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ノートルダム寺院が燃えてしまった

 幼い頃、カジモドに涙した自分がいた・・・
   ―――世の無常と文化価値の大切さを改めて感じた


   ※年度始めには、色々なことを済まさねばならぬ。サロさんの予防注射もそうだし、毎年あるいは数年毎に繰り返される諸手続きや行事もある。しかし、それらは、ある意味で、人の世の「持続性」を感じさせるものでもあった。しかし、そうした中、パリのノートルダム寺院の火災が報じられた。私は、「あっ、そうか、あのノートルダム寺院も燃えてしまうんだ」と、人の世の無常を改めて突きつけられた思いだ。

   小学生の頃だったと思う。買ったばかりの白黒テレビで『ノートルダムのせむし男』を観た。あまりにもかわいそうで、引きつって泣いたことを覚えている。幼い子供だった私も、カジモドに感情移入して、彼の想いを我がことのように感じたのだろう。また、ディズニーの『ノートルダムの鐘(1、2)』も観ている。私にとって、ノートルダム寺院とは、そんなカジモドが住んでいた場所、働いていた場所ということになる。

   もちろん、ノートルダム大聖堂は世界文化遺産として有名だ。そのゴシック様式の建築、歴史的な諸事件(フランス革命やナポレオンの戴冠式など)の舞台、また、パリの、そして、世界中のカソリック教徒の祈りの場としてだ。ところが、私はパリを一度訪れたことはあったものの、ノートルダム寺院には入ったことがなかった。最近、私は、ボケ防止の意味もあって、フランス語でシャンソンを聞いている。その中の一つに "Sous le ciel de Paris(パリの空の下)" というのがあるが、そこにも、 Près de Notre Dame, Parfois couve un drame(ノートルダムの付近では、時々、惨事が起こる)、とあった。そんなこともあって、私は、もしもう一度パリに行く機会があったら、是非観てみたいと思っていたところだった。しかし、そのノートルダム自体に惨事が起こってしまったのだ。

   ところで、世の中には、宗教的な感性を持った人がいる―――統計的には7人に1人だそうだが(?)。宗教の興りにはそうした人々(預言者とか救世主とか、巫女とかマレビトとか・・・)の果たした役割が大きかったろうし、また、現在の私たちの周りにも、私には信じられないような「宗教」的体験を持った人がいる。私は神も仏も信じられないし、霊とか神とか仏は、人間が自分の姿や思考方法に似せて考え出したものだと思っている。しかし、以前、ワルシャワのキリスト教会に入った時、「これはヤバイ!」と感じたこともあった。私は宗教的人間ではないが、その感覚も分かりそうな気がしたのだ。確かに、宗教が人類普遍の「理想」を示し得た時、それが果たした積極的な役割は否定すべくもあるまい。人間の文化の多くは「宗教」的形をとっているからだ。しかし、また、宗教が排他的な民族的性格を持ったり、社会の強欲な特権層と結びついたりした時には、手のつけられないような悲惨な事態を引き起こしたことも事実だ。そして、現在、世界では、トランプの福音派やイスラエルのシオニズムそしてイスラム原理主義など、宗教的形態をとった偏見や憎悪、対立や紛争が深刻となっている。そうした中にあって、ノートルダム寺院の火災とその再建への動きがどのような状況を生み出すことになるのか。フランスは、まさしく、現在顕在化しつつある分断を乗り越え、フランス文化の懐の深さを示すことができるのか。歌の文句のようになることを心から願いたいと思っている。

Il fait gronder sur nous (パリの空は私たちの上で唸るのさ)
Son tonnerre eclatant (ピカピカゴロゴロとね)
Mais le ciel de Paris (けれど、パリの空は)
N’est pas longtemps cruel (そんなに長く、意地悪はしない)
Pour se fair pardonner (お詫びの印に)
Il offre un arc en ciel (虹を見せてくれるのさ)(日本語は拙訳)
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「下関北九州道路」問題と桜田五輪相の「更迭」

地元に不急・不要な橋をかけて一刻を争う被災地にどう寄り添うのか?――そして、アベ・マリオは、わざわざ、”地味”で”ドンキー(鈍気ー)”な人物を五輪相に任命した

   ※一昨日は、アカデミー作品賞『グリーン・ブック』を観てきた。やはり、飽きさせない面白さがあった。妥協的だとの批判もあるだろうが、少なくとも映像に登場しているトニーとシャーリーに、あの時点であれ以上の”勇気”をどう求めていいのか。『アミスタッド』でも思ったが、差別と闘うアメリカの黒人と白人の”勇気”ある多様な”協力”こそが、一歩一歩、差別解消を前進させてきたのだと思う。今度は、『ブラック・クランズマン』でも観たいものだ。


   さて、私は、若い頃から、毎日、簡単な日記と収支簿をつけてきた。そんな私の記憶からしても、今回の塚田国交省副大臣と桜田前五輪相の辞任劇ほど、あからさまで、「教訓」に富むものはなかったと感じる。この二つのうちでどちらがアベにとって重要かといえば、言うでもなく、塚田の「忖度」発言の方だ。なぜなら、それは、モリ・カケ問題と共通する「忖度」の構造を浮き彫りにしているからだ。もちろん、その構造とは至極単純で、「俺が言った」となるとまずいので、「言わなかったことにする」と言うだけの話だけれど。もともと、自民党政治は「中央との太いパイプ」を売り物にしてきたが、その「パイプ」の中身こそ、「口利き」・「指示」・「忖度」だったのだ。もちろん、発信源が最高権力者の場合は「首相案件」となって、一層強い縛りが発生する。そして、その不純かつ不公平な内実(「悪だくみ」)がバレそうになると、理屈にもなっていない言い訳で厚顔にも”シラ”を切ったり撤回したりするところから始め、それでダメな場合は、その証拠(文書)を徹底的に”隠蔽”(「探しましたが、ありませんでした」、「不開示」・「抹消」・「のり弁当」)し、挙げ句の果ては、違法な”改ざん”にまで走ったのだ。今回の下関北九州道路の件も、「被災地の復興を全力で」と口では言いつつも、アベとアソウの地元だという理由で、不要・不急の橋の建設を推進しようとしたわけだ。そして、このことについては、昨年10月、アベ自身が「建設に向けてしっかり取り組むように」と指示を出していたことが、(塚田に「忖度」させた吉田自民党参院幹事長と一緒にいた)大家参院議員のフェイスブックに書かれてあったのだ。大家は、もちろん塚田と同じように、それは事実ではないと否定したらしい。笑わしてはいけない。アベ友の「二言」は、「殿様」ゆずりなのだ。

   こうした観点からすると、桜田は実に「正直」だと言える。彼ほど、「アベ友」内閣が許容する「知的水準」とその「本音」をはっきり見せてくれた人物はいない。もちろん、桜田の発言はふざけているし、アベの任命責任も当然のこととしてある。しかし、桜田発言があった政治資金パーティーでの”反応(笑い)”が示しているように、アベ友自民党が被災者のことを”(アベ友)議員”以上に、あるいは、”(建設がらみの利権と支持率向上手段としての)オリンピック”以上に大切にしているなど、元々考えられないことだ。”復興大臣”についても同様だが、アベがなぜあれほど「適材適所」とはかけ離れ、「オリンピック」のイメージにもそぐわない人物を担当大臣に任命したのか?多くの人々が疑念を持っていたことだろう。そして、マスコミの識者たちは、その答えを二階派の「待機組」への配慮だったと解説している。しかし、私はもっともっとセコイ理由だったのではないかと思っている。つまり、最終プレゼンにノコノコ出て言って「アンダー・コントロール」と世界中にフェイクをかまし、さらに、リオの閉会式で受けを狙ってマリオにすらなったアベにとって、「2020年東京オリンピック」は、増田 寛也(都知事・・・落選したけれど)や鈴木俊一や桜田義孝(五輪相)でなければならず、小池や舛添や鈴木大地らであってはならなかったのだと。アベ・マリオは、”地味”で”ドンキー”な人物を五輪相に任命し、東京オリンピックをアベのオリンピックにしたかったのだw。

   さらに、今回の桜田の「事実上の更迭」は、そうしたアベにとって、非常に都合の良いものだったはずだ。多くの人々はどうして桜田のような人物が国会議員であったり国務大臣であったりすることが可能なのかと訝っていたと思うが、そうした人物を「クビ」にすることで、なんだかアベが少しはまともに見えると言う効果さえ期待できたからだ。そして、いつものように、「任命責任」と「被災地復興」をさらりと”つま”にしながら、あの虚言癖特有の一見「本気」そうな表情と言い口で発表したのだった。しかし、決定的に重要だったのは、桜田の「辞任」の持つ、”下関北九州道路”問題に対する目くらましの効果だったと考えられる。つまり、桜田の発言は桜田の発言だと言い逃れできそうだが、”下関北九州道路”問題は、アベ自身の問題であり、「アベ友」政治の本質(「本丸」)に関わる問題だからだ。「辞任」後の桜田の表情の穏やかさはその「事実上の更迭」の内実を物語っていると感じる。野党は、桜田よりも、”下関北九州道路”問題を徹底的に追求すべきだ。それが、「被災地復興」を空念仏のように唱える、アベの本性をあぶりだすことになるからだ。
 

『なつぞら』を観て―――北海道・十勝の思い出

1952(S.27)〜1958(S.33)年
 ―――懐かしくて、チビと芽室での日々を思い出してしまった


   ※新1万円札の肖像が渋沢栄一に決まったそうだ。渋沢は埼玉県深谷市出身なので埼玉に住んでいる私にも馴染みがないわけではない。さらに、私自身、10年程前に現代語訳されベストセラーになった彼の『論語と算盤』(1916年)を読み、現代のタケチュー的ぼったくり資本主義とはその質を異にするものとして注目していた。もちろん、批判すべき点もあろうが、例えば、「およそ人として、その生き方の本筋を忘れ、まっとうでない行いで私利私欲を満たそうとしたり、権勢に媚びへつらって自分が出世しようとするのは、人の踏むべき道を無視したものでしかない。」(P.168)など、アベ友たちに是非聞かせてやりたいような内容が満載なのだ。今回の渋沢栄一の採用は、イチローの国民栄誉賞(見事にフラれたが)に次いで、「政権浮揚を目指して5年も前に・・・」と揶揄され、しかも、旧財閥モドキのアソウが発表するといった、まさしく、”ブラックジョーク”以外の何ものでもないと感じさせるものだった。しかし、それも、国民への目くらましのため、自分たちの対極にありそうな旧幕臣・渋沢にすらおすがりしなければならないほどアベ政権が腐りきっているが故だったろう。笑止という他はない。

   さて、現在、私は埼玉県に住んでいるが、私が育った「故郷」(の一つ)は、北海道十勝の芽室だ。「奥さん」が朝ドラを見るので私もお付き合いしているが、今放送中の『なつぞら』の舞台は、この北海道十勝なのだ。ドラマの撮影は新得が多かったらしいけれど、根室本線の狩勝峠から新得ー十勝清水ー芽室ー帯広のラインの光景、大雪山系の山並み、十勝川とその支流美生川、そして、広大な畑と放牧地、防風林などは、大切な思い出として残っている。

   積雪はさほど多くなかったが、真冬の寒さは半端なく、銭湯の帰り道では、眉毛が真っ白になり、タオルがガチガチに凍った。まさしく、マイナス20度を経験する世界だった。そして、冬には馬橇が走り、子供達はその後ろに飛び乗って遊んだものだ。私は、馬の前足で蹴られて、1メーターほど飛ばされたこともある―――冬ではないが、”オート三輪”にひかれて左足を骨折したこともあったけれど。また、春・夏・秋の北海道の大地は、子供達にとって、なんの制限もない、絶好の遊び場だった。放牧地を駆け回ると、足元に白骨化した動物の頭部などが転がっていてびっくりもした。家の近くには乳牛を飼っている農家があり、5合瓶などを持って牛乳を買いに行ったものだ。井戸の中で冷やされていたタンクを引き上げ、漏斗と長い手のついた柄杓で一合ずつ測って瓶に入れてもらった。瓶を抱えてルンルンと家に帰り、早速煮沸してもらうと、分厚いカワが張り、そして、その濃厚な味にうっとりしたものだ。短い夏には、近くの美生川で、泳ぎの真似をした。とてつもなく綺麗な川で、深いところは緑がかって、その水面には青大将が泳いでいたりした。ただ、私は河原にあったビンのカケラで左足の親指をザックリと切り、大量出血(?)。よもぎで血を止めようと必死になったが、今も傷跡がはっきり残っている。この他にも、防風林の枝の上に「基地」を作って遊んだりもした。また、芽室を去る際に一時停車した新得駅の光景もはっきり覚えている。新得駅は日高山脈を富良野側に越える狩勝峠の帯広側にある駅なのだが、その駅でD51が前と後ろに連結され、峠に挑戦することになっていたのだと思う。そのため、少し待ち時間があり、私は線路に降りて、眼前に迫るの山々と”超巨大”なD51の車体と煙と汽笛を間近に経験したわけだ。

   また、ドラマにも出てくる帯広の街も記憶に残っている。とりわけ、印象深いのは、母親が手術のため帯広の病院に入院した時のそれだ。そして、まだ小学校の低学年だった兄は、勝手に一人で汽車に乗って帯広の病院まで行ってしまったこともあった。当時の店屋の佇まいは、今考えると、なんとも言えない雰囲気があった。芽室の駄菓子屋もそうだった。狭く雑然としていたが、パッチ(=メンコ)やビー玉、そして、ハッカや飴などを買った。そんなに度々は行けなかったが、確かにワクワクする場所だった。

   もちろん、良い思い出ばかりではなく、今もトラウマとなっているようなこともある。それは、私が仔犬の時に拾ってきたチビ(柴系のメス)が子供を産んだ時のことだ。仔犬は4、5匹いたのだが、ある人が、2匹はもらってくれるが、その2匹は私が選び、残りは自分で捨てに行けと言ったのだった。まるで『ソフィーの選択』のような話なのだが、実際、私は大泣きしながら、2匹を選び、そして、残りの子犬を十勝川に捨てに行かなければならなかった。当時は、まだ、野良犬や野犬がいる状態だったのではあるが、この時の”無条件”の悲しみ、胸の”膨張感”は忘れることができない。そして、残された子犬たちが大きくなって町で遊んでいるのを見たとき、「チビの子だ」と思いながら、複雑な気持ちになったのを思い出す。ただ、今考えると、〈命〉への強い「想い」と「責任」、そのことを教えられたようにも感じるのだ。確かに、私たちは無数の〈命〉の犠牲の上に生存している。〈命〉の尊さを忘れてはならないと思う。

   チビとは、小3になる3月、転居のために別れねばならなかった。私も大変お世話になったYのおばあちゃんの息子さんが引き取ってくれたのだ。引っ越す日に会いに行くと、金網付きの大きな犬小屋があって、チビはそこにいた。チビの写真は2枚あって、一枚は拾ってきたばかりの仔犬の時のもの、そして、玄関前の犬小屋の前で立っている4歳ぐらいの時のものだ。まあ、残念ではあったが、サロさんと比べるとずっとお利口さんのわんわんだったから、きっと大事に可愛がってもらえたろうと思っている。他にも思い出がたくさんあるが、何しろ、美しい町だった。

福岡県知事・相模原市長・埼玉県議選・・・こんなもんでしょう!

アベ自民党政治が何をもたらしているのかを見据えよう!
 ―――それにしても、日本には「市民革命」が必要なのでは?!


   ※OECD(先進資本主義)諸国との比較やA・A・LA(発展途上)諸国との関係―――日本の相対的な”地位”の低下。そして、国内のタケチュー的ボッタクリ資本主義とアベ政権下のどうしようもない〈政治の劣化〉!アベ政権下の日本の先行きは極めて危ういといわざるを得ない。しかし、こうした中での、この低投票率、この盛り上がりのなさはなんなのだ?やはり、市民・国民の〈政治〉への失望感あるいは無力感の表れとしか考えられないのではないか。ただ、変化の兆しも感じられる。それは、アベ・アソウ的なものへの不信感あるいは「アベ一強」幻想の崩壊だ。

   今朝の『東京新聞』一面トップの見出しは「自民 敗北相次ぐ―――大阪ダブル・福岡・島根」だった。そのあとに、「アベ一強に緩み」という見出しが続くが、「解説」には、そうした保守分裂の基盤となった「野党の弱体化」が指摘されていた。確かに、信じがたいようなアベ一派による経済と政治の私物化が可能だったのは、アベ自身の主張とは異なるとはいえ、民主党政権の(不運と)腰砕け、そして、その後の野党としての信用を失墜させた前原や細野らの醜態だったと言える。つまり、アベ一派のアホノミクスや浅薄な戦前回帰主義の”幻想”を支えたのは野党だったということだ。日本の野党には、アメリカのサンダースやイギリスのコービン程の”立て直し”が必要というべきだろう。そうした中で、戦後のアメリカによる単独占領と日米安保体制に基づく経団連支配を基礎におくことは共通だったが、アベ一派とは一線を画していた自民党のハト派・「護憲」派が、久しぶりにそれなりの矜持を示したのが今回の選挙であったと言えるかもしれない。

   その典型例が福岡知事選で、したり顔の三代目アソウの「権威」などこの程度のことであったことを明確に示したと言って良い。同様に、自民党内におけるアベの支配など、まさしく、鉄面皮な人事と利益誘導による「人の支配」(=”恐怖”による)でしかなく、「権威」(=”正統性”を有する)を持ちうるような代物でないのは自明のことなのだ。それを典型的に示しているのが、あの太鼓持ち、塚田一郎国土交通副大臣の「忖度」発言だ。

   ―――何とかしないといけないと。下関と北九州ですよ。よく考えてください。下関は誰の地盤ですか。 安倍晋三総理ですよ。安倍晋三総理から麻生副総理の地元でもある北九州への道路事業が止まっているわけですよ。
 吉田幹事長が私の顔を見たら、「塚田、わかってるな。これは総理の地元と副総理の地元の事業なんだよ」と。「俺が何で来たと思うか」というんですね。私すごく物わかりが良いんです。すぐ忖度します。「わかりました」と。
 そりゃ総理とか副総理はそんなこと言えません、地元の。そんなこと実際ないんですよ。森友とかいろいろ言われていますけど。でも、私は忖度します。

   全く、「語るに落ちた」とはこのことだ。間違いなく、塚田はうっかり”本当のこと”を言ってしまったのだ。この後の塚田本人のを始め、アベやアソウや吉田らの見え透いた言い訳(この話は事実ではない、ウソだ)を信じる「日本人」はいまい。なぜなら、こうした「忖度」がアベ政権の下で一層強化され、蔓延し、常態化していたからだ。そして、「同じ穴の狢」どもがこうした仕掛けをまさしく塚田のように再生産し、笑い!、それに対して、そんなことは受け入れられない真っ当な人々は、森友の時のように、死に追いやられる場合さえあったのだ。それは決して忘れてはならないことだ。ポイントになるのは、加計の時の下村と同じように、吉田自民党参院幹事長の発言だ。しかし、なにしろ、あのアマリがのうのうとしている日本の検察と司法の現状だ。それ故、結局、市民・国民が、あのアホらしいバカげた「丁寧な説明」に対して、選挙で厳しい審判を下し得るかどうかにかっていると言う他ないだろう。そして、それは極めて基本的な「市民革命」的性質のものでしかないということだ。

   この他にも、私の個人的な関心から、以前住んでいたことがある相模原市長選の結果や、埼玉県議選における野党・無所属の健闘、そして、北海道知事選など注目すべきものがあった。これらについては、またの機会にしたい。

老と「死」にどう向き合うか―――『イチロー 最後の闘い』を観て

ちょっと”ストイック”すぎる?
 ―――肩の力を抜き、自然体で人生に向かうことも必要では


   ※ソメイヨシノは5分咲きだが、寒い日が続いている。正直、サロさんとの散歩が辛い。でも、サロさんはかえって元気だ。ところで、これから3ヶ月間の私の目標は、曲がらない左膝に徹底的なリハビリを加え、可動範囲を回復させ、再び山に登ることだ。人それぞれ、自分にとって大切なものがあると思う。そして、それができなくなった時、人はどう感じ、どう考え、どう対応するのだろう。難しい問題だ。

   1日に、NHKスペシャル『イチロー 最後の闘い』を見た。私は特別なイチロー・ファンではないが、一弓さんと触れ合っているイチローには好感が持てる。番組自体は、イチローが”引退”を決断していく過程に密着取材したものだったが、イチローの顔や語り口にも表れていたように、けっして”華やか”なものではなく、かなり”深刻”な印象を与えるものだった。イチローにとって現役を引退することはプロのアスリートとしての「死」を意味した。確かにその通りなのであろうが、すでに現役を引退し、さらに本物の「死」に近づきつつある我が身としては、何か違和感を抱かせるものでもあった。

   この番組で私にとって一番印象的だったのは、イチローの「老」だった。あれだけ巧みにヒットを量産していたイチローのバットが、その「努力」と「工夫」の甲斐もなく、空を切るのだ。その理由は、いうまでもなく、「老」による身体能力(動体視力や反応速度そして筋力)の低下に違いあるまい。同様なことは誰しもが経験することだろうし、私自身も、若い頃にできたのに今はできないことなど数え切れないほどなのだ(w)。こうした「老」を「努力」と「技術」によって克服することもあり得るだろうが、大リーグレベルのピッチャー相手では、そう簡単にいくものでもないのだろう。このように、基本的に身体がものをいう職業的な運動選手にとって、「老」は極めて大きな問題で、その身体能力の低下とそれに伴う引退は他の職業よりもかなり早くやって来るようだ。20代で限界に達する競技も少なくはあるまい。「老」との闘いが彼らにとって深刻なものだろうことは想像に難くない。気の毒なことでもある。

   ただ、イチローの”引退”は大変恵まれたものだったと言える。イチロー自身も「笑って死ねた」と言っていたが、松井を始めとする他のプロ野球選手と比較すると、そのことは際立っているように思われた。自分の意に添わぬ突然の解雇もあるだろうし、怪我や病気もあろう。そして、イチローのように多くの人々に賞賛されながら花道を去るといった例は稀なことではなかったろうか。そうしたイチローの”引退”は、一般ピープルたる私などから見れば、功成り名を遂げ、引退後の生活も金銭的・社会的に全く不安がないのだから、「ルンルン・ファンファン」なのではないかと思ってしまう。しかし、イチローの雰囲気は全然違っていた。そこが天才と凡人の違いなのだろうけれど(W)。

   番組は、イチローについて、「その実績以上に、常に理想を追求し、努力を積み上げていく“生き様”に、多くの人々は共感してきた」と総括的に述べている。こうしたことは、「引退試合」の実況放送の中で、アナウンサーが思いを込めて紹介していた、「自分ができると思ったことは必ずしもできるとは限らないけれど、自分ができないと思ってしまったら、絶対にできない」というイチローの言葉にも通ずるのだろう。要するに、イチローのファンたちは、様々な壁(記録や「老」)に敢然と立ち向かい、粘り強く努力し、限界を突破していくイチローの姿に憧れ、自己を同一化させ、自らのことのように喜んでいたと考えられる。『プロジェクトX』にも通ずるこうしたイチローの姿勢を私は否定しはしないけれど、ただ、それが「神話」的あるいは「偏執狂」的なものになってしまうと、人をけっして幸せにはしないだろうとも思うのだ。

   私が日常生活のレベルで「老」を痛切に感じ、また、「死」をより身近なものとして考えるようになったのは66歳を過ぎてからだ。私は人生を”自覚的”に生きるタイプではなかった―――それ故に、あのような生き方をしたいという理想的な人物像もなかった―――のだが、現役引退後から、自分には何ができ・何ができなかったのかを考えたり、どのように死んでいくのかを考えるようになった。そうした中で、今、私が感じているのは、要するに、自分の生き方や死に方を自分自身で”決める”ということは非常に難しいのだろうということだ。例えば、宮子あずさの『看護婦が見つめた人間が死ぬということ』(「正」・続)を読んでも、あくまでも病院での話とはいえ、人の”死に様”はけっこう多様で、しかも、本人の人格や考えから自覚的に決めることはかなり難しそうなのだ。そんなことを考えながら、これまでの自分の人生を振り返り、自分ができたこと・できなかったことを考えてみると、これまた、どれだけ自分の主体的な「努力」によって私の人生が決まったのかというと、肯定的に答えることがかなり難しいように思われるのだ。とりわけ、対他的な関係性で言えば、例えば、私があなたよりも速く走れたのは私が「偉かった」わけでも、あなたが「ダメだった」わけでもない。あの時代に私が大学に行けたのも、私が「偉かった」わけでも、あなたが「ダメだった」わけでもない。私が今まで生き延びてこられたのも決して私が「偉かった」わけでも、あなたが「ダメだった」わけでもない。あなたには、あなたの産まれながらの「資質」があり、「病気」があり、「事故」があり、「戦争」があり、そして、「社会的境遇」があった。もちろん、私の方が主体的に努力したかもしれないが、あなたの意欲や努力自体が先に述べたような要因によって強く影響されていたこともあったろう。要するに、私が何か出来たとすれば、それは「幸運」を除いてはあり得なかったということだ。(逆の場合は、「言い訳」に聞こえるだろうが、それにも真実はあるはずだ。)こうしたことは、イチロー自身もよく認識していたことだと思う。

   それでは、自分自身の気持ちの中ではどうなのか。イチロー自身が問題としたのもそのことだったと思う。しかし、困難に挑戦し、それを乗り越えていく不屈の闘志が大切なこと、あるいは、魅力的に感じられる時もあるだろうけれど、それが度を越したり、身の程をわきまえなかったりする場合には、やはり、それは「いけない」ことなのではないか。これは冗談だが、「世界一周が夢だ。金が必要だ〜ところで、宝くじは誰かが必ず当たる。しかし、その確率は極めて低い〜でも、”宝くじは買わないと絶対当たらない”〜だから、”買ったほうがいい”あるいは”当たるまで、買い続けるべきだ”ということになるのかどうか。

   「野球を愛する」仕方には、人それぞれ、また、年齢相応のやり方があるだろう。私は、山登りが好きだが、やはり、植村直己を真似してはいけないし、また、マッキンリーに消えた植村自身にも問題があったと考えるべきなのではないか。長くなってしまったが、要するに、イチローはちょっとストイックすぎると言うか、自信過剰というか、カッコよすぎというか、うまい表現は見つからないが、「そんなに頑張らなくてもいいのではないか!」というのが、一般ピープルたる私の印象だったのだ。

新元号の出典について―――こうした”フェイク”こそ「恥」というのだ!

アベは、新元号に浅薄な国粋主義と政治的功名心を貼り付け
 日本文化と象徴天皇制を貶めていることが理解できないのだ


   昨日、ニュースを見ていたら、アベが新元号「令和」を画策した有様を、イナダ・トモミがアベを持ち上げながら正直に明かしていた。これまでの元号の歴史を否定して、「国書」からの出典を計ったアベは、「令和」が選定されるように「原案」を仕組み、正当化の手段たる有識者懇を「誘導」して、アベが決めた元号を国民に押し付けようとしたわけだ。これから生まれてくる子供達は、五月の出生届から、アベが仕組んだ元号「令和」を刻印されることになる。アベ・チルドレンか? どちらにしても、1日も早くアベを下野させねば、「令和」の日々は暗く、不幸なものになるだろう。

   それにしても、アベの頭の構造はどうなっているのだろう。単純に、日本の古典『万葉集』の記述の中から文字を引き出せば「愛国」的だとでも思ったのだろうが、そのことによって、東アジア文化圏の中で生まれ、花開いた日本文化そのものを侮辱し、恥をさらすことにさえなってしまったのだ。

   多くの識者、否、少しでも日本の文化史や文学史をかじったことのある者なら、日本の古代文化が中国をはじめとする大陸文化に色濃く影響されていたことは周知の事実だ。東アジアの辺境に住む当時の人々は、中国やインドなどの先進文化に学び、それを深化・発展させようと懸命に努力していたのだ。ところが、今回、中国嫌いの浅薄な国粋主義者アベは、あの『万葉集』の記述(「初春令月 氣淑風和 」)を、オリジナルな日本人の自然に対する感情を表すものとして、中国文化と対立させてしまった。ところが、『万葉集』の記述が中国の古典『文選』(張衡「帰田賦」、「於是仲春令月、時和氣清」)に影響されていることは学説上も明らかなことで、もし、その表現が大伴旅人のオリジナルなものだなどと言ってしまったら、それこそ五輪エンブレムの佐野研二郎のように、「盗作」だなんてことになりかねないのだ。今後の国際的な反響が心配だが、アベが「出典をはじめて『国書』に求める」などという浅薄な国粋主義と政治的功名心さえ持たなければ、こんな恥ずかしい事態にはならなかったと言えよう。大体、中国文化がそんなに嫌なら、中国由来の元号はもとより、漢字なども廃止して、ハングルのように、ひらがなだけにすれば良いのだ。薄っぺらとはこうゆうことを言うのだ。

   私の祖父は「日本人はマネすることが上手で、それに工夫を加えることが得意なんだ」と言っていたという。私も、日本人が外来の文化を〈敬意〉を持って学び、さらに、それを〈独自〉のものへと深化・発展させてきたという視点が大切なのだと思う。要するに、アベの如き、浅薄な単細胞的国粋主義は「日本」的ですらないのだ。こうした輩には、国際性豊かな古代文化も、国風文化も、鎌倉仏教も、武家文化も、多様な庶民文化・地域文化も、江戸文化も理解できまい。アベは世界に恥を晒し、日本を滅ぼすと言って良い。

「令和」はアベが決めた元号なんだってよ!

「令和」?―――「律令」とか「令嬢」とかの「令」か?!
   ともあれ、アベがしゃしゃり出た「元号」は使いたくない


   ※新元号の発表に、「安」がつかなくて良かったとホッとするとともに、「〈令〉和」?と、妙な違和感を覚えた。さらに、アベの記者会見が最低で、当日は、チャンネルをBSの株式市況に換えてしまった。記者会見は後では見たけれど、まさしくエイプリル・フールに、無能なウソつきの目立ちたがり屋が記者の質問に対してすら原稿を読んでいるといった有様で、本当にさもしく、いやらしく感じられた。あんな輩に利用される皇室は本当に気の毒だと思う。今上天皇も心底うんざりしているのではないか。

   「令」に対する違和感は、「律令」の「令」は”古代”の行政法のことで、「令嬢」の「令」は目上の人のと言った意味合いだと記憶していたからだ。今朝の朝刊を見ると、「令」の字は「神のお告げを跪いて受ける人の形」なんだそうで、そこから「上位者のいいつけ」や「おきて」、そして、神意に従うから「良い、りっぱ」という意味になったのだそうだ。もちろん、我々にとって一番馴染み深い「令」は「命令」だが、それは「上位の者が下位の者に言いつける」と言う意味だ。そして、今朝のNHKニュースは、アベがこの元号を最終的に”決めた”と報じていた。アベが決めた元号が国民に与えられ、歴史に残るというわけだろう。ただ、その後の国民の冷たい反応を受けて、アベ一派は、その嫌悪感を薄めようとw、(仕組まれた)他の原案5つや考案者・中西進氏(家にも『万葉集の秀歌(上・下)』がある)の名前などを後出しでバラ撒き始めている。どちらにしても、新天皇は気の毒だとつくづく思う。

   ところで、先にも触れた中西進氏の『万葉集の秀歌(上)』を覗いてみれば、五巻には、私たちにもお馴染みの(おそらく渡来系知識人である)山上憶良が蒐集した歌が多く収められている。そして、「令和」の出典は、太宰府での大伴旅人主催による観梅の歌宴における32首への旅人自身による「序文」というわけだ。しかし、その特徴は、アベ的「国粋主義」からすると許せないものなのではないかと思われる(w)。図書館からでも借りて、ぜひ、前掲書P.131〜133を覗いてみてほしいものだ。「梅」とは、「観梅の歌宴」とは、「序文」の文体は、そして、「序文」および「歌」の表現法は・・・実は、旅人自身が「開かれた知識人」だったということだ(w)。

   だからと言って、「令和」を安易に受け入れるということではない。なぜなら、このお粗末な「政治ショー」を演じ、元号を国民に強制しようとしてきた浅薄な国粋主義者、歴史修正主義者アベのやり口に乗せられるわけにはいかないからだ。考案者の思いがどうであれ、アベがこの新元号を政治的に利用しようとしていることは明らかだ。彼が目指すものは、あの戦前の天皇制国家なのだから。
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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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