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対中国・ネガティヴキャンペーン―マスコミ雑感(4)

「反中・嫌韓」でアベ支援
  ――結局、「権力政治」家間の”Win-Win”関係に!



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僕は「アメリカのポチ」じゃないよ!


   ※ 「線状降水帯」とやらに覆われた関東・東北地方の豪雨被害、また、東京湾を震源とする震度5弱の地震、そして、阿蘇山の噴火。なにやら日本列島に大きな災害の波が迫ってきているのをひしひしと感じます。それにしても、これから頻繁に起こると警告されている巨大災害に対する対策は十分為されているのでしょうか。相も変わらぬ「外敵」の脅威を理由とした自衛隊の〈海外〉派兵が目論まれる一方、まさしく、目の前の国民の命と安全を守る〈災害救助〉の体制のより強固な確立と訓練は十分に行われていると言えるのでしょうか。今回の災害の報道を見ても、また、東日本大震災や福島原発事の被災者の〈現在の姿〉を見ても、本当に国民が大切にされているのだろうかと暗澹たる気持ちになることがあります。さらに、こうした感覚は、労働者派遣法、軽減税率、原発再稼働、沖縄の辺野古新基地問題等々についても言え、やはりアベ政権はアベの「お友達」のための政治であり、日本社会を実体的に担う「一般ピープル」のためのものではないとつくづく思うのです。

   ところで、かなり前からになりますが、「御用マスコミ」のニュースを見ていて、そのあまりにも見え透いた「反中」報道に苦笑せざるを得ないことが多々ありました。それは、必ずしも軍事的、外交的問題とは限らない、中国の経済・文化・社会総体に対するネガティヴキャンペーンと言って良いもので、その多くは、アベ政権が苦境に立ち入らざるを得ない事実報道の後にほとんど「唐突に」繰り出される、アベ政権への援護射撃といった類のものなのです。「来るぞ来るぞ」とワクワクして見ているとほとんど間違いなく来ます。それは、中国に対する「大衆」の《イメージ》をネガティヴ(否定的)なものとして形成・固定化し、そうして作られた「敵(中国)」に〈対抗〉する(「悪く言う」)日本のアベ政権を「肯定的」なものと印象付けようとする典型的なイメージ戦略に他ならないと考えられます。そして、言うまでもなく、こうした「御用マスコミ」の大元には、憲法違反の集団的自衛権の容認を下品にも強行した〈アベ自公政権〉と、よくもあのように邪悪で醜悪な表情ができるものだと感心する櫻井何某とかいう〈エセ文化人〉たちがいるわけなのです。

   もちろん、中国には、様々な問題があり、批判すべきことも沢山あります。とりわけ、「人権問題」や「一党独裁」といった政治的領域での問題、また、激しい格差や強圧的な開発、環境破壊といった経済的領域での問題、そして、アメリカに対抗する軍拡=「大国」路線や周辺の「小国」に対する威圧的行動などの軍事的領域における問題です。しかし、現在の中国に見られる問題は、アメリカであろうと日本であろうと、歴史的にも現在的にも、多かれ少なかれ抱えている、あるいは、抱えていた問題であって、それらを自国に無関係なものとして語ることなどはできないのです。勿論、そのことは、どっちもどっちなのだから口をつぐんでしまう方がいいとかいうことではありません。そうではなく、人権と平和を希求する世界の〈一般ピープル〉は、双方の問題点を「公平」に認識・批判することが必要だということなのです。そして、とりわけ注意しなければならないのは、それらの問題を、例えばアメリカ対中国といったような単純な二項対立的枠組み(「敵ー味方」)の中で把握し、その敵対関係を増幅させるプロパガンダにのみ利用しようとしたり、さらに、そうした問題を、両国民間の非和解的な文化的・民族的・人種的な「差別」意識や「嫌悪」感にまで導こうとする動きです。こうした動きは、国内における矛盾・対立が激化した場合や戦時体制の中で色濃く見られるものですが、それは両国間の互恵的な協調関係を否定し、武力衝突=戦争へと国民を動員する心理的準備として意図的に作り出されるものと言えましょう。ですから、現在にあっても、一度戦火を交えた国家間にはそうしたイデオロギー的な痕跡や残滓が多く見られるのです。世界の〈一般ピープル〉は、こうした単純な二分法的対立関係の構図の中に包摂される危険性を十分に意識しておかなければなりません―――その最も日常的な例は、日本のアベ政権にも問題はあるけれども、日中間の敵対的関係を前提とすれば、日本の方が中国よりもマシなのだから、日本の現状を〈免罪〉してしまってもいい、という最初に述べたような弁護論として機能するのです。

   ところで、日中間の「国民意識」の現状は決して楽観を許すものではありません。しかし、それは、両国の密接な歴史的・文化的関係と同様で、決して一様なものではなかったと言えます。私の短い人生の中でも、戦後の蒋介石や中国共産党の「寛容さ」、中国残留孤児に対するの中国人の親たちの対応、そして、日中国交回復期のパンダブームなど、両国間の「確執」を乗り越える動きも多々あったように記憶しています。ただ、私の周りで聞かれる中国人学生の優秀さという評判の一方で、彼らと直接接した経験を持つ多くの人々の中国人に対するの否定的評価には楽観を許さないものもあります。すなわち、過度の利己的傾向や競争意識、責任感や公共心の稀薄さ、などです。しかし、私が接した限りでの中国人はほとんどがいい人でしたし、また、日本人にもアベのようなそうした意味でどうしようもない人々もたくさんいるわけですから、とりわけ「国民性」としてとやかく言うほどのレベルではないとも言えるでしょう。さらに、私は海外ニュースを見ることが好きなのですが、そこで感じる、「ところ変われば品変わる」とでも言いましょうか、いわゆる〈文化〉的多元性についても十分注意する必要があると言えます。そもそも、他国の「文化」に接する時には、好奇心とともに違和感も感じてしまうのが普通のことといえるのです。しかし、そうした「多元性」こそが、同じ〈人間〉が形成する〈社会〉の現実に他ならないのです。それ故にこそ、私たちは、そうした「多元性」を前提とした相互的理解ー相互承認から出発しなければならないのであり、それを非和解的ー敵対的なものとして捉えてしまう誤りを犯してはならないのです。それこそが人類の共存そして存続の基本的条件なのですから。

   また、経済的な相互依存関係という観点からも、現在の日中両国にとって双方の存在の重要性は明らかなことです。たとえば、日本にとって中国は、輸出入ともに世界第一の貿易相手国です。そのことは日常的な中国人観光客の多さを見ても明らかなことでしょう(2015年度〜8月まで、訪日外国人観光客数の1位)。もし、両国の関係悪化が経済領域まで及んだ場合、どのような結果が生じるかは容易に想像できることです。さらに、同様のことは、中国と世界経済との関係についてもいえ、今回の中国に端を発する世界同時株安に対する世界の反応を見ても、その存在感の大きさが窺われるところです。すなわち、中国経済の「質」的な問題―――それが中国の労働力と資源への新自由主義的支配力(ルール)に関連するところ大なのは容易に理解できることなのですが―――については様々に論じられていますが、米中関係をはじめ、様々な対立を孕みながらも、貿易や金融関係において極めて強い相互依存関係(輸出入や国債保有、等)を形成しているのです。冷戦末期の米ソ関係もそうでしたが、現在の米中関係はそれをはるかに超える規模となっているのです。すなわち、こうした相互依存関係は、対立を孕みながらも、相互の軍事的な衝突の大きな「抑止力」になっているのです。

   ところで、アメリカとの対等な「大国」間関係を目指している中国の軍事力強化はどう把握されるべきなのでしょうか。私はあの「前時代」的な軍事パレードを見ただけでもとてつもない嫌悪感を感じるのですが、そうしたことは、背広を着ながら(多くの民間人が犠牲になっているにもかかわらず)「無人機に殺されたいのか」と軽口を叩いたり、軍服に身を固め最新鋭兵器と笑顔のツーショットを撮ってみせたりする「権力政治」家たちに対しても同様なのです。要するに、「権力政治」を信奉する人々にとっては、「敵ー味方」によってその評価の方向は逆になっても、結局、「武力」・「軍事力」への依存と「信仰」は同質のものなのです。さらに、東シナ海や南シナ海といった地域的な緊張関係増大の原因を見定めるならば、要するに、核武装した大国同士の直接的衝突を回避しながら、「権力政治」的軍備拡張という「ゲーム」をなかだちとして、敵対する両陣営の「権力政治」家たちの国内的な”Win-Win”関係へと導かれている様がはっきりと見えてくるのです。緊迫の度を増す東シナ海における日中関係の場合も―――もともと「棚上げ」という「現状」を変更した石原元都知事に煽られた野田元首相の〈尖閣国有化〉に端を発したものですが―――、全く楽観できるといったものではないとはいえ、やはり、一定の限度内において、両国の政治指導者ー軍産官学複合体の国内政治における”Win-Win”関係へと導かれて行くものといって過言ではないでしょう。割りを食わされるのは、これまた、両国の、とりわけ沖縄県の「一般ピープル」ということになるのです。

   最後に、現在の日中両国民間の相互的な反感に影響を与えていると思われるいわゆる「歴史認識」問題についてですが、これに関しても、両国の「権力政治」家たちと「一般ピープル」とをはっきりと区別して論じる必要があると思います。すなわち、両国の「権力政治」家たちにとっては、自らの国内的権力基盤を強化するために、外国の脅威やナショナリズムに訴えるという常套手段が用いられる―――実際に、現在の両国指導者たちはそれを行っている―――わけですが、しかし、この日中間の「歴史認識」問題については、日本の「一般ピープル」として、明確に認識しておかなければならないことがあるのです。それは、日本の〈侵略〉という否定することができない歴史的な《事実》とそれに対する戦後日本における(「靖国的歴史観」に固執する)保守ー「改憲派」の態度です。もちろん、現在の自らの権力的地位が戦前と戦後における祖父のそれに依存している三世議員にとっては、戦前の歴史をなんとかして正当化したいと思う気持ちもわからないではありません。しかし、そうした正当化が外国の「権力政治」家たちのプロパガンダに絶好の口実を与えていること、さらに、そうした歴史観は、膨大な犠牲者を生み出した戦前の政治と戦争の〈反省〉の上に立つ日本国憲法の歴史観と根本的に対立し、また、日本の〈一般ピープル〉の「主体的な反省」を妨げようと画策されていることについても、しっかり認識しておかなければならないのです。おまけに、それが、恥ずべき「従米主義」に歪められつつも、戦前の大日本帝国のごとき「大国」志向のパラノイア的自己顕示欲と結びついている様を見るとき、我々〈一般ピープル〉は、そんなものに付き合わされるのは真っ平御免だと思わずにはいられないのです。

   二週間ほど前、『ガルトゥングの平和理論―――グローバル化と平和創造』という本を読み終わリました。それは、「平和的手段による平和」の実現、すなわち、紛争の非暴力かつ創造的な解決のために、現状を分析ー「診断」し、紛争のこれからの経過ー「予後」を見通し、具体的な対応策ー「治療」を提供しようとするもので、まさしく、日本国憲法の「平和主義」を実現しようとする私たちにとっては極めて示唆的な内容を持つと感じられました。とにかく、国際関係における《敵対》か《協調》かという基本的な外交姿勢の選択は、今後の世界情勢(紛争か平和か)を決定していく上で、限りない重要性を持つだろうと思われるのです。
   私の知り合いは、「北朝鮮はアベ政権が危機に瀕するたびに事を起こして、アベ政権を助けているよね。何かあるんじゃないの。」などと言いますが、確かに、将軍様にとって、「敵」はアベ政権のような性格のものの方が都合が良いのかもしれません。そして、アベ政権にとってもそのことは同様でしょう。しかし、そういった関係性の中では、両国の「一般ピープル」が抱える問題の解決は難しいと思わざるを得ないのです。

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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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