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エリートと一般ピープル――「一般ピープル」論(2)

  「愚か」なのは一体誰なのか?
     ―――「ポピュリズム」論に匂うエリーティズム


   ※この数日、動画で『ガールズ&パンツァー』の戦車隊のテーマ音楽を聞いている。映画『八甲田山』でも歌われている『雪の進軍』は―――「♪ここは何処ぞ皆敵の国」か?侵略戦争に駆り出されたのですねえ!―――は、小さい頃、親から教えられていたので少し懐かしかった。ただ、今回印象深かったのは、『抜刀隊』(→分列行進曲)と『カチューシャ』の二つだ。『カチューシャ』は、日本語訳は付いていなかったが、赤軍兵士の愛唱歌で、若き乙女カチューシャと国境警備に向かった恋人を歌ったロシア版「防人」の歌である。これに対して、『抜刀隊』は、西南戦争の折、薩長藩閥政府によって編成された警視庁白兵戦部隊(官軍)の歌で、のちに編曲されて、あの神宮外苑における学徒出陣の行進曲にもなったものだ。両者の歌詞の違いには改めて驚く他はなかった。さらに、後者のような「忠君愛国」歌が、現在の陸上自衛隊でも使われるようになっているというのだから呆れるほかはない。日本国憲法との関係はもとより、日米地位協定や米軍との指揮権上の問題を考えても、強い違和感を感ぜざるを得なった。否、どちらかというと、「恥ずかしい」とすら感じたのだ。


   それでは、本題に戻ろう。前回述べた「エリート」とは区別される「その他大勢の普通の人々」は、これまでも様々な名称で呼ばれてきている。例えば、東洋的言語世界では「民」であったり「百(の)姓」であったりする。また、西洋的世界では、「デモス」であったり「ピープル」というわけだ。そして、それらは、様々な〈思想〉をもとに、「人民」とか「民衆」、「一般民衆」とか「普通の人々」とかに訳され、さらに現代に至っては、「大衆」とか「群衆」とかいった新しい概念も登場してきた。ただ、注意しておかなければならないのは、これらの言葉の背後には、「エリート」と「ノン・エリート」との間の政治的・経済的・イデオロギー的な支配ー被支配関係、指導ー被指導関係、管理ー被管理関係などへの評価が張り付いているということだ。大まかに言えば、例えば、プラトンの「哲人政治」や孔子の「徳治主義」などに始まる「エリーティズム」と、「民主主義」や「人民主義」などに見られる「反エリーティズム」だ―――ただし、後者にも、様々な階層的な「エリーティズム」が張り付いている場合が多い。もちろん、「ノン・エリート」が「エリート」の支配、指導、管理等に従順に従うべきであるとの考えは、「エリート」によって、様々な宗教的、思想的、理論的形態で語られてきた。例えば、寡頭制支配の鉄則とかメリトクラシイ(「能力主義」)とか民主的・有機的リーダーとかだ。しかし、とりわけ権力的な統治関係における「エリート」と「ノン・エリート」との間には、必ず矛盾と敵対的な関係が孕まらざるを得ず、そこにはそれらを抑制・調整する思想や諸制度が構想されねばならない客観的な条件が存在すると言わなければならないのだ。両者間の予定調和など「エリート」によるレトリックにすぎない。 

   ところで、このところ、「ポピュリズムpopulism」という言葉が盛んに使われている。そして、この言葉についても、それを積極的に評価する事例(いわゆる、左右の「ポピュリスト」)もあるが、多くは「大衆迎合主義」と訳されることが多いところにも見られるように、「大衆」(ー「民衆」)を愚かなものとして否定的に評価する「エリーティズム」の匂いがするものが多い。しかし、アメリカン・グローバリズムの矛盾が生み出したトランプ現象などを「ポピュリズムー衆愚政治」の一形態と捉える最近の風潮は、ファシズムを「衆愚政治」の一形態として捉えるのと同様に、ほとんど意味がないとすら言えよう。実際、ヒットラーを「支えた」のは当時のドイツ財閥であったし、トランプを「支えている」のも結局ウォール街の金融資本と共和党に他ならないからだ。つまり、欲得にまみれて構造的な矛盾を適正に解決し得ず、ファシストにおすがりして既存の〈グローバリズム〉を推進・維持しようとしているのは、既存の支配的「エリート」多数派に他ならない。つまり、トランプを支持する「大衆」(支持勢力)にはグローバリズムの構造的矛盾から発するそれなりの実際的な理由があるのだが、より本質的な目と代替案を持つ「反グローバリズム」運動への対抗上、かれらの不満や不安がファッショ的あるいは権威主義的に統合されるのを消極的にではあっても許さざるを得なかったと考えられるのだ。しかし、「政治」的に結合した「権力ブロック」内部の分派間闘争とはいっても、グローバリズムに口先だけでも異議を唱えることは「愚か」なこととしなければならない。支配的「エリート」層がそこから利益を吸い取る(国際金融取引やパラダイスペーパーも含めた)「グローバリズム経済」は、必然的で不可避な発展方向とされねばならず、それに「感情的」に反発するのは根本的に「愚か」なことだというわけだ。さらに、トランプらの人種主義や排外主義や自国中心主義は、支配的「エリート」層内部の諸分派がこれまでに蒔いてきた種が「異常」に発芽・成育したものと言ったほうが正確とすら言えよう。要するに、「ネオナチ」や「トランプ」や「アベ政治」は、〈アメリカン・グローバリズム〉の矛盾が深化している中での、「新しいファシズム」と表現するのが最も適当だと考えられるのだ。

   それでは、「一般ピープル」とは何なのか?これについての私のイメージは、西洋と日本については若干異なっているが、まず西洋について言えば、次の2冊の本に依っていると言っていい。すなわち、シェイエスの『第三身分とは何か』(私が読んだのは、大岩誠訳の『第三階級とは何か』だが)とトマス・ペインの『コモン・センス』だ。次回は、シェイエスの主張を確認しておきたい。

   
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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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