FC2ブログ

安倍の好きな靖国神社に行ってみた――大江戸散歩・番外編

兵隊さんありがとう!お国のために死にましょう!
 ――死者の「純粋な心」を利用した戦争指導者の自己正当化


   ※ 私は、今年の春から、長い間近くに住んでいたにもかかわらずほとんど訪れることもなかった〈江戸の面影〉を見て回ることにしていた。この「大江戸散歩」については、年末にでもまとめておきたいと考えているが、今回はその中で立ち寄ることになった「靖国神社」と「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」について書いておきたいと思う。


   7月下旬のある日、私は「江戸城本丸跡」を訪れた後、千鳥ヶ淵から靖国神社に向かった。理由は、安倍首相をはじめとする「歴史修正主義」的政治家たちが繰り返し実行する靖国神社への「公式参拝」の現場をこの目で見てみたいと思ったからだ。ところで、靖国神社は単なる戦争被害者の「慰霊」の場ではないらしいのだ。そのことは、靖国の前に訪れた千鳥ヶ淵戦没者墓苑での印象(【追記】を参照)との違いにも感じられたし、また、全国戦没者追悼式で「ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります」という明仁天皇の言葉と無理やり〈国務大臣〉という肩書で署名しつつ(つまり、国家・国民の代表を装って)靖国神社に参拝し「国のために尊い命を捧げられたご英霊に感謝の誠を捧げた」とか「公務死された方々をどのようにして慰霊をし、お祭りするかというのは、それぞれの国の問題だ」とか言った高市早苗や山谷えり子の発言とのニュアンスの違いにも明瞭に表れていると思う。さて、靖国神社とはどんな場所なのだろうか。


軍犬慰霊像―サロさんを戦争で死なせはしない!
DSC_3480.jpg

 ※ まず確認しておかなければならないのは靖国神社に祀られているのは、戦争で犠牲になった、一人一人の国民ではないということだ。それは「(天皇制)国家」に殉じて死亡した軍人・軍属を「英霊」・「軍神」として合祀する機関なのだ。そして、そのことは犬や馬についても同じであって、慰霊されているのは「軍犬」であり、「軍馬」だ。慰霊像の犬種はジャーマン・シェパードのようだが、兵士の防寒具になるために徴用された柴犬が「軍犬」の範疇に入るかどうかは疑わしいといわなければならない。そして、靖国神社は、その犠牲者たちの無念で悲惨な死を「お国のため」というイデオロギーによって美化し、正当化する、戦争〈推進〉のための宗教的装置と言っていいのだ。そのことは、エリート職業軍人の養成学校たる「兵学校」生徒や特攻隊に志願させられた陸海軍航空隊隊員によって愛唱されたという、あの『同期の桜』の歌詞―――「4番 貴様と俺とは同期の桜 離れ離れに散ろうとも 花の都の靖国神社 春の梢に咲いて会おう」―――を見ても明らかなことだろう。そして、そこには、大きな〈しかけ〉が透けて見えるのだ。


遊就館・入口――「〈大東亜戦争〉 終戦七十年」
DSC_3482.jpg

   ※ 靖国神社の性格を最もよく表しているのが「(靖国神社)遊就館」である。この施設は、「英霊の『みこころ』や『ご事蹟』を知る」、まさしく「〈戦争〉博物館」といってよい施設であり、そこには、日本国憲法とは相容れない、戦前の〈歴史観・国家観〉が、それも歪んだ形で、維持されているように思われる。このことは「〈大東亜戦争〉終戦七十年」というそこかしこに貼られている看板に典型的に表れている。戦前の戦争の名称については「大東亜戦争」とか「太平洋戦争」とか「15年戦争」とか「「アジア・太平洋戦争」とかの諸説が存在するが、肝要なのは、東条内閣によって採用された「支那事変(日中戦争)」をも含む〈公称〉「大東亜戦争」をどのようにとらえるのかということなのだ。そして、靖国神社=遊就館は、先の侵略戦争を、天皇を中心とする「大東亜共栄圏」実現のための正義の「聖戦」として捉えているのであり、そのことは、1978年、東条英機をはじめとするA級戦犯14名を〈英霊〉として合祀し、讃えていることにも明白に表れているわけだ。勿論、その背後には、何だかんだと言いながら結局アメリカに尻尾を振る一方で、多大な犠牲を強いたアジアや日本の一般ピープルに対しては「居直り」を続ける、「大東亜戦争」の指導者たちとその末裔がいるのだ。

   遊就館に入ると、零戦だの、「先の大戦では、中国大陸や南方戦線で活躍した(!)」重砲兵のカノン砲だの、私にとっては〈痛々しい〉兵器の数々が並んいる。また、館内の売店はさながら「ミリタリーショップ」で、軍事オタクには喜ばれそうなプラモデルや旗、ウエアや小物、そして、「闘魂」・「必勝」・「日本」・「一番」といった鉢巻などが売られている。そして、壁には、「英霊にこたえる会」会長の「八紘一宇」―――大東亜戦争のスローガン:「天皇を中心に世界を一つの家のようにする」といった意味で、それを武力で実現しようという手前勝手なもの――という「書」が鎮座ましましている。


特攻勇士乃像
DSC_3493.jpg

DSC_3492.jpg


  ※ この「特攻勇士を讃える」石碑を見ると、「・・・は敢然として敵艦等に突入散華され今日の平和と繁栄の我が日本の礎となられた。その至純崇高な殉国の精神は、国民等しく敬仰追悼し、永遠に語り継ぐべきものである。」と絶賛し、その継承を呼びかけている。つまり、特攻勇士は、その至純崇高な精神からお国のために死んだのだから、一旦緩急あれば、あなたもお国のために死にましょう、という呼びかけになっているのだ。さて、戦前の戦争の歴史を知っている者なら、これからも同じような状況に直面させられた時、同様の「特攻攻撃」を〈心から〉あるいは〈命令だから〉と受け入れ、また、その要員として死んでいくのであろうか?あの無謀で卑劣な戦争を指導し、若者たちを死地に追いやりながら、その反省もないままに、生を貪っている者たちの戦後の有様を見ても、そう思うのだろうか。

   それでは、死地に向かった兵士たちの「至純崇高な殉国の精神」ー「みこころ」とはなんだったのか。それは、「ひとえに愛する家族や後に生きる私たち子孫のために奮い起こした・・・」、「ひたすら祖国を護るという一念」、「皇国の御為、死力を尽くす覚悟」といった表現に代表されるものだ。しかし、それらは、ある意味で極めて類型化された紋切り型の表現だとの印象も拭えない。もっとも、当時の子供達に対する皇民化(「少国民」)教育の有様、隣組をはじめとする社会的圧力、厳重な報道統制、特高や憲兵などによる物理的強制、そして、親書にすら行われていた検閲などを考えると、これ以外のどのような表現が可能だったのかは想像に難くないところなのだ。勿論、単純に、神(天皇)の意志に従い、栄光の軍神となり、みんなに褒められて・・・と素直に信じることのできる人もいたではあろう。しかし、『きけわだつみのこえ』などの遺稿集、また、生き残った(特攻隊)兵士らの証言などを聞けば、そうした言葉の背後にある〈疑問〉、〈悔しさ〉、〈憤り〉にこそ私たちは耳を傾けなければならないのだろうと思う。

   死者たちの〈家族〉や〈友〉・〈恋人〉、〈故郷〉や〈祖国(クニ)〉に対する想いは疑いのないものだったろう。しかし、注意しなければならないのは、こうした想いを「至純崇高な〈殉国〉の精神」に転換するメカニズムなのである。それは、一人一人のそうした想いを無謀で無責任な指導者たちが牛耳る「天皇制国家」への服従(国や軍、天皇)に転換し、その命令を絶対的なものとして、疑問や批判を封殺するものなのだ。なぜなら、「天皇制国家」の下では、国民の前で「天皇陛下万歳」の音頭をとる戦争指導者たちは、「天皇の神聖不可侵」の鎧をまとい、その政策の是非について問うことに蓋をし、批判を封殺することが可能だったからだ。例えば、戦争指導者に従い「神風」を待って〈持久戦〉を戦うことが本当に〈家族〉や〈故郷〉や〈祖国〉を守ることになるのか、逆に、その危険を増大させその崩壊を招かないのかという当然の疑問は、一度「天皇制国家」のイデオロギーに包摂されると、政府・上官の命令は(批判を許さない)天皇の絶対的な命令となって、封殺されてしまうことになるのだ。こうして兵士たちは戦争指導者たちに都合のよい絶対服従の〈駒〉となった。〔「同胞意識」と「家族国家観」に基づく「政治的〈愛国心〉」との相違については、ブログ・カテゴリ「愛国心」考の「私にとって『愛国心』とは何か(1)〜(5)」をご参照ください。〕

   さらに、こうした〈転換〉のメカニズムは、戦争被害者の「無念の思い」を隠し、打ち消して、彼らをただひたすら当時の戦争指導者たちの国策を信じ、それに殉じた者として「固定化」する。そして、戦争指導者たちは、戦争被害者を駒として消耗品として利用し尽くした挙句、それ自体先に述べたような様々な仕方で操作・強制された「至純崇高な〈殉国〉の精神」(=「みこころ」)によって、今度は、その戦争政策やそれを作成・遂行した自分たち自身を正当化するのだ。また、その「固定化」は、生き残った者たちに対しても、「自分もやらなければならなかったこと」をやって先に死んでいった者への「感謝の気持ち」とか「俺も同じように死ぬつもりだったのだ」といった形で、彼らの思考をそうした戦争政策を自明の前提とする枠組みの中に封じ込めるのだ。しかし、死者の「本心」に報いることこそが本当の慰霊でなければならないはずだ。人は家族や同胞のために止む無く闘わなければならないこともあり得るが、国家神道の宗教的外皮をまとったこうした靖国の〈転換〉メカニズムは、戦争指導者が一般ピープルの「生」と「死」を二重の意味で利用する狡猾なものと感じられるのだ。

   1985年、初めて靖国神社を〈公式参拝〉した中曽根康弘首相は、「国の為に死んだ人を尊崇しないで、誰が国の為に死ぬのか」と述べたが、そこには、上に述べたような靖国神社の機制(メカニズム)を利用し、国民を戦場に送り出そうとする者たちの思惑が見事に表現されていると言えるだろう。


靖国神社のおみくじ
DSC_3479.jpg

   ※ 初詣や七五三には行く私ではあるが、やはり、靖国神社には参拝することができなかった。なぜなら、靖国神社に参拝することは、一人一人の戦争犠牲者を慰霊することではなく、狂信的な神道思想によって「軍神」に祭り上げられた「英霊」を尊崇すること、すなわち、戦前の政治と戦争の正当化を許すことになると思うからだ。しかし、私は、いつものように「おみくじ」だけは引いてみた。結果はいつものように「小吉」だった(苦笑)。しかし、どうやら、私の「政府の行為によって再び戦争の惨禍が繰り返されることのないように」という願いは、必ずかない、思いは達せられるらしいのだ。問題は、どのくらいの時間がかかるかだ。そして、それは、私自身の努力次第だということになる。


戦争犠牲者を再び英霊として靖国神社に合祀させてはならない!

まずは、『戦争法案廃案!安倍政権退陣!8・30国会10万人・全国100万人大行動』に参加しよう



【追記】



千鳥ヶ淵戦没者墓苑
DSC_3466.jpg


  ※静かな墓苑で参拝する親子。私も菊の花を一本捧げてきた。千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、昭和12年以降、海外で亡くなられた軍人・軍属・一般邦人、総数は240万人の実際のお骨が収められている「無名戦没者の墓」である。それは、国家ー戦争指導者たちが、その「戦争」政策を正当化するために、〈勝手に〉戦死者などの名前を〈喜んでお国のために死んでいった〉「軍神」・「英霊」として「名簿」に記載し、国民に崇めさせようとする靖国神社とは全く異なった印象を与える施設だ。胸に浮かんできたのは、広島の「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」に近い感情だった。それは、生きている者の、悲惨な戦争によって亡くなられた方々に対する責務のようにも感じられた。
 


スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ワン・クリック・エリア
おもしろかったらクリックしてね!
にほんブログ村 犬ブログ 柴犬へ
にほんブログ村 にほんブログ村 格闘技ブログ 剣道へ
にほんブログ村 にほんブログ村 政治ブログ 平和へ
にほんブログ村
リンク
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる