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「抑止力」批判―――「権力政治」の粗野な復権


誠実さのひとかけらもない子供騙しのプロパガンダ
   ―――「集団的自衛権」は国民を不幸にする


  ※8月11日、安倍政権は、国民多数の反対にもかかわらず、「世界で最も厳しい」などというそれ自体根拠の不確かな「綺麗事」を相変わらず鉄面皮に口にしつつ、川内原発一号機を再稼働させた。それも、福島原発事故の収束も真っ当な検証もないままに、この火山・地震大国日本で、核のゴミの最終処分問題をも放置したまま、そして、住民の避難計画も定かでないままに、だ。さらに卑劣なのは、原発推進を「国策」として掲げているにもかかわらず、その〈当然〉想定される事故に対する責任から逃れようと、「規制委の新規制基準に適合すると認められた場合は・・・」とか「実際に再稼働するのは事業者だ・・・」とか言う〈汚さ〉なのだ。一事が万事!要するに、仲間内の金儲けによって生まれる「負の遺産」は、自らはその責任から逃れつつ、全て一般ピープルに転嫁しようという魂胆なのだ。アベノミクスやTPPそして新国立競技場などの「トリック」も基本的に同じ構造といってよい。そして、そうした手口が次第に明らかになりつつある現在、さらなる反発を招かないようできるだけ「静か」にしていようという魂胆が見え見えなのだ。ああ、なんという政府を持ってしまったことなのか。

   さて、本題の「戦争法案」についてであるが、その違憲性と内容の杜撰さは参院での審議においても明らかにされつつある。ただ、政府の答弁は、参院での採決すらしない「60日ルール」によるより「静か」な成立を目論んでか、相変わらずの時間稼ぎといった雰囲気が濃厚だ。しかし、集団的自衛権に対する「政府解釈の変更」とそれに基づく「戦争法案」の違憲性が一層明白になってきたためであろうが、このところ、アベッチたちは論点をより〈改憲論議〉に近いところに移しているようにも思われる。つまり、(限定的ならざる)集団的自衛権の必要性やそれを支える「抑止力」についてのご高説だ。その典型がアベッチの『安倍さんがわかりやすくお答えします!平和安全法制のナゼ?ナニ?ドウシテ?』と佐藤正久国防部会長の『教えて!ヒゲの隊長』だ。これらについては、すでに、話題の『【あかりちゃん】ヒゲの隊長に教えてあげてみた』やその他多くの批判的論評も出ているのでご存知の方も多いと思う。そして、とりわけ突出して馬鹿馬鹿しいのが安倍内閣総理大臣の国家間関係やテロリズムの問題を家庭の戸締りや町内会の地域協力そして友人関係にたとえた「抑止力」論なのだ。それでは、以下、これらの点に関連してこれまで私が考えてきたことを書き記しておきたい。

   まず、最初に確認しておかねければならないのは、「集団的自衛権」とは『国連憲章』第7章第51条の「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。」との規定に見られるものである。ただ、ここで注意しておかなければならないのは、この国連憲章で初めて登場した新しい概念は、これまでの「(軍事)同盟」方式に代わって構想された「集団安全保障」体制の中に、一定の制約の下にではあるが、当時のラテンアメリカ諸国との関係からアメリカによって導入(「密輸入」)された、古い「軍事同盟」の方式(地域的取極または地域的機関)のことに他ならないということなのである。そして、この「軍事同盟」(→集団的自衛権)の考え方こそが、近・現代の国際社会=国家間関係を支配した「権力政治(パワー・ポリティクス)」、別名「現実主義(リアリズム)」とも呼ばれる政治観を基底に、軍備(=武力)と「軍事同盟」こそが敵国の攻撃に対する「抑止力」となり、自国の安全を保障しうるというものだったのである。

   もちろん、近・現代のこうした「権力政治」のなかで数多くの悲惨な戦争が引き起こされ、膨大な数の人々が犠牲となりまた自然が破壊されることになった。それ故に、こうした戦争の歴史を乗り越え恒久の平和を実現するためには、こうした考え方への反省と対決が不可欠だったわけである。そして、こうした方向性の中で生み出されてきたのが、「戦争の違法化」と「集団安全保障」方式――「対立している国家をも含め、世界的あるいは地域的に、すべての関係諸国が互いに武力行使をしないことを約束し、約束に反して平和を破壊しようとしたり、破壊した国家があった場合には、他のすべての国の協力によってその破壊を防止または抑圧しようとする安全保障の方式」―――であり、さらに、こうした方向性の中で、一国の「常備軍の廃止」・「交戦権の否認」にまで突き進んだ最先端の政治的表現が日本国憲法(前文と9条)に他ならなかったのである。それ故にこそ、日本は、憲法第9条を根拠に、1951年の日米安保条約締結後も「集団的自衛権」の行使を否認し(=「専守防衛」)、また、1956年の国連加盟に際しても「集団安全保障」体制下でのいわゆる「国連軍」への参加もできないものとしてきたのであった。

   ところで、私自身も、これまで、E・H・カーの『危機の二十年』やモーゲンソーの『国際政治』そして坂本義和の『核時代の国際政治』やガルトゥングの『平和への新思考』などを読み考えてきたが、このブログにおいても、「『風の谷のナウシカ』によせて(6)――戦争論と非暴力直接行動」の中で、「権力政治」観や「勢力均衡論(バランス・オブ・パワー)」について次のように書いたことがあった。

  「前者は、国際政治とは「国益(ナショナル・インタレスト)」をめぐる国家間の権力関係であって、その実現の為には、最終的には「戦争」という手段に訴えることも許される、あるいは、それは権利でさえあるという考え方でした。また、後者は、このような権力政治の中にあっては、「国益」追求と自国の安全保障にとって最終的に頼れるのは軍事力なのであり、「(仮想)敵国」の侵略を阻止し、「平和」を維持するためには、軍事的な「報復力」-「抑止力」に基づく「力の均衡」―――「殴ったら殴り返される」という『恐怖の均衡』―――が不可欠であるとするものでした。両者は、しばしば、ウイルソン的な理想主義に対して、冷厳な国際政治の現実を表すものとして喧伝されていたのです。勿論、それらが際限ない軍備拡張競争を引き起こしたこと、また、勢力均衡の崩壊による世界大戦の勃発など必ずしも戦争の抑止に成功しなかったこと、さらに、世界の「相互依存関係」の深化・発展という現状の中で、国際社会が狭隘な権力政治的関係だけに閉じ込められていたわけではなかったことなど、これらに対する批判的見解も少なくなかったのですが。」)

   こうした脈絡で安倍政権の「集団的自衛権」の容認ー「抑止」論の強調を見れば、彼らが「権力政治」における「軍事同盟」を、それも最も粗野な形で、復活させようと目論んでいることが明白となるわけだ。とりわけ「犯罪的」なのは、〈国家〉間の〈戦争〉を〈日常生活〉の延長のごとくに説明して、国民を〈海外での武力行使〉に動員しようとしていることだ。アベッチの「スガ君」だの「アソウ君」だの「町内会」だの「消防士」だのといった「たとえ話」は、実際に戦争を経験したものでなくても、少しでも真っ当に戦争の問題を自分の頭で考えようとした者にとっては噴飯物といっていい!それにしても、あのような馬鹿馬鹿しい「たとえ話」をすんなりと受容できる人々とはどのような人たちなのだろうか?!石橋湛山や宇都宮徳馬をはじめとする護憲派保守の人々ならどう思ったことだろうか!

   現在私たちが必要としているのは、国際的な紛争や敵対関係をどのように平和的に解決・克服していくかであって、帝国主義時代や冷戦時代華やかなりし頃の「軍事同盟」や「抑止力」の考え方に立ち返ることではないであろう。確かに、近・現代の〈国家〉間関係において、いわゆる「権力政治」的ー「勢力均衡」論的な〈動き〉が支配的であったことはある程度事実であるが、そのことは各国家で支配的地位にある「国家エリート」・「権力エリート」の行動特性からくるものであって、それと各国そして世界の「一般ピープル」の〈安全と平和〉とは必ずしも一致するものではなく、それどころか、しばしば相反するものとしてあったのだ。つまり、こうした〈動き〉の中における「軍事同盟」や「抑止力」の効果は明らかに「限界」を有していただけではなく、戦争の危険性や被害を増大させさえしたのだ。そして、このような「軍事同盟」や「抑止力」についての厳密な歴史的・現実的な検討もないまま、ああした馬鹿げた「たとえ話」を国民にしたり顔でタレるとは、―――もし彼がその「たとえ話」を本気で信じているとすれば彼の思考のレベルの低さそのものをあらわしているといってよいけれど、よもやそのようなことはなかろうから(?)―――それは、誠実さのひとかけらもない、国民を舐めた、子供騙しの、「下品」なプロパガンダ以外の何物でもないということなのだ。

   確かに、日常生活の中でも殺人や火事は起こるが、それと公権力が強制的に諸個人を国家間の「殺しー殺される」関係に引きづり込む戦争のなかでおこる「殺人」や「戦災」とは、その性質を全く異にするのだ。多くの戦争体験者が証言する日常生活と戦争状態の質的な相違に対して、日常生活と戦争状態を融和的なものにしようとするが如き言葉のレトリックは許されないことだ。そもそも、戦争の「抑止力」の主体とされる〈軍隊〉は、実際の戦争の過程では国民を守らないと言われている。逆に、「国家エリート」の指導する戦争の過程では、その「国家エリート」が支配する「国家体制」のために国民の犠牲が求められ、それが前提とされさえするのだ。先日、たまたま、ISに対するアメリカなどの空爆で500名もの一般市民が誤爆によって死亡しているという報道に接したが、この「殺人」は一体どのような考え方によって許され、正当化されるというのだろうか。かけがえのない命を奪われた一般市民とその家族・友人にとって、国家の「対テロ戦争」とはどのような意味を持つというのだろうか。要するに、一般ピープルにとって、それ自体として受容できる「正義の戦争」など存在しないのだ。

   また、「抑止力」と言っても、「厳罰も必ずしも犯罪の抑止力とはならない」と言われるように、アメリカを中心とする欧米諸国の中東政策によって生み出された「テロリズム」は、「集団的自衛権」に基づく武力による威嚇や行使によっては、もう抑えることのできない状態に達しているのは明らかだ。また、広島・長崎を経験した被爆国日本の一般ピープルにとって、まさしく全人類の課題でもある「核兵器廃絶」を妨げてきたのが「核〈抑止〉」論であったことも忘れてはならないことだ。そして、戦後、米・露・中を中心とする核保有国間の直接的な戦争が回避されていることも事実だが、その強大な軍事力によっても数多くの国際紛争や戦争を「抑止」し得ていないことも事実なのである。ところで、「抑止」論には敵国あるいは仮想敵国の存在が不可欠だが、安倍政権はあの冷戦時代のソ連の「脅威」にも増して中国・北朝鮮の「脅威」を強調しているが、その具体的状況の現実性についての論評は避けるとしても、海外における米国との集団的自衛権の行使は、双方の「権力政治」的な軍事力の強大化を生んで軍事関連産業の利益を増進することはあっても、いわゆる個別的自衛権を超えて日本の安全に資することはないと考えられる。そもそも、「自衛」を名目としたものであったとしても、双務的な「軍事同盟」(=集団的自衛権)は、その中に必然的に「先制攻撃」の契機を含むのであって、純粋に「防衛」的であることは困難なのだ。まして、海外で行動することになれば、「自衛」ー「抑止」のレベルを超えることは必然とならざるを得ない。それ故に、現在の自衛隊はあくまでも「専守防衛」であるべきなのだ。

   上記の文を書いていた昨日(8月14日)、安倍の戦後70年談話が発表された。あの長広舌を聞いて感じたのは、自らが欲する政治的・経済的「果実」を手に入れるためならば、黒を白と言いくるめることも全く意に介さない、シニシズムだ。『ことば』の真実性に対するこうした鉄面皮な冒涜は、日本と日本人に対する信頼を大きく損なうことになるだろう。
   ところで、この長大な談話のなかで私が感じたのは二つの「密輸入」である。一つは、非戦・不戦の日本国憲法の下で〈戦争諸法案〉や〈武器輸出〉を可能にするために、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」と一見憲法との連続性を装いつつも、「集団的〈自衛権〉」の名の下に、海外における「武力の威嚇や行使」を可能にしようとする「積極的平和主義」の仕掛けである。
二つ目は、形の上では村山談話や小泉談話を継承すると言いつつ、自らの「歴史修正主義」的な歴史観を様々な表現によって隠微に挿入していることである。しかし、それは東アジアの安定を望むアメリカや中国・韓国の要請に対する配慮という側面もあるが、日頃の言動や「憲法改正草案」に表れたその「本心」にもかかわらず、そして、形式的で欺瞞的なものに過ぎないとしても、こうした表現を取らざるを得なかったのは、日本国民の圧倒的多数が日本国憲法の歴史観と平和主義を支持している故でもあろう。
   「政治とは可能性の技術」だといった言もあるが、政治家たちのそうした「ゲーム」意識のなかでわれわれ一般ピープルの「命と安全と幸福」が弄ばれることを許してはならない。われわれ一般ピープルは、彼らの「掛け金」が何であるかをしっかりと見抜かなければならないのだ。
   「60日ルール」を手にした「アベノクーデタ」の前途は楽観できないが、アベの正体をはっきりと見た私たちは、アベの政治を決して許さず、次の参院選・衆院選でアベ勢力を打ち倒し、今回強行されるかもしれない「違憲立法」とアベの最終目標である「憲法の改悪」を葬り去らなければならない。(2015年8月15日、記)



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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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