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コロナ禍に紛れてまた「甘い汁」を吸おうというのか――マスク・アルコール・給付金・スーパーシティ

タケナカ!やっぱり、お前たちが儲けるのだな!
 ネオ・リベによって吸い尽くされ、破壊される日本経済の未来は?


   ※今日は、朝5時に起きてしまった。サロさんは寝ていたので、読書をすることにした。バルファキスの『黒い匣(はこ)』の付録を読んだ。明日からは、ハラリの『ホモ・デウス』だ。農作業の方は、最初にタネを蒔いた小松菜と二十日大根を食べ終えた。家族の反応は上々だった。

   昨夜は『NEWS23』を見たが、コロナにしても、 クロカワ問題にしても、アベに対する我慢は限界を超えていると感じた。ただ、政府の専門家会議の中には立派な人もいるようで、今回話をしていた杏林大の山口芳裕教授の話など、非常に説得力のあるものだった。政府が専門会議の議事録を残さないのは、こうした意見を隠蔽し、自己正当化を図るためなのだろう。クロカワ問題では、国会中継での官僚は、「詳細については、答弁は差し控えさせていただきます」ばかりだ。アベも、図々しく、「再調査はしない」と相変わらず言い張っている。国民が知りたいことを隠すばかりなのだが、アベの責任が明らかになるのを防ぐにはもうそれしかないのだろう。根っから腐ってやがる。

   また、この数日間、新聞やTVやNETを見て思うのは、アベ友政権は、国民が苦しむこのコロナ禍に紛れてさえ、身内に「甘い汁」を吸わせていると言うことだ。巷には不安が溢れているが、少なくともこの4ヶ月間、アベにやってもらって良かったことなど1つもありはしない。その一方で、アベは、国民の税金を、あるいは、勝手に借金をしながら、アベ友にセッセと金を流し込んでいるのだ。アベノマスクはまだ来ないがw、あのわけもわからない不良品で儲けさせてもらった怪しげな業者はなんなのだ。また、医療現場でのアルコール不足は2月から深刻だったが、国から「優先供給」されたと言う高額(!)な純度の低い(!)アルコールとは、一体、なんなんだ。マスクもアルコールも防疫には必要不可欠のものだ。それを弱みに付け込んで高値で売りつけるのを国がプロジェクト化するのか。誰を儲けさせているのだ。また、「持続化給付金」の給付作業を国から業務委託されている法人は電通とパソナの”トンネル法人”で、 1件あたり4〜5万円の手数料を受け取っているというではないか。一昨日も、ググって見たら、やはり役員はパソナと関係があるということだった。さらに、このどさくさに紛れて速攻採決されたのがスマートシティ法案だ。テレビでタケナカの顔が映っていたが、またまた、日本の監視社会化の推進で一儲けしようというのだろう。自分たちの金儲けのために日本社会の基盤を破壊し、日本経済を長期衰退の道に引きずり込んだ新自由主義と日本ズッコケ国家主義の罪は重い。

   アベが政権の座にある限り、不都合な真実は隠蔽され、その犠牲は一般ピープルに押し付けられるばかりだ。新型コロナの第2波、第3波、そして、巨大台風と巨大地震。別に買占めに走るつもりはないが、私は来たる日のために必要物資の備蓄に務める他ないと思っている。断末魔のトランプリスクももうすぐそこだ。サロさんのご飯も2ヶ月分は用意することにしよう。散歩に行ってくる。

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”訓告”は「(任命権者である)内閣が決定し、検事総長に伝えた」(モリ法相、5/22)が全てだ!

次はモリ法相がトカゲの尻尾か?!バカ殿に忖度するのはもうよせ!
  アベの国民への背信(隠蔽と責任転嫁)こそ百罰に値する

   
   昨日のモリ法務大臣の対応も「凄まじい」ものだった。江戸時代なら「諫言」もできない「尻拭い」侍とでも言いたいところだが、逆に、あの能面のような”表情”によって、真実を伝えようとしているのではないかとすら思わせた。アベのこれからの策謀は、国家公務員法の規定や防衛省の前例に照らしてみても明らかにおかしい”訓告”の責任を、法務省と検察、すなわち、モリ法相と稲田検事総長の2人に押し付けて辞任させ、国民からの批判をかわそうというぐらいのことだろう。ただ、この程度のやり口は、組織的な社会生活を送ったことのある大人にとってみれば見え透いたものでしかない。中立性を装うためのアベの審議会や諮問会議を持ち出すまでもなく、決定前に管理職が中間管理職と打ち合わせを行い、中間管理職に提案させるなど、トップダウンの政策決定を隠蔽ないし掩蔽する手口としては今や常識と言っても良い。とりわけ、今回の処置は、黒川を定年延長させたアベにとって「他人」任せにできることではない「首相案件」に他ならないのだ。以前、カケ学園問題で、前川氏はイズミ首相補佐官が「総理は自分の口からは言えないから、私が代わって言う」と言ったと証言しているが、今でも前川氏が言ったことが嘘だと思っている人はいまい。クロカワの「テンピン」問題は別として、刑事罰を免れるためにクロカワと結んだ関係をなかったことにしようと暗躍するアベこそ、まさしく、百罰に値するのだ。私は赤木さんの死を忘れない。

   ところで、昨日の「報道1930」で橋下の話を聞いた。なるほど、彼のような人物を「ポピュリスト」というのかもしれない。かってアベを維新で担ごうとしたハシモトがアベ擁護のために詭弁を弄するだろうことは予想していたが、ハシモトの話は想像以上に粗雑だった。なぜこんな時にハシモトなのかとも思ったが、確かに、もっと色々と喋らせる方が良い。「情報弱者」以外は、よくわかるだろう。彼が言いたかったのは、結局、選挙で多数を得た行政権力(内閣)が人事権を握って時の政府の方針と一致するように検察をコントロール(誰を捜査、起訴するか)する方がいい、ということだw。なぜなら、検察は国民にとって「悪いこと」をする、そして、それをチェックするする手段がない、というのだ。私も、歴史的にも、現在的にも、検察は行政権力の手足となって「悪いこと」をすると思う。ただ、権力分立が機能する民主主義国家にあっては、時の行政権力を捜査・立件することもあるわけだ。ところで、ハシモトがあげた「悪いこと」の具体的な例は、クロカワの賭博と財務省の改竄の2つだったと記憶している。そして、この「悪いこと」2つをチェックするには、ハシモトは、内閣による検察の人事権の掌握が必要というのだw。だが、この2つ例は、政府の人事介入によるクロカワを使った捜査・立件の妨害だったり、そのクロカワの賭博を政府が”訓告”にさせたことではないか。また、検察審議会他、市民ー国民によるチェックを無視し、内閣以外検察をチェックできないと言い張るハシモトは、今回のクロカワへの市民たちによる刑事告発の動きをどう評価し、どう対応するというのか。しかも、もともと賭けマージャンを違法とすることに反対らしいハシモトは、なんと、テンイチやテンイッテンゴ(?)が起訴に値するかどうかの方向性を決めるのは、立法や司法でもなく、民意を反映した政府なんだそうだ。なるほど、カジノ特区への対応も理解できる。
   さらに、笑わせるのは、人事権を掌握して検察をコントロールする時の内閣=行政権力のやり方が気に入らなければ、次の選挙で倒せばいいと言うのだ。しかし、権力の集中とその恣意的な乱用によって人民ー国民の人権が侵害されることを防ごうとする近代民主制国家の権力分立の原理は、選挙で多数を得たとかどうかとは別問題だろう。そんなことは、司法試験―――ハシモトらの話を聞いていると、それ自体どれほどのものかとも思うのだけれどw―――は受かっていなくても、自明のことだ。何年かに一回の選挙で、しかも、全面委任したわけでもなく、常にその乱用が想定される政治権力を恒常的にチェックする体制が権力分立だろう。さらに、そうした上で、国民がその三権をどう具体的にチェックしていくかが規定されているのだ。(「K防疫」を見習って人気をあげたとも言えそうな)吉村大阪府知事もハシモトと同じことを言っていたらしいが、結局、二人ともアベ自民の補完勢力と考えざるを得ないのだ。

   畑に行ってくる―――

クロカワの”訓告”もアベの指示だった!      ―――もう、アベも”辞職”ではすまされない!

 本当に腐ってやがる!
    「模範」的国民を食い物にする、世界に対する恥さらし!

   ※御用マスコミはアベの緊急事態宣言・全面解除の演説を垂れ流している。責任転嫁と我田引水そして空疎な大言壮語のアベの言葉など聞く耳持たぬわ!という心持ちだ。ただ、午前中、浦和まで行ってきたが、道路の交通量はかなりのものだった。経済活動再開への懸命な動きはもう始まっているのだろう。私自身は、昨夜、寝苦しくて目を覚まし、人生2度目の「不安神経症」的な状態に陥った。”肺炎”の症状は辛そうだ、という思いに取り憑かれたのだ。3〜4分ほどして、経済学の本を読み始めたら落ち着いたが、ひょっとするとこうゆうのが精神疾患なのかもしれないと思った。ストレスを溜めた患者さんは大変だろう。このコロナの日々、私のストレス発散の方法の一つは、『地図で尋ねる歴史の舞台ー日本ー』と『旅に出たくなる地図ー日本ー』(帝国書院)を読むことだった。移動を制限されたストレスを発散する(?)には最適の本だったかもしれない。近いうちに、バイクで加曽利貝塚に行ってみるつもりだ。

   それにしても、「アベ応援団」というのは、性格類型とお頭の構造が類似しているのだろう。顔つきまで似ていると感じてしまうw。FNNプライムオンラインの「安倍首相が検察庁法改正を断念した本当の理由<平井文夫のプライムカイセツ>」というのを見ると、その理由とは国家公務員の定年延長をしたくなかったからなのだそうだ。ということは、ツィートデモや野党の抵抗がなくても、法案の先送りや廃案をやったということなのか。この人は、例の30万から10万への転換をどう解説していたのだろう。また、又聞きではあるが、松本人志の陰謀論―――松本人志が「黒川検事長は新聞記者にハメられた」とネトウヨそっくりの陰謀論で政権擁護!「退職金は受け取ってほしい」とも(LITERA、5/25)―――も、相変わらずの恥ずかしさだ。これと比較すると、私の〈妄想〉の方が真実に近いだろうw。

   今朝の『東京新聞』の「黒川氏訓告 官邸が決定 賭けマージャン 法務省判断は懲戒」の記事を読んで、アベの汚さは忍耐の限度を超えていると感じた。アベのウソのについては、LITERAが詳細に文字起こしをしている―――安倍首相「黒川検事長の“訓告”は検事総長の判断」はやはり嘘だった! 法務省の“懲戒”判断を官邸が拒否したことを法務省関係者が告発」(LITERA、5/25)。アベのやっていることは、本当にお粗末な「あれは秘書が・・・」でしかないわけだが、それに忍従し、あるいは、それを許している「葉隠官僚」や「御用マスコミ」は目を覆うような有様だ。進化論を否定し聖書をそのまま信じているらしいキリスト教原理者にその支持基盤を置くトランプもアベに劣らずすごいが、アメリカが救われるのは、そんなアホなトランプに黙従することなく、自らを貫く多くの専門家や行政官、ジャーナリストが存在することだ。一方、モリは、今日も前言を翻してアベの尻拭いをしている。しかし、次にトカゲの尻尾切りに会うのは彼女である可能性が高いだろう。アベはどうしても稲田検事総長に代えて、クロカワあるいはそれに続く、アベの刑事訴追を妨げる「尻拭い検事(総)長」を必要としていたのだ。それにしても、そんな役割を押し付けられて耐えることができるとは、どのような精神構造、そして、合理化がなされているのだろう。任命権者のアベとそれに黙従する政治家と官僚。この両者に共通するのは「恥知らず」という言葉ぐらいしか、今の私には思いつかない。

クロカワとアベの関係・・・「3ジジ放談」を見て

トカゲの尻尾は再生できる!クロカワ切っちゃえ!―――
 こうして責任を他者に押し付け、逃げ切ろうとするアベであった!


   ※畑のキュウリの苗が1本ダメになってしまったので、これは必要・至急だと思って、午前中、ホームセンターで新しい苗を買ってきた。”普通”の、というよりも、久しぶりの賑わいだった。道路も立派に混んでいた。ここでの感染はないだろうと思ったが、「三密」(積集合)のところはやはり危ないだろうと感じた。ただ、図書館も、ネットでの予約や特設の受け渡し場所を作って対応してくれるようになり、すごく嬉しかった。来週からは、体育館も使えるようになるのでは。あとは、学校だ。オンライン授業も結構だが、人間の社会的関係の質はどうなってしまうのだろう。私の想像を超える問題だ。

   さて、今朝、サロさんとの散歩から帰ってきて、【佐高信×早野透+平野貞夫の3ジジ放談】清規と陋規 検察と政治(デモクラシータイムス、5/22)を見た。一昨日、クロカワとアベについての私の「妄想」を綴ってみたが、3ジジの話によれば、クロカワはスガを通してアベと繋がり、「共存関係」を形成したようだ。それにしても、この3ジジたちの話を聞いて、つくづく「政治」とは厄介な代物だと感じた。日常生活を送る一般ピープルが、こうした「政治の専門家」どもとどう付き合い、どうコントロールしていけばいいのか。民主政治(=民が主人公の政治)実現への道は決して平坦ではあり得ないとつくづく思う。

   ところで、報道によれば、アベは、検察庁法改正案だけではなく、国家公務員の定年延長法案も廃案にする方向のようだ。これまでの理屈は一体何だったのかと改めて唖然とするが、問題の根本たるクロカワの定年延長問題や新しい「カケ問題」によって引き起こされたクロカワの辞職に対する対応もまたまた常識を超える図々しさだった。まず、アベは、賭けマージャン問題の「発覚」以前からクロカワの定年延長について「法務省側が提案」とか「2人で会ったことはない」とかのフェイクをかまし、クロカワをトカゲの尻尾切りにする準備をしていたと考えられるのだが、案の定、賭けマージャンを理由とするクロカワの辞任後も、本当の責任は法務省にあるが、(形式的な)任命責任は私にあるなどと、あたかも天皇の国事行為の如きふざけた態度で、いつもの陳腐な謝罪だけで済まそうとしているのだ。さらに、その法務省の責任者であるモリも「進退伺を出した」などとふざけたことを言いながら、さらに、あれだけ横車を押して困らせた稲田検事総長に責任を押し付けようとしている。この手の「新種のキャラ」が日本の政治の中枢に生息するに至っているのだ。また、クロカワも、以前から一定の条件に基づく辞任を言い含められていたのかもしれないのだが、国民が「緊急事態」の下で”自粛”を要請されている時に検察のNo.2が”賭けマージャン”をしていたのだから、当然、退職金の”自主的返納”ぐらいすべきだろう。ただ、「森友」のサガワ(理財局長→国税局長)もそうだが、その前に、この間の事情を全部喋ってしまった方が人間として楽なのではないのか、如何だろうか?

   毎日新聞の世論調査で、内閣の支持率が27%に急落したそうだ。そりゃそうだろう!このところ、1日に一曲、五嶋みどりの演奏を聴いているのだが、あのテクニックを超えた表現力というか、あたかも音楽の「精」が歌っているようだとか、それにもかかわらず1人の人間としての「個性」がしっかり感じられるというか、要するに、サロさんもわかっているようだが、人間というのは本当に素晴らしい存在だと感じるのだ。その対局にあるのがアベの行状に他ならない。早く辞職することが、日本と彼自身のためでもあるだろう。私も早く日常に回帰したい。


 

アベノシッポの”脱法”精神を見事に体現      ―――クロカワも、結局、トカゲの尻尾だったのでは?

産経のリークを利用した、エグいアベの”生き残り策”かも
 ―――マージャン依存症の彼はこうしてアベのシッポになった、トカ


   ※今日から「正しい生活」と考えていたが、朝起きたら、クロカワの辞任確実とのニュースが流れていた。サロさんとの散歩を終えて、サロさんと私の違いは尻尾ぐらいかと考えると、妙な”妄想”が沸き起こってきた。ギャンブル依存症クロカワ、転落の軌跡だ。

   Kは、幼い頃より、どちらかというと我が儘で、利かん気の性格だった。ただ、大きくなるにつれて、周りの存在との対比において自分の限界を知り、法という権威を盾に自己を主張していこうと思い定めるに至った。しかし、彼にとって、その法とはあくまでも自己実現のための方便に過ぎず、法自体が目指す目的に対してはシニカルな態度をとっていた。そんな中、彼は自分の能力と幸運を実感させてくれるマージャンにのめり込んでいった。検察官という立場ではあったが、脳内に湧き出るドーパミンに勝つことは到底できなかった。そんな中で知り合ったのがAだった。Aは、高名な祖父と父を持つ三代目の政治家であったが、自らの父に「情がないから政治家には向かない」とか、出身大学の名誉教授から「二つのムチ」(無知・無恥)とか表せられる人物だった。そんなAは、違法行為を常態化させていた自らを含む「お友達」を刑事訴追から守るため、「権力から独立した検察」を支配下に置き、独裁体制の構築を夢見ていた。そんな中、Aが探り当てたのが、検事でありながら賭けマージャンでギャンブル依存症に陥っていたKだった。弱みを握られ、さらに、出世という「飴玉」までちらつかされたKは、もうAの要求を拒否することはできなかった。こうして、Kは、ゲンナマの授受すら見て見ぬ振りをするなど、次々と事件をもみ消していったのだった。

   しかし、一つの転機が訪れた。それは、Kの定年退職とAやAの秘書が直接絡んだ選挙違反事件とが重なったことだ。とりわけ、心配だったのは、これまでのAとKのやり口を座視できないと考え、三権分立を守り抜こうとする「抵抗勢力」が検察内部にまだ存在していたことだ。横車を押して検察No.2にまで押し上げたKが退職してしまえば、Lo事件やRe事件のようなことが再び起こリかねない。隣国の大統領の命運も決して他人事ではなくなるのだ。そこで、Aは、これまで安保法制なので味をしめてきた「閣議決定」を使ってKの定年を延長し、さらに、検察No.1に据えることでその不安を払拭しようとしたのだった。しかし、AとAを補佐する「葉隠官僚」の頭には、彼らが依拠しようとした一般法たる国家公務員法の規定に優越する、特別法たる検察庁法の規定とその原理的意味が明確に捉えられていなかった。国会審議の中でそのことを指摘され狼狽したAたちは、訴訟になればとても否定できそうにないその違法性を、COVID-19禍のどさくさに紛れて、目障りな検察庁法を改正することによって打ち消してしまおうと画策したのだ。ところが、誤算だったは、あからさまではあるものの誤魔化せるはずだった日本の国民に「丁寧な説明」が必要だったことだ。さらに脅威だったのは、現役の検事にその「公共の奉仕者」たる矜持を伝える、Lo世代のOBたちの動きだった。

   こうして、Aは選択に悩むことになる。支持率のさらなる低下の危険性をおかしても法案の採決を強行するのか、あるいは、時間を稼ぎ、煙幕をはって、延命をはかるのか。答えは後者、つまり、採決先送りだった。しかし、問題なのは、Aのこれまでの行状の生きた証拠であるKの存在だ。つまり、自分とKとの関係を無きものにしない限り、我が身の安全への「第1歩」さえ踏み出せない。そこで考えたのが、情報弱者に大きな影響力を持つAのコアな支持者であるS新聞社を使い、この問題とは全く無関係な理由によってKを辞任させてしまうことだ。それは、また、M法相の「福島から逃げた」というフェイクと同様に、検察を国民の「敵」に仕立てあげることによって、検察庁法改正案を「検察の民主的統制」のためだと印象付ける一助にもなるというわけだ。目の前に展開する、日本の「公共」の焼け野原を生み出したあの手法だ。こうして、結果として、強行採決のリスクを回避しつつ、最大のリスクであるKとAとの関係の消去が図られる。つまり、KはエグいAによってトカゲの尻尾として切り捨てられることになったのだ、トカ。

   関係者の中では周知の事実だったろうクロカワの賭けマージャンが、「アベ友」と目される産経新聞社の中から、このところ日本報道界の”宝”としか言いようのない『週間文春』にリークされ、強行採決撤回直後に報道されることになった。確かに、この事実だけでもアベ友政権に蔓延る「脱法精神」を証明するのには十分だし、それを産経新聞社内の義憤に駆られた人々による告発と考えるのも正しいかもしれない。ただ、私には、政権側がこうした一連の動きを察知していなかったとは到底考えられないのだ。そして、こうしたクロカワの個人的な「スキャンダル」だけでは、いうまでもなく、いつもの「任命責任」の謝罪だけで幕引きが図られる可能性も残されるわけだ。窮地に立つアベ!しかし、主権者たる国民は、問題の根本をしっかり見定め、アベの”権力犯罪”からの逃走を許してはならない。

「裸の総理大臣」―――アベ政治の本質が新型コロナ対応とクロカワ定年延長で可視化!

赤木さんを死に追いやったアベ友の”刑事訴追逃れ”を許してはならぬ!
  ―――人民-国民の”命と生活”が守れる政治の実現が必要だ!


   ※一昨日(18日)、「検察庁法改正案」の今国会での採決が断念された。国民各層の強い批判と支持率の低下、そして、与党内の”危機意識”がこの”強行採決”を阻止したのだろう。しかし、アベは、相変わらず国家公務員定年延長法案と”束ねて”、今秋の臨時国会での成立を図るつもりだ。それまでに、国民への「丁寧な説明」(=目くらましと嘘八百)と党内の「リベラル」勢力への攻撃と切り崩しが必死におこなわれることになるだろう。私としては、心静かに「新型コロナにかからない、うつさない」に専念したいところだが、我同胞の「幸せ」は日本における”本物”の民主主義と不可分だと思うが故に、アベノ独裁への監視と抵抗を続けなければならないと覚悟しているところだ。

   ところで、問題の核心は、クロカワの”閣議決定”による定年延長にあるのだ。その違法性は、特別法は一般法に優越するという法理を無視した、政府の恣意的な”解釈変更”によって行われたところにある。そして、今回の検察庁法改正法案は、その違法性を後付けで合法化しようとしたものに他ならない。アベ友政権はこの両者に関係はないと繰り返し強調しているが、この点にこそ彼らの最大の弱点もある。なぜなら、今回の検察庁法改正法案で、政府はその役職定年延長の必要性とそれを適用する基準を明確に説明できず、準備もできていなかったのだが、そのことこそは、クロカワの定年延長がいかに恣意的で、どす黒い意図に基づくものだったかを示しているわけだ。そこで、アベは、「黒川と2人で会ったことがない」とか「(黒川の人事案は)法務省がもってきた」とか”嘘八百”を並べたてているが(「手のひら返し安倍首相 “官邸の守護神”黒川弘務氏切り捨て」、日刊ゲンダイDIGITAL、05/18 )、それは、「ルイ14世」どころか、アホでエグい「悪代官」特有の浅知恵と言っても良い代物なのだ。そんな「悪代官」の尻拭いばかりさせられているご家来衆、そして、本物の「保守主義者」や「自由民主主義者」は、もういい加減本気でアベに見切りをつけなければならないのではないか、如何か?

   勿論! 今回立ち上がった”文字が読めるだけでなく、文意も理解できる”国民は、この手の詐術(「ご飯論法」や部下への「責任転嫁」など)にもう惑わされることはないだろう。とりわけ、赤木さんの残した「遺書」とその事件の経過を熟知している人々はそうだろう。また、新型コロナウイルスに対するアベ政権の危機管理能力の実態をまさしく”実感”した多くの国民は、その美辞麗句で飾られた「やります・やってます」をもう簡単に信じることはあるまい。アベは、もう、「裸」も同然と言える。そして、こうしたアベ政治の実態は、今回のコロナ危機だけではなく、身近に迫る巨大地震や巨大台風を想定した際にも、国民にとって極めて深刻なものと言わざるを得ない。私たちには、国民の”命と生活”を守ることのできる政治が必要なのだ。

   ところで、アベ政権は今後その支持率の低下を挽回するために、これまでの政策を転換せざるを得ないだろう。確かに、そのこと自体は悪いことではないが、しかし、それが、根本的な反省に基づかない単なる「アメ」の政策でしかないならば、それは国民にとって半端で抜け道だらけのものに終わるだろうし、また、その負担ないし犠牲を一部の人々に過剰に押し付けたり、国の内外に敵を作り上げ、差別・分断を図ることも危惧されるのだ。単純化して言えば、困難な状況を被害者の自己責任にしたり、指示したのに問題をうまく処理できなかったと実際の従事者や国民の責任にしたりするのだ。また、今回のコロナ危機では、事の成り行きから習近平や金正恩を使った”目くらまし”ができず、また、韓国についても、返って、様々な領域でのアベ政治の”遅れ”がはっきりしてしまったわけなのだが、今後は、国内での敵探しが本格化するかもしれない。社会的弱者や医療介護従事者そして検察官までが対象になる可能性もある。しかし、アホでエグい「総合的判断」こそが検証されねばならないのだ。

   最後に注意しなければならないのは、これまでのアベ政権のコロナ対応を中途半端に「評価」してしまうことだ。一部の知識人・専門家の中には、おそらく、実際に権限を有する政権をうまくおだてたり、くすぐったりすることによって、自分が良しとする政策の実現あるいは一歩前進を図ろうとする姿勢が見えなくもない。しかし、日本における死者や感染者数が少ないことをアベ政権の成果としたり、あるいは、よくやっているなどと評価することは間違いだと思う。そうした評価は、アベ政権の誤りとそのことによって引き起こされてきた様々な犠牲を追認し正当化することになってしまうとともに、現場で懸命に工夫を凝らしつつ、耐え、頑張ってきた人々の想いに応えることにはならないからだ。人は誤りを犯すし、完璧たり得ないものだ。しかし、犠牲者に寄り添うことによってこそ事態は改善しうるのであり、まして、アベ政権がよくやっていたなどとは決して言えるわけはないのだ。

(続)”総合的判断”だって?!           ―――検察官定年延長問題でモリ法相も言ってたな

 ドサクサに紛れて民主主義の根幹を破壊し、
   刑事訴追から逃れようとしているアベを許してはならない!
 アベの独裁を阻止しようとする人々、団結して行動してくれ!


   ※最近、毎回の食事が本当に美味しく感じられる。朝食時には、「姉貴」が入れてくれるコーヒーで一句ということもある。先日は、YouTubeで、当時はとても行けなかったコンサートのライヴ録音を聞いた。ムローバ、アバド=BPOのブラームス Vn協奏曲と交響曲2番、そして、アンコールのハンガリー舞曲第1番だ。好き嫌いはあるだろうが、ムローバの緻密で抑制された演奏は私には好ましかったし、ベルリン・フィルが曲想を明瞭に”歌いあげる”様が一つの有機体のようで、本当に素晴らしく感じた。しかし、その一方、世の中は、新型コロナと”グロテスク”なアベ政治が続いている。

   きたきた!ニシムラが不機嫌そうな顔をしつつ、国民の”気の緩み”を指摘していた。明確な指標もなく国民をミスリードしておきながら、よく言うものだ。おまけに、アベ政権は「抗原検出用キット」の優先供給先から埼玉県を外したそうだ。自公維のお仲間ではないからか?埼玉県民全体を相手に、”脅し”の選挙活動でもやっているつもりなのだろう。一事が万事、恣意的で、根っから腐った政権だ。また、アベは、勝武士ら犠牲者をよそに、日本は感染者数や死者が少ないとプロンプターを見ながら自慢気に語っていた。しかし、前にも書いたように、それは、海に囲まれた日本でアベたちが言いだす遥か前から「自粛」生活に入っていた私のような(?)、衛生的な生活習慣と観念を持つ人々、そして、まさしく、「医」の理念に基づきながら、良心的かつ献身的に働いてきた医療従事者たちのおかげなのだ。それに対して、アベたちは、口先では綺麗事を言いつつ、PCR検査の拡大をはじめ、医療体制の充実のためにこれまで何をしてきたと言うのか。院内感染や医療崩壊を防ぐシステム構築や資材供給のために何をしてきたと言うのだ。倉持先生が言うように、邪魔してきただけではないか。そのために多くの医療従事者や重症患者たちが「犠牲」となってきたのではないか。さらに、現在の「緩和」への動きも、結局その動機は、国民のための財政負担をできるだけ減らそうとするためのものではないかと考えざるを得ないのだ。感染者は少なくとも確認されている数の10〜15倍はいるはずだが、これらの把握されていない多数の人々と免疫を持たない99%の人々は、予想される第2波〜第3波で、一体どうなるのか。昨日も、BS1スペシャル「ウィルスと人類3 スペイン風邪 100年前の教訓」を再び見たが、これから訪れるアベ友政権下での人々の悲鳴が聞こえるようだった。

   「検察庁法改正案」についても、週明けには強行採決が行われるかもしれない。しかし、問題の所在は、元検事総長らOB14名による「検察庁法改正案反対意見書」に明らかだ。民主主義国家における主権者たる国民は、このような法案を決して許してはならない。検事の中にも、クロカワを筆頭に、アベ政権に忖度することによって財務省のサガワのように出世を図る輩が増産されているかも知れない。しかし、他方、カワイ夫妻を追い詰め、アベにも迫る広島地裁の検事たちのような人々も存在するのだ。数々の証言にも明らかなカワイ夫妻の行状を、現ナマを受け取りつつ立件もされなかったアマリのように、不起訴〜無罪放免にしてはならない。ところが、こうした中、ムショ入りの経験を持つ人たちによる、この法案をあたかも「検察の民主的統制」を意味するなどとするバカ話も聞こえてくる。ただ、彼らが言いたいのは、自分たちは本質的に自公(維)政権の「お仲間」なのに、”悪い”検事に逮捕あるいは起訴されたけれど、アマリのように、(選挙で選ばれた)時の政権に”忖度する”検事によって大目に見てもらえること、それが「民主的」だ、ということでしかあるまい。大体、あの大阪地検による村木冤罪事件が、アベ自公(維)政権にお頼りして防げるとでも言うのだろうか。逆だろう!隠蔽・改ざん・捏造のオンパレードになるだけのことだ。

   一昨日のモリ法務大臣の答弁もひどいものだった。改正法案とクロカワ東京高検検事長との関係、そして、その定年延長の理由についての説明など、一々指摘するのもバカバカしいのでやめるけれど、ただ、説明が困難になると「総合的判断」で逃げるのは主権者たる国民に不誠実な恣意的権力者の常套手段だということは指摘しておきたい。とりわけ、我欲に駆られた恣意的な判断を誤魔化すために用いられる「総合的判断」なるものを法律の中に忍び込ませることは、全権委任と同様、決して許してはならないことだ。もっとも、モリ法相は、ウソや言訳を強いられる苦悩や人格崩壊すらをも感じさせるのだが、この点、息を吐くようにウソをつき、政治とはウソをつくことで、ウソも100回つけばアホな国民は信じるのだから、ウソをウソとは絶対認めず、そのことに後ろめたさを全く感じない「新種の日本人」たるアベとは違っているのだろう―――そういえば、アベは、市中でのマスク価格の低下はアベノマスクのおかげだなどとも言ってましたなw。しかし、自覚的なデマゴーグだけではなく、こうした「半分善人」が”巨悪”を許していくことになるのだ。自民党内の「自由民主主義」を信条とする人々も、ここがロドスなのではないか?!

   全ては、明日、試されることになるかも知れない。

”総合的判断”だって?!             ―――信念と自信を欠いた無能な政治屋どもの便法では

”責任逃れ”のための「民は由らしむべし知らしむべからず」
 ―――その心は、自分たち自身が何が何だかわからないから!


   ※The Guardianを見ていると、勝武士のニュースまで出てくる。世界各国の情報がすぐ手元にある。そんな中、昨日、「緊急事態宣言」が39県で解除された。私が暮らす埼玉県は相変わらず「特別警戒県」だけれど。アベの記者会見を見たが、新型コロナについても検察庁改正法案についても、アベの話は全く信用できるものではなかった。問題点が山積みだ。

   まず、宣言の解除と再指定の「目安」の一つに「直近1週間あたりの新規感染者数が人口10万人当たり0.5人未満程度」という数値が示された。しかし、この数字の根拠や客観性が明確に示されていたわけではない。政府と専門家会議の妥協の産物という話すらある。諸外国で重視されている「陽性率」や「実効再生産数」の数字もない。要するに、彼らの「総合的判断」とはこんな程度のものでしかないのだ。こうして、物事は曖昧に決せられ、検証を難しいものにし、責任から逃れやすいものになる。「総合的判断」や「決断」の契機はもちろんありうるが、アベ自公政権の場合、PCR検査を始めとして政府がやるべきことをサボった末のものなのであって、今後の対策を立てる上でも不十分で危ういものと考えざるを得ない。彼らが死守したいのは、俺たちは決める人ー国民は従う人ということであって、その結果、事態が悪化すれば、全ては国民のせいにされるわけだ。
 
   ところで、アベノマスクの検品や遅れ、マイナンバーカードによる給付金申請の実態、そして、ワクチン開発への本気度など、アベ政権の無能さと反国民的性格は一つ一つの政策にはっきりと表れている。アホノマスクの検品に8億円もかけていると言うが、受注業者の責任はどうなっているのだ。また、これまで何一つメリットがなく、ただ危ないだけだったマイナンバーカードとは一体何なのだ。オーストラリアにおけるイベルメクチンやBCGの研究への積極的アプローチと比較して、アベ自公政権の研究・開発への消極的姿勢は目を覆うばかりだ。そして、いつも「世界一」で、いつも「しっかり・素早く」対応しているアベは、これからも「今が正念場だ」と言いつづけるに違いないのだ。我国の最大のリスクはアベ自公政権に他ならない。

   コロナの日々においても、アベが拠り所としている肥え太った金融資本は、実体経済とほとんど無縁なところでマネーゲームを繰り返している。そして、その膨らんだ金融バブルの崩壊によって引き起こされる外国為替相場の大変動やハイパーインフレーションなどによって苦しめられるのは、社会を実体的に担う「人民ー国民」に他ならないのだ。こうした中、コロナウイルスによって危機に瀕している人類にとっての希望は、そうした社会を実体的に担う人々の力と生活を金融資本主義とは異なる原理によって再編成ー再構築できるかどうかにかかっていると言って良いのではないか。ワクチンを「公共」的な財産と考えることができるのかどうかをはじめ、医療や介護、教育や文化、労働や余暇等々、私的セクターと公的セクターの新たな定義と編成が必要と思われてならない。そして、そうした新たな公共性ー共同性への動きと覚醒は、世界の様々なところで見られるように思う。”エッセンシャルワーカー”への注目と感謝は、その一つの表れだろう。「立派」な人たちが本当にたくさんいると改めて思うのだ。

アマリを不起訴にし閣議決定で定年延長してもらった 東京高検検事長クロカワと"独裁" を狙うアベ!

「三権の長」ですが「独裁者」という指摘は全く当たりません、トカ
  ―――理屈が通らないんだよ!そして、究極の恥知らずだ!

   ※最近のコロナ関連の大状況は内外共にかなり変化しつつあると感じられる。そして、こうした時こそ、物事の本当の姿が現れてくるものだ。経済の実態、医療・介護の実態、権力の実態、そして、そうした社会の中で生きる人々の実態だ。これらについての感想は後日まとめてみたい。ただ、日常生活を送る一般ピープル個人としては、なにしろ、できるだけ”感染しないー感染させない”を貫くしかないだろう。今日も、屈強な若い力士が医療に到達することの困難さの中でコロナで亡くなった。予想された事態そのものではないか!私は、アベ政権とその専門家会議を許す気にはならない。倉持先生を納得させる医療行政をやれよ!全く!と思う。

   そんな中での「検察官定年延長法案」だ。”火事場泥棒”的とはよく言ったものだ。「国家公務員法等の一部を改正する法律案」に含めて提案するなど、その姑息さはアベ政治の本質を見事に表していると言って良い。いくらお人好しの国民でも彼らのやり口がよく理解できたことだろう。ところで、私は韓国・文在寅政権の「検察改革」(「高官犯罪捜査庁」の設置)に関心を持っていた。なにしろ、この国の政権・政治家にとって、民衆と”検察”はまさしくその存在を左右する力を持つものだったからだ。朴槿恵の例は記憶に新しいところだ。モリ・カケ・サクラのアベにとって、こうした韓国の事例は恐怖心をかきたてるものだったろう。さらに、最近の広島地検による河井夫妻の捜査と起訴への動きも、アベ自身にとって、無関係なことではない。田中角栄他の前例をも含め、民主主義体制の中での「権力から独立した検察」への恐怖は差し迫ったものになっていたはずだ。

   今回の法案の問題点などについては、郷原信郎の「検察官定年延長法案が『絶対に許容できない』理由」(YAHOO JAPANニュース)をはじめ、日弁連などの法律の専門家たちの意見は極めてわかりやすいといえる。これと比べて、高橋洋一だの、田崎史郎だの、ホリエモンだのの議論は、まあ、基礎的な知識と論理能力があれば馬鹿馬鹿しいと感じざるを得ないものだ。問題点を覆い隠したり、論点をずらしたりしながら、アベと「検察官定年延長法案」を擁護するデマゴギーそのものだ。そもそも、現行法下でクロカワの定年延長を閣議決定したこと自体の違法性が問われなければならないのだが、この法案の問題性は、いうまでもなく、内閣や法務大臣の裁量で検察官の定年や役職定年の延長を可能にすること、すなわち、時の政権が検察人事を左右することによって、検察官の独立性や政治的中立性を脅かす点にあるのだ。かってアベは、自分を「立法権」の長といったことがあったが、こうして準司法官としての検察官に影響力を行使することができるようになれば、権力の濫用を防ぐ制度的仕組みである「三権分立」を傷つけることは言を俟たないではないか。

   そもそも、一般ピープルにとって「検察」が問題となるのは、それが〈行政権力と一体〉となって、いわゆる「国策捜査」など、時の政権にとって都合の良い、国民にとっては”不平等”な捜査や逮捕や起訴が行われる場合が主なものだ。こうした検察に対するチェック体制・国民による民主主義的な統制といえば、検察審査会や国会の国政調査権やジャーナリズムによる批判などを活性化することが考えられる。これに対して、「造船疑獄(佐藤栄作)」における法務大臣の指揮権発動や今回の「検察官定年延長法案」などは、逆に、行政権力が検察に影響力を行使して刑罰権を自分たちに都合よく利用する、すなわち、権力を恣意的に濫用することを可能にする方向性を持つものに他ならない。刑罰は人民ー国民の人権を守るために慎重かつ平等に行わなければならない。アベは、なにしろ、自らの恣意的な”閣議決定”に法的効力を持たせたいのだ。まさしく、三権を支配する独裁者だ。真っ当な説明もできない、壊れたテープレコーダーが何を言う。

   勝武士・・・アベ政権下、明日は我が身だ。

クロカワが検事総長になったら〇〇も〇〇〇も不起訴・無罪放免だ!

「責任追求」から逃れるためには何でもやる悪どさ!
 ―――”政治の私物化”と後手後手の”無能さ”の果てに来るもの―――


   ※桑田佳祐の「ステイホーム ブルース」を聞いて、また、初めて「#検察庁法改正法案に抗議します」を入れてTwitterに投稿し、そして、『麒麟がくる』も見た。斎藤道三が討たれたが、ドラマで見る限り、「身分」や職業に関係なく、「人品」というものはあるものだ。アベやアソウやトランプらにはないものが。私も我が身を正さなければならない。

   この数日、アベ政権の物言いを見ながら、つくづく、彼らには「公共」的使命感など全くなく、ただ権力とそれによって担保される社会的・経済的な特権(税の徴収や配分、様々な許認可、人事的優遇)への執着しかないのだろうと思わざるを得なかった。アベ友政権のコロナ対応がなぜこのように遅く杜撰なのかの理由は、そのためとしか考えられない。初期における未知のウイルスに対する想像力や危機感の欠如も「悲惨」だったが、事態が本格化した1月中旬以降の対応は、諸外国との対比において、ほとんど信じがたいような様相を見せた。医療資材の不足の解消はもちろんのこと、命と健康を守るための検査体制の拡充や医療体制の充実、そして、「閉校」や「自粛」に伴う休業補償など、その遅さと半端さは、これまで日本社会を支え発展させてきた国民への対応とは思えないものだった。その主要な動機と思惑は、東京オリンピック絡みの「コロナ隠し」と富裕層重視の金融・行財政政策(一般国民のためにはできるだけ金を使わない!)のためだったと言う他はあるまい。しかし、アベ友のために貢がれる膨大な資金をもってすれば、この間必要とされた医療用の資材や器具などを国内で準備することなどは容易にできたはずだ。こんな中、多くの犠牲者が生まれてきたのだ。

   さらに、こうした中で一層明らかになっているのが、アベ政権の”無思慮”と国民を舐めた”反国民的な性格”だ。まず、モリ・カケ・サクラで追い詰められていたアベにとって、新型コロナはある意味で救いにすら感じられたはずだ。そして、新型コロナを甘く見ただけではなく(春節やダイヤモンド・プリンセス号への対応、クラスター対策の限界の無視ー欺瞞)、「全国一斉臨時休校」によって”人気”を挽回しようとさえ図ったのだ。しかし、その後明らかになっているように、こうした「休校」が国民に与える影響などにはほとんど考えが及んでいなかったと言って良い。こうしたことはその後の「自粛」要請や「緊急事態宣言」においても同じで、それらが、民主主義国家では当たり前な、”保証とセット”でなければならないことなどほとんど頭にはなかったと言って良いのだ。要するに、岸信介の孫であるアベにとって、「緊急事態」とは権力者が国民に対して一方的に犠牲を強いることができるものと考えられていたに違いないのだ。ところが、諸外国の対応との対比から、「人気」の獲得どころかその無策と後手後手が指摘されるに及んで、保身のために慌てて小出しにした愚策が、わざと申請を難くした給付金やアベノマスクだったというわけだ。

   さらに、アベ政権の悪どさは、こうした中にあっても、事前・事後を問わず、あらゆる”責任逃れ”の画策に終始していることだ。モリ・カケ・サクラもそうだったが、そのためならばどんな詭弁も弄するし、違法な隠蔽や改竄も厭わない。近くは、アベノマスクの発注先を隠したり、「37・5度、4日間」を誤魔化したり、「緊急事態宣言」解除の条件について矛盾した言動を繰り返したりなどするのだ。「緊急事態宣言」の発令と解除は誰が、どのような根拠によって行うというのか。そして、こうした”責任逃れ”の究極の姿が、”検察庁法改正法案”に他ならない。アベ友政権下での数々の不正の立件を潰してきたクロカワ(やその配下)を検察庁のトップに据えれば、アベは法廷にも刑務所にもいかなくて済むとの思惑に違いない。大体、モリ・カケ・サクラなどの隠蔽や改竄は、公正な審査機関と公正な検察機関に従えば、容易に立件できるはずだ。違うというなら、最低、黒塗り文書を公正・中立な審査委員会にでも見せてみるが良いのだ。よほど心配なのだろう。今も政権交代後も。なりふり構わぬ「人品」卑しき権力者の姿がある。

   これまでの歴史においても、権力者のつまらぬ私欲や競争心から公共的な政策が歪められ、国民に多大な犠牲が強いられてきたと言って良い。さらに、それが”犯罪”行為だとすれば、決して許されることではない。この問題は、民主主義の政治制度の根幹に関わることだ。人民ー国民の人権と主権を守るために、党派やイデオロギーを超えた連帯が求められている。
プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2019年11月現在満13歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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