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スポーツの祭典をアベのレガシーにして汚すのか?!

「私は貝になりたい」を思わせる祖父と孫
 ――こういう時にこそ、アスリートは自らのスポーツ”哲学”を示せ

   ※昨日、歯科医院の待合室で『週刊文春3月26日号』を読んできた(その1時間後には、『文春オンライン』で全文を読むことができるようになった―――本当にありがとう!)。ネットで赤木さんの手記と遺書は読んでいたが、相澤冬樹さんの記事は初めてだった。命令した連中は刑事訴追を免れたうえに出世を果たしたわけだが、上からの指示で公文書偽造を強いられた赤木さんは検察からの悍ましい追求と逮捕の恐怖に晒されていたのだ。私は「私は貝になりたい」のフランキー堺の表情を鮮烈に憶えているが、C級戦犯の主人公とA級戦犯容疑者で起訴から免れた岸信介、そして、赤木さんと安倍晋三。「最後は下部がしっぽを切られる」、こんな世の中とこんな汚い輩をこのままにしてはならない。

   さて、オリンピックが1年程度延期されることになった。結局、トランプが言ったようになったわけだが、世界でのコロナウィルスの現状を考え、また、オリンピックは誰のため何のためにやるのかを考えれば当然のことだろう。何を今更というのが率直な印象だった。しかし、NHKの岩田解説委員など、この”延期”をアベのお手柄にまでして宣伝したいようだ。それでは、国民向けにこれまで言ってきたことは何だったのかと笑ってしまうわけだが―――要するに、アベが言うことは、一事が万事、そのまま信用してはいけないということだw。ただ、この「1年間程度」の延期という決定が、相変わらず、私利私欲の政治家たちやアメリカの巨大情報産業の都合によって決定されたということは確かだろう。とりわけ、初めからそうだったが、アベ友の利権とアベ友政権の延命そしてアベのリガシー作りにこのオリンピックが利用され続けるとすれば、馬鹿馬鹿しいにもほどがあるというものだ。1年後でさえ開催できなかったらどうなるのだ。もちろん、平和の祭典、スポーツの祭典たるオリンピックの開催を望む人々の願いまでを否定するわけではないが、私が思うのは、”モリ・カケ・サクラ”のアベ友政権のもとでのオリンピックなど御免被りたいということだ。平和の祭典、スポーツの祭典がアベに汚されるのを見たいわけがないではないか。その前に、アベの退陣とその徹底的調査がなされなければならない!

   「オーバーシュート」((爆発的急増)だの「ロックダウン」(都市閉鎖)だの耳慣れない言葉が飛び交っている。大阪や東京のような大都市がワールドニュースで見られるような状況になる可能性は高いのだろう。それにしても、中国もそうだったが、欧米政府の対応の規模と真剣さには圧倒される。それと比較して、これまでのアベの熟慮と責任意識を欠いた対応には呆れるばかりだ。その時期や範囲や保障、そして、何よりもその検査体制の問題性は、大都市における「オーバーシュート」の基盤をなす統計に表れない感染の広がり、そして、それに対する人々の心構えなどに大きな影響を与えただろうことは間違いない。これからアベは、どさくさ紛れに、国民の命や健康や生活を守るためにではなく(!)、己の野望実現のために「非常事態宣言」を出して、批判を封じ込め、己のレガシー作りに精を出すことだろう。そのことによって、また、赤木さんのような多くの国民の命や健康や生活が軽んじられ、そして、税金が浪費されることになる。格好はつけたいが、責任は決して取ろうとしないアベによって、日本の未来はますます閉ざされていくのだ。それに対する唯一の解決策は、日本にとっての最大のリスク=アベと”おさらば”することの他にないだろう。

   志村けんが人工呼吸器をつけているそうだ。この呼吸器を早期につけることができれば生存の可能性は高いそうだ。ところで、昨日も、感染予防のために必要なマスクやアルコールには全くお目にかからなかった。ただ、マスクは東京新聞に手作り用の型紙がついていたし、酒精綿(MADE IN CHINA )もあと60枚はあるw。とはいえ、午後には、野菜作りにでも出かけるつもりだ。マスクではなく、食料が入らなくなると大変だからw 
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コロナショックの複合的性格に対応して、国民生活をどう守るのか?

 国民生活を実体的に支える経済対策か?
     アベ友企業の株価維持とアベ友政権の人気取りか?

   ※『蛍草 菜々の剣』(最終回―いのちの剣)を見た。菜々と彼女を取り巻く身分を超えた人々の「矜持」に心打たれた。いやはや、アベ友の世界とは全然違う。アベ友政権下の赤木さんの想いと苦しみが改めて思い起こされた。アベ!アソウ!サガワ!
   また、YouTubeで「【金子勝の言いたい放題】検査、検査、検査そして隔離 日本で検査を阻むものは コロナ対策の影と光(児玉龍彦さんと)」(デモクラシータイムズ)も見た。児玉龍彦氏は金子勝との共著『日本病――長期衰退のダイナミクス 』で読んだことがあったが、彼の話は今回のコロナウィルスによる危機を包括的に理解する上で大変貴重なものと思われた。私も”自分の頭で考える”をモットーに日常生活を送る一般ピープルの観点から色々考えてきたが、ほぼ同様な結論を専門家の立場から明晰に論じてくれている。また、「上昌広氏激白 新型コロナ対策で“人体実験”が行われている」(日刊ゲンダイDIGITAL)も必見だ。もう一つ、「【佐高信×早野透∔平野貞夫の3ジジ放談】自民党内反安倍蜂起をつぶした「一斉休校」宣言20200317」(デモクラシータイムズ)における平野貞夫氏の裏話も大変興味深かった。これも必見と言えるだろう。まだの方は是非!

   さて、今回のパンデミックを契機とする「コロナショック」は、世界で株価の凄まじい暴落を引き起こしている。全く底が見えない状況のようだ。株など持っていない私にとっては一種他人事だが、私企業が生産の主体である以上、生産体制維持のためには巨大な上場企業を支える必要もあるということか。しかし、考えてみれば、巨大な企業ー資本は、日頃、自由市場経済と自己責任論を偉そうに国民-労働者に垂れておきながら、実は、政府の金融ー財政政策に”ちゃっかり”支えられているというわけなのだ。そのための資金を誰が生み出し、誰が出しているというのか。そして、今回も、株価維持のためにどれだけ多くの税金や公的基金が投入されることか。そして、それは一体誰のためなのか?!
   
   今回の「コロナショック」の特徴は、いうまでもなく、新型コロナウィルスによる実体経済への影響を起因としている。つまり、人々が移動し、働き、収入を得ることができず、生産・流通・文化活動などが直接影響を受けているのだ。しかし、資源や生産手段が破壊されているわけではないので、人的被害を最小限にとどめ、感染を抑え込むことができれば、経済は速やかに回復できる可能性が高いだろう。ただ、この危機には、金融バブルの膨張やサウジアラビアによる市場支配のための「原油安」そして「アホノミクス」の挙句の消費税増税など、複合的な問題が横たわっていることを忘れてはならない。それ故に、コロナによって困難を強いられている人々や企業への支援が早急に為されなければならないのは当然だが、それだけではなく、アメリカン・グローバリズムや新自由主義経済の矛盾それ自体を問い直すことが必要なのだ。

   ところが、政府ー日銀の対策を見ると、12兆円もの株買い支えや(それ自体かなり危機的な様相を示すものだが)1兆3000億円の国債買い支えなど、相変わらず、金融市場への「公的資金」の投入というアホノミクスの「官制相場」路線が先行していると言って良い。これだけの資金があればどれほど多くの実質的な支援ができることか。アベは「アベノミクスは買いだ」などとはしゃいでいたが、元々、異次元の「金融緩和」や金融市場への「公的資金」の投入は、株価上昇や円安などで利益を貪ろうとするアベ友(投資家・大企業)の利益のために、日本の「一般ピープル」の個人資産や公的資金を「担保」あるいは「掛け金」として利用し、利益を得ようとするものに他ならない。そして、その結果は、格差の拡大だけではなく、株価や国債価格の暴落によって我々の年金基金をはじめとする公的資金や個人資産が雲散霧消したり、あるいは、日本国民の汗の結晶たる日本産業が外国の「ハゲタカ」資本に売り渡されてしまうことになる恐れも大なのだ。実際、その危険性は、目前に迫っていると言って良いだろう。

   一方、政府は、新型コロナウィルス対策費として30兆円規模の財政支出を考えているとのことだ。財源は「赤字国債」の発行が検討されているという(結局、国民の借金)。これまでも、場当たり的な「全国一斉臨時休業」に伴う助成金問題等で色々な問題が議論されてきたが、今後予想される感染防止のための外出自粛や営業自粛による中小企業や個人事業主(法人)を中心とする経営破綻や失業の危機は一層切迫したものとなっていくだろう。そして、それへの対策は、無利子貸付(将来返さなければならない借金だろ!)などという半端なものではなく、しっかりとした直接的な賃金保障や休業補償そして補助金などが必要となるはずだ。

   さらに、もしそれが後退する景気に対する刺激策であるとするなら、国民1人当たり10万円の「現金給付」とかいった効果も定かではない(将来返すものを「10万円も貰った!」と思わせるが如き)一時的な”人気取り”政策ではなく、需要減少の主要な原因である「消費税」を減税したり、その廃止が検討されるべきだろう。その上で、実質賃金の減少、労働環境の悪化、格差拡大、貧困率の上昇、福祉後退、社会の分断、将来不安の増大など、アホノミクス下で生まれた経済社会のあり方自体を根本的に変えていく必要があるといえるだろう。人間の生存すら危ぶまれる「危機」の中で、私たちにとって何が必要なのか。じっくり考えるべきだ。

 それにしても、アベやアソウをこのままにしておいては、日本の未来はない!

誰のための医療、誰のための政治なのか?

モラルが崩壊している輩に権力を握らせている限り
 日本「社会」は確実に壊されていく。政治も経済も身体も心も・・・


   ※コロナショックによる経済危機に対する対策について書こうと思っていたが、このところ毎回見ている『報道1930』(BS/TBS)での倉持仁医師の話を聞いて、話を変えることにした。

   アベ政権の「専門家会議」のあまり「明晰」とは思えない大学教授と佐川元理財局長に似た小賢しい加藤厚労相のピントの外れた、あるいは、論点ズラしの話を聞いた後、倉持医師の臨床医としての切迫した話を聞いていると、ここでも、わが国の医療体制がどちらの方向に向かっているのかという点で強い危機感を持ってしまった。検査体制についてもそうだし、医療現場でのマスクや防護服などの資材不足、そして、アベ政権下での医療体制の縮小・弱体化など、地域で生きる私たちの感覚に非常に近いと思った。大体、あの時点で、熱があっても4日間病院に行くなとは何だったんだ。また、「あの人は発熱後すぐ検査が受けられたんだ」とか、「海軍さんにはあるらしい」けれど一般ピープルには感染防止のためのマスクも消毒液も手に入らないのか、とか。「医療崩壊」と言っても、アソウは入院できても、我々夫婦はずっと待たされることになるんだろうな、とか。そして、そもそも、「海に守られているはずの日本」での検疫体制と隔離体制はどうだったのか、とか。要するに、介護の体制もそうだし育児・保育・学校教育もそうなのだが、現在、「何とか持ちこたえている」とすれば日本の一般ピープルのおかげなのであって、システムそれ自体は「安全・安心」とは程遠い方向に向かっているということなのだ。実際、医師もそうだし、そうした社会を支える仕事に従事している人たちの健康と生活が大切にされているとは到底思えないではないか。それはなぜで、誰が利益を得ているのだ?!

   ところで、18日、森友学園への国有地売却の決済文書改ざんを強要されて自殺に追い込まれた赤木俊夫さんの妻が佐川宣寿元(財務省理財局長→)国税庁長官と国を大阪地裁に提訴した。そして、同時に、赤木さんの手記や遺書も公表されたが、それを読んで私もやりきれない気持ちになった。奥さんは提訴の理由を「死を選ぶ原因となった改ざんは誰が何のためにやったのか。土地の売り払いはどう行われたのか、真実を知りたい」と述べたそうだ。これについて『報道1930』を見たら、堤伸輔が赤城さんの労災を認める文書が黒で塗りつぶされているのを見せてくれた。その黒塗りの部分にこそ国民に知られたくない事実が書いてあり、アベは何としてもそれを隠蔽しようとしたのだろう。先ほども日刊ゲンダイDIGITALやLITERAの記事を見たが、再度、人を死に追いやる鉄面皮のアベ、出世のためには醜態を晒しても恥じない政治家や「葉隠」官僚、そして、佐川たちを不起訴処分にした「定年延長」の黒川など、一事が万事、こうした輩が権力の座についている限り、社会的な「正義」が行われることはないだろう。赤木さんは、本当に辛かっただろうと思う。

   また、16日には、相模原事件の植松聖被告に死刑判決が出ている。ただ、被害者の家族をはじめ多くの人々が指摘しているように、植松被告がなぜこうした差別思想を持つに至ったのかの追求が十分なされたとは到底言えない。つまり、障害者や高齢者など社会的弱者を差別し排除しようとする今の日本社会に蔓つつある傾向、とりわけ、植松被告の政治家への手紙が示唆しているような、「(高齢者は)いつまで生きてるつもり」の麻生や「(子供が産めないのは)生産性がない」の水田などを典型とするアベ支持勢力の思想や政策との関連が問われていないのだ。この問題を植松個人の特異な問題として終わらせてしまうことは決して犠牲者の思いに正しく応えることにはならないだろう。この問題も同根だと言えるのだ。

   大言壮語と隠蔽・捏造!アベをこのままにしている限り、日本の事態は一層悪化するばかりだろう。経済対策でもそうだ。彼らは国民の労働力と税金を食い物にして肥え太ることしか考えていないのだ。もう寝る(怒り)。

  

強欲で無能な権力主義者に〈制限のない権力〉を持たせてはいけない!―――アベの「緊急事態宣言」に思う

”独裁者”気取りのアベの”危機管理能力”を信用できるのか?!
   ――アベが国民の生活と命を守ってきたとでもいうのか!


   ※私のメモによれば、昨年の12月8日には中国で新型肺炎患者が発見され、その後、発生源や感染経路などについて様々な情報が伝えられ、そして、1月1日には武漢の市場が閉鎖されるに至っている。要するに、一般ピープルでも、新聞などを見ていれば、今回のパンデミックの可能性を十分予測できたということだ。一体政府は何をやっていたのだ。ついでに言い添えておくと、使いまわしてもいるが、我が家にかろうじてマスクが残っているのは、10月の消費税増税直前にどうせ花粉症で必要になるのだからとある程度買っておいたからなのだ。消費増税が我が家を救った?いやはや、とんだブラックジョークだ。

   さて、今回の「特措法」に含まれる「緊急事態宣言」について、アベは「今はその時期ではない」などと言っているが、あの男がこの惨事に便乗してそれを使わないとは考えられない。まして、G7でオリンピックの『延期』が一定合意されたとすれば、今後に予想されるIOCの「延期」決定後には、自らオリンピックを不可能とするような「緊急事態宣言」も気兼ねなく出せるということになる。僕ちゃんもマクロンのように・・・アベが考えそうなことではないか。もちろん、「緊急事態宣言」とはいっても世界各国それぞれ内容が異なる。ただ、アベのそれの場合、そもそも、「緊急事態」発令によって発生する私権制限の合理性そのもの、そして、伊吹文明や宮下長一郎がポロっと漏らしたような、「指定公共機関」を通した一層露骨な「情報統制」こそが危惧されるのだ。

   遅きに失した「水際対策」、ダイヤモンド・プリンセスへの対応、場当たり的な「自粛」要請、そして、全国一斉臨時休校。思い浮かべただけでも、笑うに笑えない虚しさがこみ上げてくる。しかし、最近テレビを見ていると、アベの提灯持ちたちはこの間のアベの「政治的決断」wの正当性を声高に主張し始めている。その象徴的事例がアベの「検査」体制に対する擁護だ。「医療崩壊」の防止を始めとして色々な理由をつけているが、大体、他国でできて日本でできない理由はなんだというのだ。いうまでもなく、日本で検査件数が伸びない理由は、「相談センター」での選別他、検査が受けづらい仕組みになっているからに決まっているではないか。馬鹿馬鹿しい!もちろん、「医療崩壊」を防ぐ方法は、リスクを伴う「入り口を狭める」他にも可能だし、そもそも、重症患者や人工呼吸器を必要とする人々が許容量を超えて増加するのを防ぐことこそが肝要なはずだ。そのためには、検査体制を強化し、無自覚や軽症の人たちによる感染拡大や検査が受けられないことによって起こる重症化のリスクを最小限にすることが大切に決まっているのだ。しかるに、アベ友一派は、検査体制の充実を主張する人々に対する個人攻撃や大手マスコミからの排除すら始めているようだ。大谷さんや上さんの姿は最近ほとんど見ない。こうした中での、「緊急事態宣言」なのだ。要するに、アベたちの目的は、アベ友たちを利する政策の”独裁”的実行を可能とする権限を手に入れること、そして、自分たちへの批判を”法”的に封じる手段を手に入れることなのだ。

   今回の「特措法」 改正に対して、共産党とれいわ新撰組そして山尾志桜里衆院議員や嘉田由紀子参院議員らは反対した。ウム!見込んだ通りだ!その理由はこの法案が持つ、まさしく、アベ・アソウら 「ナチスに学べ」政権の”非立憲的ーファッショ的”性格にあるのだ。そして、それは、いうまでもなく、自民党憲法改正草案における「緊急事態条項」 と関連する。「緊急事態条項」 については、2016年のブログ「『緊急事態』条項について思う――アベ政治の正体」で触れたが、その点を再度見ておきたい。

   自民党の「憲法改正草案」第9章第98〜99条の〈緊急事態〉条項の概要は、「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害」などに際して、内閣総理大臣は「緊急事態」を宣言することができ、緊急事態の宣言が発せられたときには、「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができ」、また、「何人も、法律の定めるところにより、(当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる)国その他公の機関の指示に従わなければならない」というものだ。こうした内容は、「国民主権」と「基本的人権」を〈国家権力の恣意的行使〉から守る「立憲主義」の観点から極めて慎重に論じられなければならないものだ。とりわけ、アベ政権の場合は、戦前の「大日本帝國憲法」下における天皇の非常大権や戒厳令、そして、国家総動員法などとの関連が問題とならざるを得ない。この条項について、福島瑞穂は、「内閣が法律と同じ効力を持つ政令を出せるようになるなら、ナチスドイツの国家授権法と全く一緒だ。これは許すわけにいかない」と批判し、また、岡田克也も「緊急事態になれば、法律がなくても首相が政令で法律を履行でき、権利を制限できる。恐ろしい話だ。ナチスが権力を取る過程とはそういうことだ」と述べている。また、枝野幸男も、かって戦争法案の強行採決に関連し、「ナチスの場合は民主的な手法で権力を掌握した後、立憲主義を破壊する全権委任法を成立させて暴走、独裁を始めた」として、安倍政権の〈手法〉を批判していた。まして、アベ政権には初めからナチスの影がつきまとっている。そもそも、アベがその後継者たらんとしている祖父・岸信介は、満州国の植民地経営から日中戦争後の〈国家総動員体制〉を担った「革新官僚」であって、彼らはナチス・ドイツの「全体主義」や「国家主義」から強い影響を強く受けていたと言って良い。実際、彼らは、1936年の日独防共協定から1940年の日独伊三国同盟によって名実ともにナチスと〈お友達〉になり、奈落の「支那事変」そして「大東亜戦争」へと国民を引きずり込んだのだ。そして、その時纏ったイデオロギーの名残りがいわゆる「靖国史観」であり、「歴史修正主義」であり、こうしたイデオロギーと深い親和性を持つアベ政権の「緊急事態条項」への執着は、〈ナチス〉や「天皇制ファシズム」と根を同じくすると考えられるのだ。

   大体、これまで内政・外交ともにまともな成果も上げられず、それどころか国の基盤を掘り崩してきたアベの「政治的決断」(閣議決定ー政令)が、国会の審議や決議も通さずに強制力を持つ「法」となり、正当化され、それに対する批判が力で封じることが出来るようになるなど、想像することさえ悍ましいではないか。たとえば、目前の新コロナウィルス対策がアベの「緊急事態宣言」下で出されたと想像してみるがいい。それは、馬鹿馬鹿しいだけではなく、多くの批判を封じ込めた中、国民に多大な犠牲を強いる結果になるだろうということだ。それにしても、アベような無能で強欲な政治的指導者をその地位に座らせたままにしてきた日本の民衆は、本当に、不幸せである思わざるを得ない。ボーッと生きていてはいけない!

  アベが新コロナ対策で国民一人一人に「現金給付」だそうだ。このバラマキはうれしい?アベは根っから腐っている。次回は、経済対策についての感想を述べてみたい。

パンデミックとオリンピック

危機の中では「真実」も姿を現わす!
    ―――落ち着いて、事態に対処しよう!!


   ※昨日、私が「こうなったのも全部アベのせいだ」などと戯言を言ったら、「奥さん」が「元日に、お父さんは今年はオリンピックがなくなるなど大変な年になると言っていたけれど、本当になりそうだね」と返した。ウム、確かに元日の朝、乾杯してお雑煮を食べる前に、そんなことを言ったようだ。ドラマの筋を予想することは得意だったが、まさか本当になる?

   11日、WHOのテドロス事務局長が新型コロナウィルスの流行を「パンデミック」と宣した。これを受けて、マスコミはオリンピックの中止・延期について本格的に議論を始めている。とりわけ、トランプが12日に「1年延期して開催も」と述べたことで、一挙にその現実味が増している。しかし、客観的に見ても、これから7月に向けての世界的流行を考えれば、たとえ中国・日本・韓国・イタリアなどが収束に向かったとしても、”参加”が現実的でない国々が有る限り、オリンピック開催は難しいばかりではなく好ましくもないと言って良いのではないだろうか。開催地が東京であろうがどこであろうが、「平和の祭典」実現のためには、このパンデミックの1日も早い収束に向けての国際的、人類的視野に立った”協力”が優先されるべきだろう。また、そうすることによってこそ、国家主義や商業主義や競争原理主義に毒されつつある現在のオリンピックを本来の姿に蘇らせることにも繋がるのではないか。人々がスポーツに取り組む動機は様々だろう。例えば、健康のためであったり、遊びであったり、いわゆる「ハングリー精神」であったり、また、劣等感からの解放であったりするかもしれない。ただ、そのスポーツに取り組む中で発揮される限界を越えようとする「職人」的求道精神やそれを通して感じられる喜びや楽しみこそが私たちを引き付けるものなのだと思われる。そして、「凡人」には想像もつかないような高度なパフォーマンスを見せるアスリートたちの姿に、私たちは、自分自身の目標を見出したり、感動したり、尊敬の念を抱いたりするわけだ。しかし、そうしたスポーツやアスリートたちを私的に利用しようとする権力保持者も確実にいるわけだ。もちろん、歴史的にしばしば見られたように、両者には相補的な関係性もあったろう。しかし、人々を本当に感動させることができるのは、やはり、純粋な「スポーツマンシップ」そのものなのだと思う。そして、各国政府の政治的思惑とは別に、この視点からこそオリンピックの開催が判断されるべきなのだと思う。パンデミックが世界的に収束しない限り、オリンピックは中止ないし延期すべきだ。

   さて、私が新型コロナウィルスに対する本格的な「自粛」生活に入ってから1ヶ月が経つ。そうした中、「テレビっ子」になりながら日本と世界の様子を見てきたが、昨日見たアベの記者会見など、愚かな「やってる感」ショウ以外の何物でもないと感じる。彼が言ったことは、結局、これまでの対応は全て適正だったということでしかない。しかし、素人の私でも、それぞれの時期や範囲や効果などについて、いくらでも疑問点や問題点を指摘できるのだ。例えば、「行事の自粛」や「全国一斉臨時休校」などは、実態においても、効果においても、全くアベが格好をつけたかっただけのことであり、そのために、人々の生活を必要以上に乱し、さらに、それによって発生した付けを国民に転化する代物に過ぎなかったと言えるだろう。1月の段階で、ある解説者が新型コロナウィルスはインフルエンザのようになっていき、課題は重症化する人々への対策だと言っていたのを記憶している。そして、最近の論調はほぼこの線で進んでいると言って良いだろう。ただ、このところ声高に主張されるようになったPCR検査の規制ー制限は「医療崩壊」を防ぐためだとされる主張については、市井の一般ピープルの立場から、そう簡単には受け入れることはできないと感じる。つまり、それは、軽症の感染者を放置して重症化する危険性のある高齢者などへの感染を防ぐことを難しくし、また、肺炎を始め、かなりの症状を呈し、治療や隔離を必要としている人々へのリスクを高めているからだ。専門家は国内での感染者数が発表を大きく上回るだろうと言い、また、、感染確認が遅れることによって対処が遅れたと思われる事例や、原因を明らかにしたくない遺族もいて、通常の肺炎が死因とされる人々の中にも新型の例もあるのではないかとさえ考えられるのだ。検査をしていないのだから。そして、こうしたアベ政権と現在の専門家会議による対応は、積極的にPCR検査を行なっている諸外国と比べても「特異」なものと言って良い。私には、和歌山県の対応こそ、本道のように思われてならない。そして、アベ政権のそれが一人一人を大切にしないファッショ的な統治思想や歪な専門家気質から出ているとすれば決して許容できるものではないと感じる。そして、私たちがそうした信用のおけないシステムの中で生きていかねければならないとすれば、私たち自身は、「人民的な公共性」と「国際的な協力」を意識しながら、日々対処しなければならないということだ。すなわち、歴史的に繰り返されてきたようなパニックに陥らず、(正当な批判はもちろん別として)差別的・排外主義的ヘイトに惑わされず、落ち着いて「自粛」に努めるということだ。とりわけ、私は重症化する可能性のある一人だ。まずは、無用なリスクを避ける必要があると考えている。

   次は、緊急事態宣言と経済対策について考えて見たい。

9年目の3・11に思う―――震災と新コロナウィルス

 失われた「命」と「自然」と「生活」を思うと心が重い

   東日本大震災の被害を思い、復興がなかなか進まない現状を見ると心が重い。また、新型コロナウィルスに対する対応についてのマスコミの報道を見ながら、亡くなった方々の無念を思うと心が痛い。そして、こうした中で見え隠れする、アベ政権が繰り出す「対応」の〈歪み〉には怒りの念が湧いてくる。私たちは、惨事に便乗したアベ友による権威主義的な支配体制の罠に陥ってはならない。

   朝から東日本大震災関連の報道が続いている。私も、9年前の当時のことを思い出した。仙台の兄との連絡が取れなかった。私が1年間住んだことのある場所も津波に襲われている。妻の故郷も福島第一原発の事故の影響を受けた。多くの死者・行方不明者、進まない復興、失われた「命」と「自然」と「生活」のことが重くのしかかる。「第一次政権時代“津波で冷却機能喪失”を指摘されながら対策を拒否」していたアベ、「アンダー・コントロール」のオリンピックでマリオになったアベ、そして、去年巨大台風の被害を受けた千葉県鋸南町のビニールシートに覆われた屋根の現状を放置するアベ、アベが何をやってきたのか国民はわかっているのか。今日、陸前高田出身の佐々木朗希君のコメントを聞いた。父と祖母を津波に奪われ、名門私立の誘いを断って県立高校に入学し、甲子園のための「特攻」を選択しなかった佐々木君。彼の浮かれることのない眼差しの意味がわかるような気がする。

   今日、衆院内閣委員会では、「緊急事態宣言」を含む「新型インフルエンザ等対策特別措置法」改正案が賛成多数で可決された。元々この法案は民主党政権下で成立したのだが、本人の弁によれば舛添元厚労相が立案したものであり、「歯止めのない首相への権力の集中や報道の自由の制限をもたらす可能性」があるものなのだ。そして、今回の改正案の提出は、新型コロナの惨事に便乗して、憲法への「緊急事態条項」の導入の予行演習を目論んだものといって良いだろう。担当した西村経済再生相は、国会中継に出始めた頃、答弁が終わるごとにアベの顔を窺うといった人物だったが、その彼が「緊急事態宣言はまさに『伝家の宝刀』。使わずに済むよう収束に向けて取り組んでいきたい。」などと一見そつなく答えているが、オリンピックの延期ないし中止が決定される以前に「緊急事態宣言」が出されることなどあり得ず、その意図は、アベの改憲レガシー作りの準備のためだといって間違いあるまい。それこそ、コロナ対策の一番重要な時期であるにもかかわらずだ。

   図書館も体育館も休館している。私の支援活動も中止になった。今日、マスクを買いに行ったら「朝、並んだお客さんだけには・・・」と言われた。マスコミは、予想通り、反中(嫌韓)ムードの醸成に走り出している。日本は悪くなかったと言い募ってきた輩が何を言っているのだ。それにしても、御用コメンテーターは、マスクについても、感染者や国民の立場ではなく、アベの擁護のためだけに言葉を左右にする。面白いくらいだ。一方私は相変わらずワールドニュースを見ている。各国の現状と対応は非常に興味深い。どちらにしても、独自にPCR検査を行った和歌山県の事例を見ても、史上最低・最悪のアベ友政権など頼りにならないのだ。世界同時株安。この状況の中で激しい売り買いを繰り返している投資家の目には何が見えているのだろう。こうした中で、私たちの税金や年金基金はどうなっているのか。これで大きな損失を出すようだったら、だだでは済まない。でも、もう寝よう!免疫力をつけておかなければ。

アベの”無策”と”思いつき”と思い上がり”の尻拭いか!緊急事態宣言の前に、マスクぐらいなんとかしろ!

マスクもトイレットペーパーもカップ麺も
  日本の民衆は、アベ統治下の日本を信じられない

 
   昨日、マスクを探しながら帰ってきた「1st兄貴」が、「カップ麺もなくなってきた」と言っていた。テレビでは、「デマ情報」への注意を呼びかけているが、目の前から次々と必需品が消えていく状況を見て、人々が「自衛」に走っているのだろう。実際、私たち花粉症患者が必要とするマスクはもう1ヶ月以上も手に入らない。私など、1つのマスクをアルコール綿で消毒し、ポケットティッシュを挟みながらながら10日も使っている。「奥さん」によれば、入荷するかどうかもわからない少数のマスクを求めて多くの人々が開店前から列を作っているという。感染防止のために必要なマスクやアルコールすらなんとかできないアベが、人々には命令したくてたまらないらしい。そして、その意図は、緊急事態を理由に、自分への批判を封じ込めたいということなのだろう。「モリ・カケ」、「桜」そして「河井案里への1億5千万円と秘書の派遣」などを抱えながら、検察人事にまで介入して刑事罰から逃れようとしているアベが、この間、お友達との飲食を盛大に繰り返していたアベが、何をほざいているのだ。

   昨日は、参院予算委での小池晃の質問も見た。一昨日の蓮舫からの質問に、記者会見での「逃亡」を「打ち合わせがあったので」と咄嗟にウソをカマしていたアベだったが、この日の言い逃れも相変わらずのものだった。ただ、恥ずかしながら私も、アベの話を聞いて、保険適用後にはすぐ検査体制が拡充されると思っていたのだ。今日の回覧板でも、まずは「県民サポートセンター」から始まって云々、ということだった。どちらにしても、韓国とはえらい違いだろう。元大蔵官僚のカトウ厚労相の小賢しさにも失笑せざるを得なかったが、どちらにしても、アベ友政権の発想が普通の国民の命と健康と生活を起点としたものではないことは明らかなように思われた。国際的な情報を参考にしながら、日本のアベ友政権と似非官僚の動きを見定める必要がある。

   アメリカで「非常事態宣言」が出され、死者も11名出たと報道されている。習近平の訪日延期のニュース速報が出た。「加計学園獣医学部が入試で韓国人受験生を全員0点にする国籍差別!」とLITERAが報じている。いやはや、2020年は大変な年になりそうだ。ただ、そこで一番大変なのは、人々の間での信頼感の崩壊(孤立化・分断)だ。これには色々な理由が考えられるが、「アベ友」政治経済がそれに大きく関わっているのは明らかだと私には思われる。そして、アベの言動を、今、どれほど多くの人々が信じているだろうか。新型コロナで亡くなられた方々、新型コロナに感染した方々、マスクやトイレットペーパーが無くなった方々、そして、これから先そうなるだろう方々のことを考えた視点こそが、「公共」の視点として共有されなければなるまい。アベの「レジェンド」のために世の中が歪められてはならない。

   この時点で、テレビは、東証で株価が上がったと報じている。事態とは無縁な、全く馬鹿馬鹿しい動きではないか。

令和の「竹槍訓練」か「バケツリレー」か

愚かな虚言癖に「総動員」され、こうして日本は沈んでいく!
 ―――Jアラートの次は「全国一斉臨時休校」で「カミカゼー」


   ※どこかのニュースで自民党議員が新型コロナウィルスはアベにとって「神風(神風邪)」になるとかならんとか言ったという記事を読んだが、「桜」や「検事長定年延長」問題で窮地に立たされたアベが、いつものように金正恩の「北風」が吹いてくれないので、Jアラート代りに、新型コロナで「全国一斉臨時休校」という法螺貝を吹いたということも十分考えられるのだ。予定された仕事もあるので今日から「正しい生活」をとも考えていたが、愚かな虚言癖が発する矛盾だらけの「国家総動員」・「挙国一致体制」につまるところは黙々と従うよう国民に促すマスコミの論調を見て―――本当に「ものは言いよう」 だ―――、一言言わなければなるまい。
   とか書いていると、なんと、期待に応えて(?)、金正恩が「飛翔体」を発射したそうだ。タイミングが良すぎるんだよな。

   昼飯を食べ、買い物を済ませ、テレビをつけたら、国会中継をやっていた。蓮舫の質問だった。本当にひでえ!国民は国会中継を見ないといけない。アベをはじめとするこんな政治家とこんな官僚たちによって日本は統治されているのだ。この国はもう壊れているとしか言いようがあるまい。私は「腰砕け」した民主党政権に批判的だったが、民主党政権の方がアベ自公政権よりも遥かにマシだったと思う。笑えないけれど。

   「ワールドニュース アメリカ(ABC,thisweek)」では、サンダースのインタビューをやっていた。話を聞いて、日本にもサンダースのような草の根の「連合」が必要だと思った。明確な理念・政策と「覚悟」だ。

   さて、今回の新型コロナウィルス肺炎に対して、私は、アベ自公政権の杜撰な対応を見ながら、こんな中で感染しては合わないと 「自粛」に走った。もう一度確認すると、外国人旅行者ではあるが、国内で感染者が確認されたのは1月中旬であり、そして、「春節」を挟んで、新聞でも、もう「水際対策」では無理だと報じられていたのだ。こうした中、アベ自公政権は、その後、何をしていたと言うのだ。そして、今回の突然の「全国一斉臨時休校」なのだ。

   この”全国一斉”休校には、すでに様々な面から矛盾が指摘されているけれど、私が今回の事態で感じたのは、こりゃなんだ?独裁者気取りのアベの「国民総動員」、「緊急事態」、「挙国一致体制」のマネ事かということであり、また、こんなアホな「要請」にそれなりの国民が疑問を感じつつも従っていることへの驚きだった。今回のアベの「要請」が科学的見地から説得力を持たないことは、専門家会議の意見を聞いていないことからも明らかだし、また、学童や幼稚園の例のようにあまりにも矛盾に満ちたものであることからも明らかだ。感染防止という点からすれば、かなり焦点のズレたいい加減なものだと言えるだろう。子供にうつす可能性の大きな大人への対策や高齢者への対策、そして、隠れている感染者の発見のための検査体制の充実や重症化した感染者への医療体制の充実、こうしたことの方が優先順位は遥かに高いはずだ。要するに、アベは一番動かしやすい「学校」に目をつけて、「やってる感」を演出しようとしただけなのだ。実際、学校の先生たちは本当に従順だ。

   私はインフルエンザや肺炎の予防注射は積極的に受ける方だ。しかし、今回のあまりにも唐突で場当たり的な「全国一斉臨時休校」は、通常の防災訓練よりも遥かに効果の薄い、言うなれば、戦中の「竹槍訓練」や「バケツリレー」ようなものだとすら感じられるのだ。今後、2週間そして1ヶ月後に感染者の数はどうなっているのか?もちろん、学校内のクラスが新たなクラスターとなることは防げるだろう。しかし、それよりも、働く大人たちを通して家庭の中に侵入し、潜伏し、拡大するウィルスを防ぐことの方が先だろう。そして、もし感染者数が減少しなかったとすれば、無策だったアベの単なる”思いつき”あるいは”権力者気取り”のために、子供たちと親そして多くの国民たちに無用な犠牲を強いたことになるのだ。戦前の戦争指導者たちが国民に強いた犠牲にも通じる、どん詰まりの「アベ政治」の身震いするような醜さと思わざるを得ない。

”保身”が欲しいん?!――森法相不信任否決と全国一斉臨時休校

記者会見、浅知恵の「やってる感」男の正体が見える
 ―――もう、日本は壊れている。作り直すしかない!


   ※閏の2月も終わった。世界はパンデミック寸前で、そして、バブルと格差の金融資本主義の”ご乱調”(「新型コロナ・ショック」?)も目前だ。でも、こんな時にこそはと思い、私は古典を読んだり、音楽を聴いたりしている。その一方、日本社会の現実に目を向けると、つくづく虚しさが募る。こんな茶番劇が罷り通っていいのか!

   音楽で特に良かったのは、2月24日のBSプレミアムシアターの「ベルナルト・ハイティンク わが音楽人生」と「ハイティンク指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会」そして「エリム・チャン指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団演奏会」だった。ハイティンクのドキュメンタリーは彼の人柄や音楽への真摯な姿勢を際立たせるもので、あんな90歳だったらなってもいいなあと思わせるものだった。また、彼のザルツブルク音楽祭2019での曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番ト長調(ピアノ:エマニュエル・アックス、70歳)とブルックナーの交響曲第7番ホ長調だったが、どちらも心に染み入る味わい深い演奏だった。また、衝撃的だったのはチャン=ロイヤル・コンセルトヘボウの演奏(9月13日、アムステルダム・コンセルトヘボウ)で、とりわけ、ソリストにシモーネ・ラムスマを迎えたチャイコフスキーのバイオリン協奏曲ニ長調は、1楽章終了後に大きな拍手が巻き起こるほどのもので、私も涙が出そうな幸福感と美しさに圧倒された。枯淡のアックスとハイティンク、そして、若いラムスマとチャン。クラシック音楽は確実に継承されていくと感じた。

   それに対して、アベの「記者会見」は、やっと暗記した口先だけの「やります、やってます」を例の虚言癖特有の演技力で”ウソっぽく”吐き出した後、(仕組まれたような)どうということもない質問に答え終えて安堵感を見せたものの、予定外の質問が出されると真摯に向き合うどころかそそくさと逃げ出すといった途轍もなく恥ずかしい代物だった。それは、負担を押し付けられる国民の肌感覚とは程遠く、また、国民の命と生活を守る上での具体性に著しく欠ける代物だった。まあ、消えた年金問題の「最後の一人まで」から延々と続く口先だけの「やります、やってます」男の今後を、国民は注視することだ。

   あと、今回どうしても言って置きたいことは、「検事長定年延長」問題での森法相や官僚たちの「虚言・捏造」だ。極め付きは、「決裁」問題に関わる捏造を疑われる文書のプロパティを見せろと言われて、それを拒否したことだ。これまでの「黒塗り」=「のり弁」文書もそうだが、国民に対するこんな見え透いた証拠隠しや言い逃れを許していては、「正義」も「公平」もあったものではあるまい。限りなく「黒」と言うしかない。自民・公明は野党の不信任案を否決したが、自公が自らできないというのなら、国民が一時も早く政権交代を実現して、「真実」を暴き出さなければならない。こんなことが罷り通っていては、国民の「政治」に対する信頼はもちろんのこと、世界の良識ある人々からの信用も得られるはずがない。その失墜の代償は限りなく大きいと言わなければならないのだ。野党の誰かが言っていたが、本当に、「恥を知れ!」だ。
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2019年11月現在満13歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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