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3500円のカツカレー?――食べたことないねえ!

詐欺師まがいの価値観とボッタクリの夢
  ―――「アベ友」政治を「一般ピープル」はどう捉えるのか?!


   ※先日テレビを見ていると、今回の自民党総裁選におけるアベ陣営の投票直前の出陣式で、国会議員向けに333食分のカツカレーが出され、完食されたにもかかわらず、実際の投票数は329票しかなく、差し引き4人が食い逃げしたのではないかという事件=「カレーライス事件」(アマリ事務総長)があったという。そして、そのカツカレーの値段が、なんと3500円だったらしいのだ。それは大事件に違いない!「一般ピープル」は3500円のカツカレーを食べないとは言えないが、しかし、「アベ友」政治は、「3500円のカツカレーをいつも食べている人々」のための政治であって、「一般ピープル」のための政治では決して有り得ないと改めて感じた。それにしても、3500円のカツカレー、どんな味がするのだろうか?石破陣営のカツカレーは1200円だったらしいが、この程度だとまあ私の守備範囲だろう。しかし、3500円になると、「一般ピープル」の私には一生縁がなさそうだw。

   それにしても、加計問題やカジノ法に象徴されるような「アベ友」政治が実際に何をやっているかは、まともな情報をまともに理解、把握すれば自明のことではないか。もちろん、権力にすり寄って甘い蜜を吸っている、下品で、わけもわからない御用「知識人」の話ばかりを聞いていれば話は別だろう。しかし、どのような経過を辿ろうとも、真っ当な政権交代が行われれば、その内実は白日の下に曝されるに違いない。

   「アベ友政治」の実態とは、自己利益のボッタクリ的な実現のためには詐欺師まがいの手法も当然視し、バレなければ違法行為も平然とやってのける似非・エリートどもが権力の座についているということだ。もちろん、私の関心は、「アベ政治」と利害を共にしている同類や彼らに追従することによっておこぼれに与かろうとする人々にあるのではない。そうではなく、真っ当に生き、働いている「一般ピープル」がなぜこんな代物を「受容」してしまっているのかということだ。
   こうした問への答えは、一般的には、「権力の技術」、例えば、「目くらまし」や「ヘゲモニー(知的・道徳的指導)とかいった視点から考えられてきたものだ。例えば、「ご飯論法」もそうだし、スポーツの政治的利用、そして、「愛国心」や「夢」の大安売りなどもそうだ。もちろん、アベたちが繰り出す馬鹿馬鹿しい論点のすり替えやしらばっくれが通用するか否かは、最終的には、国民一人一人の知性の問題であるに違いない。また、決して褒められたものではない「成功」物語が「夢」の実現として手放しで肯定・賛美されるのは性格類型の問題なのかもしれない。
   しかし、つまらぬ例かもしれないが、真っ当に生き、働いている「一般ピープル」の生活の視点からすれば、同胞が様々な理由で苦しむ中、某国の大統領の娘に多額の「プレゼント」を贈ったり、莫大な資産を素っ頓狂に月旅行のためにつぎ込んだりすることは、同胞の最低限の必要を満たしてからやるべきことなのであって、とても安易に受容できるものではないであろう。しかし、こうした至極当然な反応を妨げるものが、不都合な事実の隠蔽であり、人間社会を基本的に成り立たせてきた感覚・価値観への攻撃なのだと言える。そして、こうしたことを日常的に行なっているのが、「アベ友」支配下の巨大マスコミであったり、なんだかクリニックのテレビCMであったり、御用芸能人の与太話、そして、ネトウヨのフェイクやヘイトであったりするわけだ。さらに、こうしたイデオロギー的な「支配」が惰性態へと転化してしまうと、それを超えるには、それと異なる社会秩序や価値観への想像力、すなわち、ある種の思考の「飛躍」すらが必要となってくる。どちらにしろ、「一般ピープル」が事態を正確に把握・理解するためには、正しい情報(知識)と論理的かつ自由な理解力・判断力が必要ということになるわけだ。

   人間社会には当然利害の相克は存在する。しかし、人間には、それをより広い視野から、すなわち、〈人間〉あるいは〈人類〉という観点から解決していく叡智と能力も備わっていたに違いない。それこそが、不十分なものではあれ、個人や集団や文明の間の共存と共栄を可能にしてきたものなのであろう。ただ、こうした発想には一種「啓蒙主義」的な匂いがしないではない。というのは、それが、私自身の中にもある、それと相反する感情や感覚を”うまく”説明できていないように感じるからだ。政治の領域でいうと、それは、私自身の中にもある、民主政治とは相反する〈反政治〉的あるいは〈非政治〉的感覚のことに他ならない。そして、あのどうしようもないアベ政治を支えているのは、間違いなく、国民の過半数に迫る政治的無関心層・棄権層なのだ。これが、これまで私が考えてきたことであり、これをどう捉えるかということが次の課題だ。

   サロさんの足の具合が悪い。獣医師のところに連れて行ったり、散歩を補助するための台車を用意したりしたが、経過はあまり良くない。心配だ。

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ご無沙汰してました!?――秋野菜の植え付けを終えて

この夏は忘れない!
  ―――それにしても、あともう3年、アベの顔を見るのか・・・(嘔吐感!)



   ※このところ、毎日朝早く起きて、秋野菜(白菜、ブロッコリー、キャベツ、じゃがいも、レタス他)の植え付けをやってきた。かなりの疲労感があるが、植物たちは秋雨を喜んでいるようだ。それにしても、「平成」最後の夏は、命の危険を感じる「異常気象」と〈どうしようもない〉内外の世相に、なんとも言いようのない物寂しさを感じる日々だった。ブログが更新できなかったのも、そのせいかもしれない。ただ、私の日常生活は続いている。今日は、久しぶりに、この一ヶ月間を振り返ってみたいと思う。

   昨日、アベが自民党総裁に三選された。私に言わせれば、アベだのアソウだのは、国民の〈非人間〉的な生活の上に暴利を貪り、それに対してなんの疑問や羞恥心も抱かず、逆にそうしたシステムを厚顔無恥にも正当化する最悪の〈奴隷所有者〉の如き輩なのだ。これから改憲への動きが加速されることになるのだろうが、「一般ピープル」はそれにどう対応していくのか。とにかく、この醜くも馬鹿馬鹿しいアベ政治を積極的にではないにせよ許しているのは、私たち「一般ピープル」なのだ。主人と奴隷の弁証法ではないが、私たち「一般ピープル」は「自立」しなければならない。そして、そのためには「連帯」が、〈孤立と分断〉を乗り越える必要あると思うのだが・・・

   過日、『東京新聞』の「時事川柳」を見ていたら、”「公平」と改元望む民多し”というのに出会って、笑わされた。今の日本は、一見「実力主義」が行われているようで、実際は、その「実力」たるや、「不公平」や「差別」をうまく操れる力のことらしいではないか。最近の政・官・財の似非エリートの有様を見ていると、もう本当に末期症状という他はない。若い人たちの自死に近い凶悪犯罪を耳にする度に、日本社会の崩壊がひしひしと感じられるのだ。

   西日本の豪雨、台風21号の被害、そして、北海道地震・・・被災地の方々は本当に大変だろう。そして、私も、防災マップを見ながら、人ごとではないなとため息をつくのだ。外交もそうだが、アベ政権の”やってる振り”ばかりを垂れ流すテレビ報道には、もうほとんどニュース価値はないと言って良い。『東京新聞』の「平成のことば」に、東日本大震災があった2011年の9月、岐阜県内のコンビニの募金箱に昼食を我慢して50円玉を入れた福島県出身のホームレスの男性の話―――「助けに行がれないから、せめてな。家がないのは、俺と一緒だから。」―――が載っていた。この人のような心性をアベたちが持っているとは到底考えられない!我が家の「奥さん」は何かあると募金する方だが、その「奥さん」が、一連の自然災害のニュースを聞きながら、「政治が悪い!」と一言言っていた。私も全く同感だった。

   スポーツ界では、パワハラ問題が多岐にわたる競技で噴出し、スポーツ界の「影」(?)の部分を次々と暴き出した。しかし、スポーツ人気は凄まじく、サッカーのW杯が終わっても、甲子園、アジア大会、大谷翔平そして大坂なおみと話題に事欠くことはなかった。私の興味・関心からいえば、まず、甲子園の金足農業ということになるが、私が金農に興味を持ったのは、そのいわゆる「雑草軍団」のゆえであり、マスコミが盛んに作り上げようとしているスター候補・吉田輝星選手の故ではない。いうまでもなく、この「雑草軍団」の象徴は、対横浜戦で、八回裏、逆転スリーランを放った高橋祐輔一塁手だ。彼は生物資源科で畜産を専攻しているとのことだが、このホームランは彼が高校で初めて放ったホームランだったのだ。その後、彼がどのように動物たちと接しているのか、非常に興味深いところだ。それにしても、試合後の、あの腰に悪そうな応援団風の校歌斉唱は、相当鍛えないと難しいだろうw。

   私はスポーツ観戦を否定するわけではない。自分がやったことのある競技を見ると、それを極めようと努力している選手たちに感動するし、応援もしたくなる。また、経験のない競技でも、見ていて純粋に面白いと感じる競技もあるからだ。ただ、報道のされ方を見ていると、やはり、商業主義的あるいは国家主義的な下心をどうしても感じてしまうのだ。2020年の東京オリンピックには特にそうした傾向が強いと思う。そして、このイべントのためにどれほど多くの必要事が犠牲にされていることやら。
   さらに、スポーツは、やはり、自分自身でやることの方がずっとずっと「意味」があると思う。そうした意味で、私が左膝を痛めたことは、山登りが好きだった私にとっては、返す返すも残念なことだった。この50年間、毎年欠かすことのなかった「夏山」に、今年は行けなかったのだ。昨日もリハビリに行ってきたが、膝が完全に曲がるようにしなければ、転倒時に激痛が走り、歩行困難になる恐れがある。最近は、整骨院も考えている。さてどうしようか。

   膝といえば、サロさんの後ろの「右膝」と前の「右足首」の調子が悪い。歩行距離はあまり変わらないが、その姿は正直かわいそうだ。後ろ足については、今春、獣医さんから理由を聞いて、加齢(経年劣化)のためかと諦めていたが、前足については気になるところだ。これも、明日にでも、病院に連れて行こうと思っている。もちろん、現在の私にとって、家族の中で、一方的に責任を負わなければならないのはサロさんだけなので、歩けなくなっても面倒を見る覚悟はできている。そのうち、サロさんを台車に乗せて散歩するようになるかもしれない。

   責任といえば、先々週から、週1回、ある仕事に就くようになった。半分ボランティアのようなものだが、やはり、人間を相手に、それなりの責任を負わなければならない。社会との接点を回復したとも言えるが、現在の私にそれを担いきることができるかは正直言ってまだ確信はない。ずいぶん謙虚になったものだと感じる。でも、これが正常なのだろう。

   読書は、古典以外では、養老孟司の『遺言』と保坂正康の『近代日本の精神史』を読んだくらいだ。前者は、「感性の覚醒」を思わせる内容で、彼の著作の中では一番ピッタリくる感じだった。後者は、近代日本の各界の「知識人」たちの、それこそ身体化された思想=精神を見直す中で、現在の似非エリートたちがいかに薄っぺらであるのかを気づかせてくれるものだった。あと、上橋菜穂子の「守り人」シリーズ(全12巻)も手に入れたので、これから寝る前に読もうと思っている。また、原語でも歌う合唱サークルとの関係で、ドイツ語やフランス語もやろうと思ったが、尻切れとんぼに終わってしまった。間欠泉の私らしい結果だ。卓球では、膝と手首の負担を減らすために、同好会のメンバーからシェイクハンドのラケットを譲り受け、使うようになった。その楽なこと!ペンホルダーが如何に関節に負担をかけていたかが、身体で理解できた。サーブはまだペン型で出しているが、これからはシェイクでできるだけ体の移動を少なく対応できるようにしていきたいと思っている。

   書き始めると、また、長くなってしまった。次回は、やはり、アベ政治と「一般ピープル」との関係を書かなければならないだろうか?トランプ現象もそうだが、本当に気が重いことだ。

   最後に、翁長知事のご冥福を祈りたい。沖縄の人々の「自立」の象徴だったと思う。
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2019年11月現在満13歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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