運命を共にしたくない人たち―晴耕雨ブログ2017/9
愚かで危険な指導者たちとはサヨナラしよう!
―――気がつけば「保守」ばかり。生活者の「道理」は忘れない!
※今日は、朝から雨。でも、雨が上がったので、サロさんと散歩に出た。歩きながら考えたことは、つくづく、〈あいつら〉とは運命を共にしたくないものだ、ということだった。
まず、朝鮮半島情勢から言えば、あのプロレス興行を思わせる米朝日の「3バカトリオ」の威嚇合戦は、ある意味で面白いけれど、国民の命と安全を守るべき一国の政治家としては本当に軽蔑すべきものだ。実は、三者三様、国内に大きな不安材料を抱える身なのであり、あの下品な恫喝となじりあいは、国内向けのパフォーマンスで、国難を怒号することによって国内での権力基盤を強化しようとするものと言って良い。客観的に見れば、米朝は様々に接触しており、軍事的衝突の可能性は極めて少ないのだとは思う。つまり、「北」の金正恩政権が米中露にとって「イスラム過激派」のような位置付けとならない限りは、その武力による打倒はリスクに対してメリットが少なすぎるといえるだろう。そのことは、「北」の長距離ICBMの完成に対しても同様なのだと思う。そして、ここに至って、北朝鮮の核・ミサイル開発の放棄とその体制の保障(米韓合同軍事演習の停止→平和条約締結に向けた協議)という、現時点で最も「平和的」と考えられる解決方法が、ロシアを媒介にした形で模索されているようだ。つまり、中朝関係がよくないので、これからは、「北」がロシアにとってのシリア・アサド政権のようになるかどうかが短期的にはポイントなのかも知れない。
それにしても、YouTubeで見る限り、フランスのマクロンやドイツのメルケルそして韓国のムンなどの姿勢は、その紛争の平和的解決という指向性において極めて正当かつ常識的なものであって、改めて感心せざるを得ないところだ。それと比べると、3バカトリオの発言ばかりを垂れ流し、真っ当な発言をほとんど報道しないNHKニュースなどを見ていると、いかに日本のマスコミが「日本国憲法」の精神から離れてしまったのかと暗然たる気持になる。また、ほとんど「博打打ち」のような雰囲気を漂わせているアソウ太郎は、「武装難民は射殺」などと、ナチズムに親和的な暴言を繰り返している。九州のアソウ「財閥」は相当悪どい仕事のやり方をしていたのではないか。そして、総じて、アベに連なる自民党内のネオナチ的勢力は、もう公然と「日本国憲法」に対して牙を向くようになっているのだ。
さて、トランプと同類たる〈ファシスト〉・アベの私利私欲のための衆院解散だが、これがアベ政治の本質を露わにしている「森友・加計問題」を国民の目から隠し、キム・ジョンウンによる核・ミサイル開発と野党の準備不足を好機として、どさくさ紛れにアベ政治総体への「信任」を詐取しようという魂胆であったことは明白なことだ。しかし、どうやら、この手前勝手な思惑は外れて、もうほとんど"ABE IS OVER"といった雰囲気となってきている。もちろん、それは 小池百合子を中心とした「野党」再編の動きによってだ。前原が決断した民進党の分裂・解党→希望の党への合流は、先ほどの党首選の結果からもある程度想定内のことであるし、また、いわゆる「識者」たちからも盛んに提言されていたことだ。そして、このことによって、悪巧みをやりたい放題にやってきたアベ政治への批判票が、東京都知事選の時のように、小池新党に集中する可能性がさらに高くなったといえよう。おそらく、以前から「保守2党」を掲げていた小沢・自由党もこれに乗る可能性が強い。確かに、面白いといえば面白い。個人的にも、あのアベの顔を見なくて済むだけでも精神衛生上良いからだ。しかし、その結集の軸は、〈改憲〉と〈安全保障政策〉なのだそうだ。すなわち、この野党再編によって、日本は「保守」という名の反「日本国憲法」勢力=改憲勢力によって埋め尽くされる可能性があるわけだ。すなわち、その「保守」とは、戦後日本が拠って立ってきた日本国憲法の「平和主義」(少なくとも、集団的自衛権の否認)を否定するものとなる可能性が高い。
ここに至って、ノン・エリートで、自分自身の老後や子供達の将来にも不安を抱える「一般ピープル」たる私は、「アベ友政治」へのさよならは大歓迎であるにしても、小池の「劇場型」政治にも距離を取らざるを得ないと感じるのだ。すなわち、私たちにとって今必要なのは、競争型の成長経済でもアメリカとの緊密な軍事的同盟関係でもなく、より公平な、子供達が安心して教育を受け、安心して働き、安心して老後を迎えられる社会であり、そして、そのためにも、自然環境が大切にされ、何より〈平和〉が守られる社会なのだ。まあ、より詳細な選挙公約が出てくるであろうけれど、これまでの市民と「野党」との共闘が指し示してきた目標が後退したり、削り取られたりする中には、私たちの「未来」はないと感じる。小池新党が「保守」と「無党派層」の支持を集めて多数党になることに反対はしない―――今の自民党よりはマシだろう。しかし、「日本国憲法」の基本理念を活かしていこうとする「野党共闘」が三分の一を占めること、それが当面の課題なのだと私は思う。「日本国憲法」の基本理念を実現していくことにしか、日本国民の「未来」はないと考えるからだ。
さあ、蕎麦を食べてこよう。サロさん、散歩は9時だよ!
―――気がつけば「保守」ばかり。生活者の「道理」は忘れない!
※今日は、朝から雨。でも、雨が上がったので、サロさんと散歩に出た。歩きながら考えたことは、つくづく、〈あいつら〉とは運命を共にしたくないものだ、ということだった。
まず、朝鮮半島情勢から言えば、あのプロレス興行を思わせる米朝日の「3バカトリオ」の威嚇合戦は、ある意味で面白いけれど、国民の命と安全を守るべき一国の政治家としては本当に軽蔑すべきものだ。実は、三者三様、国内に大きな不安材料を抱える身なのであり、あの下品な恫喝となじりあいは、国内向けのパフォーマンスで、国難を怒号することによって国内での権力基盤を強化しようとするものと言って良い。客観的に見れば、米朝は様々に接触しており、軍事的衝突の可能性は極めて少ないのだとは思う。つまり、「北」の金正恩政権が米中露にとって「イスラム過激派」のような位置付けとならない限りは、その武力による打倒はリスクに対してメリットが少なすぎるといえるだろう。そのことは、「北」の長距離ICBMの完成に対しても同様なのだと思う。そして、ここに至って、北朝鮮の核・ミサイル開発の放棄とその体制の保障(米韓合同軍事演習の停止→平和条約締結に向けた協議)という、現時点で最も「平和的」と考えられる解決方法が、ロシアを媒介にした形で模索されているようだ。つまり、中朝関係がよくないので、これからは、「北」がロシアにとってのシリア・アサド政権のようになるかどうかが短期的にはポイントなのかも知れない。
それにしても、YouTubeで見る限り、フランスのマクロンやドイツのメルケルそして韓国のムンなどの姿勢は、その紛争の平和的解決という指向性において極めて正当かつ常識的なものであって、改めて感心せざるを得ないところだ。それと比べると、3バカトリオの発言ばかりを垂れ流し、真っ当な発言をほとんど報道しないNHKニュースなどを見ていると、いかに日本のマスコミが「日本国憲法」の精神から離れてしまったのかと暗然たる気持になる。また、ほとんど「博打打ち」のような雰囲気を漂わせているアソウ太郎は、「武装難民は射殺」などと、ナチズムに親和的な暴言を繰り返している。九州のアソウ「財閥」は相当悪どい仕事のやり方をしていたのではないか。そして、総じて、アベに連なる自民党内のネオナチ的勢力は、もう公然と「日本国憲法」に対して牙を向くようになっているのだ。
さて、トランプと同類たる〈ファシスト〉・アベの私利私欲のための衆院解散だが、これがアベ政治の本質を露わにしている「森友・加計問題」を国民の目から隠し、キム・ジョンウンによる核・ミサイル開発と野党の準備不足を好機として、どさくさ紛れにアベ政治総体への「信任」を詐取しようという魂胆であったことは明白なことだ。しかし、どうやら、この手前勝手な思惑は外れて、もうほとんど"ABE IS OVER"といった雰囲気となってきている。もちろん、それは 小池百合子を中心とした「野党」再編の動きによってだ。前原が決断した民進党の分裂・解党→希望の党への合流は、先ほどの党首選の結果からもある程度想定内のことであるし、また、いわゆる「識者」たちからも盛んに提言されていたことだ。そして、このことによって、悪巧みをやりたい放題にやってきたアベ政治への批判票が、東京都知事選の時のように、小池新党に集中する可能性がさらに高くなったといえよう。おそらく、以前から「保守2党」を掲げていた小沢・自由党もこれに乗る可能性が強い。確かに、面白いといえば面白い。個人的にも、あのアベの顔を見なくて済むだけでも精神衛生上良いからだ。しかし、その結集の軸は、〈改憲〉と〈安全保障政策〉なのだそうだ。すなわち、この野党再編によって、日本は「保守」という名の反「日本国憲法」勢力=改憲勢力によって埋め尽くされる可能性があるわけだ。すなわち、その「保守」とは、戦後日本が拠って立ってきた日本国憲法の「平和主義」(少なくとも、集団的自衛権の否認)を否定するものとなる可能性が高い。
ここに至って、ノン・エリートで、自分自身の老後や子供達の将来にも不安を抱える「一般ピープル」たる私は、「アベ友政治」へのさよならは大歓迎であるにしても、小池の「劇場型」政治にも距離を取らざるを得ないと感じるのだ。すなわち、私たちにとって今必要なのは、競争型の成長経済でもアメリカとの緊密な軍事的同盟関係でもなく、より公平な、子供達が安心して教育を受け、安心して働き、安心して老後を迎えられる社会であり、そして、そのためにも、自然環境が大切にされ、何より〈平和〉が守られる社会なのだ。まあ、より詳細な選挙公約が出てくるであろうけれど、これまでの市民と「野党」との共闘が指し示してきた目標が後退したり、削り取られたりする中には、私たちの「未来」はないと感じる。小池新党が「保守」と「無党派層」の支持を集めて多数党になることに反対はしない―――今の自民党よりはマシだろう。しかし、「日本国憲法」の基本理念を活かしていこうとする「野党共闘」が三分の一を占めること、それが当面の課題なのだと私は思う。「日本国憲法」の基本理念を実現していくことにしか、日本国民の「未来」はないと考えるからだ。
さあ、蕎麦を食べてこよう。サロさん、散歩は9時だよ!
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