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剣道・なぜこんな私が始めたのか

 今日、我が<しもべ>たる飼い主は、午前中買い物に行っただけで、山に行くわけでもなく、午後、素振りをしただけで「体育の日」を終わらすつもりのようだぞ。疲れているんでしょうかね。でも、なにやら書いてたな

 前回のブログで、「この振りならば、“ストン”と切れるかもしれない」などという恐ろしい表現を使ったが、師匠によると日本刀の切れ味というものはすさまじいもので、刃筋が正しければ、刀の重さだけでもかなりのものがストンと切れてしまうものらしい。しかし、私は人をストンと切りたいがために剣道をやっているわけではもちろんありません。では、なぜ、私のようなものが剣道をやることになったのか?今回はそのことを振り返ってみたいと思います。
 私は、子供の頃チャンバラが大好きで、また、高校の体育でも少し剣道をやっていましたので、剣道そのものに対する抵抗感はあまりなかったと思います。しかし、時代劇のような仮想的世界は別ですが、実際の剣道に対してはやはり戦争や果し合いなど血なまぐさい人殺しのイメージとの重なりが強かったことも事実です。とりわけ、私の若いころには、戦前の戦争と軍刀との結びつきのイメージが強く―――たとえば、「百人切り競争」(それにしても、あれはいわゆる白兵戦の中での話ではないですよね)とか大陸で人を何人切ってきたかなどという話には強い抵抗感があって、剣道をやろうなどという気持ちはほとんどありませんでした。
 ところが、18年ほど前、息子が年上の子に憧れて剣道を始めるようになってから、事態は変わります。よくある話のとおり、子供の送り迎えをしていた私にも子供と一緒に剣道をやらないかという誘いがありどうしようかと悩んでいた時、ちょうどその頃近くにいた新進気鋭の剣道七段の人に相談する機会に恵まれたのでした。そして、その時、彼の話に感動し、得心することがなかったならば、私が剣道をすることはなかったろうと思います。
 その時、彼が私に教えてくれたのは―――表現は若干違ったかもしれませんが―――、次の二つのことでした。まず一つ目は、剣道の「礼」とは、「人間同士の相互的尊重を表したものだ」ということでした。それまでの私は、剣道の「礼」を封建的身分関係―上下関係と強く結びついた儀礼的なものと理解していたのですが、彼の話から、「ああ、『礼』とは、<自由で平等な>諸個人間の相互的な尊重ととらえればいいんだ」つまり普遍的で実体的なものなのだと、得心したわけなのでした。二つ目は、剣道の「合理性」についてでした。たとえば、剣道の基礎を教えてくれる際、「竹刀を振るときは、やり投げの槍を一番遠くまで飛ばすように、つまり、円の半径を最大にして、最後に軽く握ってやる―――つまり、突然その半径を短くしてやるわけですよね―――と、剣先に鞭の先ような効果が生まれる・・・」といったように、あたかも力学を教えているかのような彼の論理性には「爽やかさ」さえ感じたといってもよいでしょう。こうして、それまで私が剣道に対して抱いていた極端な根性主義や精神主義といった印象も拭い去られ、私の剣道生活が始まることになったのでした。
 さて、もう時間がなくなってきましたので、私の「武道」に対する考えは次回論じたいと思います。

 サロさん、ほっといて悪かったね。そろそろ、ご飯かな。「お犬様」だねえ!
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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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