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ニュース雑感(2)国内編―――2019年2月

「エリート」の腐敗・堕落と「国民」の主権者意識
  嘘まみれのアベは時代劇のヒーローに成敗してもらうしかない?w


   ※諦めているわけではない。逆に、アベ政治への想いはもう限界に達するほどまでに悪化している。このままでは、日本は劣化し、間違いなく国民生活は荒廃したものになるだろう。彼らの合言葉は「我亡き後に洪水は来れ!」どころではなく、「他人はどうとでもなれ、俺たちは甘い汁を吸い続ける」というものなのだろう。いやはや、とんでもない時代に向かっている。

   さて、前回は、国際政治についての感想をいくつか書いてみた。ところで、そうした国際政治に対する日本の職業的解説者たちの話を聞いていつも妙に引っかかるのが、それらに付随して語られる「ポピュリズム」批判の言説なのだ。例えば、イギリスのEU離脱(ブレグジット)に関連してあの「国民投票」が語られ、結局、”無知”で”感情的”な一般国民にその「判断」を任せるとロクなことにならないといったニュアンスが垂れ流されるわけだ。あの「国民投票」の前後における「エリート」たちの”無能”ぶりが明らかなのにも関わらずだ。もちろん、欧米などでの移民排斥に見られる右翼的ナショナリズム(ーネオ・ナチ)の動きや、権力の掌握のためには「大衆」に強く訴えかけ、強い支持を得る必要があるなどとする橋下の「ポピュリズム」擁護を聞いていると、「大衆」動員型の政治に対する警戒感もわからないでもない。しかし、そうした「ポピュリズム」批判の多くの中に私がいつも感じのは、ノン・エリート(「民衆」)の積極的で、直接的な政治参加・政治行動それ自体への嫌悪感なのだ。抑圧”体制下の「エリート」による「民衆」への醜悪な”蔑視”や”差別”については今更コメントする気もないが、一見”リベラル”な雰囲気を漂わせている論者にも感じられるそうした傾向を見るにつけ、結局、あなたたちは、「民衆」を苦しめる「体制」の諸問題を「民衆」自身の積極的・直接的な政治参加・政治行動抜きにどう根本的に解決できると考えているのか、是非お聞きしたいと思うのだ。そもそも、お仲間の「エリート」が問題を真っ当に解決できているのならば、日常生活を送る「民衆」は苦労しないのだ。

   それにしても、最近の日本の政官財の「エリート」の”惨状”は言葉を失うほどだ。これまでも、モリ・カケ問題に対する財務省や検察などの対応にウンザリしてきたが、この間の厚労省による統計データ不正から次々に明らかになってきた実態はさらに深刻で、ここでいちいち具体例をあげていったら怒りで精神がもたないほどなのだ。要するに、彼ら「(似非!)エリート」たちは、”私利私欲”のために、本来ならばそれに奉仕するはずの”公共”の利益を著しく侵害しているということだ。その有様は、時代劇の悪代官とその手下、そして、彼らと連む悪徳商人の姿を彷彿とさせる代物だ。だが、同時に、「民衆」の多くも、「何がなんだわからないのよ」とかいった風情で、せいぜい、正義のヒーローに「成敗」してもらうしかないと思っているが如き有様なのではないか。アベ友の信じられないようなバカバカしい支配の存続は、そんな「民衆」に支えられていることは間違いない。アメリカや韓国そしてフランスとの違いは決定的だと言って良い。とにかく、仲間内でかばい合いながら言い逃れに走り、他人事のようにしらばっくれ、見え透いたウソを吐き続けるアベ友を許している社会が、”国民主権”の民主社会と言えるはずはないのだ。まずは、国民の一人一人が自ら(真っ当な報道機関や「大竹まことのゴールデンラジオ」でも聞いて)「ファクト」を確認するとともに、なによりも、わが身に巣食う非自立的な「従属者」意識を払拭する必要があるというべきだろう―――大体、明仁天皇も悪くはないが、”皇族”だという理由だけで、子供にまでも疑問なしに「〇〇様」とか呼んでいるのはおかしいだろう。

   「民の声は天の声」という言葉もあるが―――そう言えば、賃金や景気の上昇について、庶民は「えっ?どこでの話?どこかで誰かが儲けているのかねえ?」とかいう声が多かったが、こちらの声の方が正しかったというわけだw―――、市井に生きる「庶民」自身は、”ノン・エリート”の「一般ピープル」を、即、何か特別な「真理」や「価値」を体現する存在であるが如き幻想を持つことはほとんどあるまい。周りには、粗野な「悪人」や「公共」のことなどほとんど考えずボーッと生きている人間が少なくないからだ。だからと言って、「(似非)エリート」が、十把一絡げに、”ノン・エリート”の「一般ピープル」を無知で粗野な存在の如く扱うのは笑止という他はない。もともと、政治理論や政治思想には、「哲人」や「聖人」による政治から始まって、フランス革命を批判したエドマンド・バークの「保守主義」とか、あるいは、、寡頭制支配や官僚制化の必然性を説いたりする「エリーティズム」の流れがあった―――もちろん、その真っ当なものは、その問題性や機能不全をも指摘している。しかし、当の「(似非!)エリート」どもが、わが身をも省みずに、”したり顔”を決め込んでいる姿ほど醜悪なものはない。その見事な実例が今も液晶画面の中に写っている。『嘔吐』という小説があったよな・・・とても見ていられない。う、うう・・・・今日は映画でも観に行くか。    

   このところ、サッカーのアジアカップだの「嵐」の解散だのと、世の中妙に騒がしかったように思う。我が家も「奥さん」がサッカーファンで結構一生懸命なのだ。「嵐」についても、なに?神社・・、なに?誇り・・勇気をもらって?・・・笑ってしまうほどだった。つくづく、人間の価値観は多様だと驚く。そして、こんな多様な人様のことを過度に気にしたり、引きずられたりしていては、とても悠々と心穏やかに生きてはいけないだろうとつくづく思うのだ。しかし、こんな世の中でこそ「公共」のことを考えなければならない。実に大変なことではないかw。
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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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