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なぜ悪逆非道で”反国民”的なアベ政権が続くのか(1)

  真っ当な政治家や官僚、経済人はどこだ?!
    そして、真っ当な一般ピープルはどうすればいい?


   ※無料ブログの写真容量が残り少なくなって、サロさんや旅行などの写真をブログに載せにくくなっている。そうなると、話題はクソバカバカしいアベ政権の話ばかりとなって、精神状態は一層悪くなる。という事で、最近は、このブログを続けるかどうかさえ考えるようになった。まあ、日記だから、日記帳に書けばいいわけだよな。でも、もう少し、アベ政治について言っておかなければ気が済まない。今日は、クソ暑い。

   最近の日本における自然的、社会的「動き」(巨大地震とアベ政治)を見ていると、預言者ではないけれど、日本の「国民国家」としての未来は暗いと思わざるを得ない。本当に、日本の多数派の若者たちは気の毒だと思う。

   今日も、二階堂自民党幹事長が「この頃、子どもを産まない方が幸せじゃないかと勝手なことを考える人がいる」と発言したのを新聞で読んだ。〈産んで不幸になる〉”現実”を作り出している責任者が何を勝手なことを言っているのだ。この手の輩は、戦中、こどもを労働力や兵士にするために「産めよ増やせよ」と手前勝手な理屈で国民を煽り立てた挙句、多くの親子の”不幸”を生み出した戦争指導者と発想が同じなのだ。大体、戦後の男と女が、「みんなが幸せになるためには子どももたくさん産んで国も栄え発展していく方向にしていかなければならない」と考えて子作りに励んだなどとは全くのお笑い種だ。そうではなく、バカバカしい侵略戦争から解放され、それこそ目の前に明るい”未来”を感じ、「子どもを産んだ方が幸せじゃないかと勝手に考えた」からというのが本当だろう。事程左様に、我々が目の当たりにしているのは、なんの事はない、阿呆らしい「日本すごい」とかいったバカバカしいナショナリズムの掛け声とは裏腹の、国民間での「格差」の著しい拡大と「連帯」・「支え合い」・「協働」の破壊といった”不幸”こそが現実なのだ。このような現実の前では、子どもを産むことに親として慎重になる方が正常なのかもしれないではないか。したり顔でアホな話をする前に、安心して、希望を持って、子どもを育てることのできる”現実”を作り出してみるがいい。

   いうまでもなく、明るい”未来”が感じられないこうした現実を生み出しているのは、ソ連のおかげでアメリカの使いっぱとなって生き延びた戦前の戦争指導者層の末裔や、実際は、思いっきり非「経済」的に国民からぼったくって甘い蜜を吸っている、自称「新自由(競争原理)主義者」や「社会ダーウィン主義者」というわけなのだ。こうした輩は、国民同胞のことなどはこれっぽっちも考えておらず、コネや節税ー脱税などは許せないけれどまだ可愛い方で、お友達ばかりが「幸せ」になる〈ぼったくり〉の政策と法律をウソと隠蔽の末にでっち上げ、日本の国民経済の基礎を掘り崩した上で、その付けは全部一般国民に転嫁しようとしているのだ。さらに、こうした輩は、グローバリズムを気取ってアメリカに擦り寄りながら、掠め取った資産は海外でこっそりと貯め込み、いざとなったら、国外に逃亡する準備すらしていると言ってよい。そうならないように願いたいが、アベ政治の行く末は日本の”没落”であり、その時には、さらに多くの国民が塗炭の苦しみを味わうことになるだろう。その時、彼らは責任を取って「切腹」でもする覚悟があるだろうか。あるわきゃないか!「土牢」・「釜茹」あたりが適当なのかもしれぬ。

   それにしても、こんなセコイ連中がなぜ大きな顔をしてのさばっているのか。これについては、次回、考えてみたい。遅くなったが、サロさんと散歩だ。
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米朝首脳会談―――日本の朝鮮半島への立ち位置は?

 北東アジアの平和と安定に期待する!
    ―――生存する拉致被害者を如何に帰還させるのか?!

 
   ※肌寒い梅雨の季節に入った。サロさんと私は、雨の中でも、足を引きずりながら、いつもの散歩を続けている。「もうそんなに頑張らなくてもいいよ!」という声がどこからか聞こえてくる。しかし、日本の将来を考えると、政治的にも、経済的にも、国際的にも、不安材料がいっぱいだ。もう少し頑張って、これからの日本の行方を見定めなければならない。今日は、外交問題について考える。

  シンガポールで開かれた歴史的な米朝首脳会談。各国首脳の思惑は別として、和平への対話が開始されたことを評価したい。また、どの国であろうと核武装は決して容認できないのだが、これをきっかけに、歴史上初めて平和裡に「非核化」(核兵器廃棄)への道が開かれるとすれば、こんなに画期的なことはあるまい。

   ただ、これまで、北朝鮮は権力政治による「北風」でアベ自公政権を助けてきたが、今度は、〈核〉の権力政治によって、結果として、アメリカのトランプを助けることになるのかもしれない。そして、そのことがアメリカと世界の一般ピープルに及ぼす災厄は想像以上のものになるかも知れない。さらに、両者の基本的立ち位置が〈権力政治〉である以上、これからの情勢の変化(とりわけ、トランプのご都合)による事態の急変は、米朝会談以前の状況よりさらに悪いものになる可能性もないとはいえない。

   とはいえ、敗戦後の日本をはじめ、ニクソン訪中後の中国や統一後のベトナム、東西統一後のドイツや冷戦終結後の東欧のように、米朝関係の好転が北朝鮮の経済状況と政治状況に「変化」を引き起こし、「一般ピープル」の生活の安定と安心に結びつく可能性は大きいと思う。同盟国中国を含む現在の経済制裁によって青息吐息の北朝鮮にとって、「制裁解除」後の国際経済への復帰は、国内経済に想像以上の変化をもたらすはずだ。もちろん、「体制保証」後の北朝鮮経済内部での「支配層」と「一般ピープル」との関係がどうなるのかは未知数だ(中国やソ連の場合を考えても、そう楽観はできない)。しかし、今より「まし」になることは確かだと思う。そのためにも、中国やロシアを後ろ盾にした核兵器の廃棄(常任理事国・中国への移動や国際機関の監視の下での核兵器の解体)の可能性は低くないと思う。

   そうした事態の推移のなかで、韓民族・朝鮮民族自身の手による平和的な統一が実現されるなら、それは理想的な進展と言えるだろう。朝鮮半島にそうした統一国家が形成されること自体を喜ばない勢力もあるだろう。しかし、分断の果て、米国による小型核兵器の使用や北朝鮮による在韓・在日米軍への攻撃を伴うだろう朝鮮戦争の再発―――それは通常の”良識”の範囲内では決してあってはならないものだが、絵空事でもない―――を避けるためにも、南北の融和と統一は必要な前提と言える。そして、南北の人々の支持がある限り、ドイツ国民が果たした「無血の統一」は、けっして夢物語ではないはずだ。

   ところで、この間のアベ政権の対応については、改めて語ることはしない。要するに、植民地支配を内心肯定したい彼らにとって、北の脅威と朝鮮半島の分断は、彼らの政権維持と改憲路線にとっては、なくてはならないものということだ。そして、彼らの「圧力一辺倒」路線は問題の解決を意図したものでは決してなく、また、同様なことは、拉致問題についても言えるのだ。これまで、アベ政権が拉致問題の解決に努力してきたかといえば、蓮池透氏が言うように、この問題を政治的に利用してきただけであって、言葉とは裏腹に、積極的な問題解決に取り組む動きなどほとんどなかったと言えるのだ。しかし、今後の朝鮮半島情勢への日本の関与は、どちらにしても、この拉致問題の”解決”にかかっている。もしそれができない時、日本は、「賠償金」を払わずに済むことになるかもしれないが、米朝そして南北の国交正常化と経済交流が進む中、ずっと「蚊帳の外」的立場に留まる他ないことになる。さて、どのような”解決”の方向性が示されるのか。

   私は、幼い頃、「かます(叺)のおじさん」という言葉で、人さらいに注意するように言われていた。そのせいか、最近の看護師内山さんの拉致・殺害事件には抑えがたい怒りを覚えるし、かっての(確か袋に入れられて日本海を渡った)金大中事件にも大きなショックを受けている。ましてや、市井の普通の人々だった拉致被害者の方々のことを思うと、(死刑廃止論を支持するけれど)犯人たちを「死刑」にしても飽き足らないと感じることもある。ただ、同様に、情状酌量の余地の全くない殺人事件や性犯罪などの被害者とその家族ついても、国の内外を問わず、同様に感じると言っておかなければならない。とりわけ、「従軍慰安婦」問題などを抱えた日本にとって、こうした視点を欠いては、外国の人々の理解と共感は得られないだろうと思う。

   そうした中で、私がいつも思うのは、拉致被害者の生死の判断についてだ。遺骨のDNA鑑定もあったが(それ自体への疑問もある)、それでは、横田めぐみさんの実の娘(キム・ヘギョンさん)は嘘をついているということなのか。ならば、北が生存を隠さなければならない理由とは何なのか。漏れてはならない情報を得ることができる立場にいたからなのか。しかし、どれもが確証のあるものとは思えない。めぐみさんが生きていてくれることを望むが、死亡している可能性も踏まえたうえでの〈真相〉解明への交渉が求められているのだと思う。その上でないと、拉致被害者の帰還への第一歩も踏み出せないということだ。北は嘘をついている、それを「圧力」で自白ー解放に追い込む、それはトランプにすらできないことだった。実際、曽我ひとみさんら5人の帰国も「日朝平壌宣言」(国交正常化と経済支援)を基にしたものであったことは忘れてはいけない。最近、蓮池薫さんによるそうした諸条件への提起もあったが、どちらにしても、キムジョウン政権への柔軟で積極的な対応が求められていると言って良いのだ。

  カジノ法案が委員会で強行採決。アベ政権の性根が見えている。

日大アメフト部・人格的ボス支配の構造―――2018「晩春」雑感(4)

日本の国会や司法がアメフト関東学連のように真っ当だったら、
  アベもアソウもとっくに政界から「除名」=永久追放だったろう


   ※一昨日は、ウィーン少年合唱団(ハイドン組)のコンサートに行ってきた。生で聴く舞台はCDで聴くよりもはるかに素晴らしかった。各自が思い思いに歌いながらも歌声は見事に「調和」・「統一」され、さすがに世界最高の少年合唱団と言われるだけのことはあると感心させられた。また、ドイツ音楽の伝統を継承する彼らのその多国籍ぶりには驚かされた。クラシック界においても同様だが、それはドイツ音楽の普遍性の表れなのであろう。そんなことを思いつつ、今日は雨と体調不良で「6・10 国会前行動」に参加できないので、以前から予定していた「日大アメフト部」問題について書いておきたいと思う。

   さて、日大アメフト部の「悪質タックル」問題の発生から、早、一ヶ月が経った。一方でモリ・カケ問題が核心に迫る中、マスコミは自ら食傷気味と言うほどにそれを大きく取り扱った。実際、モリ・カケ問題へのマスキング効果は十分に発揮されたであろう(今は、「和歌山のドンファン」か…)。しかし、多くの人々がこの日大アメフト問題とモリ・カケ問題の「類似性」に心をとめたように、この問題は、現代日本社会における人格的な「ボス」支配の構造を浮かび上がらせる上で大いに意味があったとも考えられるのだ。確かに、この問題に対するアメフト関東学連の判断は至極真っ当なものであったと思う。しかし、あれだけ明々白々なアベ友の〈ウソ〉を前にしてもアベ自公政権と自民党の支持率が下げ止まるという事態は、やはり、社会の様々な領域を重層的に覆う、これと同様な「支配ー従属」関係の特殊なイデオロギーが作用していると考えざるを得ないのだ。それは、自立的な「個」が、「公平」に社会的関係を取り結び、その上に、お互いの成長と幸福を実現しようとする志向とは対極的をなすものと言えよう。しかし、同時に大変印象的だったのは、それに異議を申し立てたのは、アメフトを愛する選手や関係者だったことである。そして、彼らこそ真の〈アスリート魂〉や〈フェアプレイ〉の精神を有する勇気ある本物のスポーツマンであり、「信義」や「道理」を重んじる本物の「さむらい」だったということだ。

   さて、アメフト関東学連は、「ルール」に反したあの悪質な行為が学校法人日本大学のナンバー2でもある内田正人前監督の〈指示〉によって行われたと認定し、事件後の内田前監督と井上元コーチの主張を虚偽と断定して、両者を「除名」処分とした。その経過を改めて論じることはしないが、得られた情報から判断する限り、それは極めて適正なものと考えられる。モリ・カケ問題においてもサガワやヤナセらによる明々白々な〈隠蔽〉・〈改ざん〉・〈虚偽答弁〉が次々に明らかにされてきたが(!)、もし日本の国会や司法がアメフト関東学連のように真っ当であったら、アベやアソウももうとっくに政界から「除名」=永久追放されていたことだろう。現在目の前で展開されている醜い居直りや茶番劇が続くならば、日本は決して自ら誇り得ることも、また、他国から尊敬される国でもありえないことだろう。

   ところで、私が「リードをしないで」QBに突っ込む宮川選手の姿そしてその後の記者会見を見て想起したのは、戦前の軍隊における、敵の捕虜に対する新兵の刺殺訓練だ。そして、それは、また、法に反するあるいは非人道的な行為に人を追い込んで「共犯」意識を形成し、その「弱み」に付け込んで人格的な「支配ー従属」関係を作り出そうとする〈サディスト〉による支配構造ともいえる。しかも、そこには、”合法”的な「権力」(ー「権威」)ですらない、ボス自身によるあるいはその子飼いの者たちによる人格否定のむき出しの暴力やいじめが張り付いているのだ。こうした中で、一見強面のボス気取りのおっさんとその後釜やそのおこぼれを狙う内心小心翼々たる出世主義者たちによる「抑圧移譲」や「責任の下部への移譲(押し付け)」が発生するのだ。私も中学時代にそれと類似したことを経験したが、それはそれは、恐ろしく、おぞましいものだった。こうした支配のありようが、日本における様々な社会関係に張り付いているのではないだろうか。

   また、この間、田中英壽理事長と現日大執行部 が、「悪質タックル」問題の〈責任〉を選手(そして、最悪でもコーチ)に押し付け、内田正人前監督を庇おうとしてきたことは決して忘れてはならないことだ。日大相撲部出身で、日本オリンピック委員会の副会長でもある田中理事長は、山口組組長とのツーショットでも、知る人ぞ知る存在である。そして、ここでも、若き日の私の記憶が蘇ってくる。私は、大学時代、日大芸術学部に通う知人から、当時の裏口入学問題に発する「日大闘争」について話を聞いたことがある。古田会頭と言う人物が「支配」する当時の日大では、肉体派の体育会系右翼と学生課の暴力によって、それはそれは大変だったと言うのだ。そして、1965年入学の田中現理事長も、肉体が凶器そのもののような相撲部員として、その中にいたのだろうと想像できるのだ。そして、今回、当初から内田前監督を庇ってきた田中理事長こそ、やはり、「悪質タックル」問題を引き起こした「人格的ボス支配の構造」の最高責任者と言ってよいはずなのだ。現在、公の場に姿を現していないが、そうした構造の下でこれ以上の犠牲者を出さないためには、そのガバナンス自体のチェックが不可欠と考えられるのだ。

   しかし、私は決して落胆はしていない。なぜなら、伊調馨選手に対する栄和人の〈パワハラ〉問題もそうだったが、最近の優れたアスリートたちは、「スポーツ」の本質とは無縁な「人格的ボス支配」や「勝利至上主義」やスポーツの「政治利用」に対して、盲従するだけではないからだ。そもそも、競技者の人格をも否定する「ボスども」のイデオロギーは、ナチスの「友敵理論」を地でいったような代物で、要するに、「対戦」相手を(いかなる手段を用いて傷つけようが殺そうが構わない)「敵」として認識させようとするものに他ならない。さらに、それは、狭隘な「愛国心」(ナショナリズム)と結びついて、仮想「敵」国の選手への偏見や憎悪に導かれていく。しかし、単なる「殺し合い」や「戦い」とは区別される、昇華発展された「スポーツ」や「武道」においては、まさしく、「競技相手」・「対戦相手」に対する、人格的な尊重や共同=共感こそが前提とされるものなのだ。また、それは単純な「勝利至上主義」とも無縁であり、自己の向上と最高のパフォーマンスを目指しながらも、勝てなかったら意味がないとか、メダルを取らなかったら死に値するなどといったものではありえないはずだ。そんな競技が楽しく、普遍性をもつはずはなかろう。

   そして、今回の問題の中で最も心動かされたのは、被害者でもあり加害者でもある、宮川泰介選手の言動だった。とりわけ、感銘を受けたのは、「直後から悔悟の念がよぎる行動をなぜしたのか。」という問いに対する、「監督、コーチの指示を判断できなかった自分の弱さだと思う。一週間通して監督、コーチ陣からのプレッシャーがあったにしろ、プレーに及ぶ前に自分で正常な判断をするべきだった」という言葉だ。彼がどれほど強いプレッシャーに晒されたかは容易に想像しうるし、そうした中で結果として監督やコーチの誤った指示に従ってしまったわけだが、しかし、彼は、正常なスポーツマンシップを見失わない〈強さ〉も持っていたといえるのだ。こうした強い「個」の自律的「倫理観」にこそ希望がある。日大は、宮川選手とそれを支えた仲間や保護者たちによってこそ、かろうじて面目を保つことができたといってよい。ただ、あの「選手声明」にも加えられただろう圧力を考えると、関学大QBの奥野耕世選手の父親の言うとおり、日本のスポーツ界の一部に長い間巣食ってきた「人格的ボス支配」との戦いは始まったばかりであり、今後も長い時間を要するのかもしれない。

   しかし、サディズムやパワハラが覆う社会には、人々の幸せな未来はない。そして、それに対決しうるのは、「個」の「自立」や「公平」を重んじる若い、勇気ある人々なのだと思う。


「膿の素」アベには消臭剤では足りない―――2018「晩春」雑感(3)

 それにしてもひどすぎる これが日本か?!
  でも、結局、「アベ政治」を許している国民が悪いのだよな!


   ※なぜ、こんなバカバカしい状況が続いているのだろう。このようなまやかしがまかり通っているようでは、日本の未来は絶望的なものと思わざるを得ない。6月10日の国会前行動には、左膝と財布には痛いけれど、参加しようと思っている。しかし、正直、ほとんど身が持たないような気分だ。だが、私たちは、少なくともまだまだ聞こえてくる真っ当な良識ある警句に耳を傾け、「良識派」を結集して政権交代を実現し、日本の未来を安心できるものにしていかなければならないと思う。ボ〜ッと生きているわけにはいかないのだ。

   先月、岸井成格さんが亡くなった。以前はおいおいと感じることもあったが、ガン発症後の彼の言葉には、”しがらみ”を超えた覚悟が感じられ、高く評価できるものだった。要するに、小選挙区制とか内閣人事局とかマスコミ統制とかその理由はなんであれ、民主政治の根幹に関わる問題について原則的な立場を明確にできない人、とりわけ、責任ある立場の人は信頼できないということだ。そういう意味で、彼の「たるんじゃったな、みんな」と言う言葉は言い得て妙な表現だったと思う。特に、「勝ち組」を自認しているのであろう各分野の「専門家」たちが、ちっぽけ(?)な「私利」と引き換えに、職業倫理や人間としての誇りを簡単に売り渡している姿はあまりにも悲惨という他はない。ただ、岸井さんもそうだったが、自民党の村上誠一郎さんや元文科省事務次官の前川 喜平さん、そして、最近の中村時広愛媛県知事や元総理大臣の福田康夫さんなど、その言葉に心を動かされる人々がまだ存在している。その人の「自由主義」や「保守主義」が真っ当なものであるかどうかは、腐れ切ったアベ政権を批判できるかどうかによって試されていると言ってよいのだ。
 (今、ブロムシュテット=N響の『幻想交響曲』を聴きながら書いているが、私は彼のリズムとテンポが大好きだ!曲が終わったら、サロさんをジャッポに入れるため、今日はブログを中断することにする。)

   それにしても、アベとアソウはどうしようもない。彼らの嘘で塗り固められた恥知らずな鉄面皮には、真っ当な道義心も論理能力も全く感じられない。アベの「読解力」云々はブラックジョークですらないが、アソウの「悪質でない公文書改竄」とか「セクハラという罪はない」とかの発言は、要するに、”強者”に盲従しつつ、”弱者”を差別・虐待する、現在の腐りきった支配層の醜い生き様を弁護しようとするものに他ならない。後者は、裁判所の判例にも反して、罪刑法定主義の浅知恵から、福田前次官のセクハラを処罰の対象にすることを否定しようとしたものだ。アソウは、〈強制わいせつ〉もそういう「罪」がなければ許されるとでも考えているのだろう。アホが権力を握ったときの、無知と傲慢の典型的な例と言っていい。

   また、私がとりわけ許せないと感じているのは、森友問題において、アベ・アキエの関与を隠蔽するために公文書を改ざんしたサガワたちを大阪地検特捜部が不起訴にしたことだ。これは、もう、「時代劇」以下の有様だ。この件について、福田元首相は「不起訴で、おとがめなしということになってしまったら、あの事件で、みずから命を絶った人のことはいったいどうなるのか。ずいぶんギャップがある」と述べている。正鵠を射た言葉だ。大体、大阪地検特捜部とは、あの「郵便不正事件」の証拠捏造によって村木厚子さんを逮捕・拘留・起訴した前科があり(財務省や内閣人事局との関係も噂されている)、また、森友学園の籠池泰典と諄子さんを約10カ月間に渡って長期勾留した組織に他ならない。その一方で、この事件に関しては、財務省や近畿財務局そして大阪航空局に強制捜査すら行わず、不起訴としたのだ。アソウなどは、交渉記録について、「今の段階で見つかっていない」が「捜査すればまた出てくるかもしれない」などと宣っている。まあ、サガワと同様に、大阪地検特捜部のヤマモト・マチコたちも、アベ政権のご意向に従ったに違いない。しかし、まだまだ、検察審査会がある。

   さらに、腹がたつのが、加計学園問題だ。ヤナセがあれだけ「記憶にない」とシラを切っていた”この問題へのアベの関与”を明確に示す文書が愛媛県によって提出され、さらに、今治市長までもが記憶を呼び覚ましてその記録の正しさが否定しきれなくなると、今度は、加計学園がその記録内容(アベとカケ・コウタロウの面談とそのやりとり)自体が自分たちの「ウソ」だったと言い出したわけだ。あの薄ら笑いを浮かべたワタナベ事務局長の言動を見て信じる真っ当な大人はいないだろうけれど、まあ、アベ友一派はあくまでもウソにウソを重ねてアベを守ろうというわけだ。アベ友一派は、本当に、日本の「恥」・「膿」そのものと言ってよい。それに比べて、中村時弘愛媛県知事は立派である。〈真実〉を語る〈誇り〉や〈プライド〉を示すこうした人物によってこそ、我が祖国はかろうじて面目を保っていると言ってよいのだ。このような「義人」を守り、アベ〈ドクサレ〉政権を一刻も早く倒すことこそが日本の未来を切り開くことに繋がると思う。

   (生ゴミを出しに行かねばならぬ。そして、 「膿の素」のアベも早く国民によってゴミ処理されねばならない。日大アメフト部に関連する事柄については次回書いてみたい。)
      

米朝首脳会談によせて――2018「晩春」雑感(2)

権力政治内部での権力ゲームと一般人民の利益
  結局、最大の焦点は「南北」同一民族内の融和か対立かだ!



   ※先週、楽しく「おじさん旅行」から帰ってきたが、アベ友や日大アメフト、そして、米朝首脳会談のニュースなどで落ち着く暇がなかった。ニュース番組をハシゴして、本当に「好きだな」などと思いつつ、怒りと共に底知れぬやるせなさも感じているところだ。そんな中、今日は、外交問題について書いてみたい。

   先日、トランプが米朝首脳会談の中止を発表し、大喜びのアベは〈世界でただ1カ国〉すぐに支持を表明した。しかし、その直後、会談開催への動きが再開されると、またまた、恥も外聞もなく賛意を示す。そして、昨日は、予定通りの開催(6月12日、シンガポール)が発表され、さらに、トランプは「もう最大限の圧力」という言葉も使わないそうなのだ。まさしく、アベ外交は、一手先も読めない、子供の将棋以下の代物なのだ。そもそも、アベの「外交」など、援助や貢物によって外国首脳と会っていただき、社交辞令的な共同声明以外はほとんどなんの成果もないといった代物なのだ。アメリカであろうと、ロシアであろうと、インドであろうと、なにか〈成果〉があったというのなら是非あげていただきたいものだ。もちろん、アベ友企業にとっては、国民の税金を外国経由で自分たちに還流させる旨味はあろうし、アベとアキエのお楽しみ海外旅行とか、国内政治からの逃亡とかの意味はあることだろう。しかし、「寿司友」は別として、正常な判断力の持ち主なら、それは、とてもとても、「評価」できる代物ではないのだ。

   さて、今回の米朝首脳会談に向けた動きについてであるが、私は、朝鮮半島における軍事的緊張の緩和と武力衝突の回避という、分断された韓民族・朝鮮民族の「一般ピープル」の根本的な利益の立場から考えることが何よりも重要だと考えている。ただ、実際の外交は、米・韓・朝・中・露・日の6ヵ国の「政府」(「政治的支配層」)によってなされるから、そこで展開される「権力政治」の有様と帰結が各国の「一般ピープル」にとってどのような意味をもつのか、そのことを冷静に見極める必要があると思う。実際、各国の現政権の性格は、韓国のムン・ジェイン政権は趣を異にしているが、極めて(政治的支配層の利益を「国益」と詐称する)「権力政治」的性格が強いと感じられる。そして、そうした中で展開される”ゲーム”に翻弄されている限り、世界の「一般ピープル」の究極的な平和と安定は達成されないだろうと思うのだ。
   
   問題の根本は、あくまでも、戦前の日本による植民地支配と戦後の米ソ対立の中で分断された朝鮮半島を韓民族・朝鮮民族自身がどうしたいのか、どうするかなのだ。しかし、実際の国際的「権力政治」の文脈では、現在の朝鮮半島の分断とその統一の態様に対するに各国(現政権)の利害が大きく影響してしまう。つまり、「南北」朝鮮の分断の現状が、敵対する超大国への軍事的同盟関係や緩衝地帯としての役割、あるいは、「敵」(対抗勢力)の存在を不可欠とする自国の軍産複合体の利益などから固定化される傾向にあるわけだ。例えば、アベ政権にとって、「北風」は”天恵”そのものであって、米国と韓国が北と敵対する既存の構造への執着は、余りにも見え透いていて、恥ずかしいくらいだと言える。これに比べて、トランプのアメリカの方がはるかに「柔軟」に対応していると考えることもできよう。

   ところで、北朝鮮にとって、今回の米朝首脳会談は、朝鮮戦争の停戦以降、最終的には軍事力あるいは徹底した経済制裁によってその体制を転覆せしめる相手としてではなく、対等な主権国家=交渉相手として認められるということを意味する。これまでの「瀬戸際外交」も「核とミサイル」も、そのための「権力政治」的手法と言ってよい。そして、その背後には、北朝鮮の対中関係、対露関係における相対的な意味での孤立化があったと考えられよう。しかし、今回の北朝鮮の「核とミサイル」による朝鮮半島の緊張激化がもたらした米朝首脳会談は、米朝の接近と同時に、北朝鮮の存在に利益を有する中・露の北朝鮮への再接近をももたらすことになっているわけだ。

   一方、トランプの思惑は、中間選挙に向けての、彼の「権力政治」的手法(力による平和)の成果を誇示するためのものであったり、また、朝鮮戦争を終結させるという歴史的な功名心の故かもしれない(確かに、それは、キムジョンウンやムンジェインと共にノーベル平和賞を受賞してもなんら不思議ではない)。しかし、1972年に中国を電撃的に訪中し、また、「ドミノ理論」に反して、ベトナムから米軍を撤退させた(ー戦争終結)のがあのニクソンであったことや、また、米ソ冷戦の終結へ向けてゴルバチョフと会談したのがあのレーガンであったことを想起すれば、その帰結の検証は別として、この間のトランプの「権力ゲーム」は、ほぼ理解しうる範囲のものともいえるのだ(トランプは間違いなくあの時のレーガンの手法を参考にしている)。北朝鮮の核武装という現実、そして、その背後にある中・露の存在を考えるならば、基本的な対立の構図は維持しつつ、〈一定の譲歩〉を引き出していくことには、さほど大きな抵抗感を感じることはないのだろう。

   また、今回の会談の焦点は、まず、短時間で合意可能な、米朝韓3ヶ国、そして、さらに中国へと拡大される「朝鮮戦争終結」への模索ということになる。そして、その過程の中で、より多くの時間を要する、北朝鮮の「核とミサイル」の処理が問題となる。北朝鮮にとって、体制と経済支援の保証が得られるならば、長距離ミサイルはもちろん、核兵器をも放棄して構わないと思っていることだろう―――なぜなら、それを使うことは自国の崩壊を意味するのだから。そして、ここで登場してくるのが、北朝鮮の同盟国であり、核保有国の中国だ。私の個人的な印象では、北の体制保証と北が現在保有している核兵器の廃棄を同時に実現するには、中国がそれを引き受けるしか方法がないように思われる。そして、それと並行して、平和条約締結後の経済支援が各国によってどのように進められるかが課題となり、さらには、南北朝鮮の「統一」の進め方にまで話が進む可能性がある。アベ政権にとっては身震いがするほどの事態ではないか。

   以上が、現時点における私の考えだ。しかし、もしこの会談が決裂すれば、それはトランプの軍事行動を正当化するものとなる可能性もある。そこで想定されるのは、壊滅的打撃を狙う攻撃とその帰結としての破局、あるいは、相互の限定的な攻撃とその後の相対的な「安定」だ。どちらにしても、「一般ピープル」にとってはろくなことはない。それ故に、「イラン核合意」からの離脱やエルサレムへの大使館の移転など、帝国主義者トランプは決して許されるべき存在ではないのだが、今回の米朝首脳会談が朝鮮半島の「一般ピープル」にとっての平和と安定に結びつく可能性がある以上、トランプがノーベル平和賞をとっても別に構わないので―――佐藤栄作だってもらっているのだしw―――、是非会談を成功させてもらいたいのだ。実際、あの恥ずべきアベ以外、世界も対話に向かう米朝の動きを肯定的に見守っていると言ってよいだろう。

   東アジアには分断国家が2つ残っている。日本が歴史的な責任をも負う、台湾(中華民国)と中華人民共和国、そして、大韓民国と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)だ。そして、その根本的問題は、同一民族同士の融和か対立かということだ。両者の「統一」には難しい問題が多々ある。しかし、私は、特権的支配層の立場ではなく、日常生活を送る「一般ピープル」の目線に立った平和的な統一に期待したいと考えている。


プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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