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安久?和平?――「国民統合の象徴」も私物化か

やっぱり、時代劇よりも〈選挙〉だよな!

   ※おいおい、安べが久しくかよ!平和の「逆」で戦争かい?!『日刊ゲンダイDIGITAL』の記事を読んでいたら、「新元号の人気投票」でこんな代物が上位にランクインしているとあった。まあ、アベ友「岩盤」支持層(w)の画策だろうが、日本の”凋落”と平和の”破壊”の張本人の名を「元号」に入れて歴史に残そうというわけだ。ただ、ここまで露骨に私物化が進めば、対応もわかりやすいと言えるかもしれない。

   これまで、アベは、国民の未来と資産を「賭け金」として為替と株価を操作し、原子力村や竹中のパソナら、アベ友の利益をひたすら実現しようとしてきた。その一方で、口先では民意を「尊重する」とか「謙虚に受け止める」などと国民をコケにしながら、争点の曖昧化と事実の隠蔽・改ざんに暗躍してきたのだ。「ロシア疑惑」のお友達トランプも同じようなものだが、アメリカの市民社会はそれを許すことはしないだろう。それに対して、日本の市民社会の反応は今一つ迫力に欠けると言えよう!

   ところで、「聞く耳を持たないアベ」という表現があるが、時代劇ファンたる私はすぐに「暴れん坊将軍」=8代将軍吉宗のことを思い出す。彼は、目安箱の設置で教科書にも載っているが、「赤ひげ」のモデルからの投書によって小石川養生所を設け、貧しい人々の救済にあたったのだ。これは、タケチューとともに日本の労働者から搾り取り、さらに、福祉を削り落としているアベとは、えらい違いだろう。さらに、最近のアベは、アベノミクスによってもたらされた隠しきれない(!)日本の”凋落”を他者のせいにしようとさかんに画策している。そして、その前途は、国民多数を困難の中に置き去りにしたまま、アベ友のために国内に”gated town”を作るか、荒稼ぎした資産を持って海外に逃亡するしかない、といった代物なのだ。呆れ返った恥知らずだ。

   それにしても、日本の同胞はこうしたアベ友たちの悪行をいつまで許しておくのだろうか。あらゆる国際的な統計から見ても、アベ友勢力を1日も早く引き摺り下ろさない限り、日本は本当に取り返しのつかない事態に陥ることが予想される。きっかけは実体経済とは直接関係のない国際金融資本によるダブついたマネーの投機的動きによって引き起こされる株価の暴落ということになるだろうが、問題なのは、アベ友たちによって、日本の金融・財政システムと産業基盤それ自体が脆弱化させられていることだ。昨夜から、NHK「朝ドラ」の特集を見てきたが、このままでは、多くの国民が「あの頃は良かったね〜」と言うことになるのは必定だ。私も時代劇を見て鬱憤ばらしをしている場合ではない。昨日から始った統一地方選ではしっかり投票しなくてはならない。

   アベは、国民の犠牲によって日米の軍事的一体化と多国籍軍型の海外派兵を推し進めようとしている。彼の最大の目的は、戦前・戦後の岸信介に連なる、日本の「戦争国家」化に他ならない。それを許すことは悔いを千載に残すことになろう。決して、許してはならない。


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サロさんの未来は私が守る!安心せい!

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アベ政治と時代劇―――悪代官と悪徳商人を成敗!

 モリカケや辺野古における”国家暴力”を見て
         ”時代劇”に見入ってしまった・・・!

 
 
   ※いやはや、私も、「姉貴」の表現を借りれば、「天下分け目のボケ狭間」にいるのかもしれない。このところ、朝から、西郷輝彦〜里見浩太朗〜中村梅之助〜松方弘樹〜中村敦夫(藤田まこと)〜松平健〜高橋秀樹〜北大路欣也(中村吉右衛門)と1日8時間も時代劇を見たりすることがあるのだ。いくら何でもこれは”真っ当”ではあるまい(W)。こんな状態が続いたら、もう完全にボケてしまうかも知れない。ただ、その背景には、アベ支配下のあまりにも不公平な司法の現状、そして、沖縄の民意を踏みにじる辺野古への暴挙に対する一般ピープルとしての怒りがあるのだ。

   もし私が映画監督だったら、アベやアソウやスガを使って、「必殺シリーズ」や「三葉葵もの」をぜひ作りたいと思う。そのリアルさで、ドラマは最高に盛り上がるに違いない。そして、悪徳商人と連む悪代官や勘定奉行どもを成敗するヒーローの大活躍というわけだ。おお!血湧き肉躍るではないか。また、歴史に「もし」はないというけれど、最近は幕政や江戸時代の評価も上がっているようなので、”もし”藩閥”・薩長ではなく、江戸幕府系が近代化を主導したらどんな日本になったのかと想像することもある。公武合体派や勝海舟・坂本龍馬・榎本武揚らの政府だ(w)。案外、明るく、スマートなものになったかもしれない。アベやアソウにつながる「猿まね」近代化や「お友達」資本主義の現状を考えると、はるかにマシだったのではないか(w)。

   それにしても、「平和主義者」たらんとする私が「成敗」を考えるようになってはもう世も末というべきだろう。それもこれも、「月にかわって、お仕置きよ」では済まない現状があるからだ。彼らが生み出した”死”に至る格差と不公平は、もう座視できないものとなっているのだ。そして、このことは、私の「武」の理念型にも影響を与えている。すなわち、以前、私は「武」について少し考えたことがあったのだが、その時の結論は、「武」とは「ほこ(矛/戈/鉾)を止める」つまり「大切なものを守る」ための「専守防衛」的行為として理解されたのだった。ところが、最近の状況を見た時、「武」は「非道を制し」、「悪を倒し」、「新しい善を打ち立てる」ためにも必要なのではないかと思ったりもするのだ。それは、まさしく、時代劇のメッセージに他なるまい。いやはや、困ったものだ。

   この他にも、マツケンはやはり大したもんだとか、お前だけには水戸黄門をやって欲しくなかったとか、桃太郎がマイカードを勧めてはいかんでしょうとか、色々と考えることがある。しかし、私の最大の問題は、アベ政治とタケチュー経済を成敗するヒーローは誰かということだ。もちろん、ヒーロー頼みではダメなわけだが、沖縄のように、県民と有機的に結びついた翁長のような人物が求められているのではないか。小池(百合子じゃねえよ)?太郎(アソウやコウノじゃねえよ)?枝野?それとも・・・ただ、それ以前に、日本国民は、アベやタケチューらの虚仮威しに屈しない、”適度”な自尊心をわがものとする必要があるのかも知れない。如何だろうか。

日本社会の劣化―――アベ政治とタケチュー資本主義

政治屋どもの見え透いた「猿芝居」       
 ―――「力」にものを言わせた”口先だけ”と”口裏合わせ”

   ※スギ花粉の方はピークを過ぎたらしいが、私にはヒノキもあるので、相変わらず鬱陶しい日々が続いている。ただ、この鬱陶しさはアベ政治とタケチュー資本主義のバカバカしさ、恥ずかしさにもかなり影響されていると言って良い。それにしても、こんな「猿芝居」以下の代物がいつまで続くのだろう。やはり、「観客」に問題があるのではないかw

   昨日テレビで「Mr.マリックからの挑戦状」という番組を見た。いやはや、もしマジシャンたちが賭場のイカサマ師だったら、私はスッテンテンだろう。その技術の素晴らしさは、例のイチローのヒットにも十分対抗できるのでは!ただ、マジックは必ず「ワザ」と「タネ」からなっていると了解されているわけで、もし、マジックの途中に、その右手の中を見せろとか、その瓶の中を確かめさせろということが可能ならば、マジック自体が成り立たないだろう。もちろん、私たち「観客」もそんな”無粋”なことを求めはしないけれど。

   しかし、政治屋どもの見え透いた「猿芝居」は、これと全く性格を異にしている。すなわち、それは、「俺たちは嘘をついていない」と図々しくも言い立てた挙句、ウソでなければ決して隠す必要のないだろうことを、”詐取”された地位と権力を利用し、ありとあらゆる手段と言い訳を用いて、国民から隠そうと画策するからだ。これまで、どれだけなかったものがあっただろうか。言い訳はいいから、まずは、国民や野党が求めるものを開示してみろよ!ウソがなければ、どこに不都合があるというのだ。おまけに、これまで開示されなかった理由で、私が納得できるものは一つとしてなかったと言って良い。外交も同じで、河野は偉そうに振舞っているが、「四島」か「二島+α」かの”関係”をあらかじめ国民に問うことなしに交渉を進めるなど、そもそも、国民への背信行為とさえ言えるだろう。日米交渉における密約などをみても、その内実は「国辱」・「売国」そのものだ。

   アベ政治は、日本における〈民主主義〉の劣化の時代として歴史に残るだろう。これに対して、トランプの政治は、アメリカにおける〈民主主義〉の劣化だけではなく、それに対抗する民衆とエリートの抵抗の歴史としても残るだろう。何故なら、アメリカには、社会の中に”真性”の「自由〈民主主義〉」と「社会〈民主主義〉」が存続しているからだ。これに比べて、日本では、この二つが著しく弱いように感じられる。そうした中、あの”恥ずかしい”竹中平蔵的イデオロギーが日本社会の中でデカイ面をすることになっているのだ。それは、要するに、人間を自他共に手段視する商品経済的意識の浸透ということなのだろうが、それが家族、地域、学校、企業社会等々ではびこり、日本社会の「劣化」を生み出していると考えるのが一番理解しやすいのだ。現在の日本社会の劣化は、タケチュー的資本主義によってもたらされている。それ故に、生活のあらゆる場で、タケチュー的イデオロギーと闘うこと、それが日本社会の劣化を食い止めるために必要不可欠と考えられるのだ。それを担う思想は多様だろう。なぜなら、自然と人間を大切にするあらゆる人々のそれだからだ。

サロさん!まだまだこれからだよ!       ―――イチローの柴犬「一弓」さんは17歳らしいぞ

日本文化における
 「求道」・「職人」好きはどうなっていくのか?! 

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僕はサロです


   ※西行は「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」と詠んだが、私も、この春の季節が好きなようだ。そして、今朝の散歩でも、森山直太朗 の「さくら(独唱)」などを思い出しつつ、新たな生命の息吹と人々の新たな旅立ちを肌で感じたのだった。

   さて、周知のごとく、昨夜、イチローが現役を引退した。私も、最後までは見られなかったが、その引退会見を深夜までLiveで見てしまった。彼が残した記録がいかにすごいものなのかは良くは判らない。しかし、その引退に際して、あのような舞台が設定され(米大リーグの公式開幕戦が東京ドームで行われ、そこに先発として出場)、また、あのような熱狂的なファンの声援を聞くと、イチローが何者であったかを少しは理解できたように感じる。もちろん、興行的な側面も無視できなかったであろうが、やはり、彼の野球そのものに対する「求道」的、「職人」的な姿勢への敬意や共感がその根っ子にあったことは間違いなかろう。プロジェクト「野球」―――日本人はこうゆうのが好きなのだ。

   ところで、記者会見の中では、愛犬の「一弓」さんのことにも言及があった。以前、Nスペでその姿を見たことがあり、サロさんと同じ柴なのではあるが、サロさんが「東北・縄文」的な雰囲気なのに対して、「一弓」さんの方は、秋田犬に少し似た、「関西〜北陸」的な雰囲気のワンちゃんだったと記憶している。もう18歳に近いと言うから、相当なおじいちゃんなのだろう。サロさんも頑張っているが、「一弓」さんに比べれば、まだまだということだ。最近は寝ている時間が長いので少し心配しているが、サロさんにもあと5年は元気でいて欲しいと思う。それにしても、「一弓」という名前の由来はなんなのか。どう考えても「弓」は不自然だろう。「一休」でなければ、「一球入魂」とか「一つを究める」とかか?なにやら、照れ隠し的な匂いがしないでもないな(w)。

   とにかく、イチローは、「職人」的な「求道」者だったのだろう。一つのことに集中し、一心不乱に考え、修行する。そして、気難しいけれど、信頼感は抜群の存在だ。しかし、将棋界での羽生から藤井へ、野球界でのイチローから大谷へ。新しいタイプの才能が確実に花開きつつある。イチローは野球が「頭を使うもの」から違うものへと変わってきたと言っていたが、確かに、将棋も野球も卓球も、どんどんその性格を変化させているようだ。一つの時代が終わり、新しい時代が開かれつつあるのだろう。とは言っても、サロさんと私とは、相変わらず、古いタイプの「散歩」の求道者に他ならない。プロジェクト「散歩」―――若いワンちゃんの軽い足取りは気にせず、あと5年、年相応に頑張ろうではないか。

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少し疲れるけど、了解だい


 【追記】「一弓」さんについて知人に聞いてみたら、諸説出てきた。あっそうかと思ったのは、「一郎」と「弓子」で「一弓」というものだ。私が注目したのは音読みの「いっきゅう」の元の意味だったわけだが、自分の子供のように、親(夫婦)の名前から一文字ずつとって、というのは納得できると思った。サロさんも、3番目の息子「三太郎」、略して「サロ」になったわけだしな。どちらにしても、元気で長生きしてほしいものだ!(3/29)  

今日はお彼岸で墓参りをした 

人は死しても、明るい春の青空と陽光は変わらない
 「命」に感謝でき、「寿命」を全うできる人生が送れるだろうか


   ※今日は春分の日。春のお彼岸だった。午前中に墓参りをして、夜にはおはぎを食べた。桜(染井吉野)には少し早いが、庭のさくらんぼや杏の花は今が盛りだ。一時は小雨もパラついたが、その後、明るい春の青空と陽光が美しい日となった。今日は少し我が身のことを振り返ってみたい。

   墓参りの帰り道、母が亡くなった12年前のことを思い出した。それは、母の死による強い喪失感とは対照的な、今日と同じような、春の明るい陽光と青空の記憶だ。人は死しても、季節は巡り、また、満開の桜の季節が訪れる。母の最後の歌は「花見する 空一面の桜色 心に残るうれしさ残る」だったが、そうした悠久の自然の中で、人は、生まれ、そして、消えていくわけだ。そして、人の「幸せ」とは、その短い生の中に、命の〈喜び〉と〈楽しさ〉をどう刻み込めたかということなのかも知れない。しかし、昨日書いた被災者の人たちのように、自らの生を肯定的に受け止められず、その命に感謝することもできない状態に陥れられることもあるのだ。そして、それが強欲な輩によってもたらされたものなら、けっして座視することはできないと言わねばならぬ。

   さて、今日は墓参りをしたわけだが、私のデスクトップ上の「遺書」には、「葬式」はするな、「戒名」はつけるな、墓石には「西暦」を使えと書いてある(W)。私は、仏教(宗教)も否定しないし、元号も強制されなければ良いだろうと思っている。ただ、神も仏も信じることのできない私には、戒名も弔いのお経も必要ないのだ。また、現憲法の国民主権下の象徴天皇制についても許容するけれど、幼い子供まで「様」付けで呼ぶ文化には承服できない。また、基本的人権すら認められていない天皇家の人々のあり方は問題だ。最近の、秋篠宮眞子さんと小室圭さんの騒ぎも異常だ。イギリス王室と比較しても、気の毒と言う他はないだろう。元号も西暦も外国文化がもとになったものだ。便利な方を使えば良いのだ―――平安遷都は何年で、前の東京オリンピックは何年だったというのだ。それにしても、次の元号に「安」の字がつくのだけは許せない。もしそんなことが起こったら、私は元号は絶対に使わないだろう。

   大リーグ中継を見ながらブログを書いてきたが、イチロー選手が引退するらしい。YouTubeで名プレー集を見るぐらいだったのだが、確かにすごい選手だったと思う。大ファンだったMさんはどんな印象を持っているのだろう。しかし、延長戦で引退会見が始まらない・・・(ブログは終了だ。)

 「死にたい」なんて言わせるなよ!        ―――アベ政治こそ”最悪”の「悪夢」そのものだ!

 税金は同胞の人間らしい生活を支えるために!    
   ―――オリンピックよりも日本の「心身」の復興が先だ!


   ※サロさんの足は、まだヨタヨタはしているが、随分「回復」に向かっている。サロさんの元気な頃をよく知っている顔見知りの人たちも「歩けるようになって本当に良かったね!」と喜んでくれている。それと比較して、私の方は心身ともに調子がイマイチで、4月からは、趣味の合唱や卓球も退会あるいは休会を予定している。同様に、現在の内外の諸情勢もドンヨリとした暗雲に覆われていると言って良いだろう。間近に迫っているという自然災害も気にはなるが、それ以前に、日本の”基礎体力”が、馬鹿馬鹿しいと言う他はないアベ政治によって、無残にも低下し続けていることの方がはるかに不安に感じられる。さらに耐え難いのはその”恥ずかしさ”だ。

   言いたいことはたくさんある。いくらアベ友たちが景気の良い印象操作で国民を欺き、クールジャパンだの東京オリンピックだのと煽ろうが、醜く、悲観せざるを得ない「現実」が目の前にあるからだ。この状況下でヘラヘラしていられるとすれば、よほどの「悪人」か「ノーテンキ」という他はあるまい。ということで、年度末の雑務もほぼカタがついたので、これからは、しばらくの間、できる限り毎日ブログを書いてみたいと思う。

   ところで、最近一番心が痛んだのは、2011年3月11日の東日本大震災と福島原発事故の被災者が、あれから8年後の現在、「絶望」的な現状を前にして「死んだほうがいい」と呟く姿を見たことだ。この間、NHKスペシャル「終(つい)の住みかと言うけれど~取り残される被災者~」ほか多くの特集番組を見たが、 一方で東京オリンピックの空騒ぎが仕掛けられている中、万単位の避難者はもちろんのこと、ほとんど打ち捨てられているに等しい被災者たちの現状は想像以上に厳しいものだ。まさしく、矛盾は「弱い者」に押し付けられている。とりわけ、これまで実直に社会を支えてきたであろう、どちらかと言うと口数の少ない高齢期に達している人々が、疲れ果て、希望を持ち得なくなって死を願うように一体誰がさせたのか!人間というものは、苦境に立った時、「大丈夫ですか?」、「何かできることはありませんか?」と親身に問いかけてくれる人々に励まされ、死への誘惑に打ち勝つことができる存在なのだと思う。

   しかし、こうした人々を支えなければならないはずのアベ友たちは、下手なゴルフでひっくり返りながらトランプと遊び呆けている頭目を始め、「復興」とは彼らの懐を肥やすための手段に過ぎないと考えているようだ。箱物を作ったからといって、被災者の本当の「復興」にはならないのだ。そして、その一方での、2020年東京オリンピックの理不尽な建設ラッシュだ。そもそも、アスリートたちにとって、真夏の東京でオリンピックが行われなければならない真っ当な理由があるのだろうか。一事が万事、これもアベ友たちの私利私欲のためと断言して良いだろう。昨日、JOCの竹田会長が辞任を表明したが、あんないかがわしいところに多額の金を振り込んでおいて、買収目的でなかったなどと誰が信じるものか。そもそも、2020年の東京五輪は、最終プレゼンにおけるアベの「アンダー・コントロール」に象徴される「嘘つき」五輪なのであって、佐野研二郎様の《五輪エンブレム》問題をはじめ、「金を儲けるためにやることの何が悪い?!」といった、彼らの「道徳」観丸出しの、”腐臭”極まるものと言って良い。オリンピック後に国民に残される負の遺産はもちろんのことだが、これは日本と日本人にとっての歴史的な恥となるものだ。日曜日、将棋のNHK杯決勝の勝者・羽生善治九段の表情を見たが、何故か爽やかな懐かしさを覚えた。私は、日本のアスリートたちの表情がアベ友たちのエゲツない表情に似ることのないよう、心から願わざるを得ない。

 税金は同胞の人間らしい生活を支えるために使われるべきものだ。      
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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