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渋沢栄一・恐竜王国・こんにゃくパーク・観音山   ―――私の“新型コロナのなかった”頃の旅(1)

 2019年10月31日〜11月1日
     深谷市〜上野村〜神流町〜藤岡温泉〜甘楽町〜高崎市


   ※サロさんも長い梅雨空であまり元気が出ないようだ。私はYouTubeなどを見る機会が多いが、最近の時事問題ものでは、ヒルカラナンデスやワラしがみ、荻上チキなどが面白かった。それにしても、コロナ,オリンピックそして優生思想など、アベ友エスタブリッシュメントのどうしようもなさは、怒り心頭と言う他ない。今日もコロナの感染拡大や東北地方での豪雨が報道されている。こんな中、もうやる気もない、バカにされるだけのアベを一体誰が支えているのだ!あまりにも虚しいではないか。ということで、今回は気分転換のために、私の、“withoutコロナ”の、呑気で楽しかった頃の旅行について書いてみたい。
  
渋沢栄一生家の前で
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  ※以前にも書いたことがあるが、「近代日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一の業績は、その『論語と算盤』(1916年)にみられるように、アベ=タケチュー的ボッタクリ資本主義とは一線を画すもののように思われる。そんな彼が、2024年から流通する新1万円札の図柄に決まった。そこで、Mさんと一緒に、埼玉県深谷市にある「渋沢栄一記念館」と旧渋沢邸「中の家(なかんち)」を訪れることにした。いずれも、私には嬉しい入場無料だった。

旧渋沢亭の内部
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  ※パンフレットによれば、渋沢は、農業・養蚕・藍玉作り・雑貨屋・質屋業を営む名字帯刀を許された豪農の家に生まれ、律儀な父と慈悲深い母親に育てられたという。また、少年期に従兄弟の尾高惇忠から論語を学び、青年期には尊皇攘夷運動にも参加した。しかし、その後、一橋家及び幕府に仕え、パリ万博の際には渡欧して、ヨーロッパの社会制度・思想・文化を吸収した。維新後は、一時大隈重信の説得で大蔵省に勤めたが(→富岡製糸場の設置主任)、大久保利通らと意見が合わずに辞職、その後、実業界の指導者として活動することになる。彼は、論語の精神を重んじた「道徳経済合一説」を唱え、各種産業(第一国立銀行など500社)を育成するとともに、社会福祉事業(養育院、児童養護施設、知的障害児施設、現一橋大学や日本女子大学、東京慈恵医院や済生会,聖路加国際病院などの設立・運営)や国際親善(日本国際児童親善会)にも貢献している。こうした経歴からして、渋沢は、批判ももちろんあるだろうが、少なくとも、自らの仕事=事業を「人への真心や思いやりの心」で方向付け、コントロールしようと試みた人物と言えるのではなかろうか。彼がアソウやタケナカとはひと味もふた味も違う人物であったことが容易に想像されるところだ。

上野スカイブリッジで
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  ※埼玉県から水害の痕跡を残す神流川を遡り、群馬県上野村に向かう。上野村は若い頃は渋沢同様に元気でフランスにも行ったことのある内山節が住んでいる村ではないかなどと話しながら、「上野スカイブリッジ」に到着した。豪雨の影響で宿泊施設などは閉鎖されていたが、写真のようにシャボン玉の舞う橋の上で、優雅な空中散歩を楽しむことができた。

恐竜王国中里の恐竜センター
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  ※その後、宿泊予定の藤岡温泉に向かう途中、神流町中里の「恐竜センター」を見学した。予想以上に興味深く、楽しめる施設だった。神流町で発見されたものはもちろん、モンゴルなど世界中から運ばれてきた巨大な化石は迫真力満点だった。

この人はロボットシアターの解説者ですw
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  ※このアンドロイドには驚かされた。Mさんなどは最初本物の人間と思ったのではないか?かなり感激していた。舞台ではロボットの恐竜たちが動き回るのだが、実によくできている。先日見た映画『ジュラシックパーク』の恐竜たちよりも愛嬌があって良かった。「姉貴」たちにも是非見せたいと思っている。

タルボサウルス
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  ※日本が恐竜王国だったことはNHKスペシャルなどでもよくやっているが、こうして「実物」の姿に接すると、地球がホモ・サピエンスだけのものではないことが実感できる。私は、この星の長〜い歴史の中に存在してきた本当に無数の「命」の1つでしかないのだ。私たちは、本当に不思議で、本当に奇跡的な存在なのだろう。では、残された時間をどう過ごせばいいのだろうか?

群馬藤岡温泉・泊〜コロナを気にせず食事と温泉が楽しめた

 
「こんにゃくパーク」・バイキングゾーン
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  ※二日目は、「織田宗家ゆかりの城下町小幡」のある甘楽町を案内してもらいながら、「こんにゃくパーク」に立ち寄った。観光バスがたくさんきていて、人気のバイキングゾーン(無料)は人でいっぱいだった。「三密」なんて全く関係ない、意識にもなかったよな。

これ全部こんにゃく製です。
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  ※食い意地が張っている私は、ホテルの朝食で山盛りのバイキングを食べてきたが、これも完食してしまった。体に良いわきゃないが、やめられないというわけだ。このあと、製造工程も見学して、家族へ格安のお土産も買った。

観音山からの眺望
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  ※最後は高崎に行って、観音山公園を散歩した。Mさんは1日に何キロも歩くので、歩くのが非常に早い。私は膝が完治していないので不安だったが、無難に歩き通すことができた。山頂付近からの眺望にも恵まれた。

慈眼院・高崎観音を背に
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  ※観音様にも色々あるが、この高崎観音もなかなか良い顔をしている。観音山公園には,吊り橋や広い芝生広場もあって、散策にはもってこいだろう。サロさんと私にとっての〇〇公園のように、こうした公共施設の存在意義は住民にとっては測り知れない価値があるものだ。今回の旅行はM・ツアーコンダクターによる無料スポット満載の「格安旅行」だったわけだが、GO TOキャンペーンの割引がなくても、本当に楽しむことができた。こんな日々が再び1日も早く訪れることを願わずにいられない。
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『半沢直樹2』を見て,ブログを書きたくなった(w)

日本のテレビドラマも面白い!
 ―――ハラハラ,ドキドキ、こうこなくっちゃ!来週も見よう!!


   ※ご近所さんは3泊してきたらしい。私は、この連休、農作業と風呂掃除と読書に明け暮れた。農作業は毎回汗だくになるけれど、収穫した野菜を食するのは大きな喜びだ。風呂掃除は、YouTubeを参考にして“皮すき”を使ったが、長年の湯垢が見事に取れて感動した。趣味になりそうだ。読書は,このところ、ポピュリズムとMMTに関する本を読んでいる。

   さて、さっきまで、『半沢直樹2』を見ていた。実は、『麒麟』もこないし『雲霧仁左衛門4』も終わってしまって、最近は、2〜3周遅れで、韓ドラの『オクニョ』(字幕スーパー版)を見るようになっている。ちょっとアナーキーで、毎回、ハラハラ・ドキドキさせてくれる。実によくできたドラマだ。これが今の韓国の”勢い”なのかとも感じたが、今日の『半沢直樹2』は、その倍ぐらいハラハラ・ドキドキさせてくれたw。半沢は剣道部出身のようだが、彼の基底的価値意識は「武士道」―――「葉隠」武士道では決してない!―――のそれに近いのではないか。私の問題関心からすれば、こうした半沢と、北大路欣也・香川照之・古田新太・市川猿之助らの思想的位相、そして、それらの間の葛藤と共鳴が実に面白いわけだ。ただ感じるのは、日本の現状はそのトップがもう北大路欣也的ですらなくなっている、ということだ。
 
   ところで、先ほどMMTを読んでいると書いたが、そうすると藤井聡とか中野剛志らも読むことになる。まだ読み始めたばかりで不案内の点も多いが、彼らが「保守」の立場から「新自由主義」を批判しているのは興味深いところだ。もちろん、当然のことだとは思う。ただ、彼らの「新自由主義」や「似非愛国主義(右翼)」への姿勢には共感するが、また、彼らの「国民主義」や「安全保障」や「国家の役割」についての考え方には、正直、「いかがわしさ」(ちょっと待てよ)とも感じてしまう。「ナショナリズム」(彼らにとって「日本国民」)とはなんだ?辺野古の米軍基地(日米安保体制)をどうするのだ?国家の財政出動(ー国家官僚)に依存して国民は自由を得られるのか?等々。これらについては、また,時を改めて、まとめて見たいと思う。

   ついでに書いておけば、私の「一般ピープル(人民)」としての感性は、50年前からのもので、いわば反「国家主義」・反「官僚主義」・反「寡頭制支配」・反「エリーテイズム」といった,当時からあった感覚が基になっている。だから、「人民共和国」主義とも違うし、指導者崇拝とも相入れないし、まして、エリーティズム丸出しの「ポピュリズム」論のそれとも違うのだ。また、私の「反緊縮」は、反「新自由主義」・反「新保守主義」であることは間違いなく、いわゆる「ケインズ主義的福祉国家」の考え方に近いのだけれど、根底にあるのは、「自治体(コミューン)主義」・「連合主義」であって、そうした意味から、MMTの「国家主義」とも一線を画すものと考えているわけだ。こうした点についても、また、後日を期したい。

   ということで、次回は、「新自由主義」とは異質な『論語と算盤』の渋沢栄一の生家と資料館への旅(2019年10月)について書いて見たい。コロナ以前の旅の様子も思い出すことができるだろう。

民意を反映させるためには政権交代が必要だ!

この“無能”な「お友達」政権に任せていては、
 日本は本当に“衰退”〜”崩壊”への道を辿るしかあるまい


   ※昨日から始まった「GO TOキャンペーン」。開始前にどの店が対象になるかすら決まっていないとか、自らの利権がらみのゴリ押しによって生じた”キャンセル料”を国民の税金によって補償すると偉そうに発表するとか、まあ、信じられないような有様だ。コロナ対策だけではなく、明日開会式が行われる予定だったオリンピックについてもそうなのだが、日本の”ruling elite" の破廉恥な強欲さと無能さには、心底、絶句する他ない。アベは相変わらずあの無様なアベノマスク―――今注文が殺到しているという藤井棋聖の絹のマスクと対比すればその水準がわかる―――で顔を覆いながら逃げ回っているが、こんなアベの「お友達」政権を許していてこの国は本当に大丈夫なのかと改めて心配なる。鬱になりそうだ。

   昨日も,凄まじい数の感染者が報告されていた。首都圏だけではなく、大阪でも名古屋でも福岡でもだ。もう「第2波」と言わずになんと言うのか。私たちの日常生活の中でも、コロナの話はたくさん聞こえてくる。例えば、ある看護師さんは相変わらず朝からゴミ袋で防護服を作っているという。私たちにとっては最後の砦となる医療現場の”苦境”が伝えられてから久しいが、コロナに対応しようとしてかえって経営悪化を強いられたり、そのために、ボーナスが削られたりとか、本当に信じられない状況だ。私なら、「やってられない!」と辞めてしまうかもしれないとすら思う。こんな状況が何ヶ月続いているのだ。また、家族がコロナに罹ってしまった一家が、周囲の「口」に耐えられず、引っ越ししなければならなくなったという話も聞いた。その話を聞いていた人たちは皆んな「それはないよね」と言っていた。日本の「共同体」規制には、「共同体成員」を本当に守るものもあれば、権力によって組織され、利用される「五人組」的なものもあった。権力者は、その目的(その多くは共同利益の名の下に偽装された私的利益の実現)達成の責任を「下部」に押し付け(指示・命令で「まる投げ」し)、さらに、その目的達成を「自己の責任」とされた諸個人はそのことによって脅迫・分断され,相互に監視し合うといういうわけだ。おぞましいことだ。

   先ほど、今日の東京での感染者数は366名、埼玉は64名という報道があった。言うまでもなく、こうした流れを生み出したのは、適切な感染対策を準備しないまま「規制緩和」に走ったアベ自公政権とコイケ都政にあると言って良いだろう。その象徴が「GO TOキャンペーン」に他ならない。彼らは、有効な具体的対策も取らないまま、口先では”警戒”を訴えるのだが、そうした中で感染してしまえば、その感染者の個人的責任となるわけだ。いやはや、詐欺師紛いとはこうした政治を言うのだろう。

   今回の「GO TOキャンペーン」に関わる“利権の構造”も様々なメディアから指摘されている。このキャンペーンは誰のために行われることになったのか。確かに、観光関連の仕事に携わる人々の生活は大変に違いない。昨日、私は日帰りで長瀞の様子を見てきたが、やはり、「閑古鳥」とはこんなものかと改めて思った。しかし、だからと言って、「GO TOキャンペーン」ではあるまい。私の時代物の頭で考えれば、このコロナ禍の中、観光関連の人々の生活と命を守るために「政府」が為すべきことと言えば、「御救米(おすくいまい)」や「徳政令」ということになるだろう。つまり、感染リスクを押して旅行者の懐を当てにするのではなく、観光関連の人々がこの急場を凌ぐために、日々の衣食住・医療・教育・介護等々、必要最低限度の生活を補償すること―――あのニクソンやハイエクも支持したという「ベーシック・インカム」という考えもある―――、そして、事業そのものを守り継続できるように、まず一定期間、税や公共料金、地代や家賃そして負債償還などを免除することだ。応能負担の原則からも当然だろうし、また、この緊急事態に不労所得だけを手厚く保護する必要もあるまい。こうしたことは国民経済の編成の問題であって、基底的な生産力さえ確保できれば、様々な方策(分配)が考え得るわけだ。

   それにしても、各社の世論調査によれば、国民の「GO TOキャンペーン」(開始)に対する意見は圧倒的に否定的だ。アベ政権は、これまでも原発をはじめとする重要な案件について国民の意思を無視してきたと言えるが、ただ、それらは国民の大多数の生活に”直接”影響を与えるというものではなく、アベノミクスという幻想の「経済」路線によって容易に忘れさせることができたものとも言える。しかし、このコロナ禍の国民生活ではそうはいかない。アベの「お友達」政治の“本質”が次々に明らかになっていく中、国民はその民意を反映させることのできる政権を是非とも誕生させねばならないだろう。アベ自公政権の判断より国民の判断の方がはるかにまともなのは間違いないことなのだから。オリンピックについても同様だ。

アベを守ることが検察の正義であってはならない!

 民主的国家に司法の独立=公平性は不可欠だ!
       ―――アメリカと韓国を見て改めて思う。


   ※昨日は天気が良くて、サロさんも落ち着いてきたので、色々働くことができた。午前中は農作業。収穫はトマト,きゅうり,ナス,ピーマンそして人参。全て大変美味であった。午後は図書館で返本し、サロさんの缶詰を買い、そして、洗車とドラ・レコの調整をやった。今日は,朝の4時ごろ「人民」につての妄想が湧き、1時間程メモをとってしまった。少し眠い。

   先日、「BBC NEWS JAPAN」で、トランプがロシア疑惑で有罪判決を受けた盟友ロビストの刑執行を免除したと報じていた。同じ共和党のロムニー上院議員も「前代未聞の、歴史的な腐敗」と非難しているが、こうしたトランプの動きの前提にはアメリカの司法界の独立性があると言って良い。連邦地裁の裁判官の判決はもとより、司法省が求刑を軽減する方針を明らかにした直後に4人の検察官がそろって担当を降りたりしているのだ。韓国の朴槿恵前大統領や曺国(チョ・グク)前法相に対する検察と裁判所の対応も注目すべきだったが、行政権力を握るトランプからの圧力をはねのけて司法の「正義」を貫こうとするアメリカの司法関係者の姿勢にはアメリカ社会の「復興」の可能性をすら感じることができたように思う。

   これに対して、憲法上の違いはあるにしても、クロカワ問題に端的に表れた日本の司法行政のあり方には改めて疑問が湧く。クロカワが絡んだアマリやサガワやアベたちへの対応は本当に露骨だった。しかし、クロカワ後の検察は少し頑張っているようにも思われたが、クロカワの賭博についてはもちろん、スガワラ前経産相や河井前法相(夫妻)の公選法違反に対する対応には強い不信感を持たざるを得ない。日本の検察や裁判所は、そもそも、政権党や権力者あるいは「上級国民」に「甘い」のではないのか。つまり、「ノブレス・オブリージュ」の観念とは真逆の、「低度に政治的な」犯罪を侵しているエスタブリッシュメント内部の恥知らずな仲間を大目に見ているのではないか。さらに問題なのはカワイ前法相に関してであり、もし検察が自民党本部から提供された異例の選挙資金1億5000万円やアベの指示によって派遣されたアベの秘書らの役割を追及しない限り、(”官邸の意向”によってアベの刺客の当選を画策したという)今回の問題の核心を明らかにすることはできないはずだ。そして、もし検察がカワイとアベとの関係を明らかにしないまま公判が進むとすると、結局、検察がカワイ夫妻をトカゲの尻尾として切り捨て、アベを守ったということになってしまうのではないか。モリ・カケ・サクラもそうだが、そこにどのような駆け引きや取引が存在することになるのか。ただ、国民は、もう決して見え透いたアベの所業を見逃す事を望まないだろう。・・・次回の『雲取仁左衛門4』は必見の予感がする。

   現代国家では、物理的強制力は”法”を執行するという形で行われる。それ故、法自体の内容と性格、そして、そこでの法の適用と運用は国民の人権に大きな影響を与える。それ故、香港における「香港国家安全維持法」の制定は、香港における司法のあり方に決定的な変化を与えることになるだろう。そして、わが国では、明日、赤木さんの訴訟の第1回口頭弁論が大阪地裁で開かれる。わが国の司法が国民の人権を守るものであるのか、時の権力者を守るものでしかないのか、注視しなければならない。

新型コロナに集中豪雨・巨大地震(?)―――アベ友政権の無能・無策に絶句!

 まともに考えることもできないアベ友政権ではどうにもならない!
  “自衛”?―――言われるまでもなく、それしかないだろうよ!


   ※社会的関心を持ち続けること、できるだけ客観的な見方をすること、それが私の”老後”の目標の1つだった。だが、ニュースを見聞きしていると、途轍もなく虚しい気持ちになる。未来学者たちの話からすれば、日本の凋落はアタリまえなのかもしれないが、それにしても、福島原発事故以後のアベ友政権下の有様は酷い。出生率が下がるのも当たり前ではないか。要は、”一人一人”の生活や命が大切にされない政治、そして、世の中に未来はないのだ。

   日本のあちこちで、「50年に一度の自然災害」が”毎年”やってくる。この10数年の豪雨災害の事例を眺めながら、オリンピックは確か7月24日からだったことを思い出す。今年、オリンピクが行われていたら、被災地の人々はどのように扱われたのだろうか。テレビでは、「コロナでボランティアの人々が少ない、云々」と専門家らしい人が話していたが、本当にそんなことで済むのかと感じる。派遣される消防・警察・自衛隊員そして駆けつけるボランティアの人たちの苦労を考え合わせても、これからの日本には、頻発する巨大自然災害に対応する専門的に訓練され、しっかりとした財政的裏付けも持った、本格的な防災対策・災害救助・復興支援の組織が必要なのではないかと感じる。もう臨時の緊急対策といったレベルではあるまい。命と生活の基盤が脅かされる時、私的な事情に左右されることなく提供される公的な支援、それこそが民主国家の正当性と納税の根拠だろう。それを口先だけではなく実行する政府が信頼しうる政府なのだ。そして、目の前の被災者は明日の我々でもある。夏〜秋には関東の太平洋岸に危険が迫る可能性が高い。

   コロナについても、「大所高所」(w)の政治屋や似非専門家は、国民の記憶力や判断力を舐めきっているとしか思えない。数ヶ月前に自分たちが何といっていたのか、否、2週間前、1週間前に何と言っていたのかを思い出して見るがいい。検査体制にしても、給付金についてもだ。さらに許せないのは、緊急事態宣言解除後に引き起こされているこの新たな波(「第2波」)に直面しつつ、彼らが感染拡大とそれによる犠牲者の発生を事実上煽っているということだ。『報道1930』で、倉持医師は「今の日本がとっている政策は、首相はマスクをしていますが、ブラジルと大して変わりないことをやっている」言っていたが、その通りだろう。ボルソナロ大統領は、自ら感染しても抗マラリア薬を飲んでいれば大丈夫だと言いつつ、マスクを外して他者に感染させる気満々だ。そして、日本のアベ=ニシムラも、感染の責任を国民ー市民に負わせながら、”GO TO キャンペーン”を推進して、東京に隠棲していたウィルスを全国に広げ、感染ー重症化ー死亡のリスクを積極的に拡大さえしているのだ。要するに、「(目の前の)経済を回す」ためには、肺炎で息ができなくなって死亡することを容認しようというのだろう。しかし、「経済を回すこと」が「死者を生み出すこと」になっては、本来、いけないのだ。だから、規制もあれば、補償もあり、改良もあるのだ。さらに、そのことによって、感染が全国に広がってしまえば、それこそ、日本の観光・宿泊業は、倒産・廃業を強いられた上、多国籍の巨大資本による草刈り場と化してしまうのではないか。

   現在の日本政府の言っていること、すなわち、「検査・医療体制の充実」と「経済を回す」ことの両立は、一見、「韓国モデル」のように見受けられるが、前者に対する”本気度”は全くなっていないと言わざるを得ない。”株価”買い支えやアベノマスクや給付金委託のためにはいくらでも金を出すけれども、コロナ禍の犠牲者や現場で苦闘している人々のためには、一体何を、どのようにやったというのか。口先だけ、口先だけ!不都合な真実は、隠蔽そして目くらましだ。現在、国民の危機を前にして、アベは、「雲隠れ晋三」を決め込んでいる。今日『雲霧仁左衛門4』を観たが、最後に一言言っておきたい。「アベを守ることが検察の正義となっていいのか?!」と。 「アベ友優遇」によって日本を「凋落」させたアベの責任追及なくしては、日本の「再生」はあり得ないと思う。

化けの皮は剥がれなかった!ドロンドロンパ!

東京都議補選、自民全勝、これで秋は解散・総選挙か?
 アベやコイケの統治下、この懲りない国でどう生きるか!


   ※このところ、毎朝5時に起こされてサロさんと散歩だ。この1週間、モモ○ちゃんに反応しているらしいが、飼い主に聞くともう終わるそうなので、私もホッとしている。また、今日から、スポーツもやることにした。手首の調子は良くないが、体重は2キロ程減った。それにしても、このように呑気にしていられるは、「幸運」というべきなのだろう。

   ニュースによれば、九州地方の今回の豪雨で、多くの人々の命が奪われ、多くの住民の生活が破壊されている。こうした「自然災害」が繰り返される度に、こうした時にこそ、こうした人々にこそ、広範な権限と組織的・財政的な力を持つ国が徹底的な救済と援助を行うべきだと思う。アベ友はそれこそ様々な“不要不急”の理由をつけて仲間内で税金を分け合っているが、我々の税金は、何にも増して、こうした国民の命と生活を守るために使うべきものだろう!被災から1年が経過してもなおブルーシートが屋根を覆う様を横目に、どうしてモリ・カケ・サクラ、カワイにデンツウがありうるのだ。三流政治屋の統治を当たり前と思ってはならない。

   都知事選の結果については、まあ、こんなものだろうと思った。一昨日、速報番組が始まる前、「1分も経たないうちにコイケに当確だろう」と言っていたら、その通りになってしまった。なにしろ、石原・猪瀬・舛添ときて、この小池だ。東京は、それが抱える様々な歪みと毒を虚飾の「豊かさ」によって希釈することが出来たわけで、その「豊かさ」が蒸発し、孕んだ毒の濃度が上昇しなければ、この首都東京に住む多くの人々はその虚飾の「豊かさ」の「保守」を願いつづけるのだろう。今回は、それがコイケだったのだ。私は高度経済成長期の美濃部「革新」都政を経験しているが、公害、医療、交通等々、その濃度が限界点を超えていたと思う。ついでに言っておけば、今の日本は、戦後の「護憲派保守」と「社会民主主義」勢力との微妙な均衡の中で形成されてきた日本的な「福祉」体制の”遺産”(例えば、国民皆保険制度など)によって辛うじて支えられているのであって、実は、それらがアベやコイケのような「新自由主義」勢力によって次第に掘り崩されつつあり、また、そのより高度な実現がサボられているということなのだ。勘違いしてはならない。

   ところで、政局という観点からすると、非常に複雑な思いがする。大局的にはアベ政治(腐朽した政官財の既成勢力)の本性が覆いようもなく明らかになりつつある一方で、民主主義という観点からそれ対してに根本的に対峙するべき野党勢力の準備不足も明らかだと言える。今回のコイケの勝利の基盤は、裏取引した自民、勝ち馬にぶら下がるのが上手な公明、そして、旧「希望の党」や「都民ファーストの会」に親和的な、「改革保守」や「強い女性」に期待する人々ということになろう。ただ、問題なのは、あくまでも、その「保守」の中身だ。コイケの対応は、オリンピックがらみの公共事業やコロナ対応をはじめ、結局、「腐朽した政官財の既成勢力」の利害と同根だったことが明らかだ。そうである限り、都民生活により関わりの深い「7つのゼロ」が達成できるはずはない。さらに、その本性を”隠蔽”するに、「1丁目1番地」で、隠蔽に走るしかないわけだ。要するに、コイケは「改革」の仮面を被った「右翼」・「私が決める人」でしかないと言える。

   そんなコイケに対して・・・確かに宇都宮氏は「地味」で、「一般ピープル」受けはしないかもしれぬ。しかし、政策の1つ1つは十分に期待しうるものだった。課題は、「コイケ圧倒的有利」の情勢の中で、究極的には99%の都民の命と生活を守る方向性と勢いをどれだけ鮮明にしうるかということだった。そうした観点からすると、宇都宮氏の884,151票(13.76%)と山本氏の657,277(10.72%)の合計は、前回都知事選の野党統一候補鳥越氏の1,346,103票より約20万票多いものの、小池氏の3,66,371(59.70%)と比較すると大変心もとないものだった。しかし、最大の問題点は野党の統一が出来なかったことであり、さらにその結果、ぽっとでの小野氏(維新推薦)の612,530票(9.99%)にも差をつけられなかったことだ。その責任がどこにあるのか、つまり、誰がどう譲るべきだったかは不明だが、”後から”立候補した山本氏には、そこにそれなりの責任があるだろうと思われる。また、私の印象でしかないが、選挙後に、「百合子山は高かった」だとか「次の小池都政で本当の都民ファーストを達成いただけることを願います。」とかは言って欲しくなかった。つまり、私のような「一般ピープル」の感性すれば、「敗戦」をそうした言葉では語らないだろうし、また、本当の「都民ファースト」(→「日本ファースト(第一)」)とは何を意味するかと考えてしまうからだ。ヨーロッパの「左派ポピュリスト」もアメリカの「反トランプ」の人々もそうした表現は使わないのではないか。要するに、そうした表現には「永田町」の匂いがするのだ。私は、山本氏に期待する一人だが、本気で「腐朽した既成勢力」による政治を終わらせたいのなら、次回の衆院選においては、是非、「野党」勢力の結集に力を尽くしてもらいたいと思う。秋に解散・総選挙がありそうだ。かけるべきは「野党統一」だろう。

   最後に、アホなオリンピックに金を使うくらいなら、大多数の国民生活に直結する「国土強靭化」に本気で取り組んでみろ!「腐朽した政官財の既成勢力」のためにではなく!

大改革が必要なのはコイケ都政だろう!

なるほど、化けの皮が剥がれていく!
 ノリベン、トヨス、コロナにサショウ。確かに心臓に毛が生えている


   ※旧式石炭火力発電所約100機の削減計画が欺瞞的に発表された。原発事故の時と同じで、当面の目くらましのために違いない。なにしろ、60%は残るのだから。こうした中、九州の球磨川では、地球温暖化の影響を受けてのことなのだろう、「自然災害」の危機が迫っている。他方、関東地方でも、新型コロナの第2波、第3波が迫っている。中身のない”レッテル”貼りが大好きな都知事は、これまた、「夜の街」だの「要警戒」などと、自らの”無能と無責任”の目くらましのために、目の周りを黒くしながらしゃべり立てている。そのうち、日本の首都は”ドロンドロンパ”と消えてしまうのではないか。 

   私にはこれといった思想も宗教もないので、自分で言うのも変だが、かなり「素直(是々非々?)」な方だと思っているw。そんな「軟弱」頭で考えても、コイケがなぜこの危機の中で人々から支持されるのか、その”真っ当な”理由が見当たらないのだ。とにかく、ノリベン(情報公開はどうした)、トヨス(築地はどうした)、オリンピック(どおするんだよ)、コロナ(隠して、その挙句、責任転嫁かい)、そして、サショウ(卒業証書捏造疑惑)等々、どこに具体的成果があったのか。確かに、俯瞰的にいえば、コイケは「新興」の体制内「改革」派として政界を渡り歩いてきたわけで、それなりのインパクトと脅威を、政官財の世襲的な既成勢力に与えてきたと言って良いだろう。都議会自民党の反応がそれを示している。しかし、それが「体制」内諸分派間の権力争いでしかなく、「体制」の補完的役割しか果たせなかったことは、結局、既成勢力の利害に沿った行動しかとれなかった事の成り行きから明らかと言える。今回の自民党のコイケ支援の判断はそれを見越してのことに違いない。

   確かに、都独自の感染拡大防止協力金などは評価すべきかも知れない。しかし、それも東京都の豊かな財政事情の故であったろうし、また、それ自体、目前に迫った選挙対策のためだったかも知れない。もう、繰り返しになる他ないが、この数日間の100名を超える感染拡大は、市中感染の元となる無症状の感染者を徹底した検査体制によって把握・隔離・治療していくという基本的な路線を取らなかったが故のことと考える他ない。第1波にしてもそうだが、現在の感染拡大は、2週間前に外国から入ってきたからというものではなく、無症状で東京に広がっていたウィルスが自粛解除による接触機会の増大と検査数の相対的な増大によって顕在化してきたと言う他ないのだ。市中に無症状の感染者の連鎖がなければ、3密によるクラスターの発生・拡大もないからだ。休業補償等を伴うクラスター対策はもちろんだが、より広範囲にわたる徹底的な検査と隔離の政策こそが積極的な意味を持つと言える。これに対して、アベ政権とコイケ都政は、やるべきことをやらなかった自分たちの責任を問わないまま、責任を国民や都民や〇〇都民に押し付けているだけだ。ニシムラ、コイケ!恥を知れ!

   こうしたことがなぜ可能なのかと考えれば、なんと、似非エリーティストの”人格”の問題にすら至る。アベも、サガワも、クロカワも、カワイも、まあ、私のような「小心者」の一般ピープルには信じられないような図々しさだ。コイケの「学歴詐称」問題についていえば、おそらく、コネや金などによる、「ゲタを履かせたり」、「“認定”したり」といったレベルなのではないかと想像する。ただ、こうしたことは現在の日本の各界でも耳にするところだ。そして、「ゲタを履かせる」ことは当然違法だが、「認定」は「認定」と明らかにされていれば問題はないかも知れない。「名誉博士号」なんてものもあるのだから。しかし、「首席卒業」ともなれば話は別で、当然、人格まで疑って良いレベルとなる。そんな人格が首都の知事にふさわしいはずはなかろう。

   今日、知り合いの中で、コロナ関連による閉店の話が聞こえてきた。秋から冬にかけての感染爆発による影響が一層懸念される。スペイン風邪のようなことになれば、東京そして首都圏はどうなるのか。ニューヨークのようになるのか?医療は、企業は、学校は、介護施設は、失業者は・・・。その時、都民は、近隣県民はどうするのか。誰が政治的リーダーシップを取るのか。決断は明日に迫っている。
   都民の皆さんは『私の一票、誰に入れる?』などをもう一度見て、是非、自らの意思を明らかにしてほしいと思う。その際、カジノ誘致や原発そして都立病院の独立法人化や水道の民営化など、経済政策に関する基本的な姿勢、そして、改憲やヘイトスピーチなどの政治的姿勢の問題も重要だろう。今回は、「野党」の分裂選挙となってしまったが、こうなれば、都民の一人一人が、自らの生活を見つめ直す中から、最良の選択をする他あるまい。まずは、宇都宮氏(と山本氏)の健闘を期待するしかない。
   
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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2019年11月現在満13歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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