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8・9 原爆の図丸木美術館から鹿教湯温泉

   私と娘が富士山頂でご来光を仰いだ8月6日は、1945年、広島の人々が人工の「太陽」を見、焼かれた日でもありました。この8月6日は、また、私の妻の誕生日でもありましたから、毎年その日に提供される原爆関連の情報を通して、私の核兵器と被爆に対する関心は相対的に強くなったと言えるかもしれません。しかし、埼玉県に住んでいたにもかかわらず、私はこれまで丸木位里さん俊さん共同制作の《原爆の図》を直接見たことがありませんでした。そこで、今年は、長崎原爆の日である8月9日、妻と娘の三人で、東松山にある丸木美術館に行くことにしました。
  
   丸木美術館を訪れて特に印象に残ったことは二つあります。一つ目は、全15部にわたる《原爆の図》が私に与えた印象の変化についてです。私にとって、初期の作品は、細部は「あいまい」であり、また、全体が与える印象も妙に「現実」感がないものに感じられました。これに対して、後期のものは、一人一人の「いのち」の輝き、それが失われる悲惨さ、それらが強烈なリアリティをもって描かれているように感じられたのです。しかし、これは逆なのではないか。これはどうしてこうかんじるのか・・・・その時、私が思い出したのは、戦争を体験している私の母の言葉―――「本当に悲しいとき、本当に恐ろしいときは、涙も出ないんだよ。」でした。きっと、あのように<生き生き>とした人物を描くことが出来る二人でさえ、被爆直後の広島の惨状を前にしたとき、どのように世界が見えたのだろう、茫然自失という言葉が適当かどうかは解りませんが、あの「あいまいさ」と「現実感のなさ」こそ、被爆直後の本当の恐ろしさを表しているのではないか、そんな気がしたのです。
  
  もう一つは、当日そこで見ることができた『さがしています』(アーサー・ビナード/岡倉 禎志 童心社)と言う写真絵本のパネル展示から受けた印象です。それは、爆心地に残され遺物から、その持ち主であったろう人々の〈いのち〉と生活の様子を想像させるものでしたが、こうした視点こそ、大量破壊兵器・無差別殺戮の[悪]と[不条理]を明らかにしていくものなのだろうなということでした。私は、偶然に生まれ、死んでいく多くの〈いのち〉のことを考えると、〈いのち〉に特別な「意味」(目的や価値)があるとは考えられないように思います。「意味」があるとすれば、それは〈いのち〉という存在の観念が付け加えたものなのでしょう。そして、それ故にこそ、全ての存在とりわけ〈いのち〉は絶対的なものだと思うのです。その絶対的な一つ一つの〈いのち〉を思うとき、その固有性を否定し、それを道具視し、数に還元したりすることは、存在の絶対性故に<望み>・<幸福>を求める<いのち>という存在の観念にとって、自己否定のように思われるのです。そして、これらの絶対的な存在の間にあるつながりと共感を探ること、そうしたなかにこそ私たちの前にある否定的な状況を超える契機があるように感じたのです。


  サーバントさんたちはこの日帰ってこなかったよ。丸木美術館のあと、長野県の鹿教湯(かけゆ)温泉の国民宿舎に泊まって、翌日、上田城を見学してきたんだって。サーバントさんは、国民宿舎の温泉と家庭料理のような食事がかなり気に入ったみたいで、これなら1週間湯治してもいいなって言ってました(僕はどうなるんだ!)サーバントさんの奥さんは、朝の散歩で行った天竜寺の薬師堂と文殊堂がよかったといってるよ。姉貴は、上田城跡公園で立ち寄った山本鼎美術館が良かったみたいだね。でも、六文銭の真田雪村がらみでお土産もいっぱい買ってきてたよ。サーバントさんは、木彫りの柴犬のストラップかなんか買って来て僕に見せてましたが、なんなんだろうね

 
奥に天竜寺・薬師堂






 
天竜寺・文殊堂




 
上田城址公園を歩く


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SARO MURIKI

Author:SARO MURIKI
おりこうさんのワンワンです。年齢は、2018年11月現在満12歳です。見てのとおりの柴ですが血統書はありません。性別はオスで、飼い主には、朝夕、45分ずつ2回の散歩を義務付けているVIP犬、正確に言うと、VIDです。文句あっか?!

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