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自公政権の「岩盤」的支持層?―――なぜ悪逆非道で”反国民”的なアベ政権が続くのか(2)

 磨くのは、”目くらまし”と”言い訳”のレトリックだけ!
―――経団連、利益誘導型の自民系議員後援会、神政連ー日本会議、 公明党ー創価学会、そして、気弱で計算高い似非エリートたち



   ※熱くて農作業はムリだ。とても日中外に出る気になれない。それにしても、西日本の被災者の方々のこの暑さの中での苦労を想像すると、本当に気の毒だと思う。そして、被災者そっちのけのアベ政権の「空白の66時間」は、やはり、彼らの本質を実に良く表していると改めて感じる。今回の事態は、御用マスコミによってはほとんど言及されないけれど、科学者たちによって30年も前から予想されていた「地球の温顔化」による「気候変動」の一つの現れなのであって、今回直接的な被害から免れた私たちにも近い将来必ずふりかかってくるものなのだ。そうした中でのアベたちの対応は、豊さと特権によって何があっても自分達だけは大丈夫だと慢心している故と思うが、極めて切迫感の無いものだった。要するに、「安全な場所」に居て「指揮官」ズラをしているアベたちにとって、一般ピープルの「被害」など、”交通事故”死者数に比べればいちいち気にするほどのことでもないとか、あるいは、上に立つ者はその程度のことは気にしてはならない位に考えているのであって、こうした事は、兵士の死でも、過労死でも、原発関連死でも同じことなのだ。そして、忘れてはならないのは、そうしたことが《彼らのご都合》(階級的・階層的利害)によって判断されているという事だ。こんな輩に、一般ピープルの命と生活が守れるはずはない。参議院の6増やカジノ法案の採決も強行されたが、国民の利益を顧みず、自分達の矮小な利益の為にはウソを吐きまくっても恥ない自公政権・・・もう2度とこうした輩を政権の座に着けてはいけないと心底より思う。

   さて、こうした”反国民”的なアベ政権がなぜ続くのか?という問についてだが、まず確認しておかなければならないのは、当たり前のことだが、アベ政治によって「利益」を得ている「階級・層」が確実に存在していること、また、そのイデオロギー的主張に共鳴する「個人・団体」が強い組織的裏付けを持って存在していることだ。代表的な例は、経団連などの業界団体、”利益誘導”型の自民系議員後援会、神政連ー日本会議、公明党ー創価学会、そして、政・財界と密接に結びつき「天下り」(民間企業・大学・公益法人など)などで甘い汁を吸おうとしている気弱で計算高い”似非エリート”たちだ。今日は、そのうち、最初のものについて、私なりの印象を述べておきたい。

   日本経済の中で圧倒的な構造的権力を有する資本家・経営者の団体は経団連だ。今回の「働かせ改革」をはじめ、自民党政権が経団連の「政治局」たる事は明々白々であり、そのHPを見ても両者の密接な繋がりは明らかだ。また、先日、大竹まことの『ゴールデンラジオ』(月曜、森永卓郎)を聴いていると、日本には100万ドル(1億1000万円)以上の”投資可能”資産の所有者が、前年比9.4%ー30万人増の、316万人いるという。そのほとんどが投資家や経営者だと考えられるが、彼らにとって、ツケは一般国民に転化しつつ、いかがわしい「トリクルダウン」論を掲げて、恥ずかしげもなく《株価》を吊り上げ続けているアベ政権は、おスガリするに十分価する存在というわけだろう。しかし、その一方で、圧倒的多数の一般ピープルが過重労働と不安定労働に苦しみ、そして、実質賃金を減らしているのだ。また、彼らは、眼前にある少子高齢化による「労働力不足」を”低賃金”で乗り越えようと、高齢者や外国人「労働者」の労働力を本格的に利用しようと考えているようだ。勿論、そのことによって生じる深刻な《矛盾》は、これまた、一般ピープルが直接被ることになる。最近「100円ショップ」がよく似合うようになった私は、「余裕と安心」の富裕層と「板子一枚下は地獄」の庶民層の「二極化」が実感出来るようになってきている。

   ところで、こうした拡大する《格差》を「公正」な競争の結果として当然視し、その上に胡坐をかくイデオロギーが、その色彩をカメレオンの様に変えながら、社会の様々な領域に浸透している。すなわち、新自由主義や社会ダーウィン主義を代表とする、「勝者」への富と権力の集中を正当化する、ボッタクリのイデオロギーとその変種だ。勿論、資本家であろうと富裕層であろうと、こうしたイデオロギーやその政治的な変種である「アベ政治」に批判的な人々も存在する。また、真っ当な「日本思想」の流れの中にはそれらを根底的に批判しうる伝統(例えば、網野善彦氏の「無縁」や「公界」など)も当然ある。しかし、その声は、今、決して大きいとは言えないだろう。こうした状況を許しているのは、近代以降の日本の「権力思想」や「教育思想」の影響も考えられるし、また、とりわけ、1980年代以降の世界的な新自由主義・新保守主義の流れと連動した企業での「能力主義管理」や学校での「競争原理」・「管理主義」教育の果たした役割も大きいと考えられる。しかし、そもそも、こうしたイデオロギーが、〈共同〉的存在たる人間の「公平」という観点からどう判断されるかは、歴史的そして思想的な問題に他ならないのだ。実際、「社会権」思想に基づく福祉国家やニュー・ディール期を経験した欧米諸国では、一時期の後退を経て、現在は、明らかに、それに反対する「カウンター」勢力の勢いが増している。しかし、我国においては、グローバリズムを無批判的に受容する雰囲気の中で、そうしたイデオロギーがかえって影響力を増しているとすら感じられるのだ。

   だが、現在の日本の実情を見ると、そもそも、眼前の「勝者」なるものが、「公平」そして「質」という観点から、「適者」と言えるのか自体が極めて疑わしいことなのだ。我国では、明治維新以降も、政治家や天皇制官僚との―――決して《公平》とは言えない―――特権的な結びつきによって、国から法的・財政的な保護を受けて「成長」してきた「政商」(そして、「財閥」)なるものが存在した。要するに、日本の巨大企業には、公平な市場での競争の結果というよりは、国家が国民から徴収した税金を、公平な合議や調整によってではなく、有力な政治家との私的な結びつきによって手に入れ、甘い汁を吸ってきた例が少なくないということだ。こうした傾向は、明らかに、戦後にも引き継がれ、現在も、モリ・カケ問題をはじめ、その例に事欠くことはない。さらに、最近の事例を見て行くと、保護を受ける側も保護を与える側も、その「質」たるや呆然とするばかりのものとなっている。「寄らば大樹の陰」とでも考えているのだろうか、権力周辺に巣食う種々雑多な輩は、何か特別な能力や素晴らしい業績を残しているわけではなく、さらに、その価値意識たるや、”ただ自分だけが良ければいい”といった、ほとんど「ゲス」まがいの連中が多数存在していると言わざるを得ない。官民を問わず、まあ次から次へと、よくも出てくるものだ!

   そもそも彼らが自分たちの「厚遇」(収入や権限など)の根拠としているのは自らの「能力」や「業績」らしいが、政・官・業のトップを見ても、そのことに納得できる人物はどれだけいるのだろうか。「公」や「志」とはほとんど無縁な政治家たちはコメントする気にもならないが、必要条件たるお勉強はできたらしい「官」も、その十分条件たる「倫理規定」を満たしているとは到底思えない実状が次々と明らかになっている。業(財)も、以前はフランスのレギュラシオン学派からも注目された「日本的経営」も 今は昔、労働者の首切りや賃金カットによって利益をあげ、お手盛りで、役員報酬や株への配当を引き上げているだけの有り様が主流だ。これらが「適者」だとすれば、日本の未来は絶望的と言う他ないだろう。
   
   そもそも、「適者」とは、「弱肉強食」のジャングルや「悪魔のひき臼」のような粗野な市場や「反国民」的でボッタクリのグローバリズムの中での「生き残り」のことではないはずだ。最近も(NHKスペシャル)『人類誕生』でやっていたが、人類(ホモ・サピエンス)が何故生き残こり繁栄できたかといえば、偶然の要素と共に、われわれが相互に協力し合い、対立・抗争を巧みに制御できたからに他ならない。ダーウィンが社会ダーウィン主義者ではなかったように、こうした視点は、これまでも人類学の常識だったはずだ。勿論、人間には競争心も闘争心もあるが、「盛者必衰」の理のとおり、その野方図な〈放任〉(競争原理主義)の果てには、破滅か共倒れしかあり得ないのだ。しかし、人類は、優れた《スポーツ》や《武道》が示しているように、これに対して「秩序の枠」(ルールや心構え)を生み出してきたのだ。そもそも、人間の能力は相対的なものであり、また、歴史的・社会的に「他者」によって支えられているものに他ならない。それは経済活動であれ、発明であれ、芸術であれ同じことだ。「他者」への尊重や「共存・共栄」の意志こそが「人間社会」の維持・発展の基礎と言ってよいのだ。そうした視点に立つことが「公平」であるという意味でなければならない。「適者」とは、〈共同〉的存在たる人間の「共存・共栄」に向けて力を発揮できる「人物」を指すべき言葉でなければならないはずだ。

   しかし、歴史的には、粗野なボッタクリ主義者も存在してもきた。帝国主義者もそうだし、現在の「新自由主義者」や「社会ダーウィン主義者」、そして、その変種もそうだ。それは《愚かな》「勝者」が陥りやすいバイアスの故とも言えようが―――勿論、原始の時代から、《賢い》「勇者」も存在する。例えば、星野道夫『アークティック・オデッセイ 遙かなる極北の記憶』―――彼らには、人間社会の「共同性」といった観念自体が「機能」していないと疑わざるをえない程だ。そうであるなら、我々「一般ピープル」は、その「共同性」というものがいかなるものであるかを、たとえば、ストライキや不売や非協力などで示してやらなければならないのではないか。勿論、グローバル化した経済の中では、多国籍化した資本や富裕層は、生産や販売の拠点を他国に移したり、安価な外国人労働者の導入を図ったりしてその利益を維持しようとするかもしれない。しかし、グローバル化した資本も、政府による異次元の金融緩和によって円安と株高を維持している日本を見れば典型的に分かるように、アメリカであろうが、中国であろうが、ロシアであろうが、実際には、「国民国家」の公的な介入によってその利益を保持しているのだ。そして、いうまでもなく、その「国民国家」を実体的に支えているのは、我々「一般ピープル」に他ならない。それ故に、現在の「国民経済」と「民主政治」が維持される限り、アベ達は、「本当のこと」も「本音」も語ることができないという訳だ。そして、いつもの歪んだ顔付きといかにもウソっぽい口調で、”言い訳”と”めくらまし”を繰り返すだけなのだ。

   長くなってしまったのでもう止めるが、勿論、現在の資本家・経営者の中にも「国民経済」を”実体”的に担っている尊敬すべき人達がいる。しかし、問題は、そうした彼らの多くが、アベ自公政権以外の政権を構想できていないこと、相変らず、それにおすがりする他ないと思考と行動を停止している点にある。最近、小泉純一郎と小沢一郎の反原発での連係が話題になっているが、こうした古老の動きに注目が集まる状況こそが深刻と言わなければならないと思う。

   アベ政治の闇を切り裂く閃光は何処から発せられるのか?!

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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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