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入管法を考える(2)――C・ゴーンとコストカット

 焦点は〈働く仲間〉の労働条件
   ――そして、日本人労働者の明日はどうなるのか?!



   ※いやはや、世の中、カルロス・ゴーンの逮捕で大騒ぎだ。彼も「外国人労働者」だとは言わないが、日本で働く外国人の一人だったことは間違いない。”コスト・カッター(「経費削減人」)”としての彼が何をやってきたかはよ〜く記憶している。日本の労働者多数をリストラにかけて、巨万の富を不法に懐にしていたわけだ。しかし、こうしたゴーンのやり方は新自由主義的な手法そのものなのであって、日産の再建がこうしたやり方でしか可能ではなかったと考えている限り、ゴーンを批判する思惑がどこにあるにしても、ゴーン的なるものを乗り越えることはできないのだ。そして、言うまでもなく、現在の入管法「改正」も、日本の経営者と自公政権の”コスト・カッター”的性格が如実に表れたものと考えることができるわけだ。

   家族の一人がアベの記者会見の表情と語り口を見て、「あの人、どう考えてもおかしいよね」と呟いた。おそらく、それは彼の精神状態を察して言ったことなのだろうけれど、私からすれば、”お友達”だけを優遇し、自分がカッコつけたいがためだけに、日本と日本人を破壊して恥じない、信じがたいほど無能で”恥ずかしい”政治屋だということだ。国内では、政・官・財ともに、アベ友のモラルは地に落ち、偽装された「成果」と「やってる感」だけが宙を舞っている。国際的には、トランプにカモられ、プーチンにはオチョクられ、習近平にはノセられ、文在寅にはウトまれ、金正恩にはシカトされ、そして、日本国憲法下で日本国民が積み上げてきたものまでが次々と投げ捨てられていく。こうした中で、「お人好し」の国民は犠牲に供せられ、そして、人心は荒廃していくのだ。ひどいと言う他はない。

   一事が万事で、今回の入管法の「改正」も、本当におぞましいものだ。受け入れ職種やその人数の曖昧さ、外国人労働者の現在の実態把握、彼らを「人間として」受け入れるための態勢、そして、日本人労働者への影響など、ほとんど話にならないような有様だ。とりわけ、技能実習生の実態調査の改竄・捏造は、彼らがなし崩し的に何をやろうとしているのかをはっきりと示しているように思われる。要するに、外国人労働者を現在の労働実態に近い形で大量に利用しようと言うわけだろう。このままでは、悪質ブローカーに”騙されて”連れてこられる場合は別として、まともな労働者なら日本に来ようとは思わなくなる可能性が大きい。そして、彼らがいわゆる「沈め石」となって、わが国の特定業種の労働者の労働条件はさらに引き下げられ、まともな家庭生活をさらに難しいものにし、そのことによって国内における「人手不足」は恒常化し、結局は「移民」化を推進せざるを得ないことになるだろう。

   私は、言語や文化・宗教が「壁」となる可能性を重々理解しているつもりだが、「隣人」あるいは「友人」として、さらには「配偶者」として共に生きていく上で、「国籍」や「民族性」は、根本的には、大した意味を持たないだろうと理解している。国籍や民族が違っても、助けー助けられ、支えー支えられる関係はいくらでもあるし、また、同じ国民・民族であっても、「悪人」も「犯罪者」もいくらでもいるからだ。それ故に、ある国民・民族にとって、その存在が明らかに利益になる場合はもちろんのこと、その存在がとりわけ大きな負担や損害をもたらさない限り、外国人や移民はさほど大きな反対もなく受け入れられてきたと言って良いだろう。しかし、問題はそれが深刻な摩擦や軋轢を生み出す場合だ。

   これまで、外国人労働者や移民が問題視されたのは、仕事を奪われるとか、労働条件の悪化をもたらすなどの雇用問題、健保や公的扶助などの社会保障費負担の問題、治安の悪化や文化的摩擦の問題、参政権の問題などのためだった。これらの論点についてはそれぞれが厳密に検証されなければならないだろうが、例えば、社会保障費の負担の問題については、制度の悪用は論外として、移民が社会を実体的に担い(勤労・納税)、国民がそれを必要とした限りにおいて、同じ国民としての権利を認めるのは当然のことと言うことができるだろう。また、治安の悪化について言えば、最悪なのは奴隷的な労働力として強制的に連れて来られた場合だが、そうした社会に構造化されている抑圧と貧困は、当然のこととして、自暴自棄的な「犯罪」や抵抗・反乱を生み出さざるを得ないのであって、問題の根本的な解決は、そうした抑圧と貧困それ自体の解消にあると言わなければなるまい。ただ、現在のわが国の場合、問題になるのは、国内産業のある特定部門・職種における「人手不足」・「人材不足」・「労働力不足」による外国人労働者の流入ということだ。

   しかし、そもそも、「人手不足」・「人材不足」などとまことしやかに宣っているが、そうした現状は何故に引き起こされたのか。「国民経済」にとって最重要な農業を始め、介護や福祉、建設や製造業など、結局、新自由主義とグローバリズムの矛盾がより増幅された形で国民に押し付けられることになったが故と言うべきなのではないのか。今回の法案も、外国人労働者を都合よく使おうとするものだが、その都合とは一体誰の都合で、そのツケは誰が払うことになるのか。私の個人的な経験と関心から、この問題を「介護」に限定して考えてみたい。

   15年ほど前だったと思う。高齢化による介護問題が喫緊の課題となってきた中で、日本でも〈民営化〉の波が押し寄せ、介護施設の建設ラッシュが起こっていた。そして、現在では、もうほとんどが民営化されていると言って良いくらいだ。当時、母が介護施設を利用していたことから、私は介護施設を訪れる機会が多くなっていた。私の経験で言うと、大手の専門業者以外、経営は医者や医療法人によるものが多かった。そして、そこで働く人たちには、こんなに優しく熱心な人がいるのかと感激する一方で、とても許せないと感じる輩もいた。また、施設による対応の差も大きかったように感じられる。そんな中で、私は介護施設で働いた二人の青年と個人的な接触があった。一人は大手の介護会社の新入社員で、もう一人は、(2級)ヘルパーとして老人ホームに派遣された経験がある人だった。その時の話から受けた印象は、少なくとも当時の介護業界は”ブラック”だったと言うことだ。その低賃金と過重労働は、とても、ゆとりと誇りを持って働けると言った感じではなく、本当に気の毒と思わざるを得なかった。そして、そこには労働者派遣法の影響がみられると考えたことも記憶している。

   当時の私は北欧の例を頭に入れていたので、誰もがお世話になるであろう介護などの仕事は地方自治体などの”公的”な規制のもとで行われるべきだと考えていた。記憶に間違いがなければ、スウェーデンなどでは、地方自治体の(準)公務員がその多くを担っていたはずだ。これに対して、日本においては、新自由主義の流れの中で、社会保障費の増加=税負担の増加を問題視し、”民間活力”の利用といった観点から、こうした”公的”な領域においても盛んに民営化が推し進められていたのだった。ただ、税負担の〈不当〉な増加といっても、それは主にボッタクリの高額所得者の視点からのことであって、また、”民間活力”の利用といっても、それは一部の資産家の金儲けのために”公的”な領域を提供するといったことを意味したといってよいのだ。確かに、利潤獲得のための競争が「サービス」の向上をもたらす場合もあったかもしれない。しかし、それは、結局、誰もがお世話になるであろう”公的”な領域で、その利用者を「お客様」として祭り上げ、最悪の場合には、”カスタマー・ハラスメント”すら生み出すような関係性へと変質させていったと言って良いのだ。さらに、どのような仕事であっても、それが社会的に必要とされる仕事ならば、まともに暮らせる収入が保障されるべきだと考えるが(そうした規制が必要だ!)、しかし、民営化によって、そこでの労働条件が単に労働力市場の需給関係によって決まるようになれば、当然、大きな格差や変動をもたらさざるを得ないことになる。ただ、そうした関係性の中にあっても、「人手不足」になれば、当然、給料や労働条件の改善がもたらされるはずなのだが、強欲で傲慢で不実な経営者たちは、より大きな儲けを実現するために様々な手段―――リストラ・格差賃金・残業代カット・労働密度の強化など―――を考え出し、政治家の手を借りてそれを実現しようとさえしたわけなのだ。いうまでもなく、その典型的な事例が労働者派遣法であり、そして、今回の入管法の「改正」も、需給関係を利益増大のために政治的に操作し、低賃金体制を維持しようとしていると考えて間違いあるまい。

   以上のように、今回の入管法の「改正」は、道義を忘れた日本の経営者たちが目論む、総賃金抑制策の”外国人労働者”版であって、ある特定の業種・職種における低賃金労働力の利用を”構造”化しようとするものだといって良いだろう。そして、そのことによってもたらされるのは、あの労働者派遣法が日本社会の質に与えた少子化をはじめとする悪影響にも比すべきもの、否、それをすら超える悪質なものとなる可能性が大なのである。それでは、どうすべきなのであろうか。それは、日本の全ての産業を総体的に見直す中で考えなければならないが、まずやらなければならないのは、社会が必要とする労働に従事する全ての働く仲間(学生アルバイトやシルバー人材も含めた)にまともな生活ができる〈最低賃金〉を保障することだ。そして、それが強欲な経営者にとって割りが合わないものというのなら、地方自治体などの公的機関が直接関与する他はないだろう。そして、それが社会にとって必要なものである限り、それに必要な費用は”公正”な課税によって賄う他はあるまい。それは諸個人の必要に応えるものであるのはもちろん、”人間社会”の存立のための費用でもあるからだ。介護などは、その典型的な例というべきだろう。

   出かけなければならないので、今回はこの辺で。サロさん!待っててくれ!
 
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入管法を考える(1)―――大谷翔平と外国人労働者

 社会を支える、同じ〈働く仲間〉か?
  それとも、人手不足を補う単なる〈安価な労働力〉か?



   ※大谷翔平が新人賞をとった。本当に、たいしたものだ!先日も、NHKスペシャル『メジャーリーガー大谷翔平〜自ら語る挑戦の一年』を見たが、恵まれた才能を最大限開花させようと真っ向精進している彼の姿には感服せざるを得ないものがあった。私にとって特に興味深かったのは、彼がアストロズのバーランダー投手の投球を「品のある球」と表現し、いくら払っても経験する価値があると語っていたことだった。すぐ頭に浮かんだのは、トランプやアベの政治は「品のある」ものかということだったが(W)、それはさておき、今回は、大谷選手もその一人に他ならない「外国人労働者」の問題を、今国会最大の焦点である「入管法」との関連で考えてみたい。

   さて、大谷選手は、彼の「野球道」からして「品のある球」と表現しうるものをメジャーリーグの中で体感できたのだが、それが可能だったのは、メジャーリーグ関係者とファンたちがそうした彼を暖かく迎え入れたが故のことだろう。アメリカには、人種や宗教などに関係なく、誰もが何事かに「挑戦」でき、努力次第・能力次第で「成功」でき、そして、そうしたことをお互いに認め合う「アメリカン・ドリーム」が存在するというわけだ。それこそが、「移民」によって発展し、支えられている国アメリカの自由と機会平等の理想主義に他ならない。もちろん、それには「陰」の部分が存在し、WAPSによる先住民や黒人、アジア人や異教徒たちへの差別や迫害が存在したことは言うまでもない。しかし、『アミスタッド』のアメリカ―――すなわち、差別や迫害に抵抗する少数派の人々だけではなく、多数派の白人の中にもアメリカの理想主義を追求する人々が存在した―――は、その「陰」を次第に打ち払い、現代のアメリカ社会においても、その理想主義は草の根レベルで生きていると言っても間違いないだろう。それこそがオバマを大統領に押し上げ、また、冷酷な奴隷貿易商やKKKを思わせるトランプに対する今回の中間選挙で示された「反撃力」の基だと考えられる。日系の移民たち、そして、イチローや松井たちは、どう感じているのだろうか。そして、こうした観点で、今国会の最大の焦点となった入管法の「改正」を見るとどうなるのだろうか。日本で働き、生活している外国人たちはどのように感じているのか。 

   ところで、これまでの私の人生において、「外国人労働者」(とその家族)はどのように受け止められてきたのだろうか。そもそも、私の幼い頃には、外人といえば、アメリカの軍人と宣教師だけだった。そして、大学時代や職業生活を通して私が接したのは英米豪など英語圏の人々で、彼らの「自由度」や「労働環境」は日本人と比較して決して悪いものではなかったと感じられた。しかし、問題は、日系人を含むアジアや中南米などからの「出稼ぎ」労働者たちだ。そして、経済の国際化が進展する1980年代半ば以降、観光ビザで入国し、不法に残留して、飲食店や建設業などで働く外国人たちが大きな話題となってきた。個人的に記憶に残っているのは、80年代後半のある年、外国人による悪質な暴行事件のデマが流れ、なぜかその件についてテレビ局から取材を受けたことだ。また、90年代の初頭、遊びに行ったキャンプ場でイラン人から「シャチョウ!」と呼ばれ、雇ってくれないかと話しかけられたこともあった。彼の話によると、イスラム革命によって弾圧され、国に帰れないということだった。2000年代になると、私が住んでいた街中の小さな工場や店でも外国人労働者らしい人々を見ることが多くなった。もちろん、そのほとんどがいわゆる「単純労働」で、研修生や技能実習生であった場合もあるかもしれないが、ほとんどが不法就労だったろうと思われる。その時感じたのは、要するに、この問題のポイントは日本には「雇う人がいる」―――私の周りでは、構造不況業種や3K労働など、働き手も後継者も見出し難い、小規模企業が多かった―――ということ、そして、”一定期間”それが半ば公然と黙認されているのだろうということだった。そして、2010年代に入ると、農業分野も含めてこうした傾向はさらに強まり、また、日系人を含む外国人と日本人配偶者との間で生まれた子供達が急増したと感じられた。

   こうした中、私が読んだ本の中でとりわけ記憶に残っているのは、『じぱんぐ〜日本を目指す外国人労働者』(1989年、毎日新聞社)と『仲間じゃないか、外国人労働者〜取り組みの現場から』(1990年、明石書店)だ。〈豊かな〉日本を目指す外国人労働者と国内で〈安価な労働力〉を求める日本企業の利害が一致する中、欺瞞的としか言いようのない「非合法」下で引き起こされる様々な問題、とりわけ、外国人労働者の「人権」問題は当時から深刻なものだったのだ。そして、現在、介護やホテルなどでの深刻な「人手不足」そして「技能実習生」の過酷な労働実態や失踪が報告される中、国会での入管法の「改正」が急がれているわけだ。この法案の目的は、より多くの外国人労働者を、より長期的に雇用しようというのだろうが、問題なのは、〈国民経済〉と〈国民国家〉という枠組みの下で、〈外国人労働者〉あるいは〈移民〉を受け入れるということ自体が持つ問題性であり、また、その受け入れ方の具体的な質の問題に他ならない。そのことは、世界各国で、それぞれの時代的背景の下で、多様な形をとった。アメリカでも、イギリスでも、フランスでも、ドイツでも、そして、日本においても同様だ。そして、そこにみられる根本的な相違点は、〈外国人労働者〉あるいは〈移民〉を、社会を実体的に支える、同じ働く仲間として受け入れるのか、あるいは、最悪の場合は「奴隷」として、安くコキ使い、必要がなくなったらポイ捨てにして利用するのか、ということなのだ。そして、どちらの場合でも、現在のアメリカやヨーロッパでも問題化しているように、「解決」を要する多くの諸問題が発生せざるを得ないと理解すべきということだ。とにかく、慎重な熟考が求められる。

   〈国民経済〉と〈国民国家〉という基本的な枠組みの下では、全ての「外国人労働者」が大谷のように受け容れられわけではないだろう。しかし、「労働力」の移動が不可避であるのなら、〈外国人労働者〉あるいは〈移民〉と元々の〈国民〉が、同じ社会の中で共に人間らしく暮らし、無用な軋轢に晒されなくても済むシステムや方策が見出さなければならないはずだ。次回は、それについてもう少し考えてみたい。

米中間選挙が終って――アメリカの〈民主主義〉に敬意

 多様性とリベラルの〈反撃〉
  ―――アメリカの「一般ピープル」の〈勝利〉を祝す!


   ※昨日はWeb上でBBCやガーディアンの速報を見ながら、国内テレビ各局のニュースを見比べてきた。下院での民主党の「Win」を見た時は、正直、嬉しかった。今朝のニューヨークタイムズによれば、最終的な議席数はまだ確定していないが、上院は共和党が(51:46、残3)で、下院は民主党が(222:196、残17)で過半数を制し、いわゆる「ねじれ」の状態となった。また、州知事選では、共和党が(25:22、残3)でリードしている。それにしても、各局そして各コメンテーターの解説や見方というのは実に興味深いものだった。

   今回の民主党の〈勝利〉をどのように捉えるのか?一番、わかりやすかったのはNHKニュース7で、「結果」報告の〈直後〉に、〈市場の反応〉(=株価の上昇)をやっていた。なるほど、トランプ政治によって恩恵を受けてきたのが誰なのかをはっきりと示している。同じ穴の狢のコメンテーターたちも、今回の「結果」がトランプの〈敗北〉ではないと盛んに印象づけようとしていた。しかし、今回の結果は、トランプの〈ファシズム〉に対する、多様な価値観を大切にする〈リベラルな民主主義〉の、そして、社会を実体的に担い、それにふさわしい生活を求める「普通の人々 everyday people」の勝利に他ならないのだ。

   実際、「結果」それ自体も、下院はもちろんのこと、上院でも州知事選でも、反トランプ勢力が勝ったと言って良いのだと思う。すなわち、上院(任期6年、各州2名ー合計100名の議員からなり、2年毎に3分の1が改選される)でも、今回の改選数35議席のうち、民主党(系)は23で、共和党は9でしかない。確かに6年前の選挙と比較すると民主党が−2ということになるが、2年前の大統領選挙と比較すると、トランプが勝利したラストベルト4州でも民主党が議席を獲得しているのだ。移民・難民問題で人種主義・排外主義を恥知らずにも煽りながら、なりふり構わず選挙運動に奔走したトランプの成果がこれだ。さらに、州知事選でも現時点で民主党は(改選前と比較して)7増となっている。元々、連邦制のアメリカの選挙制度(とりわけ、上院と大統領選)では、人口は少ないけれど数の上では決して少なくない中西・南部の諸州で共和党が強く、さらに、政治学でおなじみの、ゲリマンダー(自党に有利なように選挙区を区分けする)なども行われて、連邦レベルでの民意の反映には難しい面があるわけだ。今回の選挙も、連邦レベルでの投票動向が詳しく明らかになれば、民主党の「勝利」がさらに明らかになることだろう。

   確かに、この選挙結果が日本や世界に与える影響、すなわち、トランプの今後の政治的、経済的、軍事的動向に注目するのはおかしなことではない。しかし、そうした状況を生み出したアメリカ社会に生きる人々の〈動き〉を読み取ることの方が、私たちにとっては、はるかに意義あることだと思う。そうした意味において、日本では到底考えられない、あの長蛇の列をなして投票所へ向かう有権者たちの姿は、アメリカの〈民主主義〉を、彼らの「公共意識」(ー「主権者意識」)の強さを、強く印象づけるものだった。とりわけ、若者たちと女性たちの動きは印象的だった。彼らが求めているのは、多様でリベラルな諸価値であり、また、移民たちをも含めた、社会を実体的に担っている99%の真っ当な「普通の人々」の〈生活と命〉を守る政治なのだ。オバマケアも大学授業料の無料化も差別・格差の解消もそこに発していると言って良い。しかし、こうした要求にすら「極左」のレッテルを貼り、ファシストのトランプを品がないとバカにしつつもトランプ支持を呼び続ける人々もいる。実は、彼らこそが、ボッタクリの新自由主義やアメリカン・グローバリズム(国際金融資本主義)を推進する勢力なのだ。彼らは、自分たちの利己的利害のためにヒトラーを支えた人々と同じ役割を演じていると言って良いだろう。

   ところで、日本において、国民一人一人の自由や平等や人間らしい生活は保証されていると言えるのだろうか。子供は、女性は、働く人々は、病人は、老人は・・・ また、世論(調査)に表れた国民多数の意見は政治に反映されていると言えるのだろうか。原発は、戦争法は、農業(TPP)は、辺野古は、森・加計は、憲法は・・・日本の現状は悲惨なものと言わざるを得ない。そして、さらに悲惨なのは、誤魔化し、居直り、ごり押しする、信じられないような悪政に、国民の少なからぬ人々が「諦め」に近い心境に陥っているように思われることだ。こうした中、アメリカの「普通の人々」の動きは、日本の私たちに、「主権者」のあり方の一つの具体的事例を見せてくれたと言って良いだろう。

            【追加】

 9日時点での民主党と共和党の得票数と得票率は以下の通り。
       民主党          共和党
〔上院〕 46,718,545(57.0%)   33,879,703(41.4%)
〔下院〕 52,323,796(51.4%)   47,808,433(46.9%)
〔知事〕 41,761,385(49.3%)   40,922,230(48.3%)


 まだ、確定数ではないが、上院・下院・知事選の全てにおいて民主党が上回っている。特に、上院での両党の差には注目すべきだろう。

「トランプ現象」を考える―――分断のエゴイズム

自国第一主義と自己中心主義に取り込まれる人々
 ――〈居直る〉富裕層、すがる〈不安・不満〉な一般ピープル


   先週末、マイケル・ムーア監督の『華氏119』と『ブルーノ=レオナルド・ゲルバー  ピアノ・リサイタル』を視聴してきた。コンサート の曲目は、ベートーヴェンの『月光』と『ワルトシュタイン』、シューマンの『謝肉祭』とショパンの『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ』だった。『月光』はオヤっと思ったが、『ワルトシュタイン』は期待通りの名演で、身体が痺れてしまった(w)。ただ、後半の2曲は、完璧なテクニック(曲が易しいのか?)と絶妙な音色だったが、素人の私にはそれ以上のものではなかった。また、演奏者の身体的理由からだろうが、アンコールがなかった。私には初めての経験だったかもしれない。

   さて、『華氏119』については、封切日の夜から、新聞・テレビでかなり取り上げられていた。アメリカにおいてトランプ政権がなぜ生まれたのか、アメリカの人民はこれからどうすべきなのか―――マイケル・ムーア監督の分析と期待が描かれている。それにしても、彼の危機意識は深い。もともと”リベラル”が多数派であるはずのアメリカが”ファシスト”のトランプに乗っ取られつつあるからだ。しかし、「トランプ現象」はアメリカだけのものではない。それは、ヨーロッパやブラジルだけのものでもなく、日本の「アベ現象」も無縁ではないだろうからだ。そして、そのポイントは、アメリカン・グローバリズムが進展する中での、膨大な「一般ピープル」の「生活」と「イデオロギー」の現状にあるはずだ。

   各国で台頭する排外的で差別的な「ナショナリズム」そして「ポピュリズム」(大衆追従主義)と呼ばれる動きは、支配層の「極右」的な諸分派をその主導者とし、グローバリズムの矛盾の中で不安と不満を抱える中間層や体制の動揺に怯えるイスタブリッシュメントの諸分派をその支持勢力としていると考えられる。これら主導者たちは、「国家」・「民族」の過去の栄光や神話的・宗教的なイデオロギーに依拠しつつ、グローバリズムが生み出す諸矛盾の「責任」をまさしくその犠牲者たちに転化することによって、分断・孤立化された「少数者」への差別や排斥を煽り、権力を掌握しようとしているのだ。そうした中で形成・維持されるのは、支配層の利益を保持する上である意味で都合の良いものなのだが、しかし、それはあくまでも、矛盾をさらに深化させ、対立や混乱を増幅させざるを得ないシステムなのだ。しかし、支配層の「極右」的な諸分派にとっては、この対立と分断によってこそ、権力が掌握できるというわけなのだ。

   ところで、トランプの支持層とその要求はほぼ次の3つに大別できる。①グローバル化によって疲弊した、第2次産業の企業経営者や労働者層(→関税や輸出入規制などによる国内産業の保護)、②移民・難民の増加に被害者意識を募らせ、少数派に転化しつつある現実に恐怖する白人層(→難民・移民規制)、③福音派キリスト教徒(→LGBTや同性婚、人工妊娠中絶、進化論教育など、リベラルな諸価値の否定)だ。そして、これらの主張の合理性や正当性の適正な〈検証〉なしに、それらを包括的、感情的に支えているのが「アメリカ第一主義」(アメリカ・ファースト、Make America Great Again)と言える。これは「ナショナリズム(民族主義・国民主義)」の一形態と言えるが、集団間の対他的意識であるこうした感情は非常に厄介な(非合理的な)性格を持ち、また、被害者意識や劣等感に苛まれる人々に強くアッピールする力を持つものだ。さらにアメリカの場合、社会ダーウィン主義や新自由主義のイデオロギーに基づく「自己中心主義」がそれを支えていると考えられる。それが、富裕層の居直りや他者の人権を不当に侵害しても利己的な利益を主張するのを正当化するのだ。それによって、究極の無差別殺戮(核兵器)や人類全体の存亡に関わる地球環境の破壊さえもが正当化されることになる。

   10年ほど前、20代のアメリカ青年にマイケル・ムーアについて聞くと、彼は”He's a liar."と答えた。好きな日本の政治家が麻生太郎だという彼のことだから予想はしてはいたが、この時の「ウソつき」という言葉は強烈だった。具体例は言わなかったと記憶するが、現在、彼はトランプの「フェイク」を信じていることだろう。ところで、トランプ支持者は、(唯一神による天地創造をそのまま信じていると言われる)アメリカにおける最大の宗教団体、「福音派キリスト教徒」とほぼ重なるという。ここで注目すべきなのは、「経済主義」的な理解には収まらない、宗教を含む「イデオロギー」の自律的な性格だ。そうした意味において、マイケル・ムーアのように、リベラルな諸価値を頑として擁護する姿勢の意義は大きいと言わなければならない。もちろん、その上で、それらの主張が「ウソ」であるかどうかの検証が、科学的、論理的に為されなければならない。

   ところで、「トランプ現象」を単純に「ポピュリズム(大衆追従主義)」として切り捨てるのは正しくないと思われる。なぜなら、トランプ支持の「一般ピープル」が問題とする、国内産業の衰退や雇用減少の問題、国民経済の中での「移民」や外国人労働者の問題などは、解決されなければならない重要な社会問題だからだ。ただし、それらは、アメリカン・グローバリズムの矛盾が全世界に格差と歪みを生み出し、それが、とりわけ、西アジア、アフリカ、中南米での不安定化を引き起こし、また、それが欧米社会にはね返って、その国民経済に影響を与えていると捉えるべきなのだ。それ故に、グローバル化によって生み出された諸矛盾を解決ないし緩和する責任は、基本的には、グローバル化(より基底的には「新自由主義経済」)によって利益を得ている社会層が負うべきものだといえる。すなわち、少なくとも眼前の矛盾の緩和のために必要なのは、規制緩和や減税どころか、ボッタクリのグローバリズムと新自由主義経済に対する規制の強化であり、そして、それによって巨大な利益を得ている巨大企業や富裕層に対する課税の強化なのだ。国際的に難民や移民はなぜ生まれるのか?国内における格差や貧困はなぜ生まれるのか?それに対する対応策は?これらに対する「真っ当」な答えは、現在のアメリカにおいては、サンダース(北欧型社会民主主義)につながる「ブルーウェーヴ」ということになる他ないだろう。そして、今、その担い手は、つまらぬ「目くらまし」に騙されることのない、若者たちなのだ。
     
   トランプは、グローバリズムが生み出した諸矛盾に苛まれる「中間層」を、同じくその矛盾によって生み出された社会的「弱者」を標的として攻撃するように、扇動している。トランプがヒトラー擬きの”ファシスト”であることは一時も忘れてはならない。今日は、そうしたトランプの政治に対する評価が問われる中間選挙の日だ。マイケル・ムーアも言っているように、状況は必ずしも楽観を許さない。しかし、私は、アメリカの「一般ピープル」を信じつつ、結果を待ちたいと思う。  

おお、間合いが近い!―――第66回全日本剣道選手権

リスクをかけた「攻め」の剣道
    ―――西村選手の「速さ」に軍配!


   ※昨日の「文化の日」、恒例の全日本剣道選手権を見た。熊本県代表の西村英久六段が連覇を達成した。今年の大会は、試合後の西村選手のインタヴューにも出てきた、「剣道の楽しさ」を感じることができた大会だったと思う。

   生意気なことを言っているようにも思うが、今回の大会ほど、正々堂々、真正面から攻め、一本を取りに行く「攻めの剣道」が印象的な大会は珍しいのではないか。表題にも書いたが、どの試合も「間合」が非常に近く感じられる―――実際、そうだったのではないか?!―――緊迫感あふれるものだった。最近私はYouTubeで『剣道 往年の名選手(桜木哲史選手など)』をよく見るのだが、パワーとスピードは近年の方がはるかに上回っているように感じられる。しかし、近年の剣道は、勝敗にこだわる余りか、見ていてあまり面白くない傾向もあったと思う。しかし、今年の全日本選手権は、見事にそういった印象を打ち消してくれた。今回の西村選手の剣道に象徴されるような、近間での攻撃的なせり合い、さらに深く攻め入っての思い切った技。確かに、近間故のリスクは負うのだろうが、そこでの両者の緊張感あふれる攻防、そして、決まれば必ず一本になるだろう技の迫力、それは実に素晴らしかったと言う他はなかった。

   実を言うと、内村選手の剣風にはこれまで少し疑問を感じていた。しかし、今大会の内村選手の試合は、竹下選手との準決勝を典型に(あの小手と返し胴!)、どれもこれも素晴らしいものと感じた。決勝でのあのような結果も、実は、内村選手の思い切った「攻めの剣道」の故だったのではないか。相手の反応速度と速さが自分を上回っている時、あのような近間での攻防を制するにはどうすれば良いのか。やはり、〇〇しかないのか?・・・来年の大会では内村選手にその答えを是非見せて貰いたいと思う。

   今年の審判は、一本だけ、あの小手の刃筋はあれでいいのか?と思わせるものがあったが、全般的に極めて理解し易く、納得できるものだった。それにしても、私の膝は相変わらず剣道に耐えられそうにない。そんなわけで、これからも、見て感動できる剣道を期待し、楽しみにしていきたいと思う。

昨日考えたこと――日本語・ハロウィン・徴用工

「民族」―――日本語がわからない日本人って?
 渋谷・ハロウィンとはなんなんだ?
 韓国大法院・「徴用工」判決について・・・


   11月になってしまった。まさしく、日毎に寒さが増していく今日この頃だ。最近の私の生活は、サロさんとの朝夕2回の散歩、tvkのBBCニュースかBS/NHKのワールドニュース、朝のゴミ出しと食器洗い、音楽鑑賞(クラシック中心、CDかレコード)、『時代劇』2〜3本(今は『伝七捕物帳』や『大江戸捜査網』、『桃太郎侍』など)、読書(東西の古典か政治・経済関係の本)、庭仕事か畑仕事、そして、曜日によって、卓球か合唱か「ボランティア」。これに月に1度の元同僚との「報告会」、年に何度かの旧友たちとの「旅行」そして「飲み会」がある。気の置けない人々と共有する時間は本当に貴重だと感じるが、と同時に、そうした人々をも巻き込む世の中の”不穏”な成り行きに心を痛めることも多い。世の中の心象風景に「荒んだ」ものを感じないわけではないからだ。そんな生活の中で、最近感じたこと、考えたことを書いておくことにしたい。

   まず、私にとっても、日本語は大変難しいと言うことがわかった。我が家でも「朝ドラ」を見るのだが、今やっている『まんぷく』の主題歌、ドリカムの「あなたとトゥラッタッタ♪」が私には良く聞き取れないのだ。耳だけで分かるのは、ほぼ、「もらい泣き」とか「もらい笑い」とか言った部分だけだ。仕方がないのでYouTubeの字幕付きで確かめて、流石にそうかと理解した次第だ。これでは英語の歌と同程度という他はない。海外で生活する日本人「移民」の気持ちも分かろうというものだ。もっとも、官僚の書いた原稿を読んでいる時以外のアベの日本語も良くわからないが、言葉は「民族」性の根幹であろうから、少々ショックを受けた。日本人の若い世代は良く聞き取れるのだろうか。

   また、昨日の朝のニュースで 渋谷のハロウィンの様子が報道された。あれは一体何なんなのか。私の印象からすれば、あれは単なる「仮装(コスプレ)祭り」であって、戦後のクリスマスと同様、なんらかの宗教性や思想性があるわけではなく、要するに、「モノマネ」好きで「お祭り」好きなわが「民族」の特性の表れという他はないであろう。あれを観て、私も「〈ハロウィン〉ジャンボ」を買い損ねていたことを思い出したくらいだ。このような「日本」的現象の「ノー天気」さを、異文化圏の人々はどう見るのだろうか。「平和」だなどと好感を持って受け止めているのかもしれない。

    畑仕事の後一眠りし、その後、昼飯を食べながら『ひるおび!』を見ていたら、何やら、韓国の大法院におけるいわゆる「徴用工」判決について、八代あたりがヒステリックに「嫌韓」を振りまいていた。私は世界の「一般ピープル」の味方なので(w)、時の権力者どもが自分たちの利害に合わせて勝手に決めたこと、やったことに対して「一般ピープル」が異議を申し立てるのは当然のことだと思っている。時の権力者の「合法性」に頭から縛られる必要など我々「一般ピープル」にはないのだ。もしそうでないのなら、先住民族へも、旧植民地人民へも、戦時強制収用所に収容されたアメリカの日系人へも、旧優生保護法の被害者へも、謝罪や補償は必要ないということになるだろう。そんなことがあろうはずはない。

   そんな思いで夕方時代劇を見ていたら、なるほど、いつの世でも「一般ピープル」の思いというのはそんなものかと思い当たった。要するに、同じ日本人であっても、時の〈悪徳〉権力者どもは、自分たちに都合の良い「合法性」の衣に隠れて、私腹を肥やしてきたのだ。それ故に、主人公(将軍から殺し屋まで)は、「非合法」的に〈悪者〉を成敗したり、暗殺したりといった筋書きになるわけだ。そして、悪法と〈悪徳〉権力者に泣かされてきた「一般ピープル」は、その不満と怒りを想像上の世界で「晴らす」ということになる。もちろん、戦後世界は、江戸時代とは違って、『世界人権宣言』や『国連憲章』の下にある、民主主義を原理とする社会ではあろう。しかし、その理念が世界各国の現状の中でどれほど実現されているといえるのか。世界の「一般ピープル」は、相変わらず同じ怒りと不満の中に生きているのではないか。

   また、現在の世界には、極めて厄介な「トランプ現象」なるものもさえある。自国中心主義(「アメリカ・ファースト」)から、偉大な「強者」として復活するために、これまで行われてきた貿易慣行や政治的・経済的諸条約(国際法)などに対して、「ちゃぶ台返し」をやっている。それにもかかわらず、韓国の大法院や文在寅政権を揶揄している輩は、このトランプの「ちゃぶ台返し」にどんな態度をとっているというのか。極めて卑屈に追従したり、「理解」を示したり、「100%共に在ったり」しているのではないか。まあ、元々、「公然」たる疑惑(非合法性)を姑息な言い逃れでごまかし、立憲主義を無視しながら戦後の日本国憲法体制を破壊してきた連中だ。恥知らずとはこうした連中をいうのだ。

   ただ、こうした日米の「トランプ現象」や「アベ現象」には、いわゆる「一般ピープル」をも巻き込む、さらに厄介な極右的な「ナショナリズム」が張り付いている。これについては、次回、もう少しじっくり考えてみたい。今日は、これから、映画(『華氏119』)を観にゆく予定だ。

   
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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