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香港の民衆の動きについて考える

自分のことは自分で決める!自分たちのことは自分たちで決める!
 ――「政治」の”公共”的、”自治”的”本義”を復興する主体として!


   ※8月も半ばを過ぎた。時間の経つのが著しく早く感じられる。先日、美空ひばりが死んでからもう30年も経つ事を知った。そして、私があと30年生きることはまずないだろうw。本当に長いことはないのだ。しかし、日本と世界の未来のことが心配だ。地球環境や社会環境の悪化によって人々が〈苦しみ〉、「こんなことなら生まれてこない方がよかった」などと考えることはないのだろうか。この「異常気象」と虚飾の「豊かさ」の中で、心が重い。

   それにしても、香港と韓国の民衆の動きが”暑い”。とりわけ、香港の情勢はかなり緊迫しているようだ。第2の天安門事件が起こるかも知れない。香港の民衆は、よほど「中国化」を嫌っているのだろう。つまり、彼らの大半は「漢民族」ではあるけれど、あくまでも「香港人」であって、「中(華人民共和)国人」ではないということだ。そして、彼らの多くは、今回の「逃亡犯条例(犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを可能にする改定案)」によって、返還後50年を待たずして、香港の「自治」と「政治的自由」(「一国二制度」)が蚕食され、葬り去られていくのを拒否しようというのだろう。それは、体を張っても守りぬかねばならないものと感じられているようだ。

   どの国家、どの地域においても、一定の「秩序」の形成・維持によって、ある特定の人々が例外的ですらある「利益」を享受したり、その一方で、その同じ「秩序」の中で、人間としての権利や尊厳を傷つけられたり、十分尊重されなかったりする人々が存在することがありうる。ただ、「民主政治」においては、前者の如き人々が常に監視され批判されるのはもとより、後者の如き人々も、たとえそれが少数であっても、その「政治(公共)的諸権利」は当然保障されねばならないものとしてある。まして、それが多数である場合には、権力保持者たちがそれを”超然”と無視したり、強権的に弾圧したりすることは許されることではないはずだ。

   もちろん、「政治主体」(一国や一地方そして諸個人や諸団体)の判断が常に「正しい」というわけではない。実際、それらが”人権”を毀損する場合、国連などの国際機関や排他的統治権を有する中央政府などが介入し、一定の「秩序」を「強制」することは必ずしも否定されるべきことではないと考えられる。例えば、アメリカ合衆国の南部諸州における黒人差別に対して連邦政府が介入し、黒人の人権を擁護することなどは必ずしも非難されるべきことではあるまい。要するに、「強制」を伴う法の執行は、平等・公平でなければならないだけでなく、あくまでも、「人権」の擁護という観点からなされなければならないということだ。

   こうした観点からすれば、「一国二制度」の維持を求めた、あの「圧倒的多数」の「香港人」たちの「政治」的要求は、決して「人権」を毀損するものと考えることはできまい。それ故、その「政治」的要求は当然尊重されてしかるべきものと言える。もちろん、「一国二制度」が持つ香港独特の歴史的事情―――アヘン戦争後の1842年から150年以上もの間イギリスの植民地だった香港が、1997年、返還から50年間は外交と国防問題以外では「高度の自治」を維持するという「一国二制度」のもとで、中国に返還されることになった―――には、微妙なものがある。中国政府からすれば、香港は中国の一部なのだから、物理的強制力に担保された中国の法律にも従うべきだということになるのだろう。そして、もし香港の動きが「一国二制度」の枠組みを超える「独立」運動あるいは国内における「反体制(=革命)運動」と見なされることになれば、あくまでも「内政」問題として、武力弾圧も辞さないということになるのだろう。こうしたことは、国連代表権問題で中国の一部とされた「台湾」(「中華民国」)にも共通することだ。おそらく、「中央集権」的な「主権国家」の論理とはこうしたものなのだ。

   このように考えれば、香港の問題は、「政治」の〈中央集権〉的な体制と〈連合主義〉的な体制との選択の問題、さらに言えば、「政治」的結合そのものをその構成員(諸個人や地方自治体やその他の団体)の自主性や主体性を基礎に構想・構成するか否かという問題としても考えることもできる。そして、私は、歴史的に形成されてきた一定の「経済的再生産圏」や共同的・相互扶助的な「公共圏」を、法による「強制」の契機を含む一定の形態で構成すること(「政治体」)を一定程度承認しつつも、それは、あくまでも、前者を成り立たせている構成員・構成体の「人権」や「権利」が擁護されるのを前提とした「同意」や「承認」に基づくべきものだと考えている。それ故に、もしそうした基底的なこの同意や承認が得られないのであれば、あるいは、双方が受容しうる妥協的な「統一・共存」が成立し得ないのであれば、分離や独立、あるいは、より緩やかな連合の形成に移行する他ないと思うのだ。そして、こうした対応は、現在、世界の様々な地域で起こっている同様の諸問題への基本的な解決の道筋をも示していると考えている。

   ところで、私には、香港の民衆の闘いと沖縄県民の闘いは重なって見える。こうした地域的な闘いの評価には、しばしば、政治的・経済的利害や民族・宗教などの違いに基づく「二重基準(ダブルスタンダード)」が見られることがある。しかし、中央集権化を強める権力主義者習近平体制に対抗する香港の民衆の動きを「支持」するのであれば、なりふり構わず辺野古米軍基地建設を強行するアベ政権に対抗する沖縄県民の動きも当然「支持」されるべきだろう。両者は、共に、少数者を差別・抑圧するファッショ的民衆運動でもないし、権力による民衆の操作主義的な動員でもなく、あくまでも、強大な権力を前に、自らの生活圏・社会圏の「質」は自分たち自身が最終的に決めるのだという、「政治」(公共性ー自治)の原初的・本源的な表現に他ならないと思うからだ。自らの生活と運命を人任せにはしない彼らの姿は、尊敬と憧憬に値するとさえ私には思われる。そして、その「公共」的意識の高まりは、彼らの社会生活の「質」を必ず向上させていくものと感じられるのだ。

   擬制的に仕組まれた「国益」観念を操る中央主権的権力主義者たちは、様々な対抗措置や陰謀をめぐらしてくるだろう。しかし、民衆はそれに打ち勝つ知恵と勇気を持っているはずだ。頑張れ!香港と沖縄の人たち!あなた達の生活の質を決定する最終的な権限はあなた達自身にあるのだから。
      
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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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