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『南京の真実』――従軍慰安婦に関する三冊の本(3)

 
侵略戦争への動員の果てに

 ―――日本の女と男を再びあの「汚辱」の中に引き込むのか?!


   私たち戦後世代にとって、戦前の侵略戦争についての認識に大きな影響を与えたのは、やはり、本多勝一『中国の旅』だったのではないでしょうか。それ故でしょう、戦前の侵略戦争を肯定しようとする勢力のこの本に対する反応はまさしく尋常とはいえないものです。ネット上でのワンパターンな記事を読むにつけ、彼らが大切にしたいと考えている自国中心的価値観や私には非常に稚拙に思われる(論理とは言えないような)「論理」はある意味で興味深くはあるものの、それらは、結局、あの無謀で悲惨な侵略戦争、そして、その結果としての〈敗戦〉をもたらした「暴支膺懲」・「支那膺懲」論をさらに戯画化したものに過ぎないであって、その思想と論理には全く『未来』はないと言ってよいと思うのです。確かに、安倍〈デジャヴ〉政権の成立やその延命など、国内政治的にはまだ決着はついていませんが、その帰趨はこの数年の間にはきっとはっきりすることでしょう。

   ところで、戦前の日本国家の侵略性を最も象徴的に示すのが、1937年からの日中戦争(支那事変)における、上海から南京に至る日本軍の行動です。それは、いわゆる「南京大虐殺」とか「南京事件」とも言われるもので、大東亜共栄圏の理想を振りかざした「聖戦」の侵略性を、「731部隊」とともに、最も象徴的に示すものとされてきました。他国の地に大軍を送り込み、想像を超える頑強な抵抗に遭遇する中で、農村から物資を現地調達し、都市を破壊しつくすことになったこの戦闘の中で、「皇軍」兵士は中国人に何をしたのか、何をさせられたのか。私は、すでに幼い頃から、その意味することを理解できないまま、第二次上海事変に加わった親戚の話として、その有様を聞き知っていたのでしたが。

   この「南京大虐殺」については、侵略を受けた中国側の民衆や元日本軍兵士たちの証言を含む多くの資料がある一方で、「南京大虐殺」自体が捏造だとする主張もあります。ネットで検索すると、よほど力を入れているのでしょう、歴史学の成果や家永教科書裁判そして百人切り裁判などの判決があるにもかかわらず、後者の見解でほぼ埋め尽くされています(汗)。しかし、それらは、私が読んだ限りにおいては、「三十万」という数がおかしいとか、虐殺の証言には証拠がないとか、あるいは、嘘があるとか、逆の証言が元日本兵からあるとか、が主な論拠のようです。その主張自体が支離滅裂な場合も多いのですが、要は、論点を個別的、あるいは客観的に確定し難いところに呼び込み、その「不確実性」を強調することによって、それを全体に及ぼし、だから、そもそも「虐殺」はなかったんだ、それゆえ(?)に、日本軍の中国への「進出」は「侵略」ではなく特別非難されることではないんだ、というわけのようです。ただ、情報の受け手としての私の印象からいえば、それらは、最近の〈世知辛くなった〉ご時世でしばしばお目にかかる、虚実織り交ぜた、論点のはぐらかし、言い逃れと同質のものだとしか感じられませんでした。それにしても、証拠が隠滅され証言によってそれを解明してゆくしかなかった「731部隊」にたいする態度、そして、死ぬまで抵抗して殺されなければ強制ではなく合意だと主張するがごとき「従軍慰安婦」問題おける「強制性」の否認―――勿論、「狭義」の強制もあったのですが―――まで、つくづく呆れるしかありません。
     
    しかし、問題は、実際に、その「場」でどのようなことが起きたかです。一般ピープルたる私自身 には、笠原十九司『南京事件』(岩波新書、1997年)が一番手頃かつ信頼できるものと思われるのですが、今の「錯綜」した状況においては(?)、「公平な第三者の目」が説得力を持つかもしれません。その意味で、是非一読をお勧めしたいのが、次の一冊です。
 
 ジョン・ラーベ『南京の真実』(平野卿子訳、横山宏章解説、講談社、1997年)

    この本は、当時の日本の同盟国(日独防共協定)ドイツの、それもナチ党員であった、ジョン・ラーベの日記です。彼は、日本軍占領下の南京における「国際安全区」委員会の代表として非戦闘員救済に奔放した「中国のシンドラー」とも呼ばれる人物で、その日記は、当時の「国際安全区」を含む南京市内の様子を〈具体的にイメージする〉うえで欠くことのできない貴重な資料と言えるでしょう。このブログの構想のはじめの頃には、この本についてもう少し詳く紹介しようと思っていたのですが、もうかなり長くなってしまっていますので、結論だけを記します。それは、「南京大虐殺」―――つまり、武器を捨てた敗残兵や捕虜そして一般市民への、非人道的で国際法違反の大規模な殺害(彼らは、その数を、南京城内だけで、ほぼ5、6万人と捉えていたようですが)そして略奪・暴行・強姦―――は間違いなくあったということです。彼の日記は、その様子をなまなましくと伝えています。あとは、単純な国語読解力の問題です、

   さて、本題に入りますと、このラーベの日記には、日本兵による中国人女性に対する目を覆いたくなるような強姦・暴行の有様(「安全区は日本兵用の売春宿になった」)とともに、日本軍(ー日本当局)による、まさしく、「兵隊用の大がかりな売春宿」をつくる動きが記録されています。そして、言うまでも、この南京事件が起こったときの首相は、あの近衛文麿だったのです。近衛は、この時の対応を良く憶えていたに違いありません。

   私は、前回のブログで、いわゆる「従軍慰安婦」問題の原点は(第一次上海事変ではなく)「南京事件」にあったのではないかと書きましたが、それは、戦地や占領地において、多数の他国あるいは他民族の女性たちが、日本軍ー日本政府の管理下で奴隷的拘束状態におかれ、日本人将兵の性欲解消の「道具」として「使役」されたという、現在、国際的な問題となっているこの問題がもつ民族的(すなわち侵略的)側面の際立った性格がそこに見られると考えたからです。すなわち、この水準においては、その理由が日本兵による強姦の防止であろうが日本兵の性病予防であろうが、民間の業者によって媒介されていようといまいと、その女性がたまたま他国の職業的売春婦であったかどうかなどは、関係ないのです。
   石坂啓さんは「突撃一番」の中で、「稼ぐだけでなく こんな 自分の身体が 少しでも 国のためになるのならと 思っていたことも事実です」という主人公が「そんなあたしが アイちゃんの怒りを ほんとうに理解するということは 無理だったのかもしれません」と語らせていますが、まさしく、アイちゃんの、アイちゃんの家族の、同胞たる朝鮮人男性の、朝鮮民族全体の怒りは、この水準にあるのだろうと思います。それ故、「南京事件」における日本軍の行為が、多くの中国人の「抗日」の意識をより高めただろうことは、立場を変えて考えてみれば、容易に理解することが出来るのです。もしそんなことはないというならば、その人の「民族意識」など偽物に決まっています。こうして、「南京事件」におけるこうした日本軍の行為を正当化するなどは、最も反民族的なことであり、かつ、日本の利益を害することになるのです。

   私は、石坂啓さんも「突撃一番」のなかで見事に描き出していると思う、「従軍慰安婦」問題が内に孕む重層的な「差別」構造―――民族差別、性差別、階層差別―――をしっかり把握し、その内的矛盾や相互関係を理解しなければならないと考えている者です。そのことによってこそ、そこに生まれる様々な共感や反感・蔑視などの根を捉え、論点のすり替えを許さないとともに、問題解決への道筋も発見できると考えるからです。

   さて、「従軍慰安婦」問題には、明らかに、人口の半数を占める女性への差別を見ることが出来ます。その差別とは、この場合は、男性が女性の性を、その人格と切り離して、自らの性的欲求を満たすための道具として見、扱うことにあります。多くの女性たちが、それを受容あるいは正当化する議論に強い不快感を感じたに違いありません。性差を差別に転化する「ジェンダー」の役割分担論の一変種と思われるこうしたイデオロギーは、「男ってそういうもので、しかたがない」といったかたちで、戦前の日本女性にも、その受容が策されていたものといってよいでしょう。
   勿論、両性の性的関係は、両性の〈自由な〉合意によってのみ許されるのであって、そうした人格的条件を欠く場合には、明白な人権侵害、犯罪となるのです。ですから、そうした人格的条件を欠く場合には、〈自然〉と表現される性的欲求であろうと、自らコントロールすることが両性の人間的尊厳の維持のためには不可欠なこととなるのです。(例えば、男の場合、宮台真司流に表現すれば、自分で通してしまえばいいのであり、また、そうすべきなだけなのです。)
   ところで、勿論、全ての兵士や軍隊がそうであったわけではない(!)のですが、しかし、戦前の日本軍の少なからぬ兵士たちが、どうして強姦という犯罪行為を犯し、そして、差別的で暴力的なあの軍の慰安所に列をなすことになったのか、その原因ははっきりと解明する必要があるでしょう。私はそれを、女性に対する差別的な意識の摺り込みとともに、そうした〈おぞましい〉行為を強いる「力」に対する〈恐怖〉ではなかったのかと考えています。男たちは、それを〈おぞましく〉感じる感性を持ちながら、そうした犯罪的で非人間的な行為を煽る「力」に抵抗する〈強さ〉に欠けていたのではないかと考えるのです。

    最後は、階層的差別あるいは階級的差別です。あの〈おぞましい〉「従軍慰安婦」制度を支えたイデオロギーの一つは、同胞たる、〈貧者〉あるいは〈社会的弱者〉に属する婦女子を、自分たちの秩序や利益を守るための「防波堤」として利用して恥じない考え方です。性的差別(男性による女性の支配)を前提とする「公娼制度」には様々な理由が付けられていましたが、そうしたものの中で最も記憶に残っているものは、「それは、良家の子女を守るためのものだ」というものです。政略結婚や男の性的放蕩に苦悩してきた彼女らがそれらと一対をなすこうした議論に素直に同じたかどうかは私には分かりませんが、それが強姦防止という理由付けとともに、かなり広汎に流布していた可能性も大きいと思うのです。橋下らが最後にしがみつこうとしているのもこうした側面にほかならないでしょう。だからといって、公的で高い位置にある者の子女がその「誰でも理解できる」「大切な仕事」に就くことはないのです。私たち一般ピープルは、こうした階層差別的あるいは階級差別的な言辞を決して許してはならないと思います。実は、この「慰安婦」問題に限らず、現在目前に展開している様々な問題の背後には、犠牲を〈一般ピープル〉とりわけ〈貧者〉あるいは〈社会的弱者〉に押し付けて平然としている、権力者=イスタブリッシュメントの心性が見えるのです。

   最後に、現在外国人の「従軍慰安婦」問題として国際的に議論となっているこの問題を、日本人が日本人自らの問題として考え、反省することこそが、日本の女と男を再びあの「汚辱」の中に引き込ませないことの条件でもあると私は確信します。補償問題と絡めながら、民族間の分断を図ろうとするがごとき姑息な動きに乗せられてはいけません。差別心からの解放、自らの弱さの克服、それらが私たち〈一般ピープル〉の『未来』を切り開く鍵となるでしょう。

 ―――サロさん!しばらくかまってあげられなくて悪かったね。でも、君は、最近、随分、わがままだよ。誰かさんたちのようなわがままは許しませんよ。

―――大丈夫だモーん!ほかのワンワンに迷惑かけてないもーん
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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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