FC2ブログ

サーバントの沖縄旅行 2012

  我〈しもべ〉たる飼い主は、なんと、6月の30日から7月の2日まで、僕をほったらかしにして、沖縄に行って来たんだよ。僕には、なにやら、シーサーとかいうお守りの人形をお土産に持ってきたんだけれど、僕は僕自身が『守護神』のつもりなんで、ライバルがいるみたいで変な気分だよ。



沖縄は悲しくも、素晴らしかった

  
  私の沖縄への強い思いは、1968年4月28日、私が初めてデモに参加した『4・28沖縄デー』に始まるのかもしれません。そして、今回、40年の年月を経て、あの時以来私の心の中にずっとあった「沖縄の心」に、はじめて直接ふれることが出来たのでした。そして、この旅は、沖縄を深く愛する友人5人が沖縄が初めての私のためその豊かな経験と英知を詰め込んだ、目いっぱい充実した2泊3日の旅になったのです。まずはこの旅を企画し、又、旅の先々で実に適切なアドヴァイスをしてくれた5人の友に感謝したいと思います。
  もう一つ、是非、はじめに書いておきたいことがあります。それは、二日目の夕食を公設市場2階の食堂〈道頓堀〉で楽しんだあと、私が1階の市場で『石垣島ラー油』を買った時のことでした。市場のおばさんが、私にラー油を渡しながら、突然、あの沖縄のアクセントそのままに、「オスプレイ 反対してよ!」と声をかけてくれたのです。沖縄戦そして戦後の苦難の日々を経験してきたであろうそのおばあさんに対して、私はある戸惑いと気恥ずかしさを感じながらも、「勿論、反対するよ!」と答えたのでした。美しい沖縄を真に平和なところにしなければならない。私たちの沖縄旅行は、単なる「観光」ではありえなかったのです。





佐喜眞美術館屋上よりの普天間基地





 ※基地の「中」を道がはしっている。「Yナンバー」(米軍車両)の車がわれわれのレンタカーの前を2車線に渡って横切っていく。そして、有刺鉄線は基地の外側に向ってせり上がっていた。沖縄の基地の有様に心を打たれながら、われわれが最初に訪れたのは、丸木夫妻の『沖縄戦の図』がある佐喜眞美術館だった。その屋上から普天間基地を見下ろしたのが上の写真である。この緑多き広大な土地を前に、「これが、普天間か・・・」、言葉がよどんでいく。                                   
 佐喜眞美術館を出て、道の駅〈かでな〉から嘉手納基地を遠望したあと、私の沖縄にとって最も強い印象を残していたチビチリガマに向かう。しかし、この日は、傍まで行き、地もとの少年に聞いてみたにもかかわらず、チビチリガマにたどり着くことは出来なかった。この日の夕食は、宿泊したホテルの傍にあったゴルフ場のレストラン。これも「大当たり」だ。また、ホテルの部屋に落ち着いて、みんなで飲んだ泡盛「久米仙」は、これまでのアルコールのイメージを激変させるほどのさわやかさだった(飲んだ後の悪酔いがほとんどない)。 
                                   

              

チビチリガマ訪問







※2日目、残波岬の朝の散歩は、さんご礁の砂浜を巡って、爽快そのもの。そして、初日には見つけられなかったチビチリガマを、ホテルで新たな情報を得て訪れる。チビチリガマは、若い日の私が「戦争」とはなにか、「軍隊」とはなにか、「天皇制」とはなにか、と言ったことを考え始めるきっかけとなった重要な場所だ。ガマと海岸は予想以上に近い。読谷の海岸を埋め尽くした米軍の艦船、それを目の当たりにした人々の気持ちは筆舌に尽くしがたいものであったろう。1945年4月3日、ここで「集団自決」を強いられ、犠牲となった83名の人びとに深い哀悼の祈りをささげます。                                           



奇跡の万座毛






※こんなに美しい海は初めてだ!さらに、これまで何度もこの地を訪れたことのある友人にいわせても、この日の万座毛は、とりわけ美しかったという。私の心はまるで子供のように踊っていた。うれしくって、思わず、家族とサロさんにシーサーのお土産を買ってしまった。今度、沖縄を訪れるときは、この沖縄の自然ともっともっと親しくなりたいものだ。                              
                        


世界遺産・中城(なかぐすく)城址






※この遺跡は、現存する城(ぐすく)の中で石積みの遺構が最もよく残っているものと言われている。さらに私たちにとって幸運だったのは、この遺跡に到着したとき、まさに帰宅せんとしていた現地のボランティアの方がわれわれに気づいて声をかけてくれたことだ。それから1時間、その方は私たちに、石積みの説明は勿論のこと、琉球の歴史や、沖縄の宗教的伝統、そして、沖縄における女性の地位など、実に興味深い話を聞かせてくれたのです。こうして、美しい眺望に恵まれた丘陵の上に立ち、時代によって明らかに異なる3種類の石垣をたどっていく時、私たちは、琉球王朝時代の歴史的ロマンに浸らずにはいられなかったのです。                                     


ひめゆりの塔






※昼食に、今まで食べたことのなかった〈沖縄そば〉を食した。その時は、ある意味で「不思議な味だな」と思ったのだが、今は、是非もう一度食べてみたいと感じている。そのあと、この写真の小さな「ひめゆりの塔」を経由して、ひめゆり平和祈念資料館に入った。入ってすぐに、元ひめゆり部隊の方が沖縄戦全体について説明してくれているところに出会った。私は、自決した陸軍の牛島司令官らの話を聞きながら、ああ、戦後62年を経過してもなお、この多大な犠牲者の死をめぐって「せめぎあい」が存在するのだと強く感じた。すなわち、この戦争を国体護持のための聖戦として美化しようとするものとこの戦争の本当の意味を明らかにしようとするものとの「せめぎあい」である。そして、ひめゆり学徒とその教師227名の遺影が置かれている第4展示室に入った瞬間、私は言葉では表現できない戦慄を覚え、227人全ての人々と一人一人対面してきたのだった。この写真に残されている一人一人は、まさしく、数字には還元できない、「私」であり、「妻」であり、「父」であり、「母」であり「息子」であり、「娘」であり、「友」なのだ。資料館を出て、友に勧められるままに、あのとてつもなく冷たく美味しいサトウキビジュースを飲んだが、ひめゆりの人びとはどれほど冷たい飲み物がほしかったことだろう。                                         

                    
平和の礎






※二日目の最後は、平和記念公園と摩文仁の丘を訪れた。広大な平和祈念公園には、有名な「平和の礎」がある。そこに刻まれた膨大な戦死者のことを思うと、言葉が出ない。しかし、上の写真に見られるように、ここには名を刻むことを拒否した人々も存在したのだ。そこから、疲れた足で摩文仁の丘に足を伸ばすと、一番高いところに、牛島司令官と司令部の碑が立っていた。「せめぎあい」―――これからの日本は、この沖縄戦からなにを学び、どう生きていくことになるのだろうか。そして、二日目の夕食は、前述したように、国際通りから公設市場に行き、沖縄料理を満喫するが、そこで、あの「オスプレイ 反対してよ!」という言葉に出会うのである。                                  
       

首里城守礼門前にて






※三日目は、ホテルから〈ゆいレール〉に乗って首里城へ。梅雨明け直後の沖縄の天候は素晴らしく、又、修学旅行の時期とずれていることもあってか、人影もまばらだ。本当にゆっくり、首里城を見学することが出来た。さらに、私たちは、地元の小学生たちが遠足で上ってくる「石畳」の道にも足を伸ばした。私は、この石畳道から少し外れたところにある「赤木」―――年に一つだけ願いをかなえてくれると言う古老の言い伝えがあるそうだ―――に、ある願い事をして帰ってきた。私にそんなことをさせる沖縄だった。                                          
予定をずい分過ぎてしまった。どちらにしても、私がこの沖縄旅行を本当に我がものにするにはもう少し時間が必要なのだろう。今日はこの辺で筆をおくことにしたい。
ただ、最後にもう 一言。                


私はオスプレイの配備を認めないぞ!



スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ワン・クリック・エリア
おもしろかったらクリックしてね!
にほんブログ村 犬ブログ 柴犬へ
にほんブログ村 にほんブログ村 格闘技ブログ 剣道へ
にほんブログ村 にほんブログ村 政治ブログ 平和へ
にほんブログ村
リンク
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる