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T・ペインの『コモン・センス』一般ピープル論(4)

  人民の経済的「自立」と政治的「自治」=共和制
      アメリカの独立〈革命〉に見られる民主主義の本義



   ※大変な一週間が過ぎた。実際、20センチ以上の積雪とマイナス7度とか8度とかの世界だったわけで、生垣のゴールドクレストが真っ二つに折れ、続く寒波で給湯器が凍りつき、そして、道路を覆う氷の「破砕」ー除去作業が思いの外きつかった。サロさんも雪の上では「僕の後ろに道ができる」とかドヤ顏だったが、氷結した道路の上では滑って後ろ両足をしょっちゅうとられ、困惑していた。北国育ちの私としては懐かしくもあるのだが、やはり、雪と寒さは、正直、きつかった。この間行った様々な作業や〈修理〉については次回。

   さて、トマス・ペインの『コモン・センス』であるが、これは、フランス革命における『第三身分とは何か』と同様、アメリカ独立革命(1776年7月)の直前(1月)に出されたパンフレットで、イギリスからの分離・独立をアメリカの人々の「常識」たらしめた決定的な文書と言われている。もちろん、アメリカ独立革命といえば、まず、『独立宣言』を起草したジェファーソンの思想を思い浮かべるだろう。確かに、ジェファーソンの民主主義・共和主義の思想は、現代にも生き続けるアメリカ的理想主義の最良のものの一つであり、現代社会の諸問題にも幅広く適用しうる極めて意義深いものと考えられる。ただ、自身が「一般ピープル」としての辛酸をなめているトマス・ペインの『コモン・センス』は、上層市民だけではなく、より広範な「一般ピープル」への波及力という観点から、そして、独立革命 に参加した人々の息吹を感じ取る上でも、必須のものと言える。彼は、その後義勇兵となってイギリス軍と戦い(『アメリカの危機』)、また、フランス革命(1789年)に際しては、エドマンド・バークの『フランス革命の省察』(1790年)を批判して『人間の権利』(1791年)を著し、人民による革命を擁護している。

   ところで、私の問題意識は、アメリカ人民がどのような思想や現状認識によって民主主義の〈主体〉=主権者たり得たかということだ。そして、この点において再度確認しておかなければならないのは、アメリカ独立革命が、その後の民族解放闘争に大きな影響を与えた、「〈民族〉の覚醒」に基づく植民地の「〈独立〉戦争」というだけではなく、あくまでも、君主制と世襲制を否定し、人民主権の共和制を実現した「〈革命〉」に他ならなかったということだ。確かに、フランス革命もそうだったように、異民族の王家への対抗心がなかったとは言えないだろう。しかし、それは、あくまでも、〈自然権〉思想に基づく〈市民政府〉の形成というよりラジカルな性格を持っていたことをしっかり押さえておく必要がある。我国の自由民権運動における植木枝盛作詞といわれる『民権数え歌』(六つとセー、昔を思えば亜米利加の独立したのもむしろ旗、この勇ましや 十五とセー、五大州中亜米利加は自由の国のさきがけぞ、この嬉しさよ)はアメリカ独立革命の影響を見ることのできる大変興味深いものだが、どのような政体(ex.立憲君主制)を選択するのかは別として、フランス革命へと続くアメリカ独立革命の根本的特質がこの共和制にあったことは忘れてはいけない。
 
   こうした視点で『コモン・センス』を読んで行くと―――直接的な引用はできるだけ避けることにするが―――、そこには、ロック的な〈自然権〉思想や直接神と向かい合う自由で平等な人間というプロテスタント的な思想に基づく極めて激しい王政批判と世襲制批判があり、また、これまでのアメリカの「恵まれた状態」と将来にわたるさらなる繁栄の可能性、そして、それを破壊せんとした7年戦争以降のイギリス政府による数々の「暴政」、そして、これに対する、イギリスからの分離・独立による政治的「自治」=共和制の実現の提唱(自分自身を統治するのは、我々の自然権である)とがあった。そして、とりわけ私が注目するのは、こうした議論の基底をなしている、当時のアメリカの人々が彼らの生活体験の中から獲得し、共有していた実際的な良識(practical good sense)、すなわち、「コモン・センス」とはなんであったかということだ。そして、こうした問から浮かび上がってきたのは、独立革命以前にすでにアメリカで形成されていた、「自然権」的な世界に他ならない。すなわち、彼らの多くは、迫害や貧困から逃れてイギリスや大陸からやってきた移民なのであるが、本国イギリスから遠く離れているという利点によって、王家や領主層による厳しい封建的収奪やイギリス政府による直接的な支配から相対的に免れることができ、(クエーカー教徒を代表とするような)プロテスタント的な倫理に基づく自由・平等な「共同体」を形成し、その中で自己労働に基づく「個体的所有」と自由な貿易による経済的な「自立」を達成し、また、タウンミーティングやウォードから大陸会議に至る政治的な「自治」を発展させることができていた、ということなのである。もちろん、先住民との関係や黒人奴隷の問題なども指摘できるが―――ジェファーソンやペインは建国に先立つ時点から奴隷貿易や奴隷制に反対している―――、こうした極めてわかりやすい「恵まれた」条件によって、普通の働く人々(農・工・商の「平民」)が自分たちこそが社会を実質的に担っているのだということをはっきりと自覚することができ、社会の主人公としての「矜持」を持つことができていたと考えられるのだ。すなわち、「(自分たちのことは自分たちでできる)自立」した植民地の人々にとって、とりわけ7年戦争以降のイギリス本国による「暴政」は、まさしく、「寄生」そのものと受け取られたことだろう。そして、そうしたイギリス国家との敵対的な関係の中で、彼らは、それからの分離・独立(→独立戦争)によって、13の植民地による新しい〈人民主権〉の「公共」的世界(アメリカ合衆国)の形成を試みたのだ。そして、それは、階層的な特権を貪ろうとしたイギリスの「エリート」たちの「俺たちあってのお前たちだ」という「主従関係」の意識を根底的に否定するものだったに違いない。実際、その後に続くアメリカ合衆国の歴史は、不十分ながらも(!)、「人民の、人民による、人民のための政府」たる共和制国家が、清教徒革命におけるクロムウェルの独裁やフランス革命におけるロベスピエールの独裁などを経ずしても、実現可能であることを見事に立証したといってもよいであろう。

   こうした観点から見た時、私たち現代日本の「一般ピープル」は、自分たちが社会を実質的に担っているという確固たる意識を持ち得ていると言えるのだろうか? また、そうした自分たちが自分たち自身の公共的世界を作り出すことができていると言えるのであろうか?もし、それができていないとすれば、それはなぜなのだろうか?それが、次の問題である。
   さらに、もう一つ付言すれば、あたかもアメリカの「植民地」あるいは「従属州」のごとき今の日本の有様を思う時、日本の国民は、そうした観点からも、ペインの『コモン・センス』を再度味読すべきだと思う。アベ政権の〈買弁〉性が良〜くわかるというものだ。全く情けないことだ。


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スーパー・ブルー・ブラッドムーンに(2018/1/31)







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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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