葛飾柴又〜回向院と渡良瀬遊水地―――2016年4月

 寅さんの故郷とラムサール条約登録地へ
    ―――大江戸散歩=クロスカブの旅と家族ミニドライブ



   ※昨夜、映画版の『男はつらいよ』を観ました。『男はつらいよ』シリーズは、学生の頃、白黒テレビで何度か観た記憶があり、また、映画化されたものは映画館では見たことはありませんでしたが、テレビで放映されたものはかなりの数観ているはずです。そして、昨夜改めて第1作を見直してみて、やはり、その人気の理由がわかるような気がしました。寅さんの、自らの境遇と個性に「肚を括った」、〈自由〉で〈力強い〉生き方には私も憧れに近いものを感ぜざるを得なかったからです。私のような「一般ピープル」にとって、寅さんは庶民にとっての「英雄」的存在パタンの一つなのでしょう。ただ、勤め人を親に持った田舎者たる私には、東京下町のあのような濃密な人間関係は身近なものではなく、帰ることのできる場所でもなかったように思われました。私の「寂しさ」の一因でしょうか。
   ところで、今回の映画視聴とは直接関係ないのですが、今年の4月、私は、大江戸散歩の一環として、寅さんの故郷〈葛飾・柴又〉から小塚原の〈回向院〉を訪れていました。そんなわけで、今回は、遅まきながら、2日後に訪れた〈渡良瀬遊水地・公園〉と共にその小旅行を報告しておきたいと思います。




  
〈葛飾・柴又〉〜〈回向院〉4月16日


クロスカブくん駐輪場をGET
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  ※国道16号から柏を経由し国道6号を通って葛飾・柴又に向かいました。江戸川沿いから柴又公園に入り、矢切の渡しー帝釈天参道ー柴又帝釈天ー葛飾柴又寅さん記念館ー山田洋次ミュージアムのルートを2時間ほどで見学してきました。実は最後に気付いたのですが、私は学生時代、このすぐ傍の水元公園の近くで「アルバイト」をしていたことがあったのです。当時は、その存在を知ってはいたと思いますが、矢切の渡しにも柴又帝釈天にも全く興味がなく、見に行こうとも思いませんでした。なるほど、人間の意識の有り様とはこのようなものであり、これが外国のことなどになるともう「とんでもハップン」の状態なのだろうと思います。無関心であることは恐ろしいことです。




矢切の渡し
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  ※映画でもこの江戸川の河川敷と矢切の渡しが最初に映し出されていたと思います。細川たかしの歌でも有名ですが、ここが江戸の端っこだったわけです。遠景もいいのですが、川端に寄ってみると、当時を偲ばせる小さな船着場がありました。泳いでも渡れそうな距離なのですが、これが本当に遠かったのでしょうね。別れが身にしみたことでしょう。




柴又帝釈天参道
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   ※「くるまや」もあったろう帝釈天参道には本当に下町の雰囲気が漂っていました。そして、店のおばさんに生まれて初めて「社長!」と呼ばれ気を良くした(?)私は、いつの間にか〈とら豆〉を買うことになって、ボリボリと豆をかじりながら参詣道をふらついたのでした。もう少し色々な店を見ることができればもっと面白かったことでしょう。




柴又帝釈天
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   ※通称「柴又帝釈天」は、経栄山題経寺という1629年創建の日蓮宗のお寺だそうで、帝釈堂の木彫り(「法華経説話彫刻」)は評判通り立派なものでした。また、後の映画にも出てくる庭園、そして、横山大観の筆になる彫刻の下絵や日本一の南天の床柱など、さすがに歴史を感じさせる風情を持っていました。




葛飾柴又寅さん記念館
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   ※寅さんファンなら1日居ても飽きないかもしれません。映画のセットや戦後の風景などが見られ、それぞれ味わい深い古さが感じられました。写真は、映画以前の寅さんの生活の様子を紹介する「からくり人形」のうちの一つで、サロさんと同じ柴犬がいたので載せておきました。やっぱり、下町には柴犬が似合いますよね!!!この後、「山田洋次ミュージアム」にも立ち寄りました。山田さんの『学校』ものや藤沢周平の小説を原作とした「時代劇三部作」そして『家族』ものなどを通して、彼の基本的な価値観が紹介されており、大変興味深く見学することができました。




小塚原回向院・刑場跡
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  ※葛飾柴又を出て、6号線−318号線−4号線と渡り歩き、南千住駅近くの「回向院」に着きました。「回向院」は周りの家並みに飲み込まれそうな小さなお寺でした。本所回向院の住職弟誉義観が行路病死者や刑死者の供養のため1667年に開いた寺とのことです。刑場では磔・獄門などの刑が執行され、刑死した人たちは回向院に埋葬されたのです。その中には、安政の大獄で刑死した橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎らも含まれており、写真の左側の一番奥の墓石が吉田松陰のものです。




鼠小僧の墓
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  ※また、刑死者の中には「鼠小僧」もいたようで、戒名は「源達信士」となっていました。後方には、さらに古い墓石があり、「天保三年八月十九日」とありますから、1832年、幕末のことだったわけですね。しかし、刑死者をも供養する「文化」が日本にあったことは再確認しておくべきことだろうと思われます。




「観臓記念碑」
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  ※小塚原の刑場では、処刑だけではなく、刀の試し切りや腑分け(解剖)も行われていました。そのため、蘭学者の杉田玄白や中川淳庵や前野良沢が『ターヘル・アナトミア』を持って刑死者の「腑分け」に立ち会い、後に、それを『解体新書』として翻訳するきっかけとなったのです。写真は、そのことを記した「観臓記念碑」の浮彫青銅版とその説明文です。ただ、『蘭学事始』の記述から想像すると、なかなか、複雑な気持ちです。回向院を出た後は、明治通りから122号線を経由して帰路につきました。1日で結構廻れるものです。









〈渡良瀬遊水地公園〉4月18日


ラムサール条約湿地登録地
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  ※私は以前行ったことがありましたが、「奥さん」と「姉貴」はまだでしたので、車で「渡良瀬遊水地公園」ー「谷中湖」に行くことにしました。私にとっては「足尾鉱毒事件」(ー谷中村)との関連で〈悲劇〉あるいは〈国家暴力〉のイメージの方が強いのですが、女性軍にとっては、「ラムサール条約湿地登録地」としての意味合いの方が強かったようです。しかし、この人工湖の現在は実際どうなっているのでしょうか。




谷中湖を背に
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  ※少数の釣り人が点在していましたが、谷中湖自体は非常に静かな佇まいを見せていました。池の周辺には、空飛ぶチョウゲンボウをはじめ、たくさんの動植物が生息しているらしく、それらを保護する地域としての存在意義があるのでしょう。しかし、谷中村のことを考えると、高江のヘリパッドもそうですが、いつまで私たちは国家と独占の尻拭いを強いられるのでしょうか。もう、こうしたことは終わりにしなければなりません。




湿地帯の可憐な花
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  ※汚染された地に咲く草花や木々、そして、そこで生活せざるを得ない昆虫や鳥や動物たち。少なくとも、彼らにはその汚染の責任はありません。鉱毒に汚染された遊水地ではありますが、自然の自浄作用の力も借りながら、すべての生き物が良好な環境で生活することができるよう、これからも最大限の注意を払って行く必要があるはずです。安易な原発の再稼動などもっての他のことです。





六葉のクローバーを見つけたよ!
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  ※そんな中、「姉貴」が「6葉のクローバー」を見つけました。渡良瀬遊水地の生き物たちが「幸せ」でありますように!



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プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2016年11月現在満10歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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