今月の「楽」・旅行編―2016年2月 

 「のぼうの城」と泉岳寺
  ―――成田氏と元禄の「テロリスト」たちを想う



   ※この歳になっても、やはり好奇心はできるだけ多く満たしてみたいものです。特に、この頃は時間が飛ぶように流れていくものですから、一日も無駄に出来ないという思いが強まっています。そんなわけで、今月も、以前から行きたいと思っていた、映画『のぼうの城』の埼玉県行田市「忍(おし)城」近辺と、赤穂浪士の墓のある東京高輪「泉岳寺」に行ってきました。

  
〈「のぼうの城」へ〉

「石田堤」の全貌とは
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  ※私は『のぼうの城』を2回観ていますが、そのハイライトは、後に関ヶ原の合戦で西軍の大将となる、石田三成による忍城水攻めです。それが実際どのようなものであったのかはよくわかりませんが、上の地図を見ると、その時築かれた「石田堤」がいかに巨大なものであったかに驚かされます。今回は、その忍城から「石田堤」を見て回ることにしました。言うまでもなく、移動手段は小回りの効くバイクが最適です。


「史跡 忍城の鐘」
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  ※「忍の浮城」と言われたという成田氏による忍城は現存せず、今あるものは、江戸時代に造られ、明治維新後に取り壊された、三層櫓(やぐら)を再建したものです。写真は、江戸時代につくられた鐘と思われます。また、敷地内には、行田市郷土博物館がありますが、中世以降の歴史的資料が充実しており、興味深く見ることができました。


現存する2箇所の「石田堤」跡
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    ※忍城から「さきたま古墳公園」に向かいました。古墳公園には「さきたま史跡の博物館」があり、稲荷山古墳出土の「金錯銘鉄剣」や「古の名品展」などを見ることができます。私は、最近、姫神の「空の遠くのはるかな声」や縄文語で歌われているという(?)「神々の詩」などをよく聞きますが、縄文時代などの遺品を見ていると、時間の流れなどあっという間に飛び越えて、彼らの世界に入って行きそうな感じになることがあります。少なくとも、生まれてきた子供たちには全く違いはなかったことでしょう。
   さて、1枚目の写真は、1590年、石田三成によって築かれた堤の上に造られた桜並木です。堤は長さ28キロにも及ぶ長大なもので、わずか1週間で築かれ、利根川と荒川の水を流入させたと言われています。また、後方に見える丸墓山古墳の上には石田三成の本陣が置かれたと言います。きっと、古墳だとは気付かなかったのでしょう。2枚目の写真は、下忍付近の堤の上に残っている250mほどの松や檜葉の並木です。周囲を囲む強大な敵に対峙した坂東武者達はどのような気持ちだったのでしょうか。



  
〈高輪泉岳寺へ〉


江戸城無血開城へ!―――勝・西郷会談の地
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  ※文楽や歌舞伎の時代ものを見ていますと、赤穂浪士の「仇討ち」はやはり江戸庶民の気持ちを理解する上で非常に重要な位置を占めるもののように思われます。そこで、今回の〈大江戸散歩〉は、「赤穂義士」の墓のある東京都港区高輪の泉岳寺にしました。ところで、上の写真は、その前に立ち寄った、田町薩摩邸跡の石碑です。1868年3月14日、この場所で江戸城無血開城を決した勝と西郷の会談が行われたのです。江戸庶民の多くの命を救うことになったろう勝と西郷。そして、それに向けて勝を助け、働いた「一刀正傳無刀流」山岡鉄舟。いろいろなことが思い起こされます。それにしても、江戸時代、この屋敷のすぐ裏は、落語『芝浜』で有名な、海岸だったのですね。つくづく思います。某総理大臣に『芝浜』や『井戸の茶碗』でも聞かせて、真っ当な人間になってもらいたいものだと!


泉岳寺・赤穂浪士の墓
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  ※右手の屋根付きのものが大石内蔵助の墓で、(見えませんが)その右側に浅野内匠頭の墓があります。討ち入り後、そこに、吉良の首を持って行ったわけです。ところで、人形浄瑠璃や歌舞伎では、『曽我物語』や『南総里見八犬伝』そして『仮名手本忠臣蔵』などの「仇討ち(敵討ち)」ものが、人気演目のひとつになっていました。さて、「仇討ち」とは、いうまでもなく、「テロ」と「暴力の連鎖」の問題にほかなりません。日本文化の中で、「仇討ち」が〈庶民〉の心を大きく捉えるようになったのはいつ頃から、そして、どのような理由からだったのでしょうか。また、近代に至って、仇討ちが国家によって禁止され、法秩序の中に包摂されて以降、そうした感情はどのように「変化」・「転変」して行ったのでしょうか。福沢諭吉も「封建制は親の仇」と書いていますが、実は、現代に生きる私自身も「○○は親の〈仇〉」と思うこともあるのです。今後、そんな〈一般ピープル〉の思いについても考えていきたいと思います。


苔むす堀部安兵衛の墓 
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  ※墓地には、四十六士の他に、討ち入り前に自刃した萱野三平と吉良邸討ち入り後に姿を消した寺坂吉右衛門の供養墓がありました。萱野を含めた四十七士には、写真の堀部安兵衛の例に見られるように、その戒名に「刃」と「剱」の文字が入れられています。しかし、映画『最後の忠臣蔵』で佐藤浩市によって演じられた寺前吉右衛門のものだけはそうなっていません。また、大河ドラマ『忠臣蔵』で舟木一夫が演じた矢頭右衛門七の墓石には、「行年十八逝」とありました。品川への帰り道には、大石を含めた17名が切腹した熊本(細川)藩江戸下屋敷跡の碑(「大石良雄等自刃ノ跡」)もありました。それにしても、彼らの「止むに止まれぬ」心というのは一体どのようなものだったのでしょうか(内匠頭の恨みを晴らす忠誠心?それとも、幕政批判?)。そして、江戸庶民の「止むに止まれぬ」心とはどのようなものだったのでしょうか(道行ー心中?白波もの?)。

「自ら楽しみ 人を楽しませてこそ 人として生まれた甲斐がある」 というものでしょうに!
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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2016年11月現在満10歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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