「安全保障」という名の戦争準備と「新憲法」

  この不気味な静けさの次にくるもの
     ―――次世代への責任を果たす覚悟が必要だ




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兄貴や姉貴たちも大変だねえ



   ※ アベの最大かつ最終的な目標は「戦後レジームからの脱却」、すなわち、「日本国憲法」体制を破壊し、戦前の「大日本帝國憲法」にできるだけ近い「新憲法」体制を作ることだ。そのことは、「日本国憲法」がとる立憲主義やその三大原理(基本的人権の保障・国民主権・平和主義)に対する自民党「憲法改正草案」の《内容》を検討すればすぐに気がつくことだ。しかし、アベは、「日本国憲法」を支持する国民世論の故に、その目論見をできるだけ隠し、隠微な形で憲法を掘り崩そうと画策してきたのである。秘密保護法・武器輸出解禁そして集団的自衛権の容認ー戦争法、等々である。
   そして、今回の参院選においても、相変わらず真の「争点」(意図)を隠しながら、憲法改定の発議に必要な改憲勢力「2/3」の議席獲得を目論んでいるのだ。繰り返しになるが、彼の最終目標は「アベノ憲法」を作り出し、歴史に名を刻むことだろう。しかし、それが国民にとって意味することは、「日本国憲法」体制下でかろうじて享受してきた戦後の「平和」と「民主主義」の喪失に他ならない。その行き着く先は、戦前と同様の〈悲惨な戦争〉と〈国家主義的な政治〉である。
   『東京新聞』(7月6日)の世論調査によれば、現在も、アベ政権下の改憲には「反対」40.5%、「賛成」28.9%、また、憲法9条についても、「改正しない方が良い」が46.3%で、「する方が良い」22.5%の倍以上となっている。しかし、この民意が選挙の結果(国会の議席数)に反映されない限り、またもや、アベの暴走を許すことになりかねないのだ。選挙の結果はどうあれ、これからの世代に対する責任を果たすためにも、投票前に、アベの「安全保障」について再確認しておきたい。


   自民党「改正草案」の第二章は、日本国憲法の「戦争の放棄」にかわって、「安全保障」となっている。まさしく、「戦争の復権」だ。 そして、その眼目は、〈海外〉で〈戦争〉のできる「国防軍」の創設に他ならない。すなわち、専守防衛=「個別的自衛権」を超える、海外における軍事同盟行動への参加=「集団的自衛権」の行使だ。そして、その正当化のために主張されているのが、日本の「安全保障」(平和)のためには、「抑止力」としての軍事力(軍隊)とアメリカを中心とする諸外国との「軍事同盟」が必要だということだ。しかし、いうまでもなく、日本国憲法の平和主義=「戦争の放棄」とは、そうした「軍事力」と「軍事同盟」の限界及びそれがもたらした悲惨な経験をもとに形成されたものなのだ。

   しかし、アベたちは、俗耳に入りやすい、反撃できる武力を持っている方が、あるいは、強い友達や仲間がいる方が攻撃されにくいだろうとかいった子供のような論法で、「戦争の放棄」から「戦争のできる国家」への転換を正当化しようとしている。もちろん、報復(反撃)できる武力が「抑止力」になるというのは、ある一定の関係や人々に対しては成り立ちうる場合がある。しかし、そのことは、それでは武蔵と小次郎はなぜ巌流島で決闘したのかとか、あなたが幼い子供や力の弱い女性や老人に暴力を振るわないのは彼らの反撃を恐れているからなのかとか、すぐに疑うことのできる程度のことにすぎない。現実においても、武力や軍事力がテロや戦争を「抑止」し得ず、かえってそれを誘発・激化させるといったことは、最近の北アフリカや中東、アメリカ(!)やアジアにおける事態が明らかにしているところだ。問題は、〈殺し・殺される〉関係に入ることの方が精神的に「楽」であるような「トラウマ」をどうするかなのだ。また、〈軍隊が一人一人の国民を守らない〉という「事実」は、歴史的にはもちろんのこと、自衛隊制服組のトップであった来栖弘臣元統幕議長や田母神俊雄元航空自衛隊幕僚長さえ認めていることだ。実際、武力と安全との関係は一人一人の〈普通の人間〉にとっては極めて「変化」に富むものであって、たとえば、海外旅行で危険な場所に行く折には武器を携帯することはかえって危ないとか、強盗にあったら抵抗せずにすぐ金品を渡せとかのアドヴァイスがあるくらいだ。こうしたことは、戦闘地域における「普通の人々」の現実はもちろん、日常生活においても同様と言えるのだ。私は、個人としての正当防衛権や抵抗権や革命権などを認めないのではないし、また、警察力の延長としての統制された武力を侵略に対して用いることを認めないのでもない。しかし、国家による「戦争の放棄」・「戦力の不保持」・「交戦権の否認」は、一人一人の国民の生命や安全を守る上で、歴史的そして現実的な根拠があると考えられる。

   また、「軍事同盟」についてはさらに多くの問題がある。同盟国・アメリカが本当に日本を守るのかという議論は脇に置くとしても(例えば、榛名幹男『仮面の日米同盟』など)、最大の問題は、アメリカのこれまでの行動それ自体にある。チョムスキーをはじめ信頼すべき多くのアメリカ人が主張しているように「戦争国家」ーアメリカが世界の国々に対して行った「侵略」とその結果引き起こされた混乱と悲惨な現状は目を覆うばかりだ。先日、イギリスにおいて、ブッシュのイラク戦争へのイギリスの参加が検証されたが、そのような事例は数かぎりないのだ。ISはなぜ生まれたのか。中村哲さんが活動しているアフガニスタンの惨状はなぜ引き起こされたのか。米軍がビン・ラディンを暗殺したのは「同盟国」パキスタンにおいてではないか!そして、9条の存在にもかかわらず、アメリカの誤った戦争に〈協力〉し、日本を「有志連合」の一員として泥沼の「敵・味方」関係に引き入れてしまった日本政府の責任は非常に重いと言わねばならない。日本国民は、平和(中立)的国家の一員というこれまでの国際的評価を失ってしまったのだ。限りなく悲しくそして危険なことだ。もちろん、私は、素晴らしい人々がたくさんいるアメリカとの友好関係を推進すべきと思う。しかし、それは、隣国・中国や北朝鮮に対しても同様だ。日本政府と御用マスコミは、日本の戦争国家化を正当化するためにだろう、中国や北朝鮮の危険性や両国との緊張関係の激化をことさら強調するが、その「ダブルスタンダード(二重基準)」は、立場を変えて歴史や現実を見れば明らかなことだ。ハイテク装備によって軍事的包囲網を形成し、激しい軍事演習を繰り返し、緊張を激化させてきたのは事実だからだ。もちろん、私は、「戦争国家」ー中国や北朝鮮を支持はしないが、両国との軍事的対立を強化するよりも、様々な平和的手段を用いた緊張緩和への努力こそが必要だと考える。日本における原発の存在など、現状においてさえ十分に危険なのだから。

   さらに、日米軍事同盟を重視するアベ政権ではあるが、その負担を沖縄県民に過重に押し付け、今回の事件に対しても、軍属の範囲を見直すという全く本質的でない目くらまし的な対処でお茶を濁そうとしている姿勢には憤りを感じざるを得ない。何が「国民を守る」だ。口先だけの「愛国」的言辞にはもううんざりだ。

   先日、YouTubeで、三宅洋平の選挙運動の様子を見た。創価学会青年部の若者たちが三色旗を掲げながら演壇で戦争法を批判していた。若い頃、私は創価大学の学長だった大隈信行の『国家悪』という本を読んだことがあったが、彼らが言うことはもっともなことだと思った。平和を求めるすべての人々が協力して、アベ政権による改憲、日本の戦争国家化を阻止しなければならない。

   大したことはできないが、まず、投票に行ってこよう!(2016年7月10日、9時40分)
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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2016年11月現在満10歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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