言の背後に感じられる、K・シュミットの「政治の〈友・敵〉概念」にあると考えている。シュミットは、前述の『政治神学』のなかで、カトリック反革命国家哲学の「中間を許さぬ(神と悪魔の)二者択一の思想」や「決断主義(最後の審判を前にした根源的悪に対する独裁)」について論じていたが、主著『政治的なものの概念』(1932年)では、「政治的な行動や動員の起因と考えられる、特殊政治的な区別とは、友と敵と言う区別である。」とし、戦争や内戦の現実的可能性を強調しながら、存在的に他者・異質者である〈敵〉を指し示し、その物理的殺戮をも呼びかけることのできる「主権者」(独裁的〈国家〉指導者)の存在をいわば法則的・必然的な事実として承認し、それに従うよう呼びかけていたのだ。そのおぞましさは、「『ドイツ法学におけるユダヤ人』学会への結語」(1936年)における反ユダヤ主義に端的に表れているが、彼の理論は、まさしく、「奴らは敵だ!敵は殺せ!」と叫ぶ独裁的指導者を待望するものだったと言って良い。そして、そうした主張を支える基底には、キリスト教(カソリック)に流れ込んだ、ゾロアスター教的〈善・悪〉二元論があったと考えられるのだ。

   このように、アベの「こんな人たち」発言は、国際政治においてはもちろん、国内政治においてさえも、「友」と「敵」を峻別し、異分子たる敵を差別し、抑圧し、排除し、殺戮することさえ「当然視」するシュミットの理論との類似性を感じさせるものなのだ。そして、こうした感覚からすれば、「敵」に嘘をつくことなど、道徳的に痛みを感じることでは「全くない!」ということになるだろう。さらに、こうした権力政治の「おばけ」のような感覚からすれば、「悪巧みを巡らす」本当に身近かな少数の〈お友達〉以外は、利用してもいい、嘘をついてもいい、そして、しっかりと監視しておかねばならない潜在的な「敵」(「こんな人たち」)と捉えられることにならざるをえないのだ。籠池理事長への「トカゲの尻尾切り」はその典型だが、さらに「下っ端」の追従者などは、もう単なる使い捨ての道具でしかないことだろう。

   ところで、シュミットがいうように、「友・敵」結束(すなわち闘争や戦争)の現実性あるいは現実的可能性を前提したとしても―――「暴力」(物理的強制力)と同様に、そうした関係の現実的可能性が全く消滅することはないだろう―――、シュミットのように、独裁者による国権主義的な支配ー従属関係(主権ー隷属関係:独裁)を肯定・擁護することに即結びつくわけではない。例えば、シュミットが批判の対象にした自由主義的(あるいは多元的)政治理論・国家理論では、矛盾や対立あるいは異質なものの存在を前提としつつも、対話や妥協を通して調整を行い、「平和的」に共存する協調的な関係を志向しているからだ。しかし、シュミットにとっては、それらはいわゆる「決められない」政治なのであり、とりわけ〈例外的状況〉(あるいは決断の時)にあっては、「革命勢力」に有効に対抗できないので、〈彼らが望む〉秩序の形成・維持のためには、権力を執行部に集中し、その独裁的力で決着をつけなければならないというわけなのだ。こうした意味において、アベの「抵抗勢力」に対する「官邸主導」などはシュミットの「独裁」の戯画でしかない。しかし、善悪二元論的な、自己否定的要素を全く持たない独裁政治は、まさしく、権力中枢部による〈権力政治(パワー・ポリティクス)〉の「おばけ」と化していくのだ。

   一般的に、政治概念には、自治的・公共的そして調整的な性格を強調するものと、支配的・闘争的そして権力的な性格を強調するものがあると考えられるが、シュミットの理論は、アカデミックな衒学趣味と客観性の装いの下に、後者の側面を肥大化させ、さらに「幻想を捨て、戦争を準備せよ」といった、〈反民主主義〉的で〈好戦〉的な〈国権主義〉・〈軍備拡張主義〉に帰着するものとなるのだ。しかし、政治概念について言えたことは、シュミットの〈例外的状況〉の最たる〈戦争〉の把握にも言える。詳しくは述べないが、孫子の兵法やクラウゼヴィッツの戦争論がシュミットの政治ー戦争概念とは似て非なる思想性と方向性を持っていることは明らかだし、また、「平和」を希求するわが「武士道」や苛烈な植民地支配に抵抗したガンジー主義(非暴力直接行動)など、〈例外的状況〉にあっても全く異なった方向性を示すものもあるのだ。そして、こうした方向性こそが、戦時国際法や戦争の違法化、そして、核兵器禁止条約などの流れを生み出してきたといえる。これに対して、現在のネオ・ナチや歴史修正主義などは、戦前のファシズムや超国家主義の「ゾンビ」のような代物でしかない。

   さて、シュミットと類似した心性を共有するアベ政治は、「似た者同士」のトランプと同様に、国内政治においても、国際政治においても、ただひたすら〈分断〉と〈対決〉へと人々を誘う「おばけ」の如き〈権力政治(パワー・ポリティクス)〉に突っ走っている。ところで、このように人間をある集団に囲い込み、相互に差別・敵対させるファシスト的思惟にとって最も都合が悪いのは、「人類」とか「個人」とかいった観念・意識に他ならない。なぜなら、そこにおいては、「異質」なる他者も「同じ人間」(=人類)であり、また、「個」から出発する限り、国境だろうが、階級だろうが、性別だろうが、家族だろうが、民族だろうが、それが分かつ壁を(容易に?!)乗り越えてしまうからだ。それ故に、ファシスト的政治体制を志向する(実質的には少数の「お友達」)勢力は、盛んにこれを攻撃しようとするのだ。ところで、そうした「プロパガンダ」が成功するかどうかの分析にとって重要な対象の一つに、それに感応するある社会における「基底的な価値意識」がある。次回は、そうした視点に関連するものの一つとして、アドルノの「権威主義的パーソナリティー」を取り上げてみたい。それはファシスト的「政治神話」の中身がどのようなものであるかを意識化し、私たち日本の〈一般ピープル〉が自らを反省的に把握する上で大きな意義を持つと思われる。


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そんなことよりも、僕は暑いから寝る

 
 

「決められる政治」のどこが良かったのか

 アベ政治のファシスト的心性――①
    ―――K・シュミットの「決断」主義から

 

   ※何しろ暑い!完全に夏負けだ。「この炎天下で農作業じゃあ、無理ないよね」とも言ってくれるけれど、九州北部の豪雨被害の状況や前川前事務次官の参考人招致の様子などを見ていると、こんな暑さに負けてはいられないとも思う。ただ、我が家では一人入院するものが出てしまった。それにしても、こうした日本の状況を背にサンタやムーミンの国などを訪れていたアベは、8月には、アベ内閣の支持率を下げた「こんな人たち」に、「人心一新」の内閣改造をプレゼントして下さるのだそうだ。きっと「睡眠導入剤」あたりを仕込んでおこうというのだろう。悪あがきも大概にするがよい。

   ところで、7月9日の新宿における「安部はやめろ‼︎」デモの様子をYouTubeで見ていたら、創価学会の一グループが「SGI AGAINST FASCISM」というプラカードを持っていた。これまでも、アベ政治を〈民主主義〉に敵対し、〈戦争〉と〈独裁〉へと向かう「ファシズム」的性向を持つものと捉える人はいたけれど、こうした認識がここまで幅広く浸透していたとは驚きである。確かに、極右「日本会議」内閣ともいうべきアベ政権の性格を戦前の「天皇制〈ファシズム〉」(超国家主義)との関連でしっかりと捉えておくことは、アベ政権が日本国憲法を破壊しようとしている現在、喫緊の課題なのだ。

   実際、戦前の人権弾圧に猛威を振るった治安維持法の現代版とも言われる〈共謀罪〉が自公維によって「中間報告」というサギ的手法まで使って強行採決されたが、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」で話題となったあのアベ秋葉原演説の後にフェイスブックでなされた「安倍総理の選挙演説を邪魔した『反対者たち』は『政治テロリスト』なのだから!(共謀罪を)早速運用執行(逮捕)すべし」との投稿に対して、自民党工藤彰三衆院議員(愛知4区、当選2回)が「いいね!」のボタンを押していたことが発覚している。国会で汚いヤジを飛ばすアベが「よく言うよ!」ということはさておき、工藤の「間違って押した」などという言い訳を「はいそうですか」と簡単に信用できるわけがない。逆に、憲法21条(表現の自由)の適正な行使に他ならない政治権力保持者に対する批判を、警察権力によって暴力的に抑圧しようとする彼のファシスト的心性が露わになったと理解するのが妥当というものだ。そして、私たち「こんな人たち」は、こうした権力に対する表現の自由を「不断の努力でこれを保持」(憲法12条)してこそ、〈民主主義を闘いとる〉ことができると考えなければならないだろう。萎縮などしていられないのだ。

   ところで、以前、海外での武力行使(戦争)を「積極的平和主義」―――これについては、本家本元のJ・ガルツゥングからの批判がある(最新刊は『日本人のための平和論』)―――などと言い換えるアベの語法をジョージ・オーウェルの『1984年』におけるオセアニア国の「新語法(newspeak)」に倣って「アベノスピーク」と呼んでみたことがあったが、こうした騙しのテクニックは、トランプの「アナザー・トゥルース」と同様、ファシスト的心性の持ち主の常套手段であることを我々一般ピープルは知っておく必要がある。オセアニア国の「真理省(ministory of true)」のスローガンは「戦争は平和である 自由は屈従である 無知は力である」であったが、アベの「そもそも」が「基本的な」という意味もあると決議した「とんでもハップン(まさか)」の〈閣議決定〉こそ、アベ語・スガ語など、「ニュースピーク」を駆使するアベ政権の「真理省」的性格の表れと捉える必要があるだ。

   ところで、アベのお祖父ちゃんの岸信介は〈ヒトラーのお友達〉である「革新官僚」だったわけだが、彼らが熱心に学んだ理論の一つにナチスの「御用学者」K・シュミットのそれがある。彼の著書の一つに、「主権者とは非常事態についての決断者である。」との一文からはじまる『政治神学』(1922年)があるが、その中で主張されていたのは、(「決断の独占」ー「無限定の全権委任」をうけた)「決断」の主体たる「一人格」としての「主権者」の前では、憲法も法律もそして「真理」も平伏さなければならないということ、つまり、強権的な国家指導者による「独裁」の勧めだったと言って良い。そして、アベ政権が盛んに宣伝していた「決められる政治」とは、このシュミットの「決断主義」(誰が決めるのか!)の戯画といった代物と言えるだろうと思う。その実態たるや、非常事態ならざる通常の国政選挙で「争点」をひた隠しに隠して詐欺的に獲得した議席を背景に、国民の過半数が反対ないし疑問を持った数々の悪法や政策を、全権を委任されているわけでもないにもかかわらず(「改憲」で手に入れたいらしい!)、真っ当な討論もほとんど行わないまま、〈勝手に決めた〉ということに他ならないのだ。おまけに、事後的に「丁寧に説明する」などと嘘八百を振りまいてきたが、もともと合理的に説明ができない「無理筋」を押し通そうとしたからこそ、情報を隠蔽し、嘘をつき、異議を申し立てる者に対してパワハラを行使する他なかったのだ。自分たちが正しく優秀で、バカで理解の遅い一般ピープルに事後的によ〜く教えて下さるといった振りをしようとしたが、〈真っ当な政治〉も〈丁寧な説明〉もできない「バカが権力を握っている」(大谷昭宏氏)以上、「そもそも(最初から)」、そんなことは無理な話なわけだ。アベノミクスも含めて、アベ政治が「決めてきた」ことで、私たち一般ピープルにとって良かったことなどほとんどないと言って良いのだ。(続く)

   

日本語の破壊―――「丁寧に説明」の意味することは!

「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、
   真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた」
                   ―――三笠宮崇仁

   
   前回、アベ政権を担う人々の「人格」について簡単に触れた。その後、豊田議員については、権力を笠に着て、弱い立場の者に対し一方的に暴言・暴行を浴びせた彼女が、一旦事が公になりそうになると、大泣きして謝罪したと言う報道もあった。まさしく、彼女の〈人品〉を象徴することといえる。今後は、傷害罪の立件を含めた司法の対応も注目されるが、一番重要なのは、こうした人物が県民・国民の代表者たる資格があるかどうかについて、選挙民自身が審判を下すことだろう。自民党を離党して済むような話ではないのだ。今頃、入院しながら、ほとぼりが冷めるのを待っているのだろうか。甘利のように。

   また、イナダ防衛大臣についても、ほとんどもうアホらしいの一言だ。これまでも、南スーダンの「日報問題」や「森友問題」でもそうだったのだが、要するに、「説明」になっていないのだ。今回の「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」発言についても、「誤解を招きかねない」云々と弁解にあい努めているが、誤解の余地などは全くない、法律違反の発言に決まっているではないか。イナダ防衛大臣は、シンガポールの国際会議で自分のことを"good-looking" とか宣ったそうだが、私が見る限り、"with the eyes of dead fish ,wearing a plain glasses"位が似つかわしいと言える。司法試験を通ってはいるらしいが、円周率をマル暗記するといった体の記憶力はあるのだろうが、立憲主義がなんたるかといった基礎的知識の欠如はもちろん、論理的能力や的確な判断力などはもう絶望的なレベルとしか言いようがない。しかし、アベ政権にはイナダよりもましな人材はいないようだ。

   さらにすごいのが、加計疑惑当時の文科大臣だった、下村博文自民党幹事長代行の「加計学園から闇献金200万円」問題(週刊文春デジタル、6月29日)だ。下村は事実無根と否定しているが、会見などを聞いていると、ザル法を使ってヤミ献金をごまかすのはこういう手口でやるのかと教えてくれているような代物なのだ。詳しくは〈御用マスコミ〉ではなく、真っ当なメディアの報道を見れば理解できるが、要するに、小学校レベルの加減乗除を使った簡単な「めくらまし」なのだ。それにしても、アベとアベの「お友達」の「丁寧な説明」など、全く実態を伴わない代物であり、言葉の意味の全き破壊と言って良い。「フェイクニュース」・「アナザー・トゥルース」のトランプと「似た者同士」である「印象操作」のアベの語法は、一層露骨なものになってきていた。そして、今や、日本語の意味を破壊するその欺瞞性は限界に達したようだ。

   現在、東京都議選の開票速報が行われており、都民ファーストの会の圧勝、自民党の歴史的敗北が報じられている。この選挙結果には東京都民のアベ政治への批判が反映していると考えられる。今後、森友・加計問題や改憲問題が中心となってくるが、その際、アベ政治のファッショ的性格の理解が一層重要なものになってくると思う。アベ政治とは、イナダ防衛大臣の言説に典型的に現れているように、戦後の「日本国憲法」体制を破壊する極右的性格を有するものなのだ。彼らは「愛国者」を標榜しているが、その中身は、日本国民に悲劇的な犠牲を強いた戦前の侵略戦争を正当化するファッショ的なものに他ならない。こうしたことについては、皇族の中からも明確な反省と批判があることを、「保守」を自認している人々もはっきりと認識しておくべきだと思う。その一人が、見出しにも書いた、昭和天皇の末弟・故三笠宮崇仁の言葉だ。彼の歴史認識は、その著書『帝王と墓と民衆 オリエントのあけぼの』所収の「わが思い出の記」にも明確に表れているが、それは戦前の侵略戦争を肯定する現在の歴史修正主義の立場とは明確にベクトルを異にするものだ。そして、彼の〈人格〉と〈誠実〉さは、アベとアベのお友達とは全く異なるものだ。この点については、また、詳しくまとめてみたいと思う

   アベは都議選の敗北を受けて、また、「経済最優先」で行くのだそうだ。また、国民を誑かそうというわけだ。アベノミクスなど、国民の財産と生活を犠牲にしてアベのお友達を富ませるだけのものだ。そのツケはこれから国民にとって耐え難いものになっていくだろう。アベの規制緩和など、加計や竹中などを富ませるだけのものなのだ。国民ももう気がついたことだろう。

   さあ、明日は、遠出だ。

「一般ピープル」のささやかな父の日
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甘党のサーヴァントさんへ



プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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