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2015夏の旅行記(2)―――羽黒山・山寺

全山に満ちる〈宗教的情熱〉
   ――――いったいこれは何なんだ?!



山でも感じたよ!〈サロ心〉
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 ※ 今回もサロさんは「兄貴1」と留守番だ。私が出かけると、ずっと玄関で待っているのだそうで、「兄貴1」が長〜い動画を撮っておいてくれた。う〜む、責任を感じてしまいますなあ。


   さて、今年の夏の家族旅行の本番は、芭蕉の俳句でも有名な、山形県の羽黒山と立石寺(山寺)とした。両者とも長い石段を登る信仰の霊山だ。それにしても、全山にみなぎるあの宗教的情熱は一体何なのだろう。大自然・大宇宙との一体感の中に感じる自己〈存在〉の神秘性に対する驚愕と感動・・・それを私は、「(日本的)霊性」(鈴木大拙)とまでは言わないが、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」にも通じる、人類〈普遍〉の感覚ではないかとは思うのだ。そして、あの時代の修験道者たちは、「未知との遭遇」を求める現代の冒険家たちと同型の人々だったかもしれないとも思うのだ。

【旅程】
 8月9日(日)
   ー〈東北道・山形道・〉ー庄内あさひIC――羽黒山
    (三社合祭殿ー羽黒山参道・杉並木ー羽黒山五重塔)――宿泊
 8月10日(月)
   ー〈山形道〉―山形北IC――山寺(立石寺・根本中堂ー弥陀洞
   ー奥の院・大仏殿ー五大堂・開山堂ー蝉塚)――山形北IC
   ―〈山形道・東北道〉―



第1日目 羽黒山


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三社合祭殿
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 ※ 三社とは、月山・羽黒山・湯殿山の三神を合祭した社殿で、その茅葺の屋根の迫力は圧巻。その厚さはなんと2.1mにも達するのだそうだ。時間の関係上、「出羽三山歴史博物館」を見ることができなかったのは残念だったが、それは次の機会の楽しみに残しておきたいと思う。次は、湯殿山ですからね!


五重塔
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 ※ 山頂から石段の参道を下り、芭蕉の「三日月塚」――「涼しさやほの三日月の羽黒山」(『奥の細道』)――を経由して、「国宝羽黒山五重塔」に至る。その古びた、木肌を晒した五重塔の味わいは予想を超えるものだった。これを月明かりの下で見た芭蕉はどのような感慨に浸ったことだろうか。宿に〈ライトアップされた五重塔〉と一緒に写っている吉永小百合のポスターがあったが、これは必見かも知れない。


この五重塔を創建したのは?
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 ※ 答えは、平将門だ。真偽は定かではなく、現存するものも約600年前に再建されたものだというが、なぜこの出羽の地に将門なのかは興味あるところだ。大岡昇平の『将門記』によれば、出羽国では将門の乱に先立って俘囚(蝦夷)の乱が度々起こっており、将門と出羽国そして羽黒山との関係も興味深々というところだ。また、この五重塔には出雲系の大国主命が祭られ、あの江戸の「神田明神」には「新皇」平将門が祀られていたりする。歴史とは単線的ではないとつくづく感じさせられる。


杉並木と石段
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 ※ 振り返ると杉並木の石段を二人が登ってくる。何を話しているのかな。この杉並木は特別天然記念物で、樹齢300年から500年の巨木が600本ほど立ち並んでいる。また、参道には2446段の石段が設けられているが、本当によく敷き詰めたものだ。そして、その石段を登り降りした多くの人々がいた。


二の坂茶屋からの庄内平野と日本海を望む
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 ※ 参詣道の中で唯一残っている茶屋が「二の坂茶屋」だ。そこで私たちは、かき氷を食べながら、眼下に広がる庄内平野と日本海を眺めることができた。この季節、海が見えるのは珍しいと店の人が言っていた。


今日の旅程をを終え、三社合祭殿を背に
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 ※ 千数百年にも渡って築き上げられてきた羽黒山。そこには、権力者の強大な力とともに、一般ピープルの情熱と力の積み重ねが、参道のそこかしこに感じられた。しかし、神仏混合だったこの霊山にあった数多くの仏教系の文化遺産が、明治維新後の廃仏毀釈運動で破壊されてしまったこともけっして忘れてはならない。






第2日目 山寺(立石寺)へ

残雪の月山を望む
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 ※ 青森ではねぶたが、仙台では七夕が、山形では花笠踊りが終わるともう夏は終わりだという。そして、8月の山形にはススキの姿が目立った。羽黒山ではススキの向こうに月山を見たが、山寺へ向かうこの日は、痩せた残雪の月山をみた。3年前の月山への”ツーリング登山”ではあの雪渓を渡ったが、さあ、今年はどこへ出かけることになるのだろうか。


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立石寺・根本中堂
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 ※ 山寺の歴史はすごい。山寺観光協会のHPによると、「山寺は、正しくは宝珠山立石寺といい、貞観2年(860)清和天皇の勅願によって慈覚大師が開いた、天台宗のお山。正面の大きな建物は、国指定重要文化財の根本中堂である。延文元年(1356)初代山形城主・斯波兼頼が再建した、入母屋造・5間4面の建物で、ブナ材の建築物では日本最古といわれ、天台宗仏教道場の形式がよく保存されている。堂内には、慈覚大師作と伝えられる木造薬師如来坐像が安置され、伝教大師が比叡山に灯した灯を立石寺に分けたものを、織田信長の焼打で延暦寺を再建したときには逆に立石寺から分けたという、不滅の法灯を拝することができる。」とのことだ。


ありがたや!”ころり往生”阿弥陀如来
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 ※ こんなありがたい仏様がいらっしゃったとは!心を込めて、お賽銭を差し上げ、お数珠を回し、お祈りを捧げ、おみくじを引いてきました。おみくじは「中吉」でした。ありがたいことです。


弥陀洞(みだほら)であなたは?
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 ※ 我が家族集団は、登り下りとも、5分間以上その前で悩んでしまった。なぜなら、「ながい歳月の雨風が直立した岩をけずり、阿弥陀如来の姿をつくり出した。1丈6尺(約4.8メートル)の姿から丈六の阿弥陀ともいい、仏のお姿を見ることができる人には、幸福がおとずれるという」からだ。結果?「続きを読む」をご覧ください。


奥の院・大仏殿
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 ※ ここが山寺で最も高いところだ。右側の建物が「奥の院」=如法院で、左側が大仏殿だ。山寺の階段は約800段というが、老若男女の本当に数多くの人々が訪れる観光スポットになっている。ただ、周りを見回せば、天台密教の修行の場があちこちに見られ、確かに、往時の宗教的情熱のな残りを感じることができるようだ。


灯籠〈おたく〉はここで・・・
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 ※ 人にはなかなか理解できない特徴があるものだが、「姉貴」の趣味の一つに「灯籠」がある。今回の旅行でも、あちこちで、喜々として灯籠の写真を撮っていた。言われてみれば、確かに一様ではなく、地域によってもいろいろな違いがあるようだ。ただ、この後、「姉貴」は愛用のi-padを下に落として液晶を傷つけてしまったのだ。お気の毒に。



山寺の核心:納経堂・開山堂・五大堂
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 ※ 岩の上の小さな建物が写経を納める納経堂で、山内で最も古い県指定文化財の建物だ。その真下には、貞観6年(864)歿の慈覚大師が眠る入定窟があるという。その右が開山堂で、右上の建物が五大堂である。


五大堂
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 ※ 山寺で4人みんなが一番良かったと思ったのが、ここ「五大堂」だ。その古さと「寛容さ」、そして、その素晴らしい展望には、俗化を超える魅力があったように思われる。慈覚大師の名は私も知っていたが、彼がこの場所を修行の場に選んだ理由がわかったような気がした。


五大堂からの風景
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 ※ この岩山に、あの岩壁によじ登り、お堂を建てて、修行をした僧侶たち。そして、この山寺を訪れ、仏に手を合わせた人々の気持ち。「わからないではないなあ」と、不遜にも思ったりしたものだ。


蝉塚
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 ※ 立石寺は芭蕉の句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」が歌われた地として有名だが、この季節のこの時間帯ではとても「殊に清閑の地なり」とはいかないのでしょう。しかし、その様子を想像することはできる「旅」であったと思う。

 
 ※ 家に帰ると、サロさんが、耳を横に倒し、くるくる回り、そして、廊下をダッシュして迎えてくれた。〈サロ心〉を再認識するのも「旅」の意味の一つのようです。それにしても、夏バテが・・・




   私が見た仏様とはこれです。わかりますか?ただ、これは「1丈6尺(約4.8メートル)」の姿ではないようですね。


私が見た阿弥陀如来
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プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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