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沖縄・名護市長選・・・ただ、こころが痛むが

 「一般ピープル」の〈自立〉には〈連帯〉が必要だ
     腐朽した「買弁」勢力に抗して生きていくために     
  
 

  ※心が痛む。しかし、自公維の〈軽蔑〉すべきやり口と歪んだ表情、そして、稲嶺氏や翁長氏たちの真摯な表情を見れば、選挙の勝ち負けよりも、私たちがこれから生きていく上での教訓を得たような気もした。

  落選した稲嶺氏の苦渋に満ちた記者会見でもっとも印象的だったのは、「私は常に20年30年、50年先の、安全安心を訴えて、やって来た」と言う言葉だった。悲惨な戦争を経験した親の世代とこれから長い人生を送っていく子供や孫の世代を繫ぐ私たちの世代は、自分たちのことはもちろんなのだが、子供や孫たちの世代にこそ責任を持たなければならないと言って良い。もちろん、今日も明日も危ないのだけれど、今基地を作らせないこと、その危険を次の世代に押し付けないこと、それに責任を持とうとしているのが稲嶺氏たちの考えだと思う。

  これに対して、自公維は、ナチスの手口を真似たつもりだろう、辺野古の「へ」の字も言わずに、「生活向上」(交付金や地域振興策など)の掛け声に隠れて、米軍基地を作ってしまおうというのだ。それは、暴力的な基地建設によって市民の〈諦め〉を誘い(まるで時代劇の封建的支配者のやり口ではないか!)、そして、これから必ず降りかかってくる基地被害に対する責任からも逃れつつ(「賛成したわけではない」って?!)、札束で頬を打ちながら、基地に依存した「虚飾・虚構」の生活向上への期待に人々を誘い込んだのだ。それにしても、公明党は、口先では平和だの、基地反対だのと言いながら、どうして基地建設を強行し、日本を戦争国家へと誘うアベ政権を支え、それを推進する諸政策の実現を手助けできるのだろうか。アベ政権をチェックするなどと宣っているが、基地反対なら、専守防衛なら、アベ自民党と手を組まず、彼らを政権の座につけなければいいのだ。全くの欺瞞と言って良い。

   おまけに、アベと「一心同体」の盟友は、あのトランプなのだ。トランプは、すでに、究極的な無差別殺戮兵器である〈核兵器の先制使用〉をすら政策に組み込むに至った世界最大のリスクだ。それはもう「核〈抑止〉論」ですらなく、ならず者国家のやり口に他ならない。そして、唯一の被爆国たる日本の外務大臣コウノは、なんと、それを「高く評価」すらしたのだ。まさしく、戦後「平和国家」日本の全面否定と言って良い。このままことが最悪の事態へと向かい、核戦争の下で無辜の民が多数犠牲となった時―――その犠牲者の中には拉致被害者も含まれているかもしれない―――、アベ=コウノと政権を共にした公明党はなんと言うのだう?!

   それにしても、アベ友たちのあまりにも〈エゲツない〉有様に、きっと、「教養人」・西部邁も耐えられなかったに違いない。実際、一般ピープルたる私ですら、名護市民の生活の厳しさにつけ込んだ今回の〈エゲツない〉やり口には、耐えられない思いがする。もともと、辺野古での米軍基地建設は、日本ためでもなんでもなく、ただ只管アベ友の利益を実現するためにアメリカに追従し、その犠牲を沖縄県民に押し付けようとするものでしかない。しかし、テレビでもやっていたが、少なからぬ市民が、「兵糧攻め」にされた苦しい生活の中、「どうせ作られてしまうのだから、負担を押し付けられるだけではなく、取れるものは取らないと・・・」と言ったところに追い詰められているようだ。そして、あの手の輩は後で必ず言うのだ、「結局、金目でしょ」と。さらに、色男を気取った小泉シンジロウあたりが、このバカバカしい粉飾決算以下のアホノミクスの有様の中で、「今の好景気の波が必ず名護にもやってくる」などといったことをしたり顔で言うのだ。また、稲嶺氏のパンダ云々といった話についても、小泉あたりが揶揄するのは想定されることではあるが、それをもって敗因とするかようなしたり顔の論評は下品とすら言える。

   富裕な支配層は、自分たちの利益を実現するために、彼らが犠牲を強いる人々が共通の利害でまとまることを阻止しようと、政治・経済・イデオロギーの様々なレベルで「孤立化」と「統合」を図っている。そうした中で、日常生活を送るノン・エリートの普通の人々とその家族にとって、生きていくための「仕事」の重みは何よりも重いのだ。こうした中で、私たちが「自立」して自分たちの人間としての利益を貫くためには、むろん「やせ我慢」も必要なのだが、経済・社会生活上の「連帯」がなにより必要なのだと改めて思うのだ。私的・公共的、様々な領域と形での「連帯」が模索されなければならない。我が身を振り返りながら、そう思う。

   『朝イチ』が・・・  
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〈手作業〉の面白さ―――大雪の2週間から

    ヒトとしての「力」と「喜び」を感じる時

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大雪の日、僕の後に道はできる

   ※この2週間は何しろ忙しかった。大雪の除去作業をはじめ、その後の連続する寒波で、色々な機器に不具合が生じたからだ。ただ、それらをなんとか〈修理〉しようと夢中になっていると、なぜかヒトとしての喜びを感じたりもしたのだ。今日は、それらのことについて書いておきたい。

  別にレヴィ・ストロースの「ブリコラージュ」(日曜大工)を気取っているわけではないが、私はどちらかというと機械類を修理したりするのが好きなようなのだ。若い時には、B君から1万円で譲り受けたシヴィック1500ccに、オイル交換やスロー調整をはじめとする様々なメンテナンスを加えて喜んでいた。しかし、車がコンピューター制御になってしまってからは、私には全く手に負えない代物となってしまった。いいのか悪いのか・・・

  ところで、「ブリコラージュ」といえば、向かいの住人は寒波で凍結した道路の氷をつるはしで割っていたが、これに対して私は、農作業で使っている備中鍬や平鍬、剣先スコップやアメリカンレーキを、雪と氷の状態に合わせて使ってみた。作業能率が全然違うので、辛い作業ではあったが、なぜか楽しい気分になることもできた。

  また、氷点下の日が続いた時には色々なところに被害が出た。一番軽いのは、庭の散水栓の吹き出し口のところが、中の氷の膨張によって見事に壊れてしまったというものだ。この他にも、給湯器が凍結してしまったり、また、原因は定かではないが、風呂の追い炊きができなくなったりもした。その時、風呂釜のフィルターの清掃などをやってみたのだが、その結果、昼過ぎには追い炊きができるようになり、業者に依頼していた修理をキャンセルすることができた。少しは家計の足しになったかもしれない。

  また、地震のせいもあってか、靴箱の蝶番がうまく閉まらなくなってしまった。これには、蝶番を付けたり外したり、色々な調節もしたのだが、結局、新しいものに交換しなければならないことが判明した。当面は、磁石付きの蝶番で押さえることにはしたが、合計3時間はかかっているだろう。とにかく、最近の蝶番はかなり複雑な(?)仕組みになっていることが初めてわかったのだ。

  さて、一番驚いたのは、月山まで行った50ccのベンリー号のエンジンが不調になったことだ。なんとエンジンオイルに大量の水がたまり、キャップを開くと水で薄められたオイルが吹き出してきたのだ。バイク屋さんの話では、暖機運転をしっかりしないとガソリンが燃焼する時に出るなんとかというガスが冷却されて水になってしまうのだそうだ。ただ、その時も、懐かしのチョークやアイドリング調整のためのネジをいじって、妙に楽しく感じたものだ。

  また、一番嬉しかったのは、音がうまく鳴らなくなっていたレコードプレーヤーを復活させたことだ。はじめは古いイコライザーのせいかと思っていたのだが、兄から送ってもらった新しいものに取り換えても変化がなかったので、その後、電話で話をしながら、ゼロバランスやカートリジの接点の清掃、そして、アンチスケーティングやオイルダンプのダイヤル類などを、文字通り、押したり、引いたり、回したりした結果、なんと綺麗な音が復活したのだ。要するに、40年以上前のアナログ式の機器は、メンテナンスさえ良ければ、100年でも使えそうなのである。50ccのベンリー号も「10万キロはいけますよ」と言われたが、こんな世界もいいなあ、とつくづく感じたものだ。

  また、今週は、知人からもらったヒノキの小板を彫刻刀で削って鼻笛というものを作ってみた。ヒノキの硬さには閉口したが、完成度は低いものの、一応、音の出るものが出来上がった。「笛」という楽器なわけだが、どうやら、吹き出た息をどう「邪魔」するかによって音が出るようなのである。その「邪魔」の仕方こそがポイントだった。面白いものだ。大昔の人々もこうやって色々な道具と戯れて喜んでいたのだろう。私は、手芸や工作などはあまりやらなかったが、その気持ちも良〜くわかるような気がした。

T・ペインの『コモン・センス』一般ピープル論(4)

  人民の経済的「自立」と政治的「自治」=共和制
      アメリカの独立〈革命〉に見られる民主主義の本義



   ※大変な一週間が過ぎた。実際、20センチ以上の積雪とマイナス7度とか8度とかの世界だったわけで、生垣のゴールドクレストが真っ二つに折れ、続く寒波で給湯器が凍りつき、そして、道路を覆う氷の「破砕」ー除去作業が思いの外きつかった。サロさんも雪の上では「僕の後ろに道ができる」とかドヤ顏だったが、氷結した道路の上では滑って後ろ両足をしょっちゅうとられ、困惑していた。北国育ちの私としては懐かしくもあるのだが、やはり、雪と寒さは、正直、きつかった。この間行った様々な作業や〈修理〉については次回。

   さて、トマス・ペインの『コモン・センス』であるが、これは、フランス革命における『第三身分とは何か』と同様、アメリカ独立革命(1776年7月)の直前(1月)に出されたパンフレットで、イギリスからの分離・独立をアメリカの人々の「常識」たらしめた決定的な文書と言われている。もちろん、アメリカ独立革命といえば、まず、『独立宣言』を起草したジェファーソンの思想を思い浮かべるだろう。確かに、ジェファーソンの民主主義・共和主義の思想は、現代にも生き続けるアメリカ的理想主義の最良のものの一つであり、現代社会の諸問題にも幅広く適用しうる極めて意義深いものと考えられる。ただ、自身が「一般ピープル」としての辛酸をなめているトマス・ペインの『コモン・センス』は、上層市民だけではなく、より広範な「一般ピープル」への波及力という観点から、そして、独立革命 に参加した人々の息吹を感じ取る上でも、必須のものと言える。彼は、その後義勇兵となってイギリス軍と戦い(『アメリカの危機』)、また、フランス革命(1789年)に際しては、エドマンド・バークの『フランス革命の省察』(1790年)を批判して『人間の権利』(1791年)を著し、人民による革命を擁護している。

   ところで、私の問題意識は、アメリカ人民がどのような思想や現状認識によって民主主義の〈主体〉=主権者たり得たかということだ。そして、この点において再度確認しておかなければならないのは、アメリカ独立革命が、その後の民族解放闘争に大きな影響を与えた、「〈民族〉の覚醒」に基づく植民地の「〈独立〉戦争」というだけではなく、あくまでも、君主制と世襲制を否定し、人民主権の共和制を実現した「〈革命〉」に他ならなかったということだ。確かに、フランス革命もそうだったように、異民族の王家への対抗心がなかったとは言えないだろう。しかし、それは、あくまでも、〈自然権〉思想に基づく〈市民政府〉の形成というよりラジカルな性格を持っていたことをしっかり押さえておく必要がある。我国の自由民権運動における植木枝盛作詞といわれる『民権数え歌』(六つとセー、昔を思えば亜米利加の独立したのもむしろ旗、この勇ましや 十五とセー、五大州中亜米利加は自由の国のさきがけぞ、この嬉しさよ)はアメリカ独立革命の影響を見ることのできる大変興味深いものだが、どのような政体(ex.立憲君主制)を選択するのかは別として、フランス革命へと続くアメリカ独立革命の根本的特質がこの共和制にあったことは忘れてはいけない。
 
   こうした視点で『コモン・センス』を読んで行くと―――直接的な引用はできるだけ避けることにするが―――、そこには、ロック的な〈自然権〉思想や直接神と向かい合う自由で平等な人間というプロテスタント的な思想に基づく極めて激しい王政批判と世襲制批判があり、また、これまでのアメリカの「恵まれた状態」と将来にわたるさらなる繁栄の可能性、そして、それを破壊せんとした7年戦争以降のイギリス政府による数々の「暴政」、そして、これに対する、イギリスからの分離・独立による政治的「自治」=共和制の実現の提唱(自分自身を統治するのは、我々の自然権である)とがあった。そして、とりわけ私が注目するのは、こうした議論の基底をなしている、当時のアメリカの人々が彼らの生活体験の中から獲得し、共有していた実際的な良識(practical good sense)、すなわち、「コモン・センス」とはなんであったかということだ。そして、こうした問から浮かび上がってきたのは、独立革命以前にすでにアメリカで形成されていた、「自然権」的な世界に他ならない。すなわち、彼らの多くは、迫害や貧困から逃れてイギリスや大陸からやってきた移民なのであるが、本国イギリスから遠く離れているという利点によって、王家や領主層による厳しい封建的収奪やイギリス政府による直接的な支配から相対的に免れることができ、(クエーカー教徒を代表とするような)プロテスタント的な倫理に基づく自由・平等な「共同体」を形成し、その中で自己労働に基づく「個体的所有」と自由な貿易による経済的な「自立」を達成し、また、タウンミーティングやウォードから大陸会議に至る政治的な「自治」を発展させることができていた、ということなのである。もちろん、先住民との関係や黒人奴隷の問題なども指摘できるが―――ジェファーソンやペインは建国に先立つ時点から奴隷貿易や奴隷制に反対している―――、こうした極めてわかりやすい「恵まれた」条件によって、普通の働く人々(農・工・商の「平民」)が自分たちこそが社会を実質的に担っているのだということをはっきりと自覚することができ、社会の主人公としての「矜持」を持つことができていたと考えられるのだ。すなわち、「(自分たちのことは自分たちでできる)自立」した植民地の人々にとって、とりわけ7年戦争以降のイギリス本国による「暴政」は、まさしく、「寄生」そのものと受け取られたことだろう。そして、そうしたイギリス国家との敵対的な関係の中で、彼らは、それからの分離・独立(→独立戦争)によって、13の植民地による新しい〈人民主権〉の「公共」的世界(アメリカ合衆国)の形成を試みたのだ。そして、それは、階層的な特権を貪ろうとしたイギリスの「エリート」たちの「俺たちあってのお前たちだ」という「主従関係」の意識を根底的に否定するものだったに違いない。実際、その後に続くアメリカ合衆国の歴史は、不十分ながらも(!)、「人民の、人民による、人民のための政府」たる共和制国家が、清教徒革命におけるクロムウェルの独裁やフランス革命におけるロベスピエールの独裁などを経ずしても、実現可能であることを見事に立証したといってもよいであろう。

   こうした観点から見た時、私たち現代日本の「一般ピープル」は、自分たちが社会を実質的に担っているという確固たる意識を持ち得ていると言えるのだろうか? また、そうした自分たちが自分たち自身の公共的世界を作り出すことができていると言えるのであろうか?もし、それができていないとすれば、それはなぜなのだろうか?それが、次の問題である。
   さらに、もう一つ付言すれば、あたかもアメリカの「植民地」あるいは「従属州」のごとき今の日本の有様を思う時、日本の国民は、そうした観点からも、ペインの『コモン・センス』を再度味読すべきだと思う。アベ政権の〈買弁〉性が良〜くわかるというものだ。全く情けないことだ。


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スーパー・ブルー・ブラッドムーンに(2018/1/31)







プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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